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『Flow−韓氏意拳の哲学』(ユン・ウンデ著 冬弓舎刊)の刷り上ったものが届いた。
本書のゲラを読んで私が驚嘆したことは、以前この随感録でも書いたが、江戸期以前に書かれた本は別にして、武術についてこれほど抽象的に書かれていながら、その内容が単なる抽象論ではなく、ある動かし難い事実を、より端的に書いたものはきわめて少ないだろうということ。
この本は10日あたりから書店に並ぶと思うが、本書を手に取り、いちおう最後まで読み切った人がどのような感想を述べるかで、その人の武術観、武道観というか、人生観そのものがどういうものか、かなり分かる恐ろしい本である。「何だか訳の分からない本だ」という評価から、「素晴らしい」というものまでいろいろあるだろうが、「素晴らしい」と言った人が、どう素晴らしいのかを述べるのは、恥を広く世間にさらすことになりかねない。かく言う私自身、本書に挿入される栞文を書いているのだが、これから先、何年かして読んでみて、「なんと背伸びしたことを書いたのか」と恥かしい思いをするか、あるいは「ああ、見えてなかったんだなあ」と恥じ入ると同時に、そのことが分かっただけでも自分が進んだことに多少は嬉しさを感じられるか、何ともわからない。
それにしても10月に入り、俄かに風雲急を告げてきた感じがする。今月は私自身も講座がいくつもあったり、テレビに出たり、私が書いたもの、私の事について書いたものがいくつも出るが、私の周辺の親しい人、浅からぬ縁で結ばれている人達にも、いろいろな動きが出てきそうだ。
今月の末に出る"みずほ総合研究所"の『Fole』の半藤一利氏との対談で、私が「もう、よろず相談引き受け所になっている」という一節があるが、実に様々な、しかも無理をしてでも時間を空けずにはいられないようなことが、毎日のように降ってきたり湧いてきたり…。しかし、内容が切実だったりすると、ついその事に集中するから「忙しい」という実感も飛んでしまい、その結果、書かねばならない手紙、かけねばならない電話が、どうしてもカットされてしまう。
身ひとつである限り、どれほどの才能のある人でも、これだけはどうしようもないだろう。しかも、私の場合、取り敢えずの一言で済まない性格で、電話すればついつい喋ってしまうから一層だ。
もっとも、もし一言でも挨拶して、取り敢えずの義理を果たすようにしたら、一日中それだけに時間を注ぎ込んでもまだ足りないだろう。義理を欠く失礼なヤツだという誹りは甘受するしかないだろう。
ただ、仕事で私に何か依頼をされている方は、必ず確認のお電話をお願いしたい。このような状態ですので、今月はどう考えても新規の企画は不可能です。
以上1日分/掲載日 平成18年10月6日(金)
久しぶりに晴れた7日は、陽紀を連れて講演会等のために西へ。しばらくあちこち回って、11日は翌12日のNHKの『生活ホットモーニング』のために、旅先からNHK近くのホテルに入る予定。
6日は台風の影響で荒れ模様だったが、アルクへ寄って髪を切ってからホテルオークラ別館へ。ここで開かれた新潮社主催の小林秀雄賞と新潮ドキュメント賞の授賞式とパーティーに出席する。風雨の影響で出足は悪かったようだが、後半、遅れた人達も到着して盛会だった。
会場では、かつて世話になった編集者の方、今まさに世話になっている方等々、何人もの方々と挨拶をしているうち、新潮社の足立女史が私をみつけて「ああ、来られましたね。さっき養老先生が、甲野さん来てないのって言われてましたから、お連れしましょう」と、わざわざ養老先生を案内してきて下さった。養老先生は、とてもお元気そうで、そばにいるだけで気持ちが華やいでくる。(普通は美女が座に加わって「華やぐ」という表現を使うものだが、不思議なことに養老先生はなまなかな美女より、よほど場が華やぐのである)「甲野さん、箱根の方には、まだ来られてなかったですよね。今度来て下さい」といった程度の話題でも、本当に気持ちが伸びやかになる。
