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2010年5月2日(日)

 東北で意拳の光岡師と本の制作のため、1泊か2泊合宿して内容をつめる予定が、光岡師が体調を崩されて、この予定が流れたので1日早く帰宅したが、帰宅してみると父が体調を崩して寝ている。まあ、この春の温冷浴のような気候の変動が、すでに90歳をいくつか越している父には堪えたのだろう。
 しかし、普段庭仕事をしたり、一人でいる時は留守番をして雑炊なども作って食べている父が寝ていると、別に特別な介護を要するほどではないが、なにぶんにも高齢の事で気になって体を観たりするから、ただでさえ滞っていた用件が一気にストップしてしまった。高齢者というのは、ただ元気いてもらうだけでどれだけ有難いかを身に沁みる。今日になって、ようやく少し落ち着けたので、いまこれを書いている。
 幸い連休で、世間も休みなので、まだマシだが、すでに殆ど校正が終わって送ろうとしていたゲラなども2,3日手をつけられなかった。そのため、私信の手紙やメールはまったく手つかず状態。(「送った筈なのにどうしたのだろう」と思われている方、申し訳ありませんが、しばらく御返事できません)
 それにしても昔、「何とかは生かさぬよう殺さぬよう」という言葉があったが、私も僅かでも予定が空きそうになると、すぐその空きが埋まるという具合で、本当にどこでどうやって私の人生の脚本の書き手は私の物語を創っているのだろうかと思う。
 この忙しさに加えて、庭のタケノコは次々と待ったなしで出てくるので、放置もならず、掘って食べたり、人にあげたり、すでに掘った本数は合計40本を越えたと思う。
 ただ、そうしたなかでも技の気づきはあり、ほんとうに僅かな時間でも稽古はしたいと思い、少しは体を動かしている。

 このような訳で、状況は流動的ですが、企画を相談されている方は是非御連絡を下さるようお願い致します。

以上1日分/掲載日 平成22年5月3日(月)


2010年5月7日(金)

 今日は久しぶりにテレビの収録のため、渋谷のNHK放送センターへ。放送局のスタジオまで行って撮るのは、ずいぶん久しぶりな気がする。
 番組はNHKBSの『にっぽん巡礼』という今年の4月から新しくレギュラー化された番組。阿川佐和子女史と風見しんご氏がナビゲーター役で、私はゲストとして招かれ、そこでこの御二人と共に、新潟の出雲崎と千葉の御宿の海岸に、それぞれ深い思い出を持たれている女性が久しぶりにその地を訪れ、その場所が御自分の人生に如何に大きな影響を与えたかを語られている映像を観て、その印象や私自身の人生観などを語るという、いかにもNHKらしい番組(放映は5月15日とのこと)。
 番組が番組なので、撮りの始まる3時間ほど前にスタジオ入りし、ディレクターやプロデューサーの方々と様々な打ち合わせを行なったが、いざ本番の撮りとなると、映像を観ていてフト思い浮かんだ事などをいろいろ話したので、小1時間は予定を超えて喋ってしまった。
 30分番組で2人の女性の思い出を語る映像が半分以上あるから、私自身が発言している時間は7分も無いかもしれない。したがって、この収録での私の発言の8割は削られると思うが、阿川女史や風見氏が私の話にかなり関心を持って下さったようだったので、話し始めているのを途中で大幅にはしょるわけにもいかず、スタッフの方々には御迷惑をかけてしまったが、まあ何とか話しかけた事は御二人には大体伝えることが出来た。
 それにしても話している間に何度か家を出る前に読んだ『心に残る藤原書店の本』―創業二〇周年アンケート―のなかで、熊本の渡辺京二先生が『生きる意味−「システム」「責任」「生命」への批判』『生きる希望−イバン・イリイチの遺言』というイリイチの2冊の著書を挙げられ、その印象を書かれている文章が思い浮かんだ。
 いまここにこの文章の後半を引用してみたい。
 「あらゆる文明は生の原基の上に、制度化した二次的構築物をたちあげる。しかし、二〇世紀末から二十一世紀にかけてほど、この二次的構築物が人工性・規格性・幻想性を強化して生の原基に敵対するようになったことはない。一切の問題はそこから生じている。イリイチはこの事態を分析・描写した最初の人であり、最期は希望のないことを希望とする境地に至った。私の心境もほぼそれに近い。」
 特に最後の「希望のないことを希望とする境地に至った」という一節は、非常に深い印象を私の内に残した。
 名作『逝きし世の面影』に感嘆し、御手紙を差し上げてから、お付き合いさせて頂くようになって、2年ほど前『中央公論』誌上で往復書簡もさせて頂いた渡辺先生は、最近刊行された『黒船前夜』という大著が再び話題を呼んでいるが、この一文を読まさせて頂いて、また機会があれば対談なり往復書簡をさせて頂きたいと思った。

