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8月に入ってようやく蝉たちもソロではなく合唱を始め、夏らしい雰囲気になってきた。とにかく私は夏には強い。今年の夏はひときわ暑さが厳しいというが、今年になって付き合いで「暑いですね」と挨拶では言うが、「暑いなぁー」と、その暑さに参って思わずつぶやいた事は、まだ一度もない。ただ、そのぶん冷房は堪える。
最近の子供達が暑さに弱くなっているのは、クーラーが普及し、汗腺が発達せず体温調節が出来なくなってきているからだというから、クーラーも28℃程度にすべきだと思う。
8月もいろいろな取材やインタビュー講座、講習会、イベントが予定されているが、そのトップをきって8月4日に発売予定の『週刊新潮』誌に私の「週間食卓日記」が載ると思う。私の食べ物に対する見解が世間の常識と違う事は十分自覚しているので、この話があった時、担当のM氏にもその旨伝え、私の食事内容を採点する荒牧女史が困ると思うので止めた方がよいのではと申し出たのだが、「まったく大丈夫です」との事だったので引き受けることにした。
管理栄養士の人が私の食事を採点するのに困るのは2点ある。それは禁糖と朝食抜きである。糖分は一番早くカロリーになりやすいという観点から見れば、これを禁じるというのは科学的見地からナンセンスに見えるからである。しかし、やってみれば科学的見地がどうであろうと疲労しづらいことは実感出来るのだ。私は砂糖を入れた菓子などは食べないが、果物類は食べる程度の禁糖だが、トライアスロンの選手を復活させたマフェトン理論のような、果物や野菜の中の等分も摂らないような厳重な禁糖は、果物やニンジン等も制限する上に糖分に変わりやすい澱粉も抑えるので、それだけに大変だが効果も大きいようだ。女性が「本気で糖分抜くと婦人科系の病気などずいぶん変わるんですけどね」とは、私のサイトともリンクしている小池統合医療クリニックの小池医師の弁。御縁のある方は試みられたらどうかと思う。
また、朝食を食べないと一日の活力が出ないような宣伝は、人間を単なる機械のように見なす生命への冒涜だとかねがね思っているので、この事も書いた。成長中の子供や、朝から食べたくて仕方がない人に「朝食を食べるな」とは言わないが、人間以外の動物で食料調達の仕事の前に腹ごしらえなど出来るわけはないのだから、「朝食を食べないと元気が出ない」ような意見は人間を退化させても自社製品を売りたいという食品会社の宣伝のように思える。
以前、アラスカ方面だったと思うが、あるアマチュア旅行家のスタッフが犬ゾリの犬が何も食べさせられずソリを引くと聞いて、かわいそうに思って無断で犬達に肉を与えたところ、肉を食べた犬達は皆寝てしまい、結局旅の予定が狂ってしまったそうである。犬ゾリの犬は一日の労働が終わって肉をもらい、食べると寝るという事が習性になっていたからである。空腹だからこそ体もよく動くというのが、そもそも動物の基本構造だと思う。「いや、犬と人間では身体の構造が違う」と言うなら、医学の発達のためと称して犬などを生体実験に使うべきではないだろう。それに歴史に学ぶならば、江戸時代末期、その合理主義で一代で自流を大流儀にした北辰一刀流の開祖千葉周作などが、稽古前に食事をしてはならないと詳しく説いている事も無視できないと思う。
千葉は相撲の稽古の見学で「人目を盗んで稽古前に多く食べた者は息が上がってなかなか人並みに稽古が出来ない」と述べ、また併せて、天神真楊流柔術の磯又右衛門氏が、稽古前はよほど空腹でも薄い重湯一椀以上は決して食してはならないと語っていたと自著『剣術初心稽古心得』で書いている。