その時、ふと思い出して、今月末に私が載る、みずほ総合研究所の広報誌『Fole』の半藤一利氏との対談の話から、対談をまとめてもらったK女史が、実に有能だったことに話が及び、私が「あれほど上手く対談をまとめる才能のある人は滅多にいませんよね」と言うと、養老先生も深くうなづかれて「あの人だったから任せておけたんですよ」と、K女史の並々ならぬ才能を認められていた。
有能なライター兼編集者といえば、この日、養老先生に御挨拶する前に、ちょうど話していた中公の井之上氏は昨年出会った逸材だし、その前の晩、電話で話した医学書院の鳥居氏は、井之上氏に出会うまでの数年間では一番の逸材。どうやら私も何とかすぐれたライター達に恵まれるようになってきたようだ。
パーティーでは、その後、紹介して下さる方があって、小林秀雄賞の受賞者、荒川洋治氏や新潮ドキュメント賞の受賞者、佐藤優氏などに、紹介して頂き、何か又今後の展開が拡がる予感があった。
8日は鳥取県の米子にある医療福祉専門学校から招かれて、講演兼実技講習会を行なったが、この種の講習会では今迄で最も盛り上がった。ここで、床に寝た人を添え立ちで立たせ、更にそこから椅子なしで浮き取りにつなげてベッドまで運ぶという技を、その場で開発して初めて行なったが、その時、介護は実際の岩登り等と同じで、岩場岩場でその登り方を身体が自然に工夫しなければならないという事を痛感した。つまり、応用力がなければ実地に対応出来ないということである。こうした動きには、介助法の指導者の方々も大変興味を持って頂き、熱気が夜の打ち上げまでずっと続いて、打ち上げ会場でも、いろいろ実技を行い、例えば上体起こしを「2人重ねで出来ますか」と質問され、私もどんな事になるのか分からないので取り敢えず試してみたが、上になった人が下の人の上をすべり台ですべるように落ちて行くという思いがけない(考えてみれば、そういうこともありだが)展開で、参加者の熱気は一層たかまり、私も疲れを忘れた。
ホテルに着いて、部屋に向かうエレベーターのなかで、同行して私と手分けして教えていた陽紀が「今日はよかったね。人に喜ばれるっていうのはいいことだなあと思ったよ」と、本当に、いままで見たこともないような笑顔でしみじみと言った時、私はつくづく人間として「この子には敵わない」と何か気圧される思いを感じた。それがどういう種類のものかは、よくわからないが、「だから科学や他のことの批判なんか、もう別にいいよ。人に喜んでもらえれば、それで十分じゃない」と無意識のうちにも言っているようにも思えた。
そして人間は、親子といえども、あいまいには出来ない天性の資質の違いがあり、これを見誤ると、取り返しがつかないということを、痛感させられた気がした。
以上1日分/掲載日 平成18年10月10日(火)
12日にNHKの「生活ほっとモーニング」の収録(元々は生放送の予定だったが、国会中継の予定が延びたため、収録に切り替わったのである。放映日は未定)を終えて6日ぶりに帰ると、いくつもの企画の進行状況が待っていた。
ちょうど、この間まで整地されていたところが、ちょっと見なかった間に水路が掘られ始めているような気分となる。ここに実際に水が流れ、人々や物が往き来するようにするのが、これからの私の役目だが、何だか人ごとのような気がする。
仕事の郵便物に混じって、詩集に添えられた手紙など何通かの私信に心が和む。なかでも、私が『風の旅人』に紹介したことに対する画家のN女史からの礼状は、N 女史の祖父にあたり今は故人となられた、私にとっての大恩人であるN先生のユニークな書式そのままで、それが少しも奇を衒った観がなく、深く心にしみ入ってきた。
家に帰ったのは2時すぎだったが、さすがに疲れが出たのか、夕方から深夜まで数時間寝る。深夜にフランスからの電話を受けて、ついでにいくつか仕事関連の下準備などをして、再び休む。
今回の旅行で帰京する前、岡山で一晩、光岡師範宅に泊めて頂き、『武学探究』巻ノ三用にテープを回したが、毎回話が進んでいくので、三巻目は今年の夏以後の話題に限ろうと思う。
それにしても、無住心剣術や夢想願立の伝書に書いてあることが、現在のような実感を伴って読めるようになるとは、かつてはとても思い描くことも出来なかった。
光岡師との出会いに、つくづく感謝せずにはいられない。
