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5月28日に家を出て、今日が6月2日。それほど長かったというわけではないが、本当にいろいろ目を開かされる事があった。今回の旅は、講習会など、私が行なう仕事もあるにはあったが、私が学ぶことの方が遥かに多かった。
また、ここ何年もの間、伺いたいと思いながら果たせなかった『大地の母』の著者、故出口和明先生の奥様の許に御挨拶に伺うことが出来たことも、私のなかで何か一つの区切りがつき、新しく何かが始まることを予感させるものだった。
今回の旅は、あまりに大きく重いものに気づかせられたり、また何十年も私が行なってきた動きが根本的に変わったことなどもあったのだが、それらについては、どうにも述べにくい。
人間というのは、より本質的なこと、より深い原理に気づくと、どうやら自然に口が重くなるようだ。また、新しい気づきが数十年にわたって信じてきた体の使い方を完全に改変した時、嬉しさもあるが、同時に長年の親友と別れざるを得ない辛さもあるのだという事を、今回初めて知った。(約16年前に井桁崩しの原理に気づいた時は、もっと単純に興奮していたと思うから)
しかし、夢想願立の開祖、松林左馬助の子孫に当たる方の家に伝わっていた願立の絵伝書の天狗の太刀の持ち方に、ある納得がいった事は、今後の私の剣術の展開の上では大きいと思う。
それにしても、技の原理とか術理というものは、それぞれに、それはそれで、もっともらしい理由づけが出来るものだ。もっともらしい理由づけがあればあるほど、それが落とし穴になる可能性もある。『願立剣術物語』42段目、
"手の内身構え敵合などよき程と心に思うは皆非也。吉もなし、悪もなし。我が心におち、理におち、合点に及ぶは本理という物にてはなし。私の理成るべし。古語に「道は在て見るべからず。事は在て聞くべからず。勝は在て知るべからず。」"
をあらためてよく噛みしめて読む必要がありそうである。
今回の気づきも、また絶対的なものではないのかもしれないのだから…。
以上1日分/掲載日 平成20年6月3日(火)
6月6日から名古屋に出ている。ここで中日新聞の講座と、いつもの名古屋での講習会のダブルヘッダー。しかし、この日は私にとって忘れられない日となった。
私が武術を自分の仕事としてから、いままで約30年間、各地に講演や講習会に出向いて、そのために列車や飛行機の指定券をとって、かつて一度も乗り遅れた事がなかったのだが、昨日6日は、別に何か特別に事故があったとかいう事で電車が遅れたわけでもなかったのだが、何となく十分間に合うだろうと思い込んでいた計算が甘く、東京駅から11時ちょうど発の「のぞみ」に乗る筈だったのだが、中央線の東京駅のホームに降りた時が既に10時59分。それでも、いままで何度か「今度こそは遅れたか」と思った時も間に合ってきたので、緊急の列車点検でもあって出発が数分遅れることもあるのではないかと、19番線のホームに急いだのだが、ホームに上がった時は列車の姿はなかった。
すぐに後続の11時10分発の「のぞみ」に乗って、実質的に何も問題はなかったのだが、初めて乗り遅れたという思いに車窓の景色もいつもと違って見えた。ただ、それは落胆というよりも、どこかでホッとしているような感じがあり、また、ここ最近の私の人生の激変、武術の体の使い方が変わり、食べ物の好みが変わった事を考えると、いままでの流れとはまた違った人生のシナリオが始まったような気がしている。
それにしても甘い味に関しては、あれほど好きだった果物も、それが甘いとホンの少し(例えばリンゴなら16分の1個くらい)で、「もう後は要らない」という状態は5月以来変わる事なく、たとえば外食で間違ってひどく甘い味付けのものを一口でも口にすると、その不快感が一晩経った翌日までも残るような状態になっている。しかし、お陰で体調は良くなった。数日前、コンテンポラリーダンスの山田うんさんと電話で話すことがあったのだが、ダンサーも公演間近で稽古をつめてやる時は、普段はチョコレートなどが大好きなダンサーも、そういった甘い物を摂らないという。理由は、甘い物を食べていると、一時的に動けても疲労を持ち越してしまうことを経験的に知っているかららしい。それこそ、その事を"科学的"に証明することは難しいかもしれないが、自分の体で感じる実感は、他の何にも替えようがない。
