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2004年6月1日(火)

 ここ数日ずっと沈んでいて、随感録を書く気さえ起きなかったが、今日、佐世保の小学校の事件に接し、落ち込みも底までいったので、漸く少し書く気になった。
 私の落ち込み癖は、ずっと昔からで、その頂点が97年の『もののけ姫』の映画だったが、以後、忙しさで何とか誤魔化してきたが、どこかで仮に埋め立てただけの地盤の弱さなだけに、歩いていてボカッと落ちかける危険は常にあった。
 今回は、ずっと続いていた忙しさからくる疲れもあったのだろうが、ハッキリとした自覚症状が出始めたのは、29日に防大にバスケットボールの浜口典子選手と行った後である。
 浜口選手の人柄の良さは前々から耳にしていたが、今年の3月以後、何度となく会うようになって、一層その事は実感されるようになり、ひた向きな浜口選手のためなら多少無理をしても力になりたいと思うようになっていた。
 29日は、その浜口選手と川崎の駅で落ち合い、横浜では新潮社の足立女史とも合流して防大に向かった。防大では入江助教授に、いつものように、いろいろと気を使って頂き、東京湾が一望できる所まで案内して頂いたのだが、その辺りから、防大の目的である、自衛官の養成に思い至り、そこから「国を護るとは何なのか」「今の日本が護ることに情熱を傾けられる国なのか」という問いが私の心中に生じてしまったのである。
 そして、防大生も頭の中ではテロの危険など、いろいろ言われて気にはなっているのだろうが、実感としては平和で安全な、そして、どんどんIT化、無機質化してきた環境の中で、情熱を掻き立てられる事もなく、日々なんとなく周囲の状況のなかで時を送っている感じがしてきて、無性に切なくなってきたのである。
 そして、ふと、その昔、実務の鬼のように言われてきた明治の元勲、大久保利通が維新後、各地を視察した折、白砂青松で有名な「高師の浜」の、その松が碌を失った士族の失業対策として次々と伐られて薪にされている実態を目の当たりにして、ひどく衝撃を受け、その事を嘆いた歌を詠み、為に、その後松は伐られずに済んだという話を思い出し二重に切なくなってしまった。
 二重に、というのは、その時代は大久保が嘆いたことで、以後、松は伐られずに済み、伐られた松も、また回復する可能性はあったのだが、現代のように日々いくつもの種が地球上から消え、しかも軍事、経済最優先の自転車操業に入っている世界中の国々の状況からいって、今後ますます得体の知れない事件が起き、人心は疲れ荒んでくるだろうと思ったからである。
 あんまり何もヤル気がおきないので、昨夜は長男から以前「僕はこれみて泣いたよ。必ず時間つくって細切れでなく通しで観てよ」と言って渡されていた『ティア・オブ・ザ・サン』のDVDを観る。
 そして、勿論もっと落ち込んで寝た。
 今日は、その長男の出身小学校から生徒達に動きを見せて話をして欲しいという依頼の打ち合せで、夕方小学校へ行く。そして、帰ってきて佐世保の小学校の事件を知り、落ち込みが底をついたので、漸くペンを持つ気になったという次第である。
 こんな事があったため、何とか気持ちを転換させたいという思いが強かったのか、又凝りもせずに或る出版社の企画で、有名な総合格闘技の選手との対談(先方が私に会う事を希望しているというので、当然実技ありとなるだろう)を記事にしたいという企画を、ついフラフラと受けてしまった。

以上1日分/掲載日 平成16年6月2日(水)


2004年6月3日(木)

