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2002年1月3日(木)

今年の正月は、母の喪中で何も特別なことはしなかったが、1月には又、養老先生との対談もあり、道場を何とか本格的に片付けようと年末から正月にかけて動いているが、動くとたまっていた用件やら手紙やらを思い出してしまい、それらにも時間を使うから、一体片付けているのか拡げているのか分からないありさま。
そうした合間を縫って人に会ったりもしているから稽古の時間はあまりないが、動きの質は確かに変わり始め、今までにない感覚が身に備わりはじめている。
自覚的にハッキリしてきたのは、動く前の気配が一段と消えてきたこと。これは先月8日に神道夢想流の故乙藤市蔵師範の動きをビデオで見せて戴いて気づいた、膝が膝の高さで引かれるように使う体捌きが大いに関係している。この膝が吸われる動きは、その後、体術の突き・剣術・抜刀術にも応用して今までにない感覚が得られたが、この体捌きがそうした他の武術にも働きとしてあらわれたのは、膝が吸われる感覚で、上半身の内側を今までとは明らかに違う微妙さで割って使う事が出来始めたからのようである。そして、この上半身の割りには打剣時の工夫がかなり深く関わっているようだ。
ごく最近気づいたのだが、以前は四間(7.2m)の距離からの打剣は、どうしても剣を飛ばすのに体をうねらせる動きが体の中に起こってきていたが、その要素がいつの間にか随分と減っている。その具体的証拠は、この手裏剣術の稽古を始めて30年以上経つが、冬場手が乾いてくると、剣との摩擦が夏場とは比べものにならないほど減ってきて、拇指でかなりきつめに剣を抑えておかないと手からすっぽ抜ける感じがするので、その抑え方の調整と滑りすぎへの対応で散々苦労してきたものだが(私の用剣が以前使っていたものより一寸以上長く、現在六寸以上あるのは、この冬場の滑りすぎによる不安定飛行への対策の意味もある。しかし、そうした剣の形状の変化だけではこの問題を根本的には解決出来なかった)、それが剣を飛ばすのに体をうねらせる度合が減ってきたことによって、いつの間にかひとりでに解決しつつあるということである。つまり、予備動作なく突然動き始めるため、剣を飛ばす体はピッチング状態で鞭状にうねって使われるのではなく、弓矢のようにというか、バンと板バネが返るようにというか、動き始める直前まで動き出しの気配なく動けるようになってきたようなのである。
そして、そのことに関連して、例えば剣術であっても双方向き合っている時、私の打って出るのが唐突な感じがするようであるし、体術でも、例えば私のところで「浪之上」という、こちらの片手を相手が両手でシッカリと(私の横ではなく前で、胸のところへ抱き込むように持ったり、軽く持っていて動こうとする相手の起こりに合わせてビクビクと微妙に起こりの動きをいなして持つ、等々)持っていても、この膝の吸われ、と体中の微妙な割れの連動によって、特に力を入れたとかいうこともなく相手が抑えていられない唐突な力が発生するようなのである。
これを私の゛たとえ゛で言えば、どれほど優秀なプロ野球のバッターでも、ボールを投げようとするピッチャーの動きから見ているので打てるのであって、これが煙幕に包まれたところからであれば、どうしても振り遅れるようなものかも知れない。
まあ理屈はいろいろと考えつくが、実際のところ一体何が起きているのかは、正直私にもよく分からない。ただ、変わりつつある事は身体で感じる。それは暮れの27日に桐朋高校の長谷川、金田の両先生に短大の矢野先生、そして小学校の小谷先生の4人の方々と種々技を合わせた時にも手応えがあったし、年が明けてからは、この道では私が最も長いお付き合いをさせて戴いている伊藤峯夫氏と昨晩久しぶりで稽古をした折にも感じられた。そして、両日とも相手をして下さったこれらの方々のリアクションからも今までにない動きが育ちつつあることが察せられたのである。

