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2009年8月6日(木)

 29日に神戸女学院に向かい、30日から1日7時間、計21時間の集中講義。『ハチはなぜ大量死したのか』をテキストに、農業の工業化の問題から人間が生きる、生きようとする事について「講義した、というより私の思いを受講してもらった学生さんや聴講の方々に聞いて頂いた」という日々だった。まあ何か少しでも聞いて頂いた方々の心に残れば良しとしたいと思う。
 その後は名古屋に2日間滞在して、講習会とY柔道整復専門学校柔道部の部員対象の講習会というか研究会を行う。手の親指の背の使い方などについて、いくつかは手渡しで伝わった感触があった。何といっても、この柔道部のK監督は、私が対外的な指導を始めて以来、柔道界で初めて私の技と術理に積極的に関心を持たれ、その情熱が継続している唯一の方である。(いままで有名柔道選手で私のところに来たり、来ようとした選手は2名ほど記憶にあるが、積極的に学びたいという意欲が継続している柔道界の人物は、このK監督が初めてである)それだけに熱が入って2時間半ほどがたちまち過ぎた。やはり私の専門の武術に近い現場は、私としても、やっていて集中できる。
 その後、名古屋の稽古会でいつも世話になっている山口氏らと研究稽古を浜松近くで行ない、静岡まで送ってもらった。この研究稽古では、体術で体の運動方向が自分でもよく理解出来ないうちに切り換わる動きを発見。私の術理をよく理解している人達との稽古は、やはり思いがけない気づきがあるものだ。
 そして4日は静岡県の福祉関係の会で講演と実技を行なう。400人ほどの人達が集まったが、結局は終わった後30分ほど、いろいろな人達の質問に答える形で実技講習会の延長となった。
 1週間にわたり関西・中部とまわって、静岡から帰った翌日も藤沢の朝日カルチャーセンターで講習会。そして今日はPHPで名越康文・名越クリニック院長と本づくりのための対談。我ながらよく体が持つと思う。
 これは、暑い季節になってから果物は食べているが、離糖が習慣化して菓子類の甘味は、ほぼ完全に摂っていない事が効いているのかもしれない。
 名越クリニック院長と本づくりのための対談の後は、恵比寿で食事を共にしながら、今月末に広島県の福山で行なう予定のセミナーで何を話すかについて意見を交換する。
 最近、初期仏教の研鑽に打ち込まれている名越院長と、ミツバチの大量失踪から農業の工業化に対する問題をいやがおうでも考えさせられている私とで、現代を生きる人間の生き方についてどのような話の展開となるか、ちょっと予想がつかないが、今回は人数も限られているので参加される方々を巻き込んだ濃い空間となりそうだ。

 私は全国あちこちの講習会等をまわり、その後の打ち上げ等で参加された方々と直接お会いする機会は多いのですが、名越院長が参加者と親しく交流する場は、このセミナー以外はまずありませんので、名越ファンの方々にとっては滅多にない機会だと思います。
 〆切も迫ってきているとの事ですから、御縁のある方は夢飛脚にお問い合わせ下さい。

以上1日分/掲載日 平成21年8月7日(金)


2009年8月20日(木)

