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2000年4月4日(火)
番外編゛スキー初体験゛

3月31日、生まれて初めて新井でスキーをした。はじめはとにかく転びに転んだ(この日約100回は転んだろう)。というか、まったくの初心者である私にとってブレーキは転ぶことしかない。そのため、いろいろな条件でさまざまに転んでおこうと、転び方のバリエーションを増やした。幸い武術の受身で転ぶことには慣れていたから転ぶことは一向苦にならず、見た目は派手で今度こそ骨折か捻挫かと同行の指導員の斉木隆氏や植島啓司先生に御心配をかけていたようだが、何度転んでもまったく怪我をしなかったから次第に御二方とも笑って見ておられたらしい。

3キロのコースを2度滑ったが、この2度目はけっこう長い距離を滑り続けられ気持にゆとりも出て、スキーに人気がある理由もわかった気がした。
当然といえば当然かもしれないが、スキーは性格が出るらしい。今回新井に同行した名越康文氏はいままで2回スキー経験があるとのことだったが、その慎重さは呆れるほどで転びはしないが時速3キロほど。あまりの遅さに名越氏は指導員の佐藤さんに任せ、植島先生と私は先に下へ降りてしまった。
そのままあがろうかと思ったが、降りたところで斉木氏が待っておられ、「もう一度やりましょう」と促され3度目のトライ。今度はスキーもカービングに代え、おまけにワックスもかけられたため滑りがよくなって、また苦労した。しかし励まされ続け、3度目は途中からゴンドラにも乗らず下まで約5qをなんとか滑り降りた。

この日の夜フォーラムがあったのだが、椅子に坐っていても脚部がなにやらひとりでに動く感じがして、脚部だけ幻覚症状を起しているような気分が続いた(これはひとつには藤森照信先生の設計になる竹籠を伏せたようなドーム状のなかでフォーラムが行われていたせいもあったように思う)。
この夜はいろいろな方と話をして、寝たのは午前3時頃だったが、どうも脚部が普通ではないし、別にとりたてて体を怪我したわけではなかったが頚椎にもショックは来ていただろうし…と思って、久しぶりに身体の力を抜き、身体自身の自律的な調整運動に身を任せた。
これは整体協会で活元運動と呼んでいるものと同じようなもので、こうした動きを教えている団体によって本能法とか自動療法とか自発功とか霊動法とかいろいろな呼び名があるようだが、とにかく力を抜いてベッドの上に仰向けに寝て、体の動きに任せきると様々な動きが出た。
どのくらい動いていたかよく覚えていないが、7時過ぎに起きた時は筋肉痛は残っていたが他に問題はなく、お陰でこの日も昼前、再びスキーを履くことになった。

話がよくわからぬまま名越氏と私はゴンドラとリフトに乗せられ、昨日よりさらに高いところまで連れて行かれる。この日は土曜日でスキーヤーやスノーボーダーがたくさん滑っている。超初心者の私と、私よりさらに遅い名越氏が他の人に迷惑をかけるに忍びないので(というか名越氏は「もう絶対ダメです」と辞退したので)、名越氏は再びリフトで師匠の佐藤さんと中間地点まで戻ることにし、私は圧雪したコースを外れた斜面を斉木氏と植島先生とで降りることにする。そこの傾斜は30度ほど。30度というとまるで崖に見える。何のテクニックもなくスキーを始めて2日目にここを滑ろうというのは無謀だが、自分のなかにしきりに行ないたがる何かがいる。もちろん臆病な自分もいるのだが大胆な方が勢力が強く、滑りはじめる。
滑ったり転げたりしていて、1度は私のスキー板の上を、上から来たスキーヤーが滑ってゆくというニアミスもあったが、いろいろ体験しているうちにだんだん体がなめらかに動いてきはじめ、前日に滑ったコースまで降りてきた時は、約24時間前、転びに転びながら初めて滑ったコースがひどく簡単に見えはじめた。
そして曲がること止まることを次第に覚え、最後は20度ほどの斜面をカーブを描きながら降りて、先に待っていて下さった植島先生らの横へなんとかスキーをつけて止まることができた。「50歳を越えて、生まれて初めてスキーをした人で、こんなにすぐ滑れるようになった人を見たことがありません」などとスキー場の人達に褒められたが、私としてはもう少し早くスキーに慣れて滑れるようになってもよかったのではないかと、自分の身体感覚の鈍さにちょっと不満だった。
しかし、まあ事故がなく、私自身もそうだが他の人を怪我させなくて済んだのだから、これでよしとしておこうと思った。

