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2002年4月8日(月)

先月28日からの東北への旅は、いつもの仙台での稽古会から炭焼の佐藤家を巡るコースを逆にして、まず佐藤家に寄り、そこで久しぶりの鍛冶仕事をしてから仙台の稽古へとまわる事になった。コースを逆にしたのはいくつか理由があったからだが、今回はどうしてもやらなければならない鍛造があったので佐藤家に寄ることは外せなかったのである(なにしろ私の持っていた主要な鍛造道具は佐藤家の鍛冶場に置いているので)。山形の大学で工芸を学んでいるというナイフ作家志望のA君もちょうど来ていて、2人で鍛造をやった。

今回は佐藤光夫氏が軽トラックから炭木のナラの木を降ろす作業を手伝う機会があったが、100sはあろうかという太い丸太を鳶口一丁で降ろす技術には感心させられた。特に鳶口を木材に打ち込む場合、鍬で畑を耕すように使ってはすぐ外れやすく、まるで直打法で飛ばす手裏剣のように円弧を描かず直線的に鳶口の先を木材に打ち込まねばならないということは教わらなければ容易に気づく事は出来ないように思う。恐らく往時は木場の鳶には現代人では想像も出来ないような重さの丸太を易々と動かしていた者が存在したと思う。機械の発達と共にそうした技術や体の使い方が失われていったのは仕方がないことではあろうが本当に残念な気がする。

佐藤家に2泊し、30日に仙台からF氏とTさんの迎えを受けて、仙台での稽古会に行く。今回はドイツから帰国中のH氏も仙台まで来られ、様々な話題が広がった。
技の中心は最近私の中で展開中の、容器としての身体を止めることで中のエネルギーを放出する、というもの。
この容器としての動きを止めて中身を前へ出すという原理は、世間的にもかなり知られているようで、東北に発つ少し前、ある新聞のゴルフの通信教育に、中国武術の発勁の原理をゴルフに応用して云々の記事があり、そこでも自動車がぶつかるとドライバーが前にフッ飛んでいく現象が゛たとえ゛として使われていた。ただ、こうした゛たとえ゛では下半身が止まることで上半身や腕が勢いよく動く現象は容易に想像つくだろうが、こちらが殆ど動いたとも思えぬ時に、手を持たれたり払われたりした時にも有効に働く技というのはちょっと想像しにくいように思う。
今回の仙台の稽古会では敏感な方々が何人か参加されていた事もあり、ほんの動き出しの兆しの段階で瞬転力を逆方向に向けて動きを止めることでエネルギーを取り出す工夫に1つのキッカケが生まれ、私にとっても幸いだった。

4月1日は、仙台一高のバスケットボール部監督S先生の要請で、2月に続き2度目のバスケットボールへの武術の動きの応用の検討と講習を行う。
私はスポーツ競技そのものへはあまり興味が持てないのだが、各種スポーツの側からその競技のルールに即した動きのアイディアを求められると、自然に動きの質というものを考えざるを得ず、しかも相手の要望が熱心であれば自然とこちらもその熱意に感応していろいろなアイディアが出てくるので、私自身も質のいい稽古を工夫する事ができお互いにとってプラスになるため、スポーツへの武術の動きの応用ということには以前より一層熱意が湧いてきている。

4月1日夕方には帰宅。案の定やることは山積みどころか海にまで流れ出しているほどの状態。おかげで帰宅後1週間して漸くこの『随感録』を書いているありさま。ただその間にもいろいろな方とお会いした。なかでも印象的だったのは、あるトーク・イベントの打合せでお目にかかった阿木耀子女史の若々しさ。完全引退した今もその名を知る人が多い歌手゛山口百恵゛の人気が最高潮の頃、その歌の詩をいくつも書かれた方だから、私よりもいくつか年長なのだがとてもそうは思えない。人間というのは日々の過し方で随分と年齢の重ね方が違うものなのだということをあらためて深く感じさせられた。

以上1日分/掲載日  平成14年4月8日(月)


2002年4月10日(水)

昨日は、今秋名古屋で開かれる体育学会での講演依頼に名古屋大学のY先生がみえる。大変話しの通りのいい方で、こういう方が多ければ苦労はないのだが…と思う。
Y先生から企画のお話を伺った後、夕方家を出て身体教育研究所へ向かう。途中名越氏らと合流し、野口裕之先生にお会いする。
ただ、この日は野口先生が急用で出られるため、1時間ほどで野口先生の許を辞し、久しぶりに名越氏と少し時間をとって話をした。といっても名越氏も〆切を間近にしたゲラを抱えている身であり、私もやりかけの仕事がいくつもあるので、食事を共にしながら1時間と少し話したほどでお開きとした。
それにしても名越氏の映画評論(小津安二郎監督の作品に関してのもの)は、声の調子、身振り表情等どれも他では見ることの出来ない独特の味があり、その映画評論自体が劇場のパフォーマンスとして十二分に通用するほどで、私や同行のI氏2人だけで観ているのは、つくづく勿体ないと思った。

