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10月14日に山形であったイベントで世話になったカイロプラクターの高橋透氏から、私が16日にリツイートした牛乳に関したツイートに対して、下記のようなメールが寄せられた。
確かに日本は百数十年前まで牛乳を飲む者など皆無に近い状態であり、『逝きし世の面影』(渡辺京二著)によれば、幕末下田に来日したアメリカの領事ハリスが奉行所に牛乳を要求した事に対して、奉行は通訳の森山多吉郎に次のように答えさせている。
「牛乳は国民一切食用致さず、殊に牛は土民ども耕耘、そのほか山野多き土地柄故、運送のため飼ひおき候のみにて、別段蕃殖いたし候儀更にこれなく、稀には児牛生れ候義これあり候ても、乳汁は全く児牛に与へ、児牛をおもに生育いたし候こと故、牛乳を給し候儀一切相成りがたく候間、断りにおよび候」これは牛乳が手に入りにくいこの事情を、ただ正直に述べたものにほかならないが、それにしても、乳は子牛が飲むものですぞ、というたしなめめいた口吻が感じられないでもない。当時の日本人の感覚からすれば、農耕にせよ運搬にせよ、牛は十分に働いていた。家族全員がそうしているように、牛もその一員として労働せねばならぬのに、その上、本来は子牛のものたるべき乳まで収奪しようというのは、いささか没義道にすぎるというものだった。乳牛という観念は、この国ではまだ成立していなかった。
(『逝きし世の面影』P501〜P502引用)
この時の日本人の牛に対する心遣いと較べると、現代の乳業はまさに鬼畜のなせる業であろう。その事については、高橋氏からのメールの後に、参考のため、その高橋氏が読まれた、佐藤光夫氏のツイートで紹介してあった「現代牛乳の魔力」のアドレスを載せておく。
高橋氏からのメール
こんばんは、山形の高橋です。
先日はありがとうございました!
先程甲野先生の牛乳に関するツイート読みました。
面倒な読み物はあまり読みたくない性格なので、隅から隅まで読んだわけではありませんが。
最近は(といってもかなり前から)治療師としての仕事柄患者さんに牛乳を飲まないよう進めています。
というのは、まずどう考えても不自然な食べ物です。子牛が飲むべきものなのにいくら栄養価に優れていると言ってもこれだけ色々な食べ物が氾濫する現代で牛乳でなければいけない理由がわからない。しかも、今世の中に出回る牛乳は、牛を乳を出す機械の如く扱われ、人間の都合に合わせ効率良く乳が出るような飼料や薬を与えられた不健康な牛から絞り出された不健康な乳なわけなので良い飲み物である筈がないのです。それが搾りたてとか(不健康で新鮮なな搾りたて牛乳)、成分無調整だとか(不健康な乳をそのままに!)、不健康な飲み物であるのは何も変わりません。
しかもその不健康な牛乳から沢山の乳製品が作られ拡散していることも忘れてはいけません。
僕の父は明治乳業に勤めていたこともあり家にはいつも牛乳がありました。でも、家で牛乳を飲んだ記憶は殆どありません。飲みたくなかった。
母の実家には乳牛がいて泊りに行けば朝、昼、晩新鮮な牛乳が飲めました。確かに家にある牛乳より美味かったと思います。ご飯に温めた牛乳をかけて醤油を2、3滴垂らすと香ばしくて喜んで食べていた記憶はあります。が、随分前になりますが牛乳の消費の増加グラフと、ガン患者の増加のグラフ(死因の中のガンの占める割合の増加のグラフだったか定かではありませんが)が奇妙に一致するラインを描いていたのを何かで読みました。それ以来更に牛乳嫌いが進みました。
牛乳を使った料理は、好きな料理なら食べますがやはり前ほどではなくなりました。
最近では小麦の人体への悪影響が明確に解明され、戦後にアメリカから押し付けられた食文化が日本の不健康に拍車をかけているのは明確になり、それを変えてゆくには身体に聴いて個々で変えていく必要を痛感しています。
色々な食事療法が入り乱れる中で崎谷医師の原始人食が目に止まり、その考え方の中にも乳製品に関しての言及がありました。この原始人食というのはとてもバランスの良い考え方だと思いました。
お忙しい甲野先生にこのようなメールで時間をとらせてはと思いましたが、またこの辺の話はもしかしたら既にご存知のことかもしれませんが、メールせずにはいられませんでした。すみません。
最後に、これだけ牛乳に関して否定的なことを書きましたが、岩手県、田野畑村において山地酪農で牛を飼っている吉塚牧場の吉塚さんとこの牛乳だけは年に数回、取り寄せてでも飲んでいます。ここの牛乳だけは掛値無しに美味い!です。しかも吉塚さんご夫婦が僕は大好きです!このご夫婦の事を知って、数年前にお会いしたくて田野畑村まで行ってきました。そしてご夫婦の生き方を知れば知るほど僕の生き方が変わって行きました。韓氏意拳を学び始めたのとおなじころに。
牛が自然に育って、幸せそうな顔でした。草しか食べてないので嫌な風味が全くと言っていいほどありません。人間が牛乳を飲むという不自然に変わりはありませんが。
意拳を学び"自然である"ことの重要性、社会に属していてもその中でより自然を求める大切さを学びその中で甲野先生や光岡師、鹿間師、小関さんらと出会えて、まだはっきりとは見えないけど大切な何かのため、今よりも少しでも良くなるための存在になれればと思い活動しています。
後略
高橋 透
「現代牛乳の魔力」
http://www.eps1.comlink.ne.jp/~mayus/lifestyle2/milkmagic.html
以上1日分/掲載日 平成25年10月19日(日)
先日、佐世保のユニーク郵便局員、野元浩二氏から傑作なメールが届いたので、そのホンの一部を引用してツイートしたところ、是非全文を公開してほしいという強い要望が寄せられたので、野元氏の了解を得て、一部を省いて、野元氏からの傑作メールを「随感録」に載せる事とした。
いやあーっ!甲野先生!チタンさんじゃなかったクロモリ(黒森庵)さんのTwitter見やした!
