2006年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 2001年 2005年 2009年 2013年 2002年 2006年 2010年 2014年 2003年 2007年 2011年 2016年 2004年 2008年 2012年 |
5月の29日から4日連続、朝7時前後に家を出て、NHK教育テレビの「まる得マガジン」の撮影に豊島区の千川スタジオに通う。最近は夜明けすぎに寝ることが多い私が、いつもは眠りにつく時間から1,2時間後に起きて、約12時間、夜までカンヅメ状態での撮影に臨むという初めての体験をして、すっかり疲れきってしまった。
しかし、早朝から深夜まで頭を下げ通しで、あちこちからイヤミを言われたり、無理難題を吹きかけられる事に耐えている外回りが仕事の人達の苦労に比べれば、私などキツイとは言っても、ディレクター、カメラ、音声、その他スタッフの人達から気を遣っていただく殿様待遇であり、ぜいたくは言えないとあらためて思った。
ただ、介護法やら日常生活の動きの紹介がメインなだけに、武術的気づきが殆どなく、稽古が停滞した感じがしたのは残念だった。ただ、4日間ずっと夕方までアドバイザーとして参加して頂いた岡田慎一郎氏と、アシスタントと運転手を兼ねて全日程一緒に行動してくれた長男陽紀のお陰でずいぶん助けられた。
この期間中、いま述べたように気づきはあまりなかったが、岡田氏と陽紀は、ちょっとしたヒマを見つけてはいろいろ話しながら動きについて研究していたようで、31日は「糸車の立ち坐り」ともいえる面白い動きを工夫していた。特に「糸車の坐り」は、不思議に有効で、そのユーモラスな姿と奇妙な体感に、おそらく子供達は大喜びすると思う。
この動きはジャイロコンパスのような回転体が、その姿勢を維持し続けようとする働きを利用しているのだと思うが、その恰好が傑作である。この他、岡田氏に受けてもらったタックル潰しに、ひとつ新しい体を居着かせぬ気づきがあった。
とにかく怪我もなく無事撮り終えることが出来た。ここで共演者の安藤和津女史ならびにスタッフの方々に御礼を申し上げたい。
4日間、終日撮影にとられたため、原稿書きや校正、手紙など全て止まっていたので、少なからぬ量の新しい仕事が増えていたが、昨夜はとにかく疲れていたので、それらにざっと目を通して、とにかく寝ようとしていたところへ、岡山の光岡英稔師から電話が入る。29日に、約1ヶ月半ぶりに自宅に帰ったという光岡師から電話をもらい、今回の中国滞在中の話など聞かせて頂いていたから、おおよその状況は分かっていたのだが、昨夜の電話は、光岡師が帰国して留守中に届いていた『武学探究』巻之二を通読し、どうにも書き改めたいところがいくつも出てきて堪らなくなって私と話をしたくなったとの事であった。
この事に関しては、私自身すでに5月24日付けの随感録で、この本の内容がすでに遠くなっていると書き、私でさえそうだから、「いまの私以上に変化し続けられているであろう光岡師は、一層そう感じられているのではないかと思う」と書いたが、現実は私が思っていた以上だったようである。光岡師も、かつて思っていた事と、いま気づいた事の違いは、僅かに「て、に、を、は」を変えるだけでも全く別のものになってくるという事を痛感され、すぐにでも書き改めたいようであった。それで私が「書いてしまったことを後悔するけれど、この先書かなかったらもっと後悔する、という事でしょう」と言うと、「その通りですね」と大笑いされていた。
という事は、巻之二とも違った形で『武学探究』巻之三は刊行される可能性が出てきた事になる。しかし、今までの二巻の『武学探究』とは、かなり色合いの違ったものになるかもしれない。いずれにせよ、いくつか期間を区切って書き、その後、校正可能であっても、すでに書いてしまった期間内の文には手を入れず、変えたいと思ったところは次の期間のなかで、その部分の説明をあらためて行なうようにしようと思う。
それにしても武術の探究というところから、いつの間にか人間が生きているという事自体への探究に進まれている光岡英稔師の情熱と、そのために常に風通しを良くしておこうとする道心の柔軟さは、私にとってどれほどありがたいか分からない。あらためて光岡英稔韓氏意拳導師との出会いに深く感謝したい。
以上1日分/掲載日 平成18年6月3日(土)
4日は、来月に岡田慎一郎氏が初めて刊行する予定の本『古武術介護入門』―古の身体技法をヒントに新しい身体介助法を提案する―(医学書院刊)に載せる推薦文の依頼を受けていたので一気に書く。もちろん、その他にも朝日新聞の木曜紙マリオンの原稿の点検と、もうひとつ依頼されているインタビュー原稿の校正、たまっている依頼の整理(とても全部は出来ないが)などを行なう。
『古武術介護入門』は、送付されてきたゲラを読んだが、ここ二十年間の間に、私が直接関わって「この人は見事だ」と感心した数人のライターの内の一人で、本業は医学書院の編集者の鳥居直介氏の仕切りであるだけに、さすがによく出来ている。それに同封されていた―推薦文御執筆のお願い―の文面がまた実に行き届いている。
最近は、本当に、とてもプロとは信じ難いライターや編集者が多いなか、「これぞプロ」という仕事人として、鳥居氏は現代では横綱級であることは確かだろう。鳥居氏の文章を読んでいると、企画好きの私の頭のなかに、たちまち鳥居氏や新潮社の足立女史などを講師とした若い編集者を養成する塾のようなものを作れないだろうか、というアイディアが湧いてきた。その塾は、塾生が教室に座って話を聞くのではなく、助手かアシスタントとして各講師に貼りついて、その手際や応対を学ぶもので、その結果、産直野菜ではないが各講師が品質保証ならぬ人物保証をして世に出すという形にする、などなど…。
