2000年11月4日(土)
11月に入って2日は桐朋高校のH先生が、バスケットボール部のK先生と来館。久しぶりに面、籠手、胴のフル装備のH先生と竹刀を合わせる。
最近出来はじめた一足立を使っての抜技や沈み技を試みる。正眼から面へと打って相手が防ごうとした時、抜いて右籠手を打つ技にH先生はひどく興味を持たれ、納得されるところがあったのか籠手の抜きが1時間もしないうちに見違えるほど早くなられた。
その他、この日最も私にとっても得るところが大きかったのは、側面からの体当たりに対して、剣術の右籠手留の体で沈みつつ当たり返すことで逆に相手を崩す技。
この右籠手留は、私がかつて鹿島神流を学んでいた時に覚えた裏太刀の四本目、下段籠手留をもとに足捌きや体の沈み方を若干変えて、その後、とりあえずの松聲館での剣術の数少ない型のひとつとして取り入れ、今もまだ残っているもの。
これは体術の体のこなれをよくするためにもいろいろと得がたいものがあるとは思っていたが、この日、相手と体当たりする時、知らぬ間にこの体を使っていて、思わず「あっ、そう使うのか」と独りごとを言ってしまった。
この動きは、さらに詳細に検討してみると、1年ほど前、盛んに言っていた「腰の下に尻がない」という゛床几外し゛に体を使い(これはそれ以前から言っていた゛リクライニングシートの原理゛のある種の発展型ともいえる)つつ、肩、肩甲骨を一気に沈め、体を一瞬で収縮膨張させる動きでもあるようだ。
そして、この膨張という概念は、7年前に言っていた四方輪のなかの膨張ともかなりイメージ的に重なっている気がする。
その後、3日は都内での稽古会、今日4日は私の道場での稽古と3日続けて稽古して、いろいろな人達と手を合わせた結果、この籠手留で沈む体は、さまざまな技法現場で有効に働くことがわかってきた。
この動きの有効性は、通常多くみられる動きである支点から動きがうねりつつたち上がってくるものと違い、いまも述べたが四方輪時代に気づいた、全部が同時に縮み膨らむもので、視覚的にも捉えがたいだろうし、接しても動きの起り、方向性がつかみにくいのだと思う。
たとえば、タックルして来る相手に対応する場合も、あきらかにいままでよりより柔らかな接触で相手を崩すことができた。
また動きの唐突さ、脈絡のなさということにおいても独特なものがあるように思う。
あらためて、私が育んできた武術の動きのなかに鹿島神流が大きな影響を与えていることを悟り、この道を私に教えて下さった野口弘行先生と野口先生の先輩である稲葉稔先生、そして両先生の師である国井道之先生に感謝の思いが湧いてきた。
以上1日分/掲載日 平成12年11月7日(火)
2000年11月12日(日)
11月に入って気づいた剣術の右籠手留の体術への応用は、その後さらに進展し、突きや切込入身、小手捕といった、長年私が行なってきた技の利きを促しつつある。
なぜ、この体がそうした効果をもたらしたのかは、まだ十分にその理由がつかめないが、おそらくは、打太刀の上からの攻撃を、体を沈めながら下段の太刀を上に挙げて防ぐという形のため、「太刀を上げるために沈む」「沈むから上がる」という体の使い方となり、意識と体の使い方が、一般的な、ベタな関係とは異なるためではないかと思う。
それと威力も増したのだが、これは支点からうねってくる一般的な動きにくらべ、ドッと花火が開くように、より短時間で体全体を使う体の使い方となっているからだと思う。
しかし、今回の右籠手留の体の見直し再発見は、先月の末に気づいた手裏剣術における手首の張りが、腰と今までにない実感を伴ってリンクしていることがわかったことが大きなキッカケとなっているように思う。
そして、この手首のアソビ、ユルミのない張りは『願立剣術物語』にあった、「手首動ク事」が゛病気之身゛すなわち、やってはいけないこととして挙げられていたこともヒントになっているし、以前、心道会の宇城憲治先生からも似たようなことをうかがった記憶がある。
何にしても身体というのは、まだまだ未知の構造に満ちている。
こうした発見・気づき等は、今週末の18日、朝日カルチャーセンター大阪での講座と、翌19日、クボタの体育館で行なわれる稽古会で解説したいと思っている。
19日の稽古会については、このホームページとリンクしている尚志会のホームページを御覧いただきたい。
以上1日分/掲載日 平成12年11月14日(火)