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1999年12月7日(火)

先月の28日以来、どっかりと私の心の中に根を下ろしている虚しさとの付き合いも1週間を超えている。
この間、術理の方は、結局゛肚゛へとまた戻ったな、という感じでそれなりの進展もあり、稽古をしている時はけっこう元気で、その点、来ている人に迷惑は掛けていないつもりだ。
しかし、どうにもこうにも゛もののけ姫゛以来の人であることへの絶望感とこれに追い討ちをかける、あまりにも愚かとしかいいようのない人々の言動には本当に参る。
これは今月4日、長男の通う中学校の学級崩壊の問題で保護者有志と学校の校長F女史以下、教員の方々の集まりでいやというほど感じた。
生徒の諸問題を憂いて集まった筈なのに、一種イベント化している。校長のF女史の「こんなに多くの方々にお集まりいただいて…」という挨拶も気に食わぬ。数百人生徒がいて、保護者が50人ほど集まったのが多いのだろうか。安易なプラス思考、出来るなら軽く軽く捉えたいという、いかにも公務員、官僚的な発想。
あまりの馬鹿馬鹿しさに、もうこんな会は御免だと思ったが、唯一、話の通った保護者の1人S氏に「また是非来て下さい」と口説かれたので、もう1回は行ってみようかと思うが、その時は遠慮なく言いたいことを言わせてもらおうかと考えている。
とにかく本気で学級崩壊をなんとかしたいと思ったら、校長以下、教師も保護者も皆、一時の体面や権威づけを捨ててドロドロになって本音を言った方がよっぽどいいと思う。

そしてこのことは武道界においても全く同じことが言えると思う。型の意味も趣旨も曖昧なまま、本気でいなしたり抵抗したりもせず、ただタイコモチ的に受けをとる相手を投げ飛ばしてみせたところで矮小な自己満足が得られるだけであろう。
今回は私の言説が多少激し過ぎたかもしれないが、せめてこうでも書かないとこの先、生き続けようという意欲まで涸れてくるので御容赦いただきたい。

それにしても群馬大学・同志会の合宿はあれだけの志と意欲を持った若者が集ったということが、私の中の何かを刺激したのだろう。
「ああ、こんな時代でもこうした志を持つ若い人達がいるんだなあ」という思いが私に後ろを振り向かせたのかもしれない。振り向いて昔を思い「あの日に戻れたら」などという思いがわずかでも私の心の中に生じたのだろうか。

今年8月、国連は地球の環境に関し「すべてもう手遅れである」という悲痛な発表をした。フロンガスによるオゾン・ホール、二酸化炭素の増加、数百種にのぼる環境ホルモン、ダイオキシン…。
それに馬鹿げた学歴社会。難しい受験をくぐりぬけて科学者になったとして、その科学者の頭の硬さには吹き出して、同時に悲しくなるくらい滑稽な状況がほとんどのようであるし…(このことは先日11月2日の紀伊國屋ホールでのE先生の醜態でさらに実感した)。
しかし6日の夜、大阪の精神科医・名越康文氏に電話したところ、名越氏も似たような状況でいたところ、3年ぶりに話した人と凄まじく話しが通ったそうで、一方の絶望感ともう一方の感激とで大混乱中。しかし話をしていて互いに深い共感が湧いてきて2人とも落ち着いてきた。改めて、話がここまで通る相手のいることをしみじみありがたいと思った。

以上1日分/掲載日 平成11年12月9日(木)


1999年12月9日(木)

長男が通っている中学が荒れてきているので、PTAで交替で見回りをすることになったというので今日行ってきた。
すでに4日に教員・保護者での集まりで出た意見のくだらなさに絶望していたから改めて書くまでも無いほどだが、今日はいままで気の毒と思っていた教師に対してもどうしようもないほど腹が立ってきた。いや、教師・教育委員会・文部省すべてにである。
とにかくクラスによっては中で何の授業が行なわれているのか外からではまるでわからない。それほど生徒が騒ぎまくっている。そんな中でどういう気持で授業をしているのだろう。それでも授業をしている教師の気が知れない。

