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2010年2月6日(土)

 新潟は26年ぶりの大雪だという。そのため、昨日2月5日、大阪から飛行機で新潟入りする予定だったが、伊丹空港まで行きながら欠航決定で、新大阪にまわり、新幹線で東京を経由して新潟に入った。
 いままで30年以上、日本各地に講習会や講座で出向き、旅から旅と渡り歩くことは、いつもの事だが、その旅の途中、自宅のある東京まで戻って、その東京を素通りして他の都市に行ったことは一度もなかった。
 そして、着いた新潟は交通が大混乱。道路の雪が不定形に固まって、凄い悪路を作っているからロクに車も走れず、タクシー乗り場は長蛇の列。寒いなかでタクシーを待つより歩いた方が早いと思い、迎えのN氏と圧雪の道を歩く。最初、朴歯の下駄ではさすがに危ないと思い、草履にしたが、その草履がスキーのように滑るので、再び朴歯に履き代えて腰を落として圧雪の細道を行く。幸いホテルまでの約1,5キロを一度も転ばず到着。
 そして今日6日は佐渡に渡って講習会の予定だったが、雪でカーフェリーも欠航。ついに30年以上講習会に一度も行けなかった事がなかった私の記録も、ここまでとなる。
 しかし、2年ほど前、刀の持ち方を、両手を寄せた持ち方へと大改革した直後も、それまで一度も指定券を無駄にした事がないという記録が終わってしまったので、今回も1月末に気づいた「キャスター、風見鶏の術理」が、いままでの私の武術研究の年月のなかでも屈指の、あるいは最大の気づきかもしれないと思えてきた。
 まあ、見方によっては「講習会にいけなかったことはない!」という事に、私自身の運を使い過ぎていたかもしれず、2月6日と言う、私にとって生まれて来た一番の記念日に、この事に気づいたと言うことも、何かの縁かもしれない。
 この、キャスター、風見鶏の術理については、そもそも今回の旅のキッカケとなった私の神戸女学院大学での集中講義に参加して下さった内田樹先生が、今回私が特別客員教授として、これが最後の講義になるので、それを記念してか、2月3日付の内田先生のホームページのなかで、すでに触れられている。
 ただ、この術理に気づいた者として、ここであらためて私から概略を説明すると、この術理は相手の攻撃に何とか威力で対抗するとか、回避するとかいう方法とは異なり、風見鶏が風が吹いてくる、まさにその方向に向かうように、キャスターがその車輪が横を向いている時、そこに力を受けると、その抵抗を最小にするために抵抗を受けた方向に自然と車輪の縦方向が向くように、相手の攻撃や抵抗の芯に自動的にこちらの芯が向かうというものである。
 これは、ザッと説明すると、私が学んできた鹿島神流の剣術の"斬り割り"や、聞くところの一刀流の"斬り落とし"等と同じように見えるが、少なくとも私が学んだレベルでは相手の攻撃に対して、何とかタイミングを合わせようと、それを計る必要があったが、このキャスターの術理は、それが構造として自動化されているのである。したがって、タイミングを、合わせるのではなく、タイミングが合ってしまうのである。文字の上でこれを詳しく説くのは容易ではないが、今日、新潟市内で雪で足止めされたので、何とか少しは原稿を書き進めることが出来た。

 明日新潟で講習会を行い、あさって帰宅予定。そして、1日おいて10日は京都、福山、11日はこの日の学校イン福山。12日は福山から池袋のカルチャーセンターに直行。そして13日は朝日カルチャーセンター横浜14日は千代田の稽古会、と強行日程が続く。
 まあ2月中頃までは、とにかくがんばらねばならないようだ。

以上1日分/掲載日 平成22年2月7日(日)


2010年2月9日(火)

