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日々、様々な出会いがある。1日は、ホテルオークラで小林秀雄賞、新潮ドキュメント賞の授賞式と、受賞記念パーティーが開かれた。今回は『リハビリの夜』でドキュメント賞を受賞された熊谷晋一郎医師のお祝いもあり、この授賞式とパーティーは毎年招かれて参加しているが、ひときわ楽しみにして神谷町駅からのダラダラ坂を登って行った。
『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』で小林秀雄賞受賞の加藤陽子女史、熊谷晋一郎氏共に人々を飽きさせない御挨拶をされていたが、加藤女史がはじめに「パーティーの席上での長い挨拶くらい無粋なものはありません。私はすぐ終わりますからご安心下さい」というような事を断わられながら、10分以上にわたる長さだったので(内容はよかったが)、何となく会場全体が微笑み系の苦笑いに包まれているような面白い場となって、私には興味深かった。熊谷氏の少年のような率直なスピーチには大きな拍手が湧いていた。後は歓談。私は何人かの方々からの御挨拶を受けてから、熊谷氏の許へお祝いを述べに行く。
私が熊谷氏と最初に御挨拶をしたのは、今年の6月、介護福祉士の岡田慎一郎氏の結婚式の会場だったが、その岡田氏がちょうど熊谷氏と話し込んでいるところで、その後は熊谷氏や岡田氏、また『リハビリの夜』や岡田氏の本の版元である医学書院の編集者の人々と、そこでずっと話し込んで会場内を動かずにいると、「こんばんは」だったか「お久しぶり」だったか言葉は記憶にないが、不意に声がかかり、振り向くと養老孟司先生の笑顔。いつもは私が探して御挨拶に行っていたので恐縮してしまう。「今年もそろそろフグの季節ですね」と忘年会のお誘い。お元気そうで、私の心も和んでくる。
結局、その後も、その場で養老先生や新潮社の編集の人達と話し込んでしまい、いままで6回くらいは出席している、このパーティーで最も動かず、また限られた人達とだけ話しをして終わったが、大変楽しかった。
そして、この新潮社主催のパーティーの後は、医学書院主催の二次会が、ホテルオークラから歩いて数分の会場で、新しくこの二次会に駆けつけられた方々も交え、なごやかに開かれ、なぜか私が乾杯の音頭をとることに。その後、私の技の実演と体験希望の人達に囲まれて、いまが何時なのかも忘れてしまうような時を過ごした。
それにしても岡田氏の顔の広さと縦横に張り巡らされているネットワークの大きさと、その弾力の良さには驚かされた。私との出会いがキッカケで世に出た岡田氏だが、いまでは私の方が岡田氏からいろいろと紹介を受けている有り様。恐らく将来的に岡田氏はこれからの時代に少なからぬ足跡を遺す人物となることだろう。
そして翌2日は、自由ヶ丘での読売文化センターでの講座の前に、前日も会った新潮社の足立真穂女史の来訪を受ける。足立女史は、不思議な縁だが、9月から私の家の近くでしばらく暮されることになって、「まあ御近所なので…」という事と、新しい本の相談もあって来られたのである。しかし、いつも感じる事だが、足立女史は本当に話がしやすいし、この人と話していると、私の中で考えていることがドンドン引き出されてくる。養老先生が足立女史を大変信頼されているのも、この魔力のような親しみやすさというか、話しやすさのためだと思う。話しているうちに書きかけの本を大幅に変更して新しい本を書くことをいつの間にか決断してしまった。まことに「足立女史、恐るべし」である。
それにしても新しい縁は次々と出来てくるし(2日も、この先に縁がつながりそうな人2〜3人と出会った)、思いがけないところから思いがけない要望なども来て、本当に対応が目一杯というより、対応しきれずほころびかけている。
山積する用件の優先順位など考えているだけで呆然としてくるので、とにかく思いつき順に処理している。
そのため、差し迫った重要用件が落ちる危険が、以前よりも一層高くなっています。何か約束をされている方は、必ず前日か前々日くらいに御確認下さい。またメール等で返信待ちの方は御催促下さい。
以上1日分/掲載日 平成22年10月5日(火)
今年は、いつもの年のように、何とももの哀しくなる晩夏を味わうことなく、いきなり秋になった感じがする。
