2001年5月9日(水)
このところ朝起きると体じゅう筋肉痛で辛いのだが、今朝は特に辛かった。
理由は、このところ毎日のように今までとは違った順序で体を動かすことの試みを続けているからだろう。お蔭で、私がどのように体を使っていたのか今までより踏み込んで分かってきた。
これは5月に入って、サッカーやバスケットボール、野球の選手と動きを合わせたり指導したりしてきたこともあるのだと思う。
3日は、サッカーのポジション取りの体の押し合い時に、いままで気づかなかった新しい体の使い方をみつけ、Jリーグの選手に驚かれたから、ただの自己満足ではなさそうだ。
野球への応用では、現在牽制球のフォームに最も私の武術の体捌きの有用性が出ているようだ。この動きには逆手抜飛刀打の尻餅をつくような後へのヌケに、体を捻らぬ開きとボールを持つ手を体捌の規矩にすることなど同時併用処理の体捌が必要だから、長年スポーツトレーニングだけをやってきた選手には俄かには真似しずらいようだ。それでも日常の体捌の点検から変えてゆこうと努力しはじめている選手が出てきたので、その努力には頭が下がる。
最近の私の先端的研究は、手の先行と連動した肩の落下と僧帽筋緊張の解除の模索である。
以前、肩を押し下げる゛肩の溶かし込み゛を研究した時期があったが、最近は意識的に下へと押し下げたり吸収したりするのではなく、井戸枠(最近はそんなものも見かけないが)の中を井戸の壁に触れずに、釣瓶が落ちてゆくような押し下げが重要なことが分かってきた。しかし、打剣などで手を上にあげると、妙に僧帽筋が緊張してきて何とも動き始めが難しい。
そこで散々、手・肘・肩・胸・肩・背・膝・足首等の動きの連動や順序の組みかえ、それに呼吸を組み合わせていろいろやっているせいで、ついつい夜明けになる日が多い。あたりが明るくなってくるので、我にかえって慌てて寝るから何とも起きるのが辛いのだろう。
2月以来ずっと食べ続けている生の野菜のスリ潰しも、こうした体の激変にはなかなかその効を発揮してくれないらしい。もっとも体調は悪くないし、意欲はひと頃よりずっと盛んになってきたから(そうでなければ連日このような神経のスリ減るような研究稽古ができる筈がない)、その方面に十分効果は出ているのだろう。
こんな私の身体の状態と共振するかのようにして、もっと体調を崩したのが信州の江崎義巳氏らしい。今日電話があったが、最近は稽古のしすぎで横隔膜がひどく痛んで連休中はずっと休んでいたという。
先日来た江崎氏からの手紙には「動中の静」の工夫の必要性について卓抜した考察が述べられていたが、あの情熱で実験的稽古に励んだら確かに危ないだろう。
江崎氏の話を聞いていて、ずっと昔、私の師匠である前田勇先生が、手裏剣打にとって胸・呼吸器は一番の命で、下手に稽古すると胸をこわすから気をつけるようにと私に教えて下さったことを思い出した。
江崎氏ほどの身体感覚の持ち主には滅多なことはないと思うが、そのあり余る情熱で自らの体をこわすようなことがないようにと祈りたい。
今月26日は、朝日カルチャーセンター大阪で武術の体捌をスポーツに応用するということに的を絞って講座を持つことになったが、最近の展開状況からいって、関心を持って下さるスポーツ関係者の方々の御期待にはある程度添えそうである。受講者は殆ど定員に達しかけているようだが、御関心のある方はお問い合わせ戴きたい。
※この講座のインフォメーションは『告知板』に出ています。
以上1日分/掲載日 平成13年5月10日(木)
2001年5月18日(金)
私としては珍しく、ここ2〜3ヶ月ずっと気分的に落ち込むことなく過ごしてきたが、昨夜あたりから何かすべてやることへの意欲がガクンと2段階ぐらい落ちた気がする。
