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畏友の精神科医、名越康文・名越クリニック院長が医師の国家試験を受ける時だったか、卒業試験だったか、あるいはその両方共そうだったのか、ハッキリとは覚えていないが、試験の始まるギリギリまで教科書や参考書の内容を詰め込めるだけ詰め込んで暗記をし、首を振ったら耳からこぼれそうになるので、手で両耳を抑えるようにして試験に臨んだという名越氏独特のユニーク表現に腹を抱えて笑ったことがあった。
ところが、いまの私は数々ある企画の相談と、進行中の予定の把握と、ゲラの校正。そして人と話していると、次々に湧き起こって来る新しい企画のアイディアとで、まるで嵐の海の船中で、次々と載せられた飲み物の載った盆を傾けて、飲み物をこぼさぬようにしながら歩いているような気がする。
その上、稽古会のあった仙台で、8月の後半にあった「やめればいいんだ」の気づきを元にした、さすがにちょっと自分でも興奮するような発見があり、仙台の後に行った峠田の炭焼き職人の佐藤光夫氏宅で、一人剣を打ちながら根本的に体の使い方を変革すべく稽古していた。
しかし宮城の山中の夕方は何十年か昔の日本の秋を思い出させてくれる。というのも、日が落ちて草むらから聞える虫の声が、昔ながらのコオロギだからである。日が落ちて鳴く虫は、東京では、いつしかアオマツムシの大合唱となるため、他の虫の声が聞こえないからである。9月の初めに行った佐渡でもアオマツムシが鳴いていて驚いたのだが、さすがに宮城の山中にはまったくアオマツムシの声がなく、静かな秋の夕を心から味わえた。
私はガビチョウの声もそうだが、アオマツムシの声も嫌いではない。どちらも外来種の鳥と虫だが、初めて聞いた時はその鮮やかな美声に驚かされた。しかし、アオマツムシの声がまったくなく、エンマコオロギと思われる虫の声が淋しげに耳を打つ秋の山野の味わいは格別であった。忙しければ忙しいほど、そうした時間の大切さが身に沁みる。
ただ、本当にいま、あまりにも多くの用件が私のところに押し寄せてきておりますので、私が了解した企画か用件を進め始められている方は、念のため必ず再三ご確認下さい。(マネージャーも置かず、ほとんど私一人で仕切っておりますから)「お忙しいと思って」と遠慮されていると、却って私が後々大変ですし、「確認をされない程度の熱心さか」と思うわけでもありませんが、御連絡が途切れますと思い出すヒマもなく、ドンドン後回しとなってしまいますから。
それからファックスは基本的に使いませんので、ファックスによる御連絡は大変遅れがちです。必ず電話で直接話をして御確認下さい。
以上1日分/掲載日 平成19年10月3日(水)
昨日4日はフジテレビの秋の特番の撮りで、何人もの女優さんに介護を教えるハメに…。この番組は、ほとんどを岡田慎一郎氏にパスした筈で、現に岡田氏が主役、私は前座なのだが、まさか4時間くらい殆ど休みなしで、私が撮られるとは思わなかった。そのため、撮影合間にインタビューを受けたり、DVDの仕上がりの様子を見ようと何組もの雑誌や映像関係の人達に、会場の東京武道館に来てもらったのだが、結果として撮影見学会となってしまい申し訳なかった。ただ、引っ張ってしまったが、一応の予定はこなしたため、帰宅した時は午前1時。
それにしても女優の皆さんの呑み込みの良さは予想外で、台本レベルを越えて"素"でも皆さん大変関心を持って下さったので、岡田氏は、これからますます忙しくなるだろう。
今日はこれから新潮社主催の小林秀雄賞の授賞式とパーティーに、内田樹先生をお祝いするために出かける。