 昨夜は、意欲を飛行場に例えれば、丘に生えている木々の梢を飛行機の腹がかするほどの超低空飛行で、さすがに「これはまずい」と緊張したほどだった。
 妙な表現だが、今まで落ち込んだことは数々あったが、その意欲の低下ぶりに、まるで脈搏がとぎれそうな人を観て危機感を覚えるような、そんな感覚だった。
 こうなると、さすがに自分の事とはいえ放ってもおけず、緊急救助法を使って、何とか一息ついたが、今朝起きても意欲は低空飛行…。
 ただ、いろいろ校正もゲラも来るし、今日は、急に決まった格闘家の須藤元気選手との対談もあるので、何とかしなくてはと体を追い使って校正やら片づけやらをする。
 2時過ぎ、今日の技の受けに仙台から来てもらった藤田氏到着。その後、須藤氏の写真撮影用の衣装(道衣に袴)を頼んでおいた岸氏も来館。漸く意欲は多少上向く。その後ほどなく須藤氏一行が到着。写真撮影の後、対談と技の解説。
 つい10日ほど前、ホイラー・グレイシー選手を失神させて完勝したバリバリのリアル・ファイターという事で、今の私の精神的低空飛行にカンフル剤を打ってもらおうと思っていたのだが、いざ会ってみると、須藤選手はカンフル剤というより茶目っ気のある清涼剤的存在で、私の気持ちをほぐして頂いた。
 ただ、いろいろと実際に手を交え、さまざまな技を体験して頂いたのだが、私の動きに対して「やっぱり達人だ」というような過分という以上な感心のされ方をしてしまい、どうも勝手が違ってしまった。
 しかし、須藤選手の得意の膝蹴りなど、私から見ると、体に浮きをかけるという動きを知らず知らずに体得されているふうにも思え、技の説明をしていても違和感はあまりなかった。
 リアル・ファイトの選手には、最近何人も出会う機会があったが、その中でも須藤選手の武術に対する関心の深さと旺盛なサービス精神には笑いを誘われた。一昔前なら、リアル・ファイトの選手は武術に対して半信半疑という以上に疑いをもっていたと思うが、時代も変わってきたというべきかも知れない。
 私の意欲の減退は、体調の低下も併発しているようだが、明後日の5日は一橋大学の小平祭に招かれているし、7日は「徹子の部屋」の撮りがあり、待ったなしの状況である。その事に関して、今は「関係者の方々に御迷惑をかけてはいけない」という責任感的意欲だけは何とか確保出来た気がするので、これも須藤選手のお陰と感謝している。お越し頂いた事に、あらためて御礼を申し上げたい。併せて、須藤選手との対談のために時間を割いてもらった藤田氏、岸氏にも感謝の意を表したい。

以上1日分/掲載日 平成16年6月4日(金)


2004年6月7日(月)

 私の技の原理と構造がかなり大きく変わる予感がする。そのキッカケの1つは、2日の夜に落ち込みが頂点にきて、本当に何もかも嫌になったことで、気持ちの方もある面、白紙になったからかもしれない。そこへ4日岡山から光岡師が上京して来られたので、夜遅くまでというか、5日の夜明け近くまで、いろいろと話し、韓氏意拳の術理が無住心剣術で説いていることと驚くほど似通っている事を再確認した事で、私の内面が相当に変わってきたようだ。
 4日の夜から5日の朝にかけては、光岡師との話が終わって床に就いても中々寝つかれず、恐らく1時間くらいしか寝ていなかったと思う。そのため、5日の一橋大学の小平祭での講演の後は早めに帰宅し、9時頃はもう寝床に入って、途中1度目を覚ましたが結局6日の昼近くまで寝ていた。
 そして6日の深夜になってから、4日に光岡師といろいろ話したことを思い出して打剣をするうちに、「わぁ、なんと微妙な…、これはちょっと今まで気づかなかったなあ」という術理が見えてきた。この時、無住心剣術の術理を説いた『前集』(真里谷円四郎の語録)の中に出ていた、「先生いわく、急なる場にて軽き刀に重みをつけて打つことは剣術下学の人にはなりにくらん」という一節が、今までにない実感を伴って思い出された。これがどういう事なのかは、今後段々に解き明かしていきたいと思っている。
 とにかく今日はこれから「徹子の部屋」の収録が原宿近くのスタジオであるので出かけなければならない。

 私の気持ちが落ち込んだ事を気遣って、何人かの方々からお見舞いを頂きました事、あらためてここで御礼申し上げます。

以上1日分/掲載日 平成16年6月8日(火)


2004年6月10日(木)