−中略−
あっしにとって善悪は、自然を愛しているか!どうでもいいか!それだけが、判断基準で、極端な話、他はどうでもいい!どんな人でも団体でもかまわんのです!うーん、しかし、人生不思議!
アホ野元!
以上1日分/掲載日 平成25年10月29日(火)
以前から、フォアグラってのは、アヒルなどを動けなくしてから餌を無理矢理食わして脂肪肝にするってのは、知ってやしたが、まさかあれほどとは!マジで胸くそ悪くなりやすね!クロモリさんにももうひとつの残酷物語「現代牛乳の魔力」と、あっしの兄弟分のK住職から聞いた現代の仏教界の堕落ぶりを含め感想メールを送りやした!
ところで、あっしは、10月中旬に八王子であった「今を生きる人の集い」には、仕事だけでなく、友人の母親の葬儀やら長女のアカリの成人式の前撮りやら以前から頼まれていた地元神社の行事やらなんやら公私ともハンパじゃねえほど忙しく、残念ながら行けなかったんすが(マジで行きたかった!)こっちは、こっちで、またいろんな出会いが、ありやした!
10月はじめには、熊本城敷地内の護国神社に加納鉄砲隊として参加してきやした!
行事が、無事終わった後、加納親分とナイト(内藤)君とナイト君の可愛い彼女と熊本県の人吉に日本最後の手作り鋸職人の岡秀さんを訪ねて行きやした!その場所は、静かな山あいを想像してたんすが、拍子抜けするほど街中で、店の佇まいも街角の金物屋さんって感じで正直、「えーっ?あんまりムードねえなーっ?」って思いで店の中に入ると、その思いは、嬉しいハズレでがした!いやはや、棚に並べられてる手作り鋸から出るオーラは、量産品とは桁が違う!加納親分も、あっしも、一発で一目惚れ(目がハート!)!暫くして御主人さんが、出て来たんすが、最初の印象は、職人気質の、ぶっきらぼうって感じだったんすが、あっしらが、刃物好きだとわかったとたん(あっ、この時、ナイト君は、彼女と買い物に!もー、幸せもんが!笑)少年みたいな目をして喜ばれること!喜ばれること!他の人に話しても、通じないのが、あっしらには、通じたのが、超嬉しかったみたいで、そいからは、セキを切ったように製法の秘伝やら鋸の逸話やら話が買い物から戻って来た二人も交えて、弾むこと!
弾むこと!ほんと実に興味深いし、めちゃくちゃ楽しかったっす!
例えば、日本のちょうど真ん中に東西を分けるようにフォッサマグナの境界線が、ありやすが、あそこを境に、電気は、50ヘルツと60ヘルツに別れてやすし、ラーメンのダシも違いやすが、刃物の厚さとか(出刃包丁の刃は、東で厚く西で薄いそうで、修行した場所から移ると板前さんは、とまどうそうでがす!)いろんな違いが、あるみたいっすが、鋸も違うそうでがす!
岡秀さんは、大工さん用よりも、枝打ち用が得意らしいっすが、西に合わせて作った鋸は、東で使うと硬すぎると言われ、東に合わせて作った鋸は、西で使うと柔らかすぎると言われるそうでがす(もちろん素人レベルの話じゃないんすが!)!それは、気温の違いによるらしいでがす!あっしが、南極じゃ、鉄が寒さで脆くなるし、バイク冒険家の風間さんが、南極使用のバイクのシートを日本に持ち込んだらベタベタのガムテープみたいになっちまった!って話をしたら「そう、それ!それ!」と言われやした!だから、素材は、こっちじゃ白紙を使うそうですが、東北から注文が来たときは、あえて粘りのある黄紙を使うことが、あるそうでがす(ありゃ、逆やったかな?ここらへん記憶不足と勉強不足!それと、白紙、黄紙でも、鋸用のは、最高級に近いらしいっすね!)
