2010年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 2001年 2005年 2009年 2013年 2002年 2006年 2010年 2014年 2003年 2007年 2011年 2016年 2004年 2008年 2012年 |
私の家の周辺と道場の屋根の上に枝を広げている桜が満開になると同時に、一昨日の4月2日、ついに庭の孟宗竹の筍(竹の子)が、いくつもその先端をのぞかせ始めてきた。
二十数年ほど前、庭の片隅に、今はマンションが建っている場所にあった竹林の生き残りが数十年かけてここまで来たのかと感動したが、そのまま対策を怠っていた為、竹の根は自宅の縁の下にまで入り込み、昨年は遂に床下から伸びてきた筍のために畳が持ち上げられてしまった。
昨日3日に初めて10本近くの筍を掘ったが、今年は床下に何本も伸びてきそうである。その対策を思うと気も重いが、現在の政治の迷走ぶりを見ると、もっと気分は重くなる。昭和の十年代、日本は打つ手打つ手が食い違い、米国と日本の間の書簡は誤訳が多く、当時のアメリカ大使もひどい英語であったため、意志の疎通に問題が数々あったというが、なんだか現在の政界を見ていると、似たようなところがあるような気がしてならない。
農薬問題などを考えても、行政がアテにならない事はすでに散々体験してきているが、最近の神経質なまでの禁煙、分煙の世の流れを見ていると、本当にチグハグな気がする。例えば。ゴルフ場の大量の除草剤使用による水源の汚染など、一部のスポーツのための環境破壊など決して許すべきではないと思うのだが、政財界人にゴルフ愛好家が多いこともあって、このゴルフ場の農薬禁止はいまのところ難しそうである。しかし、その害はゴルファーにも及んでいる筈だから、是非本気で考えてもらいたいと思う。
とにかく我々に出来ることは少しずつでも人々の意識を変えることしかない。そういう事もあって、森田真生氏と「この日の学校」をやっているのだが、今月の25日は森田氏が一人で数学の演奏会を大阪で行なう。詳しくは私の告知板を御覧頂きたい。
気分が重くなるような事が多いなかで、技の進展というか身体の不思議さ、手指と体全体の関係など、いままで想像もしていなかったような事に気づかされることが多いのは、ひとつの救いである。
スポンジを指の付け根と指先に挟むのとでは、体の感覚がまるで違うなどという事は、やってみるまでまったく気づかなかった。この手の指でスポンジを掴んで動くというのは、私の四国の稽古会の世話人である守氏の気づきだが、そこからいま色々工夫してみると、技を受ける人もその奇妙な変化に首を傾げながらも笑い出してしまったりする。
とにかく身体というのは各部が微妙に関連し合い、まだまだ未発見の事が沢山ありそうである。それらを感覚で統御していくのだが、その感覚がまだ騙されやすいのだから、その道を追求していくことの困難さは一通りではない。ただ、それだけに興味深く、この道を追求していくことの面白さが分かれば、日常の中で同好の士と技の探究をすることが、金のかかるスポーツやレジャーをやるよりもずっと興味深く、いろいろな役にも立つと思う。
そうした身体の使い方の探究の御参考に、御関心のある方は4月9日の池袋、10日の大阪、11日の奈良、13日の読売文化センター自由が丘、15日の綾瀬の講座や稽古会にお越し下さい。
本日、いまやすっかり『我が家にミツバチがやって来た』の著者、久志富士男先生の一番弟子になった観のある佐世保の野元氏から、野元氏の所で預かっている久志先生のニホンミツバチの巣箱の一つが分蜂し、新しい群れが出来つつあるとの報告の電話があった。
それによれば、その分蜂の際、久志先生の著書にあったように、その分蜂で釣り鐘を逆さにしたような形に群れたニホンミツバチの塊の中に、野元家で最もミツバチに関心を持っている三女で小学3年生のお嬢さんが、手を入れようが顔を触れようが全く刺されないとの事で、その情景をビデオ撮影したとの事。
ニホンミツバチは知能が高く、よく人を識別するというが、野元氏は、その事を日々実感しつつあるようだ。
このニホンミツバチに関しては、4月20日に銀座で久志富士男先生を迎えた講演会がありますから、御関心のある方は是非どうぞ。
それからもう一つニホンミツバチに関連してのお知らせがあります。
宛先はこちら http://mitsubachi.digi2.jp/
140字程度でお願いします。
例