それでも時折夏を思い出したりするような日が続いて、やはり普通の年ではない。何しろ10月の5日にアブラゼミの声を聞いたのだから、こんな事は、いままでまったく記憶にない。中日が優勝するわけだ。
それにしても様々な用件があまりに多いためか、この頃「明日もう1日出かけなくて済む日があったな」と思っていたのが間違いという事が立て続けにある。10月30日を29日と間違え、7日は在宅と間違え、出来る筈の要件が5分の1も出来ていない有り様。
それでも技の進展と気づきはあるから、どうしても稽古に時間を割きがちだ。それも真剣が竹刀よりも迅速に奔るようになった事が大きいと思う。十数年前使っていた延寿宣次二尺四寸六分が、まるでハイテク日本刀に生まれ変わった、というか「ツーと言えばカー」と応える、恐ろしく勘のいい相棒と一緒なような気がするからだろう。その刀に比べ、竹刀はいちいち指図しなければ動けない新入社員のようだ。
しかし、刀の操法は、あらためて検討してみると、本当に身体の数十ヶ所の微妙な連動によっているから解析が非常に難しいし、下手に意識して使って、ちょっと失敗すると、手首や肩にもの凄い負荷がかかってくる。
そして、自分でも時に刀がどういう軌跡で動くか予想がつかないため「絶対にあり得ない」と分かっていても、時に自分で閃かせている刀の切先が自分の眼を突いてくるのではないかとの怖さに襲われ、何度も手を伸ばしたり縮めたりして、刀の切先が私自身の顔に飛んでくる訳はない事を確認するのだが、ピカッと光って瞬間に蛇行したその軌跡の行き先が予想つかないと、思わずのけぞりそうになる。真剣を手にして、約30年。いままでこのような事はまったくなかった。
いまは体術も、この剣術の変化に引っ張られているからかもしれないが、根本的にいろいろ組み換えて考えているから、モデルチェンジばかり。したがって、何か基本を覚えてそれを繰り返し反復稽古して身につけて…と考えているような人には、私の武術はまったく向かないだろう。
私の場合、基本・基盤となる術理の概念や考え方はあるが、いわゆる基本らしい基本はないし、講座中でもドンドン変化してゆくことが多いので、一般的な稽古事の感覚で私の講習会に出られたら、戸惑いの連続だと思う。しかし、何より私が戸惑いの連続なのだから、何とも致し方ない。
そういう技ですので、それでもいい方、それだからこそ関心があるという方は、8日の池袋コミュニティカレッジ、15日の奈良、16日の大阪、17日の名古屋などにお問い合わせ下さい。
以上1日分/掲載日 平成22年10月7日(木)
まったく一体何がどうなっているのか?と思うほど、いろいろな用件が降ってくる。その上、出会いも半端でなくある。
7日の「風の行方」駒場の住宅街での佐藤健作氏の太鼓は、市街地で大砲をぶっ放したような凄まじさ。間近で聞く太鼓の響きは内臓まで振動させられる。実際、カフェの天井からチリやホコリが落ちてきた。しかも、その場でおよそ女性がなりたいと思わないような山での仕事を目指している人とも出会うし、マレビトばかり、よくこれほど知り合うものだと思う。
さて以下は、佐世保の「ミツバチたすけ隊」に関するお知らせです。
10月18日から、名古屋で、COP10と呼ばれる生物多様性の世界大会が開かれ「ミツバチたすけ隊」はこのCOP10に参加します。
この「ミツバチたすけ隊」のCOP10の活動には私のマレビト人脈の奮闘で、かの坂本龍一氏や名越康文氏にも協賛者になっていただく事になりました。
このミツバチの現状をより多くの方々に知っていただきたいと思っております。是非ともご来場下さい。
(以下は、パンフレットに書いてある野元浩二氏の三女小学3年生麻有ちゃんの文章です)
2009年の秋、お父さんの友だちで“ミツバチ博士”と呼ばれている久志先生が、私の家にニホンミツバチの巣箱を持ってきました。先生は、自然いっぱいの私の家にミツバチを避難させたのです。先生は昨年ミツバチの群れを100以上失いました。世界中でミツバチがいなくなっているそうです。もしミツバチがみんないなくなったら、私たちは野菜も果物も食べられなくなります。
私はこれまでハチが怖かったのですが、今は、ニホンミツバチが人と友だちになれると知って怖くなくなりました。久志先生は、ニホンミツバチは友だちを決して刺さないと言っています。ミツバチが最初に人と会った時は、人を怖がり、お尻の白い輪っかを広げて「知らない奴だ、気をつけろ」と仲間に知らせます。手を入口においてしばらくすると乗って来ます。そうしたら友だちになれたということで、それからは刺しません。
