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2000年10月14日(土)

12日はハワイの超禅寺住職・細川道彦先生が来館された。細川先生とはもう7年ぐらいのお付き合いのように思うが、禅僧にままありがちな尊大さや鬼面人を驚かすようなところがまったくない誠実で真摯な人柄は、私の深く敬愛するところである。
ちょうど環境破壊やクローン臓器培養など現代の人間が抱えるさまざまな問題について、そうしたことを基盤として考える必要のなかった時代に生まれた宗教を現代にどう生かすのか、といったことについて、また身体の運用と心の関連などについて8時間くらいも話しに話した。
話のなかで私の絶望感について、「その人が絶望感を持つということは、それだけ切実な問題を背負ったということですから、私は絶望感を持っていない人は基本的に信用しないんですよ」というようなことをおっしゃった。
このことは何日か前に桐朋高校のH先生とも電話で長いこと話し、私が絶望感を持ったことでより純粋に稽古に取り組めるようになりつつある、というような話になってきたこととも重なり、「ああ、そうなのかなあ…」と思った。
勿論、「稽古により集中して取り組むために絶望感を持ちましょう」などといって絶望感が持てるわけはない。人間が農業を始めたことに対する取り返しのつかなさを切なく思うことなど、とても人に勧める気はしない。
しかし、ここであらためて思い出すことは自然農法の福岡正信翁の「何が有用で何が有用でないかなんて、そんなことは本当にわからない。人間の目先の価値判断でこんな食べるところのないものは無用と思うかもしれないが、これがどんな働きをして自然のバランスを保っているかなんてわからないですよ」という言葉である。
幸か不幸か、何がどうなのかよくわからないが、私は『もののけ姫』をキッカケに人間のやってきたことに凄まじい絶望感を抱えた。そしてそれは年々重くなってきている。
しかし、それは同時に私を鍛えてもいるらしい。最近は凄い能力の人に会っても、勿論凄いとは思うが気圧される程度が以前とはまるで変ってきた。また私を批難論難する人に対して、「ああ、そういうふうにもみえるんだなあ」と奇妙に納得したり、「そんなに私のことが何でもわかるなんて凄い想像力だな」と感じ入ってしまったりして、どうも私自身のナマな感情が揺らされなくなってきているのだ。
とにかく出会いと成り行きに任せて行くしかないと、昨日の朝はあらためて思い返していた。

そして昨夕、池袋である定例のコミュニティ・カレッジの講座の始まる前に、東上野の岡安鋼材へ依頼しておいたサンド・ブラスト処理が終った剣を受取りに行った時、思わぬ出会いに恵まれたのである。
久しぶりに少し時間をとって岡安一男社長に鋼の銹止め法を聞いたり、鋼材や道具の話をしていた時、店の入口を向いていた岡安社長が突然「いやあ、珍しい人が来た」と大きな声を上げられた。ふと見るとどこかで見覚えのある顔の人物が歩いてくる。岡安社長の態度と、店に入ってきた人物の雰囲気から、その人物がただ者ではないことはすぐ推察ができたが、その直後「古川四郎さんですよ」という岡安社長の声に「ああ!」と思った。
゛古川四郎゛という名前はもとより一般的にはほとんど知られていないが、およそナイフに関心を持ち、専門店に通ったり専門誌を読む人で、この人物の名を知らない人はまずいないだろう。
古川氏は、もしナイフ好きな人に「日本のカスタム・ナイフのメーカーで最高だと思う人を挙げて下さい」というアンケートを行なったとしたら1位になるかもしれない人物なのである(少なくとも3位までには入るであろう)。
私が古川氏の名を知ったのは古い。おそらく20年近く前ではなかろうか。当時古川氏は私の家の近くで工房をつくり、そこでナイフを制作されていた。偶然、私の隣家のI家がこの古川氏とお嬢さん同志の習い事か何かが一緒という縁で交流があり、以前I家を通じて拙著を贈ったこともあったが、直接お目に掛かることはないままこの日に至ったのである。
すぐに岡安社長に紹介していただき、私のやっていることなどを少し説明させていただいたところ、少なからぬ興味を持って下さったようで、「よかったら、これから食事に行きませんか」と誘って下さった。勿論私は講座があるから折角のお誘いは残念無念ながらお断りするしかない。
そうすると岡安社長が「いやあ前からね、甲野さん囲んでちょっといろいろな人に声かけてさあ、集まりたいと思っていたから、ひとつ皆の都合きいて、そういう集まりをしましょうよ」と提案して下さった。すると古川氏は「いやあ僕もすごく興味あるんで、そうなったら、ちょっと呼びたい人もいるし…」と、すぐ乗って下さった。お陰でそのうち社長の肝煎りで何やら集まりを持つことになりそうである。
その後、20〜30分、時間ギリギリまで話をしたが、その間に思い返せば何年ぶりで口にするだろうかと思うような職人の名前や専門用語がいくつも私自身の口から出て、我ながら驚いたが、同時にそうした私にとって思い入れ深い職人の名やエピソードを想い出す度に、踏まれていた草が立ち上るような気分の蘇りを感じることができた。
お陰で講座でも体がよく動き、講座の後、新たな仕事の企画を相談に来られた方と新宿で22時半頃から3時間にわたる話も興味をもって臨むことができた。

