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2006年1月6日(金)

 謹んで丙戌之年の明けましたことをお慶び申し上げます。

 暮れの29日、30日は激鬱のようになって誰にも会いたくなくなってふさぎ込んでいたが、正月明けから僅かでも時間があれば、ずっと技と術理について考えている。勿論、暮れから持ち越している用件は山積みの上にも山積みしているが、「今はそれどころではない」という気持ち・・。
 キッカケは、『願立剣術物語』の第十一段目 「惣テ太刀先ヨリ動事ナシ 唯カイナ計ヲ遣事ソ」 10年以上、この謎と向き合っていたが、12月の下旬に少し解け始め、あくまでも今の私のレベルでのことだが、風穴が開いたような気分。これに伴って、今まで頭のあちこちに散っていた様々なことが繋がってくる。
 テンセグリティ/鹿島神流の抜刀術・平抜の太刀の動き/鳥の羽ばたきが二点ヒンジであること。そしてそれはフラッピングとリードドラグとフェザリングの動きという事/糸電話の糸はたるませず張りすぎず/秘事は睫毛/下に気を遣い、上に気を遣って自分本来の能力を発揮できない中間管理職/過剰適応の子供/追い越し禁止/チェーンソーの動き/斬りの動き・・・

 そして『願立剣術物語』のなかの様々な説明がいままでと違った色彩で浮き上がってくる。(より原文に忠実にするため、片仮名混じりの濁点無しで引用している)

 「五体ハ天地ノツリ物也 片ツリニナキヤウニ可得心」
 「惣テ五体ハツリ物也 イタタキハ天ノ天ヨリ通シ足ハ地ノ地ヨリ至ル」
 「浮メタル舟ヲ動スコトクニ一方動ケハ四方不動ト云処ナシ」
 「真ノ討ト云ハタルミモ縮ミモナク地ヨリハエトヲリタルナル物ヲ其侭打程ニ敵押留ントスレトモ水ノ洩カコトシ 亦静カニサワラントスレトモ燈火ノ先ヲニギラントスルカコトク也」
 「身ノ科ハ大モ小モ身ヲ破事ハ一也 身之内少モタルミナク一杯ニ性ノ続タルヲイキ物ト云ソ 少ニテモタルミ有テ継目之科有ハ死身ト云也」

以上1日分/掲載日 平成18年1月6日(金)


2006年1月8日(日)

 季節は1月、しかも、これから大寒を迎える久しぶりに寒さの厳しい冬だというのに、"春眠暁を覚えず"という状態で、なんと8時間近くも寝てしまったが、まだ眠いという状態。
 前日が寝不足という訳でも体調が悪いという訳でもないのに、こんな風になったことはかつて記憶にない。原因は唯一つしか思い当たらない。
 正月になって、『願立剣術物語』の「唯カイナ計ヲ遣事ソ」にひとつの気づきがあり、それに沿って体の使い方を二日からずっと毎日工夫しているため、体の作動システムが変わり始め、それが体の中にある変化を起こしているのだろう。
 それにしても、松聲館道場を建ててから27年、正月早々から一日も休まず毎日何時間も稽古に時間を使ったことなど初めてである。井桁崩しの原理に気づいた後の正月でさえ、こんな事はなかった。
 そのため、出さねばならない手紙やら原稿執筆が大幅に遅れておりますが、技の研究、動きの質の工夫は私にとって最優先事項ですので、私が何か得体の知れないものに連れ去られたとでも思って、どうか御容赦下さい。

以上1日分/掲載日 平成18年1月9日(月)


2006年1月9日(月)

 今日から銀座5丁目のアトリエ・スズキで木彫彩漆工芸作家の渡部誠一翁の個展『漆芸の風狂』が始まる。私は今日は伺えなかったが、私が案内状を送ったI氏から電話があり、「大変素晴らしかった」とのこと。個展の期間は来週の日曜日(15日)までなので、御関心のある方は是非お出かけ頂きたい。
 渡部翁は、具象的作品も見事だが、抽象化された作品には、そのセンスがあふれており、傑出した技術を持った人物が抽象化した作品を作ると、こんな世界が誕生するのか、と息を呑まされる。さすがは、あの感性の結晶のような身体教育研究所の野口裕之先生が惚れ込まれるだけのことはあると思う。御覧になった方のなかには、工芸における芸術というものの在りようを根本から考え直すほどの衝撃を受ける方も出ると思う。

以上1日分/掲載日 平成18年1月10日(火)


2006年1月12日(木)

