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2004年11月6日(土)

 ここ最近進展してきた術理について、すぐにでも書こうと思っていたが、3日は、朝起きると腰のだるさと頭痛で、差し迫った日経の本で船川氏と対談をしたものの、校正といくつかの予定の電話をして、後は宅配便を1つ作って送った他は、ある程度片づけをしたぐらいで1日を送ってしまった。
 恐らくは風邪の初期症状だったのだろう。ただ、私の場合、いつも喉から変調が始まるので、風邪とはすぐには気づかなかった。昼過ぎに、「ああ、風邪だ」と気づいて、それなりの風呂の入り方をして、4日の蔵前での講習会には何とか行けた。講習会では、相手が首相撲になって、両手でこちらの頭を挟んで来た時、「浪之下」の沈み込みの頭部バージョンで下へ沈むという方法を思いつく。
 これだと、相手が膝蹴りを放つ間もないようだ。勿論、沈みそうになって相手が慌てて腕を放して他の攻撃に転じてきた場合も考えられるので、この技の詳しい検討はこれからだが、このような単純な技に今まで気づかなかったというのは、やはり動きが未開発で、やろうとしても出来る状態ではなかったのだと思う。
 今は、まだ体調が万全ではなく、この程度の事しか書けないが、ごく最近の私の技の展開に関しては、先日私のホームページと相互リンクした筑波大学野球部コーチの高橋佳三氏のホームページに、私のところよりも詳しく出ているので、御関心のある方は、そのHPの「SPEC一階院生部屋」を御覧頂きたい。(ただ、かなり誇大なレポートになっているきらいがあるので、割り引いて読んで頂きたい)
 最近は私の近況については、私が関わった方々の日記の方が詳しい場合が多い。例えば先月16日に行った四国など、守氏が詳しく書かれていた。もし、そうした方面も御関心のある方は、やはり私のホームページとリンクしている守氏のホームページ「呉服店さんネット」を御覧頂きたい。
 今日はこれから横浜の朝日カルチャーセンターでの講座がある。

以上1日分/掲載日 平成16年11月7日(日)


2004年11月8日(月)