 今回は思いがけず新潟に3泊も逗留したが、「この日の学校」やら、様々な企画の打ち合わせやら、相談やらでホテルにいても念願の原稿はほとんど書けず…。
 7日の講習会と、その後の打ち上げなどで新しい技の検討が少し進んだ事をもって良しとするか、という旅であった。(まあ、お陰で人生の税金は近年例がないほど払ったように思う)
 今回の講習会で参加者の方々の関心を集めたのは、すでに前回の随感録で述べたキャスター風見鶏の術理であるが、それと共にすでに内田先生のサイトに若干間違って紹介されていた独特の手之内。それを解説する前に、何といっても今回の旅のメインは神戸女学院大学特別客員教授としての最後の集中講義だったので、少しそれについて触れさせて頂きたいと思う。
 この集中講義の2日目は、私を神戸女学院に招いて下さった内田樹先生が講義に参加して下さり、後半は講義というより稽古会となった。その様子はすでに内田先生が御自身のサイトで紹介されているが、今回受講してもらった学生諸氏には完全な自己採点にしてもらった。ただ、「播いた種は刈り取らねばならない」という聖書の一句を引用し、また「天網恢恢粗にしてもらさず」という老子の一句も引用して、学生諸氏には「過大な評価をつけると、いつかその報いは自分で背負わねばならない」ことを言い添えておいた。
 さて、内田先生の2月3日付の感想記にあった私の新しい術理、キャスター風見鶏の術理について、すでに前回の随感録で書いておいたが、「悪魔の手之内」という名称で紹介されていたものについて、少し述べておきたいと思う。この手の形は、いまだハッキリした名称はないが、「葛藤にもがいている人の手のようでしょう」と、なかば冗談まじりに私が言いながら、手の拇指と小指を向き合わせて円相を作り、他の三指も弧を描くようにカーブさせつつ反らせることで、肩を体内に吸収するほど強く引き込み、三角筋の不快感をなくすものを基にして、木刀や竹刀、あるいは真剣など、剣術の道具を持つ時、この「葛藤の手之内」をある種変形させて持つ持ち方である。
 これは、刀を茶巾絞りに持つどころか、単に手指の数ヶ所に柄が引っかかっているだけ、といった持ち方で、その指の形が「悪魔的だという感想も出るかもしれませんが」と冗談交じりに話した異風な手之内である。
 しかし、一度この手之内の意味を体感すると、もう今までの柄を握った持ち方の居付つきが、どうにもならないほど気になって、まったく戻ることは出来ない。もっとも、そういう時期を通り越して、また一見普通に握るようになるのかもしれないが、先のこと何とも言いようがない。このような形が、実際古伝の武術にあったかどうかは分からないが、私程度の人間が気づいた事など、古の武術の名人達人が気づいていなかった筈はなく、柄を持たない、握らない重要さは、当然知られていたと思う。
 しかし、この手之内からの鍔競りになった時の潰しは、「いままで色々工夫してきた鍔競りの潰し技、あれはいったい何だったのか」と思うほど、大阪でも新潟でも剣道経験者に受けてもらったが、相手をしてもらった人達の崩れた瞬間の表情が、いままで見たことがない、演技では決して出せない、何とも言えない困惑というか混乱している微妙な表情で、「ああ、これはだいぶん利き方が違うのだな」と思った。私自身も、これがこの先どう変わって行くのか、まるで他人事のように予測がつかないでいる。

 さて、今月は早めに満員となりました「この日の学校イン福山」の他に、23日には初めて東京での「この日の学校イン東京」を行ないます。今回の東京での「この日の学校」は、諸般の事情で他の都市での開催時のように時間がとれず、またゆっくりと打ち上げも出来ませんが、会場の規約の関係で会費が格安となっておりますので、多くの方々に来て頂きたいと思います。打ち上げはその場で皆様ご持参のもので行ないたいと思いますので、各々飲食物をご持参下さい。
 私と共に講師を務める森田真生氏については、この随感録でも8月28日9月9日12月4日等ですでに紹介しておりますが、ちょうど更新されたばかりのウエッブマガジン『りす』の中の"ほころび"という私が連載を受け持っておりますコーナーでは、今回初めて森田氏のことを取り上げ、森田氏の筆による長文の私との出会いを引用しましたので御覧になって下さい。
 また、3月は27日に大阪城公園の中の豊國神社で、13時半ごろから「この日の学校イン大阪」の第1回目を行なう予定です。詳しい御案内は、また活動予定に載せますので御覧になって下さい。

以上1日分/掲載日 平成22年2月10日(水)


2010年2月13日(土)

