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2010年7月1日(木)

 まだ、旅の疲れが残っている感じは拭えないが、溜まっていた諸用に、ようやく頭も回り初めてきた。ただ、そうなると用件を次々と思い出してきて、どれから一体手をつけようかと考えていると新しい依頼が入ってくるという、最近の日本での日常が始まりだしている。
 7月に入って、近々で一番大事な企画は福山での「この日の学校」のスペシャル編だと思う。これは昨年まで名越康文・名越クリニック院長と私の2人で講師を務めていたセミナーだったが、今年は森田真生氏も加わって、3人で講師を受け持つという新企画になった。場所もリゾートホテルの「ベラビスタ境ガ浜」ではなく、福山駅のごく近くにして宿泊形態も変え、参加される方が参加しやすい形にしてある。
 すでに定員に達していたが、私が欧州に行っている間に若干のキャンセルが出たらしい。
 御関心のある方は、このセミナーを主催している夢飛脚にお問い合わせ下さい。

以上1日分/掲載日 平成22年7月2日(金)


2010年7月5日(月)

 最近、私の技や発言が、私以外の人の手で活字になっている例がいくつか重なっているが、人に何事かを解説したり伝えたりする事の難しさをあらためて感じる。
 例えば、私は2年前から刀の柄を持つ時、両手を寄せた状態で持つようになっているが、これはその方が、操刀が速やかになるためだが、それが、ある新聞で「敵に動きを悟られない合理的な構え」である事が分かったからだと解説されていた。
 また、最近出たある武術を科学的に解説した本で、私の行なう体術の「浪之下」(両手を持たれた状態から一気に下へ相手を崩す技)は、何か強大な力が働くように解説されていたので、「下へ崩す場合は、私がどれほど力があっても体重以上の力が出ないので、そういう力ではないと思いますから」と断って、ゲラの段階でその掲載を止めてもらったが、実際に刊行された本の中でも、「そんなふうに私は説明したかなあ?」という所があり、首を傾げさせられた。この著者の方など、かなり私の技を理解されているところがあると思っていただけにガックリきた。
 この他にも、あるスポーツ選手の本では、私が言った言葉として、私がかつて交流のあった方の言葉が紹介されていたり(それも多少間違って)等々、聞く側というのは、自分に関心のあるところばかりをトリミングするようにして、自分の中に深く印象づけるものなのだという事をあらためて思い知らされる。
 少し前だが、私が大変お世話になり、現在もいろいろと御厚情を頂いているU先生なども、ある雑誌である方と対談されている中で、「甲野先生は師弟関係を基本的に否定していますから…」と書いてあり、「そんなふうに見られていたのか」と少なからず驚いた。私が会を解散したのは空疎な権威化をされることを避け、より自由な展開をしたいと思ったからであるが、「これと思った方を師として深く尊敬する」という事に関しては、人並み以上のものがあり、これぞと思った人に対しては、恐らく寝言の中でもその人を師と仰いで「さん」付けでは呼ばないと思うから、U先生のこの言葉には、一瞬戸惑って「いや、それは違いますよ」と、その雑誌の中のU先生に向かって言っていた。もっとも、U先生はごく最近出された鼎談共著の中でも「U先生は人の話を全然聞いていない」という意見を御自身でも認められているから、まあ、こういう誤解は頻繁に起こるのかもしれない。
 確かに、ある事柄を初めて聞いたり知った人は、その言葉や現象の新鮮さに驚いて、それがどういう経過で生まれてきたか、どういう術理かということについては、自分なりの印象が先行して、つい自分の思いがふくらんでしまうのだろう。
 まあ、数多く人と接していれば、どうしても避けられない事だが、私もまたそのような事を行なっているかもしれない。「人のふり見て我がふり直せ」とは言い古された言葉だが、私も最近、以前にくらべ記憶力も落ちてきているので注意したいとおもう。

以上1日分/掲載日 平成22年7月5日(月)


2010年7月6日(火)

