2000年12月7日(木)
気づいて見れば今年ももう残すところ3週間と少し。あらためて技と術理の進展について振り返ってみると、3月に吸気に関する気づきがあり、7月に回転体の複合、そしてアソビ、ユルミのとり方などに進展があったが、いま最も印象に残るのは、最近という事もあるだろうが11月に入ってからあった、下段からの右籠手留という剣術の型の体術への応用である。
このことについては、すでに前回のこのコーナーで触れたが、その後さらに気づきが続き、私の印象としては、3月の吸気に於ける気づきとならんで、この右籠手留の応用は今年の最も大きな収穫となりそうである。
まず、この右籠手留の応用による体術の利き方に私自身驚いたのは11月15日の夜、長年の武友である伊藤峯夫氏が来館されて稽古した時である。「従来の切込入身にくらべ、この右籠手留を応用すると利き方がずいぶん違うでしょう」というような話をしているうち、右手同士の手刀を斬り合わせるという状況から、受が右とみせかけていきなり左手で上から払い落したり、あるいは下から払い上げたり、右とみせかけて左で払いかけ更に右で逆側に払ったり、といったふうに変化したらどうだろうかという考えが浮かんだ。
いままでであれば受がそのようないわば乱取状態になったら、取もそれに応じて柔道の試合でよくみられる組手争いになってしまうと思っていたから、わざわざやってみる気も起こらなかったのだが、この日はフト、いままでとは違った展開になるような気がしたので試みてみた。すると、私が切込んでいった手を伊藤氏に思いがけぬ方向に払われると、手はその方向にある程度持っていかれるが、正中面はまったく崩れず、体幹部がそれにつられて動くということがまったくといっていいほどない。そのため私の手を払った方が逆に私に入り込まれる結果となってしまい、間を詰められて浮き足立つ恰好となってしまう。
そしてこれは杢目返という合気道の技でいえば交叉取の二教のような状況設定で受が取の手(手首というより掌の外側の取にとってやりにくい部分)を取がやりにくいように、やりにくいようにと掴んできても、ほとんど取の手に触れた瞬間に逆に崩れてしまうのである。
なぜこれほど技が利くのか、にわかにはその理由がわかりかねたが、17日の都内であった稽古会、18日の朝日カルチャーセンター大阪での講座、19日のクボタでの稽古会、20日岡山での稽古会と連続してあった稽古会や講座で検討した結果、どうやら私が右籠手留の体で沈むと、その沈むことによって逆に私の体に浮きがかかり、その時の私の手に触れた相手は、ちょうど空中に搗きたての餅がぶらさがっているのに手を突っ込んだような状態となって、自らの身体の体勢維持に必要な情報が断たれ、その結果自動的に体がセンサーモードになって力が入りにくくなるためにそのようなことになるらしいことがわかってきた。
この動きの有効性は、21日に岡山で柔道の専門家のT先生や、かつてアマレスの全国大会で入賞を果たされ現在はレスリング道場で後進を育てられているY先生に非常な関心を持っていただいたことなどからみても私の単なる自己満足の域ではないようである。
その後、私の道場での稽古や、11月からの仙台での稽古会などで、さらに多くの人達と手を合わせて検討したが、突いてくる相手の腕に、この右籠手留の体勢で触れると、相手が引きを早くしてもその拳に乗っていけることなどもわかってきたし、剣術の斬り割り等に応用しても今までにない崩し方が拓けてきた。
こうした展開は、いま述べてきたような下段からの右籠手留の体の応用によるところが大きいが、この動きを誘発し育ててきたのは手裏剣術における新たな打ち方、鼓翼打(これを「はばたき」と読む)の工夫がある。これはより別方向の動きを統合してひとつの働きにするというものだが、本日、約2ヵ月ぶりの来館であった信州の江崎氏にみせたところ、体術の利きには感心してくれた江崎氏だが、この鼓翼打にはそれほど関心を示さず、それよりも現在江崎氏工夫の離れ直後の手を止めたいという新工夫の話をしてもらい、逆に私がひどく感心してしまった。
江崎氏は最近よく夜明け前の暗闇のうちから稽古をすることがあるらしい。ひたすら体の使い方に眼を向け、剣が的に刺さるとか刺さらぬとかにとらわれず、2時間ぐらいでもすぐ過ぎてしまうというからその探究心はただものではない。なんといっても信州の12月の戸外である。暖冬とはいっても気温は零度近くだろう。あらためてその情熱には舌を巻いた。
以上1日分/掲載日 平成12年12月11日(月)