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2004年2月2日(月)

 急用の達成率が2割以下。やりたい、やらねばという事の消化率は0.05パーセント以下だと思う。例えば、朝起きて、その2〜3時間後に家を出る日は、大袈裟ではなく右にあったものを左に置くヒマもないほどの忙しさとなる日が出てきた。知友から、また、全く見ず知らずの方から私の体を気遣って下さる手紙やメールが寄せられていて、お心遣いには本当に感謝している。この場を借りて深く御礼を申し上げたい。
 ただ、私にとって幸いなのは、この忙しさのなかでも技に対する気づきがあること。昨日の千代田の会でも、帰路、私の家と同方向のI氏と電車で技の話をしていて、途中フト気づくことがあり、人目も構わず車中で柾目返の稽古をしてしまった。そのためか、電車を降りて歩いている時、「テレビで見ました」とたどたどしい日本語で外国人に話しかけられてしまったが、駅から家まで、かなり疲れていたが技のこと動きのことを考えているうちに何時の間にか着いてしまった。
 この車中での気づきとは、私より30〜40キロ重く、動きの対応も機敏な人に正面から抑えられたのを直入身で崩すのが、ひっかかった感触が残った事を、体がずっと考えていたからだと思う。
 そして今日、防衛大学校の入江先生に招かれて、防大でバスケットボール部を中心に、サッカー、それに相撲や剣道、空手、少林寺、合気道といった武道系のクラブの学生諸君を対象にした講座を行なった時、その気づきが根を伸ばしいている感触があり、又、深夜家まで送って下さった入江先生と、バスケットボールのディフェンスとオフェンスのコースのとり合いの動きを行なった時、今までになく私自身が相手を押す感じなく、『願立剣術物語』で言う「剣体我独り立ち上がれば、重きも独り立ち、我も独り行く道也」ではないが、相手にかかわらず進んでいく感覚がつかめた。これはカバティで足首にしがみつかれているのを、そのまま両足裏の垂直離陸でフリ飛ばして進む動きの応用にも思えた。
 とにかく体は疲れているのに違いないのだが、次々と技に対する発想が湧いてくる。例えば、「人って二歩足で立っていて、元々とっても崩れやすいんだなー」という事が、その事だけ突然何の脈絡もなく今までにない実感をもって感じられてきたりして、私の中で何かが確かに変わり出している気がする。
 しかし、「手が早く動き過ぎるな」「ゆっくり動くのにブレーキで調節するな」という先日の気づきは、我ながらよく気がついたとあらためて思う。「脱力の問題」「混ぜるな危険」の二力合成ももちろん役に立っている。

以上1日分/掲載日 平成16年2月4日(水)

2004年2月11日(水)

 6日は、朝日新聞大阪本社の石井晃氏と大阪・八尾市にあるミキハウスの卓球部へ。先日、全日本女子シングルスで優勝した平野早矢香選手はじめ、藤沼、樋浦の両選手に龍谷大学の王会元監督を交えて、大嶋監督、山田先生が出迎えて下さった。他に今回は卓球場の下にある柔道場の指導者の方々が挨拶に来られたので、組み手争いや体の沈みなどを体験して頂いた。
 卓球に関しては、ネット際での球の返し方など口で言っても伝わりにくかったので、とうとう私自身ラケットを持って実演する。上腕と胸の角度、蹴らない足など解説したが、蹴らない足については、現在世界の一流選手はその方向に行っているという事、山田先生など気づかれているようで、大変な関心を持って私の話に耳を傾けて頂けた。お陰で八尾まで来た意味もあった。
 卓球のラケットを使ったことなど一体何年ぶりだろうと思ったが、ラケットで球を打つ角度を、球がラケットに当る寸前に変える動きは、私が最も専門的に研究している手裏剣術の、各距離に応じて変化させる直打法の手之内の働きが思いがけず役立った。

