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2006年4月10日(月)

 松聲館道場を建てて、この秋で満28年。この間、何度か自らの稽古の在り様について深く考えさせられたが、ちょっと今までに経験した事のない大きな波が来ている。
 1年前、韓競辰先生に直接手をとって頂いて、韓氏意拳の大基本ともいうべき站椿の動きを体験させて頂き、深く自らの武術について考えさせられたが、1年経って再来日された韓先生に再度手をとって頂き、何度か食事も共にして少なからぬ時間を過ごし、あらためて韓氏意拳の術理の至妙さと、その思想、そして修行体系の見事さに深く深く感じ入ってしまった。
 そして、そうなれば当然のことながら、自らの稽古の進めようについて根本的に考え込まざるを得ない。ここで私が韓氏意拳に完全に入ってしまえば問題は簡単なのだが(既に会も解散し、個人となっているのだから、そうした点は面倒はないのである)、私自身、韓氏意拳の術理、思想、修練の方法に深く感動はしているが、私が私の身をもって表現するのは、あくまでも日本の武術の世界で行ないたいという思いが全く変わらないのである。
 たとえば、日本刀を観て、これを日本の武術の方法で扱う事と完全に縁を切ることが出来るかと自問してみると、私にはとても出来ない。それならば、両方の要素を取り入れるような事も出来るのではないかという考え方もあるだろう。
 しかし、韓氏意拳の見事な体系と韓先生の指導に対する真剣さをみれば、安易に折衷などとても出来ないし、またやるべきではないと思う。何よりも私にそういう事をする気が全くない。
 しかし、「人間にとっての自然」ということを、武術を通して追求してきて、韓氏意拳に出会い、ここまで見事な体系がすでにあったのかと思うと呆然とせざるを得ない。

 「単一的なもの、具体的なものはすべて間違いである」

 「『あっ、この感覚だ』と、その良いと思った感覚を再現しようとしたら、それも間違いだ」

 「普段やりなれない動きには、まだ自然な動きが残っているから、比較的いい動きをする人が多い」

 「自然に伸びやかに」

 義務的、強制的なものは皆無。量質転化などとは程遠い、共感し、唸らされる説明ばかりの荘子的世界がそこに展開されている。ここまで見事に呈示されると、いったい自分がどこに今いて、これからどうしようとしているのかも分からなくなってくる。
 「後矢は深し」という言葉があるが、昨年4月、初めて韓先生にお会いして大変なカルチャーショックを受けたが、1年経って私なりに韓氏意拳への理解が深まったところでの再会によって、その見事な体系の矢は私の心に深く突き刺さってしまった。
 「今までの細々とした気づきは、『塵も積もれば山となる』で、この貯まったものを自分の財産にするのではなく、貯まったそれらは、それまでの自分を大きく引っくり返すためにこそ使いたい」と感じ、この事を今年になって、しばしば人にも語り、雑誌のインタビュー等にも答えてきたのだが、それが実際にはどのような展開になるのか、私自身にも想像がつかなかったし、いまも想像できないが、とにかく、事ここに到った以上、今までとは違う歩みを始めなければならなくなったようである。

以上1日分/掲載日 平成18年4月10日(月)


2006年4月15日(土)

 大本教祖、出口直が没した通夜の席で、役員の1人田中善臣が教祖直の思い出話をするシーンが『大地の母』十二巻目の終わりに出てくる。

 「ある時、ある人が、としておこう。教祖さまのお傍へ来られて言いなはった。『わたしは、このご神苑の掃除番でもしたいのです』『それは結構なおぼしめしじゃ』と教祖さまは答えなはった。その人が帰った後で、教祖さまは悲しげに洩らされた。『なんというもったいないことを言う人であろう。なかなか見抜いた人でなければ箒一本もたすことの出来ぬ尊い所であるのに…それでも、そんなことを言っていては、誰も寄ってはこんでのう・・・・・』あてはこのお言葉を思い出す度に、自分のことを言われているようで・・・・」
 田中はうつむき、涙をすする。―後略―