 毎日がすごい早さで過ぎてゆく。どう考えても4,5年前の4〜5倍の早さで時間が流れてゆくような気がする。それにしても気候がおかしい。このところ連日30度を越える日が続いているが、陽射しはすっかり秋。「今年は梅雨が明けて、すぐ秋で夏がなかったなあ」という印象。ただ蝉の大合唱は、まさに蝉時雨。私の家の周囲に千匹はいるだろう。
 暑いのは気にならないが、冷房には参る。世間の人達は、暑さからすぐあんなに冷やされて、よくおかしくならないものだと思う。お陰で私は夏でも冬の羽織を持ち歩き、夏羽織の出番がなくなってしまった。新型インフルエンザも冷房温度を上げ、冷えすぎないようにするのが根本的な対策の1つだと思うのだが…。
 このところ家にいて、片づけや、今週、来週と東北や中国地方に行く荷造りをしているが、これがなかなか進まない。その一番の原因が、私の「もったいない癖」と「凝り性」にあることが、つくづく分かる。片づけをしていても、「これは何か使えそうだ」「これもいつ要るか分からない」と、他人が見たらどう見てもゴミにしか見えないものも「工夫次第で役に立ちそうだ」と捨てられない上、どこに保管するかの分類で考え込んでしまうし、これを片づけるための道具が要ると、道具作りを始めてしまうありさま。
 昔、柔道家の三船久蔵十段の兄弟という凄腕の料理人がいて、この人物は腕は飛び切りだったが、とにかく気難しい上に常にケンカ腰なので、なかなかどこも務まらず、多分近衛家の縁でだと思うが、整体協会の野口晴哉先生の自宅で料理人をしていたという話を思い出してしまった。この人物の料理の腕は、裕之先生が「あの三船のじいさん以上の料理は他で食べたことがない」というほどのものだったらしい。まるで小説のようなユニークで面白いエピソードの数々は裕之先生から伺ったのだが、その中に「まあ、それほどの腕ですから、ある日、おふくろ(亡くなった野口昭子前整体協会会長、つまり野口晴哉夫人)が、自分も料理を教えてもらおうと思って『三船さん、私にも教えて』と言ったんですよ。そうしたら『分かりました、奥様。では、まずパセリの種の播き方からお教えしましょう』と言われたそうですよ…」という話があって、初めて伺った時は思わず笑いながら溜息をついたのだが、よく考えてみると、この三船シェフのことを笑えない自分がいる。やらなければならない事は山積みなのに、旅行先に持って行く物を洗って干すのに、干し場の改修から始めたりしている。
 しかし、まあこの性格だから技の追求もやってこられたのだと思う。そのお陰か、稽古に割く時間がない割りに、技の進展は止まらずにある。
 最近、それも極く々々最近出来るようになったのは、私の片手を相手が両手で、とにかく私に崩されないような姿勢でしがみついている状況を崩す技。以前は上方に崩すのを"浪之上"、下方に崩すのを"浪之下"と呼んでいたが、相手が肩口を私の胸の辺りに当て、とにかく暴風雨にも落とされずに、しぶとく木にくっついているリンゴのように、私が腰を落とせばすかさず落とし、抑えるというより、柳に風のように、とにかくくっついて離れないという状況は、きわめてやりにくい。それでもいままでは、まあ何とか凌いできたが、私自身、やはりやりにくいのを何か無理してやっている後味の悪さがあった。
 それが8月のはじめの浜松で、上腕の三角筋に表れる不安さを除く方向を工夫する事で少し前進があったが、その後きわめてしぶとい女性に頑張られて苦戦した。しかし、そのお陰で、いままでにない楽さで、このしつこいストーカーのようにくっついて離れない相手も崩すことが出来るようになった。
 これは以前から例えとして出していた綱の切れたエレベーターの原理と、無住心剣術の伝書『中集』に出ている、悪路を行く時、バランスを崩しそうになった瞬間の釣り合いのとり方などの応用。
 6月はこの30年間で一番大きな気づきがあった月だが、7月と8月前半は、この6月の気づきをいろいろ試み、確かめる事で過ぎていったのだが、8月後半に入って、また新たに具体的な気づきが展開しはじめてきたようだ。

 この様子では、8月の23日の仙台30日の京都の講習会ではリアルタイムで技の進展がありそうです。御関心のある方はどうぞ。

 それにしても8月の中旬前後は本当にいろいろな事があった。17日は女流漫画家の萩尾望都女史との対談。その前後は、9月の19日と20日に博多で行う実験的イベントの準備をいろいろと行い、このイベントの名前を「この日の学校」に決定。(このイベントについては近々詳しくインフォメーションを出します)
 この他にも随感録に書こうと思いながら書きそびれた事も少なくないが、どうしても紹介したい本がある。それは、佐世保の講習会の世話人平田整骨院の平田院長から送って頂いた『ニホンミツバチが日本の農業を救う』(久志冨士男著 高文研刊)で、是非多くの方々に読んで頂きたい。また、18日に身体教育研究所で野口裕之先生から伺ったポカンとする事の意味も、静かに、しかし確かに体に染み渡ってきている。この事については、またあらためて書く事にしたい。

以上1日分/掲載日 平成21年8月21日(金)


