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2011年2月1日(火)

 最近はツイッターが、まさに「随時随感」となって、この随感録に書いていたような事を、短くまとめて書くようになって、ここに書くことが減ってきたが、長文となると、やはりこの随感録になる。
 先日、山中で遭難した高齢者を救助した佐世保の野元浩二氏の傑作な報告メールは、この随感録に載せたが、その後、野元氏が人命救助で警察から表彰される事となり、その辺りの経緯をメールで送ってもらったが、これがまた傑作。それもここに転載させて頂きたいと頼んだが、「照れくさくて勘弁して下さい」との事で無理かと思ったが、野元氏の周囲での、今回の野元氏の活躍に対する反応や、表彰されて新聞記者も来るのなら、この際「ニホンミツバチのこと、ネオニコチノイド系の農薬反対のことなども語ろう」と決心が固まったようで、私の方にも表彰を受けるに至ったいきさつを、続いたメールの転載も漸くOKが出た。
 そこで、ここに転載します。どうぞ…

ヒエーッ!甲野先生!今日、警察から家に「野元浩二さんは、いらっしゃいますか?」と、何度も電話が、かかってきたらしく、また8時すぎにかけるとのことなんで「ゲッ!ヤバッ!水曜の、山の件の事情聴取ならよかばってん、1月10日やったかね、高速のオービスレーダーの光ったような気のするけん、そいのことやろか?そいとも、不燃物の日に出してあった自転車を勝手に持って来たことかもしれん?」(家族に内容を言えばいいのに!まあ近頃は、個人情報のうるさかけんですね!)そうこう話して、飯を食ってイカを口いっぱい頬張っている時に警察から電話が!内容は、なんと、あっしが、人命救助で表彰されることに!(^_^;)「えーっ!そんな大層なもんは、照れ臭かけん、いらんです!と言ったら警察が「まあまあ、そう言わずに!実は署長が、野元さんの特殊な捜索方法に大変、興味を持っておりまして、(当日、三脈の話から甲野先生と古武術の事を、若い男性警察官二人と婦人警官二人に話してたんすよ!)これからも野元さんに協力してもらえないものか?と言ってましたし、今度、是非、ゆっくり、お話をしたいと!それから、もし野元さんに見つけてもらえなかったら署員総出どころか、近隣の警察官総出の百人以上での夜の山を大捜索となっていたでしょうから、莫大な予算が、かかるところでした!(数百万単位らしいっす!)ほんとにありがとうございました!それと、今後の協力者の事もありますので是非、是非、お願いします!それに、正直に申しますが、もし野元さんに断られると広報担当の私が、怒られます(^_^;)!」ってのと、電話の対応の感じが、大変よかったんで、ついOKしたんすが、表彰当日(まだ、決まってないけど、来週あたりになるごたるです!)は、マスコミも来るってんですよ!「ヒエーッ!そこらへん、新聞は、ともかく、テレビは、勘弁してくださいよーっ!」と言いやした!そいから昨日は、あっしが、いない時に、じいさんの、ご家族が、高級酒と菓子折りを持って御礼に来られたみたいで、「いつでも飲みにでも、なんでも連れて行きますよ!遠慮なく言ってください!と、ご主人にお伝えください!」と!(ネオニコチノイドが、禁止になるまで酒を飲まないと誓っているのが、残念(>_<)!)その後、お孫さんからも御礼の電話がかかってきました!なんか照れ臭いけど嬉しかったっす!しかし、どうもいけやせん!警察も町内のみんなも、みんな一生懸命さがさしたとに、なんか、あっしだけが、騒がれ、警察から表彰されるのは、なんとも心苦しくてモヤモヤするし、甲野先生のブログに出た、あっしの文も、甲野先生に送った素直な気持ちだったんすが、あっしを、知らん人が、見たらどがん思うか?じいさんを見つけた嬉しさで浮かれてたせいか、なんか、どうだ見たか!って感じの、あっしの自慢話みたいな臭いが、プンプンして恥ずかしかです!(他人の自慢話ほどクソ面白くもなかもんは、なかけんですね!)そいで、ほんの今さっき、一緒に捜索した近所の人の家に、そのむねを伝えに行ったら、「なんぱ、バカな事、言いよると!あんときコウちゃんの見つけとらんやったら、おじいさんの命に関わっとったし、家族は、もちろん、見つける側も、たまらんやったとやけん、堂々と、もらわんね!表彰状よりも逮捕状の似合う、コウちゃんが、もらうとは、いいことやん(おい、おい!)こんなことは、滅多にないことやし、町内にとってもよかことやけん、みんなの代表で、もろうとって!」とえらい祝福してくれたんで胸のつかえが、とれました!嫁さんや娘達も、良よかことしたとやけん素直に、もろとかんね!と言ってくれたんで、そうしますわい!
アホ野元!

