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ここ数年、この落葉の季節になると、なぜかパリを思い出す。しかも、その思い出し方が故郷を想うようにだ。理由は、初めて行った2006年のパリが、ちょうどこの落葉の季節だったからだろう。
しかし、あの時はまるで感情が停止していたかのように、ただただ日を送っていただけで、早く日本に帰りたいとは思わなかったが、楽しくも嬉しくもなかったから本当に不思議だ。
そして、それと共に必ず思い出すのが檀一雄の小説『夕日と拳銃』だ。そして、それは帰国後3ヶ月は後をひいた。 その後、なぜヨーロッパに行って、あんなに『夕日と拳銃』が読みたかったのか不思議に思う程落ち着いて、ようやく常にこの本の抜き刷りコピーを持ち歩くこともなくなったが、落葉の季節となってパリが恋しくなると、また『夕日と拳銃』が読みたくなってくる。 しかし、あのパリから帰った直後は、『夕日と拳銃』の古本を買い漁った。私は以前から持っていた角川の文庫本を持っていたし、ドイツでH氏からプレゼントされた河出の文庫本もすでにあったのだが、このほかに講談社の単行本、蒼洋社の単行本、そして一番はじめに新潮社から出た全3巻のセットまで!
その上、最初に新聞小説として発表された、その切り抜きのセットが確か2万円位で出ていたので、それまで買おうかと思った。買わなかったのは『夕日と拳銃』の主人公伊達麟之介のモデルといわれる伊達順之介の伝記『灼熱』を読んだからである。「事実は小説よりも奇なり」というが、実録の迫力にさしもの『夕日と拳銃』熱も沈静化し、新聞の切り抜きセットは買わなかったのだが、この小説の独特の魅力は、やはり私の体の中に深く染み入ってるらしい。
時々、人ごみで、ふとパリのホテルで嗅いだ独特の匂いに似た匂いを嗅ぐと、立ちくらみしそうになるほどパリが懐かしくなり、同時に『夕日と拳銃』を思い出す。
だいたい自然の木々に囲まれた環境が好きな私が、なぜヨーロッパの街並みな惹かれるのか、まったく理由は分からない。人間というのは不思議なものだ。
まあ強いて理由を挙げれば、母がフランスに深い愛着を持っていた事だが、それ以上に異郷の地にいることで、何か自分が生きている実感と事実を確認したい衝動のようなものが、私自身の内にあるようだ。
そして、その衝動が『夕日と拳銃』に結びつくのかもしれない。
人間の意欲を引っ張るなかでも衝動は、最も強力なものだが衝動などというものは、突き詰めれば、何故起こるのかどうにも説明の付かないものだ。 そのために面倒な事も起こるし、情熱も生まれる。
となれば、私に出来る事は、この衝動が稽古への意欲を維持発展させてくれることを祈るのみだ。
以上1日分/掲載日 平成22年12月4日(土)
今回、4日から始まった大阪、福山、香川の旅は、とてもこれが3日の間に起こったとは思えないほど得るものがあったが、6月のフランス行き以来かと思うほど無理に無理をしていたせいか、今日の帰路はさすがに疲れた。
とは言っても、昨夜6日、香川のホテルで韓競辰老師から御教示頂いた事は、じつに目を覚まされる思いで疲れはてても十分に意味はあった。私も、既成概念から抜けて武術を考えることを散々やってきたつもりだったが、無意識のうちに刷り込まれた事というのは強力だ。
4日の夜に「この日の学校イン大阪」を終わって森田氏とちょっと手を合わせた事が、ひとつの重要な課題となっていたが、6日、そして7日と韓老師の動きを見せて頂いて、根本的変革を迫られてきた気がする。韓老師の説明を伺って「剣に剣なし、体をもって剣となす。体に体なし、心をもって体となす…」の古語を思い出す。
それにしても7日、韓老師が動かれる様子を見学させて頂いて、普通に動かれている、その動きの中に体じゅうが居つかず動いている様子がいままでになく見てとれて、あらためて凄い事だと感じ入った。
