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ふと気がつくと還暦という、若い頃は想像も出来なかったところまで、あと1年11ヶ月と・・日というところに自分がいる。
三十代になった時も四十代になった時も、五十代になった時も、それほどの思いはなかったが、六十代になるのにあと2年を切ったというだけで、なんだか「そんなにも長く生きてきたのか」という感じがどうしようもなくしてくる。ひとつには漠然と子供の頃から五十代までの自分は想像できても、それ以上はイメージが全く浮かばなかったからかもしれない。
しかし、2月に入ってから、何だか私の周囲の景色が変わってきた気がする。2月の3日は越川禮子女史、林田明大氏の共著『「江戸しぐさ」完全理解』(三五館刊)の出版記念会の会場で、何年ぶりかに桜井章一雀鬼会々長にお目にかかり、その後、2時間近く2人で話をさせて頂く機会をもった。この日は、その後、韓氏意拳の光岡英稔師とも銀座で今まででも最も踏み込んだ話をすることが出来た。
1日で2人の天才と向き合って話すという濃い日を送りながら、それほど疲れなかったのは、やはりヨーロッパへ行って、それまでの自分を打ち壊すことが出来たからかもしれないと思った。それと、久しぶりにお会いした桜井会長が何ともいえない包容力を持たれていて、その懐の深さに包まれたこと。そして光岡師との話が大変話が刺激となったからだろう。
とにかく、そんなこんなで私の内側もだいぶ変わってきて、技も「今の今を生きる」ということに、ひとつ集約されてきた。そのお陰か、今日『風の旅人』の佐伯編集長と電話で話しをしていて、佐伯氏のセンスの良さに触発され、「今の今を生きる」の原典ともいえる『願立剣術物語』を久しぶりに開いて読む気になり、六十段目の「小利大損ということ有り。敵ひらりと上を打たんと見せれば其小利の一方へ付き、九方闇と成り、しかも其一方の上もあたり下もあたる也。利も損もなく小利の一方へ着かずば十万明也。ただ時々刻々に我独り立ち上て見よ。今の今を行くより他なし」を読んで、何だかジンときた。
ジンと来るといえば、今度アメリカに行く桑田真澄選手からも今日メールが届いた。ちょうど昨日、NHKのBSで3月21日に放映予定という桑田選手の特番の撮りがあっただけに、何か心に迫ってくるものがあった。
明日からはNHK関連のムック本の撮りで、ほとんど3日間都内に籠りっきりとなる。9日も、その撮りから池袋コミュニティカレッジの講座に行って、又ホテルに帰る予定。ただ夜は校正やら原稿やらがいくつも溜っていて、宿題付きのホテル暮らしとなる。
それにしてもインタビュー原稿等を書いてもらう時、ライターの力量が分からない時は「大きな思い違いがある恐れもあるので、まずラフ原稿を見せて下さい」と毎回頼むのだが、それが叶えられたことは過去1回くらいしかなく、いつも殆ど出来上がった状態で来て、しかも案じていたように大きく書き換えをしなければならない箇所があるのは何とかならないものだろうか。まあ、これからは本当に取材を絞って受けていくようにしようと思っている。
ただ、2月に入って新たに気持ちが切り替わったのか、鉄砲水のように押し寄せる用件も以前ほど気にならなくなってきた。もっとも、それだけにギリギリの〆切でもすっかりその事を忘れている可能性が益々高くなってきた。
このような状況ですので、私に何か依頼されている方は、念を入れて御確認下さい。自然と頻繁に催促して下さる方の仕事が優先されることになると思いますので…。
以上1日分/掲載日 平成19年2月7日(水)
2月の8日からの3日連続の撮影で疲れきっていたのか、10日に身体教育研究所の野口裕之先生に体を観ていただいた翌日から喉が腫れて、体の節々が痛み、久しぶりに12日から2日間ほどを、殆ど寝て過ごす。
撮影がキツかったのは、物理的理由よりも、自分でもいいとは思っていない自分の動きを見本のようにして見せなければならないことに対する精神的葛藤のようだ。
いまさらのように藤井謙二郎監督に撮っていただいたドキュメンタリー映画の撮影がありがたく思い返されてくる。(この映画は、当初アップリンクで1月26日まで上映の予定だったが、3月2日までに延期されたようである。ただ上映時間が限定されているので観に行かれる方は上映時間を御確認下さい)
諸用山積みのなかで2日ほど何もしないというのは痛手だが、人間にとって何が大切な用件かを考え直す上では良かったかもしれない。