聞くところによれば、いわゆる途上国以外で、このような教師が黒板に向って生徒に教えるという形態の授業を主にやっている国はきわめて少なくなってきているという。
学ぶ気になれば、いまや本もビデオもその他様々な教材が手に入る。戦前や復興期とは違うのである。もう今の教育形態は時代に合っていないことは明白である。学級崩壊・学校崩壊も時代の必然のように思う。
こうした問題やイジメ・不登校、これらの根本的な対策は企業や役所が新人採用の際、一切の学歴を問わず独自の考査方法を実行することが何より近道だろう。
文部省は解体し単なる教育援助機関になり、私塾がそのまま教育機関になればいい。そして中学生くらいから仕事を見、覚え、その気になったら勉強する。
このことは朝日新聞の゛論壇゛でも主張したことだが、今改めて現在の悲惨な教育現場をなんとかできるのは雇用する側の人達にあることを訴えたい。

以上1日分/掲載日 平成11年12月13日(月)


1999年12月12日(日)

11月21日に行われた『PRIDE.8』、ホイラー・グレイシー選手対桜庭和志選手の結果について、後日、グレイシー側の言い分が潔くないということで、現在巷のグレイシー株は急落しているらしい。
私もその闘いの様子をテレビで観、圧倒的に桜庭ペースであったと思うから、敗北を素直に認めないグレイシー側は、少なくとも日本人の美意識からすれば興ざめな思いのした人が多いのは当然だと思う。

ただ昨日、関西に住む、ヒクソン・グレイシー選手を深く尊敬している医学生S君と電話で話し、いくつかの点で考えさせられることがあった。
S君のグレイシー側擁護の弁だが、彼がただ単に感情的にヒクソン・グレイシー選手に思い入れがあるという訳ではない。グレイシー側に打突技に対する技術の拙劣さがあること等を含め、決して武術としての完成度からいってグレイシー柔術を最高のものとは認めていないという冷静さが以前からある上、桜庭勝利を予測していたようだ。それだけに、おそらく現在のグレイシー一族を弁護して彼ほど見事に論陣を張れる人間はほとんどいないと思えるほどであった。
この時、彼が論じた主な点は次の通りである。
…グレイシーの選手は、きわめて普通の人間である。特にホイラー選手は普通人にも見劣りするほど華奢であり、桜庭戦に臨んでは体重もずっと重い桜庭選手に「挑戦する」という思いで臨んでいったはずである。ところが世間は、不敗のグレイシー神話を必要以上に大きく膨らませ、そして意図的にプロレスの悪役に仕立てていった。グレイシー一族は日本のジュージュツの名を世界に広め、ジュージュツの母国である日本を尊敬し、自分達の活躍は日本人にも喜んでもらえると素朴に信じていた人のいい人間達である…。

たしかに『PRIDE.8』の当夜、グレイシー狩りなどと書いた鉢巻きを締めて桜庭選手を応援している風景は私も不快に思った。もしオリンピックなどであればそうした態度をとる者はいなかったろう。共同体の仲間意識が醜く出た場面だと私も思った。
しかし、それでもバーリ・トゥードで突きも蹴りもありということが前提の試合で、蹴りばかりでグラウンドで組みにこないのは卑怯だ、というグレイシー側の発言は(ブラジルでは組み合ってこそ男で、離れたところからの打突は女の子の技だという通念があるともいうが)、やはり無理がある。その点はS君もグレイシー側の読みの甘さ、桜庭選手についての情報分析不足があったことは認めていた。
ただ、S君が今回の試合で掌を返したようにグレイシー一族から離れず、実に冷静に状況を分析してグレイシー一族支持を語っていた姿は感動的でもあったし、人間として信頼できる一つの典型とも思えた。
これは精神科医の名越氏が以前から言っていたことだが、S君ほど私欲薄く、正義感もあり、頭もよく、他に影響されぬ価値観を構築できる人間が、この日本という共同体意識の強い国でこの先仕事をしてゆくのはさぞ大変だろう。

