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2011年8月19日(金)

 今日の随感録は、本日19日の、私のツイッターで紹介した佐世保の野元浩二氏からの「竹ボラ」に関した、野元節メールです。あのユニークな野元氏の性格そのままの文章をお楽しみ下さい。

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「マユの夏休みの工作で、関根のアニキの竹ボラをパクリで作らせてもらいますばい!」と、関根先生にメールしたら、更に竹の油抜きなどのノウハウを教えてくれらしたです!(さすが、アニキは、器が、でけえっす!)
そいで、マユと一緒に作ったら、はまってしまい、30本以上作ってしまいやした!(音が、ぱっとせんのは、燃やして肥料に!)
いろいろ作ってみて、どうやら、縦、横の比率や吹き穴の直径とかに共鳴する秘密が、あるようでがす!
面白いのは、あっしが、上手く鳴らせるのを友達やマユが、上手く鳴らせられなかったり、また、その逆もあることでやんす!
人によってインターセプトポイントが、違うようで、まるで車のエンジンの排気系のセッティングみたいでがす!(排気系は、ふんづまりでも、抜けすぎでもパワーが、出ないっすもん!暴走族のバイクが、うるさいだけで、たいして速くないのは、たいてい排気の抜けすぎが原因っす!)そいから、トランペットなどの吹管楽器を吹ける奴は、吹き口は、小さめが、いいみたいなんすが、あっしみたいな、ドシロウトは、大きめが、無難みたいっす!
あっ、試作品で、ちょっとの練習で確実に鳴らせるのを先生に送りやすよ!
いやあーっ、それにしても奥が、深い!山の中に入ってバカ太い孟宗竹や(でかけりゃいいってもんでもないみたいっすが、共鳴した時の重低音は、腹に響いて、いいっすよーっ!)いろんな直径の竹を切り出しやしたんで懐庵の周りにも竹は、ありやすが、当日は、保険で、原材料を車につんできやすよ!みんなで楽しく作りやしょう!
製作自体は、難しくないんやけどセッティングや、鳴らす事自体は、一筋縄じゃいかないんで(こういうのは、簡単すぎても面白くないっすからね!)絶対、みんな、はまること間違いないっすよ!人間の原始本能を呼び起こす、火おこしといい、こりゃあ面白くなりますばい!

アホ野元!

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 この「糸島懐庵サファリパーク」については、http://saintcross.jp/blog/?p=1002を御覧下さい。
 また、9月2日は建立寺で私の武術講習会を行ないます。それに関しては、こちらを御覧下さい。http://saintcross.jp/blog/?p=1024

以上1日分/掲載日 平成23年8月20日(土)


2011年8月20日(土)

 今日20日の私のツイッターで特集した関根秀樹・和光大学並びに桑沢デザイン研究所講師から私に宛てられたメールを、ここに引用紹介致します。  この文章だけでは、この稀代の人物像はまだハッキリしませんが、折りをみてもっと広く御紹介したいと思っています。

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 甲野善紀先生

すっかり時間が経ってしまいましたが、7月琵琶湖での「今を生きる人の集い」では大変お世話になりました。
びっくり箱のように多士済々の贅沢な場で楽しく貴重な時間・空間を共有させていただきました。本当にありがとうございました。
火起こしは本当は材料集めや道具作りが一番大事でおもしろいところですし、短時間のワークショップでみなさんにどれだけのことをお伝えできたか疑問ですが、条件の悪い雨の中の火起こしや焚き火を体験していただけたのは、むしろ好天より良かったかもしれません。
合宿に参加して、あの場に私が参加することの意味をふと考えました。文系、理系、芸術系(細かくは音楽系と美術系)、体育系、技術系が分断された日本の教育制度の中で、多少なりとも分野を横断し、境界領域を掘り歩く私のような存在も必要な時代なのかな、と。13年ほど前の拙著『縄文生活図鑑』(すでに絶版です)に、ちょうどそういう内容の文がありました。ご参考までに添付いたします。ご笑覧ください。ついでに佐世保の野元さんがはまっている「竹ぼら」の資料も。
今日は昼間、和光大で漆塗りと金継ぎ講座をやりましたが、来週23日は北川くんの企画で陽紀さんや内田さん、その他意拳の方々が数人和光大学にいらして、ナイフを使った竹工作ワークショップ入門編をやる予定です。和光大学は非常勤でも教員や現役学生が申し込みすれば教室や体育館を無料で借りられますので、何かの折にぜひご利用ください。
猛暑が一段落し、朝方は肌寒くなってきました。ますますご多忙のことと存じますが、くれぐれもご自愛くださいますよう。
まずは御礼まで。

