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新年おめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。
辛卯の年2011年、平成23年の元日は平穏に明け、平穏に暮れた。
体調がさほど良くはなかったからだけではないと思うが、別に何を望むという訳でもないような、こんなに欲が抜けてきた自分を見るのは初めてかもしれないと思った。
よく年をとると「諸欲衰えても名誉欲だけは出てきて勲章を欲しがるものだ」などという事を聞くが、私はそういうものにはおよそ興味がない。私自身「それは光栄です」という言い方を使わないわけではないから、この"光栄"が"名誉"と無縁ではない気がするので、名誉をまったく欲しないわけではないと思うが、名誉ならもう十分に頂いていると思う。
例えば、昨年の暮れの養老孟司先生主宰の忘年会にお招きいただいた事などもそうだ。私が尊敬の念をもって接する方から、参加者僅か数人の忘年会に招いて頂いた事は大変有難いし、十分すぎるほど光栄な事である。
それから、やはり私が深く尊敬する身体教育研究所の野口裕之先生にも月1回、十分に時間をとって頂いてお会いする事が出来ることも身に過ぎた光栄。
そして、武術関係では、私がいままでに最も驚いた技を見せて下さった韓氏意拳の総帥、韓競辰老師からも十分すぎるほどの礼遇をもって大事にして頂いているし、この韓氏意拳の日本代表にして、私の武術における最大の盟友ともいえる光岡英稔師範からは、光岡師範の方が実力的に私より遥かに上を行かれているにも関わらず、人生の先輩としてか大変大切に接して頂いている。
それに、不思議なことで御縁の出来た雀鬼会の桜井章一会長からも、その天才的力量に較べれば大変に不釣合いなほど親しく接して頂いている。
私にとって、こうした人の縁こそが私の人生で頂き過ぎな「勲章といえば勲章」であり、それ以上を私から望む気はない。あとは私の技が「人間が生きている」という現象そのものにどこまで斬り込んでいけるかが課題なだけである。
そして、この課題に対する評価は私自身が下すべきものであって、人からどう言われようと私が自覚しているもの以上に褒められてもシラケるだけだし、見当違いに批判されても「ああ、わかってないなあー」と思うだけである。
ただ私としては、この「まさに自分は生きている」という実感は、やはり武術を志した者として、この身体を通した実感と共に味わいたいと思う。
とにかく、この三十数年間いろいろな人と出会い、さまざまな事があったが、その時その時私の人生のシナリオに沿って(もちろん、これはそれぞれの人の人生のシナリオでもある)出現してきた人なのだと思う。今はただただ、それぞれの時々の出会いに感謝している。
こんなに穏やかな気持ちになり、稽古への情熱もなくなってきているのではないかと、元日の夜、寝る前に少し真剣で影抜きをしてみたが、その太刀を相手と切り結ぼうとした瞬間に抜く(相手の刀を踊り超える)動きに、いままでにない気づきがあり、稽古への情熱など殆ど自分のなかで感じないような状態になっていながらも、そういう動きに対する工夫はやっていた事に気がついて少し驚いたし、同時に安心もした。
この先どうなるか分からないが、とにかく流れに沿って、この先の日々を送ってゆこうと思う。
以上1日分/掲載日 平成23年1月2日(日)
新年3日の午後に体を暖めておこうと思って、愛用の喜作の鉈を持ち、暮れに伐り倒した孟宗竹の整理を始め、枝落としの作業中、手から鉈がすべって(鉈を持つ手に普通は軍手などしないのだが)、左足の上に落ち、踝の上を長さ一寸ばかり切る。はじめは切った実感がなく、鉈の背か柄が当たったのだと思っていたが、履いていた分厚い軍足が切れて血が滲んでいたので切った事を知る。それでも大したことはないと思ったのだが、場所が肉のないところだけに白く骨が見えてパックリと口を開けている。
最初、「これは風呂に入る時、面倒なところを怪我したな」と思い、「まあ昨日、この予感あったなぁ」と思い、そして「こういうふうに人生の税金を払うのか」と思った。