以上1日分/掲載日 平成12年10月16日(月)


2000年10月22日(日)

ここ4日間ほど連続して、なぜか私にとって大変恩のある方々と電話でお話しさせていただいたり、お会いすることが続いた。

まず19日は、私が結婚する際に最もお世話になった山梨県のN氏と2年ぶりくらいに電話で夜明け前2時間ほどの間、日本の文化をN氏の構想のもと世界へ発信したいという計画などをうかがった。

そしてこの日の夜は、私が社団法人整体協会に直接縁の出来たキッカケとなった、世田谷の竪田俊逸先生の道場へ。1年ぶりくらいだが、なにしろ21日に引越されるというので、最後のお別れに伺ったのである。
私が初めて伺った25年前は、まだ言葉が喋れなかったお嬢さんとも数年ぶりに会ったのだが、見違えるように素敵になられていて呆然としてしまった。
すぐ近くの新道場も拝見し、零時過ぎ、竪田先生御夫妻に御挨拶して帰途につく。お嬢さん運転の車で駅まで送っていただいたが、何だか半分浦島太郎の気分だった。

そして20日は、古武術界の長老、名和弓雄先生の許へ。私の手裏剣術の師匠にあたる根岸流手裏剣術四代目、前田勇先生が名和先生に贈られた湯呑み茶碗を私に下さるということで、かねてからお電話でお招きを受けていたからである。
名和先生は色紙に丁寧に贈り状まで書いて下さっていた。その少し緑がかった「人己、心、気、腹」の文字の入ったユーモラスな型の湯呑みをいただいた時、ふと4半世紀前、前田先生の御自宅で教えをうけた時のことがまざまざと浮かんできた。そして前田先生の座右の銘「人己心はまるく気は長く腹立てず」をなつかしく思い返した。じっさい傑作なことに湯呑みの心の字はまるく、気の字は縦に長く、腹の字は横倒しに書かれていた。
名和先生の御好意に深く感謝し、ここであらためて御礼を申し上げておきたい。

そして昨日21日は、夜、新体道の青木宏之先生からお電話をいただく。
これは、私がちょっと青木先生の御意見をうかがいたいことがあって手紙をお送りしたからであるが、そのこととは別に、色々と最近の御活躍の様子などを伺えてありがたかった。

その上、今日22日は大阪の精神科医、名越康文氏が、整体協会・身体教育研究所の野口裕之先生の2度目の操法を受ける日なので、渋谷で待ち合わせ、共に身体教育研究所へ伺う。
操法を終えた名越氏の印象は「ある種の身体芸術を体感をもって味わった」という感じであったようだ。操法の間、人間の身体の精妙さを実感する言葉にならないくらい無数の感動があったらしい。
この操法の前後、久しぶりに名越氏とゆっくり話すことが出来たが、あらためてこの人物が、今という時代を端的に斬りとって示すことが出来る数少ない人物であることを実感した。

以上1日分/掲載日 平成12年10月24日(火)


2000年10月29日(日)

10月はじめの精神的な落ち込み状態からぬけてきたら、待っていたように次々と気のぬけない用件やら、興味深い読み物やらが私を待ちぶせしていたように起ったり届いたりする。
まず、昨日郵送されてきたのは、神奈川リハビリテーション病院の理学療法士、北村啓氏の論文「『受け継ぐべきもの』−日本文化の底流に学ぶ理学療法の未来−」。
今の医療現場の荒廃の元に、感覚の喪失があることを指摘し、体力回復の目安に安易に筋力ということが指標となっていることの問題提起を皮切りに、私(甲野)との出会いで、体を捻らないこと、ナンバといった動きを研究しはじめたことにより、実際臨床でも成果が上がりつつあることが述べられている。
そして、私を通じて知った心道会の宇城憲治先生や整体協会、身体教育研究所の野口裕之先生の言葉なども引用されており、北村氏のリハビリ現場、医療現場たて直しの熱意がひしひしと伝わってきた。