 ヨーロッパから帰国して一週間、今日、音楽家の人達を主体とした講座らしい講座を、帰国後初めて行なって、ようやく通常の体力になってきた気がする。そして、感覚も日本に馴染んできたが、そうなると、まるでその様子をどこからか見ていたかのように、さまざまな用件が降ってきて、大変な状況になってきた。
 今日は新宿での講座の前に、バジリコで刊行された『身体を通して時代を読む』(内田樹共著)が、この秋に文庫本として文藝春秋社から出ることになったのだが、その校正済み初校ゲラを担当のO氏に渡し、一緒に講座に向った。ただ、O氏と会う前に、ある企画のDVDの打ち合わせを同じ新宿の喫茶店で行ない、ここに向おうと家を出る前に、『響き合う脳と身体』(茂木健一郎共著)の文庫本化の話が新潮社から入ってくる。そして、その前は文春文庫に解説を書いて頂く予定の國吉康夫先生に特別講師をお願いする企画の相談が来て、その件でいくつかのやりとりをして、國吉先生に連絡をする。ただ、そうした最中も、目前に迫ってきた10月からの福山での「この日の学校」の荷作りをするが、これらの用件で中々進まない。しかし、この荷物は明日には出さねばならないから、今夜も寝るのは遅くなりそうだ。
 その上、新宿での講座が終わって帰宅途中に池田清彦先生から、池田先生が常連で御出演のTV番組のディレクターに「つい先生のことを話してしまいました…」という連絡が入る。「ええっ」と思うが、池田先生から直に連絡を頂いてしまったので、取り敢えず御返事をしなくてはならない。あと、先日来ていた「鉄の会」の案内にも、世話人の岡安鋼材の社長に返事の電話をしようと3日前から気になりながら、気がつくと他から電話が入ったり深夜だったりで、まだしそびれている。
 また同様に、先日少人数の場でトークを行なった、小池統合クリニックの小池医師からもメールを頂きながら、返信をと思いつつも、ついつい日を送っている。その他、二子玉川のT女史への連絡も極めて優先順位が高い用件であるにも関わらず、何日も電話しそびれ、今日電話したらお休みとの事。明日は、このT女史と岡安社長、小池医師には絶対に連絡をしなくては…。
 そして、気になっていた大宮のK先生への御礼は今日出せたが、他にもいくつか手紙やメールが届いていた。その中にあった『奇跡のリンゴ』の木村秋則氏との対談が来夏に決まったとの知らせは印象深かったが、返信を出したかどうかの記憶が曖昧なので確認しなくてはならない。
 自分のサイトとはいえ、こんなに細々と書き連ねたのも、「随感録に書くぞ」とテンションを上げないと、自分の記憶再生装置の出力が上らないからであるが、それと、こうして書いておけば、まだ抜け落ちていた大事な用件の連絡が入るかもしれないと思うからである。
 とにかく、ダブルブッキングは怖い!
 こう書いていて、まさにいま、今日電話で大阪の稽古会を10月16日に仮決定した事を思い出した。「良かった!」
 しかし、油断は出来ない。何か私と「約束した筈だが」という方は、数ヶ月先の事でも必ず御連絡下さい。何しろ帰国後しばらくの間は、頭があまり働いていませんでしたから…。
 しかし、こんな状態でも、いま時間を盗むようにして、十年以上ぶり位に書き下ろしの本の原稿を書いている。もう8万字くらい書いただろうか。私も六旬を越えたので、もう言いたい事は言っておこうと、いままでで一番率直な私の思いを書いているのだが、それだけに見ようによっては過激な本になってきている。「是非、原稿を読ませて下さい」と編集者数氏には申し出て頂いているが、どういう形で出るかは、まだまったく分からない。300枚12万字ぐらいを越えたら本格的に版元も考えたいと思うが、いまは書くだけで精一杯である。

以上1日分/掲載日 平成22年7月7日(水)


2010年7月8日(木)