以上1日分/掲載日 平成18年10月14日(土)
ずいぶんと心の深い所に、何かどうしようもない重しが入ったような気がする。
ひとつは近頃の世の中の動き、学校でしきりに起こっている問題等もあるのだろうが、やはり決定的だったと思うのは、14日に身体教育研究所で野口裕之先生の凄まじく深い嘆きをうかがったからだと思う。同席していた名越氏からも翌日、「ああ、あれはききましたねえ。段々ときいてきますねえ」と、なんとも深いタメ息の電話がかかってきたから、名越氏にもよほどこたえたのだろう。
それにしても人が人であるとは何だろうか。早稲田大学教授で、私も知遇を得ている池田清彦先生は、その著『脳死臓器移植は正しいか』(角川文庫)のなかで、「人の命が有限である限り、すべての人はどこかで生への未練を断ち切って死ぬほかはない。『死ぬ時が来たら死なねばならない』というのは、すべての生物個体の最後の倫理なのだ。我々の生は有限だからこそ有意義で楽しく美しく、人はその中でせいいっぱいいきいきと生きようとするのである。断念の思想をもつことは、いきいきと生きるための最も心強いアイテムなのである。自分だけはこのアイテムをもっているが、他人はもたないでもよいというのはやはり傲慢ではないか私は思う」と述べられているが、「肉体は死んでも霊魂は死なない」のではなく、「霊魂は死んで肉体は死なない」ということを実感されたという野口先生の絶望感がどれほど深いかを我々が体感できない以上、その切実さを直に知ることは出来ないが、これは知った方が幸せとはとても言えない感覚の代表であろう。
それにしても理系の学問とは人間にとってあくまでもサブ的な存在であり、思想、哲学、文学といった人文系の学問こそ、人として主として学ぶべきもので、理系は決して人間にとって学問の主役になってはならないということを、この日ほど感じたことはなかった。
私は現在、11月の渡仏を前に自分の予定とは信じられぬほどやらねばならないことがあるが、その「やらねばならないこと」が、いまの私が、かつて映画『もののけ姫』で絶望の底に沈んだような状態になることを防いでくれているのかもしれない。
私なりに、その「やらねばならないこと」を通して人間とは何かを考えてゆきたいと思う。
以上1日分/掲載日 平成18年10月18日(水)
来月の渡仏まで後3週間を切った辺りから予定がキツキツで、何だか毎日がラッシュ時の電車に乗っているような状況になってきた。23日など、暮れに公開されるドキュメンタリー映画に関しての4社合同のインタビューが終って、すぐ荻野アンナ女史の著書『古武術で毎日がラクラク!』の打ち上げに荻窪のグルッペへ。荻野女史とは2年半ほどの御縁だが、初めての会食。相変わらずの荻野節には笑わせていただいた。いろいろと苦労もあったであろうが、本が完成して編集者の三宮氏が嬉しそうだった。「三宮さん、御苦労様でした」
普通なら、それで1日も終わりだが、圧縮されている日程に入っているため、その打ち上げに朝日カルチャーセンターのI女史が、来春の玄侑宗久師と私の対談の予告チラシの校正を持って来店。打ち上げに飛び入り参加。打ち上げ後は私一人店に居残って、I女史とチラシの検討。そして、しりとりはまだ続く。このグルッペは、かの、みずほの『Fole』で知り合った抜群編集者兼ライターのK女史の家に近いことを思い出し、26日の本の企画の下相談をするべく電話。K女史はやりかけの急ぎの仕事があったようだが、やりくりをして駆けつけてくださるという。
そんなことをしているうちに、このグルッペは完全閉店。店内の椅子が、我々のいる所以外すべて逆さになってテーブルに上がっていたが、この店が開店した24年ほど前、この店の案内のチラシを私が書いたということもあったせいか、オーナーのA女史の好意で、サービスのコーヒーを飲みながらK女史の到着を待つ。ついでに宣伝しておきたいが、グルッペは私が知っている自然食店のなかで最も料理がうまい。
朝日カルチャーのI女史も、私がイチ押しのライターがどんな女性か興味があったらしく、一緒に話しながらK女史を待っていた。やがてK女史到着。そこでI女史は帰宅。それから小一時間、K女史との小気味のいいやりとりを味わってから、グルッペのA女史と3人で店を閉めて出る。駅前でK女史と別れ、ホームでA女史と別れ、私は帰宅。
