1999年7月1日(木)
信州から、私が現在使っている全ての手裏剣を鍛ってもらっている江崎氏が、約1ヶ月半ぶりに来館。
1度2人で、できるだけ遠間を打ってみたいと思っていたので、茣蓙を持って場所を探して試みる。
江崎氏、見事に十間一尺二寸をクリア。これはメートルでいうと18m55pほど。
私はどうも体がうねりそうなので、その時は十間挑戦を控えたが、江崎氏が帰った後、思いきって3回ほど試み、3回目に十間と一尺四寸通る。
まあ以前は夢のまた夢だった、直打法で十間を越えたので、今後は距離よりも飛びの質の検討に入ろうと思う。
しかし、このところ遠間の挑戦でいろいろ体の使い方を工夫したせいか、小手返に進展があり、浮きつつ沈むということがいままでで一番使え、前回の5月中旬の稽古では、私の小手返に相当の抵抗をみせていた江崎氏だったが、今回は「抵抗しようとする時、自分でどの方向にどうしたらいいのか、その手がかりを失う空白ができてしまう」とのことだった。
また、この日、対タックルの技でも相手が自護体で、こちらを倒しに来るというより、自分が崩れないことを最優先にする専守防衛的にやってきた場合、手・腕はもとより胸も背も沈めるということの重要さを改めて気づくことができ、いろいろと収穫のある日となった。
江崎氏に改めて感謝したい。
以上1日分/掲載日 平成11年7月6日(火)
1999年7月29日(木)
17日(土)の名古屋を皮切に、大阪、岡山、香川と4日連続(16日は都内の稽古会があったから実質5日連続)の稽古会という、50歳を越えた人間にとってはハードな日課をこなしてきた。しかしそのわりには、予想外に疲れは少なかった。考えられる理由のひとつは、この出張稽古会が終っても、すぐPHP研究所から来月刊行予定の養老先生との共著の3校目のゲラが待っていたこと、それに帰った翌々日は、やはり来月刊行予定の『月刊アドバタイジング』(電通広報室出版部発行)の特集記事に載る鼎談があり、その他、資生堂のPR誌『花椿』や、出版社2社から単行本発行についての相談などを受けることになっていたため、この時点で疲れるわけにはいかなかったからだと思う。
今回、各地の稽古会とも新しく参加された方が多く、その中には100s前後の体重の人も10人近くは来られたように思う。
稽古会のなかで新しい技の発見・進展がいくつかあった。なかでも印象的だったのは岡山の稽古会の折、用心深く守りをかためながらレスリングのタックルで来る人に対して、その手・腕・肩・胸・背・腰と、バラバラに割った身体各部を一斉に沈ませつつ、捨身をかけて相手を投げることに気づいたこと、である。
また、体重120sほどありそうな柔道家に右奥襟を掴まれたまま、こちらは支点を消して進み、相手を場外まで一気に攻め込む技で、相手の方は「右奥襟を掴むと何があっても離したくないのは柔道家の悲しい性」と苦笑されていた。
この経験で、相撲のように手がこちらの体の前面にあるのと、柔道の奥襟取りのように背面にあるのとは全く状況が違うことにあらためて気がついた。
最終日の香川では、稽古会の終ったあと世話人の守氏を相手に突きを出す際、肩の沈み、溶かし込みを強制的に行わず、自由落下的に行うことによって゛起り゛が一層消えることに気がついた。
突技は、腕が胸をいわば蹴って出てくるので、それを消すために突きを出す際、胸や肩を沈めていたのだがこの沈めも自然と落した方がより気配が消えるということであろう。
この肩の自由落下は、柾目返などの持ち技にも有効であることに本日気がついた。
以上1日分/掲載日 平成11年8月1日(日)