 ヨーロッパから帰国してボーッとしていたうちはいいが、次第に我に返って日本での今の私を取り巻く現状を認識し始めると、あまりにやる事が多くて、それでいて何か始めると妙に集中するため、忙しいというより大変忘れやすくなっている。とにかく、あれもこれもと、やる事が絶え間なく、しかも何かをやるために、それに必要なものを取りに別の部屋に行くと、そこでやりかけの何かを思い出し、そっちの方に関心が移って、元いた場所に戻ってきても、なぜ先ほどその席を立ったかも忘れてしまうようなありさま。(以前ならさすがに元いた所に戻れば、何をしに行ったか思い出すが、今はそのまま別の仕事に突入しがちだ)
 こういった状況であったが、今日、私が30年前に注文して、1981年の夏に出来上ってからは10年くらい佩刀として使っていた延壽宣次二尺四寸六分の柄が出来て来ることは忘れなかった。思えば、ここ15年くらいは同じく延壽宣次作二尺六寸三分と長目の刀を使っていたが、これは研ぎかけで研師の鈴木泰平氏が亡くなってしまい、そのためずっと改正名倉研までの研ぎかけの状態のまま使っていたのである。この間、この刀を研ぎに出そう出そうと思いつつ、代わりの延壽宣次二尺四寸六分の刀の柄を新しく作り直しかけたまま、ずっと手をつけられなかったのである。それが、今年の5月に、もう私自身で柄を作るのは無理と悟り、信州の江崎義巳氏に作り方を説明して作ってもらう事にしたのである。
 柄の木の下地は出来ていたが、鮫着せから柄巻まで、江崎氏には、まるで初めての事ばかりを何とか仕上げてもらい、今日私に届けるために来館の運びとなったのである。出来上がった柄は、本当に苦労の跡が偲ばれるものであったし、久しぶりにずっと使っていた刀より二寸ほど短い二尺四寸六分は、ずいぶん短く感じられて初めは戸惑ったが、不慣れな江崎氏が失敗したという所を作り直したりしたりしているうち、妙に私の身体全体に滲み通るように入ってきて、10年以上前に菜種油で約80度で数時間煮たまま漬け込んであった目釘用の真竹材を新たに削って差し込み、あらためて抜刀したり振ったりしていると、何かこれから「私の身辺も変わるな」という妙な予感がしてきた。
 しかし、それにしても本当によく忘れる。(もっとも忘れないと精神がもたないのかもしれない)今日は久しぶりにカラッと晴れたので、カビ臭くなる直前の紺の袴を洗濯し、屋根に登って干したが、時間がもったいないので、熊本のM女史にメールしてあった原稿の口述校正を、袴を干しながら行なう。2つ同時に達成感のあるこんな仕事をやっていると、一層ものの見事に他の用件は忘れる。
 以前、熱烈に名越クリニック院長に「ツイッター」を勧められたが、私の乏しい、こうした分野の知識では、とても出来そうもないし、誰かに教わっている時間もないので、そのままになっているが、「ツイッター」でつぶやいていれば、重要な用件は私が忘れていても誰かが連絡をとってきてくれるかもしれないと思った。
 ただ、技が、いままでにない内面的方向から大きく変わりそうな状態なのに、稽古している時間も取れないのは辛いが、現状では仕方なさそうだ。
 そういえば昨日、『中央公論』の最新刊が来て、今日見たら5月に養老孟司先生と箱根の養老先生の山荘で行なった対談が、ほぼ巻頭に大きく出ていてビックリした。この『中央公論』8月号は一般書店での発売は10日になるらしい。御関心のある方は御覧になって下さい。

以上1日分/掲載日 平成22年7月9日(金)


2010年7月13日(火)

 7月10日は5時起きして福山の「この日の学校in福山」のスペシャル版へ。これは昨年まで2回、毎年夏に行っていた名越康文名越クリニック院長と、私のセミナーに、今年は森田真生氏も含め、3人で講師を務めることになったもの。参加者は、遠くは新潟からわざわざ来られた。昨年もそうだったが、名越氏は夏風邪で体調は絶不調。しかし、セミナーが始まると全くそれを周囲に感じさせないテンションなのはさすがにプロだ。森田氏の展開のさせ方もいっそうの切れ味を感じさせられた。私はというと、ごく最近展開し始めた精神、内面の術理について、その変化がいまだかつて体験したことのないものなだけに、なんと説明していいものやら、なかなか口がまわらず、もどかしい思いをしたが、その私の変化に最も関心を示したのは講師の森田真生氏だったと思う。10日の夜も11日の夜も、その日の予定がすべて終わってホテルの部屋に引き上げてから1時間くらいはその術理の検討を行っていたと思う。
 それにしても、今まで身体の使い方については随分と色々な試行錯誤を行ってきたが、その身体の使い方に必ず関わっていた精神というか、認識の仕方について、あまりにも工夫、検討を行っていなかったとつくづく思った。もっとも、時期の来ないうちにこうしたことについてなにかやろうとしても、座禅や呼吸法のまねごとのようなことをするだけで終わっていたような気がするから、今からがちょうどその時期なのかもしれない。
 ただ、これからは私の講習会等での解説の仕方がかなり変わるかもしれない。今月はこの後、14日の東京武道館15日のNHK文化センター青山24日の博多26日の佐世保28日NHK文化センター横浜ランドマーク等で講座や稽古会がありますが、ご関心のある方はお問い合わせください。

