HOME映像随感録活動予定告知板著書掲載記録技と術理交遊録リンク集お問合せTwitterメルマガ
2003年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月

2001年 2005年 2009年 2013年
2002年 2006年 2010年 2014年
2003年 2007年 2011年 2016年
2004年 2008年 2012年

2003年8月3日(日)

 忙しさは喉元まで来ている感じだったが、これを外したら一層生気が衰えそうに思えたので、7月の末から東北の夏の緑に身を染める旅を断行。宮城の奥深くにある炭焼きの佐藤家の周辺は山百合がそこここに咲いていて、子供の頃家の周囲でもこの香りに包まれて育ったことを思い出し、ひどく懐かしかった。
 今回の旅のもう1つの目的は、高畠(山形県)にあるデジタル・スポーツ射撃連盟(DSSF)のレンジで、この6月の初めに長くした手裏剣の飛び具合を試射すること。射場の裏はすっかり整備されていて、さまざまな試みが出来る場となっており、藤井監督以下スタッフ並びにこのDSSFをサポートする高畠や米沢の方々の情熱にあらためて頭が下がった。この様子では、ここはデジタル射撃のレンジでありながら、各種の運動トレーニング法などの研究基地ともなっていきそうだ。

 ここで、剣尾を2〜3分(6〜9ミリ)伸ばした剣で初めて6間7間等を試みるが、剣の重心が多少違っていようと、それ以上に打ち方の影響が強く出る事に驚いた。とにかく長めの剣はより一層うねり系の“投げ”による動きがやりにくく、この剣は体幹部を働かさなければ使えないものであることを強く実感した。つまり、この手裏剣術は体幹部の動きを導き出すのに極めて有効な体練法といえるかもしれない。
 せっかく広い場所を得たので、あまりやりたくはなかったがうねり系の投げを使ってみると、以前の剣で10間(18,18メートル)は通った。しかし、新しく長く伸ばした剣ではうねりにくくなっているため、8間半(約15,5メートル)くらいが限界。それでもうねり気味だから、よりうねらない動きを追求する事を主眼にして、長距離への挑戦は気にはなるが当分はお預けにしておこうと思った。

 それにしても室内で10間が心おきなく試射出来る所など滅多にあるものではない(限度は11間)。とにかく手裏剣の稽古にはまった者は、まず例外なく、と言っていいほど稽古場に苦労しているから、そういう者にとっては夢のような場所である。この手裏剣の工夫にしばらく思いを傾けたお陰で、相手が両手持ちか払いをかけてくるのにそのまま入る直入身の動きの時、動き出しの手自体が体幹部の動きと連なっていることの重要さを知ることが出来た。
 これは1日の夜、稽古会というほどでもないが、何人か私に会いに来て下さった方々と手を交えたことで、今までの動きとハッキリと違ってきたことを自覚することが出来た。
 何人か来て下さった方々は、私の動きにも関心がおありだったのだろうが、その後のパーティーにも多大な関心があったに違いない。それほどにこのDSSFで提供される食事は食材がたいへん吟味されていて格別に美味しいからである。
 それにしてもこの場所には一芸に秀でた、また独特の魅力ある人達が吸い寄せられるように集まってくる。これも「いいものはいい」として妥協なく取り入れ、御自身でこまめに体を動かして雑用でも何でもこなされる藤井優監督の御人柄のせであろう。

 今回の旅でも多くの方々の御好意に支えられ、人は1人では生きていないことを実感させられた。なかでもスズメバチに刺されて顔をひどく殴られたボクサーのように腫らしながらも、何かと気遣って下さった佐藤光夫氏と円さん御夫妻、DSSFの足立、栗田両女史、格段に質の違う農作物を育てられている菊地良一氏、独特の気遣いとユーモアで常にその場を自然と和ませられている神山英昭氏、いつも世話役をして下さるマルミツの小関勲氏といった方々には特に御礼を申し上げたい。