それにしても今回の『PRIDE.8』、ヘンゾ・グレイシー対アレクサンダー大塚戦、ホイラー・グレイシー対桜庭戦のいずれを見ても思ったことだが、往時の柔術の遣い手は決してこのような身体の使い方はしなかったであろう。
特に最近、私自身再び肚・丹田の意味を思うにつけ、背・腰の緊張と釣り合うほどの腹の緊張をつくれるようになった人間が、あのような動きをするとはどうしても思えないのである。

ヒクソン・グレイシー選手は日本に初めて試合に来た時「このように美しいジュージュツを、ジュージュツの母国日本に持ち帰れて誇りに思っている」というような発言をしたように思うが、(これは私の美意識なのかもしれないが)寝技主体のグレイシー柔術を美しいとは思えなかった。
ただ、グレイシー一族が自分達に誇りを持ち、それ故に相手も尊重するという態度に嘘はなかったと信じたいし、日本人の側もそれに応えるべきだったと思う。

それにしても彼の深夜の熱弁、3時間には圧倒され、電話を切るに切れなかった。お蔭で諸般の用事に遅れが出たが、現代にあれだけの情熱と志を持った人物と話せたのだから、ぼやく気は全く起らなかった。
しかし、現代にあれだけの論の緻密さと持続力、そして不妥協な人間を使えるだけの人物がいるだろうかと改めて思った。

以上1日分/掲載日 平成11年12月14日(火)


1999年12月16日(木)

『PRIDE.8』のホイラー・桜庭戦に関して、その後、誰かに肩入れする、ひいきする、擁護するということはいったいどういうことなのか、ということについて改めて深く考えさせられた。
ここまで問題を拡げてくると、単にホイラー・桜庭戦の問題ではなく、いま私がかなりエネルギーを注ぎ込んでいるともいえる中学校の学級崩壊などとも密接に関わってくるし、およそこの世に生きていて、このことと無縁の人などいないといっていいほど、このことは人間にとって非常に重要なことであると同時に厄介な問題だからである。
このことについて考え始めていると、15日に知人のN氏から「甲野先生が大変心を動かされた『もののけ姫』のタネ本は梅原猛先生の『ギルガメシュ』にあったようで、そのことを宮崎監督が何も言わないのは問題ではないでしょうか」といった内容の手紙が、資料『亀とムツゴロウ思うままに』(文藝春秋)、『地球の哲学』のコピーと共に届いた。
読んでみると『ギルガメシュ』が『もののけ姫』のシシ神殺害のヒントの1つになったかもしれないとも思える。
しかも梅原氏が宮崎氏にこの作品をもとにアニメを作って欲しいという依頼を直接行なって、宮崎氏がそれを丁重に断った、といういきさつが過去にあったとなると、梅原氏が「なんだ、あの時は断っておきながら、その後で黙って私のアイデアを使うのか」と言いたい気持も分からないではない(もっとも、まだ私は『ギルガメシュ』そのものを読んでいないので、それ以上コメントできないが)。
しかし『風の谷のナウシカ』以来、人間が自分の手で自然を破壊してきて、その上に文明を築いて問題が起きてきたというテーマは、宮崎監督のライフワークのようなものであるし、そのことを安易な環境保護論に結びつけたくないというところが宮崎駿の宮崎駿たるところで、その辺のニュアンスが梅原氏とは相当に違っているのではないかという気もする(これはやはり、忙しくとも『ギルガメシュ』を読んでみなければならないだろう)。