それにしても外食をすると甘い味を避けるのは本当に苦労する。禁煙議論は盛んだが、何とか甘くない味のものを、もっと広く一般化させて欲しいものだ。
以上1日分/掲載日 平成20年6月9日(月)
6月6日から7日、8日と3日間、名古屋、兵庫、大阪、京都と、あちこち動いて、さまざまな事と出会ったが、一番実感したのは、ずいぶん疲れなくなったなという事。
今回、名古屋では6日に午後と夜に続けて講演や講習会があり、打ち上げ後もホテルで見送りの人と話しをして、終ったら12時をまわっていた。7日は神戸女学院での公開トークと打ち上げ。その後、午後10時頃からちょっとのつもりでした稽古が2時間以上に及び、8日は京都での講習会の後、打ち上げを二次会までして1時近くホテルに戻ったが、なおそこから2〜3時間の稽古会なら出来そうなほど・・・。
こんなに元気なのは40代の頃以来と思う。体調がこれほど変わった理由は、ひとつしか思い浮かばない。すなわち甘い物が苦手になり、糖分を摂る量が激減したからであろう。どの位甘い物が苦手になったかというと、以前は大好物だった果物に対しても、今回ある人から差し入れてもらったキウイフルーツ1個が、2日かけてもまだ半分以上残っているという、以前(といっても、ほんの2ヶ月前)では考えられなかったような状態となっているのである。
それにしても甘い物を殆ど摂らなくなって、これほど体調が良くなるとは予想を遥かに超えている。おそらく、愛煙家がタバコを止めても、これほど体調は良くはならないだろうと思う。今は世を挙げてタバコを攻撃し、甘い物はダイエットの為に制限すべきだという程度の認識しかないようだが、ダンサーの山田うんさんによれば、つめて稽古をしている時は、疲れを残さないためにはタバコより甘い物を止めた方が有効とのこと。スポーツ選手など、体が資本だというのに「疲れを残さぬ為には甘い物を止める事が大事だ」という話は、まず聞かない。(ボクサーが試合前は菓子を食べないというのは、おそらく体重制限のためだろう)しかし、まあ甘い物は「死んでも止められない」という人も少なくない嗜好品の代表的存在だから、離糖を人に勧めるつもりはあまりない。ただ、情報として私自身がこれほど劇的に変わったという事を、御縁のある方に伝えておこうと思うだけである。
しかし、この甘い物を止めたら劇的に体調が良くなったという事も含め、科学的には、その解明は難しいが、それを体験した人には実感があるという事に関して現代のマスコミは本当に報道したがらない。その理由は、すでに何度もいろいろなところで書いたが、マスコミが、というより現代社会が「科学的」という事に非常にこだわっているからであろう。
今回、神戸女学院大学で三軸自在修正法を創案された池上六郎先生と内田樹、島崎徹両教授との公開シンポジウムに私も加えて頂いて話す機会をもったが、十分な体感的説得力をもって明らかに有効な方法であることを、これを体験した人が納得しても、それが現代医学的見地から見て不可解であれば、その有効性が真面目な形で広く報道されることは決してないのである。たとえば、週刊誌などが取り上げることがあっても、その記事はどこか噂話的で必ず茶化しが入っており、医師による健康相談の記事とは明らかに報道姿勢がまったく違っている。これは現代社会が基本的に科学的であるという事からはみ出したら、社会から排除されるという事に対する恐れが染み付いているからであろう。
報道機関が、よく子供のいじめに対して、今の子は仲間外れにされることを極端に恐れ、メールなども即返信しないといけないと、そのことに神経をすり減らしている。などと報道しているが、そういう事を報道している報道機関そのものが、科学的であるかどうかという世間の目を常に恐れ、「そもそも科学的とは何か」という事自体を深く問うこともせずに、正体不明の世間の常識に流されているのである。