 父が体調を崩して以来、その対応に追われ、さまざまな企画の御返事等が大幅に遅れて、各方面に御迷惑をかけておりますが、もう来週に迫りました「この日の学校イン博多」、そして翌16日の長崎県佐世保での講習会、また東京では2回目となります今月29日の「この日の学校イン東京」、そして6月3日の京都での稽古会6月4日の名古屋での稽古会6月5日の「この日の学校イン大阪」は予定通り行なうつもりですので、御関心のある方は御参加下さい。
 今は稽古にも時間がとれませんが、わたしの意欲を生み出す源は武術の技の進展ですから、稽古と工夫は続けております。現在は、5月3日に気付きました「平根鏃(ひらねやじり)の原理」など、この文字からは到底連想が難しい技の原理が展開中です。

以上1日分/掲載日 平成22年5月9日(日)


2010年5月14日(金)

 昨日は、箱根仙石原の養老孟司先生の別邸で、養老先生と対談。
 新緑に囲まれた箱根で、センスのいい建物の中、編集者も足立女史、井之上氏、私のアシスタントにN氏、という私が知っている範囲では屈指の陣容で、対談終了後も養老先生は名残り惜しそうにして下さったから、ここ最近の慌ただしい日々のなかで、私にとっても貴重なひとときだった。後で足立女史から、養老先生が「あの人には居てもらわないと…」と過分な御感想を洩らして下さったと聞き、ありがたい事だとしみじみ思った。(この対談は取り敢えず『中央公論』誌の7月に発売される号くらいに掲載される予定である)

 さまざまな事がありますが、明日15日は博多で名越クリニック院長もゲスト出演の「この日の学校」(その前に私の武術の講習会もあったと思います)16日は佐世保で講習会を行ないます。「平根鏃(やじり)の原理」は、今日の池袋の講座でも展開がありました。この原理は、私が言うのもおかしなものですが、もし私が、私が気づく前に誰かからこの原理の実演と解説を受けたら、「ヘェーッ、それはまさに術っていう感じですねぇー」と言ったと思うような術理です。御関心のある方はお越し下さい。

以上1日分/掲載日 平成22年5月15日(土)


2010年5月19日(水)