以上1日分/掲載日 平成23年2月2日(水)


2011年2月6日(日)

 やる事は山積していても、優先度合がきわめて大きければ、勿論その事をやってしまう。昨夜は前の日から私の佩刀の鍔元の緩みが気になっていたので、眠かったが柄をあらためて点検してみた。
 すると、どうもハバキと縁の間の間隔が僅かながら開いたという事らしい。
 そこで、柄を抜いて目釘穴を調べた。柄の目釘穴と刀の中子に開いている目釘穴とは、微妙にズラしてあり、目釘の竹を差し込むことで楔となるようにしてあるのだが、それが、もうこれ以上刀身を柄に深く入れると、その目釘穴のズレがほとんどなくなって楔効果がなくなる事がわかった。また深く入れると抜きにくくなるので、鍔と切羽の緩みを無くすために薄い切羽を縁の上に1枚加えることにした。
 しかし、そうなると目釘をいままでよりかなり細くしなければならない。目釘に関しては、幕末の講武所頭取であった窪田清音は、その著書『刀装記』の中で「目くぎは竹にかぎるべし」として、その竹も太く肉の厚い竹林の南側に生えた3〜5年生の竹(真竹)で、その竹の陽に当たっている側の地上3寸から1尺の間のものが適していると書いている。私もこれに倣い、目釘自身も太めにしていたが、それを変えなければならない。まあ安全面からいえば、私は2つ目釘にして、控えの目釘は鉄にしているから、万一、竹の目釘が折れたり抜けたりしても、刀身が柄から抜けることはないが、この30年近く、目釘は常に太かったので、細い目釘を作るというのは不思議な気分だ。
 昨夜は取り敢えず手近にあった孟宗竹の枝を割ったものを目釘にしているが、近々あらためて真竹の根近くか、孟宗の枝かを菜種油で煮て、ちゃんとした目釘を作りたいと思う。
 目釘は、もう何年も作っていないが、竹を煮る油の温度は80度くらい。これより高いと竹がバサバサになって脆くなるから温度は注意が必要。目釘の竹づくりというのは不思議なもので、手間はかかるが、それを作る楽しみは格別。しかし、やはり手間がかかるから作るのは結局何ヶ月も先になってしまうかもしれない。

以上1日分/掲載日 平成23年2月6日(日)


2011年2月13日(日)

 山積する諸用件に、この随感録も滞りがち。それに最近はツイッターの方に、つい書き込んでしまうので、一層こちらがアップされる事が少なくなってきた。
 そうした中、10日は先日佐世保の山中で老人を捜し出し、8日に警察から表彰された野元氏から、

ほんの今、昼飯、食いながら、なにげにテレビを見ていたら、山口県で鳥インフルエンザの拡散を防ぐ為とか訳わからん理由で公園の白鳥が、大量に殺されていました!決めた奴が、死ね!怒りで爪が、手の平に刺さってしまいやした!まったく人間って奴は!

