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※2001年8月1日(水)以降については、「随感録」を御覧ください。

2001年2月1日(木)

1月30日、31日と仙台で稽古し、今日2月1日は都内での稽古会で工夫を続けたが、おかげでこの3日間で体の沈みの感覚に具体的進展がみられた。
一番の収穫は、肩の浮きは胸鎖関節のところから浮きがかかると、より有効だということである。
以前、後ろから抱きつかれた時に胸鎖関節のところをずらすということを説いたことがあったが、今回はずらすというより浮遊させて、身体の体幹部との直接的つながりを断ち、同時に群遊する魚が瞬時に方向転換するように、同時多発的に身体を沈ませて使うのである。
こうすると持たせ技等に有効であるのみならず、相撲的な差し手、対突き技、更にこちらから仕掛ける関節技などでも相手がちょっと普通ではない頑張り方をしても、今までのようにこちらの力がハネ返される感じがせず、砂地に杭を打ち込むようにズシッ、ズシッと入ってゆく感じがするのである。

たとえば、私のところで゛裏鶚゛と呼んでいる技は、合気道でいうところの三教あるいは三ヶ条という技と同じように、手首を固めて頑張っている相手の脇を浮かせるように、手首のあたりを掴んで前腕を外側に開いて固めてゆく技だが、この際に受が指を取られないよう手をしっかりと握り込み、その上もう一方の手で手首あたりを掴んでガードを固め、時に応じていなしもするという状況にしておいて、それでも崩せるかというと、よほど弱い相手ならともかく、ある程度身体も出来ている者を相手としたら、まず出来なかった。
しかしそれが、私より体格もよく、武道経験もかなりある人達を相手にしても、今までになく『ダメだ』という感じがしなくなってきたのである。つまり「『ダメだ』という感じは、胸鎖関節の居着きから起きていたのだ」とも言えるように思えるほど、この胸鎖関節の開放は「肩が上がらない」「力まない」ということと密接につながりがあるように思えたのである。

今回の気づきは、骨格上の腕の起点は胸鎖関節であることを思えば当然といえば当然なのだが、ここを浮かせ、その浮かせた感覚のまま位置を変えてゆく、つまり腕を体を動かしていくというのは、口で言うほど容易なことではない。
それでもこの動きに関心のある方は、以前、゛腰の下に足がない゛と私が呼んだ膝のヌケによる腰の沈みの感覚(これは抜刀術の逆手技飛刀打に用いたもの)、それに胸の下り、背の下り、肘の沈み等が微妙な連携を保ちつつ、働くよう、よく体の裡の感覚に目を向けて工夫されるといいと思う。

以上1日分/掲載日 平成13年2月4日(日)


2001年2月20日(火)

昨日、ラグビーの実業団゛東芝府中゛の選手やコーチ諸氏と手を合わせた後、改めて今月に入ってからの動きの進展を振り返ってみた。
今月に入って最も大きな気づきは、11日の日曜日、常連のS氏と゛両手・両手持たせの直入身゛をやっていた時に起こった。この技は、受が取の左右両手をそれぞれ向きあった右と左の手で掴むか払うようにしていなすのに対し、取が相撲の寄り切りのように受に対して踏み込んで行くもので、型というより乱取に近いものである。
この時、私はこの11日の数日前から工夫中の体の使い方をいろいろ試みていた。具体的にいうと、手を前上方に出す時に、ただ普通に出すと腕がクレーンのようになって体とつながってしまうので、水中の木かボールがフワリとあるいはグンと浮き上がるように手を出す動きである。そして、そのためには前傾しつつ、゛腰の下に脚がない゛という゛床几外し゛の体で尻餅をつくように釣り合いをとり、それによって体が居つかずフワリと立ちながら手が浮き上がらないかという工夫である。
これは手裏剣術の手の振り上げ時の工夫によってみえてきた動きであるが、この動きは実に微妙なバランスの上に成り立っているため、相手に触れると浮きが消えてしまいやすい。そんなこんなで悪戦苦闘していた。
それがどうしたはずみか、゛前傾゛と゛床几外し゛で釣り合いをとっているうち、腰から力が浮き上がってくるような感じがあり、これを゛両手・両手持たせの直入身゛に応用したところ、相手の力がまったく肩に逆流せず、そのまま入っていけたのである。