8月20日   関根秀樹


『縄文生活図鑑』(関根秀樹著、1998年 創和出版)より一部引用

 手は、しなやかに動きながら、素材の硬さ、重さを、温度や弾力をとらえ、機械より精密な触覚で考え、創りはじめる。バーチャルではない皮膚のリアリティーは、科学技術がブラックボックス化していく中で失われた等身大の知恵や、ヒト、人間としてのナチュラルな感性をこの手に取り戻すための有効な手段だ。
 別にアカデミックな「考古学」をやるわけではないから、遺物や遺構をもとに考える考古学の方法にこだわる必要はない。先住民の生活文化に学ぶ文化人類学や民族学の視点、日本の農山漁村の伝承をよりどころにする民俗学の視点も重要だ。古事記、日本書紀、風土記、万葉集などの古代文学の神話伝承はもとより、アイヌ民族や沖縄の民俗・古歌謡も大いに参考になる。石や木のことならその道の職人さんを訪ね、各地の猟師や漁師の話に耳を傾け、文献もできるだけ多く調べ、そして自分の手でくりかえしやってみる。
 もともと鉱物や化学、民俗、古典文学の方が得意で、考古学の学会にも所属していないぼくの縄文学に「型」などない。これはつまり、大学の考古学専門コースでは絶対にやらない、自力で楽しく学べる「趣味の考古学」だ。
 日本列島の先住民だった縄文人の血は、弥生以降の圧倒的多数の渡来人の血に覆い隠されながらも、私たちの記憶の深層に息づいている。人間や文明のゆくえを問いなおし、未来へ向かう新たな世界観(あるいは神話)を構築するためにも、私たちは祖霊としての縄文人に今、出会わなければならないのかもしれない。「縄文」という時間を超えた異文化への旅が、自然や文化の多様性に目を向け、自然や社会との新しい関係を考え行動するための道しるべとなればうれしい。
(中略)
 単純な比較は意味がないのだが、こうして見ると、現代日本人の暮らしが、目先の利便や国家というシステムの維持のためにどれほど多くの大切なものを失い、不必要なリスクを背負わされているかがわかる。なにしろ今の日本では、空気や水や食物の安全すら保証されず、民主主義や教育の自由も絵空事に過ぎないのだから。

(中略)
 「身体知」を置き去りにした明治以来の教育システムや親、教師、マスコミの責任ばかりでなく、今の日本で「人間」は育ちにくい。政治や企業の腐敗と横暴の日常化。環境破壊。過剰に刺激的なメディアや、不必要なまでに便利すぎる生活用品の数々。生身の人間関係は疎外され、社会のひずみや不安はますます増大する。
 少年たちの重犯罪も、知育偏重が原因というが、学校の勉強など「知育」ですらない。本当の「知」は、文字や言葉だけでは伝達できないのだ。
 ヒトとして、人間としてナチュラルな心と身体は、「教育」では作れない。それは、自然と向き合った遊び、道草、旅、出会い、読書、そして何より日々の生活で培われた生身の体験の中でのみ形成される。コンビニエンス&バーチャル時代に逆行する、縄文的リアル・リアリティーと、知的でいい加減な遊び心が、今こそ意味を持ってくる。
 大学の授業でナイフを研がせ、山から竹を切り出して民族楽器を作らせたりするのも目論見は同じ。ぼく自身が多くの人に出会って開かれた、手で考え、手で学び、手で創る楽しさを伝えたい。この本の願いもそこにある。
 大のおとなが吹き矢や手裏剣やブーメランを作って飛ばしたり、夢中になって火を起こし、土器の鍋を囲んで縄文太鼓をたたいたり…。ぼくらの縄文学は、学問というより、少年期に半分置き忘れてきた夏休みのやり直しなのかもしれない。