 また今回は新潟から来られていた野沢氏に眼の検査をして頂き、右眼は2.0を保っていたが、左眼の視力がかなり落ちていた上、かつてはなかった乱視も入ってきていることが分かった。最近、近くは一層見づらくなっていて視力に問題があるとは思っていたが、あらためてハッキリと検査結果が出ると、書き物が多い今の生活を何とかしたいとあらためて思う。今こうして書いていても、冷夏とはいえ夏空をバックに青々とそびえていたホウ、コナラ、ミズナラ、サワグルミ、ブナ、スギといった木々と、その木に巻きついていたツルアジサイや木の下に可憐に咲いていたエゾアジサイ、ノリウツギといった花木が眼の底にありありと蘇ってくるから・・・。

 しかし蘇ると書いてハッとしたが、『古武術で蘇るカラダ』は当初の予定を変更して盆明けではなく、12日に二刷が店頭へ出るとのこと。旅先にまで版元の田村氏から連絡があった。紀伊国屋書店以外の大型書店では殆ど売り尽くし、かなりの催促が版元へ圧力をかけた形になったようだ。
 まあ売れるのは結構だが、これでまたいろいろと取材要請が入りそうで、いささかくたびれる。昨夜も某局に粘りに粘られ、疲れていたこともあって早く電話を切るために引き受けそうになってしまった。(なにしろ4日間の留守中の手紙、FAX等々をざっと見ていて2時間かかった状況なのである)

 このような状況なので、どうか当分取材要望の方は控えておいて頂きたい。今日もこれからNHKへ行き、たぶん帰りは深夜。明日は渡部師の作品展、そして朝日カルチャーセンターの講座2コマが待っているのだから・・。

以上1日分/掲載日 平成15年8月3日(日)

2003年8月6日(水)

 3日は午前1時近くまでNHK出版で原稿書きや打ち合わせ。そして翌4日は木彫彩漆工芸作家の渡部誠一師の作品展に身体教育研究所へ。展示の仕方に野口裕之先生の工夫の跡がしのばれた会場だけに、作品群は一層映えていた。
 それにしても梅の古木の壁掛けは圧巻。それ以外にも息を呑む作品の数々にあらためてため息が出た。ただ、この会場へ向かう途中、足をひっぱられることがいくつも起き、ついに溝の口の駅では改札口を通過後、財布を落としてしまう。二子玉川駅で気づき探しに戻る。戻る途中すでに何度か落としたり忘れたりしてその度に必ず出てきた財布なだけに、梅路老師の番傘ではないが今日もすぐ見つかることを80%予測し、しばらくして見つかるという予測も入れれば99,9%見つかると思っていたが、果たして溝の口駅に拾得物としての届出があり、すぐ私の懐へ戻った。

 足立さんという方が拾って下さったらしいが、そのことに関連して「そういえば最近足立と名のつく方には随分お世話になっているなあ・・まず、思い当たるのがDSSFの足立女史、次に晶文社と新潮社の足立女史の御二方か・・。」などと考えていると、「不思議と人の名前による縁の深浅の傾向というのはあるなあ」などという事にも思いは拡がる。非常に多い鈴木、田中、佐藤といった姓でも私は佐藤さんとの縁が断然多い。ちょっと考えてもすぐ8〜9人は思い浮かぶ。
 こんな他愛もない頭の体操でも今のように忙しい時はけっこう必要な息抜きとなっているようで、暫し詰まっているスケジュールのプレッシャーから解放された。

 この日、つまり8月4日は朝からロクに食べず、身体教育研究所へ行き、ギリギリに飛び出して朝日カルチャーセンターで2コマ連続で講座を行なったせいか、さすがに後半は少し朦朧としてきて途中冷水で顔を洗いに出る。
 9時過ぎに終わってNHK教育テレビ人間講座担当の制作会社の方と軽く食事をして打合せをし、ひとごこちついたが、それにしても留守中いただいた手紙や頂き物の御礼にもなかなか手が回らないほど用件が土砂崩れ状態で家の中になだれ込んでくる感じ。
 しかし、こうした仕事の依頼等がいわば売り手市場になってくると、気をつけていても人間つい尊大になる怖れがあり、これはくれぐれも心しなければならないと思う。