しかし、この日はそれで終らなかった。途中の駅まで車で迎えに来てくれた陽紀は、T君という話の合う友達を連れていたので、T君を家に陽紀が送るというので車中ずっと話しをして行き、結局家に帰りついたのは2時頃だった。24日は帰国直後のK氏の話を聞く。
さて、忘れないうちにインフォメーションをいくつか…。すでに先ほど書いたが、祥伝社から荻野アンナ女史が書かれ、私が監修をした『古武術で毎日がラクラク!』が25日に刊行した。本書は私が書いた本ではないが、結果として深く関わった本だけに刊行してみると、なんとも不思議な気がする。いままで私も本では殆ど触れたことのない三脈探知(吟味の法)までイラスト入りで出ているから、これだけでも知って事故を免れた人が出たら、この本が出た意味もあると思う。ピンク色のとにかく目立つ本である。
それから、これもはじめに少し触れたが、アップリンクから私のドキュメンタリー映画が出来てきて、約2ヵ月後に封切となる。単館上映の超極小規模の映画だが、映画予告欄は一人前にハリウッドの大作と同じスペースをとっているらしい。何だか妙なものだ。
この映画は一切のやらせも注文も照明もなく、野生動物を観察するようにして、藤井監督一人によって撮られたもので、内容はともかく、その手法が完璧なドキュメンタリーであることは保証できる。したがって、人間の微妙な表情などにドキュメンタリーの味が出ている。こういう撮影なら、また受けてもいいと思うが、事前にアレコレ台本や注文のあるテレビの撮りは本当に疲れる。 まあ、それでもNHKの生活ほっとモーニングは、やりやすかった。この番組の放映は、一応の予定だった26日も国会中継でつぶれたが、11月7日には多分流れるとのこと。
明日27日は朝日新聞の仕事、オーサービジッドで大阪の高校に出張授業に出る。28日は奈良の柳生の里で稽古会。29日は名古屋、30日は東京綾瀬。11月1日は池袋で豊島区からの依頼の講座。5日は仙台で久しぶりの稽古会。6日は岩手で大阪の続きの朝日新聞の出張授業。10日は池袋の講座で、その後、そのまま成田に行って11日渡仏予定となっている。
なにしろ57歳にして初めて海を渡って異国に行くので、帰国後しばらくは、どんな体になっているのか想像がつかないが、29日は藤沢の朝日カルチャーセンターで講座。朝日カルチャーセンターは新宿も横浜も大阪も、ほとんど満員になっているが、藤沢はまだ空いているようだ。受講御希望の方で藤沢まででも来て下さる方は、どうぞいらして頂きたい。
それから、これは私の講座ではないが、朝日カルチャーセンター大阪で、私が共著者として『身体を通して時代を読む』をご一緒させていただいた内田樹神戸女学院大学教授が、私と縁のある3人の方々と公開対談をされる。1回目の守伸二郎氏は既に終ってしまったが、2回目は、びわこ成蹊スポーツ大学の高橋佳三氏とで11月18日。3回目は私の体の使い方について現在のところ、現役スポーツ選手のなかで最もよく理解されていると思われる神戸製鋼ラグビー部部員平尾剛氏で、どの回も17時30分から19時となっている。
12月は3日に新潟県で介護関係の人達への講座。4日は一般公開講座(詳しくは告知板に載せる予定)。5日は高校でスポーツ関係の部員対象の講座というか相談会。8日は池袋コミュニティカレッジで、その後長野へ。長野は恒例となった長野工専での講座を9日、10日と行なう予定。21日は朝日カルチャーセンター大阪。27日は新宿の朝日カルチャーセンターで講座。もちろん、これ以外にも用件はいろいろある。
そして本の企画も大変具体的になって、始まっているものが5本ほど。現在も、そして当分先も、すべて私がスケジュール管理をする予定なので、ダブルブッキングがないのが奇跡のような気もする。したがって、私と何か約束のある方は、約束日前に出来れば複数回、必ず電話で御確認頂きたい。
以上1日分/掲載日 平成18年10月27日(金)