 正月2日から毎日数時間、結局、昨日まで1日も間を空けずに稽古をした。そのため、9日からは、ほとんど全身筋肉痛となり、朝起きるのも一苦労であったが、「唯カイナ計ヲ遣事ソ」に気づいてから、稽古をすれば日々気づきがあり、それが日々積もっていき、段々と全身のテンセグリティ構造が繋がってくる気がするので、どうにも止める気がしないのである。

 井桁術理に気づいた時も、やはりそれまでになかったほどの情熱で稽古をしたが、今回ほど、日々いままでに気づいていたことが相互に結びついてくるということはなかった。そして、今回はあの時よりは、ずっと冷静で、しかも気づくほどに、その難しさ、深さが実感されてくるのである。
 ただ、今日は、渡部翁の『漆芸の風狂』を見に出かけ、ついでに3ヶ所ほどまわる予定だっため結果的に休むことになると思ったが、結果的に2日以来初めて稽古を休む事になると思ったが、渡部翁に招かれて上京中の四国の守伸二郎氏らと銀座のレストランで手を合わせ、守氏に感想を聞きながら導かれているうち、全身のネットワークの構築と確認に、すくなからず得ることがあった。あらためて守氏に感謝したい。

 『漆芸の風狂』については、昨日私からの紹介で出かけたT氏から「息を呑み、言葉を失いました。今も感覚が言葉になりません」という感想が届いていたので、私も本当に楽しみにして行ったが、現実に渡部翁の作品を目のあたりにして、あらためて翁のセンスと力量に感嘆した。

 そして今日最後は、最近大変に多忙な中、時間を作って貰った名越康文氏と対談本の企画の為の相談をしながら、久しぶりに、荻窪のレストランぐるっぺで食事。もちろん企画の相談もしたが、技の進展と同時に気難しさが増し、精神も不安定になってきている私にとって、名越氏と会って話すことは他にかけがえのない貴重な時間であることを今更のように実感した。

以上1日分/掲載日 平成18年1月13日(金)


2006年1月13日(金)

 今日はこれから池袋コミュニティカレッジの講座に向かうが、講座の前に2件、雑誌・新聞の企画の相談とインタビューが相乗り(時間がない苦肉の策)である。
 今月は、10日頃から何件もの依頼が入り出しているが、昨日など、映画に出演して欲しいというものやら、フランスからの招待状も届いていた。ただ、現在の私は、主な関心が技の研究に向いているので、「御依頼には応えにくいのが現状です」
 また、すでに企画を引き受けている場合も、誠に申し訳ありませんが、そうした方面への注意力が極端に落ちていますので、必ず電話で再度、再々度の確認をお願い致します。

 そういえば、一昨日、大本を描いた実録大河小説『大地の母』の著者、出口和明先生の奥様と数年ぶりで話をしたが、この時期に、私がかつて松聲館道場を建てることを決断するために背中を押してもらった『大地の母』との縁を呼び覚まされたことに、何か不思議に胸が騒いだ。

 それにしても、既に引き受けていた雑誌の校正が先ほど届き、それに赤入れの最中、久しぶりに雨が降りそうだというので、一昨日割った薪を取り入れること、薪づくりのためのチェーンソーのチェーンの調整といった、私としてはやりたい仕事もつい入れてしまいそうで怖い。そこへ持ってきて、今NHKのBSの仕事の話が来て、もはや家の中は大混乱。
 くどいようですが、私と約束されている方は、必ず、必ず事前に電話で御確認下さい。

以上1日分/掲載日 平成18年1月13日(金)


2006年1月19日(木)

 いまは、一にも二にも、とにかく稽古を優先したいのだが、断り切れずに引き受けたインタビューやら、依頼をハッキリと断って早くあきらめてもらうために来てもらった人との対応やら、ずっと滞っている原稿書きなどで、なかなか稽古に向かう時間が取れないことが残念であるが、何とも致し方ない。それでも殆ど毎日数時間は稽古研究に時間を充てている。いや、充てざるを得ないのである。
 そうしたなか、張力統合体としてのテンセグリティ構造について、あらためていくつか質問したい事があったので、数日前、広島のシナジェティクス研究所の梶川泰司所長に電話したところ、梶川氏は私が想像した以上に今の私の技の展開に関心を持たれ、結局1時間半ほどの長電話になってしまった。
 この時、梶川氏から伺ったことと、14日に身体教育研究所の野口裕之先生から伺ったことなどが、いろいろと結びつき、太刀の構えや振り方までもが変わってきた。
 そうした動きや動きに伴なう考えをみていると、この正月からの私の展開は、今までは平面に広がっていたいろいろな気づきが、まるで葉の表面に密生している枝分かれした毛によって球へと形づくられる荷葉(かしょう:蓮の葉の事)の水玉のようにコロコロと転がりながら成長してきているように思われる。
 そのためだろうか、16日に時事通信社から受けたインタビューの際、私の技の術理についていろいろの質問に答えていた時、この正月からの気づきをどう呼ぶのかと尋ねられ、ふと、「まあ、『荷葉之一水』とでもいう感じでしょうか」となんなく答えたので、『願立剣術物語』の「唯カイナ計ヲ遣事ソ」の件をキッカケに気づいた一連の気づきは、『願立剣術物語』に"無病の身"として列記されているうちの一ヶ条である「荷葉之一水之事」に因み、"荷葉之一水"または"荷葉一水"の理とでも呼ぼうかと思っている。