『新版 民族楽器をつくる』(関根秀樹著、2003年 創和出版)より

竹ぼら(竹法螺)

 法螺貝が容易に手に入らない地方の庶民は、竹や木で代用ほら貝を作った。直径7〜8センチの真竹を36センチくらいに切り、節のそばに吹き口を開けたのが歌舞伎の下座音楽で使う竹ぼら。節の中央に吹き口を開けた縦吹き型もあり、地方によって貝、筒貝、竹筒などとも呼んだ。高価な法螺貝より手軽で吹きやすいので、昔は寄り合いの合図やお祭り、一揆などで吹き鳴らし、近代には芝居、ラジオ、映画の効果音にも陣貝の代わりに使われた。

 竹ぼらの材料は緻密で肉が薄く響きの良いマダケが最高だが、モウソウチクでもできる。長さは8寸(24p)〜1尺8寸(54p)くらい。36〜40pくらいが一番吹きやすい。長いと軽く吹いても重低音が出るが、大きな音を出すには肺活量が要る。短いとトランペットのように唇をしめて強い力で吹かなければならず、音は甲高くなる。吹き口の大きさは13〜24ミリ前後。短いのは穴も小さめがいいが、くちびるの大きさや柔らかさ、吹きかたによって個人差もある。慣れない人は長めに作って穴も大きめにすると音が出やすいようだ。吹き口はくちびるがいたくないようにささくれを取り、角を丸く削る。また、先端開口部の内側をナイフで斜めに面取りすると音がちょっと大きくなる。秋〜冬に材料の竹が手に入るならいっぱい作っていろいろやってみるといい。

 元文三(1738)年、奥州岩城(磐城。現在の福島県いわき市とその周辺)で起こった大規模な一揆「岩城騒動」では、8万人の百姓が城下を囲んで竹ぼらを吹き鳴らしたという。
 記録によれば、一揆の群衆は砂を入れて二重にした藁頭巾をかぶり、鎌や鋤や山刀を手に、手製の竹ぼらを携えて集まったという。一揆の申し合わせに、「八、九寸または一尺廻りまでの竹の節を抜きて携ふべし。これは戦争の合図に用ふるほら貝の代用とす」とあるから横吹きではなく、節の真ん中に吹き口をあけた縦吹きタイプだ。寸法がわりと短いので、音は甲高い。
 総勢8万(別な記録では9万)の一揆の衆が「各自腰に付けたる竹筒を一同に吹き立けるが、その声すさまじく波の音とも風とも聞き定めがたく。天地も為に崩るるかと思ふばかり」。う〜む。かっこよすぎる。2、3本の竹ぼらを吹き合わせるだけでも「うなり」を生じて音が強まる。それが8万本!もはや想像を絶する。タイムマシンがあったら馳せ参じて一緒に吹き合わせてみたい。いや、それより現代のありあまる竹を有効利用してあちこちで竹ぼらワークショップを開き、数千〜数万人規模で国会議事堂とかアメリカ大使館とか首相官邸なんぞを取り囲んで吹き鳴らそうか。吹くのは敵さんのほうがずっとうまそうだが。


甲野先生 ツィッターで書いておられたフランキンセンス(乳香)について、とうにご存じかとは思いますが、念のため。 語源のフランクインセンスは発売元でさえ古いフランス語で「真正な香り」を意味する、などとまことしやかな説が流布していますが、本来ははるか昔、フランク人の戦士たちが身にまとった香りという意味です。それ以前は古代エジプトでも他の地域でも別な名前でした。 インド乳香はインド、ペルシャ語圏でサライグッグルと呼ばれ、アーユルヴェーダや仏典にもよく出てきます。 アラビア乳香はアラビア語ではAl-Luban(オリバナムの語源)とよばれたようです。 フランク人の出自はケルト系、ゲルマン系、イラン系、ラテン系などの連合部族だったようですが、フランキスカという薄手の投げ斧を使うことからフランク人と呼ばれるようになったという説がどうも本当のようです。 フランキンセンス単独でもとても良い香りですが、安息香を少し(好みで1〜3割)混ぜると、より落ち着く香りになります。 7世紀の仏教絵画では油絵の具などに加えていました(7世紀の『陀羅尼集経』)。今日、書道の墨に乳香や安息香など香料を添加するのも、7世紀の密教儀軌の規定が根拠になっています(和訳のない漢文の陀羅尼集経を読まない限りだれもそのことは知りませんが)。 以上、ご参考までに。