とのメールが来た。そのメールを読んだ途端に、これを載せるための前置きの文章をつくって、ツイッターにツイート。そして、その後このメールを転載し、後は山積する用件も放り出してツイート。途中さすがに締め切りギリギリの校正ゲラがきたので、しばらく中断したが、後は一気にまた走り書きしてI氏にFAXを入れ、これを校正してツイート。これに反応してREやRTしてくださる人が激増し、私のフォローワーは、たちまち2000人を超えてしまった。
 とにかく10日は、まるで筆先状態で走り書きする手が止まらなかった。そして、昨夜、「ツイートは流れてしまうので、今回の事を、まとめて読めるようにサイトに載せておいて下さい」という熱心なご要望をいただいたので、ここに10日最初から12日までの一連のツイートを若干編集して転載しておきます。
 アメリカが行なおうとしている食品安全近代化法やネオニコチノイド系の農薬の問題を併せて多くの方々にお考え頂きたいと思います。


昼前辺りから、いろいろな企画の打ち合わせやら、校正やら、電話にキャッチホン入って、そこにメールと、てんやわんや!しかし、いま、背筋が 凍る(同時に、「やっぱり、そうなったか」と思った)メールが、昼飯をたべながら何気なくテレビを見ていたという佐世保の野元氏から届く。

ほんの今、昼飯、食いながら、なにげにテレビを見ていたら、山口県で鳥インフルエンザの拡散を防ぐ為とか訳わからん理由で公園の白鳥が、大量に殺されていました!決めた奴が、死ね!怒りで爪が、手の平に刺さってしまいやした!まったく人間って奴は!

まあ、十分予想されていた事とはいえ、現実になるとショックだ。そのうち「野鳥も皆殺しにしろ! 」という意見も、出て来るだろう!いや、もう出ているかもしれない。鳥と人間は、違うという意見があるかもしれないが、ユダヤ人大量虐殺と心情的には同じである。

もう、このままでは、なんでも人間中心の社会を作り、遺伝子組み換えで、自分達に都合のいい環境にしたつもりが、精神に破壊が来て、薬物浸りとなり、治療する者も、治療される者以上に 精神を病んでいる時代が来るような気がする。 いったい宗教者は何をしているのか、と思う。

桜井章一・雀鬼会会長からお電話をいただく。野元氏からのメールで、山口県での公園白鳥みな殺し報道を知った後だけに、かなり激烈に現代の世相について、いろいろ語ったように思う。

しかし、私が嘆いても、「でも現実に鳥インフルエンザが流行したら困るでしょう」という意見が、現在の日本では圧倒的だし、心情的に私の意見に同調している人も、為政者側の論客から「そんなこと言って、卵もひどく値上がりしたらどうするのか」と言われたら、口をつぐむ人が多いと思う。

私に言わせれば、「卵が物価の優等生」などと養鶏業者に言わせてコスト削減をさせていた社会構造に、そもそも問題がある。江戸時代以前、卵など滅多に食べられなくて、現代人より遥かに頑強な人間はたくさん居たはずである。

私も生卵が大変好きな人間だが、それだけに無理をしてコスト削減した鶏の卵を食べたいとは思わないし、インフルエンザで鶏が激減したら、卵を無理しても食べようとは思わない。

大体、効率、効率で生き物を効率よく増やして消費するという考えそのものが間違っていると考えないと、鳥インフルエンザも根本的解決にはならないだろう。

野蚕という天然の蚕は、クヌギの葉を好むので、かつて普通の蚕のように野蚕を沢山育てようとクヌギの林に野蚕の幼虫を放し、1ヶ所で大量に野蚕から、上品な緑の山繭を得ようとしたらしいが、ちょっと上手くいきかけると、野蚕が病気で死滅したらしい。

それで「野蚕と大根は当たったためしがない」という言葉が生まれたという事だ。つまり、生き物を限られた空間で効率よく育てるということ自体が不自然な行為で、自然は、これを戒め、野生の蚕は、このルールに従ったのだと思う。

もちろん人間の歴史は、即ち不自然な行為の歴史という見方もあるが、それでも石油が掘られ、プラスチックが作られ、原発が稼動するまでは、まだまだその不自然さも大したことがなかった。

それが、そうした便利な物を手にして、人間は一気に抑制が利かなくなった。もちろん私もその流れの中にいる。20代の頃は川の浅瀬にひっかかったプラスチックのゴミを見て、「ああ、人間は取り返しのつかない事をしたなあ」と落ち込んだ事が再々あったのだが、その度に自分の無力を感じた。

その頃は、実際ひどく質素な食べ物でも十分元気に生きていける事を実感しておこうと、生玄米を水につけ、発芽状態になったものを擂り潰して食べたり、ソバ粉だけ持って、後は松葉と野草で旅をした事もあった。

