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1999年9月1日(水)

今年の8月は今までになく出歩くことが多かった。

14日からはある集まりの講師に呼ばれて、九州の天草に出掛ける。

16日、広島に入る。
その夜は、スペインで開かれる陸上競技の世界選手権にトレーナーとして出向かれる直前の白石宏氏と、岡山の中学の陸上競技の指導をされている小森君美氏、それに白石氏のところのスタッフの方2名の計5名で食事をしながら話す。

17日は中学校の柔道場で柔道部員相手に、参考になればといろいろ試みたが、今までになく伝えたい気持があったのかもどかしさを感じた。
この時、是非見学にと電話をかけてこられた長距離ランナーの松本政大氏に久しぶりに会う。
稽古会の後は、小森氏の車で松本氏を広島市内に送る。その後、岡山まで小森氏と話しながら同乗させていただく(因みに松本氏は29日に行われた北海道マラソンで自己記録を大幅に更新する2時間12分8秒で優勝されたという。一言お祝いを申し上げておきたい)。

そして岡山から新幹線で大阪へ。
森之宮の名越クリニックへ直行し、午後6時頃から12時近くまで話し込む。
久しぶりに会って凄まじいところまで話がいってしまい、何回も深く頷くところがあった。
夜は名越宅へ泊り、翌18日も昼近くまで昨夜の続きで話し込む。

それから新大阪に直行して東京へ。
東京駅から『花椿』のゲラ最終校正のため、銀座の資生堂に行き、担当の林央子さんとしばらく話をして帰る(この時私が校正した『花椿』は9月初旬から中旬にかけて刊行とのことである)。

19日は家に居たが、20日は都内での稽古会。
21日は群馬大学同志会の合宿先である吾妻郡高山村まで行き、夜は古くからの会員で今は高崎市で歯科医院を開いている伊東信明氏のところへ泊る。
22日は高崎市内で多数の鳥骨鶏を飼われているF氏の許に案内されいろいろと珍しい話も伺った。そして夕方近く帰って稽古。
24日は午前中から仙台市民図書館郷土資料室の渡辺課長の許へ伺い、只野真葛(『奥州波奈誌』の著者)についていろいろと伺った。その後午後3時から夜まで稽古。
25日は昼まで稽古し、その後、榊女史の車で炭焼の佐藤光夫・円夫妻のところまで足を伸ばす。

……このようにけっこう長い間家を空けていたため、手紙やらFAXやら、やらねばならないことが山のように溜まっていた。9月1日現在そのうちの何割も片付いていない。

留守中、『身体力を磨け!!』の特集のなかで、私が2つの座談会に出ている『アドバタイジング』(電通)も出たので、その関係の用件も少なくない。この座談会では糸井重里氏をはじめ白石宏氏、金田伸夫氏、南伸坊氏にはお世話になった。そして何より同誌編集長の金原亜紀女史にはひととおりでない御苦労をおかけしたようである。ここで改めて御礼を申し上げたい。

8月の最後の出会いは、かつて『走れコウタロー』で一世を風靡した山本厚太郎氏とで、31日都内のホテルでお会いし、その飾らぬ人柄に好感が持てた。

以上1日分/掲載日 平成11年9月3日(金)


1999年9月9日(木)

夕暮ともなると樹上で鳴く青松虫の声が日毎に大きくなり、吹いてくる風にも秋を感じるようになってきた。そしてそれとともに、私の周囲の景色も変化してきた。

まず発刊が遅れに遅れていた養老孟司先生との共著『自分の頭と身体で考える』(PHP研究所刊)が、一昨日最後に残っていた養老先生の゛まえがき゛が入って、どうやら今月終り頃出る見通しとなった。この"まえがき"のなかで養老先生はユーモアに包みながらも私のことを過分に評して下さり恐縮した。

このところ少しせきたてられる原稿も一区切りついているが、現在3件入っている単行本の企画の準備もしなければならないし、手紙も色々たまっている。しかし何より私の部屋からはみ出して道場の3分の1を占拠している書類の片付けをしなければならないので、数日前からその片付けを始めた。

そして片付けをしながら、先日徳間書店のN氏からいただいた『もののけ姫はいかにして生まれたか』の3巻セットのビデオを観る。
『もののけ姫』そのものは、最初映画館で観た時のインパクトがあまりにも強烈だったからビデオは買ったものの1度通して観た以外は部分的に2、3回観た程度だったが、このメイキングビデオは宮崎駿監督の人間性がよく伝わってきて非常に興味深く、思わず再度見続けてしまう(おかげで片付けには重大な支障をきたしてしまった)。