関根秀樹


甲野先生
たびたびすみません。
刀の柄糸のカビ止めに丁字油というお話、なるほどと思いました。ただ、実際にカビ止めや殺菌効果が必要でしたら、ペパーミントオイル50%にヒバ精油(ヒノキチオール)40%、丁字油10%を加え、これに安息香(ベンゾイン・スマトラでなく、ベンゾイン・ シャム)を溶かすと、天然防腐・防カビ剤としてはかなり強力なものができます。丁字油単独の少なくとも数倍の効果があります。香りの好みの問題もありますが、一度お試 しください。
以前、絵の具用の天然防腐剤を作ろうと実験していた時期がありましたので。

関根秀樹

以上1日分/掲載日 平成23年8月21日(日)


2011年8月23日(火)

ツイッターに予告しました野元氏からのメールを紹介します。「竹ボラ」情報も入っていましたので、御参考になる方もいらっしゃるかと思います。まあ、何よりも面白いのが紹介理由です。

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甲野先生!仕事終えて帰って来てから、甲野先生に、アホスペシャル竹ボラを贈るべく、何種類も作ったんすが、作れば作るほど奥の深さを痛感!標準の寸法で、根元と先っぽの方向を変えたのやらなんやら、関根のアニキの恐るべきノウハウと(ほんと、アニキには、いくつ四次元ポケットが、あるんすかね?底が、知れやせん!正体は、ドラえもんかも?とすれば、あっしは、のび太か?しかし、アニキは、ずん胴じゃなくてスリムなマッチョやしなーっ!(笑))アドバイスを手本に数種類作ってみやした!
確かに手前が、根元の方が、無難に音が、出るんすが、あっしの場合は、逆にしてテーパー広がりに、した方が、音もでかく調子が、いいんすよ!
直径が、8センチだとすると、長さは、その4倍から5倍の32〜40センチあたりに、(直径により変わりやす!)ベスト寸法が、あるみたいっすが、個人差あり!
そいから、吹き穴は、あっしの場合は、22ミリあたりが、ベストっす!
また慣れたら変わるんでしょうな!
しかし、我ながら、ここ数日で、ずいぶん腕(口?)が、上がりやしたよ!あっ、初心者は、竹ボラに口を当てる前に唇をブーブー!と屁の音の(下品で、すんまっしぇん!)マネをしてウォーミングアップをした後でやるとスムーズに鳴りやすいみたいっすよ!ただ、あんまり、鳴らしやすいのよりも、ちょっと癖が、あった方が、音色に味が、あるんすよねーっ!うまく共鳴したら、それこそ、数キロ四方に響きまっせ!そいから、二人でやると唸りが生じ、更に面白いことになったんすが、糸島の懐庵で参加者、数十人で作って、鳴らしたらどんなことになるのか?それを思うとワクワクしてきて鼻血が、出そうでやんす!
あっ、そいから竹の形状の違い!真円は、まず無くて微妙に楕円だし、テーパー比も違うし、成竹になってからの年数や生えてる場所の日当たりや土壌の栄養価の違いによる細胞組織の緻密さの違いや肉厚の違い、それから加工寸法の違いや、なんと言っても吹く本人の体格や肺活量や癖の違い、それらの要素の組み合わせは、まさに無限!面白えーっ!と同時に、ふだん何気に見たり聞いたりしてる楽器や音楽演奏者の方々が、どんだけ、ものすごいのか、よーくわかりやした!
あっしみたいなドシロウトからしたら、ほんと魔法レベルっすよ!そいから、あっしが、今、たくらんでんのは、竹ボラを原発反対者みんなで数百、数千規模で作り(どんな組織やろうが、団体やろうが、個人やろうが、垣根無し!)玄海原発や佐賀県県庁舎を取り囲んで、一斉に吹いたら天地が、共鳴し、さぞや面白い事になるでやんしょね!
マスコミが、インタビューに来たら、
「我々、一般市民は、ホラを吹くことでは、原子力村の方々の足元にも及びませんので、竹ボラで対抗してます!」と言ってやりたいっすね!マジで!

