2004年3月1日(月)
先週あたりから日々走り続けている生活は、もはや止まらない状況である。書くべきことはあまりに多いが、それらを書いている暇もない。ただ最近は、この随感録の間があくと、いろいろと心配して下さる方が多いので、取り敢えず28日から東北へ来ていて、技の発見が少なからずあることだけ御報告しておきたい。
そのなかでも興味深かったのは切込入身で、相手の腕との接点がひっかからないように、ただこちらの腕がこすって通り過ぎるだけという状況にしておいて、体を沈ませつつ自分自身にも気づかせぬように腕と体幹との角度を変える事で自然と腕の向きを変え、結果として相手を切り落とすというもの。この働きを検討しているうち、よく拭き込んだ丈夫なガラスの壁を、気づかずにぶつかった老婆がブチ抜いてしまうという話を思い出して、人間の動きというのは、物理的な身体の動きと心理面が全く密接な関係にあるという事をあらためて実感した。
それにしても我ながらよく身体がもつと思う。
以上1日分/掲載日 平成16年3月1日(月)
2004年3月4日(木)
ここのところ、ずっと体調がおもわしくなく息をしても息が深く入ってこない感じが続いていた。何しろ気になる事、やらなければならない事が、もうどの位あるのかおぼろげにしか把握出来ていない状態で、寝ても眠りが浅かったからである。
そこで約1年前に体をこわした時に行なった焼塩で尾骨を温める方法を、昨夜約10ヶ月ぶりに行なう。そのお陰で久しぶりに熟睡。体調も良いとはいえないが並の下ぐらいには戻った。
しかし、これからずっと出かけたり、人が来たり、で今月は予定がビッシリ詰まっている。3月は再々この焼塩のお世話になりそうだ。しかし、この方法は薬を使わず、極めて有効に眠りを深めることが出来るので、ここに概略を紹介し、関心のある方々のお役に立てて頂きたいと思う。
使う塩は必ずニガリを含む天然塩。これを200gほど土鍋等でゆっくりと熱する。初めは絶えずしゃもじで掻き回しながら面倒を見る。ある程度水分が無くなると掻き回すのは時々で済む。強火でやると時間は短くなるが、芯まで熱せられない感じがするので、私は約1時間以上ストーブの上で熱している。
十分に熱せられたら、これを和紙に包み、更にその上を木綿の布で包み、尾骨の上に火傷をしない程度に接触させる。本来は、よく気の利く人にやってもらうと良いが、なかなか適当な熱さ、適当な時間、そうした事が出来る人を得るのは難しいので、私は敷布団の上にこれを置き、そこに仰向けに寝て、尾骨を乗せ、適当な熱さを適当な時間、尾骨に当てている。
塩が次第に冷めてくるので、その時は布を外し、和紙に直接尾骨を当てるようにする。私の経験では約20分くらいは温め続ける事が出来る。
なお、1回使用した塩は再利用出来ないので念のため・・。
この方法は日本に古くから伝わる民間療法の1つだが、私は整体協会の野口裕之先生から詳しいやり方を教わって、その効果を実感した。
この他、ここに書きたい事は沢山あるが、今日ももう時間がないので、つい最近PHP文庫から、私が初めて出した単行本『表の体育・裏の体育』が文庫本として刊行された事と、NHKの人間講座の私の技の解説がDVDで付いている『古の武術を知れば動きが変わる カラダが変わる』(何と長いタイトルだろう。これでは注文時に混乱が起こりそうだ)というムック本(MCプレス刊)が、もう間もなく刊行される事をお知らせいておきたい。
今回の新刊がもし話題になるとしたら、『表の体育・裏の体育』は、解説を今話題の経営コンサルタント神田昌典氏が書いて下さった事が大きいと思う。また、『古の武術を知れば・・』は、一緒に付いているDVDの中に、NHK教育テレビ放映時は時間の関係で割愛せざるを得なかった未公開映像がいくつか収録されており、私の動きに深い関心をもって下さっている方には参考になる点もあると思う。