生玄米などで約1ヶ月過ごした時の頭の中のスッキリ感は、それ以前にも、それ以後も一度も味わった事はなかったが、ただ感覚が鋭敏になりすぎて、電車の中で子供を叱る母親を見ているだけで心がひどく辛くなり、火を通った物に戻して娑婆でも生きていけるようにした。

ただ、あの頃は電車に乗っていても何かのキッカケで現代文明という人間の愚かな行為に気持ちが一気に落ち込んで、何もかもがイヤになり、この世からそのまま消えてなくなりたくなる発作が年に2〜3度は起こっていた。

しかし、そんな思いに取りつかれていたら生きていけないから、何とか心の整理をし、割り切り、その事実から目をそらす術も身につけた。しかし、心の奥底には現代という時代に対する怒りが冷えぬマグマとして、ずっとたぎり続けている。

そうした思いがずっとあったから、97年『もののけ姫』を観た後、しばらくは映画館の客席から立ち上がる力がなく呆然としていたし、後遺症はずいぶん長かった。

宮崎駿監督にお会いした時、「いろいろな人から、いろいろ感想を聞いたけれど、甲野さんほど衝撃を受けたという人は聞いたことがないですよ」と私に話され、その後、2000字以上もの『もののけ姫』に関する長文の御手紙を頂いた。

しかし、宮崎監督といえども『もののけ姫』で、あそこまで人間の業の深さを開示してしまうと、その後に続くものがなかったのだろう。次作『千と千尋の神隠し』では、「まあ、ひどい時代だけど友情は大切だよ」というメッセージを伝えるに留まっている。

だが、これは宮崎監督を責められないだろう。いま、という時代に生きている者にとっての限界ギリギリが『もののけ姫』だったように思う。宮崎監督から頂いた御手紙には、そのことが切々と綴られていて、いま読んでも胸を打たれる。

まあ、しかし、いつまでも悲憤慷慨していてもはじまらない。ここは気持ちを切り換えて、どうしたらいいのかを考えてゆくしかない。明日は東京タワーの近くで講演。その後、池袋コミュニティカレッジ。そして明後日12日は朝日カルチャーセンター横浜。御縁のある方はいらして下さい。

昨日は、山口県の公園の白鳥、鳥インフルエンザの疑いで処分のニュースで、一日がほぼ消えた。一夜明けて、そして何よりも少し稽古をして落ち着き、名越クリニック院長から「ツイッターにハマらないで下さいよ」と忠告されたことは、この事かと思った。

と言ってもちろん、昨日のツイートを悔んでいないし、取り消す気はまったくない。ただ、つくづく難しい時代に入ったのだと思う。「茹でガエル」の例えは、まさにこのように戻るに戻れなくなった状況を言うのだと思う。

そして、このようなことは、まったく自慢になる話ではないし、自慢したくもないが、現代という時代の難しさについて、その根本的理由と、そこから派生してくるさまざまな問題を語って、現代文明の矛盾を浮き彫りにすることにおいて、私ほど語れば止まらない者は滅多にいないだろう。

それは、この約40年間体感も通して、さまざまなことを実践していくなかで絶えず問い続けた問題だからである。したがって、いかなる現代文明礼賛者と話しても、ただ議論に負けないように、無意味な議論を重ねることはせず、それで言い負かされることは決してないだろう。

現代文明礼賛者というか、現代が人類発達の必然的結果だと主張する者で、私が「敵ながら、あっぱれ」と思うのは、カリフォルニアあたりに発生したカルト的「星間種子説」の論客ぐらいである。

これによれば、人間は宇宙から原始的生物の形で種として撒かれた存在で、必然的進化を逃げて、今日に至っている、という。

そして、もともとこの広大な宇宙が故郷だから、環境破壊を起こそうとも、再び母なる宇宙に帰ろうという本能を持っており、公害で地球が住めなくなる前に、宇宙空間に脱出しようとしているのだ、というものである。