ただ、お陰で、その後、名越クリニック院長と「人間の幸・不幸」「人生の税金」「運命の定・不定」について小一時間ほどいろいろと話しに熱が入った。
怪我の経過はツイッターに(この私のサイトからも簡単に見ることが出来ます)書いた様に、いまのところ順調です。
しかし、明日の綾瀬の講習会は、動きはそう激しくは出来ないかもしれません。ただ、その分、動きの質をキメ細かにしたいと思います。
今年は最初からいままでになく、私自身の内面に目が向かっているようで、それについては講座や講習会でも話しますが、22日の久しぶりの「この日の学校イン東京」では、森田氏とあらためてこの事について触れてみたいと思います。
以上1日分/掲載日 平成23年1月4日(火)
正月休みも明け、また多くの用件が流れ込んでくるようになった。講座の打ち合わせ、進行中の本の経過報告、講習会の依頼などなど…。その上、年賀状の中には思いがけない人からの思いがけない報告(昨年9月に入籍しました…など)があるかと思えば、私が、その能力から早く独立を薦めていた人からの相談の電話もある。そういう事の応対には、もちろん喜んで時間は割きたいし、鍛冶仕事、研ぎ、刀袋、刀の拵えに関するもの、それぞれ私が依頼をしている人からの相談や、打ち合わせにも当然時間は取りたい。
またまた早回しの映像のような生活がスタートし始めた。
幸い3日に鉈で怪我した足は、昨日の綾瀬での講習会では、しばしば怪我していた事を忘れるほどに動けた。総合格闘技やブラジリアン柔術関係の人など、多彩な武道系の人が何人も参加していたので、アキレス腱固めを手の「虎拉ぎ」で外すという武道格闘技の常識には、およそ無いような方法を実演して驚かれた。
また、太刀取りの体捌きが膝から下の脚足の部分のタックルに対抗する新しい技となることが判るなど、私にとっての新発見もあり、これが骨まで見えた怪我をした翌々日に出来た事かと、何よりも私自身が驚いた。
何人もの方々からお見舞いを頂き、感謝と共に驚くほどの回復をしつつあることを御報告しておきます。
今月は14日が池袋コミュニティカレッジ、15日は、大阪のNHK文化センターでの講座、16日は、京都での講習会、20日がNHK文化センター青山での講座、22日が「この日の学校イン東京」、30日が名古屋での講習会という予定です。
以上1日分/掲載日 平成23年1月7日(金)
人間の運命の定・不定、つまり人間の運命は決まっているのか、変えられるのか、その事について「運命は完璧に決まっていて、同時に完璧に自由である」という事を気づいたのが、今から40年前の21歳の時だった。そして、それを体感を通して実感すべく武の道に入ったのだが、以後、いままで何尺地を這ったのか、といった程度の進展だった。
それが昨年の暮れから今年の正月にかけて、少し自覚できるくらい進展があったようだ。そのせいか、昨日どこかでメガネを無くした事に関して、「あー、あそこで落としたのかなー」と、その事を引きずっている自分を初めて醜いと感じて驚いた。
いままで後悔する自分を慰めることあっても、「醜い」と突き放すようにして見た事は一度もなかったから…。同時に様々なことが連鎖し、興味深かった。
まず、「メガネ無くして大怪我の身代わりになってくれたのなら有難いことだ」と思い、そう思い込もうとしている「功利的自分がイヤだな」と思い、「そういう事をイヤだなと思う自分がイヤだな」と思い(何か『荘子』の中に似たような話があったなと思ったが)そういう事から一切解放されたいと思う気持ちがあって、「だから禅に心惹かれるのか」と思い、しかし、内臓はすべて自己の利になるように働いていて、肝臓や腎臓が清濁併せ呑んだら人間すぐ昇天してしまうなあ…と、思いはさまざまに巡り、「これは『自然に生きる』ということを本当に、本質的に把握しないとなあ」と、あらためて感じた。
そして、こうした思いの変化が、前夜剣術の『影抜』を一人稽古していて、太刀の奔り方が、ちょっといままでにない早さになって、自分で思わず「おおっ」と声が出た事が(この事はツイッターに書いたが)、こうした、自分に利があるかないかへのこだわりと、どこかで繋がっている気がして不思議だった。