 15日の朝に出かけて、まず博多で講習会と「この日の学校イン博多」の3回目の講師を務める。今回は、前回も来てもらった名越康文・名越クリニック院長をゲストに迎え、加えて森田真生氏の友人2人も臨時参加という形式は、今までになく新鮮だった。頭の回転が早く、センスのいい若者との会話はやはり刺激的。
 16日は平田、野元両氏の迎えで博多から佐世保に。まず高校のバスケットボール部での実演解説の後、野元家に。照葉樹の衣がえの季節でムクムクとした椎の木の新緑が印象的な国立公園の境の山を目前にした野元家は、素晴らしい立地環境にあり、最近その椎の木の花から集めた蜜が溜まりはじめたという野元家のニホンミツバチの巣箱をまず見学。
 新鮮な野元家の野菜で昼食を頂き、アウトドアでの鉈の使い方、斧での薪割りなどの解説を含めた講習会をしてから、野元家の巣箱から初めての採蜜。採蜜を行なわれた久志冨士男先生によれば、まだ十分巣に蜜は溜まってはいないという事だったが、ミツバチに言い聞かせつつ、素手で顔も全くそのままで箱をつないでいる蜜ろう部分を包丁で切り、一番上段の箱を持ち上げられると、黄金色の蜜が溢れ出る。それを20人以上の参加者が見守っているが、誰も久志先生の「ニホンミツバチは人に慣れてしまえば刺さない」という言葉をそのまま信じているせいか、巣箱のすぐ近くで立っていたが、誰一人怖がっている人はいなかった。一人の男の子などは、久志先生の指導で巣箱の入口から巣の中に素手を入れたが全く刺されなかった。ただ、並んでいる箱の隣の箱にその手をすぐ入れると、その箱のミツバチが隣から盗蜜に来たと思って攻撃されるとの事で、次々と違う巣箱に手を入れる際は、よく手を洗う必要があるそうだ。
 ニホンミツバチの、まさに採れたてのハチミツを巣ごと味わったが、そのスッキリとした甘味はいささかも嫌な後口を残さない。私はずっと禁糖していたため、砂糖を使った菓子をわずかでも口にすれば必ず嫌な後口が残るものだが、それが全くないのは驚く。ただ、本当にナマそのもので、巣も一緒だから、独特の昆虫臭さがある。私などはそれだからこそ一層感動するが、虫嫌いな人は少し抵抗があるかもしれない。
 実地にいろいろな要領も見せてもらったので、帰ったら私もいよいよ巣箱を庭に置いて、分蜂群を持とうかなと思った。
 この日は夕方から夜にかけても講習会があり、それが始まる時はさすがに連日の寝不足で疲れていたが、講習会が終わり、打ち上げになった頃、なぜか元気になってきて、この日も結局寝たのは朝4時頃になってしまった。
 17日は長崎に野元氏運転の車で移動し、剣道関係の方々に私の現代剣道の常識とは違う竹刀の持ち方と捌き方を実演して解説。現代剣道の常識とはずいぶん違う動きだが、今回はそれを承知で集まって下さった方々のため、大変やりやすかった。現代剣道をされている指導者の方のなかにも私のような異端の剣術(現代剣道の世界から見れば)を積極的に学ぼうとされている方がいらっしゃることは、武術の実演と解説をしていて他では味わえない張り合いが出る。やはり私の武術の核が剣術であるからだろう。
 しかし、剣道界は武道界のなかでも最も縛りのキツイ世界であるから、今回の集まりについてもあまり詳しく書くのは控えておこう。ただ少し書いておくと、この集まりで「相手が面を打ってくる時、どうやればより有効に胴を抜くことが出来るでしょうか」という質問に答えようと体を動かして工夫しているうちに、太刀奪りの体捌きがきわめて有効であることに気づいた。
 この日はホテルに入ってからも、しばらく同行の野元氏とホテルの部屋で稽古をして、いくつか気づきもあった。
 そして18日は、そもそも今回の九州行きのキッカケとなった「長崎スポーツ医科研究会」の講師として、長崎市医師会館へ。平日で開始時間が遅いため、講演時間が1時間と短かったので、私も気がせいて、かなり熱くなって喋ったように思う。ただ、かなり過激になってしまった私の言説であったにも関わらず、大変に熱心に耳を傾けて下さった方が何人もいらした事はありがたかった。
 今回は、博多では例によってセイントクロスの大塚氏にいろいろお世話になった。この場を借りて、あらためて御礼を申し上げておきたい。
 その後の日々は何といっても佐世保の野元浩二氏に最もお世話になった。なにしろ忙しい仕事をやりくり算段されて、3日間私のためにまるまる使って下さったのだから。しかし、大きな少年のような野元氏は本当に私と過ごした3日間を楽しまれ、「どんな娯楽より先生と稽古している時が一番楽しかばい」と、芯から嬉しそうにされていたから、私としても気が楽だった。
 また、自称「アホ野元」と言われているが、私の技の話などに関しては豊富なメカや農業の知識を駆使して質問をして来られるので、それが適切な私の技の補足説明になるというよりも、質問をしながら野元氏から出された譬えの方が私の技を適切に表現している事が少なくなかったりする。
 特に今回は、私の最新の技「平根鏃の原理」は、「それは可変翼のあるF-14トムキャットですね」と、より適切な解説を聞かせてもらえたので、私の連想範囲が更に拡がった。お陰で18日の夜は、講演と打ち上げが終わって長崎駅前のホテルから佐世保に帰る前の野元氏と私の部屋で行なった稽古で、「波之下」に関していままでにない気づきが得られたので、私も最後の最後に思いがけない土産を作れたし、野元氏にもその出来たての土産を持って帰って頂けたのは幸いだった。
 野元氏のような人物は、昔の日本には全国至るところに居て、欧米人を感動させたのだろうが(渡部京二先生の『逝きし世の面影』を読むと、つくづくそう思う)、現代ではこのような日本人がいまや絶滅危惧種になりつつあるのは何とも残念なことだ。この野元氏のような人物こそ最も子供達を教育するのに向いている人材なのだと思う。そのことは「この日の学校」を共に行なっている森田氏とも折りに触れて話していることである。
 野元氏が今後ますます活躍されることを心から祈りたい。