19日は博多で講習会。博多は先月末に行ったばかりだが、ひょっとすると前回の講習会から1ヶ月経たない間に、いままでの、半年分以上の変化があるかもしれない。
その状況は、またこの随感録で書きますので、御関心のある方は本州からもどうぞ。また、23日は長野高専で講習会。今回はバスケットボールに重点を置いた講習会との事でしたが、急遽23日の昼前に武術系も含めた他のスポーツや介護、楽器演奏などにも対応する講習会を行なうとの事ですので、御関心のある方はどうぞ。 真剣が竹刀より迅速に奔る事と、昨夜気づいた事の展開を発表できると思います。
以上1日分/掲載日 平成22年12月8日(水)
心が折れそうになるほどの忙しさであっても、技が進展すればそうしたものは一度に吹き飛ぶ。今夜は6日に香川で感じた韓競辰老師の教えがどうにも気になって、無理矢理時間を空けて、三十数年来の武友の伊藤峯夫氏を招いて2人で稽古。2時間に満たなかったが、その間に得たものは剣術においてはいままでで最も大きいと断言できる。
とにかく次々と気づいて、その後『願立剣術物語』を読むと、いままでよく分からなかった所がいくつも行間から浮き上がるようにして頭と身体に入ってくる。特に十一段目の「身之備太刀構ハ器物ニ水ヲ入敬テ持心持也。乱ニ太刀ヲ上ゲ下ゲ身ヲユガメ、角ヲ皆敵ヲ討…惣テ太刀先ヨリ動事ナシ。唯カイナを計ヲ遣事ゾ…」
これに関しては、今回の気づきで、得られた理解が60パーセントとすると、いままでの理解は6パーセントくらいと言えるだろう。「こんな事があるんだねぇ」と、伊藤氏も感動の面持ちだった。
これで19日の博多建立寺の講習会には関西、関東から来られても意味があると思います。そして23日の長野も、私の技に御関心のある方で本気で現状打破を考えられている方はどうぞ!少なからぬ御参考になるかと思います。しかし、剣道をずっとやって来られた方には伝わりにくい所がかなりあると思います。
以上1日分/掲載日 平成22年12月11日(土)
相変わらず足下から煙の出るような忙しさだ。今日は19日に博多である講習会や、20日に糸島であるイベントのための荷造りと発送をしたが、その間にも様々なものが届いたり電話があったり、電話をしたりで、たちまち夜になった。電話の中でも、最も印象的だったのは桜井章一雀鬼会会長とお話したこと。「やっぱりもう出かけるのはいいよ」と言われながらも「いやあ、でもおとといは懐かしかったよ。もうああいう人たち以上に知り合いを増やしたかないよ」と、それなりに思い出に残る時間を過ごされたご様子だったので、私もホッとした。その後、私が先日お送りした渡辺京二先生の著書「江戸という幻景」の話となり、「私があと10年の命が10日になっても、あの時代の日本に行ってみたいと思います」と言うと、「オレも行きてえなあ、そういうツアーどこかでやってねえのかなあ。こんだけ科学が発達してるんだから」と、冗談とも本気ともつかない調子で、共に現代科学とは無縁だった時代の日本の自然を懐かしんだ。しかし、この方の孤独感は誰も共有することは不可能だろう。その恐ろしいほどの寂しさが少しでもまぎれられたのなら幸いだったと思う。年内は無理だが、来年まだ寒いうちに町田の「牌の音」にお伺いしたいと思っている。
とにかく、目の前のことをやるのに精一杯で、差し迫った亜紀書房の校正、Re:sやコンバットの連載原稿も手つかずの有様だ。なんとかしなければ。
