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私がツイッターで発表した「二軸理論」問題に関連して、関根秀樹和光大学講師から、私一人が読むには勿体ない凄まじい切れ味のメールが届いたので、関根講師の了解のもと、若干手直しして、ここに紹介したい。
甲野先生
いささか長くなりますが、二軸理論について。
彼の著作は一読して確かにあまり科学的とは言えませんが、「東大の大学院を出た京都大学の教授が提唱する理論」というだけでなんだかよくわからないけれども科学的で正しいンじゃないかと思い込み、ありがたがるスポーツ界の指導者はいくらでもいると思います。過去に、ブーメランが戻ってくる飛行原理を科学的に解明したという触れ込みの有名国立大の数学者の本の内容がまったく本質に届いていないインチキでがっかりしたことがあります。
人間の動きは単純な2軸ではなく多軸でしょうし、刻一刻と移動する過程でも軽々しい分析など不可能なほど複雑精妙に変化するものではないのでしょうか?
「二軸理論批判」を展開しているN氏、F氏、I氏らは過去にも「トレーニング科学」という雑誌でO氏に二軸理論に関する「公開ディベート」申し込み、断られた経緯があるようです。彼らの言い分では、「二軸理論あるいは二軸動作なるもの」が、「科学」の名のもとに提示され、様々なスポーツ現場を混乱させている。しかもその論拠?として用いられたデータには彼らの発表したデータの無断盗用があり、それをさも自分が発見したかのように扱って論じている。その点の説明を求め、公開誌上ディベートを申し込んだが、O氏はこれを無視し、その後も書籍などを刊行して二軸理論を普及している。そこで自陣のディベート内容をネットで公開し、さらに件の一文として発表した、という流れのようです。
最初はよくある東大と京大の縄張り争いかと思いましたが、どうやらこのO氏と対立する人の中には、同世代で、同じ東大の教育学部や大学院での同期か先輩後輩の関係らしいですね。バイオメカニクスから人間の歩行や走行、スポーツの運動メカニズムなどに切り込むという、研究分野もアプローチの仕方もほぼ重なるだけに面倒な関係のようです。I氏は過去の論文を見る限りでは一貫して立体的で複雑な人間の動きをごく平面的に単純化したモデルで考えてしまうクセがあるようで、これも正直言って科学とはほど遠いものに見えます。体育学の世界ではこんなレベルでも通用するのでしょうが。
おそらく、純粋な理系で最先端の物理学とかロボット工学をやっているような人たちからすれば、教育学部の体育系の中で議論される「科学」など、多くは非常に稚拙で低レベルなものにしか見えないのではないでしょうか。少なくとも、中学の時、バレーボールの変化球サーブの軌道解析のためにほんのちょっと流体力学や弾道学をかじり、高校で物理部にいたものの大学は 古典文学という文系の私にさえ底が見えるくらいに、彼らの理論構築は甘すぎます。
科学とは客観性でない政治的なものでもあります。原発直下の活断層も、いかにまともな地質学者達が客観的な観察で活断層と断じても、政治的な判断で「活断層である科学的な根拠はない」と言い張る御用学者が出てくればひっくり返る可能性は大でしょう。
甲野先生の術理は、どれほど有効であっても彼らにとって学ぶに値しない、参考文献として記載・引用する必要もない(実際にほとんどしていないでしょう)というのは、それが科学的に解明しようのないことだからではありません。甲野先生が有名大学などに属していない市井の一研究者であり、ご著書が「手続き上の」学術論文の体裁を取っていないからです。
旧帝大を初めとする有名大学の学者先生達は、市井の研究者や弱小私立大学の研究者の著作や論文の無断盗用、剽窃を何とも思っていません。
甲野先生が稽古会で実践されている、ご自分のたどり着いた新しい考えやワザを、何一つ隠さずすべて公開し、ほかの人にも実体験し、再現してもらう。
関根秀樹
『刃物大全』、お楽しみいただければ幸いです。七ヶ宿というと私も佐藤石太郎さんの飄々とした語り口と風のような足取りを思い出します。
「二軸動作(理論)」の件は、いわゆる「学者」の世界ではよくあることですが、おもしろい問題を含んでいます。
O氏の二軸理論とか常足(なみあし)理論というのは、間違いなく甲野先生が長年発表されてきた「ひねらない、捻らない動き」「井桁くずし」「ナンバ歩き」などの術理を読んで大きく触発され参考にし、しかもその実態には触れず深く理解も実践もできないまま言葉を置き換え単純化し、科学の衣を着せて「理論」構築しようとしたものと見ていいと思います。
平面上の移動に限っても中心軸(正中線)の感覚を無視し、分離対立する二軸などありえない気がします。その点、コンピューターシミュレーションやモーションキャプチャーなどを使ってロボットの動きなどに部分的に応用することの方がむしろ容易で、一般的な物理や数学で数式化、理論化することはかなり困難ではないでしょうか。
よく、文化人類学の人たちが民俗学の人たちを「あんなのは学問じゃない。科学じゃない」という言い方をし、彼ら自身は社会学の人たちに「あんな杜撰な研究は科学的とは言えない」と批判され、じゃあ当の社会学の研究はというと、統計学の手法など用いた「理論的」なものではあるのでしょうが重箱の隅をつついたような愚にも付かないくだらないテーマだったりします。素人考えでも答えが予想できるようなことを、さも科学的理論的に体裁だけ整えれば、どんなくだらない内容でも学術論文としてまかり通ってしまうのが「学問」「科学」とやらの一つの情けない姿です。
そもそも実験によって検証しうる「反証可能性」が科学と非科学との分かれ目だというならば、実験で確かめようがない進化論だの活断層の根拠になるプレートテクトニクスだの宇宙の始まりだのは科学ではないことになってしまいます。
人間学に関する研究書も東大や京大の先生方が近年たくさん書いていますが、小原秀雄先生の長年の著作や論文はほとんど無視され、重要なアイディアだけをさも自分たちが発見、解明した手柄のように論じてまったく恥じるところがありません。
三流私立大の非常勤講師に過ぎない私の論文や著書の内容も有名大学の先生や大学院生などに無断盗用されたことは5回や10回ではありませんが、しょせん学者なんて大部分はそんなものと思っています。
小原さんは「科学者としての総合的直感力」を重んじる本物の科学者ですが、進化などは実験できないが重要な科学だといい、技術には科学的な理論に先行する重要なものが潜んでいることがある、と言います。
より有効なやり方がほかにあれば、それを検証し、その有効性が確認されたらそれまでのワザを潔く放棄したり、修正したりする。
こうしたあり方こそが、自己修正機能を持ったほんとうの科学者の態度にほかなりません。
「二軸理論」を提唱する人も批判する人も、その根源とも言える「甲野術理」に接触も求めず難癖もつけてこないのは、甲野先生が「学問」とか「運動科学」とかの土俵に立たれていないからでしょう。その限りにおいて甲野術理は彼らのような人々にとって便利な「ネタの宝庫」なのです。
以上1日分/掲載日 平成25年1月31日(木)