 この4日と昨日5日、久留米工専の剣道指導者、木寺先生が見える。竹刀を使って打ち技、抜き技等を体験して頂いたが、予想していたよりは御参考になったようだ。
 この時、あらためて現代剣道の右足前で継ぎ足で打突の攻防をする動きを見せて頂いたが、この右足前にこだわるという現代剣道のスタイルは、どうも脚足に過大な負担をかけ、故障の原因をつくっているように思えてならない。青少年の為にも剣道関係者の方々にはあらためてこの身体運用法の再検討をして頂きたいと思わずにはいられなかった。

以上1日分/掲載日 平成15年8月6日(水)

2003年8月8日(金)

 さまざまな用件が降ってきて土砂崩れ状態とこの前書いたが、その土砂崩れの片付けをしている最中、再度、再々度土砂崩れという状況でさすがに参る。しかも今、夏で家族が出払っている時に、道場の屋根のトタンが錆びてその下の板が腐っている事が分かり、朝から屋根の修理に懇意の大工の高田氏が連日かかりっきり。そのため深夜まで起きていても朝早く起こされ寝不足である。何とかやりくりして急いで出かけようとするとクール宅急便が来て、まさかそのまま放置してもおけないので、冷蔵庫の中を片付けてその中に入れ、入りきらないものは保冷剤を発泡スチロールの箱に入れ臨時の冷蔵箱にしなければならない。その上、稽古の問い合わせやら本の事やらで電話やFAXが次々入る。ラジオに電話で生出演という話も断りきれず入った。とにかくNHKの人間講座のテキストづくりを最優先と思いつつも、そこに中々辿りつけない。

 昨日は鎌倉での渡部師の作品展最終日に駆けつけ、又急いで恵比寿の稽古、NHKの写真撮りで、さすがに帰りの車中はちょっと腰が立たなくなった。そして今日、宝島社の『古武術で蘇るカラダ』の増刷が初めて版元から届く。献本したくても出来なかった人にこれで送れるが、NHKの方が切迫してきたので、ちょっとそれも暫くは待ってもらわなければならないかも知れない。(こんな判断に迷っていても、荷物を受け取って置く場所を考えたりしていると2,30分は使ってしまう)
 しかも技の上での気づきも、このところいくつか展開中で、これはどうしてもその研究は止められないから今年初めの体調を崩した時以上の状況になってきた。体を壊したら元も子もないので、何とかしたいのだが、今は仕事という書類の土砂に埋まった家の中で、何とか寝られるスペースでその日その日を生きてゆくしかない。
 こんな悲鳴ばかり書いていては読む人もつまらないだろうと思うが、このお蔭で取材見合わせをして下さる方があるので現状報告はしておかなければならないようだ。

以上1日分/掲載日 平成15年8月9日(土)

2003年8月10日(日)

 「天狗に筆をとられる」という言葉があったかどうかは定かではないが、NHKの差し迫った原稿があるというのに、8日、9日と1行も書いていない。8日はせめて池袋の講座に向かう電車の中でも、と思ったが、この日宝島社に2刷の本を持って出るにあたってバッグを替えたため、1本のボールペンも持っていない事に車中で気づき、帰りこそはと思って池袋コミュニティカレッジの係の人にボールペンを1本貰ったものの、混んだ車中で網棚に置いたバッグの中を手探りでいろいろ必要なものを探しているうち、先ほどまで、まだ半分は水が残っていた500cc入りのペットボトルが空になっていることに気づく。「ギョッ」として棚から下ろして見ると、底に茶わん1杯ほどの水。慌ててタオルで吸わせて、そのタオルを絞り、また水を吸わせて絞りを2,3回繰り返し、途中の駅で降りて空いた電車に乗り換え、被害状況を調べながら家まで原稿書きどころではない状態で帰る。
 帰れば緊急に返事をしなければならない用件がいくつもあり、また深夜長男が海外から帰って来る事とかで、寝たのは午前3時。

 翌日は久しぶりに、また珍しい人や滅多に来られない方を迎えて稽古をする。もっとも稽古に入る前半は、何人かの方に片づけを手伝ってもらう有様。いくつかの技の進展といくつかの問題の気づきがあった。その後は今どれだけの依頼や緊急の返事を抱えているか調べるために片づけをしている内、眠気で原稿書きどころではなくなりダウン。