この地球がどうなろうとも、とにかく地球脱出が人類の使命という発想は、たしかに現代のこの矛盾に満ち満ちた地球の様子を説明するのに最も辻褄の合う考え方だ。

この説に乗れれば、どれほど精神的に楽かわからない。遺伝子組み換えだろうが、公害だろうが、とにかく、選ばれし者が地球を脱出して宇宙空間に出るのが "善" なのだから、しゃにむに科学技術を発達させればいいわけである。

私も、何度か「この考えに染まったら、どんなに楽だろうか」と思って、そう考えを変えた自分をシュミレーションしてみたことがあった。

だが、清冽な沢の水が流れる広葉樹の森に入ったら、ここが茶色く枯れ果てても、宇宙に出るのが善だという考えには、どうしても転向できなかった。

しかし、便利な世の中を作って、しかも昔ながらの自然を守っていくという事は、本当に本当に大変な事である。

隣国中国は、本当に、その日その日を送るのがせいいっぱいで、環境などとても考えているゆとりもない人達が何億人といるようだ。

そこで、とにかく安い石炭を燃やす。それが酸性雨になって日本に降り、ナラ枯れの第一次要因をつくる。昨年行った山形県小国や佐渡のナラ枯れは、深刻な事態だった。

しかし、小国のナラ枯れを一緒にバスで見学に行った民主党の議員達は、説明する人の話には「これはひどいなぁー」と言うものの、バスの中では居眠り、食事に入ったソバ屋では、選挙や事務所の話。とても事態を深刻に受けとめているとは思えなかった。

もっとも、自民党の議員でも、同じか、もっと無関心だったかもしれないから、世間の環境を見る目というのは、そんなものなのであろう。

それだからこそ、便利な世の中と自然環境の両立という、口あたりのいいスローガンは誰でも言うが、実際はきわめて難しいということなのである。

しかし、こういう時代に生まれ、このことに気づいた者が、なんとかしなければならないのだろう。私はどんな科学技術の発達よりも、人間の精妙な心身の構造そのものに眼を開くことが、何よりも過度なハイテクの発達を見直し、人として向かうべき方向を考え直すきっかけになると思うのだが。

そういう私が、今日は、さまざまな企業の研究者などに講演するという、なんとも不思議なめぐり合わせの日だ。

きついツイートが続いて私も疲れた。「読んで頂いた方々にも、しばしの平安を…」と思い、渡辺京二先生の『江戸という幻景』(弦書房)から心温まる馬子の話をここに引用させていただこう。

天明、寛政の頃、ある僧が江戸からの帰り木曽山中で馬に乗った。道のけわしいところに来ると、馬子は馬の背の荷に肩を入れ、「親方、危ない」と言って助ける。あまりに度々なので僧がその故を問うと、

馬子は「おのれら親子四人、この馬に助けられて露の命を支えそうらえば、馬とは思わず、親方と思いていたわるなり」と答えた。この馬子は清水の湧く所まで来ると、僧に十念を授け給えと言い、僧が快諾すると、自分は手水を使い、馬にも口をすすがせて、馬のあごの下に座ってともに十念を受けた。

十念とは南無阿弥陀仏の名号を十遍唱えることをいうのであるが、この男は僧を乗せる時はいつも賃銀は心まかせにして、その代わりに僧から十念を受けて、自分ら家族と馬とが仏と結縁するをよすがとするのだということであった。

江戸時代、このように飼っている動物にも深い深い親愛の情をもった人々は少なくなかったようだ。そういう時代をフト夢想してしまう。

久しぶりに『江戸という幻景』を開くと、昔の日本人の姿に胸を打たれる。時に温もりを感じ、時にまぶしい。思わずまたエピソードを一つ紹介したくなった。これは、全国を旅した医師、橘南谿が見聞きしたエピソードの1つである。

これも南谿の伝える鹿児島の話で、武士四人が同道して近村へ出かけたが、途中一人は用あって寄り道し、三人で往くうちに二人の侍と出会って喧嘩となり、二人を切り伏せてしまった。

追いついて来た一人に事情を説明し、君は何も知らぬのだから身を退き給えとすすめると、その男矢庭に刀を抜いて倒れた屍をずたずたに斬り裂き、

「我とても初より同道せし今日の連なり、此場におくれたりと独りのがるべきにあらず。また、わが刀をかくのごとく汚せし上は同じく喧嘩の相手なり」と言って、連れ立ってわが家へ帰り腹を切ったという。これは朋友の義を命より重しとしたのである。