もちろん拒食症の人間が健康なわけはない。単純に朝食を食べなければいいと言っているわけではなく、朝食を食べない方が調子がいいというのは、生物として自然だが、現在は不自然な人が多いので、それぞれに適った方法を取ればいいと言っているのである。先ほど、朝食を食べないと一日の活力が出ないというような機械論的見解は生命への冒涜だと書いたが、例えば『食べること、やめました』(マキノ出版)の著者、森美智代女史は、すでに15年も1日僅か椀一杯の青汁で元気な毎日を送られている。温暖化や食糧不足が懸念され始めている今日、良心ある医学者や栄養学者なら、この瞠目すべき事実の解明にこそ取り組むべきだと思うが、なかなかそうは行かないようである。
現状は、このような事実の解明には程遠く、学校給食などは取り敢えず栄養学に沿うようにという辻褄合わせで得体の知れない料理を先割れスプーンで食べさせるという事が蔓延しているらしい。そんな事なら半搗き米を握り飯にして、野菜をザッと熱湯に通したものと納豆でも出しておいた方がずっといいだろう。
しかし、こう書き連ねると、やはり現今の一般社会からは受け入れられ難いことばかりだ。まあ、これを読んで御縁のあった方が自らの体で試みられ、それで確かな実感が出れば、ここにこうして書いた事も無駄にはならなかったという事になる。
『週刊新潮』が発売される今週は、週の後半がやけに忙しい。DVD制作の件で神戸や名古屋に行き、帰って横浜で講座をして、翌日は、また大阪での「この日の学校」である。
そういえば、「この日の学校」関連で今月末に、以前森田真生氏が住んでいた故荒川修作氏設計の天命反転住宅でイベントがある。詳しくはセイントクロスのサイトをご覧頂きたいが、次々と展開される森田氏の仕掛けには驚かされる。先日の福岡県糸島であった懐庵開きも、セイントクロスのサイトで、写真入りで紹介されているので、ぜひ御覧頂きたい。また、この8月末の三鷹の天命反転住宅でのイベント期間中、24日、25日は高校生を対象にした「東大・天命反転住宅夏休みスーパーセミナー」が開かれて、25日は数日前私がお招きを受けて伺った東大のロボット工学の第一人者國吉康夫先生の講義もあるらしい。
とにかく8月はいろいろな事が起こりそうだ。まずは8月8日の「この日の学校イン大阪」の準備をしなくては…。
以上1日分/掲載日 平成22年8月4日(水)
5日、早朝に家を出て数ヶ月ぶりに神戸女学院へ。何だか母校に久しぶりに来た感じがしたから妙なものだ。ここで内田樹先生と対談を映像撮り。ずいぶんお忙しいなか、お時間を作って下さったようで恐縮。というのも、私を追うドキュメンタリーDVDに出て頂くからだ。夜は兵庫の山中にH氏の車で…。
6日は神戸のホテルから新神戸へ出て、名古屋へ。チケットを取ろうとしたら電話。ホテルから「キーを返却されてませんが…」との事。確かにチェックアウトしようとしてバッグのポケットに入れたのを渡し忘れていた。いままで、佐渡や東北の民宿のような旅館でキーを催促されないまま返却し忘れた事は2,3度あるが、都会のそれなりのホテルで忘れたことはない。係りのスタッフはスタッフで私にいろいろ話しかけていたので、確認をし忘れたのだろうが珍しいことだ。
チケットを取る直前だったので、すぐタクシーに乗って鍵を返し、ついでにタクシーに案内してもらったスーパーで野菜と果物を仕入れる。私は、タバコ好きの人がタバコがなかったのを漸く手に入れたように、ホームでソルダムを3つぐらい食べる。一緒に買ったキウイは"のぞみ"の車中で食べたが甘すぎて少し後悔。それにしても駅で売ってるみやげ物は甘いものばかり。弁当売り場などを覗いてみても、素のままの野菜や果物を売っている所は皆無に近い。これだけメタボ対策とか騒いでいるのに、どう考えても変だ。
しかし、ホテルから電話があって「ああ、しまった」と思っても、大体2,3秒で「ああ、今日はこういうシナリオか、まあこれで事故にも遭わないだろう」と、すぐ気持ちが切り替わる。最近は何か落としても、なくしても、忘れても、壊しても、「ああ、こういう筋書きか」と引きずらなくなった。「人間の運命は完璧に決まっていて同時に完璧に自由」が少しは体感にも染みてきたのだろうか。