私は毎日遊んでいるので、いくつかハチたちの言葉をおぼえました。久志先生は20くらいの言葉が解るそうです。ハチたちが分蜂した時、ハチの塊にほっぺたをくっつけると暖かかったです。
おいしいハチミツが採れました。ミツバチは巣箱の中で上から巣を作っていき、下の方で赤ちゃんを育てます。上の方にハチミツを貯めるので、一番上の箱を切りとってハチミツを採りました。このときは、友だちになったミツバチのほうも協力してくれるので、顔を覆う網も手袋もハチをおとなしくさせる煙を出す道具もいりません。
一番こわいのは、台風でもスズメバチでもありません。農薬です。以前の農薬でも、100メートル以内のミツバチが死んでいましたが、新しい農薬のネオニコチノイドというのは4キロメートル四方のミツバチが死んでしまいます。久志先生とお父さんは原子爆弾と同じだと怒っています。
ミツバチたちはとても頭がよくて可愛いので、守ってあげたいと思っています。
のもと まゆ(小3)夏休み自由研究より
友だちになれるのは、何千万年もお互い戦ってきて進化したニホンミツバチとオオスズメバチだけだそうです。
COP10
10月18日(月) 〜10月29日(金)
生物多様性条約第10回締約国会議COP10併催生物多様性交流フェア
(英語名:Asian Honey Bees, Nagasaki) 出展・参加
世界190ケ国以上の国と地域から、8000名以上の政府関係者や専門家が、集まります。
10月18日(月) 〜10月29日(金)
ブース・パネル展示(無料)
場所:名古屋国際会議場(〒456-0036 愛知県名古屋市熱田区熱田西町1" 1)・白鳥会場
10月22日(金)午前10時〜12時
「日本ミツバチに学ぶ」 講演:久志富士男(無料)
場所:白鳥会場・名古屋学院大学体育館フォーラム小会場2
10月24日(日)午後3時〜4時
「ミツバチがおらんと困るとばい!〜蜂飼い久志氏が語る」語りとオトヒトツ・H3のLIVEステージ(無料)
場所:白鳥会場横・熱田神宮公園(フェスティバルゾーン)特設ステージ
※会場には駐車場はございません。ご来場の際には必ず公共交通機関をご利用ください。
●交通●
地下鉄名城線「西高蔵」駅2番出口より 徒歩5分
地下鉄名港線「日比野」駅1番出口より 徒歩5分
以上1日分/掲載日 平成22年10月7日(木)
気がつけば10月も、もう中旬。秋本番の筈だが、時々夏のように気温の高い日がある。今年の秋は、どうも秋という感じがいま一つしない。ただ、忙しさだけは一層込み入ってきて攻めたてられている。ここ数ヶ月の間、新しい依頼は、よほど私が関心を持てることでないと受ける事は出来ないと思う。 そんな中だが、名古屋で開催のCOP10に「ミツバチたすけ隊」がブースを出す事で、協賛の人に声をかけたりと、そうした事には手は抜けない。 また、今日は私の地元のミツバチプロジェクトのM氏から電話があり、こちらもDVDを作ったりして、いろいろ活動しているとのこと。しかし、その過程でネオニコチノイド系の農薬の問題を指摘する事には、なかなか困難さがつきまとうようである。すでに何度も言ってきているが、ネオニコチノイド系の農薬が現実にどの程度生態系に影響を及ぼしているかは、行政が早急に検討しなければならない問題の筈だが、こうしたことも含め、とにかく環境問題に関してはメディアも腰が引けているようだ。 昨日、COP10に関してNHKテレビがいろいろ放映していたが、深刻な問題提起を報道している筈なのにも関わらず、何だかその事を本気で考えさせる事に水をさすような“お笑い”感覚を入れたり、話が深刻になりかけるとアナウンサーが急に別の話に話題をふったりと、何とも観ていて腹の立ってくる作りだった。もし本気で環境問題に取り組むのなら、現在の畜産や農業の在り方も根本的に見直し、質素な食べ物になる事をも覚悟した政策をとらなければならないだろうが、現在のような社会的雰囲気の下では難しいことだろう。ただ難しいだろうが、やれる事からやっていくしかないようだ。 そういえば、現在渋谷のアップリンクで、森美智代女史をモデルとした「不食の時代」が上映中との事。ご関心のある方は、いらして頂きたい。 私は15日に奈良女子大で講演を行ないますが、こうした事にも触れたいと思います。そして、16日は大阪で、17日は名古屋で稽古会。21日は朝日カルチャーセンター新宿での講座です。御関心のある方はどうぞ。