人を殺した場合、司直の手を煩わせずに自裁するというのも、いざというときに倫理すなわち人の道を第一にする心がつねづねあったからだろう。

喧嘩で人を殺した者は自分の命も捨てねばならぬというのは人の道の根本であった。でなければ殺し得、殺され損になるからである。人の道は命より重かったのである。

子供がいじめで死んでも「いじめはあったが、それが自殺の原因とは認められない…」などと、ベンベンと言い訳をする教育関係者が当たり前の現代の日本人とは別種の民族が、かつて、この日本列島に住んでいたらしい。

怒りというのはエネルギーを湧かせるのと同時に消耗させるのか、なんとも不明だ。10日の激ツイートで、いろいろな用件が飛んで、それはまあいいが、身体に来た。

「身体に来た」というのは、疲れたという事もあるが、同時に何かのスイッチが入ったという事かもしれない。技がまた何ともいえぬ変化をみせている。

とにかく現代を嘆いても、嘆いているだけではどうしようもないし、何かやるといっても、一朝一夕に出来ることでもない。

世の中に訴えかけるのには、それなりの説得力が必要で、その説得力は、私の場合、私が体を通して現代の一般常識の枠を超えることしかないのかもしれない。とにかく稽古しようと思う。

以上1日分/掲載日 平成23年2月14日(月)


2011年2月18日(金)

 アメリカの食品安全近代化法案や食品悪評禁止法などの問題をツイッターで訴えていると、いろいろな情報を寄せて下さる方がある。
 以下、部分的に抜粋したEメールは、この松聲館のサイト宛に、ある方が送って下さったものである。「疑わしきは罰せず」は刑事事件の常識だが、数年前、大騒動になったアスベスト問題、古くは水俣病、イタイイタイ病など、疑惑が出てから放置されている期間が長く、その間に被害が拡がってしまっている。したがって、疑惑は広く国民の間で共有されるべきであろう。その意味でも、このslapp訴訟については多くの人々が関心を持って頂きたい。

 「slapp訴訟」という言葉をお聞きになったことがあれば、以下の文は必要ないかと存じますが、「slapp」とは「平手打ち」という意味で、これは要するに、大企業や政府など、資金や権力を持つものが、自らに不利な発言をする個人や団体に向かって行う恫喝的な裁判のことを指します。この種の訴訟の最大の特徴は、その勝敗にかかわらず、「脅すこと」または「それを一般社会の見せしめにする」という目的が、裁判を起こした時点で達成されるという点にあると思います。これが、今、個人であってもなにか物事を広く訴えることがはばかられる一番の要因になっていると思うのです。

 これらのことに関しては、フリージャーナリストの烏賀陽(うがや)弘道という方が詳しく(自身もその裁判の経験者だそうです)

『スラップ訴訟情報センター』
http://slapp.jp/slapp.html

というものを立ち上げ、活動を行っています。この方の執筆で『俺たち訴えられました!---SLAPP裁判との闘い』という本が、このことについて詳しく書かれております。それ以外では、まだ日本においてこれについての文献はほとんどない状態だそうです。

 私は、これに関する制度が整い、またそれが広く一般に浸透されたなら、少なくとも現状を改善する可能性となるのではないかと考えております。

 以上がS氏が送って下さったメールの抜粋だが、この権力による個人の健康や平安を圧殺している典型例を一つ思い出した。それは天然ガスの掘削問題である。
 現在、アメリカでは石油が枯渇してきたので、天然ガスの掘削が盛んで、アメリカ全土に大変な数の天然ガス掘削場が出来てきている。それに伴って空気と水の汚染がひどく、嗅覚がマヒして何を食べても味を感じなくなってしまった人などが出ているが、そういった人が、この事を訴えても殆ど相手にされず、大変辛い思いをしているらしい。私はこの事をBSの番組で知ったから、まったく握り潰されている訳ではないようだが、そのような疑わしいどころではない、ハッキリとした証拠があってさえ、国の施策として「石油がなくなっている以上仕方ないだろう」といった態度で、天然ガスの掘削は止める気配はないようだ。
 とにかく、人類の文明の在り方自体から問い直さないと、こうした問題を根本的に解決することは出来そうもない。そして、そのためには人間が身体をもって生きているということ自体と向き合い、この肉体をもって人として生活しているという事に、喜びと、有り難味と、限りない興味を持つことが大切だと思う。そういう意味で身体の使い方を学ぶことが面白く感じられたらと思って、私も講座や講習会を行なっている。