新潮社といえば、一昨日、新潮社の『考える人』2007年秋号が送られてきて、何気なく開くと「万物流転」という養老孟司先生の連載が、今回は特別編として『単純な人生』のメインタイトルと「養老孟司ラオス虫採りツアー」のサブタイトルの下、虫採りの達人として若原弘之なるラオス在住の日本人が紹介されていた。蝶を追って日本国内から中国、ラオスと転じ転じて渡っていった人物である。
この人物が稀有な自由人であることに養老先生が強い愛着を持たれている事は行間から溢れ出てくる。そして読み進むうちに思いがけずというか光栄なことに、この若原氏に関係して私の名前が出てきた。「若原の身体の動きを見ていると、面白いことに甲野善紀を想い出す。立ち居振る舞いがなんとなく共通するところがある。・・・電車や飛行機に乗っていると、しみじみ思う。周囲の乗客が『重い』のである。若原や甲野のような軽やかさがない。それが現代人、そこに私は身体性の喪失を見る・・・」
ラオスの蝶人若原弘之氏と並べて名前を出していただけるのは実に光栄の至りで、そのことをここに引用するのも気恥ずかしいが、あえてその事を引用し、この文を読んでいただいている方々に訴えたいことは、本当に近頃は身体の動きと、それに関連した知恵が枯渇していることを感じるからである。
私は各種スポーツから介護、さまざまな楽器演奏、そして薪の割り方、パテェシェのボールのかき混ぜ方等々、実に多くの分野からの体の使い方を相談され、その場でそれなりの方法を考えて答えているが、そうした応用性の広さを養老先生は私の中に虫採りのプロ若原氏と共通するものを感じられたのかもしれない。
しかし、そうした応用性の広さは、もともと日本人の特性である。幕末や明治の初めに来日した西欧人は、日本の大工が自分達の注文をたちまち呑み込んで和洋折衷の住み心地のいい家を建てることに驚嘆している。
そうした、かつての日本人にくらべ、現代の日本人の身体性の喪失が養老先生は気になって仕方がないのだろう。私も人間にとっての身体性の本来の在り方は、スポーツで体を動かすことではなく(それも一部は含まれるだろうが)、人間が日々生活していくなかで、体を上手に使うということが大前提なのだと思う。同様のことを養老先生も感じておられるらしく、この『単純な人生』のなかで、「いわゆるスポーツ選手の動きを私は信用しない。スポーツのルールとは、あくまでも意識が作ったルールだからである・・・」と述べられている。
『考える人』は刊行間もないので入手は容易だと思います。御関心のある方は是非ご一読下さい。
以上1日分/掲載日 平成19年10月6日(土)
6日に宮崎大学の内科医長K先生からの依頼の講演のため宮崎入りし、そこから熊本、佐世保とまわって、9日帰途につく。
ずっと原稿等に追われ、睡眠不足の上、諸般の用件で体がもつかどうかの不安があったが、何とかもった。諸般の用件というのは、例えば前日遅くまで内田樹先生の小林秀雄賞受賞のお祝いにホテル・オークラと二次会の赤坂のスペイン料理店に、名越康文名越クリニック院長やM君(私が名越氏や内田先生はじめ各社の編集者に紹介したいと思っていた人物)と伺って、内田先生はじめ様々な御縁の方々と話しをして、深夜に帰宅などという事があったからである。
この受賞式とパーティーについては、私のサイトとリンクしている内田樹先生の10月7日付けの日記に詳しく様子が記されている。(御関心のある方はそちらを開いて下さい)そこで内田先生は最後に新潮社の足立真穂女史に年間最優秀編集者の称号を贈りたいと称えられているが、「足立の前に足立なく、足立の後に足立なし」という噂を流した私としては大いに共感するところ。ただ、足立さんの力量は生来の才能から来ている部分も多く、見習って会得できるものでもないが、編集者を志される方は是非影響を受けて欲しいと思う。
さて、話がすっかり脱線してしまったが、話を九州へ戻します。
このようなわけで、今までで最も体調に不安のあった九州行きだったが、今回あらためて分かったのは、興味のあること、関心のある話は体調を引っ張ってゆく力があるという事である。