10日に野口先生から伺った洋服を着るようになった現代日本人のなかにも遺っている着物感覚のお話は、寝込んでいる間にもずっと私の意識に深く沁み込んできて、ここから新しい展開が出るかもしれない。
それにしても人生50年を8年も越し、これからは出来る限り自分にとって納得のいく仕事を選んでしていきたいと思う。
以上1日分/掲載日 平成19年2月14日(水)
人間の心というのは、つくづく不思議なものだと思う。
昨年11月、初めての海外旅行でフランスとドイツに行き、自分自身のアイデンティティを猛烈に揺さぶられた時、そのどうしようもない不安定さを支えてもらった檀一雄の代表作『夕日と拳銃』は、それを読み始めた11月18日から、まったくこの本を開かなかった日は一日としてなかったほどお世話になったが、今回風邪で2日ほど寝て、それが通ってからは、なぜか潮が退いたようになって、麻薬常習者が麻薬を欲するかのように読まずにはいられなかった状態から随分と収まってきた。そして、砂を噛むような感じがしていた武術関係の本や、刀に関する本が普通に読めるようになってきた。
このように気持ちが変化してきたのは、ひとつには日本の着物自身が持っている体の使い方を導く働きについて、10日に身体教育研究所の野口裕之先生から話を伺ったこともあるかもしれないし、「今の今」の気づきによって、6日頃から『願立剣術物語』が少し読めるようになったこともあるかもしれない。
まあ、それらのどれが理由にせよ、又複合しての効果であったにせよ、人間の意志とか、意欲とか、好みといったものが、本人の意識的努力ではどうしようもない、何とも知れない彼方から操られるようにしてやってくるものだということを、今回ほど思い知ったことはない。
今まで58年も生きてきて、あらためて人間の意志の力がどれほどアテにならないかを気づかされた思いである。
そうであるならば、残された人生の時間は、この不可思議な人間の心の働きと、それによって動く身体、あるいはそうした不可思議な心に影響を与えている身体の在り様を出来る限り素直にみつめて、そこで起こってくることを表現していきたいと思う。それが具体的にどういうことなのか、今は言葉にならないが、これから段々と言葉に出来ることは言葉にし、動きとして表現出来るところは表現していきたいと思う。
こう書いていると、この私が生活に役立つ実用的な荷物の持ち方や介護の方法を発表したり、教えたりしてきた人間と同じ人間とはとても思えなくなってくる。これを書いていて、あんまりおかしいので、頭の中で介護法の「添え立ち」や「浮き取り」のやり方をシュミレーションしてみたほどである。
シュミレーションしてみると、それはそれで確かに出来そうな気がするから出来るとは思うが、気持ちは春めいてきた空に浮き上がっている感じだ。だからといって格別楽しいわけでも面白いわけでもないのだが、とにかく何か縛られていたものから解き放された感じはしている。
用件山積みの中で、この感じは今後ひどく無責任な行動をとるのではないかという危惧も感じるが、そうした危惧も何か別にどうということもない気がする。
ここまで書いて、我ながら笑ってしまったが、そういう気持ちになれたのも、この3ヶ月間の読み込みに読み込んだ『夕日と拳銃』のお陰かもしれない。それは、この小説の陰の主人公とも思える逸見六郎が忠義一途に仕えた主人公伊達麟之介に向って「何の、若トンさん。死生一如、千年のコツば思うならば、我らが生死、何程のコツがありましょう。また万年のコツば思うならば、泣く…笑う…ワハハ、とりとめの無い人間の出来ゴツは夢のまた夢。天道の明るく太い、その本筋が今にして逸見六郎の目にハッキリと見えてきたようにも思わるるですが…」と語っているくだりに代表されるこの人物のキャラクターに、いつの間にか大きな影響を受けたからかもしれない。
『夕日と拳銃』がなくてはならない状況からは漸く卒業できそうだが、この本から受けた恩義だけは、この先もずっと忘れることはないだろう。以前にも書いたかもしれないが、2年ほど前に『文藝春秋』誌から依頼された「人生の危機に読む本」というような企画がまたどこからか来たら、間違いなく、この『夕日と拳銃』を挙げたいと思う。ただ、残念なことは、この本が新潮社、角川文庫、講談社、蒼洋社、河出文庫と5社からかわるがわる出たほどの本であるのに、現在はどこからも出版されていないことである。