そう考えていると、先日NHKテレビで見た特報首都圏の、キッズ雑誌を参考に子供を有名校に入れようとする親の話に繋がっていった。つまり、このような親の情熱が質的に転換し、精神が既成の有名校、有名会社信仰から脱皮して、我が子をすぐれたライターかエディターにして、これからの時代をリードしてゆく人物にしようと、独自の計画が立てられるほどの、しっかりとした考えを持つようになれたら面白いことになるのにな…と思いが広がったのである。
つまり、どこかの出版社に無給の手伝いとして我が子を置いてもらえるように、ルートを開発し、我が子を誰からも好感を持たれるような挨拶が出来るような子にする事と、広く様々な本を興味を持って読むような子に育てるのである。もちろん、最初から本が嫌いではどうしようもないが、多少なりとも本好きの傾向があれば、学校の成績などは、ほどほどで十分として、後はものの見方・考え方を親子で話し合い、親自身も社会や環境を考えて、これからはどういう時代になるか、人間はどうしたらいいかを中学生ぐらいから話し合うのである。
そう、なかなかうまくはいかないと多くの人は思うだろうが、ここで大事なことは親自身、子供に大学に行って欲しいというような願望を完全に捨て、これからの時代、人間はどう生きたらいいのかという事を、成長する子供と共に一緒に考えようという思いを持つことである。子供というのは敏感なもので、親が自分に愛情を持ってくれ、その上、子供の将来を親の見栄や願望で縛るようなことを一切せず、そのために「今の時代、大学ぐらい出ておかないと恥かしい」といった気持ちを毛ほども持たなければ、そうそう曲がって育つとは思えない。もちろん大学に入ってはいけないというのではない。大学側も目先の学科の成績を第一とせず、人物に重点を置いて、学問など指導法でたちまち追いつけるようにする優れた教師を充実させればいいのである。
とにかく現代は諸事、あまりにも工夫の足りない人間が多すぎる。私も近い将来、大学で時に講義を持つことになりそうだが、とにかく創意工夫の出来る若者を育てたいと考えている。(もっとも幼少期に、その土台の出来ていない学生を導くのは容易ではないような気はするが…)
岡田慎一郎氏の著作から思わぬ方向に話がとんでしまったが、この岡田氏も、もともと引き籠り(本人曰く山籠り)になりかけていた大学受験失敗組で、世間的には言わば負け組と分類されかねない立場にいたわけだが、現在は日本中から講師として来て欲しいという声がかかっている。これから朝日新聞の木曜紙マリオンで、私と共に紹介され、7月から始まるNHK教育テレビの「まる得マガジン」でも紹介され、医学書院からも本が出て、本当に大忙しになるだろう。
この就職難の時代に、皆苦労しているというが、世の中の役に立ってやり甲斐のある事で、今まで誰もやらなかった事をみつけていけば新しい仕事の余地はいろいろあるのである。世の中というのは少しでも有効有利なことを"鵜の目鷹の目"で探しているようでも、既成の常識が邪魔をして、そういう有効な方法を真剣に検討する人は、実は驚くほど少ないのである。現に私が野球の牽制球を常識外に早く投げてみせても、ラグビーのタックルやハンドオフを、これも常識外に崩してみせても、J1のあるチームに行って、そこの選手全員と競り合って、すべて抜き去っても、その時は驚かれても、それをキッカケにその動きを学んでみたいと思われることは殆どない。(何百人に一人ぐらい例外的に興味を持つ人が出てくるが、本当にこうした武術の動きを研究してみよう、そのために今まで学んできたスポーツの常識を根底から総見直しをしようという人は、私に触れた人のなかで私の知る限り数人しかいない)
どのジャンルにしても、いままでの常識とは違ったところで新しい理論なり方法、技術を開発することは、大変やり甲斐のあることだと思うのだが、そうした情熱を持った人間が本当に少ないのは、同時代を共に生きる人間の一人として大変さびしいことである。
戦前は皇室に対する不敬罪や治安維持法で、言論は封殺されてきていたが、現代は現行の科学に対してマスコミはじめ言論界は、驚くほど徹底した自主規制をしている観がある。この自主規制は、戦前の不敬罪、治安維持法といったハッキリとした権力によって言論が抑え込まれている場合と異なり、現代の常識から突出して世間の笑いものになったら困るという、いわば現代人の有名校志向やブランド志向と同じ見栄が根底にある、いわば「自らで作り出した不敬罪」に対する恐れであるから、権力によって抑えつけられている場合よりも、一層人々の心を縛る力が強いのだろう。
この科学の呪縛を解く一つのキッカケとして、今年、私は清水宣明氏との共著『斎の舞へ』を刊行したが、なにしろ版元が仮立舎という超小型出版社で、ごく限られた書店にしか置かれていないせいか、二千部刷ったものもまだ売れ残っているようだ。確かに、この本は清水宣明という尋常ならざる情熱家の本なだけに、読むのにはかなりのエネルギーを必要とするが、「科学というものを科学者自身がここまで解体して見直した本は他に例がない」と評される、きわめてユニークな本である。もし、人生を、そしてこれからの時代を根本的に考えて、子供の教育やスポーツのトレーニング法を考え直したいという方には是非とも読んで頂きたい本である。
以上1日分/掲載日 平成18年6月5日(月)
NHKの撮りが終って、6月の初めはその疲れで休んでいると思ったが、撮りの間4日間は、ほとんど他の用件が手つかずだったため、用件が溜りに溜っていて、それらと取り組む日々。そうしたなか、神戸女学院大学の内田樹先生との共著『身体を通して時代を読む』(バジリコ刊)が出来上がってきた。見本本は、先月の30日に編集者の安藤聡氏がNHKの撮影先まで届けて下さったのだが、書店に入る初版一刷が5日に刷り上り、7日の今日には早いところでは並びそうである。