 ようやく、これからNHK出版に出向いてカンヅメ状態となり原稿を書く予定である。
 キツイことはキツイが、このところの自分のあまりの間抜けぶりに笑いが込み上げてくる。これで一体どういうことになるのだろうかと、まるでひとごとのように自分の将来を眺めている今日この頃である。

以上1日分/掲載日 平成15年8月11日(月)

2003年8月15日(金)

 ここ数日まるで羅針盤の壊れた船のような状況で、自分が今どこを航行しているのか分からなくなってきている気がするが、13日の記憶は鮮明に残っている。
 この日、NHK出版でテキストの校正や書き足しをして、夕方渋谷で名越氏と合流、二子玉川駅で岩淵氏と合流して身体教育研究所へ。8時前には着いていた筈だったが、その後ここの滞在時間は記録的に長かった。家に帰ったのが午前3時くらいだったように思うから6時間はお邪魔していたことになる。

   この間、また野口裕之先生から溜め息の出るようなお話を数々伺ったが、最も印象に残っているのは、左右型4種といわれる体癖は左右がなくて水平だという解釈。「やっぱりこの人は天才だ!」とつくづく思った。(ここで整体協会の体癖分類や各体癖についての解説を書いている暇はとてもないので全て省略するが、その道の人で、この野口先生の解釈を耳にしたらきっと唸ってしまうだろう。)

 しかし、この13日以後の記憶は、もう何だかメチャクチャ。昨日も何本もの電話を貰い、その中ですぐに対応しなければならないものがいくつかあり、なかには中国武術の世界の人が耳にしたら本当に驚いてしまうようなものもあったが、とにかく羅針盤が動かなくなっている状態なので、その時々の対応はするが計画が立たず、記録が残りにくく、「困ったなあ」と思う気持ちも切実さもなく、かなりマズイ状態かもしれない。
 そういえば、13日の夕方に名越氏に会った時、さすがは専門が精神科とはいえドクターらしく、「先生、声がくぐもってますね。ちょっと、ちゃんと休まないとあきませんよ。脳の血管切れますよ」というのが名越院長の第一声だった。
 この日は野口先生に会った事で(その上、体まで観て頂いた)体ももったのかも知れないが、翌日(14日)は疲れているはずなのに5時に寝て9時には起きるありさま。そういえばこの日栃木放送のラジオに電話インタビューに答える形で13時過ぎに生出演したのだが、すっかり忘れていて近所に郵便を出しに出かけるところだった。そのためラジオ出演を誰かに話すということも全くなかった。あるいは誰かに話したかもしれないが、その事を忘れている。(このような状態ですから、私にインタビューその他仕事を依頼されている方は、くれぐれも事前に、それも前日と直前と2度くらい御確認頂いた方が安心かと思います。)

以上1日分/掲載日 平成15年8月16日(土)

2003年8月19日(火)

 疲れた。15日から神楽坂の旅館に2泊3日でカンヅメになってNHKのテキストの校正と書き足しを行なったが、まだ終わらない。初校ゲラの〆切が今夕なので書けるだけ書くが、数十年前の、夏休みも終わりかけなのに宿題が終わっていない時の暗い気分を思い出してしまった。

 その上、宝島社のムック本3刷の直し部分の問い合わせが急にきた。点検時間15分というのも早い。55、56ページ、60ページの校正ミスと59ページの小見出しの書き換えは出来たが、もう1ヶ所確かに字が抜けていたミスがあった筈だがどうにも見つからず時間切れとなる。残念ながら4刷で(4刷があればだが)直すしかなさそうだ。そのつもりで探せば他にも2〜3ヶ所はあるだろう。関係者、知友の方々の御協力を願う次第である。

 この他に書きたい明るいニュースもありますが、今は時間がないので、またあらためて書くことに致します。何人もの方々が私の体調を心配して連絡を下さったことに心から感謝しております。ありがとうございました。

以上1日分/掲載日 平成15年8月19日(火)

2003年8月23日(土)

 一昨日の木曜日は、ほぼ1週間ぶりで稽古会があり武術として体を動かした。とにかくここ1週間、木刀ひとつ振ることなく、というぐらい全く稽古をしなかった。体調を特に害したというわけでもないのに、こんなに稽古をしなかった事はちょっと記憶にないくらいだ。その間、殆どNHKの講座のテキスト作りか人との対応に明け暮れたが、一昨日久しぶりに体を動かしてみて、又、今日ちょっと基盤となる動きを試みてみて、本当にまだ自分はこと武術としての体の使い方に関しては、相撲に例えれば序の口で序二段というのもおこがましいレベルだとつくづく感じた。