以上2日分/掲載日 平成22年4月6日(火)
大阪の桜は、かなり散っていたが、奈良、柳生の里は散り始めてはいても、まだかなりの桜が見られる状態だった。
7日に、"太刀奪りの体"を"切込入身"や"斬り落とし"その他に応用することに気づき(これは先月の29日、名古屋の米田柔整専門学校の柔道場で、何か技を仕掛けられた時の返し技に、この"太刀奪りの体"を応用することに気づいた事からの展開である)、8日は30数年来の武友である伊藤氏と稽古して、"斜め"ということの意味をいままでにない感慨をもって自覚した。そして、その時、私と共に「この日の学校」の講師をしている森田真生氏が、「微分なども、ある時『ああ、微分というのはこういう事だったのか、なるほどなぁ、いままで本当に分かっていなかったなぁ』と思って、またその後、『ああ、微分の意味はこうだったのか、いままで分かっていたつもりだったけれど、理解が浅かったなあ』と思って納得し、その後また『なんだ、微分とはこういう事だったのか…』というふうに螺旋状に理解が深まっていくものなのです」と語っていた事が、私自身「なるほどなぁ」と大変納得がいった。
「斜め」という事の意味、そしてこれに関連した「斬る」という事の実感も、いままで「斧と鋸の働きが合わさったもの」、つまり「結果として斜めになるから有効なんだ」とか、その他いろいろ感じ、気づいてきた事は何度もあるが、もっと鮮やかに、まるでカミソリで皮膚の表面の毛を「ゾリッ」と剃られるような実感をもって、「斜めに力を使うから有効なのだ、だから斬りなのだ」と思った事はなかった。
「太刀奪り」という、蹴って動いてはいけないという武術の動きが最も端的に表われている場面で、このような気づきを得られた事は、私にとって他の何ものにも代えがたい有難さがある。
そして、9日の池袋コミュニティカレッジ、10日の大阪での稽古会、11日の奈良での稽古会と、その後の民宿での打ち上げ時と、ここ5日間は連続してずいぶん稽古をすることが出来た。その結果、「一週間前では、この状況でこの人のこの攻めには、とてもこんなふうな崩しは出来なかったろうな」と思えることも出来るようになってきた。
今年の1月、「キャスター・風見鶏の原理」に気がついて、三十年来これほどの気づきは初めてだと思ったが、そのお陰もあるからだろうが、この「キャスター・風見鶏の原理」に気づいた事が、もう何年も前の事のように思われる。
それにしても、この気づきが始まった4月7日の前日、私はNHKスペシャル「人体"製造" 〜再生医療の衝撃〜」の録画映像を見ていたのだが、「テレビを観ていて、こんなに暗澹たる気持ちになった事はあるだろうか」というほど落ち込んでいた。そして、この状態から一体いつ抜け出せるだろうかと思っていたのである。それが、その翌日に"太刀奪り"の応用で、すでに述べたような大きな気づきがあり、さらにその翌日、"斜め"という事に大きな実感を得る、という具合に、精神的に沈められたり持ち上げられたりと、本当にめまぐるしい。
しかし、臓器製造という恐ろしい時代が止めようもなく迫ってきている事は事実であり、その止めるに止めようもない大きな流れに対して、いったい自分に何が出来るだろうかと思うと、再び気持ちが沈みそうになるが、いまは何とか「この新しい気づきをさらに展開させ、人が人として生きることは、この持って生まれた心身をいかに上手に使えるかという事に興味と関心を持ってもらえる人を増やせるような方向に持っていくしかないのだ」という思いを私自身に言い聞かせている。
とにかく、この5日間、日毎に気づくことがあり、明らかに動きが変わっていく、という稀な日々を過ごし、今日12日、柳生の里の民宿で朝起きた時は、新しい気づきの連続で、いままでにない体の使い方をしたせいか、背面が筋肉痛で、「これは明日の読売文化センター自由が丘の講座は大丈夫かなあ」と思ったが、柳生の里で柳生家ゆかりの芳徳禅寺を訪ねたところ、ここの住職の奥様が私の介護法で手の甲を相手に当てて起こすという事をテレビで御覧になっていて、御自身の体験と重なったと言われて非常に喜んで下さり、柳生の里の写真集まで贈って下さったなどという事もあり、まあ何とか明日も体を動かせそうである。
この、いま新しく展開しつつある私の技と術理に御関心のある方は、13日の「読売文化センター自由が丘」、15日の東京武道館、23日の池袋コミュニティカレッジ(前回から開始時間が19時からとなっていますのでお間違えなく)での講座や講習会、そして24日の弘前、25日の仙台という久しぶりの東北での講習会、稽古会にどうぞ。
