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もう今から十数年前、サイババがブームになって、さらに盛り上がろうとした時、オウム真理教の事件が起きて、サイババブームは水をさされた。その前にもスプーン曲げや超能力がブームになった時、ミスター・マリックの手品で水をさされた。また、かなり以前だが、"気"で人を飛ばすということで、週刊誌で何週間にもわたって特集が組まれた呼吸法は、硬派の空手雑誌が突撃取材をして、隠し録りをしたテープ内容を公開するという形で鎮火した。
およそ超常的なことは、それが世に認知されかかると、必ず何か目に見えない力が働いたかのように潰される。私の古くからの友人であるH氏は、いくつもの例を詳しく検討し、科学的に解明できないものが世に出ようとすると、必ず潰されるということを裏付ける研究(これもユニークな研究だが)をして、ある雑誌に発表された事がある。
H氏は超常現象の特色として、決定的証拠を残すまいとする法則が働いていると見ている。確かにそうだろう。超常現象が社会的に認知され、大学の物理学の入試問題に、「ただし摩擦は働かないものとする」という(注)が、「ただし摩擦や超常的力は働かないものとする」という(注)に代わったら、ややこしい事おびただしい。
超常的能力は、それが確かにあっても、その原理や生起する理由は曖昧にしておいた方がいいと思う。たとえば、近々刊行する、私が共著を一緒にさせて頂いた桜井章一雀鬼会会長の二十年間無敗の能力など、どう考えても普通の能力が研かれただけでは説明のつかないものだが、御本人は「いやーっ、俺のは超能力とかそういうもんじゃないんだよね。まあ人間には元々そういう力が備わってるんでしょう」と、曖昧なままにされているから、これだけ世の中に出られていても、それが潰されるどころか、益々評価されているのだろう。
H氏の話は大変説得力があり、私もそれを聞いて、大いに納得するところがあった。しかし、いま再び世の中はスピリチュアルブームで、守護霊とか前世といった科学常識に抵触する言葉が、さまざまなところで飛びかっていて、そろそろ又それに水をさされる事が起こりそうである。
勿論、私は超常的なものに真っ向から異を唱えるつもりはない。前世思想は、ある面大変合理的な考え方だと思うし、守護霊も天狗系か龍神系か等という事を話題にする人とは、私もおおいに乗って話すこともある。ただ、それについて「じゃあ、そういう事を信じているのですか?」と聞かれたら、「私はその時はそういう方式に則って話しているから、あまり信じるとか信じないとか意識していませんねえ」と答えるだろう。
これは物理や数学の公式で何かを解くという事と、あまり違わない気が私にはするからである。まあ仮にこういう守護霊といった形で説明すると、それなりに筋が通るという程度のことである。だから、守護霊が本当に存在するかどうか、という事に私はほとんど関心がない。そういう考えを持つに至ったのは、小説『大地の母』の力も大きい。(そのため私は多くの人にこの本を薦めているのである)
それは"気"についても同じである。"気"、"気"と武術界でしきりに言うようになったのは、武士が読書を出来る教養を身につけ、中国の古典を読めるようになってからである。したがって、戦国時代から江戸期に活動した宮本武蔵も、その著作で気については触れていない。それが江戸も中期になると、私が強い関心を持った、無住心剣術、夢想願立、起倒流をはじめとして、気について語るものは大変多くなってくる。
しかし、当時の"気"は、多くは文学的表現も含めた非常に捉えがたい曖昧な形での"気"である。
ところが、現代の、武術・武道の世界で"気"を強調する者は、例外なくある決まった傾向があり、その気が不思議なパワーを持つ物理的特性があるかのように説こうとする。そして「これは暗示や催眠術とは違う」と但し書きをつける。しかし、暗示や催眠術自体その正体は、よく分かっていないし、それらを真に使いこなした人の技術は本当に驚くべきものがある。