幸いだったのは、昨日は名越康文・名越クリニック院長と一緒だった事。こういう話の話し相手として名越氏以上の存在はない。名越氏の魅力は、世間的知名度が上がっていても少年のような初々しさがまったく不変なこと。それは92年の2月、当時社会的に全く無名だった名越氏と初めて奈良で出会ってから、やがて19年になるが、その感性は92年当初と変わらない。その辺が、私が深く尊敬する方々が、一様に名越氏を大事にされる大きな理由だと思う。
昨夜は、またその名越氏と今年初めて野口裕之先生のところへ伺って体を観て頂いたが、体を観ていただく前とその後に、ずいぶん時間をとって頂き、8時前に伺ったが、私が帰宅したのは殆ど午前4時に近かったから、野口先生の許を辞して身体教育研究所を出たのは3時をまわっていたと思う。
しかし、我々が深く尊敬する野口先生も、少年というか幼児のようなところがあり、名越氏と2人して時に目を合わせて吹き出してしまった。しかし、あの幼児的な一般常識を理解できない(本当にそうなのかはわからないが)ところが天才の証なのかもしれない。
とにかく今年になって、いままでと違うなと思うのは、昨年まではさまざまな環境問題、例えば私も関わっているミツバチの激減の問題や、それに関しての農薬のことを始め、海底油田、天然ガスの掘削に伴う環境汚染やら、さまざまに便利なものに囲まれて身体能力が落ち、人心が平板化し、硬直化している事など…によって生きる気力が失われることが多く、常に絶望感がどうしようもなくあったが、それが、そうした時代の中でも「人間が生きているという事そのものは何なのか」それを見つめ、見きわめていきたいという事が、私の中で具体的になってきた事である。
具体的になってきたというのは、いままでも同じような事を書いたり言ってきたりしていたが、それは何とか私を鼓舞しようとしていた感じがあったのだが、今年になって素直な実感となってきたからである。この感覚を育てる事と、武術の技とが密接にリンクしてゆくようにする事が目下の目標。
ただ、ニホンミツバチと農薬の事、土田昇氏と刃物のことについて往復書簡したい事、その他いろいろ気づいた事を何かの形で書きたいこと、「この日の学校」関連のこと、その他いろいろ企画があるので大変だ。しかし、出来ればそういった事すべてと「人間が生きている」その事の追求を結びつけて行きたいと思う。
以上1日分/掲載日 平成23年1月8日(土)
昨夜、またちょっと違う時間というか空間の中に入れた気がした。両足の抜きの左右差。より不安定に、より釣り合わせて体じゅうの何十箇所もを、それぞれその在るべきところで働かせるというのは、やはりチマチマ考えていてはとてもダメだ。
「中央ト云事アリ 心ノ中央也」「唯心ノツリ合ヲ以テ身ノツリ合ヲ可勘事」。『願立剣術物語』の四十七段目や四十三段目が浮かぶ。
別の世界に入れば僅かな時間が思いがけなく長そうだし、狭いと思った空間が意外に広かったりするように思う。いや、そうに違いない。
14日は池袋の講座。そして15日はNHK文化センター大阪。16日は京都での稽古会です。最近の、私の進展に御関心のある方はどうぞ。
また1月23日は、私が「この日の学校」を一緒に行なっている森田真生氏と、私の武術の一番の盟友である光岡英稔氏、そして前日の22日、「この日の学校イン東京」の場所を提供して下さるダンサーの山田うん女史とが講師となって開かれる"学びのハジメ"『身体と思考の関わり合い』−現代数学とダンスと武術の接点−が開催されます。前日は「この日の学校イン東京」ですが、「この日の学校」とはまた違った角度と切り口から、身体と数学が不思議な結びつきを展開するのではないでしょうか。主催者の趣意書をここに紹介しておきます。
〜『身体と思考の関わり合い』/現代数学とダンスと武術の接点〜
森田真生氏、光岡英稔氏、山田うん氏を迎えてのセッションです。
「よく考える」ことが正しいとされてきた時代から、感覚や身体の働きも注目される転換の時期にさしかかっています。
思考だけでは偏りが大きく、身体と脳は分けられないというのはよく知られていますが、 もっと進んだその先には、思考や身体、感覚がより一致して深化していく可能性があるのではないでしょうか。
