2001年4月9日(月)
4月の初め、古い会員のS氏から電話があり、翌日何年ぶりかで稽古をする。
稽古をしながら、いろいろ話を聞くと、スペイン滞在中゛柔術強盗゛に遭い、完全に締め落されてパスポートをはじめ金目のものをほとんど強奪されたという。なんでも強盗は2人組で、1人が前から牽制しておいて、もう1人が一気に首を締め、体を搦ませてきたらしい。
再現してもらったが、なるほどこれは厄介だという感じがした。「何とかならないものでしょうか?」とたずねられ、私もいろいろと考えたが、前に1人いて、その人間も殴ってきたり蹴ってきたりして来るとなると、そちらの対応に気をとられた時、一気に締められそうだ。
そうこうしている内、フト相手がいきなり後ろから首を締めに来た瞬間、刀の柄を前下方に向けて抜刀しようとする抜刀術の体をとることを思いついて試みたところ、それまでは私に搦んでいたS氏が私の右前方へスッ飛んで行く。
そこでいろいろと粘っこく貼りついてもらったが、うまく抜刀の体のタイミングがとれれば、粘られても相手の足を掬って倒せる状況まではいけそうなことが分かってきた。
勿論いざ実際に襲われた場合、どこまで役に立つかは分からないが、少なくともこの工夫に気づく以前よりは、よほど対応出来る可能性が出てきた。
こうしたことがあって、4月に入ってからは抜刀術に対して改めて関心が出てきた。
そして4日、5日と身体教育研究所の野口裕之先生にお会いし、゛観る゛ということに関して貴重なアドバイスを戴いたりしたため(4月5日の『交遊録』)、そのことと最近ずっと試行錯誤している肩の沈みと下腹との関係などを考え合わせながら、抜刀術について新しい角度から稽古を考え始めた。
その結果、7日、8日と何人もの人達と稽古し、いくつか進展があった。なかでも私自身がなるほどと思ったのは、抜刀の体をとることで全身が調養され、例えば片手を相手に両手でしっかりと、しかもこちらがやりにくく持たれたりしても、背中や脚足部といった身体の他の部分も、持たれている腕やそれに直接関係している肩を動かすのにより有効な関わり合いを持つことが出来るということである。そのため、そうした状況下での技も、今まで以上にやりやすくなってきた。
それから、具体的な動きで今までとハッキリ違ってきたのは、抜刀の体を応用すると、体術の突きを捌くのに動きがより消えてきたということである。このことに関しては、常連で稽古に来ている、粘っこく今までなら変化してもその後をしつこく追ってくる人達も「これは違いますね」という顔をしていたから、あながち私1人の思い込みでもないだろう。
この動きの術理は、突きに対して只体を躱そうとすると、どうしても体を躱すために床を蹴る足底部が支点となって居着きが起こり、動きが相手に読まれやすいが、抜刀の体では抜刀するという一連の流れの中で支点の居着きがより起こりにくくなっているからだと思う。
思い返せば、以前は抜刀術を私の技の工夫の中心に据え稽古をしていたのだが、井桁術理以後は専ら体術の工夫にその中心が移り、その後、薙刀や手裏剣術、杖術等の工夫を体術と結び付けて考えていた。
もちろん抜刀術の工夫も全くやめていたわけではない。゛虎抜゛や゛逆手抜飛刀打゛等、新たな、そして体術ともリンクした技を工夫したりもしたが、決して稽古の中心的存在ではなかった。それが、どうやら今後主要な研究検討事項として、この抜刀術が浮かび上がってきそうである。
8日の夜は、吉田氏や五味氏といった常連の人達と夜遅くまで、日本刀がその独特の形態を完成させた平安末期の頃、既に只ならぬ使い手が存在していたのではないか、もちろんその当時どのように使ったのかは全く分からないが、或いは夢想願立の松林左馬助などは、時代を超えてそうした動きに感応し再現した人物だったのかも知れない、等といった話に花が咲いた。
以上1日分/掲載日 平成13年4月11日(火)
2001年4月12日(木)
ここ数日、朝起きるのが辛い。とにかく足首の辺りから手首まで全身筋肉痛なのである。
この筋肉痛の理由は、恐らく4月に入って抜刀術の体を体術に応用する工夫を始めたことに関して、よりタメを無くすために、『願立剣術物語』の三十三段目にある「足下軽く、足は手に引かれて行くぞ、手は師の引導に引かれて行く也」を身につけるため、打剣時、手の先行の本格的な工夫を始めたためであるらしい。
動く時にタメを無くすことの重要さは人にも言い、私自身も身に沁みて感じているのだが、なにしろ何十年、その使い方が当然のこととして使ってきていたため、多少は減ってきたとしても大幅にこのタメを削減することは実に容易なことではない。
特に手に持った物を飛ばすという動作は、タメを使う鞭の原理が最も発現しやすく(というか、鞭の原理以外では十分に手応えを感じて物を飛ばすことは不可能というのが常識的な見解だろう)、この動作をうねりを使う鞭の原理以外で行なうのは至難といえる。