以上1日分/掲載日 平成16年3月5日(金)
2004年3月5日(金)
体調を上中(並)下に分けるとすると、今日の私の体調は昨日の「並の下」を下まわって「下の上」ぐらいだったが、MCプレスの小畑社長が中村編集長らと『古の武術を知れば動きが変わる カラダが変わる』の刊行の挨拶にみえられたので、帰られる際お土産がわりにと私の技を体験して頂いた。
空手を嗜まれていたとの事で、私の突きに鋭く反応されたので、「これはちょっと、ちゃんとやらねば」と思った次の瞬間、突然に今までの私の動きのなかにあった無駄に気がついた。「何という事だ。こんな無駄な手続きをしていたとは・・」と思って、その無駄を無くすようにして出した手に、今度は小畑社長も殆ど反応出来ず、しきりに感心されていたが、実は私の方がもっと驚いていた。
そして、この驚きが一時的なものでなかった事は、その後数時間でちょっとこれまでにない進展があった事で確信できた。というのは、今夜来客の予定があり、その方が私の技を受けてみたいという事だったので、その方の相手役として、又私の技の受としてビデオや本でも私の受を取ってもらっている筑波大学の高橋氏を招いていたのであるが、夕方、今夜来館される筈だった方から足を怪我して歩くのも大変との事で、「申し訳ありませんが、これから病院に行くので今夜は伺えません」との電話が入ったのである。
すぐ今夜の稽古はなくなった旨、高橋氏に電話を入れたが、もうこちらに向かって車で走っているとの事で、そのまま来てもらう事にした。高橋氏を道場に迎え、せっかく来てもらったからと、先ほどの気づきの話をし、いろいろと新たに気づいた私の技を体験してもらった。
切込入身、浪之下、捧げ持崩し、小手返、櫓潰し、直入身、体当たり、太刀取り、剣術の打ち落とし、影抜、杖の持ち技から手裏剣術に至るまで行なったが、それらの全てが今までとは異質の利き方なのである。
私より遥かに大きな高橋氏の崩れ方が、この間までとはまるで違う。なにぶん私の技を本格的に受けたのが高橋氏1人だから、どの程度変わったのかは定かではないが、私の印象としては数時間の間にここまで技が変わったのは、ちょっと記憶にない気がする。
結局、何が変わったのか、何に気づいたのかというと、言葉にするとひどく抽象的だが、今まではタメをなくそう、気配を消そう、起こりをなくそうとしていた、そういう心のタメがあったのだという事に気づいて、そういう思慮が働かないうちに、ちょうどよく拭き込んだガラスが見えなくて、何もないと思った老婆がこれをブチ抜くように、無住心剣術の伝書『中集』にある「高山大河もないと思えばないのと同じ」という感じで、思慮分別を働かさず捉われを捨てて、とにかく滞らずスッと通り抜けるように手も体も使うようにしたのである。要はそれだけである。
ただ、その滞らずに動くという事が出来るためには、身体の歪み、捻れをとっておかねばならないが、とにかく「サッ」と相手にかかずらわずに動くという事である。これは又、『願立剣術物語』の21段目にいう「たとえば上より強くもの撃ちひしがんと落ちかかるを押し退かんとかせぎ、うけ留めんと敵に取りつき、我が剣体を崩し、却って一ひしぎに成るべし。重き物落ちかかるとも他をかせぐことなくただそのまま剣体我独り立ちあがれば重きも独り落ち我も独り行く道也」という事であろうか。
それにしても体調が良くなくて動くのも億劫な状態だったから、こうした技が生まれたのだろうか。まったく自分の体なのかどうかも疑わしいほど持ち主(と思い込んでいるだけかもしれないが)の気持ちにお構いなく身体の方は不調になったり、いろいろ技を進展させたり「まったく、ついていく気持ちの身にもなってくれ」と文句を言いたいような、「ありがたいことだ」と感謝したいような何とも複雑な思いである。
