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2008年5月3日(土)

 5月に入ったというのに肌寒い。このところ天気がハッキリしない日が多い。その天気に感応しているかのように、最近どうにも気分は晴れなかった。具体的な理由はよく分からないが、どうやら大陸の方の鳴動に少なからず影響されているようだ。北京五輪が果たして無事に行なわれるかどうかは微妙だが、行なわれたにしても後味の悪いものになるだろうし、その五輪後、「五輪までは」と抑えていた様々な問題が噴出するような予感もする。
 そんな社会情勢とリンクしているのかどうか分からないが、私の技も、また大きく変わりかけている。昨秋、「追い越し禁止」を追いかけて、今年になって「龍尾返し」を発見して、"流れ"という事に大きな気づきがあったと思ったのに、2月の末に感覚的な世界に目覚め、翼が生えたり鰭が生えたりといった感覚に、我ながら呆れたが、5月に入って、その感覚的世界に一層引っ張られている。
 その一番の理由は身体教育研究所の野口裕之先生の影響だろう。既に野口整体と通称される社団法人整体協会の従来の路線とは、同じ組織に属しているとはとても思えないところにまで展開している「内観、感応、動法」を軸とした、その革命的整体は、世に言う健康法の概念を遥かに超えて今も日々進みつづけている。
 実際、野口裕之先生の個別指導を受けている人達は、私の知る範囲内ではあるが、最近体調がいいという人を聞かない。いわゆる治病・健康法から訣別して、「その人が本来その人としてあるべき姿」を追求されているらしい野口先生にとっては、痛かろうが苦しかろうが、それがその人本来の姿に近づいていれば、そうあるべきだという事なのではないだろうか。(私が勝手に断言は出来ないが、野口先生のお話を伺っていて私はそう思えるのである)
 まあ、一般に言う、いわゆる整体の関係者や治療家がそのような事を言っていたら、誰も来る人がいなくなるだろうが、野口先生の場合は、恐ろしいほどの読みの正確さ、そしてその独自の思想から生まれる指摘の見事さに、その世界の凄味を実感した人にとっては、体調は二の次になっても、この他に類をみない人間探求の見事さを聞きたい、感じたいという要求の方が、体調云々を上回ってしまうからだろう。
 2月末の京都で大きなインパクトを受け、4月21日の安芸の宮島の合同稽古会でさらにそれが展開、そして4月30日に個別指導を頂いて、5月1日の夜から2日にかけて13時間くらい寝て、フト気づいてみれば、いままでの動きでは全く満足しない自分がいることを発見した。
 無住心剣術に関心を持って以来、約20年、この剣術とどう向き合うかは、私にとって長年の課題であったが、それがいままでになく開けてきたようにも思う。といって具体的に何か明らかな術理や技法の展開があった訳ではない。ただ、感覚的に展開しつつある世界の、その展開のさせ方が、もっと根本的に従来の身体操作観から脱却しなければならないと、自分で自分を追いつめるような思いが押し寄せてきているという事である。
 一般的な常識の範疇から離れ、見方によっては超常的と思われる世界とも取れるようなところを進む時、そうした超常的と思われる事に対して、それをどう扱うかで人としてのセンスが問われるが、野口裕之という人と対すると、その事を本当に痛感させられる。
 こんな話を私と共に野口先生にひとかたならぬお世話になっている精神科医の名越康文氏に、昨夜電話でしていたら、名越氏も「僕も野口先生に御指導頂いているせいか、例のエリクソン(アメリカの不世出の名精神科医といわれたミルトン・エリクソン)が、ただトマトを育てた話をしただけでクライアントの精神状態を劇的に良くしたというエピソードが、最近以前よりもずっと身近に感じられるんですワ」と、名越氏自身の最近の心境を語られ、それに付け加えるようにして、「いや、しかし甲野先生に影響されて人生が変わった人は少なくないでしょうが、どう考えても僕がそのトップですね。誰がどう変わったといっても僕ほど甲野先生に人生を変えられた人間が他にいるとは思われませんもの…」と、しばし熱く語られていた。
 この言葉に、それほどの根拠があるとはとても思わなかったが、電話を切ってフト気づくと、私のなかにあった漠然とした不安や晴れなかった気分が少し変わり始めている。名越氏はすでに名越氏自身が望んでいるような、自分の喋りたいことだけを喋って、自然とクライアントのカウンセリングが成り立つような世界に足を踏み入れられているのかもしれない。何しろ十年以上の付き合いで、いままでにも散々私を過大評価するような話は聞いているが、その時とは何かが明らかに違っていたからである。それにしても名越氏をそこまで変えられた野口裕之先生の力や恐るべしである。
 野口先生が今後どのような方向に歩んでいかれるのか、それこそ全く見当もとれないが、今生で縁のある限り驚かされ続けることだろう。
 しかし、まあ見当がとれないと言ったら、私の技の今後の展開も、まるで見当がとれない。とにかく今後の講座・講習会などは、その時その時の私の状況で行なうしかないだろう。