以上1日分/掲載日 平成22年4月12日(月)
今年も一昨日の4月13日から毎年恒例となっている禁糖を始める。これは整体協会・身体教育研究所の野口裕之先生が10年くらい前から提唱されるようになった、4月のいま頃から2週間ほど砂糖の入った食物や酒、コーヒーなどを一切摂らないという事で、体を素直な状態にするというものだが、私は一昨年、これを厳密に行い、砂糖の入った菓子や料理はもちろん、野口先生が制限されていない果物に至るまで、およそ甘いと感ずる物を一切廃めたところ、禁糖期間が明けた日になっても甘いものが食べられなくなり、以来昔から念願であった甘い物嫌いとなって今日に至っている。
まあ夏になれば果物の甘さなどは嫌いではなくなるのだが、菓子類は何かの付き合いで一口か、極く稀に一切れくらい食べることもあるが、だいたい後で気持ち悪くなる。ただ、干し芋やニホンミツバチのハチミツは、そんな事はないから、やはり自然の甘味と砂糖を使った甘味はどこか根本的なところで違うのだろう。
禁糖期間の果物は、普通はもう売っていない酸っぱい夏ミカンが殆ど唯一の果物で、毎年庭に実っているのだが、今年は不作で熊本のMさんから送って頂いたものを食べている。この夏ミカンが禁糖に入る前は、けっこう強烈に酸っぱかったのだが、禁糖2日目ともなると、「この甘さ以上はもうダメだな」と変わってくるから不思議である。そのため、やはり他から送って頂いた、世間一般ではまるで甘くないはずの夏ミカンが、私にはもう甘すぎて食べられなくなってしまった。
禁糖に入るタイミングについては、毎年かなり迷うのだが、今年は関西の旅で宿泊先の味付けがあまりに甘ったるく、旅から帰ってきて堪りかねて翌日から始めることにした。普段から甘いものを欲しいと思わない私にとって、厳重に禁糖することは何でもないというより気分爽快なのだが、旅行の際は本当に苦労する。自炊出来るなら蕎麦掻きに醤油をかけ、あとは砂糖を入れていない玄麦パン、生野菜に持参の醤油か味噌をつけて食べるしかない。(近々、稽古会で東北に参りますが、関係者の方はお手数ですが、ご配慮お願いします)
それにしても世を挙げてこれだけ「禁煙だ、分煙だ」と言っているのに、砂糖っ気の食べ物は野放しというのは、あまりにもおかしいと思う。せめて分煙のように甘い味付けでないものも必ず売らせるような法律でも出来ないものかと思う。
私の知人で統合医学のクリニックをされている小池弘人医師は、「甘い物を完全に止めただけで、女性などは婦人科系の疾患が驚くほど好転するんですけどね…」と、以前話されていた。人間の欲を前提にバクチを打たせるような現代の資本主義社会は経済効果最優先で、それを鈍らせるような事にはきわめて臆病なのかもしれないが…。
しかし、今の時期が砂糖を抜くには体にもっともいい季節のようですので、御縁のある方は試みられるといいと思います。10日間でもされれば明らかに体の調子が変わることが自覚出来ると思います。
以上1日分/掲載日 平成22年4月15日(木)
いままで、こんなに桜が長く咲いている春はまったく記憶にない。家の近くの山桜で、数日前が満開という木すらある。それほど寒かった日が繰り返し来ているという事だろう。
技の方もさまざまな気づきがあり、企画の依頼も本当にいろいろある。
そうした事で、つい見失いがちだが、忙しさや不手際に溜め息をつきそうになって、あらためて自分が学ぶべき本質的な事はこれからだということを感じた。(その事が以前よりハッキリ見えてきたという事は、多少進歩したという事かもしれない)
今日、銀座でのニホンミツバチの話も、明日の道具刃物のプロの土田昇氏とのトークも、24日、25日の東北での講習会も、私にとってそういう場にしたいと思うし、そうしていかなければならないと思う。
5月は15日から九州で、まず博多で「この日の学校」、16日は佐世保の講習会、17日は長崎に行くが、知識を増やすより根本的な事の気づきを少しでも得たいと思う。そして、その気づきが体を通し、技を通して体現できなければ、武術の研究を職業に選んで生きている意味がない。その事をあらためて思った。
昨夜は東京銀座であった久志冨士男先生のニホンミツバチに関する初めての講演に行く。
ただ、連絡が行き違っていたのか、主催者不明で久志先生もやりにくそうだった。前もって事情が分かっていれば、久志先生の新著の帯文を書かせて頂いた縁で、私が聞き手と司会を務めたのにと悔やまれた。