 また早送りのような日々が始まっている。7日は「徹子の部屋」の撮りで"BS朝日"のスタジオへ。
 黒柳徹子女史は、楽屋で御挨拶した時も全くテレビの中の雰囲気と同じで、噂には聞いていたが、本当に裏表のない方のようだ。「徹子の部屋」はナマ放送と同じ感覚で、一切後で編集作業などしないとの事だったが、なぜか5分ほど超過してしまった。そのため前例のない(という事もないと思うが)編集作業で5分ぶんカットしなければならないとの事。「黒柳が甲野ワールドにはまってしまったのでしょう」と、今回ずっと世話になったディレクターの松田氏が悪戯っぽく笑われていたが、実際、歩法の実演やら、介護で黒柳女史を座った姿勢から抱き上げる"浮取"を行なったりしていたので、ついつい時間が経ってしまったようだ。
 それにしても、自分でも信じられないほど普段のままで話が出来たから、これも黒柳女史のお力だと思う。まったく我が事ながら、昔内気で凡そ人前で喋れなかった人間と同じ人物とはとても思えないほどだった。放送予定は1ヵ月後の7月6日との事だが、あくまでも予定なので実際は変わるかもしれない。

 一昨日の8日は、夜に陳氏太極拳第20世伝人の陳沛山先生が石堂氏と来館。初めて間近で陳氏太極拳の動きを拝見し、その一端を体験させて頂く。
 これで、いわゆる内家三拳、すなわち形意拳(意拳)、八卦掌、太極拳を間近で体験させて頂いた訳だが、同じ内家拳とはいっても、それぞれが「こんなに違うのか」ということをあらためて実感する。

 そして、昨日9日は午後から深夜にかけて15人もの人が出たり入ったり…。この間、一番の収穫は今までは気づかなかった抜刀術の体を体術に応用する事が出来たこと。抜刀−納刀は、その目的のために全身がより居つかず、協調的に働く必要があるので、意識して体が滞ることなく流れたのだと思う。
 こうした気づきは、仕事で上京中の四国の稽古会の世話人である守伸二郎氏に久しぶりに道場に立ち寄ってもらったお陰も大きい。居合わせた何人かは、"日本最強の呉服屋の若旦那"と内田樹・神戸女学院大学教授に名指しされてしまった噂に高い守氏の実力に驚いたようだった。守氏とは縁が出来て11年ほどになるが、最近は韓氏意拳にも精を出されているだけに、確かに体の出来方は呉服店を畳んで武術を専門にしても十分通用するほどである。今後の益々の上達を心から祈りたい。

以上1日分/掲載日 平成16年6月10日(木)


2004年6月11日(金)

 今日は、新潮社の足立女史を同行して、浜松町の貿易センタービル内のJAXA(宇宙航空研究開発機構)へ。未来工学研究所の光盛氏を通して招いて頂いたのだが、到着すると、このJAXAのスタッフの方をはじめ、10人近くの方々が集まられたので、例によっていくつかの技を実演し、その動きの解説を行なった。集まって下さった方々から、少なからず興味を持って頂き、大変話しやすかったが、その一番の理由はJAXAの教育と広報を統括されている、宇宙科学研究本部の教授、的川泰宣先生が出席されていた事だと思う。
 遅れて部屋に入って来られた時から、その風貌で御人柄は想像出来たが、初対面で殆ど予備知識のない方に私の話がこれほど的確に通っていく事は、そう滅多にあることではない。
 宇宙開発などという事は、無重力状態における体感という個人的興味以外は私にとって殆ど無縁であったが、話の通りが悪い人が増えている現代、これほど話の通りのいい方に会ってしまうと、つい又、機会があればお話ししたいと思ってしまう。学校や会社や研究所に、あのような方が上司として少なからず在られれば、日本もずっといい国になるだろうに、としみじみと思った。これは単に私がそう思っただけなのだが、ありがたいというべきか、困ったというべきか、この的川先生は私の動きや解説に只ならぬ興味を持って下さったようで、この打ち合せというか顔合わせの会が終わった時、「ああ、ここ何年間かで一番驚いたなあ」と、誰に言うともなく感想をもらされていたから、またお声がかかったら予定が詰まっていても、何とかやりくりしてお目にかかりに伺ってしまいそうである。
 人の意欲を引き出せるかどうかは、結局は、その引き出し手が持っている能力や気遣い、センスといったものをひっくるめた人(引き出し手)としての魅力・力量である。この事は昔から分かりきっていた筈のことであるが、いつの間にか表層的な学校の成績等が優先され、試験の成績は良くても人としての魅力が乏しい人が巷に溢れかえる事になってしまった。
 これからの時代は、そうした、人してのセンス・力量も育て上げられる学問、訓練法が見つかり、今まで抜け落ちていた有為の人材が網にかかるような教育制度、選抜方法が育つ事を心から願わずにいられない。