以上1日分/掲載日 平成16年3月7日(日)
2004年3月11日(木)
現在の私を取り巻く尋常ならざる状況は小説でも説得力を失うほど、と以前書いたが、昨日の夕方から山ノ上ホテルに一泊して、晶文社の内田樹先生との本づくりのための進行やテープ録りを行なって帰ってきたのだが、その間、つまり今日、宅配便や郵便で届いた品々の豪華さは、ちょっと記憶にないほどであった。
まず、黒鉄会の朝吹女史からの宅急便を開けると、昆虫写真家として著名な今森光彦氏の目を奪うほど鮮やかな写真集2冊、更に水越武氏の『森の旅』、宮崎学氏の『死』といった見事な写真集が計4冊。もう一つの同じような大きさの包みは、先月末に黒磯の板室温泉で対談した漫画家の井上雄彦氏からのもので、開けてみると『リアル』3冊、スラムダンクのイラストを集めた『INOUE TAKEHIKO ILLUSTRATIONS』、『バガボンド』の18巻目に私への献本としてのサインが入ったもの。そして、それに添えられた礼状には、先日MCプレスから刊行されたものを私から井上氏に献本した事に対する礼もあったが、それよりも先日の対談(2月24日から25日にかけて)で希望が持てた事、「お会いできたことに感謝感謝です」といった事が、いかにも井上氏の真摯なお人柄が伝わってくるような文面で丁重に綴られていた。
井上氏との対談本は4月中には形になる予定だが、この本がどのような状況を世の中につくり出すかは全く想像が及ばない。というのも、今月の6、7日と続けて全国大学体育連合関東支部と大学体育養生学研究会の共催によるフォーラムに講師として招かれ、合わせて100人以上にはなったかと思う大学の体育指導者の方々の前で、動きの実演と解説を行ない、私が想像していたよりも遥かに大きな関心を持って頂いたからである。
又、6日に東京女子大で開かれたフォーラムには、このフォーラムへのお声掛けを頂いた新体道の青木宏之先生とも久しぶりに長時間お会い出来たし、直接私を招くことで尽力された横沢喜久子東京女子大教授や、翌日の7日、東京大学駒場キャンパスでのフォーラムでは中心となって動かれた跡見順子東大教授とも、かなり突っ込んだところまでお話しする事が出来、体育の在りよう、考え方に対して新しい見方を世に問う形が醸成されつつある空気を肌で感じたからである。
その上、7日の夜行なった千代田での動きの実演解説の会の後、スポーツトレーナーの方から、ある大変著名なスポーツ選手を連れて是非伺いたい旨の要請も頂いた。
また今日届いた郵便物の中には、7日の東大でのフォーラムの際助手として入ってもらった弘前の小山氏から、江戸期や明治の頃の歩き方に関する貴重な資料の数々があった。更に、岡山の韓氏意拳の後継者である光岡英稔師と私との対談原稿をまとめてもらっている福島の鹿間氏からは、先日送った光岡師と私との会話テープをうまく対談にまとめたものが送られてきていて、今夜は早寝を、と思いつつ、結局3時になってしまいそうだ。それにしても鹿間氏はこうした事はまったく初めてだというが、氏のライター兼編集者としての能力の高さには感服した。プロのライターでもこれほどの人は滅多にいない。出会いの縁を深く感謝している。
この他、今日(11日)は久しぶりに神田で長年の武友である岩波の小用茂夫氏と会って話す。以前は近くに来た時、何気なく会って話したものだが、今日はその事が何だかとても貴重に思えた。その理由のひとつは、前夜山ノ上ホテルで同宿だった大阪の精神科医、名越康文氏がこの日4月からのテレビの新番組出演のための録画の初日にあたり、その様子から大ブレイクの予感がしたからかもしれない。身近にごく親しく接してきた人が広く世間に顔が知れ渡ってしまうという事は、お祝いしたい気分もあるが、同時に何かせつない思いもする。ただ稀有な才能を持った名越氏のユニークさを我々仲間うちだけで味わうのも些か気がひけていたから、これはこれでいいのかもしれない。