 今回も福山では、岡崎女史はじめスタッフの方々にはたいへんお世話になりました。改めてこの場を借りてお礼を申し上げたいと思います。

以上1日分/掲載日 平成22年7月12日(月)


2010年7月18日(日)

 朝から雲がほとんどない青空。今年初めて感じる典型的な夏の日。ようやくミンミンゼミとアブラゼミの声を今年初めて聞いたが、なんだか今年は昨年のようなすさまじい蝉時雨を聞くことができないかもしれないと思うほど、その夏の空には既にかすかだが秋の気配があった。しかし子どもの頃の記憶が蘇るのは、なんといっても夏が一番だ。人見知りでセミやカブトムシばかり追いかけていた子どもの頃のことを他のどの季節の時よりも鮮烈に思い出す。あの頃は一日が長かった。しかし、今日は昨夜3時過ぎに寝たが、なぜか7時半に目が覚め「これはいい」と洗濯やら片付けやらやっているうちに、たちまち来客予定の11時になり、あとは例によって時間が早送りのような、いつもの状況。しかし、昨日今日で技の進展はまた新しい道へと踏み出したことがはっきりした。
 だが、そのために返事すべきところへの手紙やメールは相変わらず数十件たまり、全く解消されていない。その上、今いくつかの企画で追い回されている。
 と、ここまで昨日二子玉川の野口裕之先生のところへ伺う途中書いておいたのだが、その後名越康文氏と共に伺った野口先生のお話のすさまじさにしばらくは何もできないほどうちのめされた。
 人間の力量とか、頭がいいとかは一体何なんだろうとつくづく思う。ふと見た新聞広告に、『格差社会を生き抜く勉強法』と題して有名大学に受かる方法を宣伝した広告が載っていたが、こういうことを考えていられるのは、ひょっとしたら幸せなのかもしれない、と思った。「分不相応なことに気がついちゃって」という野口先生のコメントに強く気持ちが動いたが、その核の部分が何なのかはついに語って頂けなかった。ただ、そこにつながることと思われるお話だけで、野口裕之先生が抱えられている人間としての比類ない孤独さは、先代の野口晴哉先生よりも大きいと心底思った。能力があることと、幸福感とは全く比例関係にないことをあらためて感じさせられた。しかし、気づいてしまえば見て見ぬふりはできないだろう。今後野口先生がどのような道を歩まれるのか全く想像もつかないが、とにかくご自身がより納得できる道を歩んでいただきたい、と言う以外に、長生きをしてください、とはとても言えなかった。よく世間ではすばらしい人、すごい人がいて、叶わぬまでもその人に少しでも近づきたいなどと思うものだが、野口先生の場合は、そのあまりにも常人とは異なる発想力と感性の凄さに、近づこうとか、あやかろうとか人々に思わせないところが、全く異次元の人だ。本当にああいう人をどう評したらよいのか、もう言葉がでてこない。

以上1日分/掲載日 平成22年7月20日(火)


2010年7月22日(木)

 こんなに暑い日が続いているのに蝉がほとんど鳴かない"沈黙の夏"だ。全くいないわけではないが、ごくたまに鳴く程度。一体どうなっているのだろう。
 それにしても、どうして?というほどやることが山積み。しかも、実にいろいろなところから依頼が来る。例えば、いまは『週刊新潮』の『週間食卓日記』を引き受けて書いている。しかし、禁糖やら、野生動物は冷蔵庫を持っていないから、食料調達に行く前に腹ごしらえなど出来る訳がなく、従って「朝食をしっかり食べろ」というのはおかしいと自説を展開しているので、この食事の採点者の荒牧麻子女史も採点に困るだろう。
 明日明後日は九州博多、そして26日は佐世保、それで帰宅した翌日の28日はNHK文化センター横浜ランドマーク
 とにかく最近の私の技の展開は、いままでで一番説明しにくいので、御関心のある方はこれらの講座に来て体験して頂くしかない。

以上1日分/掲載日 平成22年7月23日(金)


2010年7月25日(日)