27日に大阪の高校の合気道部に、朝日新聞オーサービジッドの仕事で訪ねたのを皮切りに、同日夜は久しぶりに奈良の大倭紫陽邑へ。翌日は同じく奈良の柳生の里へ、そしてその翌日は名古屋と3日間ビッシリの強行軍に流石に疲れたが、多くの出会いがあり、体の使い方の上でも気づきがあった。お世話いただいた方々に、あらためて御礼を申し上げたい。
それにしても加速度的にふくらむ人脈に収拾がつかなくならないようにと自戒しているが、11月の第2週は、ひょっとしたらテレビの3番組に出るという状況になりそうだ。その上、10日は『中央公論』12月号に茂木健一郎氏との対談が載り、みずほ総合研究所の『Fole』が出たので、みずほ銀行をはじめ、また人の目に触れる機会が増えそうだ。
また、ユーラシア旅行社の『風の旅人』も近く刊行となる。『風の旅人』は画家のN女史とのコラボレーション。その才能あふれた絵が多くの人の目に触れる機会が出来たことは、私がここに書く書かないより意味がありそうだ。このゲラを見た陽紀が「これは"描かれた絵"だね。"描いた絵"なら誰にでも描けるけど、"描かれた絵"というのは本当に才能のある人しか描けないものね」と感嘆していた。
以上1日分/掲載日 平成18年10月31日(火)
30日は夕方から綾瀬の東京武道館でIACの講習会。朝起きた時、異様な疲れを感じたが、講習会の前にTBSの「はなまるマーケット」の打ち合わせで人が来る。もう当分テレビは断ることにしていたのだが、夏頃すでに受けていた仕事で、それが延び延びになっていたのでこれだけは受けることにしたが、現在の私のスケジュールに、この撮りを入れたのは冒険が過ぎたような気もしてくる。ただ、綾瀬に行って実際に動きはじめると、まるで麻薬を打たれたように体が不気味なほど動く。きっと脳内に自家製麻薬が出ているのだろうが、これが果たして体にいいかどうかは不明。
それにしても、私がメディアに出ていろいろ喋ったり書いたりして、身体がもつかなあ、と思うほど忙しくても、世間が現在のスポーツ等で行なわれているトレーニングの問題点を自覚することは、まだまだ先のことのようだ。
なにしろ、私の体の使い方や稽古法を深く理解したスポーツ関係者が、現場に近ければ近い人ほど他から理解が得られず孤立する傾向が強くなっているからである。そういう人物の一人から「ウエイト・トレーニングをする目的が体力向上ではなく、周りから認められるための手段として充分に機能していて、それをしなければ例え試合で結果を出したとしてもチームには認めてもらえないことがままあるのです」という便りを頂くと、何ともやるせない気持ちになってくる。ただ気づいた人は、もはや後戻りは出来ないので、とにかく先へ進むしかない。こうした方の活躍の場が開け、自分の頭で考え、感覚を大切に出来る人達が子供達を指導できる未来がくることを心から祈りたい。
いま問題になっている"いじめ"も、その根底には、とにかく「人並みに」「皆と同じ」ということに身を委ねようとする見栄に流され、自分で価値観を確立できない親や教師に、まず問題があるように思う。"いじめ"に関しては、そのことが公になった後の校長や教育委員会の対応のぶざまさは目を覆いたくなるばかりだ。
身体を通して自分の頭と感覚で生きることの意味を考えてこなかったということが、どの顔にもあまりにもハッキリと現れている。いじめられそうな内向的な子に、それこそ文化財の修復といった根気はいるが一人でコツコツとやるような仕事をするように世話をし、そういう職人の許へ通う道提示できるような教育関係者はいないものかとつくづく思う。
考え始めると、既にここまで壊れた国に住んでいること自体辛くなってくる。せめて、そういう話の通じない人ばかりにならないようにと、私も未熟な動きを人前にさらす恥をしのんでメディアに出ているのだが…どうなることか…。
いじめをなくす抜本的対策は、以前から私が本にも書いていることだが、企業などの就職先が大卒などと募集する人間の条件を限定せずに、子供達が育っていく過程には様々な選択肢があるような社会をつくることだと思う。しかし、一番大切なことは、「人間が生きている」ということについて深く考える機会を、子供が成長していく過程で与えることだろう。
以上1日分/掲載日 平成18年10月31日(火)