この本は、企画が具体化してから本になるまで3年くらいかかったと思う。ちょうど1年前、ほぼ八割がた出来ていたゲラに赤入れをした記憶があるから、かなり難産の本ということができる。しかし、そうした感じが全くないのは、ひとえに編集者の安藤聡氏の手腕である。
編集者としての手腕という事にかけては、安藤氏はこの世界で知られている方で、晶文社に在籍当時、ライターとしては屈指の田中聡氏に紹介して頂き、かなり以前から親しくさせて頂いているような記憶があるが、具体的に本を一冊仕上げるというような、まとまった共同作業は今回が初めてである。安藤氏の持ち味は、一見はかなそうに見える存在感と、押しが弱いようにみえて諦められないところだろう。編集者は著者との人間関係をどう構築するかという事も重要な要素だが、私が親しくさせて頂いている何人かの編集者のなかで、それが最も見事なのが新潮社の足立真穂女史。もちろん人と人との事であるから相性もあり、私が感心する足立女史の間の取り方や、応対ぶりを、すべての著者が納得するわけではないと思うが、養老孟司先生なども足立女史に対する信頼はきわめて厚いようだ。この足立女史と並んで、その存在感が軽くならない編集者は難しいのだが、安藤氏はその点特異な存在である。
先日も、あるテレビの撮影現場に畏友の名越康文氏と足立女史、安藤氏が揃って来て下さったのだが、センスのいい編集者が2人揃うと何だか独特の充実空間が出来て、その時あらためて安藤氏の不思議な実力に感心した。というのも、既に述べたように安藤氏は細身で一見気弱そうに見えるし、現に講演会の打ち上げで、予定以上の人数が会場に来てしまいそうな時、そこを仕切って人員を減らしたり出来ず、ひたすら「困ったなあ」という顔をされている。だが、そこに人としての誠実さが滲み出ていて、しかも編集能力にかけては第一級であるから、お付き合いの年月が重なると共に「ああ、この人には協力しないとなあ」という思いが、知らず知らずのうちにこちらの心の中に形成されてくるのである。
人間はやはり他とのコミュニケーションがどうスムーズにとれるか、という事に生きる手応えを大きく依存していると思う。能力があっても、一々ひっかかったもの言いをする人相手には、誰でも疲れてしまうだろう。また、その場を盛り上げるつもりで、あまり上手くもないツッコミを入れまくる人といるのにも疲れる。しかし又、こちらの気に入るように気に入るようにと気を使って、自分の素直な気持ちも言わない人もやはり疲れる。その点、足立女史とは全くタイプは違うが、安藤氏は有難い存在である。
思えば、ずっと何年も継続して縁のある編集者の方々について振り返ってみると、私は本を出す著者としては編集者に恵まれた方だと思う。最も多くの本を制作したPHP研究所の太田智一氏とは、入社ほどない頃からのお付き合いだが、その当時の同世代の若者とは思えないほどよく気が利き、「ああ、この人となら一緒に仕事が出来そうだ」と安心した事を今でも覚えている。そして、今や一人前の編集者として活躍中である。PHPで何か本を、という事になったら、部門が違っていても太田氏に担当して頂きたいと思う。
さて、今回の新刊『身体を通して時代を読む』は、何年かかけていろいろ話しただけに話は多岐にわたっているが、それだけに、より多くのジャンルの方々に何かの御参考にして頂けたら幸いである。
以上1日分/掲載日 平成18年6月7日(水)
私の動きのDVDも出しているインターアート・コミッティーズから、介護福祉士の岡田慎一郎氏が『カラダにやさしい介護術』のDVDを出すことになったので紹介しておきたい。
岡田氏のことについては、いままで再三、随感録でも触れてきたが、約2年半前、田町の港区スポーツセンターで、私が講習会を行なっていた折、初めて出会ったのが岡田氏との縁の始まりである。そして、その1年後には、こと介護に関しては、私の方が岡田氏からいろいろアドバイスを受けるほどに私の技術を吸収消化して、介護の現場に展開。いまや関西での朝日カルチャーセンターの講座などもキャンセル待ちが出るほどの人気講座を持つほどの実力者になっている。
昨年は、この岡田氏との共著の企画があり、写真や対談の録音などもK書店で行い、当初は昨年の7月頃、本になるという話だったのだが、どういうわけか企画の進行が止まったらしく、先方から何の連絡も入らなくなった。ただ私も、どうしようもないほどの忙しさで、私の方から問い合わせることもしなかったため、どうやらお蔵入りになってしまったらしい。ただ、この間、本と一緒にDVDを作るという企画があり、いろいろ変転に変転を重ねて、DVDの方は漸くインターアート・コミッティーズで発行される運びとなった。
この間、私や岡田氏と様々に話しながら、K書店との折衝その他、さまざまな進行役を行なって頂いたS女史の苦労はひと通りではなかったと思う。ここであらためて、そのS女史の労をねぎらいたいと思う。ただ、そのS女史も苦労のし甲斐があったと思われるほど送付されてきたDVDは完成度が高かった。
岡田氏の介護の技術の解説も、私などよりはよほど上手だし、あらためてこの先、この介護法は多くの人達に広まり、そこから更に拡がってゆくだろうと確信した。それだけに、いま様々な企業が介護界に参入を計画中とのことで、同じような武術にヒントを得たとか、武道を応用した介護術といったものが、今後登場してくる可能性が考えられる。しかし、それらに対して、こちら側(岡田氏や私)が、ある機関や組織をつくって、我々のやり方をブランド化し、指導員認定や講習会の修了証を発行するという事は、まったく考えていなかった。それは、我々が開発した方法は、少しでも多くの人達に何らかの役に立てば、それでいいし、事が事だけに著作権的なものを主張して、それで金銭をとることはしたくないと思ったからである。(もっとも、これを多くの方々に伝えるためには、いきおい専従とならざるを得ず、そのために、このようなDVDの発行や講習会で講師料を頂くことが必要となってくるので、完全無料というわけにはいかないが)
