2000年9月16日(土)
このところ、気持ちの沈みこみと急ぎの校正が重なったりしたせいで、数日間ほとんど稽古していなかった。
ひとつには5日の夜、打剣をしていて、私自身゛丹田゛ということがこんなにもわかっていないのだ、ということが、かつてないほどハッキリと自覚することがあり、いささかショックだったことも多少は関わっているかもしれない。
もっとも、゛丹田゛が実感として捉えられた者なら、普通の体格で幕内の力士と相撲をとって、十分に余裕があるくらいでなければおかしいと、以前から思っていたし、人にも言っていたから、私自身の゛丹田゛への自覚がまだまだ未熟であることは十分承知していたつもりだが、5日の夜はあらためて「こんなにもわかっていなかったのか」ということが実感されたのである。
ただ、その時「ものは考えようで、『わかっていなかった』ということがわかったのだから、これはこれで有力な手がかりかりになる」と思ったことも事実で、ショックは同時にひとつの希望にもなっていたのだが、ここずっと、゛希望゛という字がおよそ似合わない精神状態であったため、ひどく忙しかったこともあり数日間ほとんど稽古らしいことは何もしなかったのである。
それが15日、16日と稽古して、少しまた感覚が変ってきた。
以上1日分/掲載日 平成12年9月19日(火)
2000年9月28日(木)
26日、27日と仙台で稽古会。
今回は浪之上や浪之下(片手両手持たせで、いなしありの抵抗を崩すもの)で、「つい、でしゃばりたがる腕を脇役に徹するようにさせ、主役である体幹部本体の通り道を作るようにする」という体の使い方の解説をして、こう解説した私自身あらためてこの解説に納得がいき、自分のなかでかなり整理がついた気がした。
この他、24日の日曜日、桐朋中・高等学校のバスケットボール部にR中学・高校のバスケットボール部合同の講演・実演会で披露した巴のターンを連続して行なうことで、速やかに人や物の周りをまわる動きや、駅伝に出場するのでナンバの走法を教えて欲しいというM氏のために、26日、新しく走行時に両手の拇指に張りを持たせるナンバ走法を工夫したりした。
しかし、巴のターンの連続で直径1mほどの大きさの物の周りをめぐる動きは、岡山の陸上競技指導者・小森君美先生が「背面跳びは井桁崩しの原理ですよね」と言われたことがあらためて思い出され、小森先生の、私の動きに関する分析力と理解力の高さを思い知らされた。
また、今回の東北行きでは稽古の後、27日に炭焼の佐藤氏宅に寄った折、久しぶりに薪割りを行なったが、斧を思いっきり振り回すよりも、一見、斧の動きにブレーキをかけているようにみえる、落下する斧の動きに身を添えるアソビの取り方を行ないつつ斧を使った方が、より威力のある薪割りが出来ることが確認できたことも収穫だった。
以上1日分/掲載日 平成12年10月4日(水)