 明けて7日は四国へ。私は基本的に一人旅が好きなのだが、時には素敵な方との旅もいいものである。この日、前夜宿を借りた名越宅を10時に出て、新大阪からまずは岡山へ。新神戸からは神戸女学院大学の飯田祐子助教授と合流。少女の純度と品のいい大人の雰囲気を併せ持った方との列車の旅は本当に気持ちが癒される。
 丸亀駅へは守氏とちりめん作家の高橋よう子先生が迎えに出て下さっていて、一路永楽亭へ。昨年私が断り切れなくて竹筆で揮毫したものの表装が出来たとの事で、その出来上がりを祝っての茶会との事。お茶の心得のない私が正式な茶会に招かれた事など初めてであるが、楽しい一時を過ごせた。茶会が終わって外へ出ると吹雪。講習会場は火の気ひとつない中学校の武道場だったから、寒い思いをした方も多かったと思うが、熱心な方が多く、お陰で私は寒さを感じなかったが、慢性的寝不足からか胸に息が今ひとつ入ってこない感じがした。
 ただ、この日は岡山から韓氏意拳の日本における指導一切を韓星橋老師より任されている光岡英稔師も来られていたので、今回の講習に参加されていた方々に紹介し、その後、打ち上げの料亭で猪鍋を囲む。

 翌日は佐世保へ。丸亀駅には早めについたので、ついつい世話になった守氏と車の中で話し込んでいて時間が無くなり、切符を買うことで手間取っているうち、頭の上に列車が入った気配。急いで階段を上がろうとして朴歯で転びそうになったので、何年ぶりかに朴歯を手に持ち、荷物をひっ担いで足袋のまま階段を駆け上がる。何とかドアが閉まる7秒ほど前に滑り込めたが、やはり寝不足のためか息と心臓の動悸が中々収まらず、「ああ、無理しているなぁ」と実感。ただ幸いな事に岡山から博多、博多から佐世保への列車の旅は順調。車中、原稿書きや校正がたくさんあるから、この頃列車に乗っていても本当に時間が短い。
 佐世保駅へは今回も前回同様一切の世話を取り仕切って下さった平田整骨院の平田雄志院長が出迎えに出ていて下さり、まずはホテルへチェックイン。ホテルのベッドで背伸びをすると、そのまま寝込んでしまいたい誘惑に駆られたが、それどころではない。今回は講習会前に東京から私を追ってきた日本テレビのスタッフが待っているので、伸びをいくつかしてから会場の武道館へ向かう。ここで、映画『たそがれ清兵衛』の印象や気になった事などを話し、それを終えてから講習会に臨む。
 佐世保での講習は2度目だが、バスケット・ボール、サッカー、柔道、剣道、空手、合気道等さまざまな方が見えていて、私も130`という今までで一番重い柔道選手とも技の実効性をいろいろ試みる事が出来て面白かった。
 終わってからもいろいろな方から質問を受けたが、なかに愛知県から来たという競輪選手の質問は興味深く、打ち上げでもいろいろと実演しつつ解説したお蔭か体調も悪くなくなってきたので、ついつい2次会も付き合ってしまった。(その後の話も今日書きたいが、急ぎの校正もあるので今日はここまでにしたい。)

以上1日分/掲載日 平成16年2月12日(木)

2004年2月12日(木)

 9日は岡山の稽古会。前夜の寝不足が崇り、この日は打ち上げで生牡蠣を食べた事が元か、夜明け前に気分が悪くなって目が覚め、吐いたり下したりで一騒動。お陰でせっかく光岡師の家にいながら、10日は半ば呆然として過ごす。ただ、夜に入って何とか持ち直し、光岡氏との本の原稿のための材料は一応話す事が出来た。
 そして昨日11日は、11時半に岡山を発って大阪へ。ここで一つ実演を入れた講演をしたが、前日光岡師宅でいろいろ気を使って頂いたお陰か、何とか体調を持ち直して臨むことが出来たのは幸いだった。光岡師と野上氏にあらためて御礼を申し上げたい。
 今回、旅行先で昨年TBSで放映された『ホムンクルス』のビデオを観る機会があったが、心道流の宇城憲治先生の技に対する解説の安直さには呆れてしまった。なかでも腹が立ったのは、体育の専門の大学教授が如何にも分かった顔をして解説している事である。これはTV局の編集方法のせいもあるかもしれないが、「そんなに簡単な理屈なら、誰か素人にその原理を教えてやってみせろ」言いたい。この番組への出演依頼は昨年何度も私にあり、私が色よい返事をしなかったので宇城先生の方へ話がまわったのだろうが、番組を観てつくづく私は出なくて良かったと思うと同時に、宇城先生には本当に気の毒な事をしてしまったと申し訳ない気持ちになった。
 それにしても、現代人の科学信仰の強固さと、それを守ろうとする無意識的な共同体意識の頑なさを今更のように感じさせられ暗い気持ちになった。
 それにしてもメディアの安直な制作志向は何とかならないものだろうか。先日、再度約束を破った『ゴルフダイジェスト』は、あんまり腹が立ったからギャラを現金書留で送り返し、今後は付き合わない事にした。洋泉社の『古武術で目覚めるカラダ』も送られてきてビックリ。まさか私が表紙になっているとは思ってもみなかったし、タイトルが宝島から出た私の本にソックリではないか。私は何か学術系の本に佐々木正人先生との対談に加え、黒田鉄山先生のインタビューが載るらしいぐらいの事と思い込んでいたが、まさかあんなに多くの武術関係者が出るとは・・。本が手元に送られてきて怒った人も多かったと思う。しかもイチローは『井桁崩しの原理』を使っているとか誰が書いたか知らないが、詳しい分析もしないまま、ただムードで書いているとしか思えない。
 今後は出来る限り媒体を選んでゆきたいとあらためて思った。