以上1日分/掲載日 平成16年6月12日(土)


2004年6月15日(火)

 つい数日前、現代において文字通り現実に命を張った仕事に就いている人達と交流する機会があって、すっかり感動してしまった。
 もしも、その人達と現代社会の在りようについて論じ合ったら、私の意見とは随分違うかもしれないが、そうした思想・信条の違いといったものが、皆吹き飛んでしまうほど、その人達の人間としての風景の良さに心を打たれた。こういう顔つき、雰囲気の人達に一体どのくらい会っていなかったろうか、と思った。
 とにかく、私の武術の技をその方々に解説した時の、私の熱の入りようには、何よりも私自身が驚いてしまった。勿論、その方々が大変真剣に耳を傾けて下さった事もあるのだが、これほど実技を試みて、やり甲斐のあった事は記憶にない。
 人間の社会が、ここまで煮詰まってきて、価値観が混沌としてくると、共感出来るものは、細々とした思想等よりも、その人なりの生きる姿勢といったものなのだという事を(もちろん、これは私の個人的体験なのかもしれないが)、この時、私は身をもって知ったのである。

 ここ数日間で、技の方は"楔留"が太刀奪りの1人稽古になっている事、"水鳥の足"が、つまりは両足裏の"垂直離着陸"になっていた事など、昔からやっていた技が、実は最近私がしきりに説いている術理と重なっていた事に気づくことが少なくない。何か人生も周回軌道を回っているような、そんな不思議な気がしてくる。

 このような状態のため、依頼されている原稿等のことが一時頭から吹き飛んでしまっている。近々何か約束されていた方は、念のため御連絡頂きたい。

以上1日分/掲載日 平成16年6月16日(水)


2004年6月18日(金)

 昨日の17日から山形県に来ている。昨日は1年ほど前、置賜教育事務所から依頼のあった、山形県体育指導委員研究大会で講演を行う。
 ここに来る前日、つまり16日は、アテネオリンピックの女子バスケットボールの代表選手である浜口選手が、恐らくはオリンピック前の最後になると思う稽古に来館。体幹部の使い方について、この日筑波から来てもらった高橋氏らを相手に解説。その後、高橋氏の車で桐朋中.高等学校へ移動し、金田監督のお世話で桐朋の体育館で3時間ほど、いろいろ動く。
 この日、体幹部の使い方という事がテーマだったので、前日にたまたま連絡のあった総合格闘技のU選手にも来てもらい、体幹部の働きについて私自身いろいろ工夫する。そのお陰で、17日午後から山形県入りし、例によって高畠駅前のDSSF(デジタル・スポーツ射撃連盟)で、夕方から夜にかけてたっぷり行なった私自身の研究稽古で、今までにない新たな気づきがあった。
 この気づきは、バスケットボールなどの体での競り合いの時、一方的に押さずに、抜刀術の抜刀の時の体のように、体を割るように左右に開くと、その方が威力があることが16日にハッキリとしてきた事がキッカケである。この事で、あらためて、よくよく考えて直してみたところ、今まで突きの威力や打剣などで手が前方へ動く時、その手の動きを載せた体も前方へ動いたほうが、手の先端の動きは、手の動きプラス体の前進の動きとなって、突きにせよ打剣にせよ、より威力が出るように思っていたのだが、左右に体を開く抜刀術の体をとることで今までより威力が出たことがキッカケで、この理論をあらためて考えて直してみる気になったのである。そうすると、「手も動くし、それを載せた体も同方向へ動く」という働きは、一見加算的な動きだが、手が動いた方向へ体も動くという事は、手の動きを打ち消す方向に力が働いていなくもないように思えてきたのである。これはキャッチボールで、ボールと同じ方向にグラブを動かすことでショックを吸収し、捕球する働きに似ているとも言えようか。

