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最近は、すっかりツイッターの方にばかり書き込んで、この随感録がお留守になってしまった。今回もツイッターに、アップした文が元になっているが、それに、かなり加筆して久しぶりの随感録とした。
気づけばすでに6月も終わろうとしている。もちろん、毎日毎日さまざまな予定があり、現在が何月何日なのか分かっている筈だ。しかしいままでなら、忙しいと言っても、それなりにその季節の変わり目変わり目を感じて過ごしてきたが、震災があって、福島の原発があんなふうになって以来、何かただ毎日の連続という感じしかないような気がする。いろいろ気持ちを切り替えようと様々に工夫し、それはそれで、それなりに自分を持たせてきたが、震災以前の日々は、渡辺京二先生の名著のタイトルではないが、『逝きし世の面影』(幕末や明治の初期に来日した西欧人の観た日本の特色を記述した文献を集め、詳しく検討した大著)であることは明らかだ。
4月の桜の満開も、今年はまるで他人事だったし、5月の若葉も、かつてのように素直には感動できなかった。
そして、こと現在の状況に関していえば、この過去を懐かしむ思いを「未練」として断ち切らず、原発事故はこれほどどうしようもない「想い」い事を齎すのだから、やはり止めようという事への原動力にするべきだと思う。
もちろん、その一方で、その困難さが、恐らく想像を超えるくらい大変だという事も十分予想できる。「想像を超えるくらい大変な事が十分予想できる」という言い方もおかしいが、つまり現段階では想定出来ないほどの様々な問題が噴出するだろうという事である。
もちろん、それがどういう事かは、現段階では分からないが、混乱混迷がこれから続くことは、あまりにも明白だ。ただ、ある程度分かる事は、現在は原発事故の恐ろしさに怯えて、脱原発を口にしていても、不便な生活に耐えられる人は、現代ではそう多くないという事だ。そうした中、いま我々に出来ることは、とにかく状況を適確に判断し、動ける体を作っておくという事ぐらいだろう。そして、そういう体を通して物事を考えるという事だろう。
私もそれに向けて最近動きをまた工夫し、新たな発見もあるので、御関心のある方は講習会にどうぞ。
そういえば、昨日来た『剣道日本』8月号に、『武道から武術へ』のかなり好意的書評が載っていた。ひとつは、剣道社会の内部から、剣道界への直接批判はなかなか難しいので、『武道から武術へ』を、それなりに評価することで、結果としての剣道界の改革を訴えたいのかもしれない。
7月は2日に大阪で、3日は四国香川で講習会を行います。四国は久しぶりですが、ここでの講習会は私自身いままで、しばしば気づきがあったところなので、今回も期待しております。御縁のある方はどうぞ。何しろ四国の世話人の守氏は独特のセンスがあって、ずいぶん私の気づきを刺激して頂いているので…。
以上1日分/掲載日 平成23年6月26日(日)