決して安易なプラス思考的希望を述べられてはいないにもかかわらず、この、人を魅きつけてやまない魅力とは何なのか。あらためて宮崎駿という人物について考え込んでしまった。
そしてビデオを観るほどに御目に掛りたいという思いが募り、以前から宮崎監督のアトリエ二馬力の裏の、栃の大木の葉が落ちないうちにまた伺わせて下さい、と手紙を出しておいたので思い立って電話をしてみる。宮崎監督は二馬力には在られずスタジオジブリにいらっしゃるとのことで、そちらへ再度かけ直し10分間ほど宮崎監督とお話しすることが出来た。

「栃の葉が落ちないうちに…」と私が伺いたい旨を話しはじめると、栃の木は東京の暑さでは辛そうだというところから、信州の方へ持っていって苗から育てたい、などというお話が始まり、しばらくは木々の話がとまらなかった。
そして私が伺うことに関しては、何でも近々渡米され、ほぼ今月一杯あちらとのことで、10月に入ったらあらためて日程を検討していただけることになった。
10月に入ればY2K問題の最大の焦点である2000年の元日まで90日をきることになり、世間も騒然としはじめているかもしれないが、宮崎駿監督とお会いする計画だけは是非実現することを願っている。

以上1日分/掲載日 平成11年9月11日(土)


1999年9月13日(月)

昨日12日は、坂本龍一氏からの御招待で日本武道館にオペラ゛LIFE゛を観に行った。
数百人の出演者と大掛かりな舞台装置、そして満員の観客をも舞台装置のひとつとしてしまう演出。
巨費を投じて作られたであろうこの作品が我々に語りかけたなかで、最も私の印象に残った言葉は゛救済はないということを発見することが救済なのです゛というものであった(多少文字は違ったかもしれないが)。

この20世紀の百年の間、人間は有史以来さまざまな面で自らの周囲を激変させ、そのためにかつては夢物語であったことも叶った代わりに、自らの種の存続さえ危うくするほどの環境破壊も行なってきた。
いったい人間は、そして私自身は何をしたらいいのか。2年前、映画『もののけ姫』を観て以来、どうしようもなく切なく、私自身のなかで湧き上ってくる何も正解が出ない問いを、あらためて突きつけられた思いがした。

オペラ終了後、招かれて楽屋で坂本氏と会い挨拶を交わしていると、半分は日常に戻る。
つまり「凄かったです」とか「よかったです」といった言葉が出そうになるのだが(実際、言ったかもしれない)、もう半分は、゛それでいったい、どうするんだ、これから゛と、やり場のない苦しさが込み上げてきていた。

そんな思いに苛まされて家に帰ってくると、武道関係の雑誌などに「正しい基本を身につけよう」などと書いてあるのが、以前より一層腹立たしくなってくる。
自然界の働きを正しく解明しようとして発達してきた科学は、地道な研究の積み重ねで凄まじい環境破壊をしながら、もはや後戻りのきかない状態に我々を連れてきた。
以前から私は、゛正しい゛という言葉にアレルギー反応を示していたが、最近はより一層その度合いが強くなったように思う。
このままでは、私の身と心は段々と引き裂かれそうになってしまうので、今私が取り組もうとしているプロジェクトに、何とか私なりの歩む道を見つけたいと思っている。

以上1日分/掲載日 平成11年9月21日(火)


1999年9月23日(木)

養老孟司先生との共著『自分の頭と身体で考える』が刊行した。
14日に見本が出来てきて、あと1万部を越える初版1刷が仕上がってきたのが20日。早いところでは21日に店頭に出たらしい。
この、本が売れない時節に初版で1万部以上とはずいぶん思いきった決断だと私は思ったが、私に限らず他の出版関係の方々も驚かれていたから、今回の版元PHP研究所はひとつの賭けを試みたのかもしれない。
もっとも何の成算もなくそのような賭けに出る筈がないから、現在の本の売れ行きが底を打った社会情勢でも、養老先生の本というのは根強い人気があり、広い範囲の購買層をもっているのだろう。
私もその養老人気のあやかりで同じ舟に乗せていただいたのは有難いことである。

今回の本は養老先生の舌鋒が、いままで以上に鋭く辛辣で、一昔前なら編集サイドから「ここは削っていただきたい」という注文が数十ヶ所にわたって入りそうであったが、最近の次第に緊迫してきた社会状況のためか、そうした注文がほとんどなく、辛辣な語り口の多くが世に出たので、場合によっては一波乱あって私も巻き込まれてしまうかもしれない。
もっとも、もしそうなったとしても、私は私で率直に私の思うところを述べたいと思っている。

以上1日分/掲載日 平成11年9月29日(水)


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