しかし、会の進行がどうこうよりも、現在の我々の置かれている事態が深刻であることに暗い興奮が起こる。久志先生が長崎県に置かれているニホンミツバチの巣箱が、昨年全滅に近い状態になって、空いた巣箱が大量に出たのだが、その空き箱に今年になって新しく分蜂した蜂が一群も入っていないという。いままでなら、空になっていたら、かなりの割合で新しいニホンミツバチの群が、自然と入っていたものだという。しかも単にミツバチがいないだけでなく、他の昆虫もツバメもスズメも激減していて、田園地帯では現在ツバメをまったく見かけないという。しかも、これは長崎県だけの話だけではないらしく、この会に参加した他県の方々からも同様の報告があり、事態を憂慮する声しきりだった。
この会は、ニホンミツバチの飼い方がメインテーマの筈だが、昆虫や鳥まで消えはじめ、レイチェル・カーソン女史が予言した『沈黙の春』になりつつあることを知ったのは、ひどく肌寒かった。この悲惨な状況は、恐らくは農薬が一番の原因だろうが、農薬メーカーなどからは、ネオニコチノイド系の農薬は鳥には害がないという意見も出そうである。しかし、ネオニコチノイド系の農薬が広く使われ始めたのと、こうした異変が起き始めた時期が符合するのだから、本当は一刻も早くかなり広い地域で一切の農薬を禁止して、生態系を観察する必要がある筈だろう。
ところが、現在政界は大混乱でマスコミもそっちに気をとられているから、なかなかこの事態を報道しない。また、マスコミがこうした事にいまひとつ積極的になれないのは、メーカーの関連企業がスポンサーになっているなどの関係もあるのだろう。
しかし、本当は現在騒がれているどの問題よりも大変なことが起こっている筈なのだ。
是非一人でも多くの方に気づいて頂いて、この問題についての議論の輪を大きくしていただきたい。
以上2日分/掲載日 平成22年4月21日(水)
今年の春は、初夏になったり冬に戻ったり、まったく寒暖の差が激しくて体調を崩している人も多いだろうが、私は精神的にひどく冷え込むこと(たとえば20日にあらためて知った『沈黙の春』になりつつある日本の生態系の現状)があったりするが、その間に大変話の通じる人との語らいで精神の低空飛行をなんとか凌いでいる状況。
21日の朝日カルチャーセンター新宿での土田昇氏との公開トークは、あらためて土田氏の人としての力量の高さに触れて気持ちが高揚したし、またこの日集まって下さった方々の中に、何人もその世界でひときわ飛び抜けた方がいらして、本当に有り難かった。
土田氏は、あくまでも職人としての御自身の位置から少しも背伸びをしようとはされないが、その話を聴く能力の高さは、いままで恐らくは100人以上会ったインタビュアーや編集者の中でも一割に満たない、私の話をきわめて的確に把握して対応をされる方で、話しをしていて本当に楽しかった。
私が考えて持ち込んだ企画を、ここまでにお膳立てして頂いた朝日カルチャーセンター新宿のI女史にも深く御礼を申し上げたい。
また昨日は、ある小さな集まりの場で、東大工学部の教授でロボットの世界では知られている國吉康夫先生とお話しさせて頂く機会があった。ただ前日左足首を痛めていた上、冷たい雨で、出かけるのはかなり辛かったが、いざお話してみると大変話が噛み合って足首のトラブルと冷えで弱りかかっていた体調と精神が、何とか回復した。國吉先生とは数年ぶりに、この春から私の動きの測定などの御研究に協力させて頂いているが、これはロボット研究を通してあらためて「人間とは何か」が浮かび上がってくるように思えたからである。それは、國吉先生のロボット研究に対する取り組みが、人間というものの本質的理解に向かっておられると感じられたからだが、昨夜は「ここまでお話が合うとは…」と、学者の方と話していて久しぶりに感激した。國吉先生も「僕は普段は無口な方で、なかなかここまで饒舌にはなりませんよ。まあ、アルコールが入ったせいもありますが…」と仰って下さったから、冷たい雨のなか「来てよかった」と思って下さったらしい。今後、さらにお付き合いを
深め、動きに関して、また人間に関して研究を深化させていって頂きたい。
さて今日は池袋の講座の後、夜行で弘前へ。しばらく東北にいて、帰ってきたらすぐ5月という予定。1日は、しばらくぶりのNHKテレビBS出演の打ち合わせ。2日は千代田、5日は綾瀬で講習会、15日は博多での「この日の学校」、16日は佐世保で講習会、28日は朝日カルチャーセンター湘南、29日はまだハッキリしないが「この日の学校イン東京」を前回とは違う企画で行なうかもしれない。そして翌日はたぶん筑波での稽古会、さらに次の日は江東区で音楽家のための講座。