ただ、もしも余りに杜撰な介護法や不当に高額な講習料をとる団体が現れてきた場合、それらの被害を少しでも減らすために、ある程度の技術の認定制度をつくった方がいいだろうかという考えも浮かんだりした。しかし、その後、よくよく考えてみると、現代の何でもマニュアル化する社会に対し、各個人のオリジナルな工夫の大切さを説く我々が、「これが正しいやり方です」というのも随分おかしな事であるし、だいたい本来は日常的な赤ちゃんの抱き方や自転車の乗り方に認定制度などはない訳で、もしも先ほど述べたような「武術的な」とか、明らかに我々の動きを真似た介護法を教えるという団体が現れて、介護法に何らかの認定などを行なうことがあったとしても、我々が本家の面目として、それに対抗して認定制度をつくるなどという事は行なわないようにしようという事を、今日、岡田慎一郎氏とも電話で確認し合った。
したがって、あらためて言うが、今回発売されるインターアート・コミッティーズのDVD,さらには来月刊行される予定の医学書院の『古武術介護入門』といった岡田慎一郎氏による解説の実演のDVDや本、そして私が出した『身体から革命を起こす』(新潮社)、『DVD60分でよくわかる甲野善紀の身体革命』(学研刊)、それから今月29日に発売予定の『甲野善紀の暮らしの中の古武術活用法』(NHK教育テレビ"まる得マガジン"テキスト、7月10日より放送予定、全16回)などを参考に介護技術を工夫され、それを現場に応用する方があっても、それについて著作権がどうのという事は全くないので、ご自由に展開していって頂きたい。
そして最後にハッキリと申し上げておきたいが、この武術を応用した介護術の技術認定証は、この介護術によって介護を受けている方、すなわち被介護者の方々の感想だと思って頂きたい。この介護術は、介護者が楽なばかりではなく、被介護者、つまり介護を受けている側も負担が少なく、気持ちのよいものであることが特色となっているので、被介護者の感想は、そのまま介護者の技術レベルを表わしているからである。
いくら認定証の証書がたまろうと、被介護者から「気持ちがいい」「安心」といった感想が貰えなければ、その認定証はただの資源ゴミとなってしまうだろう。
以上1日分/掲載日 平成18年6月12日(月)
5月の終わりから6月の1日までの4日間、NHKの撮りのため、朝6時半前後に起きる日々が続いて、しばらくの間は早寝(といっても2時頃だが)早起き(といっても8時頃だが)の習慣が残ったと思っていたが、昨夜は夜もすっかり明けた5時半まで何だかんだとやっていたので、結局もとのもくあみ、10時頃まで寝てしまった。
とにかく、やらなければならない事があまりにも多い。何かやりかけて、その関連でちょっと探し物でもしようものなら「ああ、これもだ。ああ、あれもだ」とやらなければならない用件(しかも急ぎで)を7つ8つ芋蔓式に思い出してしまうため、「えーっと・・じゃ、これを取り敢えずやっておこうか、いや、あっちかな」などと、体が空中で引き裂かれそうな状態になって、結局ハカがいかない事おびただしい。それでも技の研究となれば、すべてをとばして優先するから、その忙しさのなかでも3時間は稽古研究に使ってしまった。
技に関して、いま一番新しい気づきは、11日に出来るようになった剣術の下段の構え(私の母流儀である鹿島神流でいうところの「無構」、別名「音無しの構」)からの発剣である。とにかく以前とは較べものにならない速やかさで、下段から太刀が出るようになった。
この気づきのキッカケはいくつかあるのだが、数日前、久しぶりに真剣で素振りをしてみて、我ながら愕然とするほど剣の振り方にうねりとタメが感じられたことも大きいと思う。ここずっと右上腕部が痛いため、真剣を使っての稽古は殆どやっていなかったのだが、ひとつにはそれも良かったのだろう。もし、ずっと続けていたら「何だ、この"うねり"と"タメ"は…」と、我が事ながらギョッとするほどの違和感を感じなかったかも知れない。
しかし、昨夜気づいた発剣がどういう原理に基づいているかを具体的に述べることは何とも難しい。それは、4月に気づいた「波之上」から始まった、全身が複合的に組み合わさって働いている一連の動きの流れの中にあるのだが、それが一体どういうふうに働いているかを具体的に解明しようとすると、その動きが出来なくなってしまうからである。
あらためて「具体的なものはすべて間違いである」という意拳の王向斎老師の名言を思い出さずにはいられなかったし、『願立剣術物語』四十二段目の「手ノ内身構敵合などよき程と心に思は皆非也。吉もなし、悪もなし。我心におち、理におち、合点に及ぶは本理というものにてはなし。私の理なるべし。古語に、道は在って見る可らず、事は在って聞く可らず、勝は在って知る可らず」が、いままでよりは身近に感じられたのが有りがたかった。
ただ、つくづく思ったのは、あと二年半で還暦という年令で気づいたこの動きを、稽古に情熱を傾け、徹夜で木刀を振ったこともあった二十代後半の頃の私に「教えたかったなあ」ということ。よく、そうした昔の苦労話は「それがあったからこそ今があるのでしょう」と人から言われるが、私自身はそれが無意味だったという以上に、障害になったという事を確認し、「こんな事をやってはいけない」と後進の人に伝えるためには役にたったぐらいで、私自身にとっては「いい事は無かったなあ」と思う。