そいから、鋸の刃は、全てヤスリで仕上げるのかいな?と思っていたら、鍛造の後、鋭角のL型の刃物で打ち抜いて、荒削り!そいから、焼きを入れ、次に粘りを出すため、焼きなましをしてから歪みを取った後、ヤスリで仕上げ(目立て)るんでがすね(他にもたくさんの工程が、あるようっすが、とても覚えきれやせん!)!この目立ては、目の細かいヤスリで仕上げると、最初の切れ味は鋭いけど、すぐに切れなくなり、(量産品は、これみたいです!)そいやもんで、粗めのヤスリで目立てした方が切れ味が長持ちするそうでがす!それと、あっしが、思っていたほど強い焼きは入れないらしく、作業中に折れたら何にもならんので、折れるよりは、曲がる方向寄りに持って行くそうでがす!なんか、実戦的な話っすね!そいから、あっしが興味を強く持ったのが、刃が、手前は、立っていて、軽く引けるようになっていて、先に行くほど、引っ掛かる方向に寝ていて、ザックリ切れる(伐れる?斬れる?←鋸って、どの字を使うんすかね?)ようになっていることで、あっしが、「これって車のギアと一緒ですね!ローで発進してトッフギアに持って行くんすね!」と言ったら「あなたは、実にうまい例えを言う!」と誉められやしたよ(ピース)!そいから、加納親分が、甲野先生に送った鋸っすが、あっしも同一の物を入手しやした!これは、あの大きな切り込みの所にアサリ刃より、ほんのちょい飛び出た刃が、ミソでして、アサリ刃が、切った後に残る真ん中の凸部をこれで削り落とせるし、オガクズの捌けが、いいんで木目に添って立て切りも横切りも出来るし、切る時に、ほとんど荷重を掛ける必要が無い(逆に荷重を掛けると引っ掛かっちまう!)メリットが、あるそうでがす!(事実、丸木を試し切りしたら、力を入れんでも、面白いように切れやした!)デメリットは、刃を研ぐのが、大変難しいっちゅうことでがす!つまり、飛び出し刃が、低くなりすぎると何のメリットも無いし、飛び出しすぎると引っ掛かりすぎて使いずらくなるそうで、そこらへんが、微妙みたいです!研ぐのは、こっちに送ってくれれば研いでから、送り返しますが、出来ればチャレンジしてみませんか!ってことで、教えてくれたんすが、一朝一夕じゃ無理じゃーっ!(鋸で、一番難しいのが、歪みとりと目立てらしく、神業的な技術が、必要のようです!)まあ、それらやなんやら、鋸の世界は、とてつもなく奥が深いようで恐ろしいですが面白いです!全員一致で、今度、甲野先生を連れて行こーっ!となりやした!
あっ、そいから、護国神社の鉄砲演武っすが、当時のリアルさを出そうと、火おこしをしてから、火縄に火をつけてから演武したらウケやした!しかし、演武の時、あっしは、引き金を引いた瞬間、身体が、のけ反っていて、まだまだダメっすね!加納親分やナイト君や渡辺先生達は構えからしてカッコいいっすもん!
修行が、足りまっしぇーん!
そいから、銃の手入れをしている時に、火をおこす原理や道具の話とか昔の達人の話をしたら、護国神社に来ていた右翼の人達に、めちゃウケちまって「あんたの話は、実に面白い!今度、我々の集まりの時に是非、講話をしてもらたいのだが?」と言われたんで、「いやーっ、そう言っていただいてありがとうございやす!しかし、あっしは、右翼でも左翼でもなく垂直尾翼なんで、話が通じんかもしれんですよ!……!」と言ったら、そいから民族や思想の話や北朝鮮、中国、韓国の話など普通はタブーとなるような話になったんすが、(そりゃ、天気の話やスポーツの話なんかが、無難に決まってる!)そん中で韓流ドラマの話になり、あっしが「例外はあるですが、脚本や役者の真剣さで勝負せずに、いかに人気俳優を使って視聴率を上げるかしか考えてない日本のドラマよか、韓流ドラマの方が正直、面白いっす!そいやけん主婦層が見るとですよ!」と言ったら、ムッとした感じで「あんな捏造だらけのものは見てはいけない!バカになりますよ!」と言われたんで「うんにゃ、逆っしょ!見てから、いろんな文化や思想の細かいちがいを判断するべきではなかですか?そいじゃ、敵性英語は、使っちゃいかんと判断し情報収集を誤った大本営と一緒じゃなかですか?」と言ったら、「うーん、それも一理ある…!しっかし、我らを前にして、そんなことを言えるとは!益々気に入った!是非、そのうち講話を頼みたい!」と言われたんで、次回、神社の行事の一環でやることにしようと加納親分と話しました!