しかし、ふと気づいてみると、数日前の医学生S君の立場に今度は私がなっているともいえなくもなく、このタイミングの良さというか(悪さというか)、その妙には我がことながら苦笑せざるを得ない。
この問題について、この頃よく電話で話をする畏友G氏に「甲野先生も守るものがあって大変ですね」と笑われてしまったが、考えなければならない時には、より切実な課題が降ってくるというか、私自身の潜在意識が招き寄せているということなのだろうか。
「誰かに肩入れするとか誰かを擁護するというのは自己愛の変形でしょう」と語られるG氏といろいろ話したが(G氏にとってこの自己愛の問題はライフワーク的課題のようだ)、話し込むほどにこのことは人と人との信頼とか愛情といったことにもつながっていき、どんどん深みにはまっていく。
特に人と人との信頼・愛情関係で最も濃密になりやすい親子関係において、この肩入れ・擁護はどういうことになるだろうか。
以前この「子と親の信頼関係」について、やはり私が深く尊敬している畏友のH氏は、「僕が我が子を信じるということは、もし我が子が誰かを殺したとしたら、その殺された人間は殺されるべき人間だったんだということです。けれど、もし、その子のやったことがどうしても僕自身許せないと思った時は、僕がその子を殺して僕も死にます」と語られていたが、この簡潔さには私自身深く感動した記憶がある。
つまり子育てをする以上、そこまで信頼できる子供に責任をもって育てるべきだということであろう。
勿論このことは容易なことではない。自分では一所懸命育てたつもりでも、その一所懸命さが的外れで子どもがおかしくなってしまう例は腐るほどある。そしてその挙げ句、明らかに問題だらけの子を、「ウチの子に限って…」と庇う姿の愚かさは、世の親がみせる最も醜いものの1つである。
そして、このことにも深く関わってくることだが、現在私が向き合っている中学校の学級崩壊の問題で、14日は教育委員会の教育長からも電話が掛かってきて話をしたし、夜は市会議員とも話した。
その上、14日は『鳩よ!』(マガジンハウス)誌の企画で行なった多田容子女史との対談をまとめた原稿の直しと、来年1月末の朝日新聞夕刊に載る『私が愛した名探偵』のゲラの赤入れ(共に、15日完了)、そしてやはり来年3月末にある゛アライフォーラム゛への御招きの電話を頂いたりと、ただでさえ散らかり気味の家の中は、もう手がまわらず引越前夜状態。まさにY2Kで迎える西暦2000年を象徴しているかのようである。

以上1日分/掲載日 平成11年12月20日(月)


1999年12月21日(火)

暮れも押し詰まって、今年も残すところあと10日となった。
今日はお招きを受けていた坂本龍一氏のピアノ・コンサートの開かれている恵比寿ガーデンホールに出かける。
環境問題に関心の深い坂本氏にしてみれば情報を集めるほどに絶望的にならざるを得ない今、それでも僅かな可能性を追いかけ、「生きものとしての自分を楽しまれているんだな」と、そんな印象のコンサートだった。ゲストのデザイナー・山本耀司氏がなんともいい味でホッとさせてもらった。