名越氏らと別れて帰宅してから、やることは山積みしているが、この夜は深夜1時過ぎの帰宅のつもりだったので、少し時間を得た気がして、数日前神戸女学院大学の内田樹先生から送っていただいた新著『「おじさん」的思考』(晶文社)を読む。もちろん全部は読めず一部分でしかなかったが、常識的な考え方をステレオタイプな説き方ではなく、実に新鮮な切り口で説いている本書は著者の頭脳のただならなさを、以前戴いた『ためらいの倫理学』(冬弓舎)以上に思い知らされた。だいたい『「おじさん」的思考』などという不格好なタイトルをあえてつけるということからして著者の自信の程が伺えよう。
それにしても最近私の古巣である合気会に関係している方々との縁が多いのは不思議な気がする(内田先生も、先日ドイツから来られたH氏も多田宏師範の縁に連なる方である)。

以上1日分/掲載日  平成14年4月11日(木)


2002年4月13日(土)

12日は夕方6時半から池袋コミュニティ・カレッジの講座で話をする日だが、この日午後1時から6時まで、A社が企画している対談本の2人目の登場人物となる市川進先生を西池袋の御自宅に編集者のK女史と共にお訪ねする。
市川先生は現在は引退されているが外科医をされてきた方で、その外科医現役の頃から余暇に木工の道を歩まれており、何度か本や雑誌でも取り上げられ、その造詣の深さは玄人はだしなどというものではない。
例えば、かの宮大工西岡常一棟梁の許を訪れた時、御自分で柄と鞘を桑材で拵え、入念に研がれた切出しを持参、「素人の仕事ですが、御覧になって御感想をお聞かせ下さい」と差し出したところ、西岡棟梁は「素晴らしい砥石でいい仕事をされていますね」と、切出しをなかなか手離さず、飽かずに眺められていたらしい。その切出しを見つめられている西岡棟梁の写真も拝見したが、西岡棟梁のまなざしには魅入られているような表情が確かにうかがえ、市川先生のお話の真実性を物語っていた。
市川先生は謙虚な方で、自慢めいた事はほとんど言われなかったが、その控え目なお話の中からその時の写真と共にうかがったこのエピソードは深く印象に残った。それにしても見事な道具、砥石、作品の数々。
私も日々生活に必要な道具類を鍛冶も含め心ゆくまで作って、好きなように稽古をして生きていけたらどんなにいいだろうかと、この日ばかりはしみじみと思った。

以上1日分/掲載日  平成14年4月16日(火)


2002年4月18日(木)

14日の夜あたりから肩がつまり体調が崩れる。寝不足が理由のひとつだとは思うが、どうもそれだけではなさそうだ。
体調が崩れると気持ちも落ちてくるが、そういう状態のときに、素晴らしい効果があるというトレーニング方法や能力開発法の記事や宣伝を目にすると、そのさもしさに何だかゲンナリしてくる。それは自分も似たような事を言ったり、やったりしているのではないかという自覚があるせいだろう。

こういう時は気持ちを新たにしようと、思いきり予定を変え、16日は高尾山へ行く。今年は桜も異常に早く咲いただけに、4月中旬というのに山は既に5月の若葉の頃を思わせるほど全山新緑。
ただ、心はある面は慰められたものの、一層゛何か゛を求めているようで周辺状況が入ってこない。
こういう思いを味わうと、いわゆる体調が良くて仕事もドンドンはかどる状態というのは「本当に自分が求めているものを見ず、目先のことに目がいっているのではないか」という気がしてくる。…自分の性格の厄介さには、長年付き合っているので今更驚かないが、それにしても面倒だ。

昨日17日の夕方は体調最悪で何をする気力もなかったが、夜に入ってよく理由が分からぬまま回復する(多分電話でK氏や名越氏と話したからだろう)。

そして今日18日の朝、岡山から熊本へまわる旅に出立。ほぼ平常に復した体調で゛のぞみ゛に乗ることができた。
こうした状況でも、稽古に入りさえればその方に集中できそうなので、今夕の岡山での稽古は私にとってひとつの救いである。

稽古のことでいえば、私が鍛って作った長さ四寸四分(13p強)で中間重心の手裏剣を、数日前の深夜、随分久しぶりに四間の距離で打ってみたところ、10回打って10回とも刺さり、自分の動きの質が昔とは確実に変わったことが実感できて、いささか感無量な思いを味わった。…と、こう書いても余程この道に詳しい人でないと、この私の感慨は理解出来ないだろう。