そしてそれは当たり前の何気ない日常にあるのかもしれません。
『学びのハジメ』はこうした新しい学びの始まりを思い企画致しました。
どうぞご参加下さい。
第一部は数学を中心に
第二部は鼎談となっております。
一部、二部とも三者を交えて進行して参ります。
第一部 14:00-17:00 身体と関わり合う行為としての数学/現代数学圏論の世界
第二部 1800-20:30三者鼎談 論理と身体の一致、一瞬に表現する、日常の実践 他
数学に取り組みたい方は筆記用具を、動いてみたい方は動ける服装でお越し下さい。運動用である必要はありません。
場所などの、インフォメーションは、松聲館の告知板を御覧下さい。
以上1日分/掲載日 平成23年1月13日(木)
昨日の京都の講習会では、熱心な欧州人の参加者が目立った。なかでも、講習会中、大変熱心に技を受け、講習会が終わると、私の稽古袴を「私が畳みましょう」と申し出て、キッチリと手際よく畳んでゆくNM氏の姿には感動を覚えた。そのNM氏が出された名刺には「伝統を守り続ける」と刷ってある。NM氏は武道袴などを扱う仕事もしているとの事だったが、剣道、居合道、合気道など、それぞれ2段から3段を持っているけれども「それらには失望感しか持っていない」と語る顔には憂いが拡がっていた。それでも武の世界に関わっていきたいと、いろいろ調べていたらしい。「甲野先生の稽古が受けられるなら、バスで東京まで行きます」と語るNM氏の顔には誠意があふれていた。
私は、よく日本に来て日本の武道を修行中の欧米人の若者に対して、「彼らは真面目で日本人より日本人らしい…」といった評価をしばしば武道の指導者が口にする事を聞いていて、「そりゃ、そうでしょう。自分が憧れたものに対して距離があればあるほど、その世界への思い入れは強くなるわけで、ニューハーフなどといわれる人達が女性に憧れ、普通の女性よりもより女性らしくなろうと化粧を入念にし、女性らしい雰囲気づくりに非常な努力を傾注するのと、ある面同じですからね」と、かなり冷やかにコメントしていたのだが、現実にここまで日本語が上手になり(関西弁も使えて)、自分が経験してきた各武道に対する問題点の指摘も的を射ているのを聞いていると、自然と情が移り、「今後、この人がまた来たら、さらに詳しく技を解説して教えよう」という気持ちになってくる。
そう思っていたら、この講習会の後の、打ち上げに、また、欧米人の武道家が参加。この日、いつも打ち上げに、使っている自然食レストラン「庵」に、打ち上げが始まってからしばらくして、以前私の東京での講座に時折来ていて、現在は関西で神社の仕事をしているK女史が来店。しかも、いま、K女史が就いて習っているという欧米人の合気道の先生を案内しての打ち上げ参加だ。
京都の講習会では恒例になりつつある、この日のまとめの稽古研究会が始まっていたので、実際に技を体験してもらったり見ていてもらったりして、その流れで、この打ち上げの後、雪の中を、私が泊まる五条烏丸近くの古い京都の町屋の旅館まで、今回の講習会の世話人の坂田氏と共に寄ってゆかれたので、結局午前1時過ぎまで、話をしたり技を解説したり、という展開になった。
そして翌朝、この宿で朝風呂に入っていた時、「私も欧米人の武道修行者には、いつの頃からか肩入れするようになっているなあ。やはりフランスに行ったりしたからかなあ」と思った次の瞬間、「そうか、私もいわば外国人なんだ」と、気がついた。つまり、現代剣道、柔道、合気道といった世界から見れば、私は異教徒であり、外国人だという事である。
いや、これら武道に限らず、ラグビーでもサッカーでもテニスでも、その他さまざまなスポーツの、その枠の中から見れば私は異国の人なのであろう。その異国人である私が黒船のように強硬な形で何かを突きつけている訳ではないので、ほとんどの武道関係者は関わろうとはしないのだろう。しかし、日本の武の世界に憧れ、単なる反復稽古で身に付く以上のものを求めて、わざわざ大変な努力を払って日本まで来た人達は、なんとなく興味をもって始めたり、組織への所属が重要な、日本人よりも遥かに真剣で、技を追求する思いが強いことは当然な事かもしれない。