以上1日分/掲載日 平成22年10月14日(木)
真剣が竹刀よりも迅速に変化し奔るようになって、やはり、ついつい、この醍醐味を味わいたくて、稽古をしてしまいすぎたのだろう。
段々腰や背中や肩が痛くなってきていたのだが、12日夜風呂に入って出てから、右上腕に激痛を覚えるようになり、「これは困った、13日は綾瀬の稽古、14日は先輩の伊藤氏と研究稽古、そして15日は奈良の講習会、16日17日と大阪、名古屋の稽古会が入っているし」と思ったが、「まあこういう人生の脚本ならそれはそれで仕方がない」と気持ちを切り替えて13日の講習会に臨んだが、意外と動け、14日も伊藤氏との研究稽古では、思いがけず手首の付け根と体幹の関係でハッキリとした技の進展があり、伊藤氏にも「うーんこりゃ違うねえ」と唸ってもらえた。
しかし、やはり本調子ではないから、今日新幹線に乗ってから久しぶりに「空へ」を聞く。十数年前、この曲を歌うカルメン・マキという希代の歌手のシャウトの部分で体がバラバラに割れた。私にとっては人生の中で決定的に大きな影響を受けた曲。久しぶりにじっくり聴いたが、往時の感動が蘇ってきて、あらためて彼女の実力を思い知る。ここ何年間ライブに行こうと何度も思いながら他との予定と重なって行けていない。何とか今年中には行きたいと思うが…。
しかし、それにしてもやることが多く、さまざまなことが、やりかけのままになっていて本当に心苦しい。
また、いつもいろいろ考えて半分上の空になって家の仕事などもやっているせいか、我ながら呆然とするマヌケなこともやってしまう。一昨日など風呂場の電球が切れていたのでそれを取り換えようと、脚立を広げ、それに乗って電球を覆っている防水の丸いガラスを取り外そうとした時、そのガラスが電球の熱で熱くなっているのでこれは何かタオルでも湿らせてそれで持つかな、などと考えた瞬間、愕然とする。「そうか、熱いということは、電球がついているということだ(現に明るい)」「誰か取り換えたんだ。」(陽紀が取り換えた事を後で知る)
その時、昔誰かが実際にあった事として、何かに書いていたが、その人が、子供の頃、ある日雨の中でカサさして、植木に水をかけていたそうである。そうしたら、困った顔をした母親から「おまえねぇ、雨は水なんだよ」と言われ、「なるほど、そうか」と気が付いたという話を思い出して、この話を笑えない自分に、おかしいやら情けないやら!
このような状態ですので、何か依頼をされている方は、薄氷を踏む思いで用心をされ事前にご確認下さい。
以上1日分/掲載日 平成22年10月16日(土)
15日から奈良、大阪、名古屋と駆け足でまわって、17日深夜に帰宅。どこでも盛り上がり、しかも様々な用件を抱えての旅だったから、盛り上がった後、部屋にひきとってメールの返信などをしていると、いつの間にか何時間も経っていて、奈良では寝たのが朝6時。最近は教育関係の人達から随分と熱心に相談を受けることが多くなってきた。このような状態なので、どこかで書こうと持って出た原稿や、書きかけの手紙が、ほとんど書けず、やっと時間を盗むようにして手紙を書いても今度は出すことを忘れていたりと、前回この随感録で書いた、すでに取り替えられていた電球を取り替えようと作業を始めた間抜けぶりを薄めたようなことはもう日常茶飯事となってきている。よくダブルブッキングをしないで済んでいると思う。
そういえばこの電球の話に関連して、雨の中で傘をさして植木に水を遣っていた人がいたと書いたが、「それは狐狸庵先生こと、遠藤周作氏か、そのお兄さんのことではなかったでしょうか?」と知人のM女史から連絡があった。
今週は21日朝日カルチャーセンター新宿で講座。23日は佐渡で講習会。24日は新潟で初めての「この日の学校」。最近は技がまた大幅に変わったので、ついつい稽古をやり過ぎて、満身創痍ですが、私も驚く発見があります。ご関心のある方はお出かけください。
また、11月10日は朝日カルチャーセンター新宿で道具刃物の職人であり、研究家でもある土田昇氏との公開トークがあります。おそらく好評であった第1回目よりもさらに興味深い話が展開するのではないかと思います。直接道具刃物に関心のない方であっても、スポーツ楽器演奏、その他様々な技芸に関わる方々には少なからず参考になることがあると思いますので、どうぞお出かけください。