コンサート終了後、楽屋へお招きを受けていたので伺い、坂本氏とマネージャーの空里香さんに御挨拶をする。
坂本氏と話しているすぐ近くで何かものいいたげな雰囲気の女性の気配がする。坂本氏に用なのかな、とフト見ると、思わず目を見張るほど美しい人が微笑を浮べ佇んでいる。どういう人だろう、と思っていると、空さんが「あっ、御紹介します。女優の鶴田真由さんです」と引き合わせて下さった。最近は忙しくてテレビなど見る暇のない私でも鶴田さんのフルネームをこうして書けるほどだから有名な女優さんに違いないのだろうが、私の記憶の中では申し訳ないことに「ああ、綺麗な人だったな」という以外、具体的な印象がほとんど残っていない。その上、逆に鶴田さんの方から「甲野先生ですね。坂本さんから何度もお話をうかがっていましたからすぐわかりました」と挨拶をしていただいたからひどく恐縮してしまった(坂本氏はいろいろなところで私のことを話題にされているらしい。有難いような気もするが私自身、自分の人間としてのレベルはいやというほどわかっているから、初めて会った方にこのような挨拶をしていただくと気恥ずかしさに身がすくむ)。そのあと山本耀司氏にも紹介していただいた。
私もいろいろお話したいのはヤマヤマだったが、超多忙な坂本氏のお時間を奪うのも気がひけ(空さんやスタッフの方々が時間が押してきているのを気にされている様子もよくわかったし)、どうしようかと思ったが、坂本氏が話をやめられないので、つい私ものってしまい、区切りをつける意味もあって、2分間ほどのミニ演武を舞台裏でやってから、またお会いすることを約して辞去した。来年は春まで世界各地でコンサートをされるという。一段落される初夏の頃、またお会いできたらと思っている。
その頃までに私の方も、最近具体的に展開してきた腹力のつくり方とその用い方に、今からでは想像もつかない気づきがあるかもしれない。ただ、そうなったとして、得るものがあるほどに背負う荷物も重くなっているに違いない。荷物が重くなっているにせよいないにせよ、ここまできたら背負い続けていくしかないようである。

以上1日分/掲載日 平成11年12月23日(木)


1999年12月31日(金)

梅原猛著『ギルガメシュ』を読んだ。
2週間ほど前、知人のN氏から宮崎駿監督の映画「『もののけ姫』のあらすじとタネ本は、梅原猛先生の『ギルガメシュ』にあったようです」という手紙と、梅原氏自身が『もののけ姫』は『ギルガメシュ』からヒントを得たことに間違いなかろう、と書かれた本のコピーが送られてきた。
私はちょうど、ホイラー・桜庭戦のことで「人に肩入れをするとはどういうことなのか」(『交遊録』12/16)、ということを考えていた折でもあり、さらに私にとっては今年最も印象に残る出会いとなった宮崎監督が関わっていることでもあったので、このことに私自身も納得できるところまで付き合うことにした。

N氏から送られてきたコピーの梅原氏の文章を読む限りでは、梅原氏が自分に断りもなく『ギルガメシュ』を利用されたと不満に思う気持が理解できないことはない。なぜなら梅原氏が『ギルガメシュ』をアニメにして欲しいと、直接宮崎氏に依頼をし、断られたといういきさつがあり、その『ギルガメシュ』は森の神の殺害が中心テーマだということだからである。
この上は、とにかくその『ギルガメシュ』を読んでみるしかないと思い、中島章夫氏に依頼して新潮社刊の『ギルガメシュ』を入手し、暮れの忙しいなか、時間を盗むようにして読んでみた…。
…途中からかなり頭を傾げざるを得なかったが、とにかく最後まで読んだ。読み終えて、この『ギルガメシュ』が『もののけ姫』のタネ本になっているという梅原氏の主張はあまりにも無理があると思った。
『ギルガメシュ』のなかでギルガメシュ王に殺される森の神フンババは、よく神話に出てくるようなきわめて人間的な神であり、『もののけ姫』に出てくるシシ神のような、その神自体がどのような主張を持っているかさえ謎な神とはまるで違っている。
また、シシ神を殺したエボシ御前はギルガメシュ王のように悩んだ末に大変な思いをして神殺しをしたのではなく、平然とシシ神殺しに出かけて、そして自らも片腕をなくすがシシ神を殺したことを後悔している様子はない。これに対してギルガメシュ王は、後に森の神を殺したことを深く悔いてそのことを大祭司に伝言するように頼んでこときれるが、それがどうにもとってつけたような感じで、なぜギルガメシュ王がそう考えるに至ったかの説得力がない。
世界最古といわれる叙事詩『ギルガメシュ』の原文がどんなものか知らないが、この梅原氏の作品を読む限りではそれが深い感動を呼ぶ作品という予測はたち難い。