ただ、幸いなことに、私の周囲にはこのような外国人に勝るとも劣らぬほどの思いを傾けて稽古に励んでいる人達がいるので、私はそうした人達と、より質の高い技の実現を目指して稽古研究を重ねていきたいと、あらためて思った。
しかし、雪の夜の京都は、また独特の雰囲気で、しばし私自身の過去の思い出を超えた、もっと古い記憶が蘇ったような思いを味わった。おそらく昨日、辛卯之年正月の京都の講習会の記憶は永く残るに違いない。
以上1日分/掲載日 平成23年1月19日(水)
今日は終日家にいて、一番気になっていた東北大学の長谷川啓三先生との対談原稿の赤入れをしたが、途中何度も電話やメールで途切れ、それでもやっと出来上がって宅急便で送る。ただ、その送った後、一息つくどころか、その赤入れで途切れていた用件を次々と思い出し、さすがにゆっくりと青ざめてきた。
すでに数年前から、とても一人では処理しきれない量の仕事を抱えているとの自覚はあったが、いま取り敢えずやりたい用件がこれだけあるのかと思うと、ちょっと言葉に詰まる。
しかし、待ったなしで次々と用件は増える一方。今日一日だけでも放っておけない用件が5件はきた。そのうちの1件は、私が最近おおいに推薦をしている北川智久氏の講座の件。北川氏は、私と縁が出来て9年になるが、その独特の才能と人当たりのよさで、是非いままでにない身体運用法の指導者になって欲しいと私が思っている人物。
最近、特に印象深いのは、私が昨年9月に気づき、「虎拉ぎ」と名付けた、後ろから手を掴まれた時、非常に強力にこれに対抗できるという手指の形が、脚足部を抑えられた時にも有効という事に気づいて、私に伝えてくれた事。
そのお陰で、まるで漫画の中に出てくるような話だが、昨年の12月20日、私が生まれて初めて"アキレス腱固め"という技をかけてもらっても、それを苦もなく返すことが出来た。以来、そういう技を専門的に稽古してきた人達何人にもかけてもらったが、一度として困ったことはない。
まったく驚くべき事であるが、このような普通なら、まず絶対にというほど思いつかない手指の形と足の動きに密接な関連がある事を気づける鋭い直感力、というか感覚が、北川氏には備わっているのだろう。(北川氏が気づかなかったら、私自身は生涯気づかなかったのではないかと思う)
その北川氏が越谷市のJTBカルチャー倶楽部で講座を行なうが、受講者の集まりが少ないとか、あまりにも勿体ない話なので、ここに告知し、御縁のある方が行かれることをお勧めします。
講座名
古武術で快適生活
アクセス先は
JTBカルチャー倶楽部
イオンレイクタウン教室
http://www.jtb-cc.com
〒343-0826
埼玉県越谷市東町2-8
イオンレイクタウン「mori」2F-2004
TEL:048-990-1305
それから、また一人多くの人に是非知って頂きたい若者が京都にいて、この人物も世に出したいと思っている。この田口慎也氏は現在京都大学の人間環境学研究科の大学院生だが、話をしていて相手が年齢が何才だったのか、私より年上なのか年下なのかも忘れてしまうほど、話し甲斐のある若者!
ただ、このほかにも「この日の学校」の森田氏とのこれからの企画、いま進行中の私の久しぶりの技の本の企画、これとは別の本の企画、『風の行方』のこと、3月の「この日の学校イン大阪」のこと、東北での講習会のこと、みちのく山道関連のこと、日本コロムビアのDVDのこと、3月のフランスからの受講者のこと、2月のアメリカからの受講者のこと、2月の九州から広島にかけて講座や講習会があるが、未定の1日をどうするかについてのこと、今月末の名古屋での講習会のこと、その前日の予定のこと、連載原稿のこと、土田氏との道具刃物の公開トークのこと、又この土田氏との往復書簡のこと、先日最新刊『日本人の信仰心』を送って頂いた前田英樹氏に礼状を出すと共に、又何か一緒にやりたいと思っている事。セイント・クロスの大塚氏から依頼の原稿をM女史に手伝ってもらって書くこと。ザッと、いま気になる用件を思い浮かべただけでこれだけある。
とにかく出来る事からやっていこう。それしかない。
以上1日分/掲載日 平成23年1月25日(火)