以上1日分/掲載日 平成22年10月19日(火)
名越クリニック院長と久しぶりに夜、2度にわたって計小1時間ほど電話。電話の目的は18日一緒に伺った身体教育研究所の野口裕之先生のお話のおさらいだったが、名越氏は、この夜、野口先生のお話と共に、私が実演した「竹刀よりも真剣の方が早く変化する」という刀の動きに衝撃を受けたとの事で、その事が名越氏のツイッターにも書いてある。
私としては、真剣が竹刀より早く動かせるというのは、もう当然の事になりつつあり(確かに30年以上の憧れであったし、今でも「よく、この動かし方に気づけたな」とは思うが)、今は、その事よりも14日に伊藤峯夫氏と稽古していてハッキリとしてきた「ハネ釣り」の体と一対の表の技ともいえる(どちらが表でどちらが裏かは微妙だが)手首内側のポイントを使う技の気づきの方が不思議である。
関西旅行中、いろいろと検討を加え、これは電車の窓の開閉に譬える事を思いついて、私自身は大変うまい譬えだと思ったのだが、どうも人には伝わり難いようだ。たしかに今どきの電車の窓によく見られる、どこでも任意の位置に窓を開けられる構造を、手で直にやるのと少し離れた所から折り畳んだ傘か何かで上げ下げするのとでは、まるで比較にならないほど手で直にやる方が楽だが、最近気づいた手首の内側でやる動きは、まさにこの感じなのだ。といっても、これを書いていて「文字ではまるで伝わらないだろうな」とあらためて思った。
御関心のある方は、明日21日の朝日カルチャーセンター新宿の講座か、23日の佐渡の講習会、24日の新潟の「この日の学校」、あるいは11月3日の綾瀬の講習会、10日の朝日カルチャーセンター新宿での公開トークにどうぞ。
以上1日分/掲載日 平成22年10月21日(木)
22日は佐渡へ。今年の2月に大雪で行けなくなったから、今年最初で最後の佐渡である。しかし、今回もなかなか容易には行かせてもらえなかった。
まず、新宿に向かう電車が踏切事故で約30分止まり、予定の上越新幹線を出してしまう。そして、約20分後の新幹線にギリギリ乗ったが、この新幹線が新潟のホームに着いてから、2キロほど離れた新潟港から出る高速連絡船の出航時刻まで17分しかない。
まず、新幹線のホームからタクシー乗り場まで数百メートルあるから、朴歯で駆けるわけにもいかず、5分はかかる。殆ど諦めていたが、とにかく取り敢えず駅の構内から出た。すると、その場所に空のタクシーがちょうど来て乗ると、実に裏道にも詳しいドライバーで、交通違反スレスレのダイナミックな運転で5分で港へ。おかげでタクシーを降りてからまだ4分あり、ギリギリよりも少し余裕で高速船ジェットフォイルに乗船。船が佐渡に近づくと、まだ日没には時間があったが、なぜか藤原家隆の歌「ちぎりあれば浪花の里に宿り来て波の入り日を拝みつるかな」を思い出す。
やがて佐渡に上陸。その佐渡は、両津の港に迎えに来て下さった三浦住職に案内して頂いて、まず佐渡は、ひどいというナラ枯れの様子を見に山へ。そして、確かにひどいナラ枯れを見たが、その山近くの東光山清水寺(せいすいじ)は、いかにも古刹という雰囲気で、門を入ってしばらく樹齢200年は経っていると思われる杉並木が続いていた。
この寺の印象は恐らく長く記憶に残るだろう。
また、この寺の向かいにあった大銀杏も樹の周囲が8メートル近くあるという見事なもの。ここまで太い銀杏はそうそう出合えない。これもこの日の収穫。
そして夜は数人の方々と会食をしたが、その場所が素人の創作料理だったが、実に見事。糸島の平尾家といい、この「キッチンみちこ」といい、手をかけた素人の方が、ほとんどのプロより上をいく料理が出る時代なのだとあらためて思った。
そして、その後も滅多に体験出来ない出会いが…。世の中には小説の中にしかないような事があるものだとつくづく思う。お陰で原稿書きに費やそうと思っていた2時間余りが、あっという間に消えてしまったが、太刀を短い距離でタメなく鋭く振るというか動かす事に、具体的希望が見えてきた。
