2001年5月8日(火)
先月28日から始まった連休も、私にとっては休みどころか普段以上に忙しい日々となった。とにかく殆ど毎日出掛けるか、人が来るかで、わずかに空いた日は片付けやら次の日の準備、手紙書き等で終ってしまったから、休んだという感じはまるでなかった。
もっとも、現在の私にとって、ゆっくりする時など出先で何か急に予定がなくなった時ぐらいしかないかも知れない。
この連休中、いろいろな人に会ったし、また技の上で発見もあったが、最も印象に残ったことは、29日仙台から帰った夜、稽古に来ていた吉田健三氏を相手に話していて、「正しい」という言葉の使用が解禁できると思ったことである。私は長年「正しい」という言葉を使うことに強い躊躇があったのだが、真に客観的正しさなどというものはある筈もなく、「正しい」という言葉は、それを言う人の心の中に「肯心自ら許す」確かさで湧き上がってきた時は使っていいのだという事に気づいたのである。
そう気づいたキッカケは、昨月の半ば、立教大学の前田英樹氏と『現代思想』誌(青土社)に連載中の往復書簡「剣の思想」の最終回を書くため、東北の山中に籠り、その後最後の仕上げを仙台でしたのだが、この原稿の中に無影心月流の梅路見鸞老師のエピソードを引用したことにあった。
心月流の開祖、梅路老師は近代の武の先達のなかで、私が最も深く敬愛している人物である。それは、この人物が驚嘆すべき数々のエピソードの持ち主であると同時に、じつに粋で数々の失敗談も絵になる、何とも見事な人物だからである。
そして、今回前田氏への返事を書くために改めて梅路老師の道場で刊行されていた『武禅』を読み返した時、梅路老師は自らの実践する弓道を゛正法゛として絶対的自信を持って述べているのだが、それに対して、「何が正しいかなんて、そんなこと簡単に言える筈がないじゃないか」という気にならないのである。
゛正しい基本の型゛とか、゛正しい稽古゛などという言葉は、武道界にあふれており、その時代時代の斯界の第一人者と呼ばれていた大家の書いたものや、言行録なども少なからず目を通してきた私だが、梅路老師以外の人物の口から出た゛正しい何々゛に関しては、「ウーン、そうかなあ?」と、どうしてもその言葉どおりに受け取る気になれなかった。しかし、梅路老師の口から゛正法゛という言葉が出ると思わず居ずまいを正さずにはいられないのである。
それは梅路老師がひと度「こうだ。こうなる。」と責任をとる発言をして、それがそうならなかったら「その夜のうちに道場をたたみ、家族を連れてこの地を去る。夜が明けるまで待っているようなウスノロなことはせぬ。」と常々発言されていて、門人達の方が心配して青くなったことが度々あった、というような話を聞いていたからでもあろう。
その責任をとると請け合っての事とは、もちろん弓の的中(例えば、約50m離れた三寸の的に矢を2本皆中させるような離れ技)であったり、自殺しそうな預かり人が自殺未遂をした時の命の保障であったり、といろいろあったようだが、この自らの直覚に対する信頼と、もし外れた時の責任のとり方の見事さがあるからこそ、梅路老師の口にされる「正しい」は千鈞の重みがあり、それ故に私のような「正しい…」アレルギーの人間にも説得力があるのだろう。
この梅路老師の言動を思い出し、吉田氏と話しているうちに、「そうか、人間は不完全な存在ではあるけれど、本当に心の奥底から確かな感じがしたのなら「正しい」という言葉は使って構わないのだな」と、何か長年の束縛から解放されたような思いを味わった。
もっとも「本当に心の奥底から感じるならば」という条件が付くのであるから、私が私の言動に関しては今後、この「正しい」が果たして使える場面があるだろうかと考え込まざるを得ないが、とにかく今まで私を縛りつけていた妙な客観的正確さという鎖が解けたことは有難いことだった。