それから、やはり昨日、稽古に来たU氏に頼んで購入してきてもらった本『リストカットシンドローム』(ロブ@大月著、ワニブックス刊)を読む。
この本は、リストカット、つまり手首切りの自傷に関して何人かのリストカット常習者に詳しいインタビューをしてまとめたもので、巻末近くに私の畏友である大阪の精神科医、名越康文・名越クリニック院長に、著者が話を聞きながらまとめた章がある。
その章の最後のあたりで、著者は「僕が取材をお願いした精神科医で僕自身が『診療を受けてもよいな』と思ったのは名越院長の他には片手で数えられるくらいしかいない」という記述があるが、これはやや控え目な表現ながら、現在の精神医学界の寒々とした状況を実感をもって表わした言葉だろう。おそらく著者は名越院長のことについてもっともっと紹介したかったのだろうが、総ページで190ページほどのため、かなり編集段階で削られたり、強引にまとめられた気配があり、日頃名越氏の考えをよく聞いている私でもちょっと理解しがたいほどに内容が圧縮、コンデンスされていたのは残念だった。
ただ、それでも多少アンテナの働く人は名越康文という人物が、並の医師とは一味も二味も違った、ただならぬ精神科医であることはハッキリと感じとれるだろう。それに、本の構成が十二分に読み手の胸をしめつけるほど、凄まじいリストカッター(こういう言葉があるかどうか知らないが)告白の連続の後に名越院長の話が載っているので、対応のまずい教師や精神科医が多いなか、「ああ、こういうお医者さんもいるのか」と読者をホッとさせ共感を呼ぶだろう。著者の大月氏がこの本の刊行に傾けたエネルギーには圧倒される。
しかし、この本がもし評判になったら(すでにその気配はあるようだが)、著者の大月氏以上に名越院長の許に救いを求める人が押しかけ、現在すでに、診きれないほどのクライアントを抱えているのに、いったいどうなってしまうのだろうと、私としては思わず名越氏の健康が心配になってしまった。
だが、まあこれも名越氏の宿命であろう。時代に呼ばれている人は、好むと好まざるとに拘らず、多くの人達の前に出ていかざるを得ないのだから。
来年の2月17日、名越氏と、新宿の朝日カルチャーセンターでトークショーを行なう予定だが、その頃名越氏の周辺がどうなっているのかまったく想像もつかない。

最後に読みごたえのある雑誌をひとつ紹介したい。それは゛材料開発ジャーナル゛『バウンダリー』である。
これは゛材料開発ジャーナル゛というように、主に金属やセラミック関係の材質に関する研究報告の専門誌であるが、私のようにまったくの素人ながら多少こうしたことに関心のあるような者でも十分に楽しみながら学べる、きわめて秀逸な雑誌である。
その理由は、何よりこの雑誌の編集長であり、オーナーでもある、小林文武氏のユニークさであろう。そのユニークさの現れのひとつは、物価高の日本から、2年ほど前タイに移住、この地で『バウンダリー』誌を発行されていることにも現れている。
もちろんタイ移住の理由は日本の物価高ばかりではない。以前から、かの地に憧れがあったようだ。
そのため「珪素鋼単結晶およびステンレス鋼板にTiをコーティングしたあと、180°曲げ変形したときのTi膜のクラック」などの専門的写真解説のページのすぐ前に、小林編集長が、タイで食用に子供達が蝉とりをしているところへ行って、生のまま一つ口に入れ、子供達にまで呆れられた話などが載っているし、「子育てと仕事のバウンダリー」とか「SF映画に見る未来社会の提言」その他、これほど理系から文系に至る興味深い記事をうまく配合している雑誌を、私は他に知らない。
この雑誌と出会ったキッカケは、岡安鋼材の岡安一男社長にタングステンの粉末の入手方法をたずねたことだが、好奇心旺盛な小林編集長は、一度私の都内での稽古会にも見学に来られたことがある。
よく、日本が世界に誇る技術力は、町工場で生み出されているというが、雑誌の方も、いわゆる研究書や教科書より、この『バウンダリー』誌の方が格段によく出来ている(おそらくユニークな人材のネットワークも凄いのだろう)。
あらためて小林編集長の柔軟な対応力とセンスのよさに敬意を表したい。
『バウンダリー』誌問い合わせは次のとおり、
横浜市旭区東希望ヶ丘237 FAX045−364−4426

以上1日分/掲載日 平成12年11月1日(水)


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