2009年8月27日(木)

 気づけば、8月も残すところ、あと僅か。このところ日が落ちれば、もう辺り一面青松虫の合唱。本当に秋という感じ。
 ここ1週間ほどの出来事が、すでに昨年の事のように時が過ぎてゆく。23日は仙台で講習会。このところ仙台は圧倒的に武道関係者が多く、しかも大部分は指導者クラスという他ではみられない顔ぶれ。お陰でいくつか新しい気づきもあり、私も3時間がたちまち過ぎたという感じだった。
 今回は21日に仙台に行き、空手界では知られたO師範に、宮城の山中で炭を焼いている佐藤家まで車で送って頂き、ここで2泊して、信州の江崎氏の新作の剣の性能試験や、マルミツの小関氏にアイディアを出した身体調整兼トレーニグ器具の製作打ち合わせなど。
 また、佐藤家に行く前にO師範の道場に初めて伺い、しばらくO師範と稽古。O師範の人柄にはいつもながら感心させられる。(くれぐれも御無理なく、と連絡しておいたのだが、稽古の合間に相当無理して時間をつくって頂いていたようで、ここであらためて御礼を申し上げておきたい)
 さて、今日はこれから福山へ。明日、明後日と名越康文・名越クリニック院長とのセミナー。これは実際やってみないと、どんな事になるか本当に分からない。しかし、現在いままでにない仏教への関心も深まっている名越院長とのセミナーは、私自身も思いがけない何かと出合えそうで楽しみにしている。
 そして、30日は京都で講習会。これはいまの流れでは、かなり今までとは違う気づきがあるかもしれない。御関心のある方はどうぞ。

 そして、9月はいままでやった事のない実験的イベントを博多で行なう。(これについては、今日はもう福山に出かける仕度や、やらねばならない事がいくつもあって書く時間がありませんが、何とか明日、明後日のうちにも内容を紹介したいと思います)

以上1日分/掲載日 平成21年8月27日(木)


2009年8月28日(金)

 衆議院選挙のため、あちこちで政見放送や政策を掲げた印刷物を見かける。しかし、日米関係と防衛問題以外は、どの政党も同じようなことを言っているとしか思えない。共産党などは欧州にくらべ、医療の手厚さが日本は遥かに低いと言っていたが、そのために税金が日本より遥かに高いのだから、皆自分にとって都合の良さそうな事しか言わないのだろう。
 それにしても、なぜどの政党も揃いも揃って、安くする、無料化する、手厚くする、と国民の機嫌取りばかりする事を言うのだろうか。
 「自分の身ひとつの始末は自分でする。そのために医療にかからず静かに自宅で死ぬことを、まるで自殺とみなし、家族は自殺幇助の罪になってしまうような現在の医療の過剰干渉を止めさせ、国民の生きることの自覚と誇りを尊重します」というような政見放送は当然のことながら皆無である。
 私が今後政界に出ることなどあり得ないが、いま述べたような事をはじめ、根本的に「人間が生きるとは何か」という事を問う生き方をしている人物と縁が出来れば、何とかその人を世に出し、志のある人々に伝えたいと思う。
 そして、その初の試みとして来月、つまり9月の19日と20日、博多で『この日の学校』という名称のもと、現在東京大学理学部数学科在籍中の森田真生氏とセミナーを開く。森田氏との出会いは今から約10年前、桐朋中学と高等学校のバスケットボール部の部員を対象とした、武術の術理と実演の説明会を行なった時である。その時は、私の方は森田氏を知らなかったが、その後、森田氏はメキメキと頭角を現し、個人的にもいろいろと話をするようになった。そして、森田氏が大学進学以後は、むしろ私の方がいろいろと参考になる話を森田氏から聞くことが出来た。
 森田氏は、何よりも話していて、その話の通りの良さとセンスに、抜群のものがあり、年齢差などまるで忘れてしまう。森田氏の人柄とセンスを紹介するために、最近私が森田氏に『ハチはなぜ大量死したのか』を贈った翌日に届いた、森田氏の論考をここに引用しておきたい。