 明日19日は博多で「この日の学校」と講習会22日は福山で講習会を行ないます。御縁のある方はどうぞ。また、3月5日は大阪での「この日の学校」。サプライズゲストは私の一番の武術の盟友、光岡英稔・韓氏意拳日本代表です。6日は大阪のクボタ体育館での講習会7日は朝日カルチャーセンター大阪です。
 私の最近の技の進展に御関心のある方はどうぞいらして下さい。

以上1日分/掲載日 平成23年2月18日(金)


2011年2月26日(土)

 一昨日の夜、5日に及ぶ九州博多、山口県周南市、広島県福山市、広島県広島市、福山市とまわった旅を終えて帰宅。
 春の陽気になってきたせいか、甘味に対して体が拒否し始め、各地の料理の味付けが段々耐えがたくなってきた。そのためだろう、帰宅後、着換えもせずに生卵、納豆、小松菜と、すべて行者ニンニク醤油漬けで食べ、やっと人心地つく。
 しかし、今回の旅行は、私が三十代の頃、時々そうであったように、ずっと睡眠時間が3時間か4時間くらいで、時に5時間くらい無理にも寝たが、疲れを覚えなかった。その最大の理由は、この旅に出かける前、以前私のドキュメンタリー映画を制作してもらったアップリンクから2月26日から上映が始まる『レイチェル・カーソンの感性の森』という映画の関連イベントとして、私にレイチェル・カーソンの遺作『センス・オブ・ワンダー』の訳者でレイチェル・カーソン協会の会長「上遠恵子女史との公開トークショーをして欲しい」という依頼が来たからだと思う。
 レイチェル・カーソンといえば、私が折りに触れて「歴史上最も尊敬している女性」と公言して憚らない"農薬、環境問題のパイオニア"で、その自然に対する瑞々しい感性には、何度背中を押されたか分からない。
 アップリンクのHさんからの依頼では、公開トークと共に150字ほどの映画の感想も書いて欲しいとの事だったので、昨夜いくつもの用件、例えばその中には、変わった人とは思っていたが、思っていた以上に稀人であることがわかった人との長い電話(それは、この映画とも関係のある事だったのでそうなったのだが)、があり、また、畏友名越康文氏との、やはり短くない電話、などがあったから、この映画を見終わったのは午前3時に近かった。
 今回、この映画に関連して、アップリンクからあった、公開トークや、150字以内のコメントの執筆依頼などは、私がツイッターにレイチェル・カーソン女史の事を「歴史上最も尊敬している女性」と載せたことがアップリンクのHさんの目にとまった事がキッカケなので、この後の文章は、私がツイッターに載せたものである事を、ここでお断りしておきたい。

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昨夜どうしてもやらなければならない、いくつかの用件を終えた後、アップリンクからコメントの依頼のきていた映画『レイチェル・カーソンの感性の森』の見本盤DVDを観る。

この映画は、女優カイウラニ・リーがレイチェル・カーソン役となってインタビューに答える形をとったもので、つまりドキュメンタリー風になっている創作映画という珍しいもの。 つまり、生前のレイチェル・カーソンへのインタビューをまとめたドキュメンタリー風の映画なだけに、見始めた最初は「ああ、この人が、あのレイチェル・カーソンじゃない、レイチェルを演じている人か…」と、何ともぎこちない感覚があった。

しかし、内容があの不朽の名作『沈黙の春』執筆のいきさつ辺りになると、もうレイチェル・カーソンその人が直に語っているという感じがしてきて、画面から目が離せなくなった。

観ていて、レイチェル女史は『センス・オブ・ワンダー』のような作品をこそ書きたかったのであって、『沈黙の春』のようなものは、元々書きたくはなかったのだろうという私のかねてからの予想が、予想通りであることが分かった。