 自分の体調がどうなっているのか、我が事ながら本当に見当がとれない。6日の横浜は比較的良かったが、昨日7日は、朝起きる時、全身がダルイ。風邪気がぬけないせいかとも思うが、何か他の理由かもしれない。ただ、近くに出来る予定の高層マンション問題の説明会があって、体もダルかったし、やる事も山積みしていたが、「出て欲しい」と何人かから言われてたし、行政側というのは何をどう言おうとするのかを知っておこうと出向く。
 出向いて分かった事は、予想していた通りの行政側の自己防衛の姿勢のみ。ダルかった体が余計ダルくなる。この時、心の痛みと共に浮かんだ光景は、昨夜遅く帰宅した時、家のすぐ側の川土手で車のライトに浮かび上がったハクビシンの逃げ惑う姿。好き好んで来た日本でもなかったろうが、その子孫がそれなりに森や藪に隠れ棲んでいたのが、このマンションの開発で野球場程度あった武蔵野の林と藪が消え、わずかに残った空き地や宅地の木々の間を常におびえながら生活しているようだ。
 ハクビシンはアライグマに似ており、私の最も好きな絵本『アライグマじいさんと15ひきのなかまたち』(ビル・ピート著 佼成出版社刊。ただし今は絶版)の印象にかぶるのかもしれないが、何だか可哀想でたまらない。そんな事を考えていると、夕方からの杉並での会に出る気力が湧いてこないので、気分を変え元気を出そうと、2週間ほど前から電話をしなければと、ずっと気になっていた福島大学の白石豊先生へ電話をする。(先月の中頃、ある高校の体育関係の方から私に講演依頼があり、それが白石先生からの御紹介との事だったので、ここ何ヶ月もお話しをしていなかった事を思い出し、1度御連絡を入れなければと思って板のである)ちょうど千葉の方から帰ってこられたとの事で、最近の私の進展状況などをお話ししたところ、「年内に是非お会いしましょう」という事になり、それで気力を励まし、何とかノロノロではあるが出かける仕度をする。
 しかし、その外出の仕度を片づけやら書きものと併行してやっているうちに、時間が無くなってきた上、体もダルイので、西荻窪まで1本で行こうと中央線の最寄駅まで車を使ったのが判断ミスで、日曜の行楽帰りの渋滞に巻き込まれ、遅刻に気を揉むことになってしまった。
 だが、後で考えてみると、そこで気持ちが変わり、ギリギリに到着してみると、久しぶりに俳優のE氏や総合格闘技のU選手ら、武術で体を造られている方々の顔があったため、体調の悪さはまるで霧が晴れるように消えていく。しかも他にも初めてだったが話の通りもいい方も見えていて、そこからの2時間半が1時間くらいにしか感じないほどの流れだった。終わってから喫茶店で更に1時間半ほどいろいろな話をして帰宅。帰ってからも、いろいろとやっているうちに午前3時をまわり、8時すぎに起きたが、まあ今日は普通の体調である。
 昨日の杉並での事を思い返してみると、小手捕り(相手の片手手首を極める)で、これを掛けようとした瞬間、相手が振りほどいて逃げようとしても逃がさず、これを極める動きでは、かなり武術の経験を積んだ人にも通用するようになってきたが、これは逆風も使うヨットの原理がかなり複雑に展開する場面にも応用できるようになってきたからではないかと思う。
 また興味深かったのは、正座している私の胸を押してきても、その押してきた人を抜刀術の体の使い方の要領で崩す技を受けたU選手から、「ブラジルの柔術の選手で、胸を掴んできた相手の手首を、その胸と肘で挟んで一瞬のうちに極める技を持つ選手がいるのですが、これを応用したら出来そうですね」という話を聞いたので、その場で想像してやってみたところ、「あっ、これいけそうですね」との感想をもらえた事。
 こんなふうに、その後続けて2時間や3時間は楽に動けた気がするから、いったい自分の体調が実際のところどうなのか全く訳が分からない。
 近々、身体教育研究所の野口裕之先生にお会いするので伺ってみようと思うが、おそらくはニヤリと笑われて「いやあ、立派なものですよ」で煙に巻かれてしまうだろう。そう言われていて、もし私が突然倒れたとしても、気がついた時に「クックッ、野口先生もやるなあ」と笑いがこみ上げてくるだろうから、あの野口裕之という人物の人としての力量というのは、実に桁外れである。
 老子や荘子には、桁外れの人は、とてもそうは見えないというような話がよくあるが、「僕は小心者だし、陰花植物だから日向に出たらすぐ枯れてしまいますよ」と言われるのが口癖の、あの小柄な身体のどこにそれだけの力量があるのかと思うが、人としての力量、価値というのは、実に不思議なものである。野口裕之先生と会っていると、(精神科医の名越康文氏ともよく言うのだが)野口晴哉、野口裕之と天才が二代続くという稀有な例も世の中にはあるのだという事をつくづく思い知らされる。もっとも裕之先生は、「僕は親父のような天才じゃないから、今みたいなことやっているんですよ」と言われるだろう。確かに先代の晴哉先生とは才能の種類が違うと思うが、話を伺っている時の、あのスリリングさと体を観て頂いていて、もし倒れたとしても笑いがこみ上げてくるあの魅力というのは、余人が代われることではない。御縁のあったことに、あらためて心から感謝したい。
 さて、今日はこれから朝日カルチャーセンター新宿へ。

以上1日分/掲載日 平成16年11月8日(月)


2004年11月9日(火)