しかしそうした中でも、すべての用事の手を止めさせてしまうようなものが届いたりする。今日届いたそれは、11月10日に朝日カルチャーセンター新宿で対談を行った土田刃物店の店主、土田昇氏に、あの日お願いした白引が研ぎあがって届いたもの。この白引に添えられていた手紙を読んでうなってしまった。この白引は、ちょっと刃が硬く、脆さがあるように思われたので、その辺りのことも、どのように思われるのか、感想を伺いたいと思って研ぎと調整をお願いしたのだが、この白引の刃の状態について、びっしりと三千字近く詳しい解説が書いてあり、本来専門家というのはこのような人のことをいうのだと改めて頭が下がった。しかし、それにしてもその詳細さは一人で読むには余りに惜しく、早速ナイフマガジンの編集者のH氏に電話をして、電話口でこの感動的な手紙を朗読した。すると、H氏から「それはお二人で往復書簡ということでどうでしょう」という提案。それは望むところと言いたいが、今の状態の上にさらに抱え込んで、いったいどうなってしまうのだろうか。しかし、話が具体化すれば「きっと引き受けてしまうだろうなあ」という自分を否定しようもない。代わりに何が落ちていくのだろうか。
以上1日分/掲載日 平成22年12月17日(金)
いままでは家にいると、さまざまな用件に追い回され、なかなかゆっくり出来ないが、旅に出ると比較的ゆっくり出来ると思っていた。しかし、今回の九州博多、糸島の旅は親しい人々が特に多かったため、イベントの前も後もずっとそうした方々と、話をしていたため、ホテルの自分の部屋に入ったら、とにかく必要最低限な事をやって寝て、起きたら身支度、荷造りに追われ、部屋を出れば迎えの人達と話しをして…という具合だったから、用意していた原稿書きもツイートも殆ど出来なかった。おまけに九州は飛行機だから、機内でメールの返信も出来ず、メール返信率は一割くらいにまで落ちてしまった。返信をお待ちの方々申し訳ありません。
今回は糸島"懐庵"での「風の行方」のスペシャルイベントは、また九州の地での色褪せない思い出がひとつ増えた感じだった。太鼓の佐藤健作氏、ダンサーの山田うん女史、数学者の森田氏、場所を提供していただいた飯野史朗氏、料理を作って下さった平尾女史、MCの深町氏、武道家の松尾氏、熊本のM女史、久留米のN氏等々、多くの方々の善意で、こうした思い出が作られた事に深く感謝したい。なかでも採算度外視で、この企画を遂行されたセイントクロスの大塚氏には、あらためて深く感謝したい。
今回、佐藤氏の太鼓は、その原初のリズムが人々の心の奥にあるものを揺り起こした観があったが、今回持って来られた太鼓の中で最も巨大な180キロもある太鼓をトラックから出しての設置、又収納に関し、これをイベントに参加した方々が皆積極的に手伝って下さった様子は、かつての善意あふれる日本人の行動が、そこに蘇ったようで、私も一緒に手伝っていて気持ちが良かった。このような風景は今後もずっと受け継がれていって欲しいものだ。
また、今回は技の上でも、ちょっと驚くような発見もあった。これは私が昨年のフランスの講習会で気づいた対両手後持ちの時の手の形に関するものである。この猫のような手の形を、今年9月の綾瀬の講習会の時に進化させ、その後、この手を「虎拉ぎ」という名を付けたのだが、これが対足の固め技に予想外の対抗力を発揮することが分かった事である。この手の指の形が、足を抑えられている時、対抗するのに強い力を発揮する事が分かったのは、私のところで9年くらい稽古をしていて、現在、カルチャーセンターの講師や雑誌の取材に関して、時折私に代わって話をしてもらっている北川智久氏の功績である。北川氏はちょっと他人にはない発想の閃きを持っており、この貴重な才能を今後ますます育てていってもらいたいと思う。北川氏が最も向いているのは、少人数対象の、料理などにも及ぶ日常の身体の使い方の講師であり、もし御関心のある方は取り敢えず私のサイトにお問い合わせ下さい。