 さて、そこで打剣も同側の切込入身も、両方とも抜刀術の逆手抜飛刀打の形を応用してみたところ、ビックリするほどの変化があったのである。「おっ、これは…」と思っているうちに、いろいろな事を思い出してきた。例えば、昔、槍術の突きなども駿州田中藩の佐竹素一郎ほどの人になると、糸で吊るした瓦を稽古槍で突いて、瓦を割らずに突き通したという話があるが、これも、槍は突きが三分の引き七分といった、引きを重視することによって突きに冴えが出、筋力では到底出せない超高速な動きが発生したのではないかと思えてきたのである。
 このことは、DSSFのレンジで、6間、7間という遠間の打剣で、剣の落ち具合を見ていて更に連想が拡がった。つまり、打剣という手之内から小剣を発する場合、その発射の瞬間、つまり離れには掌がより強力に止まるか、という事が重要に思われるからである。
 たとえば、弓射を考えてみると、弓は引き絞られて大きく撓められた状態から、離れとなって撓められた弓が戻ろうとすることで、弦が矢筈を強烈に押して矢を前方へ飛ばしてゆくが、その勢いが強いので弦は元々弦が張られていた状態よりも更に前進して、弦は弓の握りの位置へと近づいてゆく。そしてこの時、弓は僅かとはいえ、もともと張られていた状態よりも撓められる。つまり、通常の弓の引き方と反対方向へ弦が動くわけだが、弓自体は同じように撓められる。したがって撓められた弓は再び復原しようとして、今度は激しく弦を矢を飛ばすのとは反対方向へと進める。すなわち、動きに強烈なロックをかけるわけである。これにより、矢はより強力な飛行力を得るわけである。
 したがって、もしもある装置を施して、引き絞られた弦が離されて、元々張ってあった弓の状態の辺りまで弦が戻ってきた時、鋭利なカミソリか何かで、この弦を切断したとすると、矢の飛びは通常の弓による発射よりずっと弱いものになると思う。(この事は実験してみた事がないので、どの程度弱くなるかは分からないが、かなり弱まると思う。もしも実験した方があれば、御教示賜りたい)
 このように考察を進めていくと、打剣で手の振り出しと体の前方への移動というのは、どのような相関関係が剣を飛ばす威力を高めるかは、実に難しい問題である事が分かってくる。

 このような事を考えていた昨夜、大阪の名越康文氏から電話をもらい、以上のような話をしたところ、「それは、でも人と人との関係にも恐ろしいほど当てはまりますね」と、名越氏の口調が俄然熱を帯びてきた。
 現在、テレビの『グータン』や、人気漫画『ホムンクルス』の原案協力者としてブレイク秒読み段階の精神科医だけに、さすがに着眼点が違うと感心したが、言われてみると正にその通り、人と人との適う適わない、好く好かれるというのは、実に微妙な要素で成り立っていることが分かる。
 たとえば、あるAという人が、あるBという人に好意を持ったとする。この時Bも好意を持ってくれたAに好意を感じて仲良くなるというスタンダード・コースもあるが、男女間の場合などAがBに好意を持つだけに、意識して無視したり意地悪をするという事もある。又、AはBに冷たくされて諦める場合もあるが、冷たくされて余計に燃え上がる場合もある。また強い連帯感や情熱というのは危機に直面して湧き上がるという事もある。
 たとえば、冷え切った関係の家族が、何かの事故に遭って一致団結し、再び家族の絆を取り戻す、という事はドラマなどでしばしば使われるシチュエーションである。この、言ってみれば順と逆、そして釣り合いという事は武術に於ける最も根本的な動きの要素である。

 このところ自分の感情を激しく、あるいは深く動かされる事に出会うことが重なっているだけに、武術の術理と人間の心理について、あらためて深く考えさせられている今日この頃である。

以上1日分/掲載日 平成16年6月20日(日)


2004年6月22日(火)

 17日から20日まで山形県の高畠にいて、技の研究はその後更に進む。
 たとえば、同側の切込入身の切り込み具合がハッキリと上がってきた。これは、打剣で抜刀術の逆手抜飛刀打の体が応用出来るようになった事と深い関係があるようだ。つまり、打剣の距離の対応に、うねり系の、いわゆるピッチングフォームでは不可能な手の動きと、それを載せている体の動きとの切り離した上での合成が、以前よりずっと行なえるようになったことが効いている感じがするのである。
 そのためか、19日の夜、剣術の影抜でも、抜いた後の竹刀が相手の籠手に飛ぶ時、ヒュッと風を切る音が出た。今まで、一体何千回この技をやったか、とても数え切れないが、切り結ぶ瞬間から変化した竹刀の風切音を聞いたのは、19日の夜が初めてだった。