これは21日の朝日カルチャーセンター新宿での講座の後、来ていた人達と話しをした時に、フト口から出たことなのだが、これを初めて体を通して試みて気づいた。そのため、ここ最近の実験的な体の使い方で、左手首、右手首、腕、肩と、あちこち痛いのだが、それでもどうしても稽古をやりたくなってやってしまう。
その上、23日の朝は、これから名古屋のCOP10に行くという佐世保の野元氏からメールが届き、こちらにも思いを飛ばして応援を送る。
明日は新潟で初めての「この日の学校」。これは密度の濃いものになりそうだ。
以上1日分/掲載日 平成22年10月25日(月)
佐渡、新潟とまわり、新潟では、というより東京よりも北では初めての「この日の学校」を開いて、「こんなにも時間は早く経つのか」と驚いた。新潟での「この日の学校」が濃密な内容になるであろう事は、新潟で開くことに大変積極的であった世話人の視覚行動研究所の野澤康所長の情熱と、ゲストに光岡英稔師範を迎える段取りになった時から十分に予想がついてはいたが、それにしても、これほど早く時間が経つとは思わなかった。
そのため、「まだまだ面白い話があるのに…」という残念な思いもあったが、何人もの方々から「"学問をする"という事に新しく目を開かれた思いがした」といったような感想を聞くことが出来たので、「やって良かった」との思いが、「この日の学校」の打ち上げでしみじみとしてきた。
さて、一つ大きな仕事を終えて新潟から帰宅し、これからの予定を調べてみたが、やる事の多さにはあらためて驚いた。その中で優先順位をつけるのは難しいが、いま最も気になるのは(いい意味ではなく)ネオニコチノイド系の農薬のこと。先ほど多摩ミツバチプロジェクトの御園氏が訪ねてこられ、『ミツバチを救え!』プロジェクトで作られたという『ミツバチからのメッセージ』というDVD試作盤を一枚持ってこられたのだが、これほどミツバチが死に、他の昆虫も鳥も姿を消しつつあるのに、農薬の問題を指摘し、これに反対の意思表示をしようという養蜂家が決して多くないという話に唖然とする。
理由は農薬の害を言いたてて近隣と気まずくなりたくないという「事なかれ主義」が蔓延しているからのようだ。いま名古屋で開かれているCOP10には沢山のブースが出ていて、水生昆虫を守ろうとか、稀少生物の保護を訴えるブースはあちこちにあるのに、明確に農薬の問題を指摘し、その使用反対を打ち出しているのは、私が協賛している「ミツバチたすけ隊」と、その他は一つか二つある程度だという。
つまり、先日も、この随感録で書いたが、COP10を取り上げて特集をしていたNHKテレビでも深刻な問題に真っ向から向き合う事を避け、雰囲気だけのキレイ事で済ませようとしていたが、それが世の大勢なのだろう。
しかし、ハチだけでなく鳥類などの生き物全体がネオニコチノイド系の農薬の普及と共に驚くほど姿を消しつつある事実は確かであり、稲が稔るこの季節に(地域にもよるだろうが)田に雀をほとんど見かけないというのは背筋が寒くなる光景である。既に何度も書いたが、レイチェル・カーソン女史の名著『沈黙の春』による警告は、いま日本で『沈黙の秋』となって実現している。
何とか、この問題に、より多くの人達が関心を持ち、一刻も早い善処を望みたい。
水俣病、薬害エイズ、アスベスト等、国が、世間が積極的対応を遅らせ、後々禍根を残した例があるのだから、これらの問題のどれよりも大きな悔いを残しそうな、このネオニコチノイド系農薬の問題には是非真剣に向き合ってもらいたいと思う。
何しろ生物多様性の存在意義を認めるなら、仮に1000歩譲って、昆虫以外の生物への毒性が極めて低いにしても、昆虫が死滅するという事は生態系に重大な影響が出ることであり、そのような農薬はやはり禁止すべきだろう。
よく農薬がないと農業がとてつもなく大変のように言うが、故福岡正信翁提唱の無起耕の自然農法を始め、農業や肥料を使わず、見事に農業を行なっている人達も存在するのだから、消費者も野菜の形とか虫喰いに文句を言わず(虫喰いがあるから安全の証と考え)、それらを喜んで買うようになれば、自ら社会の常識も変わってくるだろう。
農薬は必要悪のような説もあるが、人類の歴史で農薬を使い始めたのは僅か数十年前からである。食物の内容、生き方、暮し方、そういったこと全体を根底から見直し、農薬を全廃しても少しも困らないというか、今よりもずっと生き生きと生きていける時代を招来したいものである。
以上1日分/掲載日 平成22年10月27日(水)