これに関連して、文庫化の遅れているカルメン・マキ、名越康文、甲野善紀共著『スプリット』は、新曜社で刊行5年目にして2刷に入ることになった。
今まではごく1部の書店でしか入手出来なかったが、2刷が出来たら或る程度多くの書店に並ぶだろうし、名越氏のブレイク度によっては広く一般書店に置かれることになると思う。
以上1日分/掲載日 平成16年3月13日(土)
2004年3月14日(日)
台風の後の濁流のように時間が過ぎていく。昨日は今月に入って初めて道場で何人かの人と稽古をしたが、こんな稽古も恐らく今月はもう出来ないだろう。稽古といっても引越し直後の場所でやっているように、道場はとてもそんな場所に見えない悲惨な状態。とにかく「事前の用意」などという時間が今の私には殆どないのだ。その上、毎日いろいろなものが届く。
この日も本来なら稽古時間などある筈もなかったのだが、無理にでもやらないと道場では全く稽古がなくなるので、無理やり予定を喰い込ませた。この日一番の気づきは、最近太刀取りで工夫している歩法。前に踏み出した足裏に体重を預けきらぬうちに後足も前に運び、その時の体重の処理によって体を捌くもので、八卦掌のH先生の歩法が参考になっているような気がするが(確かにそうに違いないと思うのだが)、その後、フト98年の夏から秋にかけて、しきりに「腰の下には脚がない」という事を言っていた動きと術理的には重なっていた事を思い出した。
これは足裏の垂直離陸がやはりH先生の八卦掌の歩法、平起平落が大きなヒントになったのだが、その後この足づかいが抜刀の際の足づかいそのものだった事に気づいた事と同じような展開となっている事に気づき、「なんだ、そうだったのか」と思わず心中で声をあげてしまった。つまり、元々私のなかで手探り足探りで考えていたので、H先生の動きに強く惹きつけられたのだと思う。しかし、H先生との出会いがなければ、この先何年も、あるいはずっとこの事は顕在化しなかったかもしれず、H先生との出会いの縁には心から感謝している。この足づかいにより、相手への間の詰め方、くっつき方、そして切込みの威力等が2時間くらいのうちに何れも向上した。
しかし、何よりも時間がない。稽古を無理やり終え、アタフタと二子玉川の身体教育研究所へ。例によって名越氏らと野口裕之先生の許へ伺う。この日、約1ヶ月ぶりに野口先生に身体を観て頂いたが、最近の私の体調の不全の訴えを微笑を含んで聞かれていながら、終わって「いや、なかなかいい方向に向かわれているようで・・・」と、ちょっといたずらっ子のような笑顔と共に感想をもらされただけだった。こういう時の野口先生の雰囲気は本当に粋で、あらためてこの人物の器量に感嘆した。
そして今日は名古屋での稽古会。捧げ持ちの切込みで、切り込むその先の邪魔にならないところに体がいるところの意味を突然悟る。また、切込入身では足裏に体が乗らないところから斬り込むからこそ居ついていない体重を使える事と、同じくこの足の浮きを使っていると、対突きの払いが速やかになるが、これは普通に立っていると直立の安定を保とうとしつつ払いをかけようとするので、どうしてもバランス維持に時間を使ってしまっていた事に気づいた。この他、介護の長座からの立たせ方、幼な子を抱く時、腰や肩に疲れがこないような腕の使い方(これはどうやらピアノを弾く時にも使えそうだ)などなど、いろいろと収穫があった。
今回の会の世話をして頂いた山口潤氏と、そのスタッフの方々にあらためて感謝の意を表したい。
以上1日分/掲載日 平成16年3月16日(火)
2004年3月20日(土)