 大本開祖、出口直刀自の純粋さには、以前から強く惹かれ、畏敬の念を持っていたが、とてもではないが付いていけないものを感じていた。しかし、最近ホンの僅かだが、この大本開祖の気持ちが身近に感じられるようになってきた。
 『願立剣術物語』には、「正直を立てること」「正直を争うこと」という記述がしばしばある。例えば二十五段目は、

 何トシテモ敵ノ色表裏ニ付心不止(止マザル)ハ実ノナキ故ソ(ゾ) 我心ニ正直ヲ不立(立テズ)表裏ノ念我ニ有(ル)ニヨリ敵ノ表裏ニモ付也
 先(ズ)我心ノ表裏ヲ去リ一法ノ大事ヲカタク可守(守ルベシ)・・・」

と書き出している。
 11日、蔵前の稽古会では、どういう講座にしたものか直前まで何の予定も立たず、場合によっては実技なしで話だけにしようかと思ったり、「何も出来ません」と謝ろうかと思ったりしたが、介護法ぐらいは出来るかなと思い、多少何となくやっているうちに二次元的な論理的説明では出来ない動きが出て、辛うじて何とか動きながら3時間もった。
 私の迷いがかなり感じられたのか、講座終了後、「これからも、こうした実技の講座をやめないで下さい」と、2,3の方から口頭やメールで御要望いただいたが、「では、そうします」とも、「それは無理です」とも、今は何ともお答えのしようがない。
 ただ、街中を歩いていても、明らかに以前とは違う感じがある。武術とは、ある面、騙しの技術でもあるのだが、より突き詰めていけば「人間にとっての自然」を追求する事そのものになることが以前より一段とハッキリしてきた。『願立剣術物語』の八段目に「己ニ勝事知者ニハ無敵(敵無ク)敵ニ勝事ヲ知者ニハ敵スル者不絶(絶エズ)ト古語ニ見エタリ」とあるが、それは敵がこう来たからこう、途中で変化してああ来たらああ、と相手に応じた対応とは違う、ただ自然と自分が納得のいく対応をすることに繋がっていくのだろう。同書の十五段目に、「敵に目付をして、何とか敵の動きに間に合わせようとすることは、東西を知ろうとして、雲を印に使おうとするようなものであり、また水中に剣を落としたからといって、慌ててその船べりに刻みをつけて落とした場所を忘れないために印をするような愚かなことである。限りないのは謀略の道である。敵がいろいろと変化し、飛び動くとも、ただ身の規矩を計って、滞っている自らの病をなくし、一筋に教えの道(願立の)を行くことが肝要である」と説いている。
 とにかく、いま抱えている数十件の用件をこなしつつ、今後のことについては様々な角度から考えてゆきたいと思っている。
 命のやりとりというような極限的状況下の技術であっても、人間はその育ってきた文化的背景なしには考えられないという、13日に身体教育研究所に伺った折、聴くことができた野口裕之先生の御意見にも、あらためて深く考えさせられた。
とにかく、今後、私が公的にどうするかはともかく、私が生きていく上で日本の武術の追求ということから離れるという選択肢が考えられないことは確かである。

以上1日分/掲載日 平成18年4月16日(日)


2006年4月20日(木)