 今日は約8時間寝て、何とか平常の体調。しかし、相変わらず新しい企画やら進行中の企画の相談の電話やFAXがいろいろ来る。
 私の体調に関してだが、先日ある方から肥満防止のために、私の食べているものや量について公開して欲しいとの依頼があったので、今日はこれについて少し書いてみたい。ただ、私の食生活はあまり参考にならないと思う。なぜなら私は「ああ、腹がへったなあ」と思う事が1年に1度あるかないかという、食欲が顕在化しないという体質。したがって旅行中など1人でレストランに入ることは皆無に近い。もちろん、いわゆる食欲不振というのではなく、接待されると「残しては悪いなあ」という思いが強くて、つい人並み以上に食べることもあるが、食べ過ぎると翌日は本当に食欲不振になって、1日1食ということも珍しくないからだ。(続けて接待されていると、2日でも3日でも接待中は食べられるが、それが終わると食欲不振になる)つまり、いわゆる"食いしん坊"とは無縁の人間だからである。
 ただ、例外的に私の好みに合ったカレーとナチュラルチーズには惹かれるが、身体が要求している、自分の心身をスッキリさせたいという感覚に従えば、キビ・アワ・ソバといった雑穀類を常食にしたいと思うし(現実に好みからいっても好きだし)、野菜が少ないととても辛い。その野菜も、いろいろと手の込んだ調理より、小松菜や三つ葉などをザッと茹でて、そのまま醤油をかけるとか、大根を擂り卸すとかいう簡単な方がいい。
 菓子類も、上等なものより干し芋や干し柿がいい。ただ果物は、煙草好きの煙草に相当するくらいに好きである。(もちろん、良い材料で吟味して作られた料理は美味しいと思し、味覚に関してはそんなに鈍い方だとは思わないが・・・)従って、何かものを貰った時、食べる物よりも便箋とか封筒、文具・工具といったものの方が嬉しいという人間である。
 こんなふうだから、旅行に出てホテルや旅館の朝食は、私が基本的に1日2食のせいもあり滅多に食べない。大体、旅行に出ていれば、接待などで食べ過ぎているから、食べるより寝ていたい方だし、ホテルも旅館もあの味付けの甘いのはどうも苦手だ。
 昔の日本の食事があんな甘い味付けだったとはとても思えない。もっとも、そのため貴重な砂糖を使うことが接待として上等という意識が生まれたのかもしれないが、旅館の食事が飯(それも半搗米か七分づき)に味噌汁、それに塩と糠だけで漬けた沢庵というふうにしてもらったら、どんなに有難いか分からない。
 そういう事もあって、関西方面に出かけた時は、他に宿を用意してもらっても断って、畏友の名越康文医師宅に泊めてもらっているのである。もちろん名越氏と話をしたいという事もあるが、話し込んで寝不足になる危険があっても名越宅へ泊まる理由のひとつは、私の身体が要求するものを食べたいからである。もちろん、ごく簡単なものだ。飯は炊くとしたらキビ、麦など早く炊けるもの。あるいはソバ粉でソバガキ。それに小松菜、三ッ葉、ニラをザッと茹でたもの。大根卸、納豆、あとは果物。動物性のものを加えるとしたらヨーグルト。近くのスーパーで買ってきて、作る手間も殆どかからない。なにしろ後片づけの方に時間がかかるぐらいである。名越氏からは鍵を預かっているから、当主不在中でも泊まる事が出来る。
 もし私が好むような食べ物が、ごく普通に買えるようになったら、成人病は確かに減ると思うが、これは人それぞれの好みの問題が大きいから実現は容易ではない気がする。たとえば、BSE問題などは、牛肉を安く食べようとするからで、「牛肉なんか食べなければいいじゃない。昔は日本では食べなかったんだし・・・」で私は済むが、それで済まない人が多いのだからどうしようもない。
 ただ、今回これを書いて思ったが、今、私が55歳で、20代、30代の時よりも、よく体が動くというのは、あるいはこうした食事を好んできたためもあるかもしれない。なにしろ酒の味と香りは嫌いではないが、極端に弱いから殆ど飲まない。煙草も吸わない。(話していて、よほど気分が乗った時、話し相手が喫煙者の場合、貰って吸う事が年に1,2回はある)個人の好みとはいえ、前記のような食べ物が好き。まあ現代の健康志向のお手本のような状態に結局はなっているのだから。
 しかし、時代の流れを感じざるを得ないのは、今から30年くらい前に、今の私のような食事を発表すれば、「栄養失調になる」と攻撃されたであろう。当時、現代栄養学の側の過激な論客、石垣純二氏は「人間は、人間に最も近いタンパク組織を食べるのが一番いいから、猿を食うのがいいのだが・・・」(流石に人を食えとは言えなかったようだが)と主張し、自然食などと言って動物性の食品を食べないことをもっての外の事として排斥していた。医学、生理学の分野で科学的ということが、如何に不確かなものかという事は、この一事をみてもハッキリすると思う。
 従って、私も、私がやっている技法について、「現在多く行なわれている一般的な方法よりは有効である事が分かった」とは言えても、「これが正しい」などとはとても口にできないのである。

以上1日分/掲載日 平成16年11月9日(火)


2004年11月15日(月)