以上1日分/掲載日 平成16年2月12日(木)

2004年2月13日(金)

 6日に東京を発った関西、四国、九州への旅は、昨日12日に大阪駅近くの毎日放送で角淳一氏との対談を最後に無事終わった。今回は"老い"ということを一つの焦点として話が展開したが、安直にすぐ武術とスポーツについて聞きたがる企画ばかりの中、こうした企画には好意が持てた。
 今回は名越氏や作家の多田女史、京大大学院生の小林氏などにも来てもらったので、角氏との対談後もいろいろ話が展開した。我々を昼食に招いて下さった毎日放送の西アナウンサーは、フライフィッシングに並々ならぬハマリ方のようで、断面六角形の竿も自作との事、今回はその手作りの竿と、これを作る中国のトンキン竹をわざわざ昼食の途中抜けて、近くの工房から持ってきてもらった。竹を手にとって、ちょっと撓めてみると、マダケより鋭い反発を感じる。「これは上手く菜種油で煮れば、いい目釘が出来そうだ」と思うと、実に嬉しくなってくる。
 数本のトンキン竹の端材を頂き、スタッフのらんさん始め多田女史、小林氏とその友人といった方々に見送られ、新大阪から帰京。
 ただ、関西以西での予定は全て終わったが、今回はそのまま直帰ではなく、来日中の八卦掌のH先生とH先生の教えを日本に伝えているE先生らとの対談が三鷹であった。まあ何とか体調を岡山で持ち直したとはいえ、夜の対談、そして明けて13日は池袋での講座、その後にインタビューと予定がたて込んでいるので、少しでも休もうと帰りはグリーン車にした。(この辺りが私も年をとったという事かもしれない)
 しかし、グリーン車のお陰で多少まどろみつつも東京駅から三鷹駅へと回った時は、タクシーで会場ではなく自宅に帰りたかったほどである。「勿論そんなことは出来ないし」と、漸く会場に辿り着いたが、H先生に迎えられ、その凄まじい威力のある動きを観ていると何だか少し力が戻ってきて、結局その後の本のための対談に加え、H先生に招かれてH先生が借りられているウイークリーマンションまでお邪魔し、いろいろ錬功法等について詳しいお話を伺う事が出来た。H先生始め通訳のK氏、いろいろ世話をして下さったU女史にあらためて深く感謝したい。
 それにしても、家に着いたのは午前3時前。いろいろ来ていた手紙やFAXの中から急を要するものに目を通したりしている内、忽ち2時間は経ってしまい、寝付いたのは5時過ぎになってしまった。

以上1日分/掲載日 平成16年2月16日(月)

2004年2月16日(月)

