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2006年2月6日(月)

 気がつけば、もう立春も過ぎ、私も満で57歳となる。1月の終わり頃からひどくなった右上腕の痛みで、ここ1週間稽古が思うように出来ず、テンション的にも低い状態だったが、稽古をしないとよけい精神の沈下がひどくなる事に気づき、「この際、左手がもっと利くようにしようか」と、左手を使う事と体捌きを工夫してはいるが、1月とは別人のように稽古への思いは低下(よく言えば落ち着いている)。
 そうしたなかでも一昨日、『願立剣術物語』三十三段目の:

 惣テ足ハ不動物ト可知立時ハ立計ノ役居時ハ土台ノコトシ手ノ引導ニ連テ右ノツマサキ地ヲハナレ亦左ノ足少出ルトキ右ノ足土ヘ付カワルカワル踏足一ツニテ立ソ・・・

に関して、いくつか気づきがあり、潜っていた水底から水上に顔を出して一呼吸ついた気分になったが、沈んだ気持ちはなかなか立ち上がらない。原因はすでに述べたように右上腕の痛みで、稽古、特に剣術系がまったく出来ないためだが、その他にも理由は色々ありそうだ。
 しかし、今回意欲低下の一番のキッカケとなったと思われるのは、1月末に届いた、雑誌Bのインタビューをまとめたものを見たためだろう。いままで受けたインタビュー原稿をまとめたもののなかで、最悪の部類とまではいかないが、赤入れする意欲をなくさせるほどのものであることは確か・・。
 もう、この種のクレームは、この随感録でも何度となく書いてきて、いい加減私も書きたくないのだが・・・。ほぼ同時期に赤入れした音楽関係の雑誌の原稿は、全体の分量は雑誌Bの半分だが、その校正にかかった時間は数十分の一。こちらは音楽家で原稿書きは素人の筈のS女史が私の術理について書いた文章なのだが、直すところが殆どなく、直した箇所も「強いていえば、こうした方がいいでしょう」といった程度の直しである。
 片や物書きのプロ、片や素人で、素人の方が遥かに読みやすく、意味の通った日本語を書いているという状態を目の当たりにすると、「この国は本当にプロがいなくなったのだなあ」と、あらためて嘆かざるを得ない。
 とにかく、今回ガックリと来たその度合が一段と強かったのは、以前にも似たような事があったが、インタビューの時は大変感じが良く、受け答えのセンスも悪くないので、「ああ、この人なら、なかなかよくまとめてもらえそうだな」と思ってしまう事が裏切られたせいである。今まで散々ひどい目に遭っているので、あまり期待はするまいと思いつつ、どこかで「いや、あの人なら、結構いい線いくのではないか」と、つい思ってしまったのである。ところが、あがってきた原稿を読むと、「えっ、これがあの人がまとめた文章なの?!」というような出来であると、本当にガックリする度合が倍増する。
 一体、どうしてこうもライターと名乗られて納得出来る人が少ないのだろうか・・。

以上1日分/掲載日 平成18年2月6日(月)


2006年2月9日(木)

 8日から静岡入りをし、9日は半年以上前から依頼のあった静岡市老人福祉施設協議会の異業種講師講演会で、講演と実技を行なう。
 介護に関する話と実技を中心にするつもりでいたが、「より広い範囲で講演をして頂きたい」との御要望もあったので、はじめは、ちょうど7日に仮立舎(けりゅうしゃ)から届いたエイズウイルスの研究者である清水宣明氏との共著『斎の舞へ(いつきのまいへ)』を例に、「科学」に対する現代社会の過剰な扱いについて触れ、等身大の科学に戻る大切さ、つまり、科学は本来、観察し理解する方法・手段の1つであることを認識し直し、芸術や感覚といった分野と科学をいかにセンスよく結びつけるかが、今後の若い人達にとって最もやり甲斐のある仕事の1つになるのではないか、といった話を切口に、いくつか例を挙げて話した。しかし、結局は介護技法の実技をかなり多く入れて話を展開した。会場は専門家や職員以外にも専門学校生や特別に課外授業という枠があるのか一般の高校生の参加もあり、2時間が短く感じるほどだった。
 2月の初めから気分的には低空飛行の私だが、熱心に聴いて下さる人が多いと、やはりその熱意に動かされ、講演中のテンションは低くはならずに済んだ。
 武術技法の介護への応用は、その結果−介護する側も楽だし、される側も楽ということ−が、その場でハッキリと出るので、やはり説得力があるのだろう。関心を持たれる方が以前よりもずっと増え、熱意が伝わってくる感じが1年前とは随分違ってきた。
 ひとつには介護福祉士で、この技を広め、また自らその技に磨きをかけ、レパートリーも広げられている岡田慎一郎氏のことが、最近かなり広く知られてきていることも影響しているのかもしれない。
 岡田氏の介護技法は、『週間医学界新聞』にずっと連載されているし、朝日カルチャーセンターなどはキャンセル待ちが続いているらしいので、相当知られてきているのだろう。つい最近も、近々この連載が一冊の本にまとまるという事なので、医学書院の編集の鳥居氏と打ち合わせに来られた折、最近の技を交換教授したが、私も大いに参考にさせてもらったものがあり、また教え方が更に工夫されていて大変興味深かった。
 また、この介護技法は俳優の榎木孝明氏も私のやり方をベースに独自の展開をされており、1月末に千代田で見せて頂いた「上体起こし」などは見事なものだった。もともとセンスのいい方なだけに、ドンドン新しい展開をしてゆかれそうである。
 とにかく介護技術に関しては、介護というのは多くの人達が直面する問題なだけに、より負担のない、それどころか介護をやって、それが適度な運動となり、体が丈夫になったと喜ばれるような方法を、より多くの方々がドンドン展開していって頂きたいと願っている。