 「いい動きの感覚というものを覚えて、それを再現しようとしてはいけない」という韓氏意拳の韓競辰先生の教えについて、畏友の精神科医、名越康文氏に話したところ、「あっ、それって恋愛と同じですね」という名答が返ってきた。
 たしかに、本当にある人を好きになった恋愛状態というのは、その胸のこげるような状態を"体認"するしかなく、たとえば気持ちが冷めかかっている相手を気の毒に思って、その胸がこげる状態を思い浮かべ、何とかそうなろうとしてなれるものではない。
 そういう例で、韓氏意拳の教えを振り返ると、とても分かりやすい気もするのだが、一見、単純に手を上げたり下げたり、前に出したり後に引いたりしているような動きに、新鮮かつ微妙な動きを感じ味わうことは至難であろう。
 今回、韓競辰先生に手をとって御指導いただいて、つくづく、この拳法は学ぶ人を選ぶと思ったと同時に、小出切一雲が書いた『無住心剣術書』の一節を思い出した。
 『世間一切ノ所作兵法ヲ見馴タル眼ニテ当流ノ柔和無拍子ノ稽古ナドヲ脇目ヨリ見バ、サマザマ嘲リ笑フベシ必ソレヲ怒リ憤ル事ナカレ・・・』
 韓氏意拳の練習を覗き見した人で、きっと「なに、あんなのただの健康体操さ」という人は必ずいると思うし、現にこの韓氏意拳の修練をしている人のなかにも「こんなことで果たして強くなれるのだろうか」と迷いを感じている人もいるのではないかと思う。
 ただ、韓先生の、あの感覚を受け、あの言葉を聞き、どうやら私のなかにはある確信が芽生えてきているようである。それが一体どういうものであるか、とても今はうまく言葉にならないが、何とかこの先、韓氏意拳とは一見まったく違う日本武術の形のなかで、この確信を展開できそうな気がしてきた。
 あらためて韓競辰、光岡英稔の両韓氏意拳導師に深く御礼を申し上げたい。
 しかし、フト気づけば講座や撮影、企画の打ち合わせが目白押しに月末にかけてある上、青ざめるほど校正や執筆原稿がたまっている。冗談でも大袈裟でもなく、いま必死にやっても期日に間に合うだろうかというほど、そうした仕事がたまってしまっている。
 このような状態ですので、新しい企画の御依頼は当分の間、ご遠慮させて頂きたいと思います。

以上1日分/掲載日 平成18年4月20日(木)


2006年4月23日(日)