これも『現代思想』誌で前田英樹氏と往復書簡を行なったお蔭であり、前田氏には深く感謝している。
それにしても現在発売されている『現代思想』誌に載っている前田氏の最後の手紙は見事。今回、往復書簡を交してつくづく感じたが、私のようにいきがかり上文章を書くようになった者とは文章のレベルが根本的に違う。
前田氏が最近出された『倫理という力』(講談社現代新書)も、その後よく読んでみて感嘆した。「梯子をかけても及ばない」という言葉があるが、「この人と同じレベルになりたい」という気もなくなるほどの質の違いが前田氏と私の文章の間にはある。そんな私とよく付き合っていただいたと、前田氏に感謝ともお詫びともつかぬ電話を5日にしたところ、あらためて前田氏の方から電話を戴き、久しぶりに約2時間近く話すことができた。
その中で、「甲野さんの文章や発想はプロの物書きにはない独特なものがあって、私は好きですけどね」とフォローしていただいたが、書き終わった今、大それた企てだったと冷汗が流れている。
この後、注釈や後書き等をつけて1冊の本にまとまる予定だが、刊行した折は、また新たな冷汗を流すことになるかもしれない。
以上1日分/掲載日 平成13年5月10日(木)
2001年5月15日(火)
このホームページの原稿を書きたい思いはほとんど毎日のようにあるのだが、畳みかけるような様々な用件の連続についつい日が経ってしまう。
それでも何とか時間を無理やり作って書いているのは、12日の夜、大阪の精神科医名越康文氏らと身体教育研究所の野口裕之先生のところを訪ねた時のことを書きたかったからである。
この日の訪問の主目的は、名越氏が野口先生に体を観ていただくことだが、例によって、そこに入るまでに話が始まるとなかなか止まらず、この日はそれが2時間以上に及んだ。
そして始まった操法は野口先生独特の、名越氏の潜在意識のなかにあることと身体との関連を浮き立たせての調整であるから、これが約1時間。この間、私は同行のI氏から興味深い話を聞いたり、私が技の実演をしたりしていた。そして、終ってまた1時間近く4人で話した。
名越氏が人の話を聞く時の聞き手としてのセンスは超一流とかねてから思っていたが、この日もホトホト感心させられた。もっともそれほどのセンスがなかったら、野口先生がこの日100人ほども出席者があったという講座の後、お疲れも一通りではないであろうにあんなに上機嫌で話し込まれる筈がない。
この日この身体教育研究所で強く印象に残ったことは2つ。その1つは名越クリニックに通うクライアントの立ち直りの度合の良さ、すなわち悩んでいた症状の軽減度合が一般の精神科のクリニックに比べ桁違いにいいという話が出た時の名越氏の反応であった。普通自分のところの診療が非常に好成績を挙げている場合、そのことについて語る当事者の態度は2通りある。
1つは自慢気であること。そしてもう1つは「いえいえ、たまたまでしょう」とか「私なんかまだまだです」といった謙遜した態度をとることである。
しかし、名越氏の場合はそのどちらでもないのである。もちろんどちらかに無理矢理にでも分類するとすれば謙遜派だろうが、その謙遜の仕方が余人の全く真似のできない、名越氏のキャラクターでしか出来ない実に傑作な反応なのである。
発言をそのまま字にすれば、「いや何かヘンなんですよね」「おかしいなぁーと思って」「何かが決定的に間違ってますよね」「社会復帰できるというのは、ユニークだった人が普通の人になるっていうことで、何かつまらなくしちゃうわけでしょう」「僕は何か悪いことしてるような気がして…」etc.
