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2002年8月5日(月)

 今、自分が一体なにをやろうとしていたのかを瞬間的に忘れてしまう時があって、さすがに、これはもうちょっと限界だな、と思った。私がいま抱えている仕事量がである。つまり、いま起きている間は、四六時中、「ああ、あれもやらねば・・」「これもやらねば・・」とやらなければならないことが頭の中で優先順位争いをしており、その順序の判定をしている意識が時に順位争いに巻き込まれ、自分の今の立っている処を忘れるらしい。しかし状況は、益々大きな渦がすぐ傍まで来ている感じで、今日もこれから朝日カルチャーセンターの講座へ行くのだが、その後、「とうとう来たか」、という感じの読売新聞のスポーツ記者からのインタビューの約束が入っている。

 ただ、技に関する気づきと展開はその後も続いている。今は、体の沈みと水平方向の体の差し換えのロックによる力の発生をリキまず、いかにして腕や肩に伝えるかの工夫に思いを注いでいる。しかもその時身体各部を次々とロックするのが、機関銃音のようにではなく、濁った一音になるように、いろいろ工夫している。しかし、これには無意識下なのかもしれないが、とてつもない頭の回転の速度を必要とするような気もする。(50歳を既に数年越えた頭で大丈夫かと思うが、替えがきかないのだからやるしかない。)それによって、力は雪ダルマのように発してから後大きくするのだが、それが、スゥーッとロールスロイスの発車のように急加速しないことで、体の中の渋滞や、つまりが起きぬようにすることが重要のように感ずる。

 これに関して打剣時の手裏剣を収めた手之内の指の伸ばし方に今までにない確信が得られた。とにかく手指をいろいろ使って剣の回転を抑制するようでは決して質的転換した力は得られないということだけはハッキリとした。今まで散々に迷いぬいた手指の使い方だが、ここへ来てようやくその迷いの霧からは一つ抜け出した感じがする。ただそれだけに体の使い方は一層複雑で微妙な感覚を要求されるだろう。私は、ここでまで来たから引き続き研究稽古する気になれるが、もし今、自分が全くの初心者状態でありながらその構造の複雑さだけはひどく入り組んだ立体パズルのように見えたとしたら、やってゆく気力を失いそうである。

 初心者というのは、その難しささえもよく分からないからこそ取り組めるのだ、ということが最近あらためて分かった気がする。そして、才能のある人なら私の数倍いや数十倍の早さで進歩するだろうから、複雑な技術もある程度の筋道さえつけておけば受け継がれさらに展開してゆくのだと思う。

以上1日分/掲載日 平成14年8月7日(水)

2002年8月13日(水)

 8月8日は、整体協会身体教育研究所の野口裕之先生から御案内をいただいていた、渋谷和子女史の型染の展覧会を観に瀬田の稽古場へ行く。その途中の電車の中で、4〜5歳の孫らしい女の子を連れた60代後半か70歳くらいの老婦人をみかけた。昔風に髪を頭の上でまるくまとめたその雰囲気は、着物こそ着ていなかったがなつかしい日本のお婆さんで、その幼い女の子に対する視線と口調は若い人には決してない穏やかで包み込むようなやさしさに満ちていた。都会の、それも少し混んでいた車中だったので、さすがに声をかけはしなかったが、これが地方への旅行中だったらきっと話しかけていただろう。若くて綺麗な人は少なくないが、年を経て思わず話しかけたくなるほど魅力的な人は滅多にいないものだ。それは年を経ると、その人の内面がどうしても顔にあらわれてきてしまうからだろう。「ああ、年をとるということもいいものだな」としみじみ思わされた。

 展覧会では、野口先生に渋谷女史を紹介していただく。紹介していただく以前に、「ああ、あの方に違いない」と直覚させられたほど渋谷女史はその凄まじいまでの集中力が表情に出ていた。「これほどの抽象力を持った人は滅多にいませんよ」と野口先生が力説された理由も、作品を観て「なるほど」とうなづけた。

 渋谷女史の作品は、それ自体強烈なエネルギーを持っているためか、体調の悪い時はその着物に負けて着られないそうだが、そういった「癒し系」とは正反対のところが、いかにも裕之先生の好みに合っていそうである。しかし夏草を描いた作品は深く心に残った。

