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私がツイッターで紹介したI氏の就職活動に関する思いを綴ったmixi日記を、I氏から提供してもらったので、ここにこれを紹介したい。
久々に日記を書く。
昨日は学校で「内定への道」というものを提出しようと就活課に行った。
「内定への道」というのは内定が決まった学生に提出を求められる就活レポートのようなものだ。
しかし、これの記入にあたり、私は大変に困ってしまった。なぜならこういう就活のセオリー通りに私は活動しなかったからだ。だから、エントリーもなければ選考もなく、平たく言えば「御縁」で内定したといえる。
就職課の窓口で言われたのは意外な言葉だった。「御縁で内定が出たとはここに書かないで下さい。」との事。なぜなら、御縁で決まったと書いてしまえば、それを読んだ後輩がやる気を無くすと言うのだ。
内心は憂いと情けなさと悔しさのようなものが入り混じり、複雑な気持ちでいっぱいだった。
そもそも就活とは何だろうか?着慣れないスーツに身を包み、よく分からない企業のセミナーを50社以上周り、張り付いた笑顔を浮かべて一様に恥ずかしげも無く自己アピールをして自らを取り繕い、仕事とは今後一切関係ないであろう筆記テストを受け、その点数によって足きりをされる。これらを勝ち抜いた(?)者を就活の勝利者として学校は喜んで掲載をする。
かつて私には一つの夢があった。小学校のとき、ビーダマンという玩具の大会で優勝し、日本一になった事がきっかけで、タカラトミーという会社に就職すること夢として、それを10年間以上追い続け、三年生の冬からこの企業の就活に臨み、1万名ほどのエントリーの中から一次を突破し、さらにはグループディスカッションも通過、そして最終一歩手前の集団面接までいった。しかし残念ながらそこで落ちてしまった。
夢のために違和感を感じながらも所謂「就活」をやったが、結局は挫折し、夢を失った。色々よくない事も続き、鬱にもなった。
丁度この頃から、スーツを含め現代的な服に身を包むことにも違和感を覚え(スーツは特に気持ちが悪い)、和装を始めた。
学校を休学し、和服に袴、一本下駄で世間を歩き、その中で様々な出会いがあった。
わたしは前述したことからも分かるとおり、今の就活のやりかたは間違っていると思っている。ここでは詳しくは述べないが、よい人材とは何か、そしてよい選考方法は何かを見誤った企業に、まちがったあり方をしている学生が、その企業に好かれるための自分を取り繕い、だましたりだまされたりしながら就職していく。
こういう間違った就活の違和感に耐えられず、それを行わず、行動による御縁での就職を目指し、納得のいく形で就職できた私の『就活』はそんなにも後輩のやる気を削ぐだろうか?同じような違和感を抱えた後輩は必ずいるはずである。そんな悩める彼らへ私が示せるあり方の一例はそんなにも無価値であろうか?
この就職課で言われた一言に、私は現在の就職活動の病とも言うべき恐ろしいモノを感じた。就活とはかくかくこうあるべきで、大多数の人間と同じ様に努力し、勉強し、盲目的にセオリーを信じ、且つ「自分らしさ」というものをこの短期間ででっち上げ、それを1分間以内で上手くアピール出来るようにすることが就活であると。また、それ以外の方法で選考を経ずに内定したものは、御縁というコネで運よく内定したのだから努力している学生のやる気を削ぐから口を開くなと、言わんばかりである。
私は何とか就職しようと休学中の一年間努力した。どれも辛い努力ではないが、普通の学生がするはずの無い経験を積みまくった。石巻に行き、ボランティアもした。つまり社会で必要だが、学校では決して学べない経験知とも言うべきものをとにかく積んだのだ。これこそが今の大人に必要な知識だという確信のもとに。
就職課の担当の方を責める気は無い。その方だって真剣に学生を思っての発言であるし、実際、私のタカラトミーの就活の時は大いに助けて頂いた。
私のような思いを持つ後輩にこれを伝えたかった。
どんな企業にどのような形でエントリーして、どういう選考があって、いついつに内定したとか、そういう事を記入する。また、後輩へのアドバイスを記入する欄もある。
従って、ここに何て書いたらよいのか分からなかったので、それを尋ねる事も含めて就職課に赴いたのだ。
私は「そうですか。」と一言告げて、提出するはずの「内定への道」を引き取り、会釈をしてその場を去った。
休学中に、とにかく色んな人に会いに行きまくった。とにかく自分の持っていない凄いものを持っていると思われる人のところへ。
剣術の先生や、養蜂の先生、あるいは、雀鬼こと桜井章一会長の所、武術研究家・甲野善紀先生の所、親しくしていただいている高校の恩師の所、元JALのパイロットの方の所などなど、とにかく赴き、話を聞きまくった。
そんな折に、たまたま高校の恩師から頼まれ事を頂戴し、それをしに恩師の知り合いの幼稚園に行った際、そこの園長先生から学童保育のアルバイトをしないか、と誘って頂き、数ヵ月後に学童で夏季にバイトをさせて頂いた。それがきっかけで、私の仕事ぶりを気に入っていただき、「ここで働かないか?」というお話があり、内定を頂いた。
一例を挙げれば、自己診断なども、全くもってばかげている。自身を知るには自分を見ていてはダメなのだ、鏡としての他者に映る自分を見なければ、決して自身など見えない。もうその辺りから履き違えている。
そういう努力のあり方を、「ここに書かないで下さい」という一言によって踏みにじられた気分だったのだ。
今でも大変ありがたかったと思っている。
しかし、就活全体にあるこの違和感、間違ったあり方に私のあり方が否定された気がしたのだ。
もちろん責任は自己責任だからこの道を選ぶかどうかは自身で決めて欲しい。しかし、私の通った道は決して平坦ではなかったし一歩間違えればどん底であったかもしれないが、紛れも無い「内定への道」なのであるから。
以上1日分/掲載日 平成25年8月11日(日)