 こうした諸々のことに追われ、幸い体調は何とか崩れずに保っていると、昨夕、「あっ、風邪かな」と思うような、ちょっとした危うい時があった。その時、どうして突然そんなふうになってしまったのか、その原因をよく考えてみたら、何とその理由は隣家の木を伐材したものを貰いに行った時の体験であることが分かった。
 この隣家の伐採した木を薪にしてあるものを貰いに行った時の事は、以前この随感録にも書いたが、その時は薪束にまとめられていた、その縛り方がひどくいい加減で、とてもプロの仕事とは思えず、情けなく腹が立ったのだが、今回も同じ家でどうやら伐り手も同じ人物だったらしく、やはり薪束の縛り方がいい加減なのだが、今回、薪束の縛り方以上にもっとショックだったのは、その薪束の作り方を見たことだった。何と細い枝の粗朶の部分を鋸と剪定ばさみで切って束ねているのである。恐らく鉈でやる数倍は時間がかかることは間違いない。
 さすがに呆れて、「なぜ鉈でやらないんですか?」と聞くと、「ああ、鉈は重いしね」という答え。これがプロで金をとって木を伐りに来ている人の言葉かと思うと、その情けなさに膝頭の力が抜け、その場にへたばり込みそうになった。「こんな時代に生きているのか」と心底情けない思いをしたので、その時きっと体調が狂ったのだろう。
 ただ昨日は、その後あるパーティーがあって新宿に出たので気が紛れ、何とかドッと崩れることは免れたが、つくづく私のような人間が生きづらい時代になったものだと思う。

以上1日分/掲載日 平成18年1月20日(金)


2006年1月30日(月)