こうした名言の数々を関西弁のイントネーションで表情豊かに語っている姿は、本当に聞き手を笑いころげさせる。凄まじい斬れ味の刀を゛お笑い゛の衣でくるんだような名越氏の対応の見事さについては、以前から私の周辺の人々の間から、゛相槌の天才゛゛全身臨床家゛゛あんなうなづき方をした人を今まで見たことがない゛等々、讃嘆の声が数々あがっているが、この夜はあらためて感嘆した。
月末、大阪に行った折、また名越氏と会えるのが今から楽しみである。もっともその時は、私が今ここに書いた内容について「もう参ったなぁー、先生、僕に何かウラミでもあるんですか」と例の口調でクレームを言われることだろう。
身体教育研究所でもう1つあった印象深い出来事は、野口先生のお嬢さんに初めて会ったことである。
かねてから、そのお嬢さんの描かれた非常にユニークな絵には強い衝撃を受けていたが、初めて御本人にお会いしてその存在の迫力には一瞬息を呑んだ。同行の名越氏は、私以上に驚いたらしく、「ああ、驚いた。心臓が止まるかと思いましたよ…」と、その直後に述懐。10秒にも満たないほどの時間だったが、その目は祖父に当られる野口晴哉先生のお若い時の写真の目と重なって私の脳裏に焼きついた。
それからこの日は大阪に縁があったのか、視覚情報センターの田村氏から電話があって、ゴルフの専門誌に私のことが出ているとのこと。内容は今年3月12日にあったスポーツ科学セミナーに出て私の話を聞いたその雑誌の編集者が、その時私から聞いた話をゴルフに応用して「ゴルフを初めて以来最高のベストスコアが出た」ということらしい。
なるほど、その後送っていただいたFAXには3月のそのセミナー会場で私も挨拶をした記憶のある編集者の谷田氏が、ゴルフ歴30年目にしてハーフ36を出し、午後も41という空前の成績を挙げた(通常は調子のよいときで80台前半)との感想が出ている。谷田氏は、「まわさない」「捻らない」「踏ん張らない」という、私があのセミナーの折話したいずれも一般に知られているゴルフ常識と正反対のことを呪文のように唱えながら、そうなるように心がけてボールを打ったところ、この様な結果になったようだ。
ただ記述のなかには、この谷田氏が私の話を聞く前に取材されていた、振武舘の黒田鉄山先生の「等速度で動く」という話も入っていたから若干の混同があったようだが、私の動きの気づきもそのキッカケは黒田先生に負うところが大であるから、日本の古の武術の動きがゴルフ界で評価されたということは言えるかもしれない。
もっとも谷田氏も、その日を境に激変したということでは無いようだから(まあ当然だが)、この「まわすな」「捻るな」「踏ん張るな」もお守り効果だった面も多分にあったと思う。
記事を読んでいて「しかし動きを言葉で表現するのは難しいなあ」と思ったのは、黒田先生の言われる「等速度で動く」という表現は、「いわゆるタメを作って動かないように」という主旨だと思うのだが、現実には静止状態であった太刀が動いて止まるわけだから、なかなか黒田先生の意とするところは伝わりにくいのではないだろうか。
もちろん断定は出来ないが、黒田先生のおっしゃりたいところと、私が言う「多方向異速度同時進行」とはどこか重なっているようにも思う。
もっとも、この私の表現の方が分かりにくいと言われる方もあるかも知れない。私のこの表現は、体の芯の部分と末端の部分では芯の部分ほどその動きは遅く、末端ほど早いというごくごく当たり前のことを言っているだけなのだが。…忙しさのなか時間を盗むようにして書いていると、何か書いているうちに私自身も混乱してきそうなので、この辺で筆を措くことにする。
もっとも、忙しさのせいばかりではなく、どうも最近の私の技の進展は理論的に説明しづらくなってきた傾向もあるようだ。
以上1日分/掲載日 平成13年5月17日(木)
2001年5月21日(月)
桐朋高校の金田・長谷川両先生と野球部の監督T先生に率いられた教育実習生達6人と、スポーツライターの小林信也氏、更にJリーグのK選手など10人を越す人々が夕方から道場に集まる。
