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2002年2月5日(火)

久しぶりに出かけず人も来ず、終日家にいたが、約8時間は電話で話をしていただろう。その中で約半分は出版社の編集者との電話。ハッキリとは思い出せないが5社くらいの編集者と電話したように思う。内容は企画の打合わせと相談。今でも首がまわらないほど本の企画を抱え込んでいて「これ以上抱えてどうするんだ」と思うが、企画を考えるのはなぜか好きな為(多分企画で話しているうちに、いろいろ思いがけぬことを気づくからであろう)、話が来るとどうしても乗ってしまう。しかし、これにも限度があるだろう。

3日の日曜日、チェンバロやフォルテピアノなどの古楽器の修復と調律のスペシャリストである池末隆氏のお招きで、伊藤深雪・朝倉未来良の両アーティストによるコンサートに出かける。伊藤女史、朝倉氏は共に一度池末氏の案内で松聲館に来られたことがあり、私も約200年前の作という伊藤女史のフォルテピアノ、朝倉氏のフルートの音を聴きたいと思っていたので楽しみにして出かけた。
千駄ヶ谷の津田ホールの舞台中央に据えられたフォルテピアノは細りとした鹿を思い浮かべる姿で、ニレの木の赤味がかった茶色の立ち姿がピアノに比べ装置というより楽器という雰囲気を醸し出していた。
会場では、この春池末夫人となる予定のM女史と一緒になった。思い巡らせればM女史と出会ってちょうど1年と少し。この間M女史の車で乗せていただいた距離は数百qになるだろう。といっても回数は数回だからその1回1回がかなりの長距離だったと云える。その中でも最も印象深いのは熊本から元宇佐に行ったこと。どうもあの元宇佐行き以後、私のなかの変化が激しい気がする。どう考えても、とても僅か1年の縁とは思えない。池末氏とユニークで暖かい家庭を築かれることを心から祈っている。

>最近は並列処理と単線上の時系列的変化との関連について関心の出てきている私にとって、今回のコンサートはどうしても私が向き合っている武術の技との関連で聴いてしまう。ただ何ヶ所かそうしたつもりで聴いていても思わず聴きほれるところがあり、音楽というものの力をあらためて思った。
しかし最近再び音楽に関心が深くなって来たのは、今も書いたとおり技との関連が一番大きいだろう。というのも2月2日、少し以前から考えていた力の貫通に関して今までにない進展があったからである。その原理は簡単なもので、車が急停車したり何かにぶつかって止まったりしたら、車の中に乗っている人間が激しく前方へ飛び出そうとする働きを応用したものである。なぜこんな簡単な事に今まで気づかなかったのかと思うが、やはり縁が熟すかどうかということであろう。
今回の気づきのキッカケは岡山の小森君美先生から少し前に突きに関しての考察をうかがったお蔭。あらためて小森先生に感謝の意を表したい。
この原理については、これから1週間ほどの間、毎日のように稽古や講座で動きを試みる機会があるので、そこで試してからあらためて報告することにしたい。

以上1日分/掲載日  平成14年2月8日(水)


2002年2月21日(木)

ここ1週間ほどの心身の状態は、今までちょっと体験したことのないハードさだった。忙しいことも忙しかったし、体調を2日ほど崩したこともあったのだが、何だか次々と起きてくる状況に対応する能力がオーバーヒートした感じだった。
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昨日20日は、雑誌『AERA』の写真撮りがまずあり、その後、夕方からは朝日カルチャーセンターでの講座があり(90人近くの受講者が集まった)、かなり疲れた。

そして今日21日の日中は、久しぶりに来館していた信州の江崎氏との稽古を行なった。
その後、この日は夕方から恵比寿稽古会があったのだが、明日22日からは関西行きが始まるし、その上少々熱っぽくもあったので、恵比寿ではなるべく消耗しないように稽古しようと思い出かけた。
しかし行ってみると、アメリカンフットボールの選手3名(内1名は体重が135kgで、私の倍以上)の方達をはじめ、初めて来られた方々が多く、とても低速運転できる状況ではなかった。
また、稽古後は喫茶店には寄らず早く帰宅しようと思っていたのだが、私自身の技の状況を整理したかったこともあり、ついつい誘いに乗り結局1時間ほど皆と話したため、帰宅は深夜0時をまわりそうだ(今、電車内でこれを書いている)。
帰宅後は、明日の関西行きの用意や合気ニュースの原稿の仕上げ、そして道場の片付けをしなければならない。

何だか状況という覚醒剤を打って身をもたせているようで不安だが、これも定めと思い納得するしかないようだ。
まあそれでも、今日アメフト選手の方達と手を合せることができたので、明日の為には役立ったと思う。なにしろ明日は、昨年日本一をとった関西学院大学アメフト部の選手達が待っている。
しかし、今月2日に気づいた、容器を止めることで中のエネルギーを出す動きが、アメフトの選手との対応でもそれなりに使えるようになってきたのは幸いだった(もっとも明日はどうだか分からないが…)。
とにかくスポーツ関係者は役に立たなければ2度と鼻もひっかけてくれないほどハッキリしているし、ルールの許での限られた状況下での動きは゛動きの質゛という事を厳しく問われるので私にとっても勉強になる。
…そろそろ駅に着きそうなので、最近展開してきた動きについてはあらためて又書くことにして今日はここまでとしたい。

以上1日分/掲載日  平成14年2月23日(土)


2002年2月24日(日)