ここ数日は生活のサイクルが全く今までと違っている。17日は市ヶ谷のアーク・コミュニケーションズへ行き、井上雄彦氏との対談原稿に目を通し始める。しかし、途中でアークを抜けて急に決まった俳優の浅野忠信氏への剣技指導に和可菜へ行く。ここは昨年夏、NHKの仕事でしばらく籠ったところ。その後、アークの近くのいつもの旅館で原稿を読みを始める。
翌18日も読みに読んで赤入れ。午後2時近く、新潮社の足立女史の迎えで新潮社の別宅ともいえる建物へ。ここで田中聡氏と3人で本づくりの最後の打ち合わせ。終わって又1件、私が原稿を頼んでいるアスカ・エフ・プロダクツへ。ここへは初めてだが、なんと前日の夜にいた和可菜と目と鼻の先であった。今回は移動した所すべてが直線距離で数百メートルしか離れていないので楽だった。
帰ってから、少し食料品を買いに出て以後、午前1時まで旅館でひたすら又赤入れをする。それをアークの神崎氏に渡してから寝て、19日朝、残りの赤入れをしてから9時頃慌しく横浜のスタジオへ。ここで終日浅野氏の撮影に付き合い、深夜帰宅。途中あまり疲れたので、最寄駅に着くための乗り換え前に降りてタクシーをさがしたが、これがなくて夜道を2キロ以上歩くはめに・・。まあ、こうした税金を払っておかないと、もっといろいろ起こりそうなので後悔はしなかったが、それにしてもいろいろある。
撮影自体は浅野氏の人柄に引っ張られ、又教えながら私自身の稽古にもなったし、帰阪する前の名越氏に寄ってもらったりしたので、11時間も忽ち過ぎた感じだったが、こうした制作会社も様子を見ていると、あちらに気を使いこちらに気を使い大変だ。
最近はいくつもの出版社とも付き合っているが、各社それぞれのカラーがあって面白い。しかし、社によって制作コストを極端に抑えているとことがあって、よく働いてくれる制作スタッフが僅か数千円の制作に必要な出金さえ辛そうにしているのは見ていても気の毒だ。別に私が払っても一向に差し支えないのだが、そうする訳にもいかないらしい。しかし、その窮状を見るに忍びないので私がかけ持ちで仕事をしている別会社にその経費を払って貰えるよう算段したが、著者にこんな気を遣わせる出版社との付き合いは今後考えてしまう。
今日はこれから黒鉄会へ。そして明日からは又アークの仕事がある。
以上1日分/掲載日 平成16年3月21日(日)
2004年3月21日(日)
昨日は午後3時から夜の12時頃まで黒鉄会の講座で講師を務め、その後の打ち上げで時の経つのも忘れた。黒鉄会のメンバーについては想像はしていたが、こんなにも有能でユニークな人達が、よくこれだけ集まったものだとホトホト感心した。しかも日常は、企業や大学で研究している人達も少なくないようだから、よけい驚く。
人が学ぶこと、そして生き甲斐を感じ、新しい発想を得て仕事にも役立てること、そうした、人間が生きていく上できわめて重要な事がこんなにも自然な形でひとつのサークルとなって現実にあるという事は本当に驚くべきことであり、出会いにあらためて深く感謝した。
何しろ講座の打ち上げといえば飲んで食べてが普通だが、そこでフリークライミングの練習会が始まっていて、自然と身体技術の鍛錬ともなっているところが如何にも黒鉄会らしい。これも砂鉄製鉄という凡そ日常生活とは直結しない事を一心にやり続けている黒鉄会ならばこそだろう。そして、そうした作業をするには頭も使い、体も使い、それを楽しむ、という精神が不可欠であり、これは今後の教育を考える上で非常に興味深いモデルケースと言えそうである。黒鉄会で育ったような若者こそ、気負うことなく結果としてこれからの日本を変えていくように思う。
それにしても、このユニークな会を引っ張っていく朝吹美恵子女史のエネルギーにはあらためて感服の他はない。朝吹女史は、私が今までに会った何人かの「事実は小説より奇なり」を文字通り体現している稀人の御一人である。