 ここ2,3日の目まぐるしさは、私自身どれが先で後だったか、すぐには思い出せないほどだった。まず、10日の水曜日は、PHPの本作りのため市ヶ谷の旅館に籠り、そこへ手伝いやら挨拶やらで、何人もの人が出たり入ったり・・・。翌日の昼までそこにいて、その後は先月9日甲府の歯科医師会の講演の折に泊めて頂いた旧知のN氏のところへ。そこに夜までいて深夜に帰宅。
 帰宅してみて何より驚いたのは、前日10日の10時頃、家を出た時とは一変している門の前から南東の方角の風景。そこの高台には樹齢百年になろうかという赤松をはじめ、何本もの木々に囲まれた家が、ここ二十年ほど前からずっと空き家になっていたのだが、その木も家もなく、石垣の上には、ただ鉛色の夜空が広がっていたのである。「あまりの事に一瞬声も出ない」とはこういうことかと身に沁みて感じた。
 その場所は、私が物心ついた頃は栗林で、私の家の庭とは垣根も何も無くつながっていたから、実質的には庭同然で、その松の木の下辺りにいくつもあった、サツマイモを貯蔵するための芋穴でかくれんぼをしたり、落とし穴を作ったりして、数少ない幼友達と遊んだりしたところである。
 幼い頃の記憶というのは強烈で、今でも芋焼酎の香りを嗅ぐと、昔この芋穴に隠れた時、麦わらに包まれて少し発酵しかけていたサツマイモの事を必ず思い出す。他家の庭となっても、その思い出はずっと残り、百年を経た松もいい枝ぶりになっていたのだが、「無残な」とはこういう事だろう。
 ただ、幸か不幸か山積みする用件は感傷に浸ろうとする私を許さず、しばし呆然とした後は、電話やら原稿整理、道場の片づけに追われ、3時すぎに寝たのだが、8時半には目が覚めて、とにかくひたすら片づけをして、それでも片づけきらないうちに、岡山から講習会のために上京された光岡師らを迎え、食事もそこそこに共著『武学探究』のゲラに入れる写真の位置を決める作業。とても終わりきらないので持ち帰って頂くことにして、先日行なわれた韓星橋老師の葬儀の模様をDVDで見せて頂く。線香を焚いているが宗教色は殆どなく、参列者のほぼ全員が平服、それもネクタイ姿も殆どなく、中国服は光岡師ぐらいなのには驚いたが、これが現代中国の姿なのだろう。
 その後、光岡師と一緒に家を出て、光岡師は講習会場へ。私は池袋コミュニティカレッジの講座へと向かう。(ここまで12日の夕方に書いたのだが、その後書く暇がなく、今日14日になってしまった)

 池袋の講座は、何年か前を思い出すほど参加者が少なく、その後の喫茶店も古い顔なじみの人達数人という状況で、何だかホッとした。講座への参加者が少ないのは最近の特色で、原稿やら本やらが忙しいだけにホッとする。人間の関心、ブームというのは、どうしても一過性のものが主となるようで、対外的に話題がないと世人の関心は薄くなるようだ。ただ、私の技の方は最近また伸びている。
 たとえば、極短距離走は、現役のサッカーやバスケの選手でも、私より速い人はまず殆どいないだろうと思えるようになったし(これに関しては、11日、先月はじめに東北で一緒に走った、400メートル走では現在日本の代表的な女子ランナーのY選手から来ていた手紙の中でも「先生の身のこなしの速さは、口が半開きになってしまうほど衝撃的なものでした。」と書いてあったから、その世界の専門の人達も驚いたらしい。もっとも、このY選手のお陰で、私はその後極短距離走というジャンルの研究を始め、スポーツ界への提案メニューをひとつ増やすことが出来たので、このY選手には大変感謝している)、武術や格闘技等で触れた時の崩しは、以前とはハッキリと分かるくらいの重さが増している。(これは13日、たまたま道場の修理や家の周囲の枝降ろしなどを頼んでいるY氏の紹介で、日本では珍しいというヘビー級のボクサーのN氏と会った際、技を受けてもらって、N氏も驚いた様子だったが、私も「ああ、やっぱり違ってきたな」と確認した)