旅に出ても時間の経つのは早い。関西に発つ前夜、電車内にて大急ぎで『随感録』を書いてから、すでに丸3日。
この間、私にとって最も楽しかったのは、昨夜、名越クリニックで内田樹神戸女学院大学教授と名越康文院長との出会いをとりもち、そこでこの稀代の傑物御二方の話を聞かせていただいたことである。
何よりも印象深かったのは、内田先生が私が昨夜までに感じていたよりも遥かに奥行きのある方だということが分かったことである。名越氏も「゛分厚い゛。それはそれは只ならぬ頭脳と感性の持主ですね」と嘆息していた。
私としては傑出した方同士をおひきあわせし、その場に立ち会って見届けられるということがどれほど大きな喜びであるかをあらためて実感させられた。得難い方同士をとりもつということは恐らく私の最大の道楽であろう。縁あって同席した私以外の4人の方々も、皆さんそれぞれにこの出会いの空気を堪能していたようだった。

この御二方の間をとりもっただけで今回関西に来た意味は十二分にあったのだが、やはり私の本業の方である武術、貫通する力(2月2日に初めて出来始めた、肉体という容器の動きを止めることによって生じる)を関西学院大学のアメリカンフットボール部員をはじめ、翌日の神戸女学院の合気道部での稽古、そして今日、岸和田であった公開稽古会で様々な状況下で試み、有効であることが確認できたのは幸いだった。

22日は、私より50s以上重い選手の両手による突き放しに対して、ただ当たってゆけば野球で打ち返されたボールよろしく2〜3m後ろへフッ飛ばされるが、相手に突き放される直前こちらが自主的に体(あくまでも体という容れ物)の動きを止めると、相手の力が及ぶ前にこちらの止まった肉体から迸り出たエネルギーが相手に作用したのか、突き放した(厳密には突き放そうとした)選手が私の体の当たりを喰って何歩か後へ下がった。
この働きを出すには体の動きの止め方が何より重要なのだが、今日、岸和田でこの動きを説明していて、「そうか、この止めるための動きが普段の生活では全くといっていいほど役に立たない動きだからこそ(上半身は跳び上がり仕様で、下半身はいわば跳び下り仕様となっているため一般生活には全く用いられることはない)使えたのだ」という事に気づき、私自身は妙に納得がいったが、今回発現した術理は今までで一番言葉になりにくいかも知れない。

もっとも゛たとえ゛としての比喩的説明はいくらでもある。
「交通事故にあって、ドライバーがフロントガラスを突き破って前へ飛んでいきそうになるなる動き」
「水を含ませたスポンジタワシを金網にぶつけると、スポンジはそこで止まるけれど、水は金網を通って向こうへとび散ってゆく動き」
「釘を金槌で打っていて、釘の先が硬い節か何かに当たって入って行かなくなった時、釘の頭が強い衝撃を受けるようなもの」
「風呂や車を洗うのに、ホースの先を指で押さえて出口を絞ることで、水流が激しくなる動き」
「ビー玉を3つほどくっつけて並べ、そこへ別のビー玉を転がして当てると反対側のビー玉1つが瞬間的に飛び出して行く動き」
「弓矢の働き」
その他、「陸上競技の砲丸投げの動き」「ソフトボールのピッチャーの動き」…等々、次々と出てくる。

ただ、これらの現象を参考として、どうやって肉体という容器を止め、中のエネルギーだけを出すかが問題なのである。
もっともこの術理は中国武術や空手などでは昔から言われていたようであるし、私以外でもこれらの゛たとえ゛から何かを感じたのか、今までよりも遥かに両手持たせの技などの利きのよくなってきた人が数人すでにいるから、案外一般化しやすい動きなのかも知れない。

以上1日分/掲載日  平成14年2月26日(火)


2002年2月27日(水)

いま岡山から帰京する゛のぞみ゛の車中でこれを書いている。今回の旅は、関西での3日間も瞬く間に過ぎ去ったが、岡山での2日間は本当に早かった。

25日は岡山駅近くで、M氏主宰の会で術理の解説と実演を行う。その後打ち上げの食事会に招かれ、その夜はM氏宅へ泊めていただく。
連日の疲れでかなり朦朧としてきたが、M氏宅でM氏と手を交えるとその眠さもフッ飛ぶ。なにしろ私の動きに対して、これほど見事な対応をされた例は最近全く記憶にない。関学のアメフト部に通じた最近の私の動きもM氏には通用しない。もっともこの動きがなかったら、もっとどうしようもなかったろう。
私より20歳以上若いM氏であるが、その武歴は空手、柔道に始まって中国武術、大東流、シラット、カリ、ブラジリアン柔術…と幅広く、海外生活も長いだけに様々な経験も積まれ、その実力は知る人ぞ知る折紙つきなのである。
これほどの技の持主が「何もわざわざ私を招くことなどないだろうに…」と思うのだが、M氏によると、「甲野先生と稽古をすると、様々な技のアイディアが体の中から湧いてきてとても参考になるんです。技を教えてくれる人は多いですけれど、自分の中からいろいろと気づかせてもらえる人は滅多にいませんから、とても有難いんです。ですから月曜日は朝からウキウキしていました」との事。まあ、これほど使える方にこのように言っていただくのはありがたい極みである。今回はM氏の御好意に甘えてM氏宅に泊めていただき、M氏の技を体験させていただいた御礼にM氏が関心を持たれている私の剣術や手裏剣術、杖術等を芸がえしに実演解説させていただいた。
私にとって本当に幸運であったのは、M氏が実に率直かつフレンドリーに(と言っても年長の私に敬意を払われて)接して下さり、技の交流も余計な気遣いをすることなく存分にその実質探究が出来ることである。
優れた人材をみつけると、その人物を世に紹介せずにはいられなくなるのが私の昔からの性癖だが、このM氏とも遠からず対談を行なって一冊にまとめ、御縁のある方々との縁結びをさせていただきたいと思っている。

以上1日分/掲載日  平成14年3月2日(土)


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