以上1日分/掲載日 平成12年4月5日(水)


2000年4月17日(月)

このところ、先日、交遊録で述べたように気持は沈んでいるが、そういう時だからこそみえる世界もあるのだと思って稽古の方は続けている。そのためかいままで出来なかった動きがいくつか出来るようになってきた。

そのひとつに、受に有利な状況で行う゛鎌柄(カマツカ)゛がある。鎌柄というのは、受が取の片手を向き合った同側の片手で上からおさえ(つまり受が左手なら取の右手)、それを取が上げて受を崩す柾目返の受の動作、つまり相手の片手をこちらの片手で押さえるという動きをそのまま技にしたものの名称である。
そして受に有利な鎌柄というのは、受が柾目返を行うという状況だけでなく「右や左、好きな方向に持たれた手を振り払って、取に鎌柄をさせないようにしてもいい」という状況で行うからである。
取の手が受の手首のあたりに触れた瞬間に、受が右や左に激しくいなせば、これを崩すことは今までの私にはたいへん難しかった。というより出来ないことがわかっているから、そういう状況でやってみようとも思わなかったから、いままでの鎌柄はあくまでも相手が真っ直ぐに柾目返で手を上げてくるところに、こちらは沈みをかけて崩してゆくというものだった。
それがここ最近取り組んでいる吸気による体の使い方の工夫により、いま述べたような取に難しい状況設定を課しても出来るようになりはじめたのである。

それに関連して、相手が手を伸ばして掴みにくるところをそのまま肘固めで抑えたり、タックルにくるところを下がらず斜め前に出ながら投げる、などといった動きも出来はじめてきた。
こうした新しい動きが出来はじめると共に、いままでずっと行ってきた動きも感触が変りはじめてきた。たとえば私のところの最も代表的な技である切込入身などは、一時「これはただの馬鹿力としか思われませんよ」と言われるほど激しく硬い感じだったのが、今はその正反対なフワリとしたものになってきている。

これらはすべて前述したように吸気で動くという工夫を始めてから得られた成果である。
吸気で動くということについては、呼気や止息は胸につかえると以前書いたが、これはたとえていうと救命ボートや浮き輪に空気が入って水上に浮んでいる状態ともいえる。なぜかというと、その状態では相手にとって手がかりとなり、崩そうとしても相手が沈まず這い上がってくるからである。
それに対して吸気の体で胸の緊張を解くと、相手は水に沈まないための手がかりを失って溺れる、つまり崩れるというわけである。
胸の緊張が解ける吸気は、そのため力めない。もちろん息を吸いながら力むこともできるが、たとえば重い物を持ち上げようとする時など、不用意に吸気でやろうとすると、本当に体が無理をしている感じがして、「これじゃ体を壊す」という実感がしてくる。
しかし逆に言えば、だからこそ吸気を手がかりとして工夫すると、力まずに体を動かすことを体自身が工夫するようになるのではないかと思う。