 この他、やはり13日、防大のバスケの指導者である入江助教授や何人かの人を相手にバスケのブロックを抜く新しい方法を案出したが、これについてはその場にいた人達が「これは抜かれた選手が監督やコーチから『おまえ、何ボヤッとしていたんだ』と間違いなく叱られますよね」「ああ、叱られる、叱られる」「いや、もう怒鳴られるでしょう」といった感想を言い合うような、本当に何かちょっと触れただけで懸命にブロックする相手の前に私が抜けていたような動きだった。これは平蜘蛛返し的な足裏の離陸(最近では、以前「薄氷を踏む足」と呼んでいたのを、更に足裏に重さをかけないようにという意味で、生け花に使う針山である"剣山"を連想してもらう「剣山を踏む足」という用語を使い始めている)と、B5の紙1枚を持つような手の状態の組み合わせで、この日出来るようになったものだが、この分では更に展開がありそうだ。(もっとも、このような体の使い方が広く世に行なわれるのは、私が最近講演の折よく話すように、キャスターの普及が二十世紀も殆ど終わろうとした十年ほどの間であるのと同様、ずっと先のことかも知れないが、ひょっとしたら意外に早いかも知れない)

 それにしても書くことが多い。この13日は身体教育研究所へ。夜、名越氏らと伺ったのだが(実は、ボクサーのN氏ともそこで会ったのだが)、この夜(といっても深夜)野口裕之先生の技と観方の深さには、また一層驚かされた。というのは、(既に数日前からうすうす気がついていたが)ここ最近の私の身体の変調は、野口先生が私の体を観て下さったことで起きていることがハッキリしたからである。この夜、野口先生は、私がこれ以上混乱してはいけないと思われたのか、珍しく私の体の状況について整体協会的な解説をして下さった。
 それによると、長年陥没していた私の胸椎10番が、野口先生に調整して頂くようになって、ようやく元に戻りはじめ、それに伴い腰椎5番が動いてきたので腰のダルさが出現しているとの事である。「いやあー、でもこれから、もう少し苦しんでもらわないとね」と、例によってイタズラ盛りの子供のように顔をほころばされていた。
 それにしても、これは体を観て頂いている名越氏も全く同感する事だが、処を得て入り込んでくる野口先生の指の重さというか圧力の凄まじさにはたまげる。ご本人は「いや、ただ指を置いているだけですよ」と言われるだけだし、現に上にまたがる感じではなく、横に正座したままの時もあるのだが、自分よりも遥かに体重のある人が、全体重をその1点に集めているような感じである。
 先代の野口晴哉先生の時代から、整体操法は指圧やマッサージでもなく、またいわゆる手当てかというと(そうした部分もあるが)それとも違い、骨格調整的な面もあるが、その調整法が又まったく違っていて、何とも分類に困る独自のものであったが、そうした整体操法を受け継がれた先代野口晴哉先生の門人の方々とも、また違った独自の道を裕之先生は見つけられ、研究を深められているようである。その道に関してはイロハのイも行なっていない私が、これ以上野口裕之先生の技術について語ることは問題があるので差し控えたいが、最近は公開の席では殆ど発言されていない体癖研究の方も個人的には更に更に深く掘り下げて研究されているらしい。
 もちろん人間は精神と身体とで成り立っており、精神的・心理的なことと身体を切り離せるわけもないから当たり前の事なのだが、何とかこの野口先生の研究の価値が広く世に知られ、確かに次世代に受け継がれていってほしいと心底思う。しかし、あちらが立てばこちらが立たず、は世の常で、野口先生が研究を深められるには、より研究に時間を費やせる環境が必要であり、広く世に知られ、その価値が認められて、才能のある人材が集まることと矛盾してしまうのである。
 特に何でも数値化しマニュアル化して教育しようとしている時代にあって、そうした傾向と最も相性の悪いのが身体教育研究所の技である。そして、このかけがえのない技術とその技術を生み支えている人間や社会、芸術に対する余人では代わることの出来ない野口裕之先生の感性を思うと、「いったい我々はどうしたらいいのだろうか」と、名越氏と共に呆然としてしまうのである。
 ただ、時代の波は容赦なく現代に生きている者すべてに対して、覚悟が出来ていようといまいと迫ってきている。ここは野口先生のみではなく、あらゆる問題に対してその時代の波に乗ったり潜ったりしながら、私自身の心に最も納得のいく形を探りつつ進んでいきたいと思う。この事に関して、13日身体教育研究所へ伺う前に、名越氏が洩らした現代を象徴するものとしてテレビと映画の違いについての話は、思わず聞きほれるほど見事で、これは私が聞き手になってでも本に・・・などと、つい思ってしまった。もちろん「身がもつかなあ」と思うほど企画や依頼を抱え、4月からは完全休業、最低3ヶ月と言っている私にそんな余裕など全くある筈もないのだが、世にも稀な精神科医として野口先生が情熱を傾けて語る相手である名越康文・名越クリニック院長の世界を紹介する事も、現代に於いては非常に意味のあることだと思うので、何とかしたいという気はする。