どこかに、毅然とした態度で事実を見据え、科学的といわれている事の根拠の曖昧さに切り込み、大鉄槌をもって科学的見方に日和っている人々の目を覚ますような勇断を下す報道機関はないものだろうか。個人的には、先日、御著書『やがて消えゆく我が身なら』(角川ソフィア文庫)を送って頂いた池田清彦先生のように、本音をハッキリと語られる方も、ごく少数ながらいらっしゃるのだが、この本の帯を養老孟司先生が「本当のことをこれだけはっきり短く書く人はいない。しかも笑える」と、どこかで抜け道を作ってソフト化して紹介されているように、まともに現状と対抗したら、たちまち潰されてしまうだろう。
あらためて広い視野に立って考えてみれば、どうにもおかしい事でも、それが大多数となってしまっていると、容易なことでは変わっていかないようだ。
しかし、まあ何とかしなければならないのだが…。
以上1日分/掲載日 平成20年6月10日(火)
今月の『看護学雑誌』2008年7月号(医学書院刊)は読み応えがあった。この雑誌は岡田慎一郎氏の著書『古武術介護入門』の編集者として、また、ライターとしても、私がいままでに出会ったライターの方々の中で、3本の指に入るほど優秀な鳥居氏の手にかかるもので、今月号の特集「看取りを語る」では、植島啓司、元関西大学教授と、名越康文、名越クリニック院長という私にとって畏友の御二人が対談をされている上、介護福祉士に、今春理学療法士の資格も加わった岡田慎一郎氏の記事が2本も載っている。
植島・名越対談は、死という、人間にとって、その人生をしめくくる時に宗教性を排除してきた日本という国の特異点について語られ、鋭い切り口で、問題を提起されている。
岡田氏の記事は2本あり、いずれも興味深いが、-身体介助に必要な「怯え」と「覚悟」-、サブタイトルに―「介護されるプロ」古武術介護を体験する―と題された記事は、非常に面白かった。
これは、脳性マヒで車椅子の小児科医として活動されている熊谷晋一郎医師が、岡田氏の介護を体験された印象をまとめられたもので、その観察眼の鋭さと文章の見事さには頭が下がる。もちろん、これは岡田氏の技術と人柄があって生まれたものであろう。御二人の才能と御人柄に心から敬意を表したい。
これを読み終わって、フト気付いたのだが、読んでいる最中は、この古武術介護なるもののキッカケを作ったのが私である事を忘れていた。
まあ、それほどに、この介護法は岡田氏によって広められ、深められ、普及され始めているという事であろう。
今後、こうした技術を更に進化発展させ、マニュアル漬けで身体を壊している多くの方々を救う事ができる若い方が育って下さる事を心から願っている。
以上1日分/掲載日 平成20年6月15日(日)
最近は、タクシー代が高いからと、まったく緊急性もない病院通いに119番して、救急車の出動を要求するという、一昔前では考えられなかった事を行なう人間(それも、かなり社会経験を積んでいる筈の、いい歳をした者)が少なくないという。
「最近の若い者は…」という嘆きは歴史の中で繰り返されているが、現代では「最近の年寄りは…」と嘆かねばならなくなったようだ。こうなったら、もう明文化した法で、そうした者は処罰の対象とした方がいいのではないかと、私なども思う。それほどに、この国では、もう「人として、無意識のうちに自分の置かれている状況や他を思いやるといった気遣い」が崩壊し始めていることは確かなようだ。そのためだろう。テロ対策、いじめ対策、地球温暖化対策、と我々は対策の山に囲まれはじめている。しかし、そうした対策の山で、人間の未来が明るくなるとは、とても思えない。何かが根本的に違うように思う。その何かとは何なのか。それは近代に入って、いや近代に入ろうとする前に敷かれ始めた科学志向によって、取り敢えずの説明(それも相当穴だらけであるのに)しかついていなくても、「科学的」と称されるものが人間の社会に強引に介入して仕切り始めた事が最も大きいように思う。
すでに何度も述べた事だが、「Aの時にB」という論理的展開では、同時並列に行なわれている精妙な働きを解明する事は、それこそ「論理的にも不可能」であるにも拘わらず、部分化、限定化して論文が書きやすいようにお膳立てした状況で行なった事を、科学研究と称して発表し、それが説得力を持つという現状を何とか打破しなければ、根本的解決には決してならないと思う。