甲野先生

早速「ハチはなぜ大量死したのか」を読み始めました。
これは予想以上に衝撃的な内容ですね。

今日は本当に多くの刺激を受けましたので、勢いで考えるところを書いてみようと思います。
(今後もし往復書簡形式でやり取りをさせていただくことになるとしたら、これがそのきっかけとなればと思います。)


●数学の倫理−「分からない」を認め、それと向き合う

私たちは小学校で算数を、中学・高校で数学を学びます。
学校で学ぶ数学は、必ずしも愉快なものではなく、やがて数学に対する拒絶反応を示すようになる大人も少なくありません。
生徒のうち数学者になるものはごくごく少数であるにも関わらず、青春の貴重な時間を数学に捧げる意味はどこにあるのでしょうか。

私は、数学から本来学ぶべきもっとも大切な教えは「分かるというのは本当に本当に難しいことなんだ」という実感ではないかと思っています。それを学ぶために数学を学ぶのであって、微分や積分、サインやタンジェントを使いこなせるようになることは二の次ではないかと思うのです。

自然は実に多くの奇跡と謎に満ちています。
自然の謎を解き明かそうとする自然科学は20世紀に目覚しい進化を遂げましたが、その結果として分かってきたのは、むしろ「いかに私たちが何も分かっていないか」ということでした。

目の前のりんごが私に見える。
それを赤いと感じる。あるいはおいしそうと感じる。
こうしたことがどうして可能なのか。
現代の科学はいまだにまったく答えることができません。

自然の謎に比べたら、私たちが分かっていることなど、ほとんど皆無に等しいのです。

にもかかわらず、私たちは日常生活の中でいとも簡単に物事を理解したつもりになります。
すぐに「分かった」と言ってしまう。

こうした態度はある意味では非常に不誠実だともいえます。
本当は少しも分かっていないことを分かったといってしまう。
大いなる謎をさも当たり前かのようにやり過ごしてしまう。

しかし、私たちのこうした態度は一方では、非常に合理的でもあります。
なぜなら、自然はあまりにも多くの謎と奇跡に満ちているので、そのひとつひとつにまともに取り組んでいたのでは簡単に私たちのキャパシティの限界を超えてしまう。
それを何らかの方法でいったん打ち切る必要があるのです。

そのために、人間は「物語をつくる能力」を身につけました。
物語によって、謎をいったん打ち切り、「想像力の限界」を設定することでキャパシティオーバーを防ごうというわけです。
しかし、物語によって現実の奇跡と人生の無限を一旦有限の領域で区切るというこの方法があまりにも便利なため、私たちはこの手法に頼り切ってしまっているのではないでしょうか。
物語が物語に過ぎないことを忘れ、ある場合には物語が現実にとってかわってしまっているようでもあります。

●数学者は永遠に問う

数学の出発点は、「この世に自明なことはなにひとつない」と宣言するところにあります。
1+1 = 2
これひとつとってもまったく自明ではない。

なぜ1+1=2なのかを徹底的に考え抜く。
徹底的に1+1はなぜ2なのかを考え抜いてみると、自分がいままで足し算のことなどなにひとつわかっていなかった、ということに気づく。そして自分がいままでいかに多くの「謎」をやり過ごしていたかに気づく。

このときに全身で感じる恥ずかしさ、反省の念、そしてこのときにこころの中にすくと芽生える謙虚さが数学のはじまりの兆しです。

数学の目的は、最終的に出版される論文でも、証明される定理でもなく、「分かる」ということを徹底的に追求する、そのこと自身にあるように思います。

どこまでも謙虚に、どこまでも誠実に、
「わたしは本当に分かっているのだろうか」
と自問し続ける。

多くの方は数学者を「問題解決者」だと思っているようですが、数学者とは生来「永遠の問題提起者」なのです。

ひとつの謎が解かれると100の謎が生まれる。
美しい謎、美しい問いを提起し続けるのが、数学の使命ではないでしょうか。

●問題解決者の大量生産

冒頭でも述べた通り、私たちは日常の中で無意識のうちに実に多くの謎を隠蔽しています。
それはある意味では非常に合理的な戦略でもあるわけですが、しかし行き過ぎると人生そのものを物語のレベルまで引き下げてしまうことになりかねません。