 それにしても明日1日で、18日から始まる旅行の準備(4ヵ所への荷物の発送)と差し迫ったムック本の校正、抱えている3冊の本のゲラやら原稿の交通整理。(出来るわけもないのだが、出来るだけはやらなければならない)
 この状況ですので、私に企画進行を促されている編集者の方々には誠に申し訳ありませんが、しばらくお待ち頂きたいと思います。

 実は昨日、剣術の具体的な技術上のことで久々の大発見があったのだが、今日は、とてもこれ以上書いている時間が無いので、この件に関してはあらためて書く事にしたい。ちょっと井桁崩し発見の時を思い出してしまった。

以上1日分/掲載日 平成16年11月16日(火)


2004年11月18日(木)

 今までは、旅に出れば家に居る時よりもゆっくりと出来たが、今度の旅はそうかいかないようだ。
 17日の新幹線の中は、光岡師との共著『武学探究』(冬弓舎刊)の写真の位置の確認とキャプション書きで書斎と化し、大阪に着いて主のいない名越医師宅("グータン"の撮りで上京中)では、勝手知ったる他人の家で快適に過ごさせて頂いているとはいえ、食事の材料を買って、作って、洗って・・をしながら、急ぎの『武学探究』の制作とムック本の赤入れ。その間、電話は来る、メールは来るといったありさま。
 今日は午後2時から5時過ぎまで大阪駅の近くで冬弓舎の内浦氏と『武学探究』の写真の打ち合わせをして、その後朝日カルチャーセンター大阪へかけつける。会場は100人ほどの人達で埋まっており、今までにもまして真剣に聴いて頂けたので大阪まで来た甲斐があったが、何しろまだやっていない学研のムック本の急ぎの校正があるので、講座が終わって熱心な人達に技を試みたり、解説したりしていても、何か落ち着かない。
 そうしたなかで心打たれたのは、今年の夏のアテネオリンピックで、女子バスケットボールの中心選手の1人であった浜口典子選手が、あらためて私の動きを身に付けたいとの事で、21日の長崎県佐世保の講習会に、地元長崎でのイベントの後、何とか予定をやりくりして会の終わり頃駆けつけたいと連絡があった事。
 滅多にない事なので、今回の佐世保講習会では、特別に会の終了時間を延長して極短距離走やブロックの抜き方など、私の最新の動きのバスケ応用編を大展開しようと思う。特にバスケにご関心のある方は、まだ空きがあるようなので、平田氏にお申し込み下さい。(告知板を参照下さい)

以上1日分/掲載日 平成16年11月19日(金)


2004年11月22日(月)