 9日の午前中はK選手の稽古。初めてスポーツ紙の記者同行。これで流れは変わってくるだろう。夕方からは池袋コミュニティカレッジの講座へ。終わってからいつものように常連の人達と喫茶店で話しをしたが、10日からの強行予定を考え、岩井氏、高橋氏らと共に一足先に引き上げる。

 そして今、帰京する13日の新幹線の車中まで、10日から電話もつい忘れがちになるほどの勢いで時間が一気に流れた。10日は有馬温泉で、神戸女学院大学の内田樹教授の音頭取りの冬弓舎の本のための座談収録。名越康文名越クリニック院長、飯田祐子助教授、冬弓舎の内浦氏と私の計5人。名越氏が最も多くを語り、次に内田先生、そして私の順。それにしても名越氏の語りはもう一級品の芸。その発言量がどれほど多くても誰一人もウンザリさせない。興味深い話は山盛りに出たが、どうまとめるかこれは内浦氏が大変だろう。

 有馬の後は岡山へ。光岡英稔氏の内家武学研究会のメンバーをはじめ小森君美先生のスポーツ関係者の方々との稽古会。凄まじい暑さだったが、剣あり寝技あり杖あり何あり・・・とバラエティに富んだ内容となった。内家武学研究会のF氏と福岡から駆けつけてくれたJリーグのK選手の動きの伸びが素晴らしかった。今後、私の伸びが停滞したり渋滞していたら稽古会に来てもらうのが申し訳なくなるだろう。それにしてもK選手くらいの身体能力がありながら、まだ控えの選手とは、スポーツの団体も不可解なことがいろいろありそうだ。それにしても光岡氏の武術の力量は大したものだ。制作中の共著はまだまだかかりそうだが、今秋朝日カルチャーセンター大阪で行う予定の対談では息を呑む人も多く出るだろう。

 今回光岡氏と手を合わせてみて何より幸いだったのは、接触から発力までの時間が一般人より遥かに短い人に対しては触れてから発力するのでは遅すぎ、触れる前に発力する必要があるということ。しかし、これは野球にたとえればボールがホームベースの所に来る前にバットを振る感じなので、ある種非常なためらいが出る。しかしここに何かあることはどうやら確か。

 明日は午前中母の新盆で家族が集まり、夕方は又瀬田の整体協会へ。その前に町田へ大工の深田真氏の作られた家を、炭焼きの佐藤ファミリーと見に行く予定。

 15日は都内の稽古会。その前に手紙やら原稿やらが山積み。一体どうなることやら・・。

以上1日分/掲載日 平成14年8月15日(木)

2002年8月20日(火)

 17日は、佩刀の鍔元が緩んできたので何年ぶりかに刀の目釘を削った。良質な真竹の根近くを80℃くらいの菜種油で4〜5時間煮てから、ずっと何年も同じ種油に漬け込んでおいたものを目釘の大きさに合わせて削り、金ノコで切って鑢(ヤスリ)で仕上げた。前の目釘が何年ももったのは、火加減がよかった事もあるが、抜刀の稽古回数が減ったことの方が大きな理由かもしれない。しかし、最近、以前よりもしばしば試みて動きが進展していることは確か。特に一足立ちでの抜きは、膝をぬいて体を宙に浮かしている間は体の重さ、刀の重さが宙に預けてあるわけで、その状況を破らぬように抜くことがポイントなのだが、最近1つ、以前よりその宙にある間が使えるようになったように思う。

 最近はまた、体を割って使うということの意味の重要さが、以前よりも一層感じられ、その、体の細かな割りとその割れた部分に一斉にロックをかけて力を生むこと、そしてその力を力まずにスーッと伸びた肩や腕にどう伝えるかに試行錯誤の日々。

 19日は防衛大学であった神奈川体育学会の講座で、動きの実演と解説を行ったが、そこから帰って夜、家まで送って下さった防大のI先生に打剣の説明をしていた時、手指の伸ばしと手の先行、それに体がどう乗るかについて言うに言えぬ微妙な気づきがあった。これにより打剣と体術、そして稽古法としての站椿とが今までになく結びついて感じられたが、その感覚は急に後を振り向くと頭の中からそれがこぼれ落ちそうなぐらい微妙。