ただ、このように自分の体が壊れるかもしれないことを覚悟し、いわば身体を賭けてその使い方を工夫するのであるから、私がいままで説いてきた、体を捻らず、支点を作らないで動かす工夫をする井桁崩しからの一連の術理の展開のように、どなたにもお勧めできる稽古研究法ではないことをいま一度申し上げておきたい。
「では、どうしたらそういう体が壊れるかもしれない稽古研究をしてもいいのか」と問われたら、今の私には何とも答えようがないが、いままで説いてきたような固定的な支点を作らず、身体の割れを進め、そうした身体の割れを自覚できるような体の感覚を練り上げてゆくことが、まずは必要なように思われる。というのも、私の道場の常連会員で、私の技に対しても対応力が育っている人が、自然と吸気による対応を行なっていたことに最近気がついたからである。

また、これに関連してひとつ思い出したのは、秋田のマタギの里・阿仁の鍛冶、西根正剛氏の話である。西根氏は日本伝統の猟師マタギの狩猟刀フクロナガサ造りの名人としてその世界で名が轟いているが、西根氏自身も熊猟に出られる猟師で、その西根氏の談話によると、いきなり熊と出くわして襲われた場合など、腰のナガサを抜きつつ、まず熊の喉か顔面に斬りつけ、次に抱きついて心臓を刺すそうだが、まず最初にナガサを抜く際、最も力の入らない軌跡でナガサを抜くのがナガサを速く抜くコツだということである。
この話は5年ほど前であろうか、私が仙台の稽古会に行った折、西根氏の許へ直接行ってフクロナガサを鍛ってもらってきたというA氏から稽古の後聞かせてもらった。その時も非常に興味深く聞いたが、今あらためて思い返してみると、この「力が入らないから速いのだ」という言葉には深く納得させられる。

以上1日分/掲載日 平成12年4月17日(月)


2000年4月20日(木)

朝(といっても10時近くだったが)起きると両腕が鉛のように重い。「ああ、とうとう出はじめたかな」と思った。つまり吸気による体の使い方の副作用がである。
昨夜は(昨夜といっても明け方まで)いままでになく微妙なところまで吸気による体の使い方の工夫が及んで、「ああ、そうなのか」と思うことがあったのだが、いままで経験したことのない感覚だったから、その反動が出たのだろう。
この両腕が異様に重く、頭痛とまではいかないが何か頭がフラッとするという体の感覚は、いままで経験した病気や調子を崩した時のどの場合にもなかったものである。
かねて覚悟のことでありいまさら驚かないが、このような、いわば生体実験的な稽古は(午前中、用事があって電話で話した仙台稽古会の森氏に「大丈夫ですか先生、声がすごく沈んでますよ」と心配をかけてしまったぐらいだから)とても万人に勧められるものではないだろう。
ただ私は、譬えは悪いが、麻薬を知ってしまった麻薬中毒者のように、吸気による胸のスキの快感をすでに知ってしまっており、この上はさらに研究をすすめる以外、私自身を納得させる方法はないのである。
いちおう頭の中では、吸気による胸のスキが「気息に関わらず」と、かの弓道無影心月流祖の梅路見鸞老師が『顕正射道儀』のなかで説かれているように、呼気においても実現できることが目標なのだが、その過程で今後どのようなことが起るのか、それは実際やってみなければなんともわからない。
ただ私の強みは、自分がいま閉ざされている絶望感であり、たとえ命を削ってもこうした呼吸の研究を通して、人間が生きているということの意味や、その存在の実感が得られるなら、まったく躊躇なく喜んでその道に入ってゆく覚悟(覚悟などと大袈裟な表現を使う必要もない。゛願い゛゛思い゛といったもの)があるということである。
「人間の一生は、その物理的な時間の長短に価値があるわけではない。生ききったかどうかだ」という意味のことを整体協会の創立者・野口晴哉先生は生前常々口にされていたようだが、その言葉がいままでで一番心の中に入ってくる。

そういえば昨日、私の絶望感を決定的なものにした映画『もののけ姫』の宮崎駿監督のアトリエ二馬力に電話したことも、今の私の゛思い゛に何がしかの影響を与えているのかもしれない。
秘書役の篠原さんが「いま宮崎さんは大変忙しくて時間はとれないと思いますけれど、是非お茶でも飲みにいらして下さい」と誘って下さったのが何か心にしみ入るほど有難かった。