今年は果たしてどの程度のところまで行けるのか皆目見当もつかないが、縁に導かれ行けるところまで行きたいと思う。そして、それにはどうやら又異分野からの刺激が必要なようだ。そうしたことを身体が感じ始めているのであろうか、28日は古楽器の修復と調律では知る人ぞ知るI氏と母堂のお招きで、フォルテピアノのI女史をはじめ音楽関係の方、I氏のフィアンセM女史、そして治療家といった方々を交えたユニークな夕食会に家族で伺い交流の輪を拡げた。

そして翌29日は久しぶりにカルメン・マキライブへと出かける。ライブの後、マキさんとも会って話をし、たまたまウイーンから帰国中のS女史(マキさん、名越氏と私が書いた『スプリット』に、昨年の夏、ウイーンから大変長く熱のこもった感想文を書いてくださった方)が、オーストリア人の御主人とライブにみえていて、私に声をかけて下さったので(私もその時が初対面だったが、手紙はマキさんへ転送しておいたので)、マキさんへS女史も紹介した。

こういった流れを見ていると、今年は時間、認識といったことへとあらためて私の思いが向くのかも知れない。そしてその時、音楽は重要なヒントになるのかも知れない。マキさんの歌『空へ』で体が割れてから6年。その割れをずっと魚の群泳にたとえていたが、どうもこの頃は、その魚の瞬間変化はそれぞれ自分の立場で一斉同時に動くのであって、同じ向きに動くのではないということを(以前からもそれはそうだと思っていたが)具体的に感じるのである。
とにかく出会った縁で与えられたものへの観察を細かにし、感覚をより研いでゆかねばと思っている。

以上1日分/掲載日  平成14年1月5日(土)


2002年1月9日(水)

最近は思いがけぬ出会いもあり、やってもやっても仕事が減らないどころか増える一方。ただ、その合間にも時間を盗むようにして、やはり本は読む。そのなかで今、思わず唸ったり、吹き出したり、微笑を誘われたりするのは、先月私を神戸女学院大学に招いて下さった同大学教授の内田樹先生から戴いた、内田先生の著作『ためらいの倫理学』(冬弓舎刊)である。
この中で、

゛世の中を少しでも住み良くしてくれるのは、「自分は間違っているかも知れない」と考えることのできる知性であって、「私は正しい」ことを論証できる知性ではない。゛

との一文は見事(この他にも名文・名文句はあまたある)。

この本の帯に、鈴木晶法政大学教授が、

゛あらゆる「正義」と闘う、清冽な思想
内田さんの文章は、一度読んだら、もうやめられない。
戦争、フェミニズムなど、大問題を論じていながら、抱腹絶倒。難解な概念も、内田さんにかかれば、含蓄ある知恵に早変わり。読後感の清冽なこと!こういう「おとな」に、私もなりたい。゛

と書かれているが、内田先生のような方が大学で教鞭をとっておられると思うと本当にホッとする。しかも、大学の合気道部を指導され武道界にも思い入れが強いということは、武に関わる者の一人として実にありがたいことである。
御縁のあったことをあらためて感謝している。

以上1日分/掲載日  平成14年1月10日(木)


2002年1月16日(水)

桐朋高校の長谷川、金田の両先生を迎えて技の検討会。今回、私自身最も関心があったのは、12日の土曜日に生まれた袈裟の斬り落とし。この技に関しては、12日の稽古の後、名越康文氏らと整体協会の野口裕之先生のところを訪ねた折、野口先生にも印象を伺ったもの。この技も、先月8日に関西で気づいた膝の吸われるような前方への抜けが重要な鍵になっている。
この技を受けて下さった長谷川先生(剣道五段)からは、「一元裡の太刀より、もっと具体的な使える技」との評価をいただいたが、これが出来るようになるためには、趺踞からの不安定を使いこなす林崎流の居合の工夫と膝の吸われと手の先行による打剣等が関係しているように思う。
もっと詳しく書きたいが、諸用に追われ依頼稿や急を要する校正にも手がついていない有様なので、取り敢えず今日はここまでとしたい。