名古屋では、米田柔整専門学校で河原監督と柔道部員と実りある研究稽古。新しい技が、また2つほど出来た。その内のひとつは、ガッチリと襟を掴まれたのを外す技だが、この、その場で思いついた技を選手に教えて、私が受けてみたところ、私の小指の爪に白い折り目がつくほど強烈に切られた。(生爪を剥がさないように爪を短くしていったので爪は剥げなかったが、指の先端の皮や肉の部分ごと、一瞬激しく指の背側に折り曲げられたのだと思う)こんな経験はいままでした事がないので驚いたが、私が教えた事をその場で、私が予想していた以上の威力で身につけてもらうと、何とも嬉しいものだ。
それ以外にもいくつか気づきがあった。ただ、その気づきのひとつは意識の圧縮技の難しさ。まだまだこれは試作段階だ。行なうのに事前準備が要るし、まだ身についているとはとても言えない状況である。しかし、この世界を開拓して行かなければ、これから先はないので、一層工夫して行きたいと思う。
今回の旅に出る時、文春文庫の担当のO氏から、内田樹先生との共著『身体を通して時代を読む』が文庫本となる際の解説を東大の國吉康夫先生に書いて頂いたものを持って出て車中で読んだが、私の技の解明に取り組んで頂き、それが如何に困難かをここまでハッキリと書いて頂いたという事に感動した。先日も國吉先生の研究室での計測に伺ったばかりだが、多くの体育関係者とここまで見方のセンスと精度が違うかと、つくづく思わされる。自分のやっている事が現代の「科学的」といわれる事に、何とか辻褄が合って、それらしく見えればいいと考えている人達と、より確かな世界を拓き真実に近づくために、現行の科学そのものを変える事も辞さないという覚悟を持っている人との志の違いが明確に現れている。こういう方にハッキリと発言して頂ければ、人間の動きのような精妙極まりないものを扱うのに、現在のような粗い観方で観察研究していてはダメだ。という事が、世間の常識として、少しずつではあっても広まって来るだろう。その意味で國吉先生の今回の文庫本の解説はページ数にしては2,3ページの一見地味なものだが、社会に与える価値としては本書の本文よりも意味があるように思う。
今日はこれから横浜で朝日カルチャーセンターの講座。そして明日は「この日の学校イン大阪」。帰って1日置いて綾瀬の講習会。翌日はダンスタイムズの取材で若手のダンサーに指導。そして、その翌日も…と、いろいろ予定が目白押し。
しかし、新しい意識の圧縮の工夫は更に追求してゆかなければならないと思っている。
以上1日分/掲載日 平成22年8月7日(土)
日中ともなるとアブラゼミを主とした蝉の大合唱。ようやく夏の気分になってきた。夕方、私の道場の前の坂道で「セミの抜け殻が歩いている!」と女の子の悲鳴のような声。それは、つまり抜け殻になる前の土から出てきた蝉の幼虫が脱皮の場所を探して歩いていたという事なのだろうが、「セミの抜け殻が歩いている」とは、いかにもそうした生態をよく知らない現代の子供の(何しろ抜け殻を見る確率の方が遥かに高いのだから)、その子なりの驚きの表現なのだろうと妙に感心してしまった。
今月は5日から昨日9日まで、まず神戸に行って名古屋に行って、一度帰宅してから横浜に行って、翌日大阪に行って帰ってという目まぐるしい日々を過ごしてきたが、8日の「この日の学校イン大阪」で森田真生氏とのコラボレーションは、私にとってもまた気づくことが少なからずあった。
たとえば、素数と円周率πの関係など孤独と思える素数同志が、実は絶妙な同盟を結んで円に関する不思議な働きをしているという事は、この世が単なる偶然の寄せ集めではない事を実感させられる。
森田氏の数学に関するイベントは、今月16日に初めて長野県で開かれるので、御関心のある方はどうぞ。またこの企画は、前日は私よりもずっと「親切、丁寧、分かりやすい」上、技によっては私よりも鮮やかな甲野陽紀の講座です。御縁のある方は両日あるいはどちらかでもお出かけ下さい。