懐庵道場開き

 先日この随感録で、子どもの頃は一日が長かったと書いたが、一昨日7月25日は何十年ぶりかに少年の日を思い出すような長い一日を体験した。この日は10時近くに博多のホテルから糸島へ車で移動して、11時近くに椎や樟や樫に囲まれた山荘に到着。その一棟を森田真生氏の数学道場「懐庵」として新しい学問の在り方を、これからの時代に問う道場開きがこの日行われた。
 まず、「懐庵」の文字を、欅の板(一寸ほどの厚みに斜めに玉切ったもの)に揮毫することから始まった。約30人の参加者が墨をすり、森田氏からの依頼で私が筆をとった。使った竹筆は11年前、映画「御法度」の題字を、先日亡くなった大島瑛子女史からの依頼で私が書いたおりに大島女史から贈られたもの。
 揮毫の後は、近くの平尾氏宅で昼食。そこに並んでいた料理の種類の多さと、仕上がりの見事さに感激したが、驚いたことにこれをほとんど一人で作られた平尾夫人は、料理に関してはテレビなどを参考にして作られたという全くの素人。改めて現代は、素人で思い入れのある人の方がほとんどのプロよりもいいものを作るという時代になっていることを改めて感じた。それにしても並んだ料理のバラエティの多さと、レベルの高さには改めて頭が下がった。世の中には隠れた達人がいるものである。
 その後は薪割り体験会。今回の道場開きのイベントのプログラムについてはほとんど聞かされていなかったが、薪割りならば私も滅多に引けを取らない自信があったので、自然と私と佐世保の野元浩二氏が講師となって体験会を行った。
 森田氏も参加して初めての薪割りにも関わらず、身体能力の高さを証明。後半は分かれて、森田氏は、懐庵で初めての数学の講座。私は薪割り指導を続ける。
 このあたりから連日の寝不足とハードスケジュールにもかかわらず、私の身体が全く疲れを感じなくなりはじめた。薪割り体験会の後は参加者全員、何台かの車に分乗して、海岸のレストランへ。ここで夕食と森田氏の挨拶。その後福山の東福院金尾住職と、森田氏のトーク。森田氏との「この日の学校」を昨年9月福岡と福山でスタートしてから、まだ1年経たないうちに、想像を超えた展開があって、今これだけの人たちがここに集まっていることを思うと感無量。
 元は私が森田氏を世に出そうと企画した「この日の学校」だが、私が思いついたというのは単なる形の上で、私が歴史の一コマの端役を割り振られ、ただその役を務めたに過ぎない、ということを強く感じた。これは私の長年のライフワークである「人間の運命は完璧に決まっていて、同時完璧に自由である」ということの自覚が以前よりは多少は進んできたのだろう。
 それにしても、挨拶に立った森田氏のスピーチにこの1年の森田氏の成長ぶりを感じ、目を見張らされる。
 この後「懐庵」道場開きのイベントはいよいよクライマックスへ。レストランでのイベントの後、ふたたび「懐庵」に戻り、そこでウィリアム氏による倍音のワークショップ。これで参加者が日常性から非日常空間への切り替えがある程度整ってきた。その後、糸島全景を見下ろせる近くの山へ全員で移動。車で行けるところまで行って、後は、かなりの急傾斜を数百メートルのぼり、その山頂でウィリアム氏が素数を独特の節回しで読み上げる声を伴奏に、山田うん女史が踊る。遠く海岸からは、金尾住職の法螺貝の音。満月が照らす深夜の山頂は、完全に異空間となった。そのためだろう、私も思わずうん女史とコラボで舞った。あんなふうに体が動いたのは、ピナバウシュとブッパタール舞踏団の団員にワークショップをして我知らず体が動いて以来だと思う。すべての予定が終わった時は、日付はすでに26日。参加者全員この日のことは今後長く記憶にとどまるに違いない。森田真生氏の類い稀な才能と、それを支援する人々との縁の不思議さをあらためて思った。特に、山荘の一棟を「懐庵」に提供してくださった飯野史朗氏のご好意は単なる好意を超えている。「この日の学校」創設者の一人としてあらためてお礼を申し上げたい。
 それにしてもセイントクロスの大塚氏の我々(森田氏と私)への熱の入れ様はただごとではない。なんとかこれ以上大塚氏に負担がかからぬ様考えねばならないと改めて思った。

 8月8日の「この日の学校in大阪」は、この道場開き後、初めての「この日の学校」となります。おそらくは今までとは違ったオーラを発しはじめた森田氏の姿を最初に見ることができるイベントになると思いますので、ご関心のある方はぜひお越しください。

以上1日分/掲載日 平成22年7月28日(水)


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