例えば、いまも鮮烈に記憶しているのは、整体協会の創設者、故野口晴哉先生の最後の潜在意識教育法講座を銀座で受講した時のことである。野口先生は、ある人をモデルに、真に驚くようなデモンストレーションをされた。その時、モデルとして呼び出された人は、何をされるのかと、おっかなびっくりの様子だったが、その人をチラリと見た野口先生は両手の拳で自分の頭をトントンと交互に打つ仕草をした。すると、その女性の手は突然躍り上がって、その人自身の頭を打ち始めたのである。その時の、その人の恥かしさに戸惑ってどうしようもない表情は、普通に暗示にかかった者には絶対みられないものだった。
次に、野口先生はパンと手を打ってその動きを止め、「ではどうぞ、こちらにいらして下さい」と、その人に声をかけられた。ところが、その人が前に歩こうとしても、足が床に貼りついてどうにも動けない。(つまり、言葉による暗示とは違う高度な技を使われたのだろう)。それも野口先生は両手をパンと打って解かれ、「こういう人を操るような事はあまりやるべきではありませんが…」といった事を説かれながら、人間というのは様々なところから暗示を受け、自分で自分を不自由に縛ってしまうといった事を話されたような気がする。
野口晴哉先生のセンスの良さは、催眠術や暗示に対して「皆はいかに催眠術(暗示も含めて)を上手くかけるかを研究したが、私は覚まし方を研究した。なぜなら慢性病など、皆自分で自分に暗示をかけているようなものだから…」というようなことを説かれていた。
したがって、暗示とは違う「気の力」を強調される方は、それを真に証明したいのなら、その人と何の利害関係も無い人に対して、「気を出す」とか「気を入れる」といった言葉も仕草も一切聞こえない見えない状況下で、明らかな変化を実証するべきだろう。
あるいは、声を出すなら、かつて気合術師の浜口熊獄が裁判官も警察官も立会いのもと、公開実験をしたのと同じような厳しい状況下で実証すべきだろう。熊獄は公開の場で歯科医がしっかり生えている事を確認済みの被験者の歯を、その被験者に全く触れることなく気合をかけるだけで抜く等々の事を行なった。何事も科学的に、科学的にといわれる時代に、多くの人を納得させるには、この位の事をやらなければ説得力はないだろう。(ただし、そういう事が出来たら出来たで、既に述べたように大変な反動が来るだろうが)
ついでに、私が30年以上この世界(この世界というのは武術・武道界だけではなく、新宗教や戦前なら霊術といわれた広範囲の能力開発団体等)を見てきて、「ああ、あれは危ないなあ」と思う団体、つまりカルト的色合いのある団体の特色を挙げて、読者の方々の御参考に供したいと思う。
まず、カルト的団体は組織が閉鎖傾向になること。また、その特色として、組織の幹部クラスが、その指導者に就いて何年も経っているのに、その指導者の素晴らしさをしみじみとではなく、興奮気味に語りたがるのである。つまり北朝鮮的な傾向になる。これはカルト系の団体は、その団体の幹部の人間も潜在的にどこか不安を抱えているため、ついついその組織の素晴らしさについて、他人に熱弁をふるうことで、自分の不安を消そうとするからのようだ。
かつて小説家として有名なM女史が、ある断食療法の指導者が世間のヤリ玉にあがった時、その指導者の弁護に熱弁をふるった事があった。その時、整体協会の野口裕之先生が私に「Mさんも不安があるので、あんなになって庇うんでしょうね。うちの(整体協会の)ことを本当に理解している会員だったら、何かあったら『まあ世間の人は、そう言うでしょうね』って苦笑いして終わりですよ」と話されていた。つまり、熱く燃え上がる恋愛感情は、それが壊れるかもしれない危険があればあるほど高ぶるという事にも通じているように思う。