 10日に東京を出て、福山での2泊3日の日程だったが、その直前の9日間に及ぶ関西、新潟の旅よりも、もっと長かったような、あまりにも多くの事と出会った2日間だった。
 まず10日は京都に寄り、京都大学で量子論を専門とされている小嶋泉准教授に、今回福山で私と共に「この日の学校」の講師を行なう森田真生氏を紹介。小嶋先生は駅近くの大学関連の施設を借りておいて下さったので、約4時間、森田氏と専門性の高い内容でずっと話されていた。私はオブザーバーとして聞いていたが、私からの縁でありながら、およそ私が聴いていても、内容は、2パーセントくらいしか理解できない物理と数学の専門家同士が出会って会話をする光景を、目の当たりにするというのは、実に不思議な思いがした。
 同時に、数学と物理学というのは世間一般の人々が考えているよりも、ずっと分野の異なった学問の世界であることを、あらためて知った。そして、それぞれの世界に向く人達というのが存在するのだという事を、世間一般の人々が大学入試までの勉学の間に知る機会がほとんどないというのは、教育システムに根本的な問題があるような気がしてならなかった。
 つまり、理科教育に全体を見渡した包括的視点が、欠けているのではないかと言うことである。 それにしても、わざわざ忙しいなか我々2人のためにお時間をつくって特別な、教室まで準備頂いた小嶋泉先生にはあらためて御礼を申し上げたい。
 この日、夜は福山に移動。先着されていた佐世保の久志冨士男先生、野元浩二氏と、「この日の学校イン福山」の世話をして下さった夢飛脚のスタッフの面々との食事会。この席上で私は二群の話を同時に聞いていたが、久志先生のネオニコチノイド系の農薬阻止の意気込みは凄い。その久志先生のワバチ(ニホンミツバチ)研究の深さは並大抵ではない。ただ一個人の体験なので研究機関からは冷遇、冷笑されているようで本当にもったいない。
 しかし、事実は何よりも強いのだから、今後おおいに活躍して頂きたいし、一刻の猶予も出来ないネオニコチノイド系農薬反対の問題は社会運動として大いに盛り上げなければならないと痛切に思った。
 一部の農業関係者からの報告では、農協のパンフレットに、ネオニコチノイド系農薬は養蜂業者からの反対が多いので載せてはいないが、効き目が素晴らしいので口頭で農協に申し込んでほしいと呼びかけているという。とにかくハッキリとした有害というデータがないからと、農水省はいまだに放置しているようだが、その昔、ある藩では田の害虫駆除に鯨油や石灰を使うことさえ、藩主がそれが人体に悪影響がないかを十分に調べるように命じたという。「命を守りたい」を連呼する鳩山政権なら、政治家と金の問題よりも重要度が遥かに高いのだから、是非早急に検討して頂きたい。
 11日の、この日の学校イン福山の3回目は、濃かった!当初、かつてない濃さが予想されたのでセミナー崩壊も危惧されたが、流れをみながら、なんとか激流に、参加者をこぼさずに乗って貰い予定のところまで、辿りついた感じだった。スタッフの皆様、お世話になりました!