ますます分かりにくくなっております私の武術の技の稽古会は、今月は明日の綾瀬以外は22日の仙台くらいでしょうか。ただ、確かに変わりつつある、その私の変化から何かヒントを得たい方にとっては、仙台まで来られても無駄足にはならないと思います。
以上1日分/掲載日 平成22年8月11日(水)
フト気づけば、この随感録も10日あまり書いていなかった。その間、講座やら、『ダンス・タイム』の取材でダンス競技の若手代表への体の使い方のアドバイスやら、来日したフランスの合気道ツアーの人達との稽古やら…。
それにしても私の暑さへの適応力の大きさは、秋が心配になるほど。今日などは、なんか暑さがなくなってきたようで物足りない。まあ、私の自宅は木々に囲まれているから、少しは気温も低いが、それでも先日は32度や33度はあったから、汗をかきながら夏気分を味わっていた。したがって、仕事の意欲や効率が暑いからといって落ちることはないが、何しろやること山積みで、やってもやっても湧いてくる。
ただ、技の研究は、最近はまた奇妙なことに気がついて進展中。書いても理解してもらえそうにないので詳しくは書かないが、要するにスの入った大根などが美味くないのと同じで、体の中が充実せずスが入ったというか、気泡が出来ているような部分があると技が上手くいかないという事である。
それにしても、本当にやる事の多いのには参る。そうしたなか、私にとってのささやかな幸せは、刀の目釘に真竹材を長らく使っていたが、竹の枝の方が目釘に使ってみると、竹材の根の近くを削って使うよりさらに丈夫である事が分かった事。実際に両方を同じくらいの太さに削って試してみた結果、ハッキリと分かった。ただ、使う枝は、真竹は枝にも小孔が空いているので孟宗竹の方がいい。真竹によく似ているハチクは、この枝の小孔がないからハチクでもいいかもしれないが、ハチクはなかなか一見しただけでは真竹と区別がつかないから入手が難しい。もし太いハチクから出ている枝を入手できる方があったら、11月か12月頃切ったものを頂けたら幸いです。(しかし、なぜ古人がこの事に気づかなかったのか、実に不思議である)
最近、竹刀にくらべ真剣の方が瞬時の変化の自在さも、その時の速さも、出るようになった事が、あらためて刀の目釘などについても昔のように思いが籠もるようになったのかもしれない。しかし、昔と違って時間がないから、ゆっくりと竹の枝の繊維の密度を拡大鏡で眺めて、その緻密さに感動し、この感動にひたっている時間がないのが残念。
とはいっても、目釘を削っている時、昔は夢だった、竹刀以上に真剣の方が鋭く速く動かせるという体感から来る道具への親近感は一種特別…。人間というのは不思議なものだとあらためて思う。秋になったら、この枝を菜種油でじっくりと煮て目釘を作りたいものだ。
明後日は仙台で稽古会です。御関心のある方はどうぞ。
以上1日分/掲載日 平成22年8月21日(土)
8月21日から東北を3泊して講習会など行なってきたが、最終日24日は峠田の炭焼き佐藤光夫氏らの案内で、「日本の森を元気にする議員連盟」の議員諸氏とマイクロバスで、酸性雨によるとみられるナラ枯れの状況を実地見学し、今回の様々な旅の思い出も吹き飛ぶような惨状に、久しぶりに本当に心が暗くなった。
青空の下、夏の陽を浴びて青々と葉を拡げている広葉樹や針葉樹に交じって、赤茶けた木がポツンとある状態は「ドキッ」とするが、そうした光景は宮城県で、それが山形県に入り、小国の近くなどは、集団で葉が赤茶けたナラとおぼしき木々が山の斜面に2〜3割を占めているという状況は、何か悪い夢でも見ているような気持ちになった。
おそらく数百人、数千人死ぬような事故か事件があったとしても、とてもこんな気持ちにはならないだろう。
それは、夏といえば夏空の下に広がる青々とした樹海というのが、私にとって子供の頃から決して変わることのなかった象徴的風景であり、環境破壊が強く叫ばれている時代となって(確かに数年前から話には聞いていたが)、広葉樹がこれほど大量に枯死しているのを私の人生で見ようとは思わなかった。