レイチェル・カーソン(カイウラニ・リー)は、『沈黙の春』の書き手としてふさわしい人物を実名まで挙げていたから、事実もその通りだったのだと思う。

しかし、その人物に断られ、他にも何人か候補を探したが、全幅の信頼をもって、農薬問題を広く告発するという、この困難なテーマに誠実に向き合える書き手が見つからず、自身での執筆を決意したようである。

その間の事情の困難さ(レイチェル女史は当時ガンに侵され始めていたのである)は確かにこのようなドキュメンタリータッチの女優カイウラニ・リーの、一人芝居といった形式が最も人の心を打つことは確かだろう。

現在、我々「ミツバチたすけ隊」は、同志と共にニホンミツバチを激減させた最も大きな要因と思われるネオニコチノイド系の農薬の禁止に向けて運動している。

しかし、昨年名古屋で行なわれたTOP10の環境問題の国際会議の会場でさえも、まともにその事を訴えたのは、数あるブースの中で我々のミツバチたすけ隊と他一つぐらいだった。

この事からも分かるが、農薬など現代社会が確かにハッキリとは"いいこと"とは思っていないものの、農業という人間に不可欠な産業を有利にするものとして見ているから、巨大勢力である。したがって、害があっても、それを正面から批判することの困難さは筆舌に尽くしがたい。

それを、現代よりも一層一般社会の理解がない時代に、レイチェル・カーソン女史は一人で立ち向かっていったのである。当然、嵐のような批判や嘲笑は彼女に向けられていった。

莫大な資金を持つ農薬メーカーなどは、彼女は黙らせようと、メディアを使い、様々な妨害工作を行なったようである。

情緒的でヒステリックな女が、農薬が良くないと過剰反応しているが、農薬を止めて昔の暗黒時代に戻れというのか?といった批判が、ガンに侵され、体力も尽きかけていた女性に容赦なく波状攻撃のように行なわれたようだ。

どれほどキツかったかと思う。自然をテーマとしたベストセラー作家として、この問題に関わらず、そうした詩情豊かな作品を書き続けていれば、世間からも称賛され、体も楽だっただろう。

しかし、そのレイチェル女史の生涯を通してのテーマである自然が、農薬などの化学物質で汚染されているのである。これは黙っていられないだろう。

レイチェル女史に自分を重ね合わせるのは恐れ多いが、私も武術の研究に専念していれば、現在取りかかっている本も、とっくに校正が終わっているし、さらに別の企画にも取りかかっていられる。

しかし、この自分を取り巻く環境、特に「木がなければ生きていけない」と思うほど樹木のある環境を必要とする私にとって、武術の研究も大切だが、自分が生き続けるために、この自然が蝕まれつつある現状を座視しているには忍びない。

農薬の惨禍。そして最近知ったアメリカの「食品安全近代化法案」という、遺伝子組み換え作物を優先させ、ごく普通の農作物の栽培も禁止するように、仕向ける恐ろしい法令。

また食品の安全性に疑いがあっても、それを口にしたら、たちまち、その関連機関や企業から訴訟されかねない、「食品悪評禁止法」など、経済的圧力に弱いメディアが報じない、それらの問題は志ある人間が言うしかないのである。

そうした思いがずっと私の胸に溜まりに溜まっていただけに、画面を見ていて思わず泣きそうになった。

この映画は明日26日から渋谷のアップリンクで公開されるそうです。是非多くの方々に観に来ていただきたいと思います。http://www.uplink.co.jp/kansei/

私が上遠恵子女史とのトークを行なうのは3月13日で、この日は畏友の名越康文氏も来場を予定されているので、入りきらないかもしれません。恐らく先着順だと思いますが、詳しくはアップリンクにお問い合わせ下さい。http://www.uplink.co.jp/factory/log/003902.php

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13日日曜日のアップリンクの公開トークは、すでに満席となっているそうです。応募して下さった方、ありがとうございました。応募しようとされていた方、申し訳ありません。今日の上映初日の上遠女史のトークも、満席との事でした!上映日程など、アップリンクにお問い合わせ下さい。

以上1日分/掲載日 平成23年2月27日(日)


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