黒鉄会の方々の今後の一層の御活躍を心から祈りたい。
そして今日は又、井上雄彦氏との対談本の校正で旅館に籠っている。明日は、ここから数ヶ月ぶりの朝日カルチャーセンター新宿へ行く予定。そして又この旅館に帰ることになりそうだ。一体この先どんな生活になるのか、まるで見当がつかない。
以上1日分/掲載日 平成16年3月22日(月)
2004年3月23日(火)
21日から2泊3日のぶっ通しで市ヶ谷の旅館に籠り、4月下旬に宝島社から出る予定の井上雄彦氏との対談本の初校ゲラの赤入れを行なう。途中、22日の夕方に朝日カルチャーセンターの講座に行ったが、赤入れに夢中になっていてギリギリで駆けつけ、又終わってすぐ旅館に戻る。
はじめは大した事はないと思っていたが、赤入れを始めると結構手間取ってしまい、結局すべて終わったのは今日の夕方近かった。終わってアークの神埼氏に原稿を渡し、PHPの大久保氏に1月にテープ録りしたもののテープ起こしのラフを持ってきてもらいザッと目を通してから、大久保氏と市ヶ谷駅近くの喫茶店で一息つく。
広い窓から咲き始めた桜を見ながら、こんな風に喫茶店で一息ついたことなど、ついぞなかったと思った。つまり今までは誰かと話をするとか食事をするとか、常に何か目的があって喫茶店に入っていたのだが、今回のようにずっと穴蔵のような旅館に籠ってひたすら活字と向き合い、食事に出ることもなく(食事は旅館のストーブで湯を沸かし、山形の菊地氏から送って頂いた炒り玄米を湯で練ってスリ胡麻を加えたものと、アシタバ等をザッと湯にくぐらせたもの、それと生の大根、人参、そして納豆に果物で3日間済ませていた)過ごしていたせいか、何かこの世に生きている感覚が薄れてきていたので、それを我に返らせるため喫茶店の椅子でしばらく呆然としていたのである。
もちろん、はじめに書いたように、22日の夕方は朝日カルチャーセンターの講座で5時間近く旅館を抜けたのだが、おかしな事にその記憶はずっと遠いものになっている。もちろん講座での内容は記憶している。サッカーで走り抜けるのを止めに来た相手の腕にフワリと乗って駆け抜けてゆく技を何人かの人に実演したところ、ある人に「まるで手乗り文鳥のような軽さですね」と言われ、譬えが奇抜だっただけに思わず笑ってしまった事。野球の走塁でタッチされそうになった瞬間、太刀奪りの要領でぬけること、長坐で床に座っている人を、釣瓶の原理で立ち上がらせる実演を何人もやっているうち、貧血状態で倒れかけたこと(多分、誰にも気づかれなかったと思うが、この時は「やはり疲れているんだなあ」と実感した。)しかし、どう考えても記憶はかなり確かなのだが、実感として遠いのである。
明日は港区の会。26日は夜に山形に入って27日は介護法の講座。そして、それ以外にも私的な講座やオブザーバー的な用件もあって3月は終わるが、4月に入るとこの月は今まで経験したことのない事が次々と起こりそうで、もう全くその先の見当がつかない。
以上1日分/掲載日 平成16年3月24日(水)
2004年3月24日(水)
昨夜、家に帰りついてから、又テープを早送りしているような日々が始まる。というか、水漏れのひどい風呂桶に水を入れているように時間がどんどん逃げてゆくのである。今日の田町での会の前に、出来れば1ヵ所寄ってから行きたいと思っていたのだが、やらねばならない事があまりにも多く、気がつくと寄るどころか普通に仕度していたら田町に間に合う状態ではなくなっている。大慌てで殆ど稽古着姿で電車に飛び乗る。
田町の会では6年前くらい前に考えていた「大円の原理」の改造型の動きに気づく。これは1人の参加者からギヤの組み合わせの話が出た事がキッカケ。要するにバットの太い方と細い方を掴んで回し合いをすると、力が弱くても太い方を持った方が断然有利という理合の応用。