最近は、どうもツイッターに書くことが多く、ついこちらの随感録アップが減り気味ですが、私のツイッターは基本的に、この随感録と同じく走り書きをI氏にFAXして、それをメールで送ってもらうというアナログ的方法ですから、(たまに自分でも打ちますが)随感録とあまり内容的に変わらないと思います。ツイッターは、この私の松聲館のサイトのトップページから、「ツイッターtwitter」に入ってお読み下さい。
ただ、ツイッターでは詳しく触れられない場合があるので、そこをこの随感録で詳しく補足するという事が今後も増えそうです。
早速その補足ですが、2月1日の音楽家対象の講習会に御関心のある方は、このサイトの「活動予定」に出ている白川真理女史( karadatoongaku@gmail.com )にお問い合わせ下さい。
また、2月19日の博多での講習会は、「この日の学校」と抱き合わせで紹介されていますので、分かりにくいかと思いますが、講習会のみの受講も可能です。
以上1日分/掲載日 平成23年1月27日(木)
昨夜(26日)、ツイッターで報じた佐世保の郵便局員、野元浩二氏の「山中高齢者救出劇」に関して、野元氏自身による報告記は、あまりに傑作だったので、私及び私の周囲の人達だけで読むにはもったいなく、この随感録に全文載せることにしました。転載にあたり、野元氏の要請で当事者の名をイニシャルに変更するなど多少変更しました。
事の起こりは26日の夜8時少し前に、野元氏から「あっしの家の前の山で行方不明になった老人を捜索中です!(バイクの腕を買われて!)居てくれーっ!ってところです!」というメールが入り、それに対して私が「心を鎮めて、その人を、思い浮かべ、三脈診て、わずかに変化する方向捜すといいでしょう」と返したところ、1時間半ほどして「見つかりました、見つかりました、メッチャ嬉しいス…」という甲高い声で野元氏から電話。その時、「ではまた、詳しい様子はメールして下さい」と頼んでおいたところ、以下のメールが野元氏から届いたのです。
甲野先生!ほんと、山で行方不明になった、じいさんが、見つかって、よかったでやんす!こんなに、嬉しいことは、無いっす!事のいきさつを説明すれば、今日は仕事が6時に終わり、さあ、道場に行くかーっ!って時に、近所の人から、あっしん家の前の山(将冠岳、標高435メートル、西海国立公園にかかっている山で、地元では、断崖絶壁とシロヘビ伝説と武者の亡霊で知られているっす!)で単独で登山した老人が、行方不明になったので、山とバイクとサバイバルに強い(誉め過ぎっちゅうねん!自分で言やあ世話ない!)あっしに協力してくれーっ!と連絡が!最初は、なんのこっちゃ?だったんすが、よく聞いてみると、なんでも、同じ町内に住むOさんって方(あまり、面識は、無い人です!)の奥さんの父親で、89才になるT、Hさんって名の、じいさんが(若い時から登山が趣味らしいっす!)今日の(1月26日)朝から一人で将冠岳に登ったまま、夕方4時になっても下山しないので心配でケイタイに電話したところ「登山道に迷い、自分が、今どこに居るかわからなくなった!」(家は、佐賀県で佐世保の山には、土地勘が、無いってのが高齢以上に、ヤバかった!)ってんで、ご家族や親戚の方々が、山に捜しに行ったみたいなんすけど(この時点では、みなさんも気楽に考えてたみたいで薄着の上にサンダル履きの人も!)しかし、この時期、5時をすぎると山の中は急速に気温が下がるし、真っ暗闇になるんで、だんだん危機感が、わいてきて、世間体が…!なんて、レベルじや無くなり警察や近所の人に連絡されたみたいでやんす!それで、あっしにも白羽の矢が立ったみたいっす!あっしはバイクで、ぶっ飛ばして、家にも寄らずに山に直行して7時前位に当着!しかし、山中は、明かりも無く、まさに真の闇!それに、来るはずの警察のパトカーは、来ないし、あっしは、じれったかったんで、一人で山の中に入ろうとしたのでやんすが、近所の先輩が「浩二!待っとけ!下手に動くと逆に危ないし、訳わからなくなるんで警察が、着いてから、みんなで手分けして捜そうで!」と言ったので、なるほど確かに一理ある!と思いました!