しかし、それは本当に気の遠くなるほど大変な事である。だが、その気の遠くなるような大課題を何とかしようという志を持ったM君のような若い人がいる事を、先日あらためて確認出来たことは有難かった。そういう若い人が今後出来るだけ多く育ってもらうために、すでに人生もその大半を過ぎた私にも出来ることは何とかやっていきたいと思う。
以上1日分/掲載日 平成20年6月25日(水)
まったく毎日さまざまな事があり、さまざまな依頼が来る。今日もK誌との企画の相談で、編集者が来館。夜になったら、技にまた、ここ何年もの常識がひっくり返るほどの気づきがあった。そして深夜になったら、固定や携帯電話に電話やらメールやらが何重にも入る。とても返信しきれず、『飛翔』の校正にかかる。
最近は私の代わりに、岡田氏を筆頭に何人かの人達にいろいろ講座等をやってもらっているが、そのなかでも介護法で全国を走り回っている岡田慎一郎氏の活躍は大したものだ。昨日、綾瀬の私の講座の折、久しぶりに訪ねて来てもらって、最新の技を体験させてもらう機会を得たが、その工夫は「お見事」の一言に尽きる。最近は、海外にという話も来ているようで、今後益々の活躍を期待したい。
私の身近な人の活躍といえば、名越康文、名越クリニック院長が、ここ数日間、連続してテレビ関係の仕事をやっていて、昨日23日は爆笑問題の太田光氏の『もしも私が総理大臣だったら…秘書田中』に出演。ある関係筋からの話では「さすがに名越先生、太田総理とのやりとりでは断然光ってました」との事。今週金曜日放映との事なので楽しみにしている。(もっとも録画なので、主役を圧するほどの場面はかなりカットされてしまうかもしれないが)
名越氏の、人と社会を観る眼の鋭さと、その解説の見事さは本当に抜群だが、なかなかテレビでは、その鋭さ自体が出せなくて不完全燃焼で終ってしまう事が多い。その名越氏と久々の公開トークを来月福山で行なうことになった。この公開トークは26日だが、コアな名越ファンのために密度の高い私とのトークや、名越院長自身の少人数の講座や私の講習会も前日からやろうかという計画が進行している。おそらく実現すれば、今後、滅多にない企画となると思われるので、御関心のある方は活動予定に既に告知の出ている広島県福山市での名越康文、名越クリニック院長との講演会のお知らせまでお問い合わせ頂きたい。
以上1日分/掲載日 平成20年6月26日(木)
5月6月と、いままで長年親しんでいた食べ物の好みが変わり、刀の持ち方が変わり、技が変わり、私の人生のなかでも大きな変化が立て続けに起こっているが、6月末は京都にいて、また深く考えさせられる事があった。
まあ、これだけいろいろ変われば、価値観も変わって当然だろうが、それにしても自分では激変と思う、その変わり方を具体的にどう変わったのか、説明することは大変難しい。
ただ、人と親しくなるとは何か、人が人として生きている事を支えているものとは何か、といった人間が生きていることの根にあるような事に対する観方、感じ方への視点が変わってきたという事だろうか。
そして、それはこれからある稽古会や講習会、たとえば7月5日に新潟で、6日に佐渡である講習会をはじめとして、7月25日26日、福山で開かれるコアなセミナーなどで、来場された人々から引き出される形で展開し、思わぬ自分をそこに見つける事になるのかもしれない。
最近は社会の中の重い問題である"いじめ"とか、"自殺"に関して「いじめは、とにかく良くない」「自殺はするな」「生きていれば、きっといい事がある」といった表面的、対症療法的対策ばかりで、「人が生きている」という事自体の凄さ(同時にその背負っている重さ)を気づかせるという事が、全くと言っていいほど為されていない事に、あらためて愕然とせざるを得ない。
これは、昔は社会自体が、人間一人が生きている事の大変さと同時に、生き甲斐を嫌でも感じさせる構造だったのが、日常生活の利便化、日々大量に食物が廃棄される飽食の時代のなかで、心は貧しくとも、取り敢えず明日食べる物もない、という事がないようないびつな社会となって、人が人であり続ける自体が難しくなってきたからであろう。
こうした時代のなかで、人はますます生きているという事の意味に気づき、今を変えるために探求し続けるしかないように思う。
以上1日分/掲載日 平成20年7月1日(火)