 なぜこんな事を言うかというと、ひとつはどうみても只の物真似としか見えない動きをしていながら、その動きの延長線上に昔日の名人達人の動きがあると思い込んでいるおめでたい人が現実にいることを知ったこと。そして、その人物よりは自分の方がいくらかましかな、と思ったが、要するにいくらかまし、といった程度であって、とにかく現段階の私のレベルではどうやってもこうやっても私が仰ぎ見ている人達の世界への道は見つからないと確信出来たからであろうか。(もちろん、いままでも「このままではだめだ」と思っていたから、そのことを確信できたのは、ひとつの進歩かもしれない)

 そしてその時、フト思ったが、私は自分が「先生」と呼ばれることを「先生と呼ばないで」と一々否定する趣味はないが、「師範」と呼ばれることは要するに「人の師として模範を示す人」という事であろうから、ちょっと辛すぎるなということである。

 とにかく、これからは又、今までのものを解体して深処へ行ける手がかり探しを始めなければならないだろう。もちろん体の動きを通して、いろいろな事を考える上での具体的ヒントになるための動きは、今まで通りやっていくだろうが、私個人の動きの質と内面を見つめる稽古は変わっていくだろう。もちろん今更降りられないNHKの講座に関する諸々のことはやっていくが、稽古のやり方は大分変わるかも知れない。

 したがって、いろいろ企画はあるが、仕事はいくつかの例外を除き、新しいものは「お受け出来ないな」という気がしている。

 昨夕、今年初めて青松虫の声を聞く。この虫の声は私にとってある特別なところを刺激するようである。それで我にかえった、という訳でもないが、私は「人間にとっての自然とは何か」という事を私自身究明したくて武術を始めたのだという事をあらためて思い出した。

以上1日分/掲載日 平成15年8月24日(日)

2003年8月27日(水)

 昨日はNHK教育テレビ「人間講座」(10月8日から放送)の第1回の録画撮り。思いもかけぬ方々が「受」をして下さり深く感謝している。
 その後、この番組のテキストのことで出版の方へまわるが、昔の剣客の生年没年に何種類もの参考書と格闘して、最も妥当と思われる年を記入するという念の入れように、噂には聞いていたが「やはりNHKはここまで念を入れるのか」とあらためて驚いた。

 それにしても最近の私のもの忘れの激しさは、どう考えても只事ではない。昨日も受けをして下さる方の1人と原宿の駅で待ち合わせたのを完全に忘れていたし、録画の際、見に来て下さる方に案内をしておきながら、その方から日時の確認を頂くまでコロッと忘れていた事はまだいいとして、実際来られて顔を合わせた時、「あー、そういえばこの方にも今日のことは言ってあったんだ」という思いをした方が1人や2人ではなかった。多分、ここで2〜3ヶ月で忙しさのストレスから身を守るためか、明らかに物忘れの度が強くなったようだ。
 なにしろ昨日も人だけでなく、確かにバッグに入れたと確信していたメガネを忘れてきている。「ウワーッ、あの人に電話入れとかなきゃなー、せめてハガキでも出しておかなければ・・」と気になっている、その種のかなり切迫度の高い用件がこの頃毎日20や30はあり、結局その1割も果たせぬうちに期限切れで「また不義理を重ねちゃったなぁ」と心中その方に詫びているようなことばかりである。

 今日も昼頃PHPの編集担当の太田氏と20分ほど電話している間にキャッチが3件入ったが、うち2件は「そういえばそうだったなあ」という内容。しかし、電話はある程度でも相互確認できるからいいが、FAXの送りっぱなしで伝えたつもりになられているのは困る。以前も書いたが、私はFAXは、基本的にどうしてもFAXでなければならないという緊急な時や具体的な日時や場所の確認という時以外使われるのは好きではない。インクリボンの交換が手間だし、インクリボンの印字はやはり字がボケる。手紙か速達で間に合うなら、是非郵送にして頂きたい。
 それから、私が自宅にいながら携帯電話の方に連絡を入れてきて、「先生がつかまりませんでした」と言われるのも困る。私は家に居て、道場と母屋などにあちこち動き回る時、普通の電話の方はかなり注意してすぐに自分で出られる範囲のところに置いておくが、家に居ながら携帯を持ち歩くことはまずやらないから、携帯にかけて「なかなかつかまらない」と言われても困る。