いくら謎を隠蔽してみたところで、謎は謎としてやはり歴然としてそこにある。
そして、いくらそこから目を背けようと、私たちの人生はそれらの謎にしかと接続されているのです。

だとすれば、謎を覆い隠し、そこから目を背け続けるという戦略も、自ずからどこかで破綻を来たさざるを得ません。
どこかで必ず辻褄が合わなくなる。
その破綻の一端が、「ハチはなぜ大量死したのか」に描かれている世界ではないでしょうか。

私たちは、過度に人生を合理化してしまい、問うことをやめ、問題を「解決する」ことに夢中になってきました。
現代の教育はそのために大量の問題解決者を生み出すことに成功しています。

名のある大学の入試を突破し、数々の難しい資格を取得できる優秀な問題解決者が毎年何万人と生産されています。一方で、優秀な問題提起者を育てる努力が十分に行われてきたかどうかというと疑問が残ります。

どれだけ優秀な問題解決者がそろっていたとしても、解くに値するような創造的な問いを提出する問題提起者が存在しなければ意味がありません。

・いかにして1円でも儲けるか
・いかにして1グラムでも多く生産するか
・いかにして1秒でも楽するか

これらは確かにある文脈では非常に重要で切実な問題であるわけですが、しかし全人類がこぞって解きにかかるような、それほど魅力的な問いでしょうか?

・かぼちゃの種からなぜかぼちゃができるのか
・作物に花が咲くとなぜ実がなるのか
・わたしたちはそもそもなんのためにいきているのか

このような根本的な問いを、創造的な形式で問いかける人がひとりでも多くいたら、世界はいまとは違った姿になっていたのではないでしょうか。

「かぼちゃの種からなぜかぼちゃができるのか」
そう問う余裕すらなくした人類が、ひとつでも多くのかぼちゃを生産するという問いの「解決」に全力で取り組んできた結果が、『ハチはなぜ大量死したのか』に描かれている、いままさにわたしたちが生きている世界です。

私たちが必要としているのは問題解決者ではなく、優秀な問題提起者なのではないでしょうか。

●数学教育の矛盾

このように考えてくると、「計算がスラスラできることが数学だ」と言わんばかりの現在の数学教育は、世界の悲惨な現状をますます増幅させるばかりであることが分かります。

「分かるというのは一筋縄にはいかない、本当に困難な作業なんだ」ということを認めるならば、スラスラと計算問題が解けて、満点ばかり取っている学生はよほど「危ない」という気がしてきます。

分かる、ということはそんな簡単なことではない。
インスタントラーメンのように即席でできるものではない。
理解というのは、種から花を育てるように、あるいはたっぷりと時間をかけて樽の中でワインを熟成させるように、「分からない」と取っ組み合い続ける時間の中から徐々に醸成されるものなのではないでしょうか。

そのためには「分からない」ということを自分の中に大切に持っていなければいけない。

じっと向き合っていかなければいけない。
「分からない」と取っ組み合い続けた時間が長ければ長いほど、そのあとに訪れる理解は味わい深いものになる。
だからこそ「待つ」ということを学ばなければならないのであって、試験開始と同時に、問題も理解しないうちから鉛筆を握るなどという姿勢は論外であるはずなのです。

そういう意味では、サイン・コサイン・タンジェントも、難しい微分や積分も分からなくていいから、なにかひとつでも自分の頭で考え抜いて理解する体験。
そういうものを数学教育は提供しなければならないはずなのです。

サインもコサインもタンジェントも、自分の頭でかんがえてみたことがないならば、本当に役になんて立たない。
むしろ「なにも分かっていないのにテストで満点を取った」という罪の意識と嫌な思い出だけが残ることになるでしょう。

最悪の場合は、「何も分かってなくても、みんなは褒めてくれる」と味をしめてしまうことになりかねません。

●永遠の挫折

現代教育を受けている私たちの多くは、小学校の初期の段階で「永遠の挫折」ともいえる挫折感を味わいます。
いちたすいちは2です。
と先生が言うと、まわりが全員頷く。
「え??」
と思うことも許されぬうちに、算数の授業はどんどん進む。
分からないことの嵐に襲われて、「分かる」をあきらめ「認める」あるいは「覚える」へと堕落するのです。
「分かる」をあきらめ、「覚える」へと堕落した瞬間、私たちは「エリートコース」へと華々しいデビューを果たします。