『兵法未知志留辺』で、著者白井享義謙(天明3年〜天保14年)が、この本を書いた理由として、「余、幼より数十年の光陰を費やし、既に生涯を錯らんとせし事を著し、終に鵠林祖翁(白隠禅師のこと)以来の相伝練丹の法を修して天真の気を養ふ時は、兵法無二の捷径なる事を論じ、余が流初学の人をして惑はざらしめ、余が如き無益の艱辛無からしめん事を要す」と述べている気持ちが今までになく分かった気がした。(もっとも、ここで白井が述べている練丹の法は、かつて散々私も挑戦してみたが、私にとっては手掛かりとはならなかったが)
とにかく、何にでも「科学的に、科学的に」という注文がつく時代だが、Aの時にBという一度に二つの関係しか記述できない論理的方式に頼っている科学の方法が、同時にいくつもの事が複雑に組み合わさり反応して進行している人体のことを、本質的に解明できる筈がなく、物理の方では既に「不確定性理論」という事が論じられているのに、どうして人体に関しても、現在の科学的手法では解明が不可能であるという、こんなに分かりきった事を誰も言い出さなかったのか、実に不思議な気がする。
現代人は、ともすると、昔の人が、科学的知識がなかった事を嘲笑気味に語ることがあるが、その嘲笑ができる基盤となっている、その科学的方法そのものに大きな欠陥があったことを後世の人間から同じように嘲笑される事になるのではないかと思う。現状の「科学」という権威にしがみつかず、これを方法論の一つ、等身大の道具として使いこなす人が一人でも多く現れ、科学が現人神から人間宣言をする日が来ることを心から願って止まない。
以上1日分/掲載日 平成18年6月13日(火)
冬弓舎の内浦享氏から、ユン・ウンデ氏の近刊(2〜3ヶ月後に刊行予定)『Flow―韓氏意拳の哲学』の栞文(この本にはさむ推薦文)執筆を依頼され、送られてきた初稿のゲラを読む。
この本については2ヶ月ほど前、粗稿を光岡英稔師から頂き、一読して感嘆したことを覚えているが、あらためて綺麗に整ったゲラを通読し、今回は感嘆するというより、自らが今、向き合っている武術の稽古の在りようについて、再び深く、深く考えさせられてしまった。
もちろん、日々繰り返し反復稽古を積み重ねていっても、それなりに上達したように感じられ、それなりの達成感も得られるだろう。(特に初心のうちは)だが、ある程度のところから、それ以上を目指すのは容易ではない。
私は武術に志してから約30年、創っては壊し、創っては壊しを続けて、以前よりはマシということで、例えば1年前より、1ヶ月前より、1週間前より、いまの方が技が進んだという状態を続けてきた。この事について、少し前であれば「幸いにも」という言葉を、この私の進展状況を述べる前につけることに、あまり躊躇はなかったと思う。
約2ヶ月前、「ただ伸ばす」「ただやる」「別にどうって事ないよ」と、無頓着に体を動かすことで、一つ新しい気づきを得た時など、明らかに今までの古い衣を脱いで、新しい世界に入った実感があった。しかし、『Flow』のなかに紹介されている光岡師の「感覚も経験も認識も、どれも砂で出来た柱のようなものです。寄りかかろうとしたとたん崩れてしまいます」という言葉にもあるように、「気づいたこと」にある種の満足を覚え、そこを手掛かりに次に進もうとすると、結局ワナに嵌ってしまう。何日か前、剣術の下段、無構えからの発剣が、今までより格段に速やかに出るようになり、「ああ、これを30年前の私自身に教えることが出来たらなあ」と、フト思ってしまったが、その思い、ある種の満足感、達成感こそ墓穴を掘りかけていたのだという事にあらためて気がついた。といって、その気づきがひとつの栄養となって、次を育てる可能性も勿論ある。それが栄養となるか障害となるかは実に微妙だ。ユン氏の『Flow』への推薦文、賛辞はすぐに書けたが、「それを書いた自分がやることはどうなのか」と自問すると、身の置き場に窮する思いが込み上げてくる。
以前、「自分の心の中に鬼が棲んでいると感じたことがある」と、井上雄彦氏との共著『武術への招待』のなかで述べた事があったが、その時は、"自分の向上のなさを決して許さぬ鬼という恐い存在"という実感だったのだが、いまは恐い鬼というより、鉄板の上で熱さに煎られているような、どうしようもない切実さがある。「井桁崩し」以後の「体を捻らぬこと」「うねらないこと」又、「足裏の垂直離陸」等の気づきは、それなりに意味があったとは思うが…。いや、意味があり、有効であったからこそ私を縛ってしまったのだろう。だからといって野放図に、ただ何も考えないようにして(考えないふりをして)体を動かしてみても、嘘の上に嘘を重ねることになってしまう。まったくもって進退きわまってきた。
もちろん介護やら、日常動作への活用ということで、そうしたいわゆるコツのようなものを多くの人に教えることは腰痛の防止にも役立ち、意味があるといえば意味があるだろう。しかし、その有用さに住みついてしまったら、苦しさが増すばかりだろう。
なにしろ、様々な日常生活に武術の体の使い方が応用できるという事で、今月の末から来月にかけて、私の事を新聞やテレビに何度か紹介されるようであるから。
そうなると、どうしても開きたくなるのは『無門関』。今まで何百回開いたか分からないが、今回は以前よりもずっとその内容が切実に迫ってくる。依頼稿や校正など用件はいろいろあるが、自分のやっていることの根本に疑問が生じると、すべてが止まってしまい、『無門関』や『大地の母』を夜が明けるまで読んでしまった。
曇り空が続く梅雨の季節は、緑が一層深く心に入って来るので、そうした木々を観に行きたいという思いが強くなるのだが、いまの私はこのような中途半端な状態で、そうした木々に会うのが申し訳ない気がしている。