いろいろ気づきや思い出に残るところがいくつもあった今回の九州の旅だったが、帰り際、ひどく心を寒くさせられたのは、ホテルでチェックアウトの用意をしながら観ていたNHKのBS番組でやっていたアメリカの天然ガス採掘に関して起きている深刻な環境破壊の現状である。現在、数十万基ともいわれる全米での天然ガス採掘が、これほどひどい公害を生み出していたとは!そのため、数日前、桜井章一雀鬼会長と電話でお話しした時、「江戸時代に行きたいですね!」と私が申し上げた事に関して、深く桜井会長も共感されていた事があらためて思い出された。
以上1日分/掲載日 平成22年12月22日(水)
今日、長野高専であった今年最後の講習会を無事終えて帰宅。
今回参加の中学生、高校生は素直で明るい生徒が多く、講習会もやり甲斐があった。
今回で8回目という、この長野での講習会を終わって、共に講師を務められた松江高専の森山恭行先生と、今回はゲスト参加の防大の入江史郎先生と帰路は「あさま」で大宮まで御一緒する。話の通りがいい方々との列車の旅は時間がたちまち経ってしまう。
今回も高専の児玉英樹先生はじめ多くの方々にお世話になりました。ここで、あらためて御礼を申し上げます。帰宅すると、土田刃物店の土田昇氏から私の好物に添えて、16日に続きまた懇切な御手紙が届いていた。読み終えて、「これはいよいよ土田氏とは往復書簡形式で本を書かずにはいられなくなりそうだ」と思った。その上、今夜は何年ぶりかに私にとってかけがえのない畏友のMN女史と電話でお話しできた。近々お会いしたいと思ってお電話したのだが、先方に懐かしがって頂いた以上に私の方がひどく懐かしかった。19日から九州、そして21日に帰って、翌日に長野と間をおかず出かけ、体はかなり疲れている筈だが、まあよく動くし、手紙や原稿を書く気力も残っている。つくづくありがたい事だと思う。
今年の講習会は、これで終わりましたが、来年は1月5日に綾瀬であるIACの講習会を皮切りに、14日は池袋コミュニティカレッジ、15日は大阪のNHK文化センター大阪、そして翌日16日は京都での講習会、20日はNHK文化センター青山、22日は久しぶりに東京での「この日の学校」がダンサーの山田うん女史のアトリエで行うことが決まりました。御関心のある方は、どうぞお出かけ下さい。
以上1日分/掲載日 平成22年12月24日(金)
もう数えるところ今年もあと僅か。今年は武術の技の上でも大きな進展があったが、いま最も自分が向き合いたいと思うのは、『願立剣術物語』の43段目にある「此流ノ宗ト修行スル事ハ唯心ノツリ合ヲ以テ身ノツリ合ヲ勘ス可キ事…」である。これは、一見道徳教科書的な教えだが、昨日いままでで一番この部分が身に沁みた。
来年の1月は5日から始まる。この日、綾瀬の講習会。14日は、池袋コミュニティカレッジ。15日は大阪のNHK文化センターで講座。16日は京都での講習会16日は京都の講習会。20日は東京青山のNHK文化センターの講座。22日は、久しぶりに、東京での「この日の学校イン東京」。そして30日は多分名古屋での講習会となる予定だが、いま引用した43段目の『願立剣術物語』が、どこまで私の中でいままでとは違った風景を見せてくれるのかが、今後の私の進展の方向を決めるような気がする。
一昨日の25日も、ライブハウスという思いがけない所で、思いがけない人が私に注目して下さっている事が分かり、恐縮したと同時に、とにかく自分に正直であろうと思った。『願立剣術物語』で言う「正直」が現代使われている日本語の正直と、どこまで意味的に通じあっているかは、いまひとつ分からないが、全体的な文の流れからいって、それほど違っているとも思えない。ただ、『願立剣術物語』には、この「正直を立てる」ことの重要さは再三説いているが、同時に同書には26段目で「正直ト云事立ガタキ物也」と、正直が心身ともに身につくことの難しさを説いている。
ともあれ、恐れ疑いがあるのは自らに「正直が立っていないからだ」と説く願立の流儀の主旨が、ある程度にもせよ実感できるような稽古を、来年以後は重ねて行きたいと思う。
以上1日分/掲載日 平成22年12月28日(火)