 留守電のメッセージも、先方に「確かに入れましたが」と言われても、何が原因か分からぬが入っていなかったり、留守電のメッセージを聞こうとして、急に電話がかかってきて慌ててそちらに出ていて、手の指が不用意に動いてまだ聞いていない内容を消去してしまった、ということもある。
 先日のニューヨークの大停電の時も旧式の電話なら使えたそうだが、私にとっては手紙や普通の電話といったありふれた方法のほうが素直に思いが伝わりやすいように思う。
 さて今日、明日で荷物をつくって、30日からの東北の稽古用に発送することをまず優先に」と考えていたら、雑誌の校正の緊急なのが2件あることを思い出した。そしてそれから晶文社の内田先生との本づくりに漸く入れる。それと冬弓舎、それから光文社、PHP・・と、これを書いていて、前から依頼があって今日受けた理学療法士の方々対象の講座の日が大阪の朝日カルチャーセンターでの講座の日と重なっていることに突然気づき、大忙ぎでお詫びをして、取り敢えず今日の話をキャンセルして頂く。それにしてもFAXが昨日と今日で30枚ぐらいきた。とにかく今の私のささやかな願いは、「部屋を片付けたい!」に尽きる。

 以上のようなありさまですので、今年度内で私に何か依頼をされている方は確認のお電話をお願い致します。(FAXは紛れてしまうこともありますので)FAXと電話の両方なら一層確かです。何卒よろしくお願い致します。
 当方としては、9月14日の千代田での会、27日の熊本での日本体育学会、翌28日佐世保での稽古会、10月31日の朝日カルチャーセンター大阪、11月9日の長野での講座、その他、定例の恵比寿の稽古会、池袋コミュニティ・カレッジ、朝日カルチャーセンター新宿は確認済みです。

以上1日分/掲載日 平成15年8月28日(木)

2003年8月29日(金)

 昨夜というか今朝早くというか、夜明け前まで校正や原稿書きをしていて、フト胸の息苦しさと共に「ああ、麻薬とか覚醒剤とかに手を染めた人間はこんな思いをするのではないかな」という何とも得体の知れない思いに襲われたのである。つまり、「とうとうここまで来てしまった」「取り返しのつかない事をしてしまった」という実に奇妙な恐ろしさを感じたのである。そして、「まさに仕事は底なしの沼だな」と思った。

   私の場合、人と話をしているうちに相手の言葉に自分の中の気づきが引き出されてくると、ついついその人との話にのめり込み、それが結構ややこしい仕事の話がらみでも、そこから足抜けすることが難しくなってしまう。
 今までは忙しい、忙しいと言っていても多寡が知れていたから、何とか私自身もバランスをとってきたのだが、最近はそうした事に乗っていると絶対に身が持たないことがハッキリとしてきた。
 最近は、私が提唱してきた動きに影響を受けたスポーツ選手の活躍などがあると「甲野先生にとっては追い風が吹いていますね」などと言われるが、追い風といっても強すぎると船がひっくり返る怖れもある。
 ここでハッキリさせておきたいが、陸上の男子200mの末績選手の場合は、私が直接指導をしたわけではない。確かに状況からみて私が研究していたナンバの話が間接的に影響を与えてはいるかも知れないが、あくまでも間接的である。もっとも、もうその位ナンバの研究は一般化してきているとは言えるのだが・・。
 振り返ってみるとスポーツ関係者がナンバに関心を示した原点は、やはり桐朋高校のバスケットボール部がナンバを取り入れて、目に見える成果を挙げたことに始まると思うが、その桐朋の成果にしても、それは海のものとも山のものともつかない私の奇想天外な説を具体化した桐朋の金田監督の力であり、具体的キッカケは今は桐朋のOBとなった鈴木選手の気づきである。
 当初私は私の考え方がこれらの選手に影響を与えた事から私に関心を持って頂けるのなら、その関心を持って頂いた方々のなかから私がずっと考えている「人間にとっての自然」について共に考えて頂き、もはや歯止めのかからなくなった観のある医学や農学の先端研究で人間も動物も植物も全てが人工化してくることの恐ろしさ、人が人でなくなる恐怖とどう向き合うか、という事を真剣に考えてもらいたいと密かに思ったのだが、最近の私自身をみていると、そう思っていた私自身がその何者とも分からぬものに絡めとられそうになっている事に昨夜俄かに気づき慄然となったのである。