 しかし私の武術がスポーツに拡がり、教育に拡がり、工学研究に拡がり(ロボット研究など)、伝統技術に拡がり(4月21日は、大工道具などを造る鍛冶職人として不世出といわれた人物、千代鶴是秀について詳しく紹介した本『千代鶴是秀』『千代鶴是秀写真集@』『千代鶴是秀写真集A』の著者、土田昇氏と、朝日カルチャーセンター新宿で公開のトークショー)そして、いま述べた農薬など農業の工業化問題を検討するという活動。(これは、私が武術の道に入った一番のキッカケとなった事なだけにおろそかにはできない問題である)
 このような訳で、私の間口は拡がる一方。いったい私の体はもつのだろうかと自分で自分が信じられない思いだが、昨日なども午後1時から10時くらいまで『この日の学校』の一部と二部。その後、ホテルのロビー、居酒屋、またホテルのロビーに戻ってと、いろいろ話したり動いたりして、ホテルの自室に戻ったのは午前2時半。その後、何だかんだとやっているうち、朝になって結局寝たのは6時過ぎ頃。10時頃まで寝て、大慌てで仕度して夢飛脚のスタッフに森田氏、野元氏に東京から参加の編集者のN氏などと昼食を御馳走になり、そのまま夕方、池袋である私の講義のため、いま"のぞみ"で東京に向かっている。
 そして、明日は横浜の朝日カルチャーセンターで講習会。その後、また個人的な武術の縁で鎌倉方面へ。恐らく帰宅は深夜だろう。そして翌日は千代田区の体育館での講習会。
 さまざまな事で気が張って疲労を感じなくなっているのではないかとも思うが、満六十一歳を迎えて、この2月前半これほど動いてもまだ動ける状態でいられようとは少し前は思ってもいなかった。
 しかし現在多くの方々に、何度言っても言いすぎではないと思うのはネオニコチノイド系の農薬の問題!
 現在は不況で雇用が深刻化しているので、どこかの島に完全無農薬のモデル地区でも作って、志ある人達に移り住んで、そこでの生活で人間が生きる根本的意味をあらためて考えるという、思い切った実験を行なってもらいたいと思う。
 本当は、政治的に倫理を云々するよりも、現実に人が人として人らしく生きていくにはどうしたらいいかを真剣に論じ、その事に人々の主な関心が集まれば倫理問題など自ら解決する事だと思うのだが。

以上1日分/掲載日 平成22年2月14日(日)


2010年2月16日(火)

 先月の31日から2月の9日を除いて、12日まで関西や新潟、広島と、ずっとあちこち旅をし、帰京した翌日12日からも都内や近県の講座に出向いて、旅先よりもむしろハードに動いていたが、それも昨日15日でやっと一区切り。もっとも、その15日も4月21日に朝日カルチャーセンター新宿で行なう公開トーク「日本の道具刃物を語る−千代鶴是秀とその周辺」で対談相手として私が話を伺う土田昇氏と打ち合わせのために、朝日カルチャーセンターの講座担当I女史と共に三軒茶屋にある土田刃物店に伺った。そして、その後は新宿であった小さな講座に出向いて、帰りは深夜となった。
 打ち合わせのつもりで伺った土田刃物店では、ついそれからそれへと興味深い話を土田氏から伺うことが出来て、一時間がアッという間に過ぎてしまった。当日は恐らく会社を休んだり、有給をとってでも聞きに来て下さる方が出ると思うが、日本の職人技の凄さを知るまたとない機会になると思う。

 またとない機会といえば来週23日は東京では初めてとなる「この日の学校イン東京」の開催日です。諸般の事情で時間もあまり取れませんが、会場は十分な広さがあるので、当日の都合で参加出来るかどうか分からない方も、一応参加予定のメールは主催者に入れておいて下さい。
 なお、当日はすでにインフォメーションしましたように、別会場での打ち上げが出来ませんので飲食物をお持ち頂き、この会場の中で「この日の放課後」として打ち上げを行ないます。
 「この日の学校」は博多、福山、名古屋などで、すでに何回か行ないましたが、今回の東京でのスタイルは初めてで、どのような展開となるか多分に未知数なところもありますが、参加される方々御一人御一人が学問とどう向き合ってきたかをあらためて考えて頂く機会となれば幸いに思います。
 そして3月27日は、これも初めてとなる「この日の学校イン大阪」を開催します。詳しい案内はノブレス・オブリージュ.Coのサイトにある「この日の学校in Osaka」のインフォメーションを御覧下さい。

以上1日分/掲載日 平成22年2月17日(水)


2010年2月21日(日)