少し詳しく解説すると、10数年前のことだが、前述の長さで八角先太の根岸流の剣を前重心にしておけば三間(5.4m)ぐらいの中距離は100%確実に刺さったが、六間(約11m)以上の遠距離も届くように剣の重心を後にもってゆくと、今度は二間半ほどの近距離までならともかく、四間ぐらいの中距離ではどうしてもいい具合に剣先が的に向かわない。抑えが利きすぎ、剣先が上を向いたまま飛んでいってしまうのである。
これではまずいと少し剣に回転を加えると、四間届く前に剣先が的に向かい、的前では剣先が下を向いているといった具合で、100回打って1〜2本通る程度といったありさま。
遠距離用の手裏剣で中距離を確実に通す事は不可能、という結論を出さざるを得ないのが10数年前の状況だった(現に手裏剣について解説したある本では、根岸流は距離によって用いる剣が違い、1種類の剣で全距離対応は不可能と断言してある)。

その後、今から6年ほど前、本格的にこの術の稽古を再開してからは様々な工夫が実り、遠距離用の手裏剣で中距離でも何割かは通るようになり、更に剣の長さを一寸五分ほど伸ばしてからは、一間でも四間でも六間でも、1種類の剣で殆ど通るようになった。
しかし、長年の課題であった1種類の剣による全距離対応が可能になったのは、多分に剣を長くしたという使用用具の改良が原因であり、剣を打つ身体の技術そのものについて、どれほど向上したかは具体的に今ひとつ分からなかったのである。

そして今年2月の初め、容器としての身体の動きを止め、その中身のエネルギーを取り出すという方法を始め、3月の末辺りから打剣にまで応用するようになった。
その工夫がそれなりに身についてきたような気がしたので、数日前、四寸四分で中間重心の剣で四間をどれほど通せるか試みたのである(この剣で四間という中距離を通すことには、昔は本当に手を焼いていた)。
今回随分久しぶりということもあり、5割通ればまあまあ、7〜8割なら上出来と思って臨んだのだが、最初の1打目から10本皆通り、想像以上の成果に私も感無量な思いがしたのである。

この剣で中距離を10割通した事が何故感無量かというと、物を飛ばすという最も身体がうねりやすい動作で、ただのうねり系とは違った動きが育った証しを得たからである。つまり手は手で動き、それを載せた体が止まることで生まれたエネルギーも又(というより、これが主力となって)剣を飛ばすエネルギーとして併立し得たからである。
陸上の砲丸投げの砲丸のように、ひどく重い物ならともかく、野球のボールや小石のように投げるのに手頃な物の場合、これを飛ばそうとするとどうしてもムチの原理のうねり系になってしまうものである。
ただ、それでは武術としての気配の消えた同時並列処理の身体の使い方にならないし、そうした稽古を積んでいったとしても標的に向かって大体は絞り込めても、ピンポイントの目標設定に対応できるとは思えない。
それが漸く(この道に志して20数年にして)具体的な進展の実感が得られたのである。

手裏剣術という超マイナーで、しかも世間からはキワモノ的な好奇の目で見られがちなこの武術に、身体の動きの質的向上をもたらす得難い鍵があることがあらためて実感でき、他の誰に理解してもらえなくても私としては心に期するものが出てきた。

…行きの新幹線の車中でこれを書いているうちについ長くなった。
冒頭でトレーニング方法や能力開発法の記事や宣伝に対する感想を述べたが、そういう自分も有効な稽古法を常に模索していることに気づき、苦笑いする思いだ。
まあ、この回復した体調で今夕稽古すれば、気持ちも平常に戻るだろう。

以上1日分/掲載日  平成14年4月21日(日)


2002年4月21日(日)

18日の夕方からの約40時間、私はかつて1度も経験したことがなかったほどの武術漬けの時を岡山で過した。
18日19日両日とも寝たのは翌朝の5時過ぎ。いずれも4時間ほどの睡眠で、後は食事の時も含め、起きていた時間の95%以上は稽古をするか武術について語っていたと思う。
その間、稽古法に関して大きなヒントも得られたが、ちょっと今の私には分に過ぎた大それた発想なので、今まで何でも発表してきた私も、さすがに今度ばかりはその気づきというか発想がある程度でも具体的な成果が出ないうちは、恐ろしくて発表する気になれない。

20日は岡山から5時間列車や車を乗り継いで阿蘇の山中へ。
理由は昨秋来、私の内的又身体的動きの変化に潜在的に大きな影響を与えて下さった゛場所゛への縁を作って下さったM女史と、その後やはり私に強い影響を生み出しつつあるI氏の結婚披露の宴で祓太刀を抜くためである。こうした席の御招待は殆ど出ない私だが、昨年の秋から私の予定の確認までして戴いての御招待だったし、いろいろと言葉に尽きぬ貴重な縁もいただいたので伺うことにしたのである。
宴は野外で行われたが、開始の頃、前日来の雨がちょうど上がりはじめ、周囲の木々に霞がたなびく幻想的風景のなか、ユニークで楽しい宴となった。しかも得難い縁にもいくつか恵まれ、やはり来るべくして来たところだったのだとの実感があった。