今後、どこかで本書が出してもらえて、もし可能ならその本の解説は是非私に書かせて頂きたいと願っている。
私の薦めで本書を読んだある女性は、後半大泣きに泣いて本書を読んだらしい。そして何よりも逸見の人柄に心が打たれたようだ。考えてみれば、実在の人物の伝記エピソードも、ほとんどすべて伝える人によって強く脚色されており、実質小説と変わらないともいえる。それならば、力のある小説家が自分の愛すべき敬すべき人物を、その思いをこらして描けば、それが人の心を動かさない筈はない。
小説というものの力を私は今回本書を通してあらためて知った気がする。それだけに本書を再刊しようという版元の出現を、この先心から期待したい。
以上1日分/掲載日 平成19年2月17日(土)
18日に久しぶりに仙台で稽古会を行なった後、峠田の炭焼き職人、佐藤光夫氏宅へ約1年半ぶりに行く。昨年11月はじめに引越された家は、山からの原木の伐り出しから手がけ、何年もかかって造り上げた木と土壁の家で、一抱えもある松の梁が天井にうねり、その上の屋根を支える板も床板も、まな板並みの厚さ一寸以上という見事なもの。
全国的に雪の少ない冬だが、それでもさすがにここは約1メートルほどの雪が積もっていたが、その屋根の雪も自然に落ちるように作られている。その雪景色のなか、翌日は引越し前の家の近くの炭窯まで佐藤ファミリーと500メートルほど歩いたが、葉を落とした小ナラなどの木の梢にぶら下がっている薄緑の野蚕(山繭)の繭が抜けるような青空をバックに風に揺られている様は、何とも感動的だった。
そんなふうに所々にぶら下がっている野蚕の繭を集め、一反の布に織り上げる苦労は考えただけでも大変だが、その昔、そうした手間を惜しまず布を織った人々が生きていた頃の時間の流れを思うと、現代のように忙しさに急かされていることは、果たして人として生きている意味があるのかと思ってしまう。しかし、現代に生きているということは、特に私の場合、佐藤家から帰った翌日には、東大のY先生の研究室で様々なロボット研究の話を聞きながら、私も動きを実演し、4時間ほど話に熱中するということになるようだ。
それにしても工学系のロボット研究の最先端が、科学的理論は二の次で、優れた動きを持ったロボットを作るために、とにかく「出来ねば無意味」という姿勢は面白い。したがって私のやっていることにも非常に積極的に興味を示して頂ける。スポーツなどのトレーニング界の人々が、こうした工学系の人達のせめて5分の1でも私の話や動きに関心が出てくれば、トレーニング界の状況も変わるだろうにと思うが…。
まあ、とにかく諦めず発信していく事しかないようだ。そのため、3月初めの「集中治療医学会学術集会」や、3月終わりのスポーツ関係の学会などから依頼を受けている講演では、いま私が感じていることをハッキリと述べてみたいと思っている。
それにしても3月は初めから15日まで1日の休みもなく、ギッチリと予定が、時にダブル、トリプルで入っていて、うっかり風邪もひけない。こういう生活がいつまで続けられるか分からないが、時代状況と私の体の状況とが噛み合っている間は、やっていると思う。山で薪を割ったり、もの作りをする生活への憧れは強いだけに、今回佐藤宅に行って現実的に叶うかどうかは大変難しい気がした。
しかし、まあ先のことはわからない。昨秋のフランス行きで体験したように、人間の心というのは普段何となく思い込んでいる自分とはまったく違った展開をすることがあるのだから。
とにかく、より自然に沿った流れに身を委ねて行きたいと思う。
以上1日分/掲載日 平成19年2月24日(土)
ここ2日ほど終日家にいるが、思っている予定の10分の1もはかどらない。やはり、やることの絶対量が多すぎるのだ。それでも、とにかくやることはどうしようもなく拡がってくる。
たとえば、先日伺った東大のY先生の関係から、今後、人工知能や身体性認知科学といった分野の専門家の方々とも縁が拡がりそうだし、昨日は、3月初めに九州に行くので、『逝きし世の面影』の著者渡辺京二先生に御連絡して、対談させて頂く約束をする。考えてみると、今月終りに桜井章一雀鬼会会長との対談があって、来月半ばは名越康文氏との対談本のための何度目かの対談があって、翌日は脳科学者の茂木健一郎氏と本作りのための対談。その10日ほど後は朝日カルチャーセンター新宿で臨済宗の玄侑宗久師との対談。このように、これから一ヶ月の間に5人の方々との対談の企画があり、その他2つの学会、1つの大学から招かれて話をするので、この一ヶ月の間に、それぞれの道で一家を成されている専門家の方々に、いままで前例がないほど会って話を交わすことになりそうである。