じいさんのご家族のケイタイに警官から「みなさん、その場に居て下さい!」(この時は、八人位!)って指示が入りやした!しかし、待っててもパトカーの来る気配も無く、???って感じでした!連絡したのが、気が動転してる、ご家族だったので、もしや?って予感がしたので、あっしが、警察に直接電話したら、案の定、10キロ程離れた全然違う場所を捜していやした!(110番とパトカーの連絡の、やり取りにミスが、あったらしく、吉岡町にある金比羅様!が、横尾町の金比羅神社!ってことに、なっていやした!まあ、連絡した、ご家族も気が動転してたであろうから、どちらも責められやせんが!)それで、あっしが、わかりやすい場所として吉岡町のコンビニを指示して、バイクで山中から迎えにいったら、オロオロした、警官6人が、パトカー3台で、やってきたのは、よかったんすが、あっしの住所や電話番号や遭難者との関係とかを、しつこく聞くばかりなんで、イラッ〓!としたあっしが、「そんなんは、後でいいじゃないですか!先ず、地図やカーナビでは、わかりにくい現場の登山道入り口に案内しますんで、ついて来て下さい!」と言ったら「いえっ!まず本部に状況を説明しなければ、ならないので!」と警察が、言った時点で、あっしはブチ切れ、つい「バカか、わいたちゃ!今、こうしてる間にも、じいさんの体力は、寒さに奪われよるとぞ!能書きは、よかけん着いてこんか!この石頭どんが!」と言ったら、向こうも、ムッ!としたみたいで険悪ムードに!それを無視してバイクを発進させたら、パトカーが、ついてきて、現場まで到着!でも、みんな待ちくたびれて、警官とギクシャクするし、更にじいさんのケイタイは、電池が切れたみたいで連絡が取れず家族の方々は、泣きだすし、益々やばい事に!しかし、そうこうしてるうちに警察にNTTドコモから「GPSによるとTさんは、半径1キロ以内にいるのは間違いありません!ただし細かい位置までは、掴めません!」との連絡が入り、この時は、おおっ、さすが警察!と感心!(ケイタイが、GPS契約してなくても、イザッ!って時は、捜せるみたいですよ!ただし悪用されるとヤバいんで警察の許可が、必要みたいでやんす←ようわからんけど!)更に応援の警官や町民の人達が来たので捜索隊は、20人位に!さらにあっしが、友達に連絡して、いざとなったら各町の消防団も協力ってことに!それから2、3人で、一組になって捜索開始!でも、あっしだけは、バイクなんで単独行動!〔いったん家に帰り、ナイフ!小型の鉈!ロープ!タオル!ライト!ホイッスル(疲れはてた時は大声を出すよりも五分の一程度のエネルギー消費で済む!)!腹減ってたのでバナナ!サバイバルアルミ蒸着シート(ポケットに軽く入る大きさながら、いざって時は、毛布以上の保温効果)をザックに突っ込み、そいから、軍手!長靴!服装は、バイクウェアのままでバッチリ!〕しかし、半径1キロ以内と言うと、たいしたこと無いみたいでやんすが、山の地形は、平面では無くて起伏が激しいので、かなりの面積になりやす!(ちょうど人間の小腸を平面に引き延ばすと表面積は、サッカー場くらいは、あるっちゅうのと同じっす!)いざ、捜す!となると、耳も遠く、あまり大きな声も出せない、じいさんを捜すのはハンパ無く難しいみたいで、テキトー野郎のあっしですが、なんかヤバい感じで捜索真っ只中に!困った時の神頼み!ならぬ甲野先生頼み!が、閃き(先生は、ドラえもんか?)なにげにメールしたら、あの返信メールが!《心を鎮めて、その人を、思い浮かべ、三脈診て、わずかに変化する方向捜すといいでしょう》と!バイクのエンジンを切り、ご家族に聞いたじいさんのイメージを心に浮かべ、心臓、首筋、手首の三脈を診たら、最初、地形から予想した南西の方角とは逆の南東の方角を向けた時だけ、微妙な変化が!(脈が、ズレるっちゅうよりも、なんか胸の中にクーンと来る感じでした!まあ、たまたまだったのかもしれませんが!)そいで、その方向にバイクで行けるとこまで行って山中に入り(9時半頃)「Tさーん!」って、あらんかぎりの大声で叫んだら、猪が、ビックリしたみたいでバキバキと枯れ竹を折って走る音が!それから更に山中に入り、五回ばっかり叫んだ時に、なんか唸り声が、聞こえたような気がしたんで、その方向に木の葉や竹やぶを掻き分け入り、また「Tさーん!」