以上1日分/掲載日  平成14年1月17日(木)


2002年1月21日(月)

今年初めての泊りがけの稽古会となった仙台の会の後、炭焼きの佐藤家を訪ねて一泊し、昨夜帰ってきた。山形県境近くの山中は、少し前に降った雨などでカサが半分になったとのことであるが、1mはたっぷりある雪の林を歩くとなじみのある木でも、今まで見慣れてきた幹の高さと目線の位置が違うから何か不思議な感じがする。

今回の仙台での稽古会では、私にとって何年もの間具体的な課題であった、相手がこちらの片手をしっかりと捕捉した状態(単に両手でこちらの片腕を掴むという程度ではなく、前方からでも何でもむしゃぶりつくというか腕にタックルしている状態で、とにかく取の自由を奪うべく攻めてきてもらう)からの技に、今までにない進展がみられた。

しっかりと捕捉した状態というのは、つまり相手がこちらの腕を掴みかけた時に技をかけるのではなく、相手に十分掴ませた状態にしてから技をかけるということである。
この状況下からの難しさは、スゥーッと支点を消した状態で持たせるのと違い、相手の力が一度こちらの腕に喰い込んできているので、そこから気配を消そうとしても、どうしても相手に追尾されてしまい、上腕の三角筋に、追尾してくる相手の感覚を振り切れない嫌な拘束感が残りがちであった。
もちろん相手により、状況設定により相手に自由にシッカリと掴ませても処理出来る場合もあったが、私が特に用意をしていない時、かなり稽古を積んだ人が、それこそ見栄も外聞も振り捨てて私の片腕を抱きかかえるようにして組み付いてくると、これを振り飛ばすことは困難であった。

このような状況は、相手の後頭部やコメカミなどの急所がガラ空きになっているから、「そういう攻撃(受の持ち方)自体ナンセンスだ」という論法も成り立ち、だからそういう状況自体考えなくてもいいという主張もあるだろう。しかし、多人数に対した場合を考えた時、こちらの片腕にしがみついて来た相手に対してもう一方の手を攻撃に使うゆとりがないということもあるだろう。
それに何よりも動きの質の転換を考えている私としては、様々な状況下で技が通らないということは、どうしても落ち着かないのである(これは打剣で同一の剣、同一の手之内であらゆる間合に対応させたいということに私がこだわってきたのと同じことだと思う)。
その為、いろいろな工夫をしてきた。「大円の原理」という、いわゆる力のモーメントの違いをイメージする工夫(バットの太い所と細い所を持って回し合いをすると、太い所を持った方が断然有利だという原理)をしていた事もあったし、四方輪や肩の溶かし込み、雀足等さまざまに動きの原理を工夫してきた折々、常にその新しい術理によって解決がつくかどうかを試す具体的な課題のひとつであった。
その過程で、時には「かなりいけそうだ」という時もあったが、そういう時は無意識のうちにも状況設定が甘かったり、相手の粘りの度合がそれほど強くなかったりしていたのだろう。様々な場面で試しているうち限界がすぐみえてきた。

そうした体験のなかで少なからず考えさせられたのは、武術に関しては全く、あるいは殆ど素人である人が思いがけぬ粘りをみせることである。昔から、「無手人(素人)あなどるべからず」(雖井蛙流の伝書の表現)などと言われ、坂本龍馬を斬ったことで有名な見廻組の隊士、今井信郎なども、「素人よりも免許や目録をとったという剣術経験者の方が斬りやすい」と述べていたことが、しばしば思い出された。
これは定型化された武道の稽古では、稽古の際いつの間にか取がやりやすいような状況設定に持っていっているからであろう。それだけに、より困難な状況設定でも技を通すことは私の切実な願いであり、避けてはならないチェックポイントであった。