また、指導者や、幹部会員は、自分の会派が最高のものだという事を強調し始める。
この事に関して私が心を打たれたのは、私の畏友で韓氏意拳の日本代表を勤められている、光岡英稔師の自会派に対する接し方である。光岡師は、意拳創始者王郷斎(郷は本来は草冠がつく)老師に対する深い尊敬から、王師の信頼を最も得た門人だったといわれる韓星橋老師を訪ね、星橋老師からその才能を認められて正式弟子となるように勧めを受けて入室。その後、僅かの年数で韓氏意拳の3人目の導師の称号を受けるに至った。そして光岡師は、当然の成り行きで自流に対する深い自信を持つに至る。しかし、程なく老荘思想を最も体現した拳法といわれる韓氏意拳は、それを特別視すること自体、老荘思想に反していることに気づかれたようだ。
韓氏意拳を学びながら、他流、他会派を学ぼうが、スポーツをしようが、それはその人が選んだ事だからということで、一切束縛するようなことはしていない。韓氏意拳の真価は、頭で、それこそ暗示で「これは素晴らしいものだ」と思い込むようなことではダメで、文字通り体認することが必要だと思われたのだろう。したがって、その指導は、思い込ませる、暗示をかけるようなものではなく、そうした暗示から解放し、人間にとっての自然を追求する方向へと向かっている。そのお陰で、私は韓氏意拳を全くやっていないのに、韓氏意拳の顧問という、その組織の中核に近いところに置いて頂き、ずいぶんとその教えの恩恵を受けさせて頂いている。(もっとも私自身、その恩恵が何か明確に分からないところが、いかにも韓氏意拳らしいが)こうした光岡師の在り様を見ていると『無門関』第一九則の「平常是道」が思い出される。
南泉、因に趙州問う、如何なるか是れ道。泉云く、平常心是れ道。州云く、還って趣向すべきや否や。泉云く、向わんと擬すれば即ち乖く。州云く、擬せずんば、いかでか是れ道なることを知らん。泉云く、道は知にも属せず、不知にも属せず、知は是れ妄覚、不知は是れ無記、若し眞に不擬の道に達せば、猶太虚の廊然として洞豁なるが如し、豈強いて是非すべけんや。州、言下に於て頓悟す。
つまり、本当に大切な道は、日常に当たり前としてあり、これを特別視したら、もう道ではないという事であろう。これが分かり、より自然に体が動くようになれば、その人が柔道をやっていようが、剣道をやっていようが、それがそのまま、その人の人生を深める道となるだろう。
ただし、その人の体がより自然に動くようになればなるほど、現在の「これが正しい」といわれる柔道や剣道の動きとは異質なものになっていくとは思うが…。(たとえば、剣道など、現在の爪先立った姿勢が正しい剣の扱い方とはどうしても思えない。やはり宮本武蔵が『五輪書』のなかで説いているように、踵は床につける方があらゆる面で理に叶い、自然に速さも威力も出る剣が使えると思う)
以上、私に関心を持って下さった方、現在私とは縁が切れているが、かつて私に縁があった方には、(現在、会を解散はしていても)私としては何か責任を感じるので、ついついペンを走らせてしまった。
無影心月流の梅路見鸞老師は、「無師成道は百年徒労の不可能事」という言葉を遺されているが、その人間の本性の自由を奪う師に就くよりは、一人、野に在って試行錯誤を繰り返す方が、人としてあるべき姿に近いように思う。「三年学ばずして三年師を探せ」と古人は言っている。私自身は人の師として立てる資格があるとは思えないので、会を解散し、一個人となっているが、師となる人を探すアドバイスぐらいは出来ると思い、今回の随感録を書いた。
これが有縁の方の目にとまり、自らの師について、あらためて深く考えられたり、新たな師を選ぶ参考にして頂ければ幸いです。