思いがけず28日からツイッターを始めてしまった。畏友の名越康文・名越クリニック院長から「世紀の説得」を受けていたが、技術不足と忙しさで、やるにしても当分先だと思っていた。ただ、最近の忙しさでダブルブッキングの恐れがあり、それを防止する意味で、多くの人に私の予定を共有してもらいたいと思い始め、「そのうちツイッターをやろうかな」と思っていたが、28日にツイッター開始に踏み切った直接的理由は、この日来訪予定の人がどうしても仕事の都合で来れなくなった事で、フト時間が空いたからである。(http://twitter.com/shouseikan) しかし、その決断へと私の背中を押したのは、27日の夜、DVD「ミツバチからのメッセージ」試作版を見たことで、現在の行政、メーカー、メディア等への怒りが込み上げたからだと思う。これを見るとネオニコチノイド系農薬の影響がミツバチの大量死の原因として限りなく黒に近い灰色であるのに、行政が少しも腰をあげないし、メディアも避けて通ろうとしている。
名古屋で開かれていたCOP10も昨日終了したが、ここでの「生物多様性を大切にしよう」との謳い文句は連日メディアで流れていたが、九州、例えば佐世保など、この時期の田に「一羽の雀をみつけるのも困難」という、かつてなかった異変のようなのに、それをなぜメディアは取り上げず、行政は関心を持たないのだろうか?
その理由は、そうした鳥も姿を消した原因がネオニコチノイド系の農薬によるもの、という結論に近づくことにメーカーとそれに関連する企業はもちろん、行政も恐れているからメディアも手がつけられないだろう。しかし、事は人間の根本的生命の問題である。このような農薬問題を放置して、喫煙の害だのメタボがどうのだの、まったく噴飯ものである。
私はこの頃、中学生に何か指導をして欲しいと言われた時、「本当にいいんですか、私は過激なことを言いますよ」と断わって、それでもいいと言われると「君達は何のために勉強していると思う?君達が勉強する最も必然的理由は、有名校に入るためでも就職のためでもなく、目先の利益や体面のために本当に愚かな事をやっているバカな大人と戦って、それを止めるためだよ」と言っているが、この言葉が以前は半分冗談交じりだったのだが、最近は本当に切実味が増してきた。
来月6日は、昨年も招かれた東大和の中学校で卒業生向けの講演を頼まれているが、いまの私の精神状態では、かつてない過激な事を言いそうで、来年からは招かれなくなるかもしれない。しかし、一人でも私の話が心の奥に響いて、現在の我々が置かれている状況の危うさに気がついてもらえるのなら、行って話す意味もあると思う。
それにしても、なぜ私は常に世の大勢に背を向ける立場にばかり立つ事になるのだろう。やはりバカな大人が多いせいだろうか。「いまの時代に背を向けて、我が道を行く」生き方を通しているのは桜井章一雀鬼会会長も同じだが、その方向が私とはかなり違う。まあ、桜井会長に環境問題は似合わないが、人間の欲がこのような状況を作っていることには賛同されると思う。
その桜井章一雀鬼会会長には珍しい公開トークが、12月14日に朝日カルチャーセンター大阪であります。これは桜井章一雀鬼会会長と宗教学者の植島啓司元関西大学教授との公開トークで、この企画は、朝日カルチャーセンター大阪のM女史の涙ぐましい奮闘によって実現の運びとなったものですが、2つ難しい条件がついていて、1つは「聴講したいという人を、満員だからといって断わらないように」、もう1つは「本のサインを求める人に対しても時間切れだからと断わらないように」というもので、そうなると会場選びが大変です。一応400人収容の会場を確保したとの事ですが、人数が少なければ赤字ですし、多すぎたら大変です。まあ少ないという事はないと思いますので、本当に雀鬼に会いたいという人以外は、なるべく受講を控えて頂きたいと思います。
以上1日分/掲載日 平成22年10月27日(水)
10月26日付けの随感録で、「消費者も野菜の虫食いに文句を言ず…」というような事を説いて、農薬のない農業実現への願いを書いたところ、読者のS氏から下記のようなメールを頂いた。
確かに、このS氏の言われるように、完全無農薬にして、肥料も安易な有機肥料などを用いないで行なうレベルの高い自然農法では、まるで質の違う農作物が出来ることは知る人ぞ知る事実。私は赤峰氏の事は詳しくは知らないが、日本中がこうした方向に向かえば、本当に理想である。