 以前スタジオ・ジブリの宮崎駿監督から頂いたお手紙に、「かつてなく闇や虚無や、くいつくす何かの力がほころびから顔を出して来ていて、自分達がこれだけは本当だと思う映画にして来た世界がどんどん力を失っていくのを感じるようになりました・・・・ぼくは「もののけ姫」を自分の作品と感じたことは一度もありません。そうせざるを得なかっただけなのです。(ただ)世間にもどってみると、稼いだ金額だけが話題となり、ほころびでもくらいつくす力も、ますます強大になるのを感じます。もっとも世間をどうこうしたいと映画をつくったことは一度もないのですが・・・」とあった文章が、これを頂いた4年前とは比べものにならない実感をもって胸に迫ってきた。
 このなかで宮崎監督は「もっとも世間をどうこうしたいと映画をつくったことは一度もないのですが」と言われているが、「今の時代を何とかしたい」と人一倍思われている宮崎監督にしてみれば、こう思いつつも已むに已まれず『千と千尋の神隠し』を作って、「とにかくどんな状況でも希望を失うな、友情は大事だよ」ということを訴えかけたかったに違いないと思う。
 何だか言っていることが、どんどん勝手に展開してきてしまったが、私の忙しさが単に何かのスポーツの成績が挙がった事に役立った、ということだけではなく、この九分九厘行き詰った閉塞状況の時代の中で、最後の一厘の希望を展開する人の役に立つのであれば出来るだけの事はしたいと思ってはいるのだが、昨夜のあのゾクッと来た、タブーを犯した世界に一歩足を踏み込んだ時のような一種の罪悪感にも似た思いが、一体私に何を告げようとしているのか、これから秋に向けて自らの心中に問いかけていきたいと思う。

 場合によっては、少しどこかに引き籠ってしばらく考える時間を持つかも知れません。既に決まっている九州の予定などにはご迷惑をかけないように致しますが、9月10月中新しい予定はこれ以上入れるつもりはありませんので宜しくお願い致します。
 明日から私は東北です。

以上1日分/掲載日 平成15年8月30日(土)

2003年8月31日(日)

 昨日は仙台の稽古会の初日だったが、前日の末績選手の件で毎日新聞からコメントを求める電話が入る。何度も言っているが、別に私が末績選手に直接関わって何かを指導したわけではない。ただ先方もそれは承知でとにかく感想を何かというので、思いついた事をいくつか喋ったが、体幹部を使うということが現代ではまだまだ未開発であることを喋っているうち、身体を通して体の感覚を上げ、まったく違った視点で人間の身体の働きを見直し、手・足・体幹各部それぞれが自分の役目をを果たして、独立して働き続けることを上手く統合することが出来れば、更に素晴らしい走りが実現出来ようし、そうした体感を通した研究を経験することは、将来さまざまな組織の運営、新しい研究を行なう際の発想の持ち方など、いろいろな事に役立つのではないかと気がついた。

 それにしても体の構造はまだまだ分からない事がほんとうに多い。末績選手の200メートル決勝は、ちょうど上京中の岡山の光岡英稔氏と一緒に観ていたのだが、その前に小一時間ほど光岡氏と稽古をし、光岡氏の切り込みが自ら成せる纏絲の働きを持っていることに気づき、目を開かれた。さすがに現代では望んでも容易に得られぬ師に見込まれ、その伝を受け継ぐべく本格的に稽古を始めただけはあると深く納得した。同時にその勁の働きのいくつかを私の身体で写しとらせて頂いた事に深く感謝している。

以上1日分/掲載日 平成15年9月1日(月)

このページの上へ戻る