新年早々このような事を延々と書いたのは、最近よく私のやっていることについて「それは気ですか?」とか「気で云々…ということは本当ですか?」と聞く人が後を絶たない上、決定的だったのは岡田慎一郎氏が地方の指導に行った時、「先日、介護も武術の気でやるという人が来たのですが…」と、どうやらその人の言動に参加者一同が引いてしまい、その講習会が非常に気まずいものとなったらしい話を聞き、今後の武術介護をどうした形で出したらいいかについて、岡田氏から相談を受けたからである。
今年は年始めから私の方にもいろいろな動きがあり、本当に2008年はどんな年になるか分かりません。とにかく御縁のある方々のお力で、より本質的なことが考えられる人が一人でも増える事を何よりも願っております。
どうか本年もよろしくお願い申し上げます。
以上1日分/掲載日 平成20年1月7日(月)
暮から片づけ続けて正月休みが明けて、諸方から電話やメールが入って我に返ると、その用件の多さに、さすがに青ざめる。この改修で、やっと機能的に仕事ができると思っていたが、改修に伴う片づけが手につかないような状況になりつつあり、これは何としても何とかしなければならないのだが…そう思っているうちに、とうとう恐れていたダブルブッキングをやってしまった。
お手数ですが、私と具体的に企画を進行されている方は、あらためて日時や内容の確認のため、御連絡をお願い致します。それから、メールで御連絡を下さる方は、必ず電話番号もお知らせ下さい。とにかく改修で、身近なものの置き場所が変わって、住所等を探し出すことも一苦労ですから…。
本年もたくさんの年賀状を頂きありがとうございました。ちょっと、ハガキ一枚出すだけというような、本当にちょっとした、しかも切実な用件が、いま年賀状以外に数えきれないほどあり、誠に申し訳ありませんが、年賀状のお返しまではとても手が回らないありさまです。このところ数年、出す年賀状が激減しているとはいえ、ここまで出せなかった年は、さすがに今年が初めてです。誠に申し訳ありませんが御容赦下さい。
以上1日分/掲載日 平成20年1月9日(水)
生きているという事は、それだけで十分に不思議だ。そのことを12日(正確には12日から13日にかけての深夜)、二子玉川の野口先生のところで思い知らされる。
野口先生とお話ししていると、いろいろと煩わしい事が、本当に他愛のない、どうでもいいことに思えて来るのは、いったいどういう事かと、つくづく思う。
それにしても先週は、長く記憶に残りそうな事が飛び石で2度あるという濃い1週間だった。しかし、その上さまざまな依頼やら何やらが山ほどあって、片付けが凍結してしまったのには参る。しかし、最近は、差し迫った用件でさえ、いくつも抜け落ち始めているのでどうしようもない。まあ、何とか今月はこれで走って、どうしても無理なら休業を含め、対応を考えてみようと、思っている。
技のほうも進展しているが、1日か1日半くらい全く稽古をしない間が空くと、習慣性から解放されるのか、思いがけない気づきがあったりして、それはそれで新鮮。
本当にどういう稽古法がいいのかについての解答は、ますます霧の中。しかし、"追い越し禁止"の術理には、井桁崩し以来の気づきの殆どが吸収されそうに思う。
"同時並列処理"と、"追い越し禁止"という一見別のものを、私の感覚の中でどう融合させるかは、これからの課題。
しかし、その課題と向き合えないほどの用件の多さに、やはり、これはまた休業宣言をしないと駄目かもしれない。
以上1日分/掲載日 平成20年1月14日(月)
よく、「本当に忙しい人は"忙しい、忙しい"とは言わないものだ」というが、なるほど今日など、名古屋や福山への荷物の発送準備に、神戸女学院からの急な用件、企画の依頼が重なると、終いには問い合わせや相談の電話に対して、「ああー、申し訳ありません。いま取り込み中なので…」と言ったりしている。