って叫んだら「お〜い!」って声が!次に「Tさんやーっ?」って叫んだら、「はーい!」って声が!そいから懐中電灯代わりに持って来た自転車のハンディライトを点滅にして「ライト見えるやーっ?」って叫んだら、すぐ近くに見えるってんで、ガレ場を駆け上がったところの木の下でTさんを発見!靴を片方無くしていて、薄いヤッケだけの薄着だったんで、ブルブル震えてやした!名前確認したらT、Hさん本人でした!(登山道でも獣道でもない、鬱蒼とした所で、89才になる、じいさんが、よくもまあ、こんな所へ来れたな?って思える場所でした!)あっしが、「ウオーッ!じいさんを見つけたぞーっ!」って雄叫びをあげたら警官の一人が、気付いてくれて、みんなに無線やケイタイで連絡してくれやした!最初は、あっし一人でかついでたんすが、地面が、ガレ場の急傾斜で滑りやすいのと、低い位置に木の枝が、多く、下手すると、じいさんに怪我を、させそうだったんでオーソドックスに肩に手をかけて下山してましたが、しばらくするとバンバン応援が、集まってきて人海戦術で運びました!しかし、自分自身で驚いた事が、三つありやした!1番すごかったのが、マグレかもしれませんが、三脈で位置が、特定できたこと!次にイメージしたTさんの姿と実際の本人が、寸分違わず、同じだったこと!もう一つは、登山道から急傾斜を百数十メートルばかり登った所で発見したのですが、そこまでの登りを声を聞いてからほんの数分で忍者のように行けたのに、帰りは、登山道に出るまでに30分以上かかったことです(もちろん、Tさんをゆっくりしか運べないし、多人数って事もあったのですが、それを計算に入れてもワープしたみたいな不思議な感覚です!これぞ、火事場のバカ器用!そいから、みんなの集まってるとこに着いたのですが、さっきまでの警官との険悪ムードが嘘みたいに一転して、お互い、喜びモードで和気あいあいになり、ギャグやジョークが、飛び出す始末で、実にいい雰囲気になりました!あっしが、警察連中に「おいば、泥棒で捕まえても逃がさんばばい!」と言ったら警官の一人が「おお!まかせんね!」と言ったので、ドッと笑いが、起きやした!そいから、じいさんの家族の方々が、あっしの手を握って「あなたは、命の恩人です!どんな、御礼をすればいいのでしょうか?」と言われたので、「じゃあキャバクラに連れてってーっ!」とジョークで言ったら、家族、親戚で、なにやら、ぼそぼそと話してると思ったらマジな顔で、「わかりました!」って言われたのには、まいりやした!もちろん、あっしは、ジョーク、ジョーク!と言いました!あっ、そいから、見つけるのが、あと数分遅かったら佐世保警察署管内と近辺の警察官を総動員する予定やったらしかです!しかし、昔は、パトカーから追い掛けられていた立場のあっしが、警察から、こんなに誉められたのは、生まれて初めてで妙な気分です!しかし、ほんと、じいさんを見つけた時は、嬉しかった!多分宝くじで三億円当たっても、ここまで嬉しくは、無いでやんしょ!もちろん、あっし一人の手柄では無く、冷静な判断や指示を与えてくれたSさんをはじめとする近所や町内の方々!そいから最初は、腹が、立ちやしたが、よくやってくれた警察(今、冷静になって考えれば、ほんと大変な仕事だと思いやす!)そいから、なんと言っても、甲野先生のアドバイスのおかげでやんす!ありがとうございやした!
アホ野元!
人情希薄な現代に、この野元氏のような人物が存在すること自体、嬉しい事です。"実は賢い"自称「アホ野元」氏については、この松聲館のサイトの「新聞・雑誌等掲載記録」から入れます『しゅうかんRe:s[りす]』の連載「ほころび」で、いまちょうど私が紹介していますから、ご関心のある方は、是非そちらも御覧下さい。「ほころび」は次回も野元氏特集の続きです。
すでに何度も書いてますが、誰かに以前話題になった本『生協の白石さん』ならぬ『郵便局の野元さん』という本を書いて頂きたいものです。とにかく現代の日本では野元氏のような人こそ、最も「子供達が接してほしい人」であることは間違いありません。
以上1日分/掲載日 平成23年1月28日(金)