梅原氏は自著『ギルガメシュ』の゛あとがき゛で、「この作品は…(中略)…小にして私自身のために、大にして人類のために書いたものである」と書かれているが、この辺の心情とセンスは宮崎氏とほとんど対極にあるといっていい。
宮崎氏は私に下さった書簡のなかで、「ぼくは、もののけ姫を自分の作品と感じたことは一度もありません。そうせざるを得なかっただけなのです。ただ、世間にもどってみると、稼いだ金額だけが話題となり、ほころびもくらいつくす力もますます強大になるのを感じます。映画はその意味では無力です。もっとも、世間をどうこうしたいと映画を作ったことは一度もないのですが」と、御自身の思いを書いて下さったし、『もののけ姫』が興行収入の記録を破った折に挨拶された時、「『もののけ姫』は子供達がいちばん理解してくれていると思います」と述べられながら、「いま全国の子供達から手紙をもらっていますが、それをそのまま受けとるほど僕は甘くはありません」とも述べられていた。
こういうセンスを持った方が、もし梅原氏の『ギルガメシュ』からヒントを得たといっても、それは散歩をしていてふと目にとまった喫茶店の看板か何かがヒントになった程度で、それはわざわざ口に出して言うことでもないだろう。
それに自分のセンスが通ずる人なら、ヒントを与えてもらった人に連絡して話をし、構想を練る役に立てようと思うかもしれないが、センスや価値観がおよそ通じそうもない人であれば、誰も連絡する気にはなれないだろう。

梅原氏のセンスは宮崎氏とおよそかけ離れていると、いま述べたが、それは次に引用する『ギルガメシュ』の゛あとがき゛の続きを読めばあまりにも明白であろう。
「…昨年の夏から公務の暇を見つけて書き下したのが、この作品である。私は改めて一言一句に粉骨砕心(注・原文のママ)の苦労をしなければならない文学の厳しさを身にしみて味わった。齢六十歳を越えて文学を志すのは容易なことではあるまい。…」(途中から他人の作品を賞賛する口調に変っている)
私はこれを読みながら11月2日の紀伊國屋ホールでのE先生の話を思い出し(『交遊録』11/3)、秋に養老先生と出した『自分の頭と身体で考える』(PHP研究所)のなかで養老先生が話された言葉「七十歳の同級生同士の話題…病気の話、孫の話、勲章の話、これで終わりだよ」の真実味を改めて追体験させられた。梅原氏といい、E先生といい、文系・理系ともに大御所といわれる人がこのありさまでは、中学生が荒れるのも無理はない、と暗澹たる気持で2000年を迎えようとしている。

最後に、「人に肩入れをする」ということについて今の私なりの感想を言えば、それは確かに畏友G氏の言うように自己愛の変形であり、人間はどうしても自分とセンスや価値観を共有できる人に肩入れするということであろう。
したがって、この梅原氏やE先生に対する私の感想はあくまでも私の主観に過ぎない。私が首を傾げようと、現実の梅原氏は世間ではたいへん評価され、文化勲章を受賞されたし、E先生は今度S工業大学の学長に就任されるという。そのことに苦情を言ってもはじまらないと思うが、同時に「違う!」と思うこと、「おかしい」と思うことを言わないのも不自然だと思うので敢えて述べさせていただいた。
自分の意見通りにこの世を染めあげようとは思わないが、自分が生存し続けるに最低限必要なプライドを維持するためにも、これから言うべきことは言い続けてゆきたいと思っている。
来年は゛自己愛゛と゛プライド゛というものが私のなかでどう異なっているのか、それについても考えてゆきたい。これは゛いじめ゛や゛学級崩壊゛を考える上でも重要な鍵のひとつになるような気もする。

以上1日分/掲載日 平成12年1月4日(火)


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