そのことを身に沁みて実感したのは熊本での稽古の後の打ち上げ。食欲もほとんどなく、まあ何とか集まってもらった人達に、それなりな思い出をつくってもらえるだけは頑張ろうと思って臨んだ打ち上げだったが、打ち上げ半ばで、そこに参加していたM女史が野鳥観察が好きで、それに関連して樹木の種類についても一般人レベルを遥かに越えた詳しさだった事から、体の中の補助エンジンが点火したような状況となった。
さらに話していると、昨年私がフランスに行った後、しばらくハマっていた『夕日と拳銃』だけではなく、この本の主人公のモデルとなった伊達順之助の伝記『灼熱』までも読んだとの事で、すっかり話に弾みがつき、14〜5人で行ったその打ち上げの後の二次会も、ずいぶん気分が乗って喋ることが出来た。
しかし、脳内麻薬という自家製の麻薬も乱用し過ぎると自家製とはいえ体がヘタるかもしれないなどとも思ったが、桜井章一雀鬼会々長の事を思い出し、「あの人にくらべれば、まだまだ甘いものだ」と思ったり、「あれほどの人とくらべるのもおこがましいか」と思ったりして、とにかく九州の3日間は何とかそれなりにもたせた。
宮崎でも熊本でも佐世保でも、世話をして下さった方々の御好意には深く感謝しております。ありがとうございました。
以上1日分/掲載日 平成19年10月11日(木)
自家製の脳内麻薬も、さすがに出し過ぎは負担がかかったのか、九州からの帰宅後、風邪に…。しかし、予定は目白押しなので、いいことではないが、何とかだましたり、すかしたり、足湯をしたり、ショウガをかじったりして持たせている。
今日も、これから池袋の講座。その前は筑摩書房のI氏と文庫本の打ち合わせ。その前に、その件でU氏と打ち合わせ。
明日は尺八の中村明一氏との対談もあるし、明後日は埼玉工大のイベントがあるので、さすがに今日はなるべく早く帰って寝ようと思う。
そういえば昨日、私が依頼稿を書いたジブリの機関誌『熱風』の10月号が届く。それから5月に松代で対談をした刀工宮入小左衛門行平氏が、父君である故宮入行平氏の作品とを合わせた『刀匠宮入行平・小左衛門行平 父子北海道展』が、北海道の亀田郡七飯町の町政施行50年記念の行事として、11月3日から12日まで七飯町歴史館企画展示室で行なわれるという知らせが届いた。展示会開催時に、その方面に足を伸ばされる方は是非御覧になって頂きたい。
それから、私が九州旅行中に送られて来ていた植島啓司先生の最新刊『偶然のチカラ』(集英社新書)も多くの方々に読んでいただきたい。この本の帯にある精神科医名越康文氏の「あまりに名著。遺書かと心配になった」というフレーズには、私も多少関わっている。本書によって植島啓司という途方もなく頭のいい人物の一端がうかがえると思います。(あくまでも一端ですが)
以上1日分/掲載日 平成19年10月12日(金)
昨日はNHK教育テレビの『こころの時代』の撮りがあったのだが、その準備をしていた時、フト私が10歳くらいのロクに泳げなかった頃、海に連れて行かれ、必死に手足を動かしていても、次々と波がかぶって来て気が遠くなりそうになった時の事が、不意に鮮明に思い出された。
おそらくは、いま私のところに押し寄せてきている用件が、片づけても片づけても次々にまるで息継ぎさせぬように私を襲って来る状況が、子供の頃のそれとかぶったからだと思う。この状況で、いまのところダブルブッキングや約束を忘れて行くのをすっぽかしていないのが不思議に思える。その代わり、プライベートな(それだけに限らないが)、いろいろなお礼や挨拶その他の用件が殆ど果たせないのは大変心苦しい。この場を借りてお詫び一端なりとも表しておきたい。
このような状況ですので私と何か約束をされている方は、必ず事前に御確認下さい。
今日はこれから昨日に続いてのNHKの撮り。その準備のため、先週の13日と、翌日14日と続いた濃い日々のことを今書いているヒマがないのが残念である。