帰宅途中、福島大学の白石先生から電話が入り、バスケットボールのH選手に動きを教えてあげて欲しいとの事。すぐH選手からも電話があり、結局25日の夜来てもらうことにした。
こんな時、思わず手が止まるのは思いがけない郵便物である。井上雄彦氏からは手紙が添えられた『バガボンド』の新刊、平野早矢香選手からは卓球の世界選手権で団体3位になったという葉書、来月中旬九州で行なう自然農の川口由一氏との対談に関する資料を村山氏が送って下さったもの(これには実に丁寧に私の本が各所に引用されている)などを読んでいる間だけは、暫し時を忘れた。
以上1日分/掲載日 平成16年3月27日(土)
2004年3月26日(金)
昨日もかろうじて句読点があったのかどうかというような1日。久しぶりに桑田氏と電話で話をし手紙も書くが、たまっている返事が必要な手紙のうち書けるのは1割以下。誠に申し訳ないと思うがどうにもならない。この先、この事態が一層ひどくなるかと思うと、これはとても憂鬱だ。片付け、打ち合わせの電話等で忽ち夜になる。
バスケットボールのH選手来館。横への移動の際の速やかな移動法、ぶつかると見せての体の躱し方など熱心な質問に、その場で思いついた動きを説明したが、自分でも話しながら「なるほど」と思った甲斐があってか、H選手もある程度出来るようになり笑顔が見られた。日本を代表する選手の1人となると、いろいろとプレッシャーもあるのだろうが、目の前の課題と一生懸命向き合おうとする姿勢には好感が持てた。
深夜は福岡の自然農の村山氏から先日の講座に関する長文の感想が届いた。黒鉄会の朝吹女史と電話。時間の無いなか、背に腹は変えられず、手は片付けをしていたから、まあやることはやっていると自分に言い訳をしていたが、ついつい話が尽きず、又かなり時間を引っ張ってしまった。
今日もいろいろやって、ある制作会社との打ち合わせをしつつ、東京駅に向かい、山形新幹線の高畠に止まる最後の"つばさ"でDSSF入りの予定。
以上1日分/掲載日 平成16年3月27日(土)
2004年3月29日(月)
26日の夜、山形県の高畠のDSSFへ。27日は特別養護老人ホーム"はとみね荘"で職員対象の講習会。28日は初めて東北で韓氏意拳の講習会をDSSFで開くことになった光岡英稔師の紹介を行ない、今日、光岡師と東京まで"つばさ"で御一緒し、羽田まで見送る。いくつか貴重な気づきが得られたことに、あらためて深く感謝したい。また今回も藤井優監督、足立、栗田の両女史はじめ、小関氏などにすっかりお世話になった。いつもの事とはいえ、御厚情にはお礼の言葉も見当たらない。
羽田から出版制作会社のアークにまわって、井上雄彦氏との対談本の再校ゲラを受け取ろうと秋葉原で乗り換え、何気なく車内吊り広告を見る。Yuuka, Ryoko Shinoharaといった人気タレントがスクーターに乗っている写真。「優香、篠原涼子か・・、そういえば名越氏の番組のスタッフと同じだな」と思って、あらためて一体何の広告かなと見直して思わず背筋がこわばった。何と4月3日から始まる名越氏が主役の「グータン」そのものの広告なのである。今まで車内吊り広告を見て驚いたことも何度かはあった気がするが、背筋がこわばるほどの事は今日が初めてである。
名越氏とは格別親しいとはいえ、直接この番組には何もタッチしていない私でさえこれほど緊張するのだから、本人の心中はいかばかりかと思う。それにしても渦中の人となるであろうこの人物が出している本が、カルメン・マキさんと私との共著『スプリット』1冊というのも何か因縁めいた気がする。
精神科医としては傑出していても、知名度としては殆ど無名の人がいきなりメジャーになる…。全く世の中は何が起こるか分からない。
以上1日分/掲載日 平成16年3月30日(火)