現在の私を取り巻く用件の多さに、もう何度も青ざめたが、さすがに遙か以前に突破した限界を無理やり特別枠で延長してきた、その特別枠も、もうここまでかと思う。
あらためて思い返してみると、2005年の5月に休業宣言をして、本当に徹底して2ヵ月半ほど休んだ後は、休業明けを言わないままの試運転状態で今日まできている。つまり、休業であることを休業してしまったという訳で、再び休業に入ろうかと思っている。
しかし、今夜も、去年9月に朝日新聞のオーサービジッドで訪問した京都のR高校卓球部のH先生が、高校生2人を連れて来館。私が訪れた9月の終わりから、ほぼ毎日気づきがあって、今は若い頃よりもいい動きで、いい球を打てるようになったとの事で、約3時間が30分くらいにしか感じられないほど熱の入った時間を過ごした。よく武術をスポーツに応用した場合、どの位で成果が出ますかと聞かれるが、このH先生のように、私に会った直後から変わりはじめ、2,3ヶ月ではっきりと周囲も認めるほど成果が出る場合もあるようだ。(もっとも、これはその人の探究心によるところが極めて大きい。工夫は他人任せで、ただ反復練習をしているだけでは、10年経っても成果はまず見られないだろう) こういう人に出会うと、仮に休業をしたとしても、きっと会ってしまうだろう。
今日はまた、先日何年ぶりかに会った元常連会員のY氏から本と参考資料が届く。Y氏には先日会った時、私の"追い越し禁止"理論とビジネス界の革命といわれているTOC理論との関連について説明してもらったのだが、今日届いたのは、その資料。これから、経済・経営といった方面からも依頼が来たら(現にもう来ているが)、ますます時間が無くなりそうで考えてしまう。しかし、どうも好奇心が人一倍強い私としては、ついつい、未知の世界にも足を踏み入れてみたくなる。
もちろん、そこから技の進展へとフィードバックさせたいと思っているからだからだろうが。
今日は、これら以外にも本や資料が2つ3つ届いたのだが、まだ封を切っていない。(封を切ったら確実に時間をとられるのが分かるので、そのままにしているのである)
したがって、もしお急ぎの場合は、その旨表に書いておいて頂くか、電話等で御連絡頂きたい。
さて、18日からは、日に2度のダブルヘッダー講座が2日連続という、かつてない強行軍スケジュールが始まる。そこから帰って、本棚作りに片づけ。そして2月は、また入ってすぐ神戸女学院での授業が3日連続であり、その後も殆ど休みなく中旬まで講座や講演。また、20日過ぎから3月の初めまでも、殆ど連続で出かける、という恐ろしい日々。依頼稿が一体いつ書けるのか、まるで他人事のように心配になる。
以上1日分/掲載日 平成20年1月17日(木)
今日、鉈を使っていて何年ぶりかという位の怪我をする。木を伐っていて、滑った鉈が作業用の革手袋に当たった時は、「ああ、手袋していて良かった。お陰で大した事はなかったろう」と思ったが、鉈がよく切れたせいか、手袋を外すと左手の人さし指の付け根から第2関節にかけて、ちょっと驚くほど深く切れていた。「ああ、何でやっちゃったかなぁ。明日から旅行で講習会が5つもあるのに…」と思ったが、まさか、そう思って怪我がなかった事になる訳もない。
まあ、切るべき流れと必然性があったのだと思うしかない。不思議なもので怪我をして小一時間も経つと、怪我をしている自分という事に体じゅうのすべてが納得し、その体制になっている事に気づく。これはこれで、また発見がありそうだ。
まあ旅先では人一倍、お世話をかけるかと思いますが、よろしくお願い致します。
以上1日分/掲載日 平成20年1月15日(金)
今回は、18日名古屋、19日名古屋と福山、20日伊予西条で2ヶ所と講座や講習会があるという強行軍の旅に出だった。