ここに2泊し、今日熊本空港から帰京したが、I氏M女史御夫妻が私を空港まで送って下さる途中、阿蘇の北向谷原生林まで案内して下さった。
若葉の照り映える今の季節は森林が最も美しく見えるものだが、それにしても北向谷の森林は絶品。照葉樹、落葉樹のさまざまな色の縁が重なり合い、言葉を失うほど美しい。ここを観て、反対側の人の手が入って伐られた後の広葉樹林や針葉樹の植林は見ているのが悲しくなるほどみすぼらしい。
飛行機の時間もあったが、長く観ているとその差の大きさ哀しさが吹き上がってきそうで、ひとしきりその景を眼の奥に焼きつけてから車に乗った。

熊本空港での検査は、前回はアメリカのテロの影響で厳しかった事を思い出し、説明用に先週私の事が載った『AERA』誌やら今週末近くに有明で行なわれる阿木耀子女史とのトークショーのチラシ等を持っていったお蔭で了解は得られたが、それでも前回より検査は厳しく、またもや別室によばれた上、刀の柄を外して中子の銘と登録証の記載とを照合する念の入れようだった。

以上1日分/掲載日  平成14年4月23日(火)


2002年4月30日(火)

サイモン・シン著『フェルマーの最終定理』(新潮社)を読む。
゛フェルマーの最終定理゛については以前から関心があったが、養老孟司先生が『薬の知識』4月号のクロスオーバー・トークで、数学者の藤原正彦御茶ノ水女子大教授と対談されている中で話題になっていたことから俄かに関心が出て、博識な畏友G氏に適当な解説書のインフォメーションを依頼した結果、この本を知ったのである。
読んでいて、数学の証明というのは身体を細かく割って使って、より多くの組み合わせを創り上げていく技術と共通するものを感じ興味深かった。

読んでいてついつい惹き込まれたのは、古の名人達人といった人達は、より細かく割った身体を瞬間的に巧みに組み合わせて使う事が出来るようになっていたのではないかと最近考えるようになってきた事もあると思う(井桁術理に気づいた頃も、やや似たことを考えていたが、最近はこれだけ多くある筋肉やら筋やらはその統禦が難しいので、多くの人は大雑把な統禦機能を使うだけで一生を終えてしまっているのだろうという実感が湧き始めてきている)。
そう気づくほどに、いわゆるウエイト・トレーニングや単なる量をやる事が質の向上になるというトレーニング志向には疑問が大きくならざるを得ない。
そして数学の研究の多くが、過去の人の業績を参考に、個人であるいは志の合った数人で成し遂げられたのと同じく、武術の研究も自らの体内感覚に耳を澄まし、個人で切り拓いてゆくべきような気がする(勿論、刺激を与えてくれる先達や同輩後輩の存在は貴重であるが、自分を教え導いてくれると信じていた師が、自分の進展の芽をせっせと摘みとっているということも意外なほど多いようにも思う)。
「名選手は必ずしも名コーチではない」とよく言われ、スポーツ界には、自らの天性の芽をコーチに摘まれることを拒否して名を成したイチロー選手や高橋尚子選手がいるように、武術の世界も教え方教わり方をいま一度考え直す必要があるだろう。

もちろん私自身どのような教え方が良いのか、などという難問へのハッキリした答えなど持っているはずもなく、現在も試行錯誤しながら探っているその過程を私に関心を持って下さった方々に提供しているわけである。
したがって、とてもではないが、大はおろか中程度の組織も作る気はしないのである(もっとも私の会を組織化しない最大の理由は、私自身束縛されることを嫌う人間だからであり、その自分が人を束縛する組織など作る気がしないのは当然だからである)。
仕事としている以上、最低限ギリギリの連絡網程度の会は必要なので武術稽古研究会を名乗ってはいるが、今後さらに解体方向に向かいこそすれ、その逆は有り得ないだろう。
歴史を振り返ってみれば明らかであるが、組織の縛りをきつくしたら、有能で独創力に富んだ者は殆ど出て行ってしまうだろう。そうやって身の回りにイエスマンばかりを集めておけば、一時自分の気分はよいかも知れないが、さらなる技の向上には(単に武術のみならず)決してプラスにならないだろう。

それにしても何かよく分からぬが、技や稽古法のアイデア以外にも頭の中に様々な思いが湧き出してきて、いっこうに原稿がはかどらないのには参るが、何とも致し方がない。

以上1日分/掲載日  平成14年5月1日(水)


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