アホ野元!

以上1日分/掲載日 平成23年8月24日(水)


2011年8月26日(金)

 8月26日のツイッターに抜粋引用した佐藤円さんの文章の全文と、そのキッカケとなった夫君、佐藤光夫氏のブログの文章をここに引用紹介させて頂きます。現代でも、このような心情を持って日々暮らしている方々が存在することは、この上なく有難いことだと思います。

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2011.05.28 セシウムちゃんの話

除染作業を試みた畑に、まだ数値はおそらくはさがっていないだろうに、
家内は夏野菜の苗をせっせと定植していました。
土壌の放射性核種の検査をしてもらっていて
ここにはしっかりヨウ素ちゃんとセシウムちゃんがいらっしゃることもわかっています。
空間線量を計測する機械で、地面において計測すると、
値は通常の2倍程度で、1メートルの高さで測った値と変わりありません。

いつものように
不耕起で草だらけの畝に苗を入れる分の場所の草をどけて
穴を軽く掘って、そこに粉炭を入れて定植です。

粉炭は根の活着をよくします。もちろん除染も兼ねて。

定植した苗の株のまわりにも少しだけまるく粉炭を敷き詰めます。
炭マルチです。
当地は春が遅く冬が早いので、地温を少しでも上げて成長を促進させるために
炭でマルチをします。結構効き目ありますよ。

私が畑の先にある炭窯で仕事をしていたら
家内が涙を出してむせび泣きながらやってきました。


作業をしながら
我が家に以前いて既に帰幽した元野良犬のハナ♀を
うちで飼うことになった時のことが浮かんでいたそうです。

ハナは野良暮らしが長かったのと、成犬になってから、どうやら遠くからこの辺りに捨てられたようで、
ひどく臆病になっていた犬でした。やせほそっていました。
役場の野良犬担当の職員のわなにもかからず、野良生活をかたくなに続けていました。
当時、すでに飼っていた犬のサム♂が彼女に恋をしていたことが判明、
雪の季節になる直前で、このままでは餓死あるいは凍死することが目に見えていたし
おなかにサムの子を宿していることも察しがついていたので、うちで飼おうということになり
家内がうちへ連れてこようと捕獲を試みました。
何度かトライした後、かまれても構わないと心に決めて家内はなんとかハナを抱きしめ、
はれてうちの家族となりました。
その後サムとの子をすぐに生みましたが、
一度は捨てられた彼女の心は簡単に癒すことはできず、
いろいろなことがありました。ただただ抱きしめてあげることぐらいしかできませんでした。

そんなことが心にある中で、家内はふと放射性核種のひとつのセシウムちゃんに呼びかけてみたのだそうです。

「どうしてあげたらいいのかねえ、セシウムちゃんには?」
そしたら不意に
「大地に還りたかった」
と返してきたというのでした。

目に見えない世界と目に見える世界
この世とあの世とは車の両輪です。
「顕幽不二」であるという感覚は自然にありますし
時折そのようなことにも出くわします。そんなたいそうなことでもありません。
家内は特にそのあたり感じやすいですが……。

人が操って分裂させられた放射性核種は
さまざまに周りに当たり散らします。
安定したくて放射線を出し
周りにいるものは傷つけられてしまします。

炭で抱え込んであげられるのか
微生物の力で包み込んであげられるのか

大地に還ろうとしているだけなんですね。
本当は。

おごった考えで自然を操作することなく、
謙虚にいのちに向き合えば
この汚染された大地で暮らすすべが
私たちにはまだ残されているのかもしれません。

2011.08.24 放射性物質との対話

5/28の記事「セシウムちゃんの話」で、
除染作業で微生物資材を畑に散布した翌日に
家内が体験した話をアップしましたが、
「私はセシウムちゃんなんて呼んでない」なんて言われていたので、
家内の自筆によるものを再録します。