 13日は初めて春を感じさせる夕暮れの風が頬を撫でていったが、14日は春一番を思わせる風。何かこうなると日の経つのも早くなるような気がする。
 14日は名越氏らと身体教育研究所に行って、またもや帰りは午前3時。さすがに体調は低空飛行。そこへ相変わらず依頼の連絡が入る。引き受けてもいいと思うものもあるが、期限付きのものは間に合わなくて迷惑をかける事が目にみえている。それを承知して頂けるなら受けてもいいのだが、一体紙面に穴が空くのをどうやってカバーするのだろう。
 それにしても、ライター、編集者の国語力の低下、企画力の貧困さには嘆かざるを得ない。最近は予備校の広告を見ると腹が立つ。何しろいまだに大学入試は難しそうな事を言っていて、ここに来れば学力が大きく伸びるように謳っているのに、どうしてこれほど企画力や国語力の足りない人間が大学を出て、プロとして仕事が出来るのかと思うからである。
 私が20代の頃、定職を持たずひたすら模索で灰色の日々を送っていた時、定職を持たない事について「世の中そんな甘いもんじゃない」といったステレオタイプの忠告を何度か耳にしたが、現状では大学を卒業して一応それらしい恰好さえつければ、大して仕事は出来なくても世の中を渡っていけるようだから、「見せかけさえ多少作っておけばいいというほど世の中は大甘だ」というのが実態のようだ。
 こんな事を書いていたら、本当に腹が立つというか呆れ返って一瞬言葉が出ないバカげたニュースが入ってきた。それは1月23日付のスポーツ報知に載った、桑田投手がモデルガンを構えている写真に関して、翌日の夕刊フジ紙で、「桑田悪ノリトレに集中砲火!モデルガン構える無神経 球場への暴力団排除に水」という見出しで、『プロ野球暴力団等排除対策協議会』の面々が、巨人の桑田投手の射撃トレーニングを怒っているという記事である。
 これには射撃の協会も黙ってはいないだろう。射撃はオリンピックの代表的競技種目であり、現在レーザー光線によるデジタル射撃がスポーツやリハビリの現場で集中力の向上や社会復帰に成果を挙げており、今まで射撃とは縁のなかった人々にまで広がり始めているのだから。ただ銃というだけで暴力団と結びつけるというのは、どう考えても愚劣としか言いようがない。養老先生の『バカの壁』は300万部を越えたようだが、いくらこの本が売れても『バカの壁』はあちこちに聳え立っているようだ。
 しかも、その横に「古武道ならともかく射撃までは悪ノリがすぎた桑田は恰好の標的に早変わり」と写真にキャプションまでついている。「古武道ならともかく・・」「ならともかく」というのは、「まあ大目にみてやろう」というのが日本語の意味である。つまり、野球選手(あるいは一般市民も)が武道を稽古するということ自体、本来好ましくはないが、という意味になる。射撃をそのまま暴力団に結びつける短絡さも呆れるが、古武道に対する認識がもし文字通りなら、このニュースが広がれば、この『プロ野球暴力団等排除対策協議会』の面々か、この文章を書いた夕刊フジの編集委員は今度は古武道界から、それこそ集中砲火を浴びることになるだろう。
 私も、この事の最初の発端となった桑田投手を山形のデジタル・スポーツ射撃連盟に誘った責任があるので、納得のいく答えをもらいたいと思っている。

以上1日分/掲載日 平成16年2月17日(火)

2004年2月18日(水)

 自分で自分が嫌になるほど不機嫌。その原因の1つは体調が良くないことだが、その体調の悪さを忘れるほど呆れることが多いのには全く参る。
 まず、『夕刊フジ』に載った桑田投手の射撃トレーニングの件。昨日、その夕刊フジ紙の全文を入手して読んでみたが、想像以上に愚劣で開いた口がふさがらない内容だった。桑田氏があれほど懸命に取り組んでいた古武術も、話題づくりのためにユニークなトレーニングをやってみせた内の1つというふうに書いてある。
 桑田氏は、彼を追いかける記者達に「僕なんかより、もっと若いこを取材してやってよ」と口癖のように言っているのは関係者の間では有名で、武術の稽古も出来る限り隠し続けていた事は何よりも私がよく知っている。
 新聞、特にこの夕刊紙やスポーツ紙は勝手なことを書いて当たり前という風潮があるが、自分達は思いっきりいい加減でありながら、対象となる人物の問題点を攻撃する(しかも思いっきり的外れに)というのは腹も立つが、あまりのバカバカしさに気持ちが萎えてくる。
 誰が言ったのか知らないが、「射撃などして野球のトレーニングになるわけないだろう・・」とは、あまりにスポーツのメンタル・トレーニングの現状を知らない無知な発言である。この発言に続けて「やるなら剣道とか日本古来のものがあるじゃないか」とあるから、写真のキャプションにあった「古武道ならともかく、射撃までは悪ノリが過ぎた桑田は・・・」の言葉は、夕刊フジのライターが書いたことが想像できるが、何にしてもスポーツ・トレーニング界の現状を知らない無知と、何か因縁をつけてやろうという、それこそゆすりタカリの暴力団的体質が産んだ記事である。こんな不毛なことに時間が費やされるのは全く不本意だが、桑田投手のためにも、デジタル・スポーツ射撃連盟のためにも、これは書かずにはいられなかった。