本当に分かっているかどうかはともかく、分かったことにする。
それができる子は社会に笑顔で迎え入れられます。
一方で「分かる」を追求し続けようとする「ものわかりの悪い子」は、「数学の才能なし」のレッテルをはられるのです。

かくして、最も才能のある数学者が、こんなにも若くしてその才能を摘まれていくのです。

●本当の勤勉さとはなんだろうか

本当の勤勉さとはなんなのでしょうか。

本当はなにも分かっていないのに、次から次へと問題を解く。
自分の内面に数学的な現象の世界がなにひとつ立ち上がっていないけれど、数学の問題を日々何十題も解く青年。

一方で、一向に問題は解けないが、日々自分のうちの「分からない」と格闘し、ひとつひとつの「分かる」を積み重ねていこうとしている青年。

果たしてどちらが勤勉と言えるでしょうか。

答えは明らかでしょう。

本当の勤勉さとはなにか。
それを改めて問わなければいけないように思います。


長くなってしまいましたが、思うところを文章形式で少し書いてみました。

今後もアイディアなどをこうしたかたちで書き留めていこうと思います。

あらためて今日はありがとうございました。

森田真生


 この森田氏と博多でセミナーを行った翌日は、福山でも森田氏をゲストに、博多とは一味違った"『この日の学校』イン福山"を行いたい。詳細はまだ決まっていないが、会場は福山駅の近くで行う予定である。このセミナーに臨む森田氏の思いをここに紹介したい。


「よりよく生きるための数学入門」

近年脳科学が大きなブームになっています。
『わたしの人生』という神秘が、この頭蓋骨におさまっている小さなゼリー状の器官から生み出されているとしたら、この脳こそがすべての豊穣の起源、そしてその脳の仕組みを明らかにすることこそが科学の究極の目標であるという気がしてきます。

しかし、「わたしのこころはここにある」と言って自分の脳みそを指し示すとき、どこかぎこちのない違和感を感じずにはいられません。

窓の外を吹く風の音に心奪われ、
はるか彼方の記憶の中をさまよい、
あるいは遠くに住む母を想うこのこころは、
決して頭蓋骨の中だけにおさまるものではなく、
広く世界のうちに偏在しているようにも感じられます。

こころはここにも、あそこにもある。

そのことを忘れては、真の脳科学はあり得ないのではないでしょうか。

数学とは、こころの学問です。

自分自身のこころをじぃっと見つめ、それを育て、あるいは整えていく。
その終わりのない営みが、数学の本質であり、数学の悦びでもあります。

私は、中学や高校での数学教育が、計算の速さや知識の多寡ばかりを争うスポーツのような状態に成り下がっていることが残念でなりません。

数学は、数学者だけのためのものではありません。

健康のために栄養をとり、
身体のために運動をし、
精神を整えるために瞑想をするように、
こころを見つめ、育てるために数学をする。

そのような数学との接し方があってもよいのではないでしょうか。

本講演では、「受験のための」数学でもなく、「数学者になるための」数学でもなく、「こころを育て、よりよく生きるための」数学をご紹介させていただきたいと思っています。

計算力や知識は一切必要ありません。
必要なのは「分かるまでじっと待つ」という覚悟だけです。

森田真生氏略歴
(今回のセミナーの為、主催者からの要請で森田氏から送られてきた略歴の抜粋)