普通の野菜は葉物なども冷蔵庫に入れておいてもベトベトに腐ってきたりするが、質の高い野菜は、ただ萎れるだけで腐ってきたりはしない。これによっても現代の野菜がいかに変質化しているかが分かると思う。
しかし、農業も世界基準に合わせて工業化しようという現代の時代の流れだから、それに抗して、まあレベルは低くとも農薬を使わなくて虫に喰われた野菜であっても、これに文句を言わないようになって欲しいと思って書いたのである。
しかし、口蹄疫の問題にしてもそうだが、別にそれで牛や豚は死にはしないし、人間も影響はないというのに、ただ「商品価値が下がる」という経済的理由でこの病気を目の敵にして徹底防備を声高に叫んでいるのである。口蹄疫は、アフリカなどでは牛がよく罹る病気の一つで特に問題視はされていなかったという事である。このように目先の体裁だけ整えて、いったい人間はどこに行こうとしているのだろうか。見た目は本当に素朴な雑穀飯と野菜だが、それが自然農法で育てられた、その植物本来の生命力を宿したものであれば、肉体も壮健に精神も明朗になるだろう。
そして、そういう作物を作ることに丹精を込め、そういう作業を行なう体の使い方が、より精妙になるように武術の修練をする。それが、私がツイッターのプロフィールに書いた「兵農分離以前の武術を理想とし…」という事なのである。
私は成り行きから、いつの間にか私の武術の技が野球や卓球などスポーツに応用されて注目が集まり、その事で世に出た形となっている。もちろん、その事が不本意という訳ではないし、スポーツのような多くの人達が関心を持つ事に関わる事で、私に対する関心が高まれば、この農業の問題にしても教育の問題にしても、かねてから私が主張している事を聞いてもらえると思って本も出しているし、テレビなどのメディアにも出ている。
しかし、私は、私の名前が出ることは、私の願う社会の在りように関心を持ってもらうための手段であり、目的ではない。もちろん政治家になるつもりは全くない。政治家になったら、折り合いと妥協の連続で、当初あった自分の理想の屑籠の中に入っていることは、民主党を見ていても明らか。民主主義ということ自体が、民度が高ければ違うだろうが、現実は妥協の産物であり理想ではないのだから、現状の民度のままでは、政治によって社会を変える事は不可能だろう。まず何よりも人々の意識を変えないことには、何事も始まらない。
私が純粋にやりたい事といえば、水と緑に囲まれたところで、無農薬で作物をつくる人達と交流しながら、そういう仕事や山仕事を手伝ったりして、後は武術の稽古と研究を続けることだ。
しかし、現実は無農薬での見事なりんご作りに成功した、あの『奇跡のリンゴ』の著者の木村秋則氏をして感嘆せしめた、山に自然に生えている木々でさえ、現在の環境の悪化により「ナラ枯れ」「ブナ枯れ」などを起こし始めているのである。林野庁は虫のせいにして、また農薬を撒きたいような気配もあるが、そうなれば一層環境は悪化するだろう。「ナラ枯れ」の最も根本的な原因が、中国からの酸性雨にある事については、丹念に現状を調査された大森禎子元東邦大学教授の指摘されるところだが、(本年8月25日付の随感録)その辺も政治的配慮か、なかなか認知されていないようだ。木村秋則氏とは来年の7月末に弘前で公開トークを行なう予定だが、その頃はもっと深刻な話をしなければならないのかもしれない。
そのような訳で、ナラ枯れもある。ネオニコチノイドの(というか、どの種類であってもその存在がいいとは言えない)農薬の問題もある。意味のない体を壊すような馬鹿げたトレーニングで、心身を壊されているスポーツ志願の子供や選手の問題もある…等々で、理想の山暮らしというわけにもいきそうもない。
もっとも、いまの日本で相当の広範囲にわたって農薬も化学肥料も使っていないような里山を背景とした農地など望むべくもないだろう。COP10で多少は国民の関心が集まったことを機会に、一つの県の3分の1くらいの面積で農薬も化学肥料も使わない、新建材も抗菌グッズも入れない地域をつくり、そこでいかに生物が生き生きと生き、アトピーなどアレルギーのひどい子供達が蘇るかを試してみたいものである。
人間にとっての幸福が何かを、今こそ多くの人達に問い直して欲しいと思う。
以上1日分/掲載日 平成22年11月1日(月)