以上1日分/掲載日 平成22年5月20日(木)


2010年5月20日(木)

 久しぶりに桜井章一・雀鬼会会長からお電話を頂く。最近『マイナー力』を刊行され、そこで人間の欲の問題についてもいろいろ述べられていたから、お話ししていると、ついつい電話が長くなり1時間を超えてしまった。
 この桜井会長からのお電話の時にも話したが、現在宮崎県で猛威を振るっている"口蹄疫"について、その根本に人間の少しでも安く効率よく食肉を得ようという欲が働いていることの問題については、マスコミはまったく論じようとしないが、問題の一番の本質はそこにあると思う。
 元々、日本は牛や豚などを一般的には食べる習慣がまったくないまま千年以上経過した国である。幕末、外国人が日本に来るようになって、食用として牛を欲しがった時、日本側は初め容易にその求めに応じなかったという。それが明治維新後、欧米に憧れ、牛なども食べるようになった訳だが、食料の生産効率として見た場合、食肉はきわめて不経済な農産物である。飼料にも飼育にも金も手間もかかり、さまざまに厄介な問題も生む。
 現にいま流行中の口蹄疫による牛や豚の処分の現場は、おそらく地獄絵図だろう。殺された牛が食肉として役立てたてるならともかく、ただ埋められ、その埋めるのも間に合わないというのだから、一層悲惨な光景になっているようだ。現場の人は寝ても悪夢にうなされるのではないかと思う。
 私は、殺生を禁じた仏教各派が、このような悲惨なことのないよう畜産というものの在り様を考え直すべきだという意見を、積極的に言うべきだと思う。なにしろ仏教はキリスト教と違い、人間以外の生き物の命に対しても、それをむやみに殺さないことを教えとして説いているのであるから…。
 このままでは無為に殺された牛や豚達の怨嗟の声ならぬ声は、九州南部に満ち満ち、そうした暗く沈んだ空気が、これから日本中に拡がって来るような気がする。とにかく無理に無理を重ね、何もかも経済原理で動いているこの状況を何とかしないで、言葉だけ明るく使って内実をごまかしても、ますます罪を犯しているような気がしてならない。
 肉を食べたいなら、現在増えすぎて困っている野生の猪や鹿を無駄にせず、牛なら無理な育て方をしないで、畑作には不向きな所で作った牧草を食べて育った牛などを食べればいいと思う。当然価格は高くなるだろうが、高くなればそうした肉を食べてややこしい病気になる率も減る。何しろ百数十年前までの日本ではほとんどの人間が、そうしたものを食べないで日々暮らしていたのだから。現在の畜産の在り様を見直したら、四割近いという子供のアレルギーもずいぶん減るだろう。
 現在の人間の欲まみれを前提とした資本主義社会を何とかしないと、ますますひどい事になりそうである。だからといって、社会主義、共産主義はまた問題が多いし、まったく新しい社会形態を真剣に考える必要がありそうだ。
 そう思っている時、荒川修作氏の訃報を知る。私がいままで知り合った人物のなかで既成の価値観ということに、あれほど遠かった人もいなかった。松聲館道場にも来られた事もあり、何度かお会いしたが、とにかく「先生」とか「さん」とかいう敬称をつけにくいほど突出していた人だった。どういう事かというと、つまり織田信長や坂本龍馬に普通敬称をつけないのと同じで、同時代を共に生きている人間という感じがしなかったからである。そのため、私や名越氏などは荒川氏を話題にする時は、常に「荒川修作」と敬称なしのフルネームを使っていた。それだけに、その死去の第一報を耳にした時、驚いたが、その死を悼むというような月並みな感情を持つことは、氏に対して申し訳ない気がしたのである。これは人の死の形態としては見事な形のひとつと言うべきだと思う。