 現在は、以上述べたような状況ですので、今後、いっそう訳が分からなくなる可能性があります。ですから、「何か役に立つ技をしっかり身に付けたい」等と考えられている方には向かないかもしれません。(介護の技などはそうでもないでしょうが) このような私ですから、「大家」などという形容には程遠い者ですので、私を古武術の「大家」とか「第一人者」などと思われている方は、その思い込みを捨てて頂きたいと思います。

以上1日分/掲載日 平成20年5月3日(土)


2008年5月7日(水)

 連休も昨日で終る。
 もっとも私自身は、依頼や用件が、ここ数日ほとんど来なかった(今日からは、もう何件も来たが)という事だけが、辛うじて連休らしさを感じられたという程度であった。ただ、お陰で片づけと、ずっと気になっていたバジリコの茂木健一郎氏との共著の再校と、筑摩書房から依頼されていた『剣の精神誌』の文庫化に向けての大幅増補になる新しい原稿づくりがかなり進んだ。
 もっとも、その大幅増補分は、この無住心剣術研究の篤志家、宇田川敦氏の涙ぐましいほどの努力があったからこそ出来た事で、宇田川氏には本当に頭が下がる。
 茂木氏との本は再校なだけに読みやすく、読んでいてフト校正中であることを忘れるほど読みふけってしまう時もあった。出来れば早く出したいが、肝腎の著者の一人である茂木氏が超多忙で、なかなか捕まらない。
 この随感録を読んで下さった方のなかに、茂木氏に近々会われる予定の方がいらしたら、一言お口添え頂きたい。

 4月は体調が決して良くなかったが、ここ数日体調は悪くはない。理由は先月30日、野口裕之先生から、「ああ、いい時期に禁糖を始められましたね」と、この日の数日前から砂糖を断っている事を、そのまま当分続けるようにと指示を頂いた通りに、食事の味付けの砂糖分も避けて一週間以上経っているからだろう。禁糖を野口先生が指示されるようになったのは、いつ頃からだろうか、5年くらいは経っていると思うが、10年以上も前からの事ではない。もちろん、先代の野口晴哉先生の時代は、そういう指示は全くなかったし、現在も身体教育研究所関係以外の整体協会の会員は、ほとんど禁糖などという食べ物を制限するという指示が整体協会で行なわれている事など知らないと思う。
 身体教育研究所は、別に健康を求めるために活動しているわけではないというのに、なぜ他の整体協会の指導者も行なっていない禁糖という見方によってはかなり実行が難しい指示を出すのかというと、この時期、体が砂糖分を嫌がっているのに、それを構わず摂って身体の自然な営みに嫌がらせをする事もないという事なのだろうと私は解釈している。
 私はここ数年、甘い物に関しては、どんな高級菓子より干し芋の方が好きになってきていて、春に名古屋のある方から頂いた手製の干し柿が、本当に甘くなくて感激したくらいである。そのせいか、今回の禁糖は全く楽で、横で柏餅や草餅を食べられようと、ケーキを食べられようと、別に何ともなくて、「自分は元々甘いものが好きではなかったのだ」と、つい思いそうになるほどである。
 禁糖によって、この体の中に感じる何ともいえないスッキリ感からいって、おそらく「砂糖を止める」というだけで、ずいぶん医療費も節約されるだろうが、砂糖による甘味中毒になっている人は、いまや大変な数だろうから、「砂糖をやめればいいのに…」などと言っても、まあ実行の難しい人が殆どだろう。
 私も野口先生からの指示がなければ、こんなに厳密には禁糖を守っていないと思う。なぜ野口先生の指示なら、ここまで厳しく守るかといえば、野口先生の個別指導が命を削るほどの大変さである事が、本当に痛いほど分かるからで、ここまでして個別指導をして下さる方の努力を無駄にしない為には、自分でも出来る限りの事は協力しなければ、という思いがあるからだと思う。それがなければ、私もここまで徹底はしないと思う。
 飽食の問題が指摘されて久しいが、何か切実な心を打つ事がないと、日常の事というのはなかなか改められないのが人間の常なのだろう。禁糖の生活を無理なく送りながら、そんな事を思っている。
 しかし、この生活を送れているのも、この連休中ずっと家にいたからこそ可能だったので、また出かけると難しくなりそうだ。
 私は外では一応何でも食べますが、当分の間禁糖は続けます。なお、ついでに、付け加えさせていただくならば、私を食事に招いて下さる時は、出来れば、甘い味つけを濃くしていない、野菜がたくさんあるものが有難いです。