ただ、漠然と、しかし心の中の深いところに影が生じ始めているのは、多方面の分野の方々、なかでも人工知能や身体性認知科学の世界で、そのトップを走っているような方と縁が出来、そうした方が私の話に関心を持って下さって、その世界の進展に私が寄与するようなことがあった場合、恐らくその過程ではのめり込むだろうが、その結果どんなことが将来起こるか分からない恐ろしさも感じているからだと思う。
最近、この随感録の読者の方から、近頃の私の精神的な揺れを懸念して、禅の正師に就いて参禅をした方がいいのではないかという御意見を頂いたが、私が来月対談させて頂く予定になっている玄侑宗久師にも『お坊さんだって悩んでいる』というタイトルの御著書があるように、臓器移植に臓器培養、遺伝子組み替えなどをはじめとして、釈尊の時代には考えもつかなかった、その是非について容易に判断を下せない問題は山のようにある現代で、どのような心の状態が望ましいのだろうか。
現状の便利さですら、その便利さと人間関係の構築にかかる手間が少しも便利にならないギャップで家庭崩壊を招いている(精神科医名越康文氏の指摘)ありさまである。したがって、今後様々な環境問題などを解決するスーパー対応法が生み出されたとして、更に科学文明が進展したら、人間の精神は果たしてそれについていけるだろうか…。
将来は、木々の生えている山の中で、薪で飯を炊いて食事をするということが、現在宇宙ロケットで地球外の体験をすること以上の大変なぜいたくになるような気もする。
科学の進展は素晴らしいという言葉に踊らされ、昔の人間がごく当たり前にしていた事が大変ぜいたくな世の中を作ったとしたら、人間の文明とは一体何だったのだろうと思わざるを得ない。
今の時代、宗教は無力だという気はないし、むしろ現代ほど宗教が必要な時代はないと思うが、同時にその宗教の意味、本質を深く考える必要がある時代もなかったと思う。心身を統一して悟りを開けば、ハイそれでメデタシメデタシ…というようなものではないことは確かである。
普通の人には感得できない世界に入れば悩みは一層大きくなるだろう。
例えば私が『表の体育・裏の体育』で、その生涯を解説した正中心道肥田式強健術の創始者である肥田春充翁は、趙州和尚の再来とまで謳われた飯田とう隠(「とう」の文字は、「木」偏に「黨」)老師に賛嘆されるほどの境地を体現し、その後さらに追求に追求を重ねた結果、人類の未来に絶望し、絶食絶飲の果て亡くなられた。確かに肥田翁の生涯はあまりにも常人離れしていて、それは桁外れな野狐禅であったという見方もあるかもしれないが、あの晩年の肥田翁と面と向かって「あなたのは野狐禅だ」と、怯まず憶せずに指摘できた禅の師家が当時の日本にいたとは思えない。仮に「何か違うな」と思っても認めざるを得なかっただろう。
絶望的なことばかり書き連ねてきたが、最後は「事実は小説より奇なり」という言葉に希望をつないで、とにかく今、私に出来ることをやってゆくだけだと、あらためて自分に言いきかせることにしよう。
何と言っても時代は流れていき止どめようもない。『願立剣術物語』の62段目ではないが、「行くに虎あり、帰るに龍あり、立は炎生ず」で、「進んでも大難、戻っても大難、その場にいたら火で焼かれる」というのが、ここまで科学を進展させ、自転車操業を余儀なくされた人間の宿命なのだから、私の活動が将来的に映画『ターミネーター』のような時代をもたらす研究開発のために使われる危険があったとしても、それとは対極の「人が人であること」を再認識して、いまの科学文明の在り様を根本的に見直すキッカケになるかもしれないという希望が万分の一でもある限りは、そこに思いを托していこうと思う。
以上1日分/掲載日 平成19年2月26日(月)
私の影響で『夕日と拳銃』を読んだ人から、「あんなベタな冒険小説のどこがいいのか全然わからない」という感想が届いた。
確かに私も、もし昨秋ヨーロッパに行くことがなかったら、そういう意見に積極的に与するというほどではないにしても、一度読み流せば読み返すような本では全くないと思っていただろう。(現に高校生の頃、この小説がテレビ化された影響で本書を買い、その後ほとんど思い出すこともなかった)