この旅の直前に左手の指をかなり深く切ってしまい、旅に出る前は、一人で帯も結べないような有り様で、これはいったい大丈夫かと案じたが、いざ出てしまえば何とかなるもので、その上、福山から四国に渡る日に雪。しかも四国では何十年ぶりという竹林の竹が雪の重さで折れるほどの積雪に、講習会の参加者が予定の十分の一ほどの数人。その上、送迎に来て下さった方の車が雪で四苦八苦という、めまぐるしく変わる状況に気をとられたのか、怪我はあまり気にならなかった。
そうした四国の旅の宿に、いまはミキハウス卓球部顧問となられている山田俊輔先生から、卓球の全日本選手権で平野早矢香選手が4度目、2年連続優勝を果たしたという連絡が入った。
平野選手と初めて四国で会ってから5年だろうか。初対面の時の、あまりの可愛らしさに小学生かと思った顔と、その後、ほどなく練習に集中した時の鬼のような顔の落差に驚いた事が懐かしく思い出される。当時は集中力と闘志はあるが、体が硬く、日本を代表する選手になるような器ではない、というような事を言われていた彼女が、その後、2004年、2005年、昨年、そして今年と、この5年間で2006年以外すべての年にチャンピオンを取ろうとは、当時誰も予想しなかったろう。しかも、今年は圧倒的な強さであったという。
しかし、もうこの事は平野選手が優勝する度に何度も書いた事だが、その卓球の全日本選手権を伝える報道は、以前は福原愛選手が途中で負けた報道がメインで、昨年と今年は若い石川佳純選手が途中で敗れた事が大きく報道されている。さすがに4度目で、しかも圧倒的だった今年の平野選手は、今までで一番扱いが大きかったが、それでもメディアによっては平野選手が優勝したという事など、虫眼鏡で探さねばならないほど小さくしか書いていない。
スポーツ報道がワイドショー化して久しいが、こうした偏向報道をおかしいと感ずる感覚も、日本のメディアは失ってしまったのだろうか。
もっとも平野選手自身は、そうした事に気持ちを捉われることなく、より納得のいく卓球へと邁進しているという事が救いである。
まあ、いろいろと珍しい体験や、感じることがあったが、今回の旅は、指の怪我を稽古などでこじらせることもなく無事帰宅出来た。
ただ、帰りついてみると献本や企画の資料の郵便物や、メール等が、一度に持ちきれないほど来ていて、一息つく間もなく、それらの目を通す。
そしてダブルブッキングが、また1件見つかる。もはや、いまの私の体制では、もう私の活動は支えきれないのだろう。片づけが終ったら(それが終るかどうかも心配だが)、抜本的な構造改革を考えたいと思う。
以上1日分/掲載日 平成20年1月22日(火)
今日は、ようやく昨秋以来の念願だった本棚作りを、懇意の大工のT氏と行なう。宮城の山中から送ってもらった一寸五分厚、一尺幅、長さ八尺の杉の一枚板はさすがに迫力がある。
夜になって、介護福祉士の岡田慎一郎氏から、最近講習会や講演会に行くと、そこで「それは『気の力』ですか?」と、しばしば聞かれます」という苦笑まじりのメールが届いた。
岡田氏は明日28日、私が、「私以上の適任者ですから」と強く推薦しておいた、日本テレビの「おもいっきりイイテレビ」(11:50〜)に出演との事。岡田氏の事だから、恐らくどこかで、上手くタイミングを見て、「これは"気"の力とか、そういうものではありません」と注を入れるのではないだろうか。
しかし、岡田氏は、どうやら、また新しい技を開発したらしい!是非受けてみたいものだ。
武術介護は、たしかに最初の開発者は私だが、岡田氏はずいぶん新しい技を開発しているし、陽紀も添え立ちにこだわって、かつて私が一度も体験した事のない、フワリとした添え立ちを行えるようになっていて驚いた。
事、添え立ちに関しては、いままで私が受けたなかではベストだった。むろん私より上手い。まあ、しかしこういう技は、開発研究している事が楽しいという人間でないと上手く使えるようにはならないかもしれない。
以上1日分/掲載日 平成20年1月28日(月)