そこで翌12日、稽古に来たK氏を相手に゛体当たり゛、座っての゛片手両手持たせの柾目返゛、゛後からの抱きつき゛等で、この体の使い方の有効性を確かめ、さらに15日の都内の稽古会では20人ほどを相手に工夫を進めた。
そうした経過のなかで、この腰から上方へある力が浮き上がってゆく時、いわゆる下丹田への手応えというものも感じられ始めてきた。

振り返ってみると、この一連の気づきは昨年11月初め、剣術の右下段籠手留の体を体術に応用して、切込入身の際、受が上下左右にその場で自由に取の手を払ってきても、正中面が崩れず相手に踏み込んで行けるようになったことから始まっているように思う。
ただ現在では、その肩を下へ絞り込むように落す右下段籠手留の体より、゛前傾゛と゛床几外し゛で釣り合いをとって立ち、胸鎖関節から肩のあたりを浮かせておいて、腰から立ちのぼる力を使うようになってきている。
今後、下丹田の自覚が更に進めば動きの質も脱皮してゆくように思うが、実際にどう進展してゆくかは成り行き次第だろう。
ただ、丹田ということは、やはり重要な動きの焦点のように今の私は感じている。

以上1日分/掲載日 平成13年2月22日(木)


2001年2月23日(金)

前傾した体と゛床几外し゛で尻餅をつくように後傾した体との釣り合いをとって、腰からの力を遊離させて使う工夫(この体の使い方を「向後の釣合い」と名付けた)は、その後も進展し、昨日22日は、久しぶりに稽古に来館した同志会のKさん相手に工夫しているうち、足を揃えた動きから、左足前、あるいは右足前の体から、前足後足の膝の抜きようで、更に力の束が細くなることに気づいた。
力の束が細くなれば、いなされても、よりこちらの力が外れなくなる。ただ、体の使い方が一段と複雑になる。

たとえば、この動きを打剣に応用すると、腰からの力で剣を飛ばそうとすると、手指の力が抜け、ある種の゛投げ゛のように肘から先が゛うねり系゛の動きになりやすい。それを防ぐため、腰を沈めて肘から先に斬りの線を出すことを考えたが、そうすると腰から立ちのぼる力とその腰の沈めをどう分けて使うかが難しい。
しかし、このように工夫の手掛かりが多いと、よくもまあ今までは限られた動きの中で「『ああでもない、こうでもない』とやっていたなあ」と、呆れる思いだ。体の割れが進めば、更に思ってもみなかった動きの組み合わせが可能になるような気がする。
そうして気づいてみると、初心のうちから、ただただ繰り返し単純な動きを反復練習するという方法は、よほど傑出した師に恵まれ、本人も才能があれば別だが、動きを癒着させ、発展の可能性を塞いでしまうのではないかと思う。

それにしても、最近の技の進展は、どうも文字としてうまく表現しにくい゛感覚言語゛のようなものが次々と湧き出してくる分、出版社から依頼されている一般向けの本の原稿が進まず困っている。
この原因のひとつは、どうも最近の私の食事と関係があるようだ。
私は、今から25年くらい前、生玄米を水に漬けて発芽状態となったものを擂り潰して食べていたことがあったが、最近は会員のO氏の体験を聞き、生の葉菜根菜を擂り潰して、ドンブリ1杯、1日1〜2回食べている。すると、生玄米を食べていた時のように、朝の目覚めが実に爽やかで、体調が変わってきたのがハッキリと自覚できるようになってきた。
このような食事法が身体に与える影響の大きさは、以前からよく知っていたが、こうした食事は精神にも影響が大きく、生だけで通していると勘が冴えると同時に感情も繊細となり、都市で生活していると耐えきれなくなってくる問題がある(このことが良いのか悪いのかは何とも判断しかねるが)。
そのため、現在の私の立場を考え、生だけではなく普通の食事も併せて摂るようにしているのだが、やはり精神への影響は出て来たのだろう。
とにかく短い゛片言隻句゛の『語録』のようなものならいくらでも書けそうだが、論理的に、あるいは物語的に人を説得するものが急に書きづらくなってしまった。
今後この状態がどう変わるか分からないが、「絶望していられない」私にとって(このことについては、2月6日の『交遊録』に書いたが)様々な体験に積極的に身を晒してみるしかないと思っている。

(最近の私の技を体験されたい方は、3月10日、大阪なんば駅近くのクボタ体育館で尚志会主催の稽古会があるので、御関心のある方はこのHPとリンクしている尚志会のHPを御覧になっていただきたい)

以上1日分/掲載日 平成13年2月24日(土)


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