 しかし、それにしてもここ数日インタビューの校正原稿がいくつもいくつも来るのには参る。しかも、その校正がメチャクチャなのがあると本当に疲れる。「あなた、それでも編集のプロなの?」と言いたい。専門知識のことはともかく、基本的な日本語の文章になっていない。原稿のナマ起こしならまだ分かるが、一応それを要約している筈なのに、まるで意味が通らないところが何箇所もある。
 私はそもそも理系か文系かといえば、理系を中途半端にやった人物で、本格的な文章修業など凡そやったことがない。行きがかり上、本を出しているセミプロのライターだ。そのセミプロの私がプロの編集者の文章を直すことばかりで、絶えて久しく私の文章を「「ここをこうすればもっと良くなりますね」と直してくれる編集者に出会っていない。これはまったく自慢ではなく悲鳴である。「もう頼むから私なんかより優秀でいて下さい」と祈る思いのこの頃だが、まずそういう事はない。今日来たものは近来稀なほど直しが少なくて済んだので本当にありがたかった。しかし、少ないといっても何箇所かはあったから、本来ならこれが最低ラインだと思う。
 その上、この忙しいのに電話が故障で旧式のものを引っ張り出して使っているが、時になかなか繋がりにくい。FAXは繋がっているが、いつの間にかメモリーが一杯。近々電話機は購入するが、FAXを送られる方は届いているかどうか、又私と約束のある方は必ず事前に連絡を入れて御確認下さい。とにかく今、来た手紙やFAXを一通も見落とさないことの方が不思議という状況となっていますから・・。
 まあ、嫌なことばかりでもないのだが、これだけ苦情を書くと得たことも失いそうなので、今日は書かないことにする。

以上1日分/掲載日 平成16年2月19日(木)

2004年2月23日(月)

 次から次へと鱗状に隙間なく原稿やゲラの校正が押し寄せてきて、さすがにこの随感録を書く暇もなかった。まだまだ一段落には程遠いが、あまり間が空くのもどうかと思って無理やりこれを書いている。
 しかし、この頃、編集者はじめ周囲にクレームばかりつけていると、本当にクレームをつけたくなる事ばかり集まってくる。以前、あるクレーム女王と呼ばれていた人は、そう呼ばれるだけに皆注意しているのだが飛行機に乗れば機内食にクリップが入っているとか、クレームの種ばかり集まるという話を耳にした事がある。この話と同じように私もここしばらく、どうも似たような相手方のミスが重なることが多く、例えば今日もある出版社の編集者からの詫び状が速達で届いたのだが、これが速達料金270円は貼ってあったが、80円切手の貼り忘れで郵便局から80円切手請求のハガキという"おまけ"が付いていた。これはもう相手方を責めるよりも私自身の想いを転換しなくては、と反省している。
 そういえば、私が先日の随感録で、私がのことを「行きがかり上本を出しているセミプロだが・・」と書いた事について、畏友のG氏からこの事について「大変違和感のある言葉です。私は甲野先生はご自身でプロの道を選ばれたと思っています。」というキツイお叱りの手紙を頂いてしまった。
 G氏は物事に対してまったく公平な人物で、今までにも再々いろいろなことで賛同されたり忠告されたりしてきたが、こういう人物は本当に貴重である。ただ残念なことは、あの植島啓司先生が感心されたほど大変な文章力や解析力がありながら、世に出るつもりが爪の先の更に先ほどもない事である。
 世の中というのは才能がないのに出たがる人もいるかと思えば、溢れるほどの才能がありながら、G氏のようにまったく世に出ない人もいる。なかなか上手くいかないものだが、そこが面白いといえば面白いのかもしれない。(多分世に出ている人の身近には必ずそういう人物の1人や2人はいるように思う。)
 しかし、私を取り巻く状況はもはや小説でもリアルさを失うような漫画的状態となってきている。(そうした事については、今は時間が無いので又いずれ書くことにしたい。)
 そういえば、数日前に刊行されたアルソ出版の雑誌『ザ・フルート』68号にフルーティストの白川真理女史と私との対談が載っている。御関心のある方は、楽器店ででも御覧頂きたい。

以上1日分/掲載日 平成16年2月23日(月)

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