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1999年1月27日(水)

親友の名越康文氏と京都駅で、植島啓司先生を待ち合わせ、整体協会の京都研修会館へと、花園駅から3人でタクシーで行く(京都駅で待ち合わせをしていた私を、ダンサーの木佐貫邦子さんが遠くから見かけたらしく、後日よろしくとのメッセージが木佐貫さんのお姉さんから届く)。
整体協会、身体教育研究所々長の野口裕之先生と植島先生とは、昨年10月の野口先生の公開講話の時が初対面だが、その時は時間も無く、5分程度しか話合いが出来ず、野口先生も植島先生も、それに我々も残念に思っていたので、この日は大変楽しみだった。

歓談は夕6時頃から始まったが、想像通りというか、想像以上というか、話題は天に登り地に潜るほど自在な展開をみせていた。
当夜は、いつも世話をしてくださる名和さんが風邪気味のため、私が接待役で時々中座したのが心残りだったが、才気の塊のような両先生に、天才的な話術の持ち主の名越氏が加わっていたのだから、当然の成り行きといえば、まさに当然の成り行きだった。

22時半頃、野口先生の許を辞し、大阪に戻ってから、朝まで開いている中華料理店に入り、結局、植島先生と別れたのは、午前3時頃だった。この日はまた、「朝日新聞大阪本社で2日後の29日、゛対論゛の収録をしましょう」という話が突如持ち上がった日でもあった。

1999年1月28日(木)

本日は、京都の中国武術の研究会「周流」に招かれての稽古。大阪から、いつも大阪での稽古会の世話をして下さる野口一也氏の車で行く。中国武術独特の粘りのある人が何人もいて、私も勉強になった。

1999年1月29日(金)

本日は、朝日新聞大阪本社に、植島啓司先生との対談のため出かける。夜は、私が泊めてもらっている名越氏宅で、私がカレーを作ることになっていたので、その材料買出しと手伝いのため、゛作家のタマゴ゛こと多田容子さんを同道。多田さんも5月には、いよいよ時代小説作家としてデビューすることになったようだがら、いまや卵が孵りかけているところ。

朝日新聞の本社に入ったところで植島先生とも会い、今回の対談記事゛対論゛に我々が出ることを企画してくださった、論説委員の石井晃氏とも初対面の挨拶。すぐに対論の用意に入る。

2時間ほどの対談を終え、阪神デパートの前で植島先生と別れ、多田さんと私は、カレーの材料を買い集めに食料品売場をまわる。
私の作るカレーは、コリアンダー、カルダモン、ターメリックなどのスパイスの単品を十種類ほど買い集めてから好みに配合して作るもので、上手く出来ると麻薬のような美味さだが、それほどではなくても、一般のカレーとはとても同じものとは思えないエキゾチックな味で、食物に関しては、ふだんは野菜に納豆や胡麻があればいい、という私の唯一例外的にこだわる料理なのである。

この夜のカレーパーティーの出席者は、私と多田さんの他は、名越氏と昼間対論の世話をして下さった石井氏、それに植島先生を介して知り合った山本さんの5人。カレーの出来はまあまあで、出席者には好評だった。

以上3日分/掲載日 平成11年4月19日


1999年1月30日(土)

久しぶりに四国の多度津で稽古会。例によって守伸二郎氏にはいろいろ世話になった。

1999年1月31日(日)

岸和田での稽古会。この日は朝日新聞の石井晃論説委員が、知人の大学のアメリカンフットボールのコーチの方を同道されたので、その場の思いつきで、タックルの躱し方などを試てみる。
その動きは、前日、四国の稽古会で開発したナンバ走りと、ナンバ走りによる方向転換の動きを応用したもの。
この日初めて、武術をこうした方面に応用してみると面白いかもしれない、という考えが浮かんだ。
この日は稽古会のあと、そのまま新大阪に急いで帰宅。

以上2日分/掲載日 平成11年5月5日


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