ただ、13日は、朝日カルチャーセンターで尺八の中村明一氏との、公開トークがあって、日本の美意識の特質にあらためて、目が開く思いをした後、野口裕之先生とM君の出会いという、実にスリリングな企画をプロデュース出来た事は永く記憶に残りそうだ。それから14日、埼玉工大のイベントで「ロボコン博士」の異名をとる東工大の名誉教授で、自在研究所社長の森政弘先生と親しくお会い出来たことは深く印象に残っている。80歳を越えてあれだけ頭の柔らかい方は本当に稀だと思う。ますますの御活躍を祈りたい。また、このイベントに尽力下さった川副嘉彦先生にも御礼を申し上げたい。
最近は介護の岡田慎一郎氏の活躍もあり、各地から講師としてお招きを受け、なかなかお引き受け出来ないでおりますが、27日は、このところしばらく行っておりませんでした中国、四国地方での講座を福山市で行ないます。まだ〆切には余裕があるようですので、御関心のある方はどうぞ。
以上1日分/掲載日 平成19年10月18日(木)
ここ数日間というもの、講談社から刊行予定の桜井章一雀鬼会々長との対談本の原稿の校正に、夜も昼もない生活を送った。もちろん、校正だけに関わるわけにもいかず、講座やテレビの収録、企画の打ち合わせなどが、いくつも重なっていたから、赤入れを終って「よくぞ、この日数で出来たものだ」と自分でも驚いている。
赤入れ用の原稿が届いた時、他にも用件がいろいろあるため、1週間やそこらでは、とても校正は出来ないと、先方にも断ったのだが、この本が桜井会長との本ということもあったかも知れないのだが、他の用件をやっていても、この本の事が気になって、どうにも落ち着かず、「これでは仕事にならない」と、予定を組み替え非常体制を敷いて、この原稿と向き合った。
今回、1冊分の原稿に赤入れして、あらためて思うことは、編集者とかライターという職業も、それぞれやはり得意分野があり、大きく分けると話の流れを作るのが向いている人、日本語の表現力がある人の2つに分けられるように思う。もちろん、すぐれた編集者やライターは、その双方を兼ね備えていることだが、昨今はその両方を1人の人間に望むのは非常に難しいことなのかもしれない。
しかし、この赤入れ作業のために私用はもちろん、やらなければならない、かなり差し迫った用件も殆ど手をつけられなかったのには参った。いつも、もうこんな進行予定の仕事はお断りだと言いながら、なかなか改まらないのは、ひとつには私の性格かもしれない。
これを責任感がある、というのか、小心者というのかは見方によるだろう。とにかく明日は25日からの西日本方面への旅行の準備と、隔月で受けている連載原稿、講談社本の前書き、筑摩書房の文庫本の原稿等々、やることは山積み。まあ、26日は福山の小学校での出前授業があって、27日は久しぶりの福山での講座。これはかなり遠方から熱心な人達が来られそうなので濃いものになるだろう。そういう時は、少しは追い立てられている気持ちから解放されるかもしれない。(御関心のある方は、まだ〆切っていないようなので、どうぞ)
しかし、ここまで書いた時に、フト今回の旅は25日に東京を発つ直前に講談社のU女史から赤入れを済ませた桜井会長との本のゲラを渡されるという宿題付きだった事を思い出してしまった。そういえば、今月から来月にかけては、関西から帰って3日置いて、また関西という今までにちょっと記憶にない日程になっている。
11月の1日は朝日カルチャーセンター大阪で講座。2日は京都での稽古会。3日と4日は京都であるカイロプラクティックの京都シンポジウムに講師で招かれているのだが、この両日とも一般参加も可能らしい。詳しくは私のサイトとリンクしている野上明宏氏のサイトにお問い合わせ下さい。
以上1日分/掲載日 平成19年10月24日(水)