意欲の波は高低変化するから、ずっと意欲が高まっていることの方が異常といえば異常だから、こうした波も当然起こることなのだが、今回の意欲の低下はどうやら1つのキッカケがあるようだ。
そのキッカケとは、渋谷にある゛たばこと塩の博物館゛で小林礫斎(れきさい)の作品を観たことから端を発しているらしい(昨日夕方から都内で稽古会があり、その前に寄ったのである)。
礫斎については、私が養老孟司先生と光文社から出した『古武術の発見』のなかでも触れたので御存知の方もあると思うが、象牙彫りなどの職人の四代目として明治17年に生まれ、繊細精緻を誇る極小の箪笥(かのヘレン・ケラー女史も生涯愛玩したという)や、人形、独楽、屏風、小箱、硯箱、茶道具、たばこ入れ等、他の誰もが真似の出来ないような作品を作ったことで、近代工芸史上異色の職人として知られている人物である。なにしろ籾殻の中に入った大黒象まである。
有名なエピソードの1つに、礫斎の許へ話を聞きに行った或る歌舞伎役者の頭から髪の毛を1本とり、その役者の目の前で指の爪でこれを2つに割き、更にそれを2つに割いてみせたという。
私もかねてから1度現物を目にしたいと思っていたので、展覧会が開かれているという情報を得てから時間を何とかやりくりして出かけたのである。
渋谷のパルコの横のダラダラ坂を少し登り、東武ホテルの向いにある博物館の4階にそれらは在った。
その極小の作品群のそれぞれは、まさに驚くべき精巧さなのだが、観る前に想像していたほどの感激は意外となかった。
私は刀装に使う縁や頭、目貫などに施された象眼や彫り等は好きで何点かは持っているが、礫斎の「これでもか、これでもか」といったような、まさに人間の限界に挑んだような作品には、刀装具を観ているような楽しさは全くなく、何か人間のあくなき欲望の業をみせつけられているような「ちょっと、もうたまらんなあ」という、一種辟易とした気分になってきたのである。そして、その事から人間が思いを込めて何かを造り出したり、技を身につけようとすること自体に、一種言い様のない虚しさを覚えてきたのである。
ただ、それは観ている最中は心のなかの一部であり、同時に「なるほど、これは凄い技だ」という感銘もあったから、その虚しさが心の中で浮上してき始めたのは稽古会を終えて家に帰ってからであった。そして、尚且つハッキリとこのことを自覚したのは、堪りかねて深夜大阪の精神科医、名越康文氏とこのことについて電話で話した時である。
名越氏も2年ほど前、台湾に旅行した時、噂に高い故宮博物館に行き、そこで巧妙の限りを尽くした工芸品の数々を観て、そのあまりの凝りように頭痛がしてきたそうだが、今回の私の感想と同じように、その凝りに凝った作品を観ているうち、人間の業の深さを痛いほど感じたらしい。「いやあ、あそこはもう2度と行きたくありませんよ」という名越氏の言葉には実感が籠っていた。
まさに人の好みはいろいろで、極端な例を挙げれば、普通の人間なら最も忌み嫌う、人を殺した時の感触にしびれるほどの快感を持つ殺人嗜好癖の人間もいるらしいから、何とも言いようもないが、礫斎の作品を観た後には宮本武蔵の「枯木鳴鵙図」や「鵜図」のような滅筆体による墨絵が無性に観たくなった。
名越氏との電話を終え、深夜(というか夜明け前)少し稽古をしたが、「私自身の美意識が納得できるように動く」ということが、いま私がこのまま落ち込まずに済む唯一の方法のような気がしてきた。
そして一夜明けて今日、落ちかかる意欲をみつめながら、今回はそうした心の動きによって、何か一段奥のものが観えれば幸いと思い自分自身の気持ちを整理しながらやらなければならない仕事にゆっくりと取り組んでいるところである。
以上1日分/掲載日 平成13年5月19日(土)