 晩秋の旅は、1年の内で最も北と南の違いを感じる。この季節の東北の山々は、錦繍という言葉がふさわしい紅葉に彩られるが、いま佐世保での講習会を終えて、博多への車中から見える山々は、黒々とした緑に覆われ、ほとんど紅葉は見当たらない。この地方は、杉、檜、サワラといった常緑の針葉樹以外の広葉樹も、シイ、クス、樫といった常緑の広葉樹、つまり照葉樹が圧倒的に多いからである。
 昨日の佐世保での会は、バスケットボールの浜口典子選手が後半から参加され、バスケに応用出来るさまざまな動きの展開があった。私としては「みすず返し」(昨年11月長野工専での"古武術バスケ・クリニック"の際に案出したガードの抜き方)が、やはり極めて有効である事が確認できたこと。相手ボールをカットするのに逆手抜飛刀打からの展開が使えること。左右に小刻みに動く時、足裏の垂直離陸を使って体を宙に漂わすことが有効であること。極短距離走は、バスケ、サッカー、野球その他球技にも有効なこと。3メートルの距離から壁に向かって急発進すると、従来の方法では両手を壁について体を受け止めることが余裕で出来るが(つまり、3メートルではそれほど加速していないので)、最新の極短距離走では速度が出過ぎていて、両手だけで受け止めるのがキツイ(3メートルの距離を一気に飛び出すと、減速している暇がないので)。しかし、その身体操作の難しさは従来の走りとは較べものにならない。私も三歩か四歩ぐらいは、何とかその方法で走れるが、それ以上は混乱してしまう。
 それにしても、今朝も長崎に戻られる高速バスに乗るまでの小一時間でも稽古の指導をして欲しいと申し出られた浜口選手の熱意には感心した。おかげで学研のムック本の校正が又出来なくなったが(当初17日夜か18日には送れると思っていたのだが、19日ラフ校正を取り敢えず神戸女学院から内田先生に送って頂き、その後ちゃんとした校正を送らねばと思っていたのが、結局今日22日まで持ち越してしまった)、いざ動き始めると、いろいろな気づきが私自身にもあり、浜口選手の人柄の良さもあって、朝から大変気持ちよく過ごせる事が出来た。
 今回は、参加者が少なくて時間は延長(5時間以上やった)だったから、参加された方には好評だった。参加者が少なかったせいか、世話人の平田氏(その人柄の良さでは浜口選手とどちらに軍配が上げるか迷うほどの人物)には大変気を遣って頂いたが、私も気持ちに余裕が出来てホッとしたので、お気遣いには申し訳なく思っている。申し訳ないと言えば、平田氏の顔面をバットで殴ってしまい、こちらは本当に申し訳ないと幾重にもお詫びしたい。その時の状況は、私の最新のバッティングフォームを体験してもらうため、大分の白石氏にバットとプロテクターを持参してもらったのだが、白石氏に体験して頂いた後、平田氏にも体験して頂いこうとしたのだが、バットがプロテクターの上部に当って、プロテクターが崩れ、顔面(鼻下)に入ってしまったのである。まだまだ試運転中のバット操法で私のコントロールが悪かったのだと思うが、バットで人の顔面を打つなどという私にとって前代未聞の事をしてしまい、本当に申し訳なく思っている。
 平田氏は、講習会の雰囲気を壊さないようにと気を遣われて、全く何でもない風を装われてはいたが、後で唇が腫れ上がっていたから何でもない事は無かったと思う。ただ翌日、佐世保駅のホームまで見送って頂いた時の様子から見て、大事には至っていなかったと思うが、今後こうした実技の実演には十分気をつけたいと思っている。

以上1日分/掲載日 平成16年11月24日(水)


2004年11月30日(火)

 さすがに、これは異常事態だと思う。11月17日から連続して1日の休みもなく出かけているか、人が来るかで、しかも何重にも折り重なった急ぎの用!
 そして、武術の術理の大きな進展。井桁崩しに気づいて12年目に、この井桁が立体に・・・。今月の中旬に、井桁崩し以来の気づきかもしれないと思ったのは、どうやら当っていたようだ。これによって、単に武術の技に関してだけではなく、言語的説明というものが二次元的であることに気づいたことは大きかった。
 これについて、古人は絶妙な古歌を遺している。

  妙の字は 若き女の みだれ髪
    ゆふにゆわれず とくにとかれず

 この「ゆふ」は、「言う」と、髪を結う「ゆう」にひっかけてあり、「とく」は、「説く」と、髪をとかす「とく」にひっかけてあるのである。
 それにしても身体がよくもつと自分でも思う。これだけの期間(10日以上)尋常ではない多忙な日々が過ぎてゆくという事は、間違いなく生まれて初めての体験である。そして、この先さらに1週間はこの状態が続くだろうし、1日か2日、片づけの日があっても、ほとんど12月後半まではこの状態だろう。以前、単行本の2冊同時進行は大変だと言っていた事が懐かしい。今、一体何冊抱えているのかも定かではない。一昨日、新潮社には、実感としては3時間位いたような感じなのだが、実際は何と8時間。そして、ここで朝日新聞の舞踊評まで書いて、行きがけにはPHPの原稿を受け取って、もう一体何をやっているのか分からないほどである。
 もちろん、この他に種々の問い合わせ、企画の相談依頼。とにかく今は、この洪水のように入ってくる用件の流れを何とかして、立体化した井桁について考えてみたい。

以上1日分/掲載日 平成16年11月30日(火)


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