2001年1月6日(土)
今年は年明けからほとんど家に籠ったまま片付けをしたり原稿を書いたりして今日まで過ごした。
年々、正月という感じが薄れてきているが、今年は世紀の変わり目というのに例年にもまして新年という感じが薄い。そういえば、何年か前までは揚がっていた凧が、今年はついに1つも目に入らなかった。
ただ年賀状だけは、さすがに世紀の変わり目ということもあるのか封書が何通もあり、しかも私と出会ったことで随分人生が変わったとか影響を受けたとか、礼とも嘆きともとれるようなものがあって、暮にも感じたことだが、人に影響を与えるということの恐さをあらためて感じた。
ただ数日前、電話で話した20年来の武友の伊藤峯夫氏に、「あなたはまわりを巻き込んで変えてしまう妙な才能があると以前は思っていたけれど、最近は変わるのはやっぱりその人にそういう要素があったからで、どうなるにせよ変わるのは結局その人の責任だと思うようになりましたよ」と言って戴いた。
もっとも、この伊藤氏の言葉を聞いたからといって格別気が楽になったわけでもなく、何か漠然と大きな変化が訪れてきていることを感じるのに、私の中にそれを予感しつつも受け入れる心の準備がまったく出来ていないことが、何だか実にチグハグな感じである。
成り行きにしたがってゆこうということは、ここ数年特に感じてきているが、こんなにヤル気や情熱が果たしてあるのかないのか分からないで迎えた正月はちょっと記憶にない。
まるで私の心の奥深くに棲みついたある種の諦観が、かつてのような情熱をすべて消し去り、それとは違った行動の意味づけを模索しているような気がする。いったい私自身に何が起きているのか今年はそれを探っていきたいと思う。
そういえば、2月17日は、新宿の朝日カルチャーセンターで、精神科医の名越康文氏との公開トーク『感覚の再編成』がある。
昨夜、今年はじめて名越氏と1時間ほど話をしたが、私が予想していたとおり、正月休みは普段の忙しさから解放されたぶん凄まじい絶望感につかまっていたらしい。それが時代の先端を歩く者の宿命とはいえ、本当に御苦労様というほかない。
ただ、それだけに場にはまって語り出した名越氏といったら、まるで翼が生えたかと思えるほどだ。果たして私にその相手が務まるかどうかわからないが、時代の先端を歩いている人物がどういう表現をするのか、それを目撃するだけでも講座に来られる価値はあると思う。
以上1日分/掲載日 平成13年1月8日(月)
2001年1月23日(火)
今月の前半は片付け等をしていて、家を空けることも人を訪ねてくることも少なかったが、15日からは殆ど連日のように人と会いつづけている。
まず15日は、この度合気道8段となられた、合気会の宮崎支部長、野中日文先生がみえられた。以前から電話で時折お話ししていたが、上京を機に実際に私の動きを体験されたいとのことで、午前10時近くから午後2時すぎまで、当初の予定を延長して居て下さったから、多少は御参考になる点があったのかもしれない。
その昔、私の合気道の恩師に当たる山口清吾先生が、そのユニークな人柄について度々喫茶店で話して下さった野中先生が、わざわざ私の道場にみえられたという巡り合せの不思議さに、私は何とも言いようのない感慨が込み上げてきた。
そして、この日は夕方から新宿の朝日カルチャーセンターでの講座があったのだが、同じ朝日カルチャーセンターで教えていらっしゃる野口体操の羽鳥操先生が、アシスタントの方と共に体験受講を希望して来られ、楽しそうにされていた。
翌16日は、夕方から理学療法士の北村啓氏が、同じく理学療法士で現在はある球団で仕事をされているK氏と、その球団のプロ野球選手を伴って来館された。4時間ほど動きの解説と検討を行なう。
17日は、PHP研究所から今年刊行予定の本の企画をまとめるため、半蔵門駅近くのホテル、グランドアークへ。この日の夜は、編集者のO氏と食事をしながら想を練り、深夜2時間近く大阪の精神科医の名越康文氏からも、電話でアドバイスをもらう。
翌18日は、昼近く再び編集者のO氏と、ホテルのレストランで打合わせ。その後、1人そこに残って企画をまとめる。
この日は、夕方から恵比寿の稽古会があるので、気分転換に御徒町に出て岡安鋼材へ寄る。
社長といろいろ話をした後、2階のナイフショップのT氏のところへ行ったところ、私が暮に購入したスウェーデン鋼アッサブのK−120よりも欲しかったアッサブのK−100の、しかも10mm×30mmという平角材の端切れが数本ならあるとのこと。早速倉庫を見てきてもらい7本購入。フラリと寄ったのだが来た甲斐があった。
夕方からの稽古会では、今年になって一番本格的に体を動かし、いくつか発見があった。この稽古会には徳間書店のN氏も久しぶりにみえ、宮崎駿監督の新作『千と千尋の神隠し』のチラシをいただく。
チラシの裏に、宮崎監督が「この映画のねらい」を書かれていたが、それと以前宮崎監督からいただいた御手紙の文面を思い返して重ねてみると、御手紙の時には絶望的に思われていたことを敢えてやろうとされていることが感じられ、どれほど大変な思いをされているか、ちょっと想像がつかず、ため息が出た。
そして20日は、このHPの『技と術理〜』にも書いたように、桐朋高校へ。
翌21日と22日は連日上京中の名越氏と会って、本の企画やら講座の打合わせやらをする。
21日は『リストカットシンドローム』(ワニブックス)の著者ロブ@大月氏とも名越氏の紹介で初めて会い、しばらく話すことが出来たが、ライターとしてまさに渦中に入って大変な思いをしつつ書いている人だけに、単なるインタビュアーやレポーターとはまったく違う雰囲気があり胸を打たれた。
恐らく、これからは、こういう人材の要求度が高まるのだろうが、そう誰でもがおいそれとは大月氏のようになれないだろう。普通の人間なら覚悟のいることを、覚悟することもなく、思わずやってしまうというかやらずにおれぬ人でなければ、大月氏のようなスタンスで仕事は出来ないだろうから。ロブ@大月氏の今後の活躍を心から祈りたい。
また21日は、身体教育研究所の野口裕之先生のところにも、名越氏について伺ったが、ますます独自の身体感覚を追求されている様子には驚嘆した。
以上1日分/掲載日 平成13年1月27日(土)