2001年8月6日(月)
最近は以前にも増して忙しくなっている。だがそれを意識するととてもやっていられないせいか、あまり忙しさを思い出さないようにしている。ところがそうすると、また別の不具合が生じ、散々な目に遭っている。
どういう事かと言うと、急ぎどころか大至急の原稿や校正なども、ギリギリまで忘れていたりするから、ハッと気がついて慌てて何もかも放り出して書いているうちに講座等で出かける時間になってしまい、もっと大慌てで出かけるから、忘れてはならないものまで忘れてしまうような状況なのである。
先日も最近の私には必携品になってしまった老眼鏡を忘れ、岡安鋼材近くのメガネドラッグで既製品を1つ購入せざるを得なくなってしまった。かけた時は「ウワーッ、よく見えるな。たった1200円だけれど、いつものと変わらない、いやそれ以上か」と思ったが、外した時の目の焦点の合い方の自然さが違い、改めて視覚情報センターの田村所長の見立てに感じ入った。
私は遠距離は今でも2.0で、子供の頃と全く変わっていない(むしろ良い)のだが、田村所長の話では遠距離の良さが保たれているほど加齢と共に近くは見えにくくなるそうだ。
それに私の眼は、元来山や野を見るのに適した眼で、読み書きには向いていないそうだから、私が激しく広葉樹林を恋い慕うのも当然なのかも知れない。
とにかく、最近は時間の使い方が凸凹で我ながら苦笑してしまうが、そんな中でもいろいろと出会いはある。
4日は神奈川リハビリテーション病院で理学療法士の方々の勉強会に、桐朋の金田・長谷川両先生に岩渕氏、中島氏らと共に招かれ、実演と話をした。
この日一番の収穫(私にとっても受講された方々にとっても)と思えたのは、講座終了後に割烹旅館であった打ち上げの宴席で得られた。
宴も酣(たけなわ)な頃、何人もの方々の質問に答えて、いろいろやっていた時、ある人からリハビリ中の患者さんへの接し方、誘導法の1つとして「腰をかけている状態から立たせるのに、力を使わず楽に立たせる方法はないでしょうか?」という質問を受けた。これはつまり、私がいつもやっている、倒れまいしている者を崩すのと反対の技である。
今までやってみたこともないが、相手に動きを誘発すれば何とかなるかも知れないと思い、前後に相手の上半身を動かし、その度に反対方向にバランスを取ろうとする人間の本能的バランス保持の反射を誘導して、さほど力を使うことなく立たせる事に成功した。
次々と体験希望者があったので研究を続けながら行なったが、体験者全員から驚きの声が聞かれたから、この世界ではあまり例が無いテクニックだったのだろう。
この技術の応用例として、仰臥した姿勢から上半身を起き直る形に起こすものなども工夫。私自身もいろいろと気づきが得られた。
これらの技術は、私の技法のスポーツへの応用と同じく、注文を受けてその場で創ったものだが、今まで1度も考えた事のない、こうした事を「やってみよう」と思ったのは、以前、整体協会の野口裕之先生から聞いた、先代の野口晴哉先生が、何かで倒れてしまった人を2階に運ぶのに、大きな人だったので周囲の人間がどうやって運んだらいいのか困惑している時、すっとその倒れた人の側に行っていとも簡単に担ぎ上げ、2階に運び上げてしまったというエピソードが記憶の底に残っていたからかも知れない。
こうした体験は、また次の動きへのヒントになる。次の日(5日の日曜日)と又今日6日、朝日カルチャーセンターでの講座で、それぞれ今までにない感覚を得たので、そのことについては稿を改めて書くことにしたい。
4日夜は、家に帰るとオーストリアから、私達(カルメン・マキ女史に名越康文氏と私)が3年前に出した本『スプリット』に関する、今まで受けたことのない長文(かつ濃い内容)の感想文が出版社を経由して届けられていて、人の生き方の様々な在りようを今更のように考えさせられた。
以上1日分/掲載日 平成13年8月8日(水)