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2000年2月12日(土)

関西学院大学で同大アメリカンフットボール部員ならびに同大OBを中心とする社会人選手の有志の方々を対象に、私の武術の実技の応用と解説を行なったが、お陰で相手にこちらの力を通す通し方で具体的に有効な気づきがあった。
これは、私より30〜40s重い選手と押し合うなかで見つけたものだが、一言でいえば相手にこちらの力を通す時(いままでも散々言ってきたが)、脚の下や腰に支点が出来ないように体を使うということである。
そのために下腹の腹力を活かすよう、昨年の暮れから研究してきたが、この日分かったことは、腰が反って、私が以前゛馬の背中゛と呼んだような、いわゆる相手の力に懸命に耐える形となっていると、脚力・背筋力の比べ合いになり、体格・体力ともに勝る方がどうしても有利になってくるのにくらべ、肩を沈め、背中から尻にかけて、ある微妙なバランスを保った一直線に近い形をつくると、背中と胸側に相互にある関連をもった互い違いの動きが生まれ、相手の力をまともには受けなくなってくるということである。
また同時に、こちらから発力する時も腕は極力使わず、その体の姿勢から出る力を使うことである。
姿勢から出る力、という表現は、心道会の宇城憲治先生と御縁が出来た当初から何度も宇城先生からうかがっていたが、今回は思わず私も使いたいと思うほど、今回の気づきにはピッタリである(もちろん、宇城先生の言われる意味とまったく同じだとは思えないが、それでもいくらか共通性はあるように思う)。
今後もこうした気づきから、うねらず捻らず、タメのない動きの研究を進めてゆきたい。

2000年2月13日(日)

クボタの体育館での稽古会。
昨日の関学のグラウンドでの気づきを展開して、いままでにない感触は得た。
この日は、大阪府警にこの人あり、と謳われているというZ氏と何度か手を合せたが、坐りの正面の斬で、あそこまで頑張られたら以前ならとても入って行けなかったと思う。
それが、膝の下に尖ったガラス片があるような感じで膝が床に当っているところを居つかせず、背と胸の互い違いの流れを止めぬようにして入ってゆくと、大柄なZ氏がゆっくりと崩れていった。

以上2日分/掲載日 平成12年2月16日(水)


2000年2月24日(木)

20日は池袋コミュニティ・カレッジで宇城憲治先生に心道流の空手を初めて一般公開していただく講座を行ない、私はいわば司会進行役として参加させていただいたのだが、拝見しているだけで随分多くのことを学ばせていただいた。
まず宇城先生の動きを、ああいう少し離れた場所で拝見していて(いままでは私が直接体験するか、眼前1〜2mの位置だった)、あらためて宇城先生が技を出すにあたって身体の広範な部分を、その技のために直接動員されているのだということがわかった。
「多勢に無勢は敵わない」というのは戦闘の常道だが、普通一般の人は(この場合、プロと呼ばれる人も)、その技を行なう場合、腕とか胸とか、ある限られた部分が特に使われ、他の身体各部はそうしたよく働いている部分を支える後方支援的にしか使われていない。
ところが宇城先生の空手の動きは、私がよく使う「群泳する魚が一瞬でパッパッとうねらずに向きを変える」という゛たとえ゛のように身体それぞれのパーツがそれぞれの持ち場で技の動きに直接参加しているようなのである。

つまり、相手の腕とか胸とかに対して、圧倒的に多勢となる。これでは相手は敵わないわけである。
この身体全部の直接参加という動きは、このような「多勢」という有利さと共に、動きが波のようにうねらないから気配無しに突然動きが出るし、突然変化出来るという、武術の動きとしての鉄則にも叶うことになる。
「宇城先生の動きが凄いことはわかるが、どうやって動いているのか全然わからない」と、嘆いていた人も多いようだが、私はいままでで最も納得がいき、大変ありがたかった。