以上1日分/掲載日 平成20年5月8日(木)


2008年5月14日(水)

 朝、起きた時に、整体協会で言われている腹部の第二調律点(臍より指3本上)に中指と薬指を交互に当てて、どちらを当てた時の方が、異和感があるかを調べたところ、薬指の方が異和感がある。という事は、野口裕之先生が発見された禁糖の時期がすでに明けたという事になる。
 しかし、禁糖を始めた当初は、「禁糖しよう」と思って意識的に甘味を摂らないように我慢して始めたのだが、そうやって半月以上経つうちに、禁糖から離糖になっていったらしい。禁糖が明けたといっても、まるで甘いものを欲しいと思わない。というより、ハッキリ言って食べたくない。
 禁糖期間中、果物の甘味なら構わないと言われていても、普通の甘い果物は殆ど食べず、もっぱら我が家の庭に実った市販は不可能なほど酸っぱい夏みかんばかり食べて暮らしていた私には、喫茶店でのジュースも甘くて、9日に池袋で朝日新聞の取材を受けた時も半分残し、その後、講座の後、喫茶店に何人かの人達と行った時は、同行した人に私が注文したミックスジュースを飲んでもらい、私は水だけ飲んでいた。(禁糖中はコーヒーも禁止だが、私は元々コーヒーの香りは好きだが、カフェインがキツイのか、一杯全部飲めないで残すことが多いし、紅茶も緑茶も好きではないから、飲むものがないのである)
 私が好きな飲み物は、赤ん坊のような麦茶、ハトムギ茶だが(ほうじ茶も大丈夫)、こういうものを出す喫茶店は皆無に近いから本当に困る。
 さて、「どうやら長年憧れていた離糖になったか」と思うと不思議な気がしてくる。
 現在でも、もちろん甘味は苦手という人はいるが(現に私が福山の稽古会でお世話になっているO女史など)、昔の日本人に比べれば激減しているだろう。(昔はけっこう本当に甘い物は苦手という日本人はいたらしく、そういう人が何かとても恰好よく思えた)
 今の日本で甘い物を避けて生きていく事は容易なことではないが、出来ればこのまま極力甘い物を避けていきたいと思う大きな理由の一つは、この半月、禁糖していて、何年も続いていた、昔痛めた関節部位の鈍痛がずっと薄くなっている事に気づいたこともある。しかし、とにかく体の中が甘味を摂っていた時より、明らかにスッキリしている事は紛れもない事実である。
 まあ、しかし、これは憧れていた私も60歳を目前に、初めて得た感覚であり(つまり、欲しいのを我慢するのではなく、欲しくない、避けたいという感覚)、食に関する欲求は人間の欲求のなかでも特に強いものなので、とても人に強制できるものではない。「まあ、御縁があったら、やってみたら如何ですか」と言うにとどめておこう。

 技の方は相変わらず、とてもこの実感を口で言っても殆どの人に届かない状況。ただ、分かる人には、より僅かな時間に伝わる。(過日対談したアニメ監督の磯氏のように)まあ、体験して頂くしかない。私のなかにある感覚としての実感。たとえば、現実には前後にしか折れない膝関節が左右にハネ上がるといった事を、技を受けた方々がどう感じられるかは、私にとっても興味のあるところである。
 今週末は久しぶりの九州で、17日が佐世保。そして18日は熊本。御関心のある方は、まだ受付中のようですので御体験下さい。

以上1日分/掲載日 平成20年5月14日(水)


2008年5月20日(火)