そして1日おいて関西に出かけるから5月末からしばらくの間、ほとんど家にいることはなさそうだ。
さすがに、あまりにも幅のある予定の入りようで、最近は非常に重要なことでも忘れていることがあります。各企画の関係者の方は、是非事前に御確認をお願い致します。
以上1日分/掲載日 平成22年4月24日(土)
4月23日、池袋コミュニティカレッジでの講座を終え、そのまま、この講座のアシスタントで来てもらっていた人達に助けられ、大急ぎで池袋の駅に駆けつけ、埼京線で大宮に出て、そこから寝台特急「あけぼの」で弘前へ。
昔々、九州の黒崎へ根岸流四代目の前田勇先生の許へ伺った時は、しばしば東京駅から寝台車「あさかぜ」に乗ったものだが、もうここ10年か15年以上寝台車というものに乗ったことがなく、少し遠足気分で乗って、もの珍しさに寝るまではなかなか楽しかったのだが、いざ寝てみると列車の進行方向と直角に寝る構造になっているため、列車が停止や発車で揺れる度に揺り起こされているような状態となり、寝たのか寝ていないのか分からないまま朝を迎え、体はこわばり頭も少し痛いという状態で弘前に着く。
その後、稽古し、ねぷた館や弘前のお城の公園の桜を観に案内して頂いたが、咲けばさぞ見事だろうと思われるピンクの蕾が一面についた桜の下、ダウンを着込んだいくつかのグループが、寒さに耐えつつ花見ならぬ蕾見を行なっていた。おそらく、もう他に変えられない予定だったのだろうが、我慢会のような雰囲気だった。
その後は、今回の講習会のスタッフのK氏の関係されているログハウスの山荘へ。ただ、車がその山荘の入口まで雪で入れないので、車から降りて、その山荘に入る。
そして翌日は桜が満開の仙台へ。狭い日本というが、これだけ変化があると、日本はけっこう広い国だなと思う。
仙台の稽古会は、ずっと世話人を務めて下さっていた合気道の森文夫師範が亡くなってから初めての会。会に先立ち、森師範が一番思いを籠めて稽古されていた抜刀術を何本か抜いて、森師範を偲ぶ。仙台での会は武道関係の方も多いので、最近の私の技の展開をいろいろな譬えを交えて紹介しつつ、体を動かしているうちにたちまち時間となってしまった。
その後、宮城の山中で炭を焼いている佐藤光夫氏のところへ。仙台から約50キロはある道のりを空道の長田賢一師範に送って頂く。道々いろいろ話しながら向かったが、長田師の人柄にはあらためて頭が下がる。御礼には、せめて稽古で報いるしかないので、佐藤家に着いてから1時間余り、最近の技の展開を体験して頂く。弘前や仙台で気づいたばかりの技を始め、いま一番工夫をしている太刀奪りの体や、相手自身とは少し離れた所にある第三者というか、相手のゴーストのような対象に技をかけ、相手はその巻き添えを喰った形にもっていくものなど。長田師のような方が相手だと、私もまた、それなりに気づくことがあって有難く、たちまち時間が過ぎてしまった。
また、時間が長引けば、再び50キロ以上の道を戻られる長田氏にも迷惑がかかるので、ある程度でやめたが、丁重に礼を言われて帰られる長田師の姿に、武道家としてのうわべだけではない礼の在り様を見た思いがして、こちらも清々しい気持ちになった。かつて一時代を築いた人が、その後さらに修練を重ねられ、自分が求める道を追い続けられる姿はいいものだと、しみじみ思った。
それにしても私の体調にとって一番の特効薬は、やはり人を得ての稽古だ。弘前でもひどい体調だったが、動けば何とかそれなりに動けたし、このぶんでは仙台の稽古はどうなるかと案じられたが、まあかなり動けて調子が上向き、長田師との稽古ではたいへん気分よく動けた。
まあ、ひどかった体調が落ち込まず回復したのは、第一にいい稽古の場が得られた事だろうが、もうひとつ禁糖も確かに力になったと思う。今回は旅先でずいぶんいろいろな方々にお気を使って頂き、ありがたくも申し訳なかったが、お陰様で旅行中も厳重禁糖は何とか守れて現在に至っている。私としては5月の10日くらいまではやりたいと思っているが、おそらく禁糖明けといっても当分は甘さを体が受けつけないだろう。
5月の中旬、そして下旬、またあちこちの移動先でいろいろな方にお気を遣わせてしまうかもしれませんが御容赦下さい。
以上1日分/掲載日 平成22年4月28日(水)