私にとって最大の楽しみというか、癒しである広葉樹に囲まれた空間に身を置くことに気が咎めるというのは、ちょっと今までになかった事であり、一体この先どうなるのかと思う。今までにも散々私自身の気難しさに、「もう、付き合いきれないよ」と思ってきたが、今回はその思いが一層強い。といって、いまさら離別することも出来ず、ここは前へ進むしかなさそうだ。生身のことであるから、何かに気づいて少し元気になり、その「気づいて、フト安心した」事に居つきを感じて、又自己嫌悪に襲われたりと、それを繰り返してゆくのかもしれないが、それはそれで歩むしかない。
もちろん、この予想を裏切る、まったく違った展開があれば、それは大変ありがたい。(などと言っていられない大難かもしれないが)ただ、流れゆく時は止どめようもなく、生きている以上は共に流れてゆくしかない。その流れのなかで、『願立剣術物語』で説かれているように、体内は氷となって流れを滞らせないようにと願うばかりである。
以上1日分/掲載日 平成18年6月18日(日)
前回の6月17日付けの、この随感録に「介護やら日常動作への武術の活用という、その有用性さに住みついてしまったら苦しさが増すばかりだろう」と書いてから6日、皮肉な事に今週は19日から、その武術を日常動作等へ活用・応用する企画の取材や進行の確認等に連日のように応じている。今日も1件、名古屋のレスリング選手のY氏が聞き手となって1冊まとめる企画の2度目の取材があった。
19日は、既に1ヶ月も前から予定が入っていた作家の荻野アンナ女史が来館。
荻野女史は、私に学んだ「日常動作を効率よく行なう方法」を、わかりやすく砕いて解説する本を執筆中だが、この本にイラストを入れるため、そのイラストを担当するイラストレーターのF女史や編集者のS氏を同行され、5時間くらいはお付き合いしたと思う。
荻野女史は自他共に認めるダジャレ中毒患者。そのダジャレにゲンナリする人も入るだろうが、いまの私はそういう罪のない気楽なダジャレに、フト救われる思いがしたのか、5時間は少しも長くは感じなかった。
そして、20日はNHK教育テレビ「まる得マガジン」のナレーションの原稿の添削のため、M氏が来館。
21日はオートバイの専門誌『ビッグ・マシン』の企画で、出版社の編集スタッフとプロのライダーのY氏、A氏の一行6人が来館。当初2時間の予定が5時間となる。時間が大幅に延びたのは、私がすっかり話し込んでしまったからである。
今まで様々な雑誌や新聞、テレビ、その他の企画で、恐らく数百人以上の人達の取材を受けてきたが、取材陣が5人以上の場合、「自分はただ仕事だから来ています」といった感じで、その場で交わされている会話や実演に、ほとんど関心を示さない人や、とにかく取材のアシスタントの仕事で手一杯で、こちらの話を聞く余裕もない人が一行の中に1人や2人は必ずいたものだが、この『ビッグ・マシン』の取材はカメラマンも、そのカメラの照明などを手伝っているスタッフに至るまで、一人の例外もなく私の動きの実演や解説に、ただならぬ興味と関心をもって種々質問をしたり、体験希望が続出した。聞けば全員オートバイ好きで、バイクに乗ることが芯から好きらしい。そうしたことから、その場に居合わせた人達が一人も例外なく、それぞれ自分のなかに浮かんだ感想や質問を率直に私にしてもらったので、それが非常に感じがよかったのだろう。率直な感想といっても、現代ではそうした態度が不躾で不快なものになりかねないが、そういう事が少しも感じられなかったのは、バイクという一つ間違えば命がなくなる世界に身を置いている人たちは、芯の部分で人間として真剣に生きる部分を持っているからではないかと思う。この取材を通して、体を使って何かを行なうという事が、そしてそれが真剣なものであればあるほど、人間に生きる張りを与えているのだという事を、あらためて実感した。
取材が終った時は、外はすっかり暗くなっていたが、私が玄関を閉めた後、「ああ、今日は楽しかったなあ」と、ライダーのY氏らしい人の、まるで少年に返ったような声が聞こえ、そうした雰囲気を皆が共有しながら遠ざかっていく気配に、「こんなふうに人に思ってもらえるのなら、今の私のやっていることは、世の中の何かの役には立っているのだなあ」と、何かしみじみとした気持ちになった。
まあ、それにしても、この取材陣は気持ちがよかった。この話をその後、電話がかかってきた精神科医の名越氏にすると、「ああ、それはその人達が、自分達がいい事をしていると思っていないからでしょう」という名答が即座に返ってきた。確かに、いわゆる教育者で、自分がいい事をやっていると思い込んでいる人は、頭が固くて傲慢な人が多いし、教育関係者でも「ああ、自分に出来ることはこの程度かなあ」とか、「これって本当に子供達の為になっているのかなあ」と迷いつつ手探りしている人の方がずっと話の通る人が多い。ライダーも今の世の中ではサッカー選手や野球選手に比べたら、世間の目は冷たいだろう。それにしても、名越氏の即答は鮮やかさで、あらためて感服した。