 17日に佐世保に発って、ここで稽古をし、翌18日は熊本の元湯温泉で稽古。今回は離糖後初めての旅行だったため、佐世保でも熊本でも、講習会の世話をして下さった方々が気を遣って、生の野菜や、ただ水煮をしただけの野菜を差し入れて下さったので、旅先というのに家にいる時以上に野菜を食べられて幸いだった。
 しかし、砂糖の入ったものを摂らないとなると、外出した時、本当に大変だという事があらためて身に沁みた。(最近はメタボの検診を義務化しようとしているが、そんな事をするくらいなら、砂糖で甘く味付けしたものではない、素材そのものの味を出す料理を選べるように、というか、ただ野菜を水煮したようなものを食堂やレストランで客の注文に応じて出すような指導をした方が、よっぽどいいと思う)
 それにしても、あれほど好きだった果物すら、それが甘いと、少しは食べられるが、以前ほどはとても受け付けないという自分に本当に驚いている。
 私は人との出会いだけは恵まれて、スポーツ音痴で、人見知りの子供の頃は、夢のまた夢であった武術を本業にするといったことが現実化した事では、確かに思いがけない願いが叶った人間といえるかもしれないが、二十代のはじめから憧れていた甘味嫌いといった食べ物の好みが変わるという事は、男性に生まれながら「女性に生まれたかった」と憧れるほど難しい事のように思っていた。(現にしばらく甘い物を遠ざけていても、それが本当に無理や我慢ではなく、食べられなくなる、苦手になるという事は今日まで、一度も起こらなかった)それが、4月末から始めた禁糖をやっているうち、なぜか根本的に甘味が苦手となったようで、今回の旅行では、フト一箸つけてしまった煮物が甘くて辟易するだけではなく、他に注文するものがなくて仕方なく飲んだオレンジジュースの甘さも、後々まで口に不快に残って往生するといった現象まで起きてきた。その不快感を抱えながら、「これは本当に甘味嫌いになったか」と、どこかでしみじみとした感動を覚えている。
 今回の九州の講習会は、佐世保のN氏がカブトムシの糞を肥料にして作られたという野菜の美味さに驚いたり、熊本の講習会では、F氏の御蔭で、本当に思いがけない気づきが得られたり、講習会後、M女史の御案内で加納氏や陽紀らと巡った、五家荘の新緑と瀧の美しさに目を見張るなど、永く記憶に残る旅となりそうである。
 いろいろとお世話を頂いた方々に、あらためて深く御礼を申し上げたい。

 帰宅すれば、またいろいろな依頼やら用件に囲まれているが、食覚の好みが激変したという事は、今後さまざまな事に影響が出るだろう。

以上1日分/掲載日 平成20年5月20日(火)


2008年5月24日(土)

 相変わらず忙しい日が続いている。23日は家からあまり遠くないイベント会場で、10月にある企画の打ち合わせをしてから、陽紀の運転する車に、富士通の機関誌『飛翔』の編集者とライターの方2名に同乗してもらって、綾瀬の武道館に着くまでの1時間強、車内でインタビューを受ける。
 その前日は、更にいろいろあって、来客の応対をしながら、東北へ送る荷物づくりや急ぎの刀の目釘穴合わせなどの作業をしているありさま。その後、更に『剣の精神誌』の改訂版文庫化の原稿をチェックしながら、筑摩の編集のI氏に渡す。夜はまた込み入った相談事の電話をもらう。そうした忙しさの中でも体がつまって来ないのは、離糖状態が続いているからだろう。
 九州から帰って夢で菓子を食べている自分の姿に「なんだ、戻っちゃったのか!」と愕然として目が覚めたが、夢でホッとした。時々、甘い果物を少し口にして、自分が甘味を我慢している状態になっていないか調べているが、いまのところ、小さじ半分ほどのバナナでも、もう甘すぎて後はいらないという状態。間食は、庭になった酸っぱい夏みかんか、ニンジンや大根の生煮えに醤油をかけて食べている。何でそんな味気ない食生活を続けているのかと思う人もいるだろうが、甘味や、それに関連した甘辛い味付けが気持ち悪くて食べられないからだし、こうした素朴なものを食べていると、体の中に涼しい風が吹き抜けていくような感じがするからである。
 現在の状態に比べると、以前は窓の開かないバスの中で、人いきれに耐えていた気がする。食べる物を変えればこうなる事は、ずっと以前から分かっていたのだが、それを意思で守ろうとすると、絶対に無理が来ることが分かっていたから出来なかったのである。
 私もいわゆる自然食を知って40年。さまざまな例を知っているし、自分の体験も通して、好みそのものが変わらねば絶対に無理があると痛感していたので、敢えて意志で食べるものを選ばないようにしていたのである。
 何しろ、そうした食養生をした人達の裏話には悲惨な例がある。例えば、食べる物を厳重に気をつけて、しばらくは体調も良かったのだが、一生懸命我慢をして食を締めていたのが、フト気が緩んでアイスクリームを食べたら抑制が利かなくなって、バケツ一杯ほどアイスクリームを食べてしまい、以後は罪悪感からメチャクチャな生活になってしまったという話があるが、そんな事だけにはなりたくない。そういう意味で、今回の離糖は40年の宿願が叶うかどうかがかかっているのである。