 今日は、『ナンバ歩きで驚異のカラダ革命』(立風書房刊)が送られてくる。巻頭に私の文が載っていて、タイトルもあまり私の趣味ではないので勧めるのは気が少々ひけるが、内容はなかなか工夫されている。ナンバに関する書物の中では、どなたが読まれても得るところのある本だと思う。

以上1日分/掲載日 平成16年6月25日(金)


2004年6月28日(月)

 6月25日、東京を発って西に向かう新幹線の車中で以下の文章を書いた。

 「昨日24日、昼前に東京を発った。これから、しばらく関西・中国・四国方面を行ったり来たりの日が続く。この旅に出かける直前に、また技が大きく変わろうとしている。
 しかし今回の、というか、これから変わろうとしている技の術理を説明するのは、ひどく難しい。もちろん、体全体を使うこと、固定的な支点を排すること、といった今までの術理の研究が土台になっている事は確かであり、その意味では従来の研究の延長線上と言えば言えるのだが、どうも空気で玉を作って相手にぶつけたり、容器を造って包み込んだり…というような奇妙な感覚がある。
 こうした動きに具体的に気づいたのは、23日の夜に何人かの人と研究稽古をしていた時である。山形で気づいた抜刀術の順手の抜きつけに、やはり抜刀術の逆手抜飛刀打を重ねたような急激なブレーキ構造(ブレーキというより弓の弦が矢を押して、最後に逆方向へと向かうような離れ際の良さ)について解説し、技を試みていた。そこへ、かねて約束していた手裏剣術について関心の強い人が訪ねて来られたので、剣の打ち方とその原理を解説し、実地で打ってみた。
 この日は蒸し暑く、手が汗ばんで剣の離れ際はきわめて悪い。そのため、その離れ際の悪さに対応する打ち方をいくつか解説しているうちに、弓の弦の離れ際の良さが思い浮かび、剣を打ち出す時に手を後ろへ引いて強く残心をとる事を教えた、根岸流のものと思われる得道歌の一首が思い起こされた。曰く、「近間には低く構えて弦ばなれ 早く打つなり引き強くして」「遠間には高く構えて胸をはり 延びゆく剣に引き遅くして」。この「引き」は、私の恩師にあたる根岸流の四代目、前田勇先生は特に用いられず、私もその教えに従って「引き」をわざわざつくることはしなかったのだが、弓の矢を発射する構造を考えても、慣性力の統禦という観点からも、高速で動いていた手が、突然反転して動くということには太刀使いの面でも新鮮な興味が湧いたのである。
 もちろん、その場で直ちに弓の弦のような離れ際の良さを、手でつくることは出来なかったが、取り敢えず、この原理を体術に応用してみようと思い、手始めに相手と触れ合った接点の動きを、相手が動かそうとする方向に同調し、というか、先行するほどに動き、いきなりその動きを逆転させたのである。すると、今まで全く感じたことのない手応えの無さで相手が崩れる。はじめは相手が、私がどういう動きをするのか興味を持っていたため思わず受けをとってしまったのかと思った。
 しかし、技を変え、相手を変え、様々にやってみたが、どうも今までとは反応が違う。その奇妙な状況は何といったらいのか、今まで使った事もない古代言語を使ってみたら、それが相手に通じた面白さと不思議さ、とでも言ったら、多少はその時の私の感想は伝わるかもしれない。
 この動きを実現するためには、相手が動こうとする方向に相手より早く動き、相手が追いついてくる前か、ちょうど追いついてきた時に、その方向を逆転させるため、何といっても体幹が瞬時に反応しなければならず、それが大きな課題ではあるが、明らかに、何か今まで気づかなかった技の世界が一つ姿を現し始めていることは確かなように思う。」

 以上のことを、25日静岡から京都まで新幹線が走り抜ける間に書いてから、今日まで次から次へと、あまりにも多くの事があって、つい旅先からこの随感録の原稿を送ることも儘ならなかったが、あらためて今、今回の旅の収穫の大きさを噛みしめている。その内容については、追々明日以後の随感録に書いていきたいと思っている。

以上1日分/掲載日 平成16年6月29日(火)


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