こうした事がいろいろあったが、今後、私自身の稽古法をどうしたらいいか、という事については、まだまだ濃霧のなかにいる。ただ、その稽古の方向性が見えない状態が、一晩や二晩悩んだからといって、いきなり見えてくるとも思えず、今後のことは長期戦覚悟で臨むつもりである。まあ、今週は週の半ばまでに、こういう気持ちになって、現状程度の事であっても、人に喜んでもらえる事は紹介してゆこうという気になり、迷いながらも気持ちに一区切りついたので、昨日は梅雨曇りのなか、雨が降らないのを幸い、自宅から2キロほど離れた公園に行く。そこは、かなりの部分が昔の武蔵野の雑木林をそのまま残していて、3つの公園がつながっており、周囲は4キロほどもある大きさなだけに、場所によっては、私が少年の頃、よく歩いた武蔵野の雑木林と変わらない雰囲気がある。その梅雨曇りの湿った空気のなか、ひどく声のいい小鳥が鳴いていた。よく聴くと、どうやら外来種として問題となっているガビチョウのようだ。それにしても典型的な小鳥らしい、いい声でさえずっている。しばらく歩くと、これまた出来すぎなくらい見事なウグイスの声。季節が季節なだけに「ホー、ホケキョ」だけではなく、「ケキョケキョケキョ」と最後を長く繰り返す、いわゆる「谷渡り」も聞くことが出来たが、それにしても、ちょっとこれほどハッキリと澄んだ声は聞いたことがないほどで、これはガビチョウの美声に張り合って鍛えられたのかなと、フト思った。
その後、ホトトギスの声も聞くことが出来たので、ずいぶんと贅沢な時を過ごさせてもらった気がした。「気持ちが満たされた」のではなく、「贅沢な時を過ごさせてもらった」という感想を持ったのは、やはり私自身、まだ自分が、より納得のいく稽古の方向性を見出し得ていない事を自覚していて、その事を少なからず負い目に感じているからだろう。
つまり、いくら介護や日常動作、あるいはバイクの運転技術の向上等の参考になるような事を提供することが出来たとしても、私の本心は、いまもって新しくこれからの私を導いていく稽古法を見出し得ていない自分を許してはいなし、納得していないのだなという事を、あらためて感じた。
この状態はなんと言ったらいいのだろう。私の裡に常に寝食を共にしている気難しい師匠というか爺さんがいて、その人物は怒鳴ったり叱ったりはしないが、いつも無言のまま私にプレッシャーをかけ続け、その要求基準が最近また一段と上がってきた、というところだろうか。怒鳴ったり、叱ったりはされないのだから、無視してもいいように思うが、その心の中にいる師匠に「ああ、まだまだだな」と冷たく見つめられている事が、私にはたまらなく辛いのである。
『願立剣術物語』最後の段に、「敵の善に亡ぼさるる物ならば其隠家もあらん。善悪我にある故、山の奥水のそこまでも悪を亡ぼす敵の来ずという事なし。恐るべし恐るべし」とあるが、自分の本心は自分のなかにあり、そこから逃れる術はない。気難しくても、大変でも、辛くても、ここはこの本心が望む方向に自らの進路を向けるよりほか道はなさそうである。
以上1日分/掲載日 平成18年6月23日(金)
「介護やら日常動作への武術の活用と、その有用さに住みついてしまったら、苦しさが増すばかりだろう」と書いてから9日、「今後の自分の稽古法を見出し得ないまま、手探りで稽古といっても何ともしようがないが…」と思っているうち、ふと昨日25日の夕方あたりから、「武術の動きを日常動作に応用する」のではなくて、逆に発想を転換し、「日常の何気ない動作に学んで武術の動きを深化させる」という方向に持っていけばいいのではないかと思い始めた。
この事については、私が最も愛読している武術書『願立剣術物語』のなかでも十一段目に「身の備え太刀構えは器物に水を入れ敬って持つ心持也」という教えがあり、無住心剣術でも「太刀の持ちようは朝夕、飯を喰ふ時の箸の持ち方であり、それ以上少しも添え足すものはない」と説いている。そして、似たような話は韓氏意拳の韓競辰老師からも伺ったことがある。
当然の事ながら、これらの話はいままでに何度も思い返して人にも話し、私自身よくよく知っていた筈である。しかし、ここ10日ほど『Flow』がきっかけで、あらためて自分の稽古体系を見直し、その意識的稽古の問題点を自覚したなかで、この日常の動きを武術の稽古の糧にするという事も、何か意識を使う、わざとらしい事に思えていたのだと思う。
しかし、22日に、まあ気持ちが一段落し、23日にレスリングのY氏(96kg級の国体選手)と話しながら、いろいろ技を試みているうち、どこかほどけていくものがあったのだろう。25日、いろいろと書き物をしていて、やりかけで忘れていた急ぎの用件を思い出し、思わず立ち上がった動きが何か不思議な気がして、その時「ああ、こんなふうな日常の動き、なかでもその動作の"起こり"の自然さと武術の動きを重ねて工夫してみたらいいかもしれない」と思ったのである。その、きっかけをつくって頂いたように思うY氏には、あらためて御礼を申し上げたい。
そして今日、たまたま用があって来られたN氏(ある空手の師範)相手に動いてみて、「日常の何気ない動きのなかにある滞らない流れを、自然に武術の技に活かす」という方法は、少なくともここ当分は工夫していく意味がある稽古法だと思った。そうして、いくつか日常的で、しかもちょっと非日常的な状況設定をして動いてみると、なかなか面白いものが見つかった。なかでも自分でも可笑しかったのは、斬り落とし技。
これは、私が相手と向き合った時、相手と同側となる手、つまり相手が右手なら私が左手で、その相手の右手を下へ斬り落とす技である。この時、場合によっては相手が右手に左手も添えて、十分な体勢で私の斬り落としを防ごうと構えていると、普通に力を入れても容易に斬り落とせない。いままでは、こうした時、短刀を逆手に持って斬る感覚で斬り落とすとか、とにかく体じゅう全部沈めるとか、いろいろ工夫してきたが、今日行なった斬り落としは、どこかの温泉に出かけて脱衣場で何年かぶりに思いがけない人に会い、驚いて挨拶をするという状況設定。さらに詳しく言えば、この時、左手を脱衣所の棚に上げていて、その手を下ろして体の前に持ってきて挨拶をするという時の、その左手の動きで斬り落とすというもの。