 29日の「この日の学校」では、私と共に講師を務める森田真生氏も荒川修作氏と浅からぬ縁があったようですから、この稀代の人物「荒川修作」についての話も出ると事と思います。御関心のある方はどうぞ。
 九州に出かけて5日間ほど留守にしていたせいか、今日はさまざまな企画の相談やら日時の確認やらで電話やメールが午前、午後、夜と十数件入って来たので、片づけなどが殆ど進まなかった。
 このような状況ですが、約束したものを忘れていては申し訳ないので、私に何か依頼されている方は、どうぞお電話で御確認下さい。

以上1日分/掲載日 平成22年5月21日(金)


2010年5月24日(月)

 23日の日曜日に多摩美術大学で、多摩ミツバチプロジェクト主宰のニホンミツバチに関する講演が『我が家にミツバチがやってきた』の著者、久志冨士男先生によって行なわれた。そして翌日の今朝、久志先生は多摩ミツバチプロジェクトの方々と来館され、私の道場の辺りにニホンミツバチの巣箱を置くにはどこがいいか、また巣箱の入口はどの方向を向ければいいかを教えて下さった。
 私の家の庭は、昔の武州三多摩の野山の植生が、かなりそのまま残っているから、うっそうとした感じがあるのだが、ニホンミツバチの巣箱は、ミツバチがオオスズメバチから襲われるリスクを減らすため、蜜や花粉集めから帰ってきた時、巣箱に一気に飛び込めるように巣箱の前は眺望が開けているところがいいらしい。
 久志先生は、まず近隣の植物を調べ、私の家の周辺の蜜源植物の状態からいって、木をかなり伐り払ったら、「五箱は置けますよ」との事だったが、私はうっそうとした木々に囲まれているからこそ生きていけるので、優先順位はやはり木のほうだ。しかし、多少は下枝なども伐り払って、いま用意されている一箱と、もう一箱ぐらいは置きたいと思う。
 佐世保の野元家で体験したが、ニホンミツバチは簡単に人に慣れ、「手乗りミツバチ」になるし、巣の中に手を入れるとナマ暖かい感触が楽しめそうだ。ただ、機嫌を悪くしていないか、常に羽音に注意することは必要なようだ。
 まあ蜜は採れたら採れたに越したことはないが、私の場合はニホンミツバチに巣を提供するのが第一目的だから、のんびり行ないたいと思う。ただ、オオスズメバチの襲撃だけは注意しなければならないだろう。
 ここ最近は、とにかく時間が無いなか、無理にでも時間を作って、いろいろな原稿を書いているため、技の進展具合があまり確かめられないが、どうやらまた変わってはきているようだ。

 私の現在の動きに御関心のある方は、もっとも近いところでは28日の朝日カルチャーセンター湘南の講座があります。また29日は「この日の学校イン東京」が、31日は江東区で音楽家講座があります。ここでも新しい技の進展については触れることになると思いますので、どうぞ。そして関西では、3日の京都に続いて、4日も名古屋では稽古会を行い、5日は大阪で「この日の学校」があります。「この日の学校」は最近また進展がみられる森田氏の講座の展開ぶりも見ものでしょう。スペシャルゲストの参加もありますから、来られた方は必ず得るところがあると思います。
 学ぶという事が入学や入社試験の為とか資格取得といったためではなく、人として現在をより納得のいくように生きていく為に、という事こそ本来の学びの意味だと思います。御縁のある方の御参加をお待ちしています。

以上1日分/掲載日 平成22年5月25日(火)


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