現実に樹齢20年から30年の、本来なら樹勢の盛んな筈のナラがこんな事になっていようとは…。しかも、中にはどうやら夏に入ってから葉を枯らし始めたと思われる萎れ方の新しい木などもあり、見ていると本当に胸が痛む。
現在、林野庁などの公式見解は、害虫によるものとされているようだが、今回の見学会に同行された理学博士大森禎子元東邦大学教授は、明確に主原因は酸性雨とされている。確かに酸性雨で弱ったところに虫に入られて枯れるという事もあるだろうが、主原因はなんといっても酸性雨らしい。では広葉樹のなかでも、なぜナラが集中的枯れるかというと、ナラの樹皮は表面に起伏亀裂が多く、そこを伝う雨が、ちょうど流下式の塩の製法のように長く空気に触れて水分を蒸発させ、酸性雨の酸度を高めやすいかららしい。その証拠に広葉樹でもクルミやモミジなど表皮が比較的平滑なものは、その被害がなく、栗などナラに近いものには被害が出始めているという。現に宮城の山中でも、現在pH4〜5といった酸度の強い雨が降っているようである。しかし、この酸性雨が中国の近代化に伴う現象とすると根本解決がきわめて難しいから、ますます心は暗くなる。
それにしてもマスコミはなぜこれほどの問題をもっと大きく報道しないのだろう。聞けば、今年京都の大文字の送り火も立ち枯れした樹木への類焼を用心して、若干控えめにしたというが、そうした話は本当に小さくしか報道されない。ネオニコチノイド系の農薬の問題もそうだが、とにかく政府当局もマスコミも大きな環境破壊をなるべく見て見ぬふりをしていたいらしい。しかし、小学生の夏休みの宿題のように、溜まった宿題をなるべく見ないように考えないようにしていたら、やがてはどうしようもない現実と向き合わねばならなくなると思う。もっとも宿題は「出来ませんでした」と言って押し通せば、それはそれで何とかなるだろうが、樹木の枯死は影響があまりに大きい。
今回の旅は最後が衝撃的な事実を見せつけられ、それまでの事が吹っ飛んでしまったが、一晩寝ると冷静さも戻り、深く記憶に残ることもいくつか思い出した。その一つは、仙台の稽古会から峠田の佐藤氏宅まで私を送って下さった空道の長田賢一師範が、環境、教育を含め、今の現状の日本を「何とかしたい。このままではダメだ」と本当に本気で思われていることが、ひしひしと伝わってきた事である。
かつてフルコンタクト空手の世界で"ヒットマン"の異名をとり、その後も修練を重ねられ、当時よりも今の方が実力は上といわれる長田師が、かつての栄光を資本として、その利子で暮らすような事をせず、いまの世の中の現状を何とかしようと、日本の伝統や武の世界の探求に瑞々しい情熱をいまでも失わずに持たれていることは本当に稀なことだと思う。
この日も、ずいぶん無理をして時間を作って頂いたようだが、佐藤氏宅までの車中、いろいろと話す事と、佐藤氏宅で私の技を体験する事を何よりの楽しみとして、稽古会の後の打ち上げの食事会の半ばに駆けつけられ、私を佐藤氏宅まで送って下さった。こうした志のある方が、今後一人でも二人でも現れてきて下さることを心から望みたい。
また、この日はわざわざ名古屋から仙台の稽古会に参加された若い女性のYさんに「なんで仙台まで来られたのですか」と尋ねると、「松林先生の墓参りがしたくて…」との事。松林先生とは、かの松林左馬助無雲、夢想願立開祖のことである。Yさんが350年も前の歴史上の人物を先生と呼ぶのは、私が6年前に出したNHK教育TVの「人間講座」のテキストの巻末に載せた『願立剣術物語』を読んで精神的に救われたからとの事。今でもこれを読んでいて涙が出そうになるというから、不思議な縁のある人もいるものである。
そして、今回もまた多くの方々の御助力、御協力で無事旅を行なうことが出来ました。お世話頂いた方々に、この場を借りて深く御礼を申し上げます。
以上1日分/掲載日 平成22年8月26日(木)