 本当に冗談ではなく、私だけ周囲の人より時間が倍早く進んでいるのではないかと思う。
 昨日20日も綾瀬の講習会だったが、とにかくさまざまな依頼事や打ち合わせの応答で、出かける前にやる事がありすぎるので、出かける仕度をまずしておいてからと思って出かける1時間前くらいから仕度を始めているのに、仕度中にいろいろと急ぎの用件でやっていなかった事を思い出したりして、結局大慌てで出かけるハメになった。
 気持ちとしては、やりたい事、やらなければならない事の2割ぐらいしか出来なくなってきている感じだ。思えば年賀状も旧年中は1枚も書かず、返信は3枚。少しちゃんとした近況報告の返信をしようと思って1通だけ手紙を書きかけ、23日の「この日の学校」に御招待をしようとしたが、その手紙も書きかけのままになってしまった。
 そうした折、1月の下旬に気づいた「キャスター・風見鶏の原理」と仮に名付けた武術の技と術理の気づきは、やはりこの30年間の武術の研究で最も大きなもののように思えるので、これについて掘り下げてゆきたいのだが、その研究も時間を盗むようにしか出来ない。
 子供の頃、よく「出かける前日に仕度をしておきましょう」と言われていた事がひどく懐かしい。そんな時間があった事が夢のようである。数年前、これ以上忙しくなったらどうなるだろうと思って、現実にそれ以上忙しくなったら大事な用事も落ちるようになってしまったが、今年は大事な用事もつい落ちるというより、大事な用事はハッキリ覚えていても、それに割く時間がなくて精神的にストレスを感じるため辛くなっているように思う。
 もちろん原因は本業の武術研究以外にネオニコチノイド系の農薬とニホンミツバチの事とか、「この日の学校」といった異分野に関わるようになった事が大きいが、ネオニコチノイド系の農薬の問題は手を抜けないし、「この日の学校」も私自身学ぶことが多大なので、これもやめられない。結局どうしようもないのだが、それにしても以前にも書いたが、誰かが私を看視していて、取り敢えず当面の仕事が片付いて懸案になっている用件にかかろうとすると、そうさせないように、すぐにでも対応しなければならない用事を用意して、次々と出してくるような気がする。

 このような言い訳がましい文章も書きたくないのですが、いろいろな方々から頂き物や、お手紙、メールを送って頂きながら、その御礼もほとんど申し上げられないままでいますので、私の最近の状況を書かせて頂きました。醜状をさらして、御礼や、ご連絡を申し上げ泣ければならない方々のご寛恕を乞う次第です。
 23日は「この日の学校イン東京」27日は初めての九州博多での稽古会。そして翌日28日は熊本での稽古会です。私の新しい術理に御関心のある方はどうぞ。

以上1日分/掲載日 平成22年2月21日(日)


2010年2月25日(木)