1985.8.9 東京で生まれる1987-1996 Chicago, Illinoisに在住
96 東京に帰国
98 桐朋中学校入学 バスケ部副キャプテン
99 甲野先生に出会う
以来甲野先生とは年に2,3回ほどのペースでお会いさせていただく
01 桐朋高校入学 バスケ部(バスケ部キャプテン)
卒業時に都知事賞受賞、5年連続成績最優秀賞受賞
04 東京大学文科U類に入学
大学入学以降は今まで以上に甲野先生とお会いさせていただく機会が増える
04.9 TOEIC990点取得
04.12特定非営利活動法人アイセック・ジャパン 研修生受け入れ事業部長就任
05 学生団体Interactを設立
(シリコンバレーのようなイノベーションのプラットフォームを東京に立ち上げるという理念のもと,500名規模の講演会や,シリコンバレーへの学生のツアーを企画,実施.
05.9 東京大学工学部システム創成学科知能社会システムコースへ進学決定
06.2~ 株式会社サルガッソー(http://sargasso.jp)創業メンバーとして会社設立業務やソフトウェア開発業務及び営業活動等に従事
06.8 バスケットボール世界選手権 通訳業務
07.2 Rolf Pfeifer氏と甲野先生の対談をオーガナイズさせていただく
07.3 アーティスト河村美雪さんの舞台garden Agora 2007で主演
07.4 東京大学工学部 認知発達機械研究室に所属。多自由度系の制御問題を研究
07.4 MITで開催された『International Workshop on Legged Locomotion for Young
Researchers』にて発表。甲野先生の技の紹介等を行う。
07.7 東京大学新井・横井・太田3研究室 最優秀論文賞を受賞
07.10 2007年先端ロボット工学合同ワークショップ 金賞受賞
(ベルンシュタイン問題と言われる多自由度系の制御問題を解決するための計算モデルを提出)
08.3 株式会社サルガッソーの支援の下、三鷹天命反転住宅に住み込みで数学研究をはじめる
08.3 東京大学工学部卒業
08.4 東京大学理学部数学科 学士入学
08.8 東京財団仮想制度研究所研究助手に就任。身体性認知科学関連のセミナーのオーガナイズを担当
現在は東京大学理学部数学科4年。
代数幾何学専攻

以上1日分/掲載日 平成21年8月30日(日)


2009年8月31日(月)