除染作業の翌日、畑に夏野菜の定植をしていた。
手を動かしていると、
今は天国にめされた、以前我が家で暮らしていた犬のハナのことが頭に浮かんだ。
彼女は捨てられて野良になっていた犬だった。
そんな彼女と我が家の犬のサム君(すでに帰幽)が恋に落ちた。
そこで我が家へお嫁に来てもらったのだった。
彼女は野良生活の中で、きっと怖い思いやつらいことがあったのだろう。
ひどく臆病で家族以外の人が来ると、ぶるぶる震えていた。
あの頃から、月日が流れ彼女が天に召されるまでのことが、頭の中に浮かんで消えた。
彼女は最後姿を消してしまった。獣にやられたようだ。
それから半年後、娘が彼女の亡がらを見つけたのだった。

彼女がいなくなってしばらくして、私は夢を見た。
以前の家の入り口で、彼女は笑っているとしか思えないような表情で、お行儀よく座り、じっとこちらを見ている。
そんな夢だった。
彼女が「ありがとう」と言っているように思った。そして、彼女がお空へ旅立ったことを確信していた。

ハナちゃんと、セシウムやヨウ素などの放射性物質が、私の中で重なっていた。
「私はミッちゃん(パートナー)と出逢うことで、遍アマネや大丈夫マスラオ(娘と息子)と出逢うことができた。
それは私がそれまで知らなかった幸せだった。
ハナちゃんは最後笑って空へ帰っていった。
あなた達(放射性物質)とEM菌や光合成細菌が出逢うことで、
私が知った幸せのような何かがあなた達のもとにやってくるのだろうか?
あなた達はどうずれば幸せになれるのだろう」
と声にだして話しかけてみた。

すると「大地に還りたかった」という言葉が頭の中に響いた。
まるで電気に打たれたようだった。私は泣き崩れてしまった。
今、私達すべての人が受けているこの困難、いのちをもとられてしまうかもしれないこの苦しみが、
今まで彼らが味わってきた苦しみ悲しみ、行き場のない想いそのものだと感じた。
引き裂かれた彼らは、原子力発電所の中に閉じ込められ、その行き場のない想いを利用され働かされてきた、
そのくらがりが、頭の中に浮かんだ。

「そうだったんだ、おかえり。ごめんね、本当にごめんなさい」
そう言葉を返すのが精一杯だった。

周りは美しい新緑、小鳥達がさえずり渡り、たくさんのいのちに
満ちている。彼らもあの閉ざされた場所ではなく、本来の場所にいたかったのかもしれない。
彼らと私の間の隔たりが薄れていくのを感じた。

「大丈夫いっぱい種を播くよ。きっと大丈夫、うちの子になったんだよ」
と語りかけた。
 まるで家庭内暴力をする息子のような、一歩間違えばバットで殴られ、命をとられるかもしれない彼ら。
でもその想いは、足りない何かを取り戻そうとするいのちの叫び。
いのちはみな一緒なのだと知った。
最大の注意を払いながら、なれあわず、でも深く愛すること。
みな満たされたいんだ。

「本当はもといた場所に戻してあげるのが一番かもしれないけれど、
たくさん種を播くからね、炭も撒くからね。
あなた達のパートナーになれるかもしれない細菌を撒くからね。
土の奥深く、あなた達が行きたいところに行っていいよ」
そう語った。

私は見えないものの声を、確かに聞くことのできる人間ではない。
私が聞いたのは何なのかよくわからない。もしかしたら、私の主観が導きだしたものかもしれない。

ただ、私は私という一つのいのちとして、確かな確信を持った。
私の仕事はいのちを癒していくこと、鎮魂。いのちに向き合うこと。

今日もあたりまえの日々を暮らします。
彼らとともにあるこの大地で、私がすることは何なのか、まわりのいのちに教えられながら。

世界はこんなにも美しい。

(引用終わり)
共にブログ「山通信:七ヶ宿から/炭焼と自然生活」http://hakutan7.blog.fc2.com/より引用

以上1日分/掲載日 平成23年9月8日(木)


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