今回展開してきた術理は、スポーツ等の常識からみれば全く常識外れの体の使い方であるが、私が今までいろいろ考えてきた体の使い方の工夫からみれば、もう少し早く気づいてもいいような気さえする術理である。
簡単に言えば、腰というか尻から下は沈ませ、上半身は浮かせ(それも積極的に上へ跳び上がるように)、そのアンバランスさで相手の感覚を一気にマヒさせると同時に、たとえていえば、銃口を塞がれた銃が引き金を引かれ、噴出するガスの出口がないため銃身が爆発して裂けてしまうように体を使うということであろうか。

下半身の沈みと上体の浮きは、2年以上前、佐藤家で薪割りの最中気づいた原理だが、今回は太刀取りへの開眼で膝を何かに引かれるように前へ抜くという気づきがなかったら、ここまで来られなかったように思う。
その他、趺踞応用の正面の斬りがより一層確かになったり、対正眼の剣術で袈裟の斬り落としの有効性をここでも何人もを相手に確認できたことはありがたかった。

稽古会の後、N女史やS女史の協力で、松林左馬助の佩刀と伝えられている刀の写真撮影と寸法の測定を某所で行うことができたことも今回の旅での大きな収穫だった。
お世話になった何人もの方々にあらためて御礼を申し上げておきたい。

以上1日分/掲載日  平成14年1月23日(水)


2002年1月30日(水)

昨日、電話で話をした人に「お忙しいんでしょうね。ホームページを楽しみにしているんですけれど、しばらく更新されていませんからね」と言われ、「エッ、でもこの間、新しく書いたばかりですよ」と応えてからよく考えてみると、もう10日くらい経っている。
あの時は、養老孟司先生が私の道場にみえて対談をさせていただく直前で、この対談が終わればちょっと一息つけると思って、忙しさに追いたてられながらも私自身の技の進展経過の確認もあって必死で書いていたのだが、いざ23日のトークが終わってみると、トークの準備(主に片づけ)で止めていた手紙書きやら諸用がどっとあふれてきて、気がついたらあっという間に1週間が過ぎ、そして更に…という状態となっていたようだ。

それにしても養老先生はやはり素敵であった。今回は、雑誌『薬の知識』と徳間書店の相乗り企画であったため、狭い私の道場に十数人の関係者が犇めくような状態であったが、養老先生の対応は初めてお会いした10年ほど前とまったく変わらず、時々茶目っ気のある冗談をはさみながら、あの独特の調子で語り続けられていた。
今回の対談で特に感じられたのは、゛権力゛ということに対して養老先生がきわめて注意深く考えておられるということである。
いわゆる「権力志向」とは程遠いところにいらっしゃる養老先生だが、それだけにこの゛権力゛というやっかいで人を狂わせる魔物の本質を見極めようとする役目の人物としてはうってつけかも知れない。
それにしても、格別能力もない人間が時に権力者になるというのはどういうことであろう。恐らくはそうした場合は人の弱味を握って陰から圧力をかけたりするという全く非生産的な力の使い方なのだろうが、そうしたことが政治や学問の場でもきわめて多くみられるということが今日の不幸なのだろう。

そうしたなかにあって、この23日の前後3日ほどの間に話すことが出来た養老孟司先生、名越康文氏、神戸女学院の内田樹教授(名越氏もホームページで、私が送った内田樹著『ためらいの倫理学』には感激していた)等、「時代や人がみえているなあ」という方々と出会うことができた有難さをあらためて感じている。
名越氏は、今週はじめに発売された『週刊朝日』2月8日号に田口ランディ、ロブ@大月の二氏との鼎談が載っている。とにかく名越氏には、この時代もっと世に出ていただきたい。名越氏自身は謙遜しまくっているが、C社のN編集員が企画中の養老孟司先生との対談は私もその実現を心待ちにしている。私に限らずこの企画には大賛成の人がきっと多くいるに違いない。又、内田樹先生と名越康文氏の出会いは私が間に入って近く実現しそうなのでこれも大変楽しみだ。

以上1日分/掲載日  平成14年2月1日(金)


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