これは、剣道、柔道、空手、バスケットボールの現役選手でもあるT大の教育実習生達に、是非、松聲館で私の技を体験して欲しいという金田・長谷川両先生の強い希望があったからである。
実習生も是非体験を希望しているということでもあり、私も各武道・スポーツの現役選手である若い人達と技を合わせてみるのも勉強になると思い、この日を楽しみにしていた。
手を合わせてみると、私が予想していたより遥かに技の通りがいい。特に柔道の選手は何か勝手に思いをふくらませて自己暗示で技にかかっているのではないかと思うほどであった。そこで、ちょっと支点を作った悪い例で動いてみたところ「ガン」と止まってしまい技が通らなかったから、まんざら暗示効果でもないようだった。
剣道の選手に対しても、ちょっと引っかかった動きで鍔競りから潰しに入ると「ガッ」と返されたから、やはり受けを取ろうという遠慮やサービス精神から技にかかっているのではないらしい。
それに空手の選手は、逆手抜飛刀打の体で後に下がる時、今まで試みた誰よりも早く前へ出てきたから私もいい経験をした。
今回は、今まで桐朋の縁で来館したどの選手にも増して皆熱心で、柔道の選手など実際に様々なかたちで私と組み合ってみたからでもあろうが、欲しくてたまらぬものを見つけた子供のようなあどけなさで、「ワァー、これ出来たらいいなぁ」と何度も声をあげていた。もちろん見馴れない動きに戸惑ったということもあっただろうし、私も柔道選手一般にこれほど容易に技が通るとは思わないが、4月から本格的になってきた手の先行と肩の落ち、そしてそれに遅れぬ体のバックアップがひとつの形になってきたといえそうだ。
剣道の選手に対しては、互いに正眼からフッと先を取って間をつめるというのが形になってきた。以前ならこちらの竹刀に重さをかけて間をつめていたのだが、それとは別に剣を持っても起こりの気配を消して間をつめるということが出来るようになってきたのだろう。この動きには空手の選手が一番関心を示してくれた。
そして、土曜に気づき、日曜に更に研究した、サッカーやバスケットボールのポジション取りの動きに剣術の下段籠手留を応用するという動きは、教育実習生の男女2人のバスケットボールの選手やJリーグのK選手にその研究成果を試みることが出来た。
この動きでは、力まぬことと支点を作らぬことがどれほど技にとって重要かが改めて身に沁みた。しかし、この動きを現実に身につけるには、やはり剣術の型稽古をしないと難しいのではないかと思った。
この他、ラグビーのタックル潰しで、空手の選手が相撲の立ち合いの様に胸を出して来た時、今までのような上腕への沈みをかける方法では相手の重心位置の関係で効果が薄く、その際はこちらは直に相手の胸に体当りを入れた方がよい、などということも実際に経験してハッキリ分かったから私も勉強になった。
その他、今回は野球に詳しい方も2人みえていたので、最近の私の牽制球のフォームを披露したりと実に多岐にわたって動きを展開した。
17日の夜は小林礫斎ショックで、これは落ち込みが始まったかと思ったが、「私自身の美意識が納得できるように動く」ということに徹した打剣で自分の動きの組み立てをみつめたお蔭か、今回は沈み込まずに済みそうだ。
いま沈み込んでいたら抱えているいくつもの原稿が更に遅れ、依頼して下さった方々に迷惑がかかるのでその点はホッとしている。
原稿といえば、最近話題になりつつある小説に私の技の術理らしきものが登場していて、読んでいてくすぐったい気分だった。ちょっと調べてみたら、この作家は私が知っている方何人もに接点があり、「いつかは直接会うこともありそうだ…」と思っていたら、私の本の編集を担当してもらったO氏がこの作家の担当でもあることが分かり、電話したところ「甲野先生の本、差し上げたことありますよ」とのこと。話の流れで今月末にある、この作家のトークショーに「一緒に行きましょう」ということになった。
人の縁の不思議さを十分すぎるほど味わってきた私だが、今度はどういうことになるのだろうか…。
以上1日分/掲載日 平成13年5月23日(水)
2001年5月31日(木)
昨夜、5日ぶりに帰宅したが、今回の旅行はその5日間が半月ほどにも思えるほど長かった。