以上1日分/掲載日 平成18年2月10日(金)


2006年2月11日(土)

 相変わらず右上腕の痛みは続いて、太刀も満足に触れないが、かつて合気道を稽古していた頃、乱暴な先輩の受けで痛め、ずっと痛みの残っていた肘は、ここ20年間ほどの間では最も調子がいい。(もちろん、既にくの字型に変形して伸びなくなっている形が変化したわけではないが)
 こうした状況からみて、この上腕の痛みは単純なことでは無さそうで、この先いろいろな体験が待っていそうだが、そうした事と気長に付き合おうという覚悟のようなものが出来てきつつある。
 稽古や演武は確かに不自由だが、昨日の池袋の講座でも私の右腕が使えない状況の不自由さを感じた人はあまりいなかったと思う。この期間、多分左手がかなり器用になるだろう。元来は左利きらしい私は、本来の左利きに戻ったほうが心身のためにはいいらしいので、なるべく左を使うようにしようと思っている。
 しかし、現実にはやはり稽古の量が減るのは止むを得ない。その分、いままで溜まっていた仕事に目が向いてみて、あらためてその量のおびただしさにタメ息をついている。
 今週に入ってから送られてきた私が関わった出版物は、『斎の舞へ』(2月8日発売)、雑誌『文』82号、『スプリット』。『斎の舞へ』は9日付の告知板で既に紹介した。雑誌『文』は公文教育研究会の機関誌、このなかの「ことばの宇宙」の欄を依頼されたので、「妙の字は少き女の乱髪 ゆふにゆはれず とくにとかれず」と題して、二千字ほど書いた。ライターが入らず、最初からすべて自分で書くと、やはり書いたものに対する思いが違う。出来れば、やはりすべて自分で書きたいものだ。(ただ、雑誌の取材などでは、いくら私が望んでもそうはいかないが・・)
 『スプリット』は、カルメン・マキ女史と名越康文氏との共著の3刷目。この本には「辛い人生を救われた」という感想をもらす人が今でもいるのは著者の1人として出した甲斐があったと思う。
 明日は名古屋の実技講習会。そして翌日はアイシンAWで動いたり話したり、翌々日は蔵前で実技講習会、18日は横浜の朝日カルチャーセンターの講座と体を動かさざるを得ない週が始まるが、そうした環境のなかで、また見えてくるものも多分あるだろう。
 18日の朝日カルチャーセンター横浜(TEL 045‐453‐1122)は、まだ少し空きがあるようなので御関心のある方はお問い合わせ頂きたい。

以上1日分/掲載日 平成18年2月12日(日)


2006年2月16日(金)