 私の技と術理が激変しつつある。8月の中旬すぎから、また新しい気づきの気配が感じられたので、仙台や京都の講習会で、その気づきが大きく展開する事があるのではないかと予測し、この随感録にも書いておいたが、その予想通りといえば予想通りだが、今回の展開は、さすがにこれほどの事になるとは思わなかった。
 突然降ってきたような予想外の展開に、私自身ひどく驚いたというのは、昨年の5月の末、岡山でそれまで30年以上刀を持つのに左右の手を離していた状態から、両手を寄せた持ち方に大改訂した時もそうだったが、今回の展開は、あの時とは状況がかなり違う上、その影響が剣術のみではなく、私の技の全体系に直に及ぶという点では、更に大規模な変革になるのではないかと思う。
 というのも、まだその全体像を理解するのには、かなりの時間がかかると思われるからであるが、そのホンの入り口ですでに大きな変化があるからである。それにしてもこんな事をよく気づいたものだと、その事がまず不思議である。
 もっとも、この気づきに至る伏線は、思えば8月の初め頃にあったし、さらに今回の変革の一番の材料にした「ハネ釣り」と呼んだりしていた救助用の技は、数年前から実演し、ムック本やNHKのテキストなどにも紹介してある技である。
 ただ、今回の気づきの形態は、最近よくある、フトいままでにない動きに気づいて、具体的に新しい技を創出した、というものではなく、30年以上も慣れ、すっかり身についていて、今まで一度もその動きを根本的に見直すことをしなかった動作に、どうしようもない異和感と情けなさを感じ、「これを何とかしたい」と、もがき始めたという、およそ今まで経験した事のない道筋を通っている。
 まあ、これに部分的にやや似通っているのは、17年前、「井桁崩しの原理」に気づいた時だが、あの時は捻ることの問題、固定的な支点を作った円運動の否定という考え方に私が気づいたのは、その何年か前から、当時いろいろとお話を伺っていた振武舘の黒田鉄山先生の術理の解説が、私のなかで漸く私なりに気づき始めたという事である。しかし、今回は名越氏とセミナーを行っていた28日の深夜に、会場のホテルベラビスタ境が浜で、特に武術に関心のある人達数名相手に技の解説と実演を行っている間に、突然持っていた木刀を振り下ろすという行為に、何ともやりきれない異和感というか情けなさを感じ、「うわぁ、これは根本的に違うぞ、いや違うというも何も、おかしすぎる、弱々しすぎる、何で何十年も、こんな稚拙な動きをおかしいと思わなかったのだろう」という実感に、いままでの常識に対する疑いがムクムクと湧き起こってきて、自分でも、そのあまりの異和感と、その広く普及している木刀の振り方を、「おかしい」と断定する私自身の自信というか一方的独断の激しさに、我ながら驚いてしまったのである。
 しかし、「おかしい」と断定したものの、では一体どうやって木刀を振ったらいいかという参考になる動きは、木刀を振る事とはあまりにも違う動きの「ハネ釣り」だけなのである。そのため、この時は翌日のセミナーの事もあり、またとてもすぐに新しい動きを作り出せる目途もなかったので、そう遅くまで、この湧き上がってきた疑念に対する検討はしなかったが、それでも寝たのは4時くらいだったと思う。
 そして30日の京都の講習会。この講習会は私の気づきをリアルタイムで参加者にも共に味わってもらうという私の講習会の最も典型的な例となった。とにかく木刀を普通に振ることの異和感は強烈で、例えて言えば、今まで小判とまでは言わないが銅銭ぐらいだとは思っていたものが、ただの木の葉だった。これは「狐に化かされたか」と気づいて腹が立つようなもの、あるいは苦労して一応は人が住める家を造って、そこに住んでいたと思っていたのが実は夢で、夢から覚めたら素人が応急に造ったみすぼらしい物置きに暮らしていたというか、とにかく「よくこんな貧相な振り方を今まで大真面目にやっていたものだ」と呆れたというような心境になったのである。
 とにかく、いままでのように木刀や竹刀を振ろうとすると、「ああ、何てことだ」という嫌悪感が湧き上がり、同時に心の一方で「これは何か大きな気づきがあったなあ」と湧き立つような喜びがあるという、いままで一度も味わったことがない何とも奇妙な心理状態になった。しかし、講習会中は、それ以上の技術的進展は殆どなかった。ただ、いままで何十年とやってきた刀の振り方がどうしようもなくおかしいという事は一層確信した。
 そして打ち上げ。このところ京都の講習会の後、いつも行くので馴染みとなっている「庵」へ。ここは顔馴染みになったお陰で、座敷で稽古を始めても容認してもらえる有難いところ。私も始めは食事をしながら打ち上げまで参加してもらった人達と、いろいろな話をしていたが、感覚はずっと技のこと、体の動きについて考えている。そして一通りの食事も終わったところで、私自身の内部感覚と自問自答しつつ、およそ今まで行ったことのない体の使い方を試みる。もちろん参加者の多くは、それが何よりの楽しみだから、相手してもらう人に不自由はない。
 とにかく、何をどう考えてどう動いたのか、あまり記憶に残っていないのだが、いまもハッキリ憶えていることは2つ。そのひとつは赤樫の木刀二振りを持ってきてもらったS氏に一振りは持ってもらい、その木刀で抜いたり打ち合わせたりしていたのだが、「おっ、この感覚はいままでと違うぞ」と思った時、打ち合わせた木刀の音が、いままで一度も耳にしたことのない妙に鈍い音であった事。それから、その動きを体術の「切り込み」に応用した時、この切り込みに対して、いままでは崩れても手が腰の辺りまで下がる程度の崩れ方であったガッシリと粘り強かったD氏が、思いがけず大きく崩れた事である。
 一体どのようにして、これが出来たのか、いまも理論的な事はよく分からない。ただ、この日打ち上げまで参加してもらった人達が、ある種の高揚感のある顔で帰途について行ったのが印象に残った。

 そういえば、昨夜電話で話した森田真生氏が「数学の発見も、それまでは誰もが疑わず使っていたものに、まず違和感を持ち、そこから新しい定理や解法が出来てくるんです」と語っていた。
 そして、イベントの本来の意味はそこに集うことで個々人だけでは成し得なかったアイディアが結び合い化合し、そこに新たな発見が生まれ、それを参加者が共有し、また個々人の関心のあることに展開していけることに意味があると…。
 森田氏も私と話していると、いろいろとアイディアが湧いてくるそうだが、私も森田氏と話しているとエンドレスでいろいろなことが浮かんでくる。
 9月の19日20日と博多、また21日に福山である森田氏とのイベントが楽しみである。

以上1日分/掲載日 平成21年9月1日(火)


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