5日間、それも最後の日は疲れ果てて大阪の名越宅でゆっくりと休ませてもらってから帰ってきただけだったから、今回の旅は25日から29日までの4日間に凝縮されていたと言える。
この間に起きたこと、気づいたことを書いたら恐らく本1冊は十分書けるだろう。ただ、あまりに多くのことが絡みあっているので、とてもではないが今はそれらを整理して書くゆとりはない。とにかく時系列とは殆ど関係なく頭に浮かんでくる記憶の断片を多少書くだけにする。
26日、大阪の朝日カルチャーセンターで会ったM氏(アメリカンフットボールの世界では有名な人物とのこと)の精悍な体と顔。講座の後、仕事の都合でM氏はすぐに帰られたが、打ち上げに残られた同じチームのメンバーの方が私の動きに強く興味を示されていたから、今後またお会いすることがあるかも知れない。
私の動きに関しては、28日の夜、岡山で行われた小森君美先生主催の会に初めて来られた陸上競技やハンドボールの指導者の方からも、かなり関心を持っていただいたし、そうした動きに関しては今回得るところが多かった。
動きといえば、29日に大阪の宇城憲治先生の御自宅の道場で、足だけでかける寝技とか種々余人の真似の出来ないような技を体験させていただいた事はありがたかった。宇城先生のお話の中で、型によって出来上がった動きに異和感のないように動いていると技が利くという御説明には深く首肯させられた。
こうしたことだけだったらこんなに疲れることもないのだが、何故これほどまでに疲れたのか、いま思い返しても不思議である。精神的にも何かハッキリとした嫌なことがあったという訳では無論ない。それどころか、あちこちでむしろ申し訳ないと思うほどよくしていただいた。
旅の日程最初の25日、京都駅の上にあるホテルの喫茶店では、鈴木晶子京大助教授と院生の弘田氏に招かれて、あるプロジェクトについて話したのだが、思った以上に話が展開し,予定時間を大幅にオーバーしてしまった。
そして次に向かった大倭紫陽花邑では先月亡くなられた矢追鈴月刀自の霊前に詣らせて戴いている時、かつてない感応を感じた。しかも、その後向かった大倭神宮参拝の折も強い感応があった。自分の人生の脚本、自分の願い、予感、何かそうしたものがひとつになって私の中に立ち上り、像を結び流れていった。
その後、数年ぶりに、医師でありながらほとんど現代医学とは縁切り状態の松田育三先生の御自宅に伺い、御馳走していただきながら深夜まで話。
翌26日は、この松田先生宅でのいわばホームパーティに来られていた化粧品会社クレコスの社長・暮部女史からの要請で、午前中はクレコスでミニ講座。この日の午後はすでに述べた朝日カルチャーセンターでの講座。この講座に岡山から特別に駆けつけて下さった小森君美先生と坂本朱美選手によるトレーニング法の公開もあり、多くの人達の関心が集まった。出席していたある人は松聲館の術理が、他の武道や球技に役立つということよりも人間の動きのなかで最もシンプルなものである走りに役立つということが何より一番驚いた、とのことだった。遠路駆け付けて下さった小森君美先生と坂本選手にはこの場を借りて御礼を申し上げておきたい。
打ち上げの後は名越氏ら何人かと2次会へ。作家の多田容子女史、医学生S氏、朝日カルチャーセンターの講座でお世話になったM女史、それに名越クリニックのスタッフのO女史、それから東京から来られたI女史とS社長も加わり話に花が咲く。
27日は岸和田での稽古会。今回は関西稽古会の常連メンバーが沖縄旅行ということで10人に満たない少人数。前日の朝日カルチャーセンターが70人ほどだったから、むしろホッとした。この夜は名越氏宅で関大生の映画製作に付き合ったが、名越氏がこうした方面にも才能があることを改めて感じた。
……まあ今回の旅行は表面的に書けば以上のような経過だが、深いところでよほど考えさせられたのは、多分、人間における゛自己愛゛の在りようだと思う。
今日はこれから、また新たな出会いとなるかも知れない人の話を聞きに出かける。旅行から帰った翌日は基本的に予定は入れないことにしているが、そうも言っていられなくなってきたようだ。
以上1日分/掲載日 平成13年6月2日(土)