少し前から、たとえば私が垂直に立てた片手を、相手にしっかりと両手で顔の前で持ってもらったのを下に斬り落とす「捧げ持崩し」などは、その持たれた腕に絵筆を持たせて壁に絵を書いている状態をつくり、何気なく墨つぎをするようにして手を下げるという事で、掴んでいる相手を崩すという事などを始めていたが、今日は、なぜこんな念の入った状況設定を考えたかというと、念の入った状況設定であればあるほど、その雰囲気に気持ちが取られ、手を下に下ろす時、うまく斬り落とせるかどうかという事に捉われがなくなるからである。それと、或いはこれがもっと重要な理由であるかもしれないが、このような念の入った状況設定は、やがて面倒になり、「要するに、ただ手を下ろせばいいだけなんだな」というふうに体が考えて、自然と動くようになる感じがしたからである。つまり、このような「状況設定」という、いわば足場・補助輪は、ある面、手間がかかって、いかにも現実的ではない事が重要だと思ったからでもある。
なぜかというと、よく出来たホンのちょっとしたコツのような補助輪や足場は、それが簡単であればあるほど実地でも使ってしまう恐れを感じるからである。まあ、とにかく、しばらくはいろいろ試行錯誤をしてみようと思う。
なぜか今は無性に何か手仕事がしたい。この衝動は、ひょっとしたら日常の動きを武術の参考にしようと考え始めたために、日常の動きそのもののレベルを上げなければならないと体が感じ始めているからかもしれない。
そんな折、私がいつも一本歯の朴歯を注文したり、誰からか問い合わせがあると紹介している大野屋履物店の福島氏から、私が常用している普通の二本歯の朴歯の下駄が届いたので、私の好みに合わせて鹿角を使って改装する。そういう手仕事をしながら「ああ、久しぶりに鍛冶場に入りたいなあ」と、炭と鞴(ふいご)と鋼をなつかしく思い出していた。
以上1日分/掲載日 平成18年6月27日(火)
昨日は、早稲田大学教授で、養老孟司先生の虫仲間としても有名な池田清彦先生のお招きで、池田先生のゼミ生を対象に講座と実技を行なう。その後、高田馬場駅近くの中華料理店で、池田先生や、今回私を招くにあたって具体的な企画をされた西條剛央・日本学術振
興会特別研究員(お茶ノ水大学院、東洋大等の講師も兼任)をはじめ、早稲田大学の先生方や院生、学生諸氏と懇親会。
大学に招かれて話したことは何回もあるが、昨日のように、ごく限られた空間で話した事はほとんどない。それだけに、最近の学生諸氏の雰囲気を身近で感じることが出来、最近刊である神戸女学院大学の内田樹先生との共著『身体を通して時代を読む』(バジリコ刊)のなかで、内田先生が話されていることが、かなり実感をもって感じることができた。
「豊かさと安全」というのは、太古の昔からの人間の願いだが、それが現実的になってくると、「生きる」という事への意欲そのものが減衰してくるようだ。その上、とにかく死なせないための延命医療技術の発達、マスコミ・出版界の差別用語の禁止など、現代は取り敢えず表面的に辻褄合わせをして「いい人」を演ずるためのマニュアルに満ちている。そうした風潮が奈良での高校1年生の放火による家族殺害事件などになって噴出してきていると私には思えてならない。あの放火した高校生も、近所の人達が口を揃えて「いい子だった」という。この事からも、最近の子供達は「いい子を演ずること」を社会から強いられているように思う。このようなことに関しては『身体を通して時代を読む』のなかでもかなり書いたと思うが、あらためて社会がある価値観を決めつけて、それに乗ることを人々に強いている気がする。
先日のサッカーのW杯などを見ていると、大政翼賛会のような挙国一致ぶりに、「いつの間に、こんなふうになってしまったのだろう」と、私など不気味に思わざるを得なかった。ついでに、このサッカーについて言わせて頂ければ、惨敗理由に「精神力が足りない」などという議論もあるが、要するに「技術レベルが低い」ということであり、動きの質の高いものを求めるのなら、根性によるガムシャラな練習は体を壊すだけで、ほとんど得るものはないだろう。そういう余裕のない練習を重ねて、自らの動きを楽しむように、日本選手より遥かに自在に動いているブラジルの選手などに追いつけるとは絶対に思えない。また、これはサッカーの指導者に申し上げておきたい事だが、相手に当られた時、ファウルをアピールするような大袈裟な倒れ方をするような事や、審判の見えないところでは相手を掴むような小ずるい技を教えるような事は(一部には奨励するような雰囲気もあるようだが)やめて頂きたいと思う。そんなことをするより、相手チームがそうした小ずるい事をしてきても、動きのレベルの違いで圧倒するような選手を育てて頂きたい。そうでないと、「サッカーやってる奴って、他のスポーツに比べて目立ちたがりで小ずるい嫌な奴が多いよね」と言われるような事になってしまう。小ずるいことは、生きていく上で必要だという意見もあるだろうが、そんな人間が増えた日本には生きていたくないと思う私のような者もまだ少なくないと思う。
私がリスクを承知でテレビに顔を晒しているのも(『身体を通して時代を読む』で御一緒させて頂いた内田樹先生などは「僕は絶対にテレビなんか出ませんよ。だって、そこらじゅうの人に監視されてることになるんですから」と頑なにテレビを拒否されている)、本を書き、私自身の考えを発表することを仕事にしているからでもあるが、現代日本で時代に流され、自分の頭で考えなくなり、付和雷同的に動く無責任な人ばかりになってしまっては、私自身生きてゆく意欲もなくなる事を恐れているという切実な事情もあるのである。
嫌な奴が増えて、それでW杯で活躍できたとして、日本の住み心地が良くなるとは思えない。人間が生きていく上で、何が大事かを、あらためて考えて頂きたいと思う。
以上1日分/掲載日 平成18年6月29日(木)