またこの日は、私が吸気の工夫に入るキッカケとなった、狂言師の野村萬斎氏との対談のゲラがFAXで送られてきた。13字詰で325行、来週の25日に発刊される『サンデー毎日』誌に載ることはほぼ確定のようだ。
校正を入れながら、人との出会い、めぐり合わせの不思議さについてあらためて思いをめぐらせた。

いま、自分の書いた文章を読み返してみて「ああ、自分には六種傾向がやっぱりあったな」とあらためて思った。と、同時にこの整体協会の体癖分類の確かさにいまさらのように感じ入る。
六種は呼吸器と関連が深いというが、呼吸の工夫を始めただけに一層その傾向が顕著に出たのだろう。六種というと、その筋の人達から嫌われがちな体癖だが、そのことを自分で素直に実感できるのは、やはり私のなかの何かが変ったからかもしれない。

以上1日分/掲載日 平成12年4月21日(金)


2000年4月21日(金)

薄紙が剥がれるようにわかってくる。打剣でいかに体が間に合っていなかったかを。
剣を持つ手之内が柔らかく指が曲がってくるのは、どうしてもタメを作ろうとしていたからだ。指を伸ばすとゆとりがなくなって体の遅れを実感。いままではこの体の遅れが頭の中でしか理解できていなかった。
20日の朝、起きた時、両腕が鉛のように重く、吸気による動作の副作用がいよいよ出てきたかと思ったが、いま(21日、午前4時近く)剣を打ってみて、いつの間にか呼気でやろうとしていることに気がつく。低く゛ア゛の音が出る感じ。吸気か呼気かよくわからないような状態。
やはり体を追いつめると、体の方も懸命になって壊れない方法を探すのかもしれない。それだけにやはり危険な研究なのだろう。

2000年4月22日(土)

昨日は都内の稽古会に譲原晶子女史や新井で知り合ったSさんが見学に来られたこともあり、さらに紅二点のWさんIさんも揃ったので稽古会が華やぎ、私もほぼ3時間休みなく技をかけて動き続けた。

技はいずれも吸気による胸のスキを主としたもの。切込入身、片手持たせの沈み、鎌柄、櫓潰(やぐらつぶし)、対タックル、対突へのくっつき、小手返、小手捕、振り切られないように面を合せてのくっつき、剣術、等々……。

゛切込入身゛など受手がはじめから横に移動しながら仕掛けてきても、その足を止められるようになったし、゛片手持たせの沈み゛は受が五指揃えという、親指も他の四指と同側に揃えて取の手首のところに引っかけ、取がその手を下へ沈めようとするとぐっと引っ張り込んで、取の動きを阻止するという状況設定。
これは親指を他の四指と向き合せて掴むという一般的な状況設定にくらべると、やってみればすぐにわかるが受にとってはるかに有利で、取は大変やりにくいもの。その理由は親指を他の四指と向き合せて掴んでいると、どうしても肩が前に回転してきて不安定となるからだろう。
私にしても五指揃えの片手持たせの沈みは、いままで相手によっては出来ていたが、出来ないこともしばしばだった。それが吸気の工夫によって、いまのところ例外なく出来るようになった。

この日は吸気により私の感触がいままでになく柔らかく気配が消えてきたせいもあったのか、何回も体験を希望する人が後を経たず、そのため最近にないほど動き続けた。
そのせいであろうか、今朝は目が覚めると何か体内に入ってくる空気が足りないようなかつてない息苦しさを覚え、意識的に何十回も深呼吸をした。
吸気による技の柔らかさと利きはたしかに魅力的だが、この研究には危険が伴うことを再度忠告しておきたい。

以上2日分/掲載日 平成12年4月24日(月)


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