 今週は次から次へとさまざまな事が展開している。まず2月22日は私の最新の武術の術理を内面に応用することに気づきがあり、これは今後非常に大きな課題になると思う。これに関しては21日に野口裕之先生に個別指導を頂いた事が少なからず影響しているような気がする。
 23日は東京では初めての「この日の学校」。さまざまな点でいままでとは違う状況だったが、その展開もまったく予想外。とにかく時間も少なく、その後の打ち上げ会場の確保も出来ないという事で、「この日の学校」に「この日の放課後」を併せての開催となった。「この日の学校」の本編では、森田氏と私が交互に話しをしたが、森田氏の数学の話に対しては殆ど反応がなかったので、「この日の学校」の本編を10分早めに切り上げ、後は飲食物を摂りながら、お花見的に「この日の放課後」を行なうことにした。
 ここでは森田氏と私が分かれ、私の技を体験したい人達は私のところに、森田氏に何か質問したい人は森田氏のところに行ってもらうという事にした。
 「この日の放課後」が始まると、本編の授業から解放された感じで会場全体が賑わい、私のところに挨拶に来る人、技の体験を希望する人などに私は囲まれ、森田氏も1〜2人に数学に関する質問を受けている様子だったが、10分ほど経つと森田氏の数学の説明に聞き入る人の輪が大きくなり、森田氏も一度落としたマイクを再び入れて、次々と出される質問に全く飲食する暇もなくなっていた。そして、結局会場から追い出される時間の10時ギリギリまで森田氏は喋りに喋り続け、会場を出た後、建物の前でも話し続け、漸く私を迎えに来た陽紀の車に乗ってもらって終了となった。
 終わって、我々も含めて、恐らく参加した方々の多くが感じられた事は、「この日の放課後」こそが「この日の学校」としてふさわしいのではないかという事である。やはり学びというのは一方向性の教える→教わるということより、双方大いに交流するところにあるようである。
 それにしても「この日の学校」を体験した人達は異口同音に「こんな先生(森田氏のような人物)に数学を教われば、数学嫌いになんてならなかったのに…」という感想を口にされている。そして、何か不思議な感動と感想を持ち帰られるようである。中には関東から遠く離れた博多や福山、名古屋まで「この日の学校」参加のため、足を伸ばして下さる方も出始めている。「森田真生」という人物が、現代にあって恐らく他に例のない魅力を放っているからであろう。
 今後の「この日の学校」の予定は3月27日の大阪だが、いままでの経験を踏まえ、より自在な対応の場にしてゆきたいと思っている。
 そして、翌24日は、東京大学でロボット研究をされている國吉康夫教授の御招きで、森田氏を同伴して同大学の工学部の2号館へ。國吉教授は日本のロボット研究を引っ張っておられる方の御一人とのことだが、初めてお会いしたのは確か2004年か2005年、産経新聞の長辻象平氏の御紹介であった。
 今回は、その長辻氏や私の知人でライターのT氏やK氏も見学に来られるなか、國吉先生や院生の皆さんの御要望で、私は最近気づいた技と術理を中心に解説を行なった後、初めてモーションキャプチャーでの動作分析や筋電図測定などを受けた。
 約2時間があっという間に過ぎ、その後國吉先生らと東大近くの居酒屋で打ち上げを行なったが、國吉先生は「我々にとっては解明困難な課題こそ大いにやる気をそそられます」と強い関心を持たれたらしい口ぶりで感想を語られ、「しかし、今日拝見していままでの分析方法ではない、もっと新しい工夫が必要であることが分かりました」等と話が展開していった。私も学者・研究者といった方と話をして、これほど話し甲斐があったのはいつ以来だろうと思ったほどによく話が通ったので、現在私が取り組んでいるニホンミツバチとネオニコチノイド系の農薬の問題などをお話ししたところ、「それはシステムが不完全なんですね」と即答され、「そうか、農薬問題は欠陥のあるロボットが作動している事と同じなのか。それなら自動車のリコール問題のように、その欠陥を広く訴え、現状のような農薬依存型の農業という構造そのものを改革する必要があるなぁ」と思った。
 しかし、なぜロボットなど工学系の研究者の方々は、私の動きに強い関心を示される方が少なくないのに、人間工学などの主に人体を研究している研究者の方は例外もあるにせよ、(私が出会った多くの方々は)すぐに手持ちの知識で私の技を解説しようとするのだろうか。(もちろん、どんどん突っ込んで質問して行けば、やがて言葉につまる結果になるのだが)人間の動きに関する、より深い研究は、どう考えても私はロボットなどの工学研究の分野からの方に未来があるように思えてならない。
 今後、國吉先生とは、より突っ込んだ形での共同研究が可能になりそうで楽しみである。
 ニホンミツバチで思い出したが、この日東大に出かける前、知人のW女史から奄美大島の南に位置する加計呂麻島という「にほんの里100選」に選ばれた島で、大規模な森林伐採が行なわれようとしており、何とかその反対に手を貸して欲しいという依頼の資料が届いた。加計呂麻(かけろま)島は映画『男はつらいよ』の舞台にもなり、風光明媚な島として知る人ぞ知る場所のようだが、「大東海運産業」が「この島の木を伐り倒して紙の材料のチップを生産したい」ということで、島の面積の4分の1の木を伐るというのは、あまりにも乱暴な話である。会社側は島の雇用にも繋がるというが、南の島で照葉樹が多いなら、ここにニホンミツバチを放して採蜜できるようにして、非常に健康的な産業も成り立つかもしれない。ちょうどニホンミツバチに関しては大変詳しい佐世保の久志冨士男先生が、具体的なニホンミツバチの飼い方に関する詳細な解説書『我が家にニホンミツバチがやって来た―ゼロから始めるニホンミツバチ養蜂家への道―』を高文研から来月刊行される予定で、この本の帯文の依頼が私のところに来ている。
 今後こうした可能性も含め、環境問題とリンクさせてニホンミツバチの存在と農薬問題を広く社会に訴えていきたい。

以上1日分/掲載日 平成22年2月25日(木)


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