 これから講座で全国へ出向く際、いろいろご面倒をおかけしますが、よろしくお願い致します。

以上1日分/掲載日 平成20年5月25日(日)


2008年5月26日(月)

 24日は、久しぶりに宮城の山中で、炭を焼いている佐藤光夫氏宅へ。紅白混じったガンザ(タニウツギ)や薄紫の山藤の花と、青々とした若葉の山々。佐藤宅に着いてすぐにホトトギスの声。鼻に炭焼きの香りをかぎ、耳にホトトギスやカッコウの鳴き声を聞きながら、打剣の稽古。
 九州での気づき、20日にK君に実演してもらった動き(私の技を日常のフライパンの使い方に応用)等を思い返して工夫しているうち、かつてないほど剣の飛びがよくなる。
 その後、ヒバの風呂桶に薪で焚いた湯につかる。私にとって、もうこれ以上はないという充足感にひたった。どんな贅沢な休養といっても、技の追求もしない、ただの休養は私にとっては、むしろ苦痛で、一歩でも半歩でも技が前へ進まねば気が済まないらしい。
 さり気ない気遣いにみえながら、心からもてなして頂いた佐藤家の方々には、ただただ感謝しかない。
 25日はK氏の迎えで仙台の稽古会へ。『猫の妙術』に、「我あるが故に敵あり、我なければ敵なし」とあるが、さまざまな技で、「自分がやろうとする」というところから離れてくると、いろいろ面白いことが起こる事をいくつも体験することが出来て、講習会をやっていながら、何より私が一番興味深かった。
 また今回、岩手からT先生の紹介で参加した高校生の剣道部員は、受け答えが明るくハキハキしていただけではなく、話の通りも大変よくて「ああ、まだこんなにいい十代の若者もいるのか…」と気持ちを明るくさせてもらった。このような自分の意見や意志をハッキリ持った若者を、剣道界が潰すような事だけはしてもらいたくないものである。
 今回行なった技は、剣道部の諸君相手では、鍔競りからの潰しと、引き面のように下がらずに、その場で抜いて面を打つ技。竹刀の先を合わせて探り合う状態から、そのまま竹刀を沈めて付け入って面を打つやり方。影抜を上からと、下からと、両方から抜く方法。切り結ぶような袈裟の打ち合いから打ち崩す技。捲き技を逆に捲き返す方法等々。体験する度に興奮して目を輝かせてもらったので、私も本当にやり甲斐があった。
 その他、体術では腕の斬り下し。浪之下、浪之上。柔道選手相手では、自護体で用心しているところから、片足とって平蜘蛛返しをかけて返す技。組手争いで払われない取り方など、こうした技で「ナイター中、上がったフライを野手が取ろうとした時、停電になってしまったら取れないでしょう」という例えは、まだ理解しやすかったと思うが、小手返しの折の鏡像効果。浪之下などで共に飛ぼうとする感覚などは、その場で体験してもらっても通じにくかったから、文字に書いただけでは、まったく伝わらないだろう。特に裏鶚(合気道の三教、三ヶ条に近い技)は、私がいままで行なった技のなかで、やっている私自身理解できているとは言い難い微妙さ。
 このぶんでは、これから先、私の技の術理について何か書くとしたら、どう書くべきか・・・・・いよいよ難しくなってきてしまった。
 そのうち、過日アニメの磯光雄監督を紹介して貰ったM君にでも技を受けて貰って印象を聞いてみたいと思う。

以上1日分/掲載日 平成20年5月27日(火)


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