 1月も残すところあと1日となり、結局、今月は講習会等にどこか泊りがけで行くことは1度もなく終ることになった。この1ヶ月間ほとんど毎日稽古をしていながら、東京以外のどこにも講習会や稽古会に出なかったのは、ここ十数年間でほとんど記憶にない。
 昨年の5月、6月は確かに全く講習会等に出なかったが、これは休業中で稽古自体ほとんどやっていなかったからだ。休業といえば、昨年4月の中旬から、当初は9月の初めまでの予定だったが、私がずっと体を観て頂いている整体協会・身体教育研究所の野口裕之先生から、年内一杯は、まだ本調子ではないので休業を延長するようにというアドバイスを頂いていたので、休業明けの宣言はしていなかったのだが、今月の半ばに体を観ていただいた時、「どうやら今まで通りに動いて頂いても大丈夫でしょう」と、休業明けを許可して下さるようなニュアンスの言葉を頂いた。ただ、私としては、いまひとつな感じがしたので、念のため「今まで通り、といってもアルコールは止めておいた方がいいでしょうね」と伺うと、「うわぁー、それだけは勘弁して下さいよ」と野口先生の「いままで通りで」という言葉に慌てて但し書きがついたから、やはりアルコールはまったくダメなのだろう。おそらく、いまアルコールを体に入れたら、それが僅かな量でも、翌日立って歩くのもやっと、という状態になる可能性がある。
 現に全く飲んでみたいという気持ちが起こらないので、この体の感覚を無視すると、トンデモナイことが起こりそうな、イヤな感じがするので、今後私を招いて下さる方は、この事を御了解頂きたい。
 このように、酒には酔えなくなった私だが、いま酔っているのは『願立剣術物語』。これには本当に心酔していると言っていい。私も少なからぬ武術の伝書類に目を通してきたが、これほど私にとって参考になり、又その中身に深く唸らされたものは他にない。もちろん、無住心剣術関係の『天真独露』『無住心剣術書』、三代目真里谷円四郎の語録ともいえる川村秀東の『前集』『中集』、それから丹羽十郎左衛門の『天狗芸術論』、金子弥次左衛門の『梅華集』、宮本武蔵の『五輪書』、それから新陰流関係のもの、千葉周作の『剣術物語』をはじめとする著作集等にも、いろいろな啓発を受けたが、私が最も影響を受けたもの、私にとってかけがえのない唯一冊を選ぶとしたら、全く迷うことなく即座に選ぶのが『願立剣術物語』である。
 最近は、フトこの本を開くと、つい「あぁ・・」と溜息が出て読みふけってしまう。数日前も、「捧げ持ち崩し」(私が肘を曲げて垂直に立てた片手前腕を、相手に両手でしっかりと掴んでもらったものを斬り崩す技)をやっていて、物語(『願立剣術物語』)の第二十八段目にある「独ハツトツリ合タル其心所作終マテ続タル勢イニ度緩ム事ナカレ・・・」と、四十七段目の「中央ト云事有リ心ノ中央也 右ヘモヨラス左ヘモヨラス 上ヘモ下ヘモ不付 木(ママ)ヨリ敵ニモ不付 太刀ニモタレス十方ヲ放レテ心ノ中道ヲ行事也 像有ル処ヲ計ハ心ノ中道ニテハナシ・・・」等を思い出し、あらためて「なるほどなぁ」と思った。
 今にして思えば、「中央ト云事有リ」を、よくよく検討して展開していけば、体を捻らないように、踏ん張らないようにという事など自然とこのなかに含まれてくる。ことさら捻らない、タメない、踏んばらないなどと言わなくても良かったわけだが、気づきには順序があるのだろう。
 それに、「中央ト云事有リ・・」という術理の意味に、いま気づいてみて、あらためてこの術理の難しさが一層身に沁みる。テンセグリティ、また孤立波ソリトンといった物理における原理がきわめてボヤッとだが、何かこの術理の気づきを助けてくれているようににも思える。
 ソリトンといえば、28日、宇宙論の専門家で、近々カナダに渡って研究する予定のK氏の結婚披露の宴で同席した、K氏の恩師に当る京大のS教授がソリトンの専門家で、宴の後、個人的に3時間以上もいろいろと話を聞かせて頂き、濃い時間を過ごすことができた。(S教授からも今日「先生の身体についての理解と感覚は非常に参考になりました。物理学者の観点から、解釈していきたいです」という御礼のメールを頂いたのはありがたかった)
 そして、29日は千代田の会で久しぶりに大勢の人達の前で、現在の私の気づきについて説明したが、この時、最も得るところがあったのは、おそらく説明していた私自身だったと思う。どういう事かというと、「カイナ」、つまり上腕に代表される身体各部のアソビ、ユルミを無くし、適当なテンションを維持して動くという事が、考えたら出来ないし(約1年前に気づいた「三元同立」の時に延べたように、意識で考えるというのは2つの間のことしか取り扱えないので)、考えなければ今までの単なる習慣の繰り返しになりそうになり、まるで禅の公案のような困難さを持っている事が、あらためてはっきりと分かったからである。したがって、悪い点は考えて取り除いていくしかない。
 津波時におけるソリトンが減衰せずに自立的に形成されつつ進むように、中央を取り続ける動きが自立的に維持形成され続けていけばいいのだが、このような事は、その困難さをまだ実感していない私だから、気楽に言えるのかもしれない。そのためであろうか、気づくという事は少しでも進歩し安心につながるかというと、そういうことではなく、自然の法則の恐ろしいまでの奥深さを、ほんの僅かであっても感じさせられるという事であり、その凄まじさに精神が怯えてくるような気さえする。
 しかし、知らぬが仏で平坦な道を歩いている事は私には出来ない。と言っても、どこかで平穏で静かな生活をしたいと望んでいる私がいない訳ではない。それどころか、実験的な試みのせいかもあってか、30年くらい前の合気道時代に痛めた右腕の古傷が原因と思われる痛みが、10日ほど前から稽古の刺激で痛み出し、2,3日前から腕を上げるのも辛いほどになってきていて、しばらくは稽古を休まざるを得なくなっている。
 これは、昨日29日、大勢の人の前で説明しなければならないので無理をしたせいもあったのだと思うが、そのため、今日は日常の動作にも差し支えるありさま。
 ただ、これはこれでまた意味があるように思う。

 以上のようなわけで、本来ならハッキリと休業明けを宣言したいところですが、現在は休業中よりも身体を動かしにくい状態ですので、しばらくは既に予定の入っている止むを得ない用件-これが2月はすでに20件くらいもあり-、これ以外は遠慮させて頂きたいと思います。

以上1日分/掲載日 平成18年1月31日(火)


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