 ずっと前から、57歳という年が私の人生の一つの区切りの年令になるような予感というか、思い込みがあったが、おそらくは、実際その年令になってみても大して気持ちに変化はないだろうと思っていた。
 その予測は、現に今月6日に、その年令になってみて予想通りだったとも言えるし、予想外だったとも言える。というのは、今、私はおそらく今までで最も忙しかった時に勝るとも劣らないほどの依頼や用件を抱えている筈なのだが、かつてのように、忙しい忙しいと焦る気持ちが驚くほどないのである。
 しかし、あらためて考えてみると、やらなければならないことは恐ろしいほどの量である。なにしろ、ここ2〜3週間以内に見て欲しいといわれている冬弓舎とバジリコの単行本のゲラが9日と10日に相次いで2冊分来ている上、タイム・スペースからの差し迫った原稿依頼があり、またT社の企画である単行本の相談でI氏が会いたいとのこと。それと21日撮影のNHKのBSの打ち合わせがあり、それに関連した準備、『番』の最終ゲラチェック、23日からは岡山から福山、四国とまわる予定。『通販生活』の記事の企画も進行中だ。そして『斎の舞へ』の献本とその手紙書き。それ以外、現段階で多分十数件の講演や稽古会の依頼の対応。その他、高校の入試問題に私の著作を使った事の承諾書にサインと印鑑を・・とか、朝日新聞のオーサービジットの関連で著作にサインをして送り返して欲しいとか、細々とした、しかし放置出来ない用件は何十件もある。(特に差し迫った重要と思われるものは分かるように書きましたが、もし欠落しているものがあったら、御担当の方、御連絡下さい)
 これらの事が気にならないというのは、どこかで何故か感覚がマヒさせられているのか、その理由はよくわからないのだが、しかし実情は、いま列記したように"仕事"という真綿に首を絞められているというより、その真綿が腕にも手にも、脚足、胴体にも絡み付いてきているほどの状況になっている。
 そのことは、13日の深夜に、12日から名古屋、安生と1泊でまわってきた講習会や講演を終えて帰って来て、留守中に届いていたものにザッと目を通したつもりだったのに、結局寝たのは午前5時だった事からも明らかである。
 そして14日は、11時頃に起き、夕方5時からの蔵前の稽古に間に合うよう、当初は3時半に家を出るつもりで、起きてからずっと、とにかく次々思い浮かぶことをこなしつつ準備していながら、結局約30分近く遅れて、大慌てで家を出るありさま。そういうふうに、どうしても決まった時間に行かなければならないところがある時は、その事が自動的に最優先課題となるから迷いがないが、昨日15日などは、当初名越氏との本の企画打ち合わせが入っていたのだが、名越氏がどうにも時間の都合がつかなくなって、数日前に予定が流れ、その時は「ああ、ここで1日空いて何とか少し時間が取れるな」と思ったのだが、その15日が終ってみてどうだったかというと、一昨夜、急に壊れた石油ストーブの修理と、今どの程度の急ぎの用件がたまっているか調べただけで気がついたら日付は16日になってしまい、原稿書きとゲラのチェックは一行も出来ず、片付けすらも殆ど進まなかった。
 こんな生活をしていたら、当然のことながら、ますます諸々の用件で首がまわらなくなって、約束を守れず社会的信用も無くしてしまうと思うが、私としては、とにかく私が私であり続けられるようなペースで動くことしか出来なくなっており、これはどうにも致し方ない。こうなってみると、もはや休業明けを宣言するもしないも休業を始める以前よりも混み合っている状況なので、何とも申し上げようがない。
 以上述べましたように、現在の私はかつてなかったほどの仕事を抱えながら、これ又かつてなかった私なりのペースで動いておりますので、すでに私に仕事の依頼をされている方、特にお急ぎの方は、あらためて御確認をお願い致します。

 それから、御礼が遅れましたが、12日、名古屋でお世話になりました山口様とその関係者の方々、また13日安生でお世話になりました浜口様とアイシンAWの皆様、わざわざ神戸から来て下さった平尾様に深く御礼を申し上げたいと思います。

以上1日分/掲載日 平成18年2月17日(土)


2006年2月22日(水)

 明日から岡山を皮切りに中国・四国地方をまわる。岡山では光岡英稔師との2冊目の本となる『武学探究』の2巻目の打ち合わせと同時に、おそらくは3巻目の原稿の一部になるような話も結果として行なうことになるかもしれない。
 そういう事もあり、諸々の用件が山積みしていたが、『武学探究』の2巻目のゲラを読み始める。読み始めて知らぬ間に人間にとっての自然についてフト考え込んでいた。いままで30冊以上本を出してきたが、校正作業中にゲラを読んでいるということを忘れて、内容に読みふけってしまったのは初めて。この本は、ちょっと今までにない内容の本となりそうだ。
 そして、私も『願立剣術物語』十一段目の「唯カイナ計ヲ遣事ソ」の術理から、同じ『願立剣術物語』四十二段目の「我心ニヲチ理ニ落 合点ニ及ハ本理ト云物ニテハナシ 私ノ理可成 古語ニ道ハ在不可見 事ハ在不可聞 勝ハ在不可知」をあらためて思い出している。
 ここでは「なるほど」と納得のいくレベルは大したレベルではないと説いている。道は在って見るべからず、事は在って聞くべからず、勝はあって知るべからず、とは本当に深い。深く、そして厳しい。
 24日,25日の福山26日の四国の講座は私にとって一つの転換点になるかも知れない。御縁のある方は、まだ人数に余裕があるようなのでお問い合わせ頂きたい。また、福山の講座は、当初予定していた会場が変わったので御確認頂きたい。(問い合わせは、岸本氏まで

以上1日分/掲載日 平成18年2月17日(土)


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