 20日の深夜、というより21日の夜明け前、私は十数年来の知り合いであるH氏と電話で話していた時、ぼやけていたレンズの焦点が合ってくるような感覚と共に、私自身いまだかつて経験したことのない精神状態にいる事に気がついた。それは、「別にどうでもいいさ」というこだわりの無さと、一心不乱に集中して物事を追求していこうという精神状況が同時に存在しているという、実に奇妙な状態なのである。その状態のまま、翌21日の松代での講座に臨んだが、そこでは武術の技も、体術なら手はただ出るだけ、相手の状況を認め、そこを何とかしようとして相手を崩そうとするのではなく、ただ自然と出しやすいように出す。手も背も腰も太腿、脚足すべてが、ただ「別にどうってことないよ」と、ただ出す。だからといって、それはイチかバチかの賭博的状態ではなく、緻密といえば大変緻密な動きに支えられているような気もするのだが、それがどう緻密なのかを探ろうとすれば、"それ"が消えてしまうことを感じるのか、私の感覚が探ることを拒否しているらしく、一体どうなっているのか私自身にもよく分からない。
 いったい自分に何が起きたのか、私自身もこのような事は今まで一度も経験したことがないので、さっぱり分からないが、とにかくあまりにも今までとは違う自分がいるのである。
 こんな状態となる僅か十日前の4月11日、蔵前の講習会の前に、「もう何も出来ません」と受講された方々に謝り、当分の間は実技の講座は封印して執筆活動だけにしようかとまで思いつめていた自分が、まるで別人のようである。もちろん、あの時とは別人のような「今の私」というのは自信に溢れた私ではない。見方によれば、まったく無責任な(以前からもかなり無責任であったが、その度合がまるで違う)「別にどうでもいいよ」という投げやりとも思える感じであり、「術理なんか考えるから折角三次元空間を自由に動く身体を持ちながら、一次元的か、せいぜい二次元の面的にしか動けないんだ」という主張をする私がいるのだから、我が事ながら呆れてしまう。おそらく手を合わせてやり難い相手がいたとしても、「ああ、やりにくいですね」と言うだけで、今までのように、なぜ上手く出来なかったのかをいろいろ考えたりはしないだろう。
 私がこのように激変したのは、韓氏意拳の韓競辰導師の影響であることは明らかだが、私が行なっている武術と韓氏意拳という拳学は全く別種の存在であり、私の追い求めているものは、あくまでも日本刀の操法を基盤とした日本武術の体系である以上、私は韓氏意拳との間合を十分に考えなければならないのである。
 表面的に考えれば、韓氏意拳は別に他の武術の併習を禁じている訳ではないのだから、韓氏意拳を学びつつも日本武術を研究することは出来ないことはないのだが、韓氏意拳の拳学の世界の内側に一歩足を踏み込むと、併習は不可能であることが自ら分かってくる。(これはあくまでも私見だが、どうしようもなく分かってくると言うしかない)
 したがって、あくまでも日本の武術の姿を通して自分自身の心身を展開したいと願っている私にとって、韓氏意拳を学ぶことはきわめて慎重にならざるを得ないのである。
 そのような訳で、山形での講習会の折にも、私は、ごくごく初歩的な動き以外のものを行なうつもりはなく、もし進んだ教程であれば見学させて頂くだけに止めておこうと思っていたのだが、韓先生の「どうぞー」という覚えたての日本語と笑顔で共に行なうことを促されて、思いがけず、かなり進んだ教程の御指導を受けることが出来た。そして、そのお陰で今までの殻が割れ、いまここにかつてない精神状態の私がいるのである。
 何が殻を割るのに一番大きな力になったかというと、恐らくは韓氏意拳の「いい動きのいい感じを覚え、それを再現しようとしてはならない」「部分的なもの、具体的なものはすべて間違いである」という教えであろう。これは本当に心の奥底まで響いた。そして、「もういい」「もう十分」これ以上站椿の方法や韓氏意拳の体系に沿った御指導は受けるまいと思った。しかし、この「学ぶまい」「学んではいけない」と思う心が、かえって韓氏意拳の何かを私の心に深く刻んだのかもしれない。そして、すでに述べてきたように、そのお陰か、かつて味わったことのない不思議な精神状態を体験することができたのである。ただ、これが韓氏意拳そのものと関連があるなどとは全く言うことが出来ないし、安易にこの私の体験の是非を論じることも難しい。
 したがって、つい先日も、光岡英稔師から電話を頂いた時に、「この先も"固い絆で協力し合いましょう"なんて無理に意識で決めつけたりせずに、お互い話して得るところがある間はお付き合いさせて頂こうという形で、自然にしていきましょうね」という事を再確認し合った。
 それにしても、韓先生と出会って僅か3年で韓氏意拳の「導師」を許されたのだから、光岡師の才能というか純粋さには、あらためて頭が下がる。光岡師は今後、迷うことなく確信をもって、という形容も不自然なほど(つまり東から太陽が出て、西に太陽が沈むことを"確信"するなどという形容が不自然なのと同等なほどの)自覚をもって意拳をますます深く探究し、後進の人達に伝えて行かれるだろう。その光岡師にくらべ、私は一体どんな道を歩いて行くのだろうか。
 もちろん、「別にどうでもいいさ」という思いがあり、ただ、「今の今を歩むだけ」と思っている私に、以前のような焦った気持ちはないが、これだけ思いがけないことが次々に起こっているのに、この先は静かに諸事進展していくとはとても思えない。
 しかし、今は21日、22日と過ごした松代の満開の桜と文武館の宏壮な梁の木組だけが、目の奥に残っているだけである。

以上1日分/掲載日 平成18年4月24日(月)


2006年4月25日(火)

 「別にどうということはないさ」という、「こだわりの無さと集中力の共存」という不思議な状態に、ちょっと肩の荷を下ろしたと思ったのも僅か二日間ばかり。昨日からどうしようもない、何か居ても立ってもいられない焦燥感のようなものが体を包みはじめている。
 この焦燥感は、どうも今年の異常な天気、地気からも来ているらしい。信州も、今日電話した宮城の山中も、花の開花が例年と違い、いろいろと予想外のことが起きているらしい。今日電話でK氏(ずっと十数年、親交の畏友)と久しぶりに話をしたが、私とまったく同じ体感がしているとの事で、これはこれから警戒を要する事が起きそうである。
 そのため、昨夜からそうした事を忘れようとするかのように校正と原稿書きを始め、今日は一日校正と原稿書きで終った。原稿書きでは来月7日に掲載予定の讀賣新聞社から依頼のあった『空想書店』の800字ほどの原稿を、久しぶりに丹念に推敲を重ねて書いた。あと他に日銀、スキージャーナル、バジリコ等からの依頼のゲラの校正。もっとも、バジリコの内田先生との本は、僅かしか手がつかなかったから、明日はバジリコの校正をメインで頑張ろう。

以上1日分/掲載日 平成18年4月26日(水)


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