しかし、抜刀術の体術への展開について新たな手がかりを得てから、うねり系の体の使い方の問題点をより一層自覚させられた身としては、何とか手之内に持った剣を飛ばすという打剣時においてもうねらない体の使い方をより徹底させたいと思うようになったのである。そのため始めたのが、手の先行とそれをバックアップする体の動きの間に合わせ方である。
打剣時の手の先行については以前から考えていたことだが、4月に入って今までになく本格的に抜刀術の動きを体術に応用することを考え始めてから、それまでは多少なりとも私自身大目にみていた打剣時の僅かなバックスイングが、どうにも許せなくなってきたのである。しかし、そのタメの無いうねり系の動きの完全禁止ということが、どれほど困難であるかは、やってみた者でないと分からない。
ちょうど昨夜は、二十数年来の武友である伊藤峯夫氏が久しぶりに稽古に来られていたのだが、このうねらせない、タメのない打剣を、私の解説を聞いてから試みてみて、二間ほどの距離であっても上手く剣が飛ばないことに閉口して笑いだし、「しかし、よく貴方はこんな事やろうなんて思いつくね」と半ば感心、半ば呆れられた。
私も、身体の状態が今のようなところまで来ていなければ、この厳密なうねり禁止の打剣は、その余りのやりにくさの為に頭がおかしくなってしまい、とても挑戦する気にはなれなかったと思う。
「全てのものには時期がある」というが、つまりはそういう事なのだろう。
そして、この厳重な「ついやってしまいそうな動きの禁止」ということに型稽古の意味があるように思う。しかし、見方によっては、これほど窮屈でやりにくく、人によっては「不自然」と決めつけるであろう動きを「正しい型」などと呼ぶ自信など私には到底ない。
私は私の動きの術理を「有効なもの」とは言っても、「正しい」と言うことには以前から強い抵抗があったが、いま挑みはじめている厳重なうねり系の動きの禁止など、心の底からの実感として、とても「正しい」動きなどと呼ぶ気は起こらない。仮にこのことで、この先私の動きの質が大変わりし、とても普通の人間が出来そうもないことが出来るようになったとしても、この気持ちは変わらないだろう。
このことは、ちょうど日進月歩する科学の発達によって様々な分野のテクノロジーが進化しているが、環境破壊という大きなリスクを払っていることと同じような気がする。
恐らくこの先も私は限られた状況の中でならともかく、「これが正しい」というような言い方は今以上に口から出にくくなるのではないだろうか。
以上1日分/掲載日 平成13年4月15日(日)
2001年4月29日(日)
4月28日、29日と久しぶりに仙台での稽古会。今回は、この夏で満9年となる仙台の稽古会で初めて土曜、日曜にまたがった稽古会となったためか参加者も多かった。
私も、何人もの人達と今月に入って抜刀術や手裏剣術から展開してきた、手の先行を体がバックアップする動きを、様々な状況で試みながら整理することが出来て、少なからず得るところがあった。
一番の気づきは、この地に来て、ごく普通のスーパーマーケットでも山菜を売っていることに驚いたのだが、そこで山菜のアイコ(ミヤマイラクサ)、シドケ(モミジガサ)等に混じってタラの芽が置いてあるのを見た時である。
アイコやシドケといったものは文字通りの山菜で草であるが、タラの芽は針だらけのタラノキの萌、つまり新芽であり木の芽である。木の芽は枝の先から芽が出る。このことが、最近ずっと抱えながら考えている「手の先行に体が遅れずついていく」ということを工夫する上で、あるヒントになったのである(木の芽は即ち枝の先から芽が出るということで、手の先行イメージが結びついたのだと思う)。もっとも、ハッキリと気がついたのは、スーパーでタラの芽を見かけた時ではなく、実際に稽古している最中だった。
最も明確に気づいたのは、体術の突きに対する払いで、今までついつい力んで払い落していたことが、この地に来て俄かに自覚できた。
その他、「千里の堤防も蟻の一穴から」というが、片手・両手持たせの浪之上や浪之下、両手・両手持たせ等の技で、相手にしっかりと持たれていても、その動き始めが、ごく僅かな虫をつまむ程度の動きで始まるからこそ相手の対応が遅れること。そして、そのような時、肩に凝りが来ないよう全体をうまく使うことが非常に重要であることが分かってきた。なぜなら、腕に必要以上の力が入ってしまうと、そのために体全体が手の動きをバックアップ出来なくなってしまうからである。
腕に無用な力が入らない、木の芽が伸びるような動きは、気配もなく敵のレーダー網をかいくぐって侵入するステルス戦闘機のように、敵陣の中核へと入ることが出来るからである。
ただ、これが例外がまずないほどに通用させるためには、手の先行を十分にバックアップできる身体の動きが、うねり系以上の威力を持たなければならないだろう。気づいたのはいいが、これからがたいへんである。
それでも今回の稽古会では、常連の方達の他、初めて参加されたO師範(かつて格闘技界で、全国にその名を轟かせた)も、またこの地での稽古会の折には参加したい、といわれていたから、客観的にみてもそれなりの進展はあったのかもしれない。
以上1日分/掲載日 平成13年5月1日(月)