なぜ私がヨーロッパでこの本に溺れ込むように惹かれたのかは、私自身もハッキリとした理由はわからないが、この事と、以前ジャズやロックにしか興味のなかった私の知人がアメリカで演歌を聴いた時、どうしようもなく涙が流れたという心理には共通するものがあるかもしれない。
昨秋、ヨーロッパでゴチャゴチャした日本の街並みを思い出すだけでウンザリとし、さりとて美術館のようなヨーロッパに居続けたいとも思わない。という居所をなくしたような心境となった私にとって、満州に惹かれつつも日本人としてそこに完全には溶け込めず、宙ぶらりんなまま彼の地で暴れまわった主人公伊達麟之介の姿は、とにかくどうしようもなく心が宙にとどまったままの自分が、何とかその状態のままで一息つける、かけがえのない存在だった。
もし、『夕日と拳銃』が繊細な心理描写や人間の内面の葛藤を事細かに描いたものであったなら、とてもではないが非常状態の私が身を寄せることは出来なかったろう。
これを別のたとえで言えば、外国でゲリラにでも誘拐され、拉致監禁されていた時、日の丸をつけた救助隊が救出に踏み込んで来てくれたら、その拉致されていた人が日頃、日の丸は右翼の象徴のように嫌っていたとしても、そうした感情より「助かった」という嬉しさの方が先に立つのではないかということである。
『夕日と拳銃』の主人公麟之介は命を惜しまぬ勇猛の士。逸見六郎は骨の髄まで実直かつ愛すべき人柄。出てくる女性は美女揃い。なかでも一番の美女らしいヒロインの山岡綾子は現実にはいそうもない高等遊民。恐らくは、そういう風に思い切り分かりやすく設定されていたからこそ、主人公伊達麟之介の葛藤に深く共感したのだと思う。
しかし、本当の理由が何なのかは、やはり分からない。神技といわれたカウンセリングを行なったという精神科医ミルトン・エリクソンは、末期のガン患者のカウンセリングで、死の恐怖におののいていた者を驚くほど安らかな気持ちにしたというが、そのカウンセリングの内容は、ただ延々とアメリカの田園風景を絵本のように話しているだけだったり…といった凡そ他人では退屈するような話だったという。檀一雄が他のどの作品よりも、最も愉快を感じながら伸び伸びと自分の想いを自由に展開させたという本書は、人によっては、またその人の情況によっては風呂屋の絵のようなベタなものに感じるのかもしれないが、人が人として生きるということに対するシンプルで力強いメッセージが籠められているのではないかと思う。だが、もちろん人の好みは千差万別。私と同じような心境になっても『夕日と拳銃』に共感しない人がいても、むしろ当然だろう。
よく恋愛で、相思相愛になってからの賭けのひとつが、自分の好きな音楽のCDや小説などを相手にプレゼントする時だという。もちろんそれは「何、あなたって、こんな趣味なの」と、そこから関係が冷える危険性があるからだ。
人間というのは全く不可解な生き物であるが、同じ趣味ばかりの人間がいるよりは、千差万別さまざまな感覚と好みの人間がいた方が社会としては健全だろう。(まあ、その程度にもよるだろうが)
私に合わせて自分をなくし、共感したフリをされるよりは、正直に「あんな小説のどこがいいのか全然わからない」と言う人の方が、人としては信頼できると言えるだろう。
それにしても人の心とは不思議なものだ。約10年前、宮崎駿監督の映画『もののけ姫』を観て、幼い我が子を亡くした親の気持ちとはこんなものではないかと思うほどの凄まじい落ち込みを体験したが、あの時もかなり多くの人にいぶかられ、「甲野さんほどショックを受けた感想は他に聴いたことがない」と当の宮崎監督からさえも言われたほどの重症だったが、なぜそこまで落ち込んだのか、その具体的な理由は不明で、その後ビデオを見直しても、どこで私があれほど落ち込んだのか全く分からなかった。
今回のヨーロッパで発症したアイデンティティ喪失症も、どこか10年前の落ち込みと繋がっているような気もするのだが、その発症は『もののけ姫』の時より、もっと潜行していて『もののけ姫』の時よりも、もっと理由が分かりづらい。ただ、先ほども述べたが、ある面とても明快な冒険小説『夕日と拳銃』で、自分自身がそれ以上行方不明になりそうなのを繋ぎとめたのかもしれない。
最近はだいぶ『夕日と拳銃』が、ただの冒険小説に感じられてきたので、いつの日か「なぜ、この本にあれほど思い入れしたのだろう」と自分でも不思議に思う日が来るかもしれないが、そうであればこそ、この本の恩は決して忘れまいと思っている。
以上1日分/掲載日 平成19年2月27日(火)