 以前、精神科医の名越康文氏が医学部の卒業試験を受ける時、とにかくむちゃくちゃ暗記して、それが耳からこぼれ落ちそうになるので試験場へは両耳を抑えながら行った(大笑)という話を、マキさんと私との鼎談共著『スプリット』の中で語られていたが、私の最近の武術における気づきはどうもなかなか言葉では表現しづらい微妙なものが多い。

 そういえば何日か前、私の手裏剣術の兄弟子に当たる寺坂進先生(前田勇・根岸流四代宗家に最も身近で永く師事されていた方で、それだけに前田先生の技は実質的に最もよく受け継がれていて、そのことは私自身何度も前田先生から伺っている。)と電話で話しをさせて戴いた折、初心者の頃、直打法で剣が回転しないように剣の基部をハタクように抑える動きをしていたところ、「それは壁塗りじゃ」と前田先生から注意されたとのエピソードを初めて聞くことが出来た。この話を聞き、あらためて我が師の見識に敬意を抱かされたが、1年前ならこれほどの思いをしなかっただろう。

 手裏剣も、ある程度の距離から只刺すだけなら、それほど難しくはないが(それでもなかなか苦労している人も多いようだが)、その刺さりや飛びの質を考えると本当に難しく、それだけに手裏剣は動きの質的転換にはまたとない武術であり、1人で相手もなく稽古に励むには恰好な武術だと思う。但し、興味と根気があればの話。

 そして今日20日は、約1年間アメリカで日本文学の講義のためにI先生が彼の地へ発たれた。I先生も少し前から本格的に打剣の関心が出て来られたらしいので、彼の地での御精進と御健康を心からお祈りしたい。

以上1日分/掲載日 平成14年8月21日(水)

2002年8月29日(木)

 8月も残すところ今日も入れて後3日。小学生の頃、いま頃になると宿題の山に気を重くしていたことが薄らと記憶にあるが、今年の私の夏休み末期(別に夏休みというわけではないが、小学生の頃からの気分はいまだに抜けないので、8月末になると8月が終わるというより「ああ、もう夏休み終わるなあ」という気になるのである)の状態は今までのどの年にもなかった「常軌を逸した」というに近い多忙さ。昨夜寝たのが昨夜というより今朝の7時頃で、9時過ぎに起きてというより目が覚めたので、それから机に向かっている。勿論やることが山積みしているのでやっているのだが、これほどまでに私を突き動かしているのが何かというと、どうやらその8割ぐらいは怒りである。

 最近は編集者や記者を始めとして出版関係者と会うこと話すことが多いのだが、本当に話が通らなかったり、ものを知らなかったり、気遣いがなかったりで腹の立つこと、ガックリくること、情けなくなることが多すぎる。そうなると今まではやる気が失せたものだが、最近はどこか違うところにスイッチが入ってしまったのか、そいういう気の利かない人間に対する怒りのストレスを直接仕事にぶつけ、今までの私になかったことだが、出来上がった原稿や校正ゲラに率直な私の意見をつけて送ることにしている。思いがけず辛口な手紙を受け取られる方も出るだろうが、何が私をそうさせているのか、よくよく考えて戴きたい。

 それにしても最近は妙な事が多い。昨晩は隣家にコンピューターの写真画像を見せてもらいに行ったが(この秋刊行の本に使う予定のもの)、その家の門近くでまるで壊れたトランスが音を立てているような声で連続3時間以上も鳴き続けるミンミン蝉を見つけ、あまりのおかしさに、いつか養老先生にお会いした時伺おうとテープでその声を録音したし、一昨日の夕方が、フト道場の中から見た隣家の裏にあるクルミの木に身長1メートルほどの猿がいるのをみつけるありさま。事実は小説よりも奇なりというが、まさか道場の中から木の枝を渡る猿を見るとは・・。ああ、もう何でもありなんだなあと思う。

 さて、来週も予定はビッチリ。「命に鉋をかけて削る」という言葉があるが、最近はヤスリぐらいはかけているなあという気はする。しかし、この忙しさも序の口という不気味な予感がするので、この先一体どうなることか・・。ただ、どうやってみても身はひとつなのだから出来ることには限界があるわけで、どれほどいろいろあろうと日は暮れ、また朝がきて月日は経ってゆくのだから、そのなかで呼吸してゆくしかないのだろう。

以上1日分/掲載日 平成14年8月29日(木)

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