こうした動きを、宇城先生は座波先生から示された型によって学ばれていかれたのだろう。その為、「我流に陥らず忠実に古来からの゛型゛を学ぶことが大切なのだ」と、強調されたのだと思う。
しかし、この言葉は宇城先生のように本当に使える師から型を学ばれた方にとってはその通りだろうが、教える人のレベルがそこまでいっていない指導者に就いている多くの者にとっては絵に画いた餅のような話である。
20日の講座に参加された、あるフルコンタクト系の空手家は、後日電話で私に「基本が大事だ、基本が大事だと言って、基本をやらされてきましたけど、宇城先生の空手を観て、いったい自分のやってきたものは何だったのか、と凄いショックを受けました。『俺の10年間を返せ!!』と言いたい気持ですよ」と、感心とも嘆きともつかぬ感想をもらされていた。
私なども剣術の型をやっていて、私に限らず、ちょっと打ち太刀の間合を厳しくされると誰がやってもどうしても間に合わないらしい、と諦めていた型が、体を捻らず、うねらせないことの重要さに気づいて、私なりに動きが変ってきてから間に合うようになったのであり、そうなるとただ教えられたように忠実にやっていたのでは永久にそこまで行けなかった、ということになる。

打ち上げの時、宇城先生に「師が伝える型を忠実に学ぶといっても、それだけの内容があっての話で、ほとんどの人はそれだけの内容のあるものと出会えないわけですから、『師の教えを忠実に学べ』ということも現実には難しいんですよね」と、申し上げたところ、「いや私も座波先生に出会えたことは本当に運がよかったと思います」とうなずかれ、「私は感覚で座波先生の動きを学んだので理論は後からです。甲野先生に見ていただいて解説を聞いて、ああそうなのかな、と思うんですよ」と、言葉を続けられていた。

宇城先生は講座のなかで、首やアバラなどに手がズーッと入ってゆく、ということを実演し、受講生にも手を添えて体験させて下さったが、打ち上げの時も居合せた人の手首に御自身の指をめり込ませ、皆がその威力に手足をもがいて苦悶していた。
その様子を拝見し、私もその指がめり込んでくるという感触を味わせていただこうと、宇城先生にお願いして手を出そうとした。
すると、その時ふと、私なりに強い体勢を作ろうとする思いが湧き、1週間ほど前、関西でアメリカンフットボールの選手に押されなかった時に気づいた体勢(肩を下げ、下腹の腹力が出るようにして胸と背を互い違いに体全体を使う体勢)をとってみた。そうやってから宇城先生に手を取っていただくと、痛さは感じるがこちらが悲鳴を上げて姿勢を崩すほどのことではない。
「おお、甲野先生、さすがですねえ」と、宇城先生がニコリとされたので、今度は私なりの強い体勢を解いて、同じように手を取っていただいた。すると今度は宇城先生の指先がまるで刃物のように私の手首に喰い込んできて、その後しばらく痺れていた。
いったいどうしてこれほどの差が出たのか、その時は私自身にもわからなかったが、昨日、会員の吉田健三氏と話をしていて、私が特別な体勢を作っていない時は宇城先生の動きに私が反応してしまい、その捉えどころの無さに宇城先生の指と接している部分が、その状態を知ろうとしてセンサーモード化し力が抜けてくるので宇城先生に入られるのではないか、ということが理由のように思えてきた。
これに対して腹力を使うような体勢では、相手の動きに取り合わず、ただそのままでいるから相手は入って来にくいのかもしれない(無論、これも仮説に過ぎないが)。
実際、宇城先生の指先が入って来られにくい時は、決して私の手首が強く緊張しているわけではなく、ただそのままでいて、宇城先生の指先は私の手首のなかの筋だか筋肉だかにクリンクリンと当っていて、力が分散しているような感じであった。

それにしても宇城先生の風景のよさは、私の手首に指が入りにくい時は、「おお、さすがですねえ」と、嬉しそうな顔をされ、御自分の技が利く、利かないということに少しもこだわられなかったことである。
というか、何かと私のことをたてて下さる宇城先生としては、私の動きが他の人より多少は違うことをむしろ喜んで下さったような気配さえあった。